2017年04月06日
自閉症スペクトラムや認知症など意思疎通をどうしていくかは永遠のテーマ?!
自閉症は大抵が遺伝性のものであることが判明している。その3分の1はランダムに発生する遺伝子の突然変異が原因である一方で、特定の家系に出現する率が非常に高い。そして、そうした家系の多くがある種の恩恵を得ている。
こうしたことから自閉症が今もなお存在することには理由があることがうかがえる。最近の研究によれば、自閉症を持つ祖先は、人類の進化史を通じて、その独自のスキルや才能によって社会グループの中で重要な役割を果たしていたことが示されている。
実は数千年前の社会では、自閉症的特性を持つ者は単に受け入れられていただけでなく、大いに尊敬されていた可能性があるのだ。
自閉症の人の多くは、桁外れの記憶力、鋭い視覚・味覚・嗅覚、動物の行動をはじめとする自然体系についての優れた理解力を有している。
引用元:エキサイトニュース
自閉症といってもすべての人が突出した能力を持っているわけではありません。
どうしてもこういう記事を見ると自閉症や自閉症スペクトラムに特別な能力がある
ということが条件にもなるような誤認を生じる傾向があります。
自閉症という障害はなにも日本国内ばかりではありません。
さらに自分の周りに該当する人がいないとあまり関心を持てないのは
当然といえば当然でしょう。
自分とは異なる感性の五感を持っており、コミュニケーションの仕方も
独特でつたわりにくいというのは実際に一緒に生活しないとわからない面も
多いです。
意思疎通がうまくいかない人と生活を共にすると言うことは
お互いにフラストレーションを溜めやすい環境と言えます。
どうしてもコミュニケーションがとれない=自閉症みたいな印象が
強い世の中ですが、高齢者になって認知症となった場合なども
日常生活での意思疎通がむずかしくなるというケースはあります。
少子高齢化社会となり、平均寿命だけが延びていく世の中ですと、
誰しもが認知症になるリスクというものは内包しています。
そう考えると、遅かれ早かれ人生の中で意思疎通がうまくいかない人と
生活するということは決して人ごとではないように感じます。
パートナーが自閉症スペクトラムなどで意思疎通が困難である場合は
離婚をしない限り長い期間悶々とした気持ちで生活を強いられるでしょう。
それに比べれば認知症なんて年取ってからの話でしょ?という受け止め方
の人もいるでしょうが、しんどいと思っているときのしんどさはあまり
他人と自分で比較することはナンセンスです。
本人がしんどいと思っている以上いかにささいなことでもやはりしんどいのです。
意思疎通がむずかしい人といかにストレスを減らして生活ができるかという
ことはこれから先はもっと重要視されていかなくてはいけないような気がします。
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コメントありがとうございます!
マロンさんが書いてあることはほぼ私も同じ感覚です。
私よりもマロンさんの家庭の方がかなり複雑だと思いますが。
私は自信がない自分をみせないように社会では生きていると思います。
それゆえおっしゃるように人の相談を受けることの方が多いのが日常です。
良くいえば人のことの方が細かいことをうじうじ考えず尽力できるって
感じでしょうかね。
自分のこととなると、自分の中で素直な自分と虚勢を張っている自分が
葛藤して交錯して頭を混乱させるのだと思います。
本当に楽しい雰囲気の家庭をみるとうらやましく思いますね。
自分が疲弊しているときほど妬ましく感じ、ひどいときは
「不幸に落ちれば良いのに」ぐらいに思うときもありました。
人の幸せと自分の幸せの線引きがまったくできていなかったのだと思います。
いまは妬ましい気持ちは大分減りましたがかなり時間がかかりましたよ。
嘘の笑顔というのはわかります。心から笑ってないんですよね。
顔面の表情筋だけで笑顔を作り出しているからどんなに取り繕っても
見る人から見れば不自然に見えるそうです。
たまにそういう嘘の笑顔を見透かすような人に出会うときがあり、
そういう人と目が合ってしまうとかなりドキッとしてしまいます。
でも、私は比較してしまう傾向に在ります。
なぜかというと、自分が自分に感じるしんどさが、一般論と比較した時にボーダーラインを下回っていたら、私は単にワガママということになる気がするからです。
そんじゃいけない、そんなのは恥さらし、そんな気がします。
自分の感覚に自信が持てないんです。
誤解を生まないために言うと、自分の意思はわりとはっきりできる方なんです。仕事も人の生活相談を受けて、アレコレと指示を出させてもらうことをやっており、それに不安に思うことはさほどありません。
だけど、自分の人生となると、もう何が基準か分からなくて手も足も出ない。特に、やりたいかやりたくないか、楽しいか楽しくないか、の感覚は分かりません。
分かっていても、認識できないのかもしれないです。
親にさんざんバカにされて、選ぶもの全てを間違いと言われ、その経験からもう感覚的なところで選択したくないのかもしれません。
楽しいか楽しくないかで人生を過ごしている人を見ると、心の底から羨ましく思います。
飾らずに言わせてもらうと、単純に妬ましいです。
本当の笑顔を見ると悔しいです。
私はいつも、すごく自然に見える嘘の笑顔でいます。