2017年03月16日
東大の4人に1人は自閉症スペクトラムなの?!先入観の押しつけは不幸を招く
「東大生の四人に一人が自閉症スペクトラム疑いアリ」(原文ママ)
昨年2月、東京大学の元大学院生が自身のツイッターでつぶやいた、こんなツイートがインターネット上で話題になった。自閉症スペクトラム障害(ASD)とは、対人コミュニケーション能力や想像力、社会性などに困難さがあり、限定された行動、興味、反復行動がある障害で、「自閉症」「アスペルガー症候群」などと呼ばれている障害を統合した診断名だ。
引用元:BJ
アスペルガー症候群という呼び方は正式にいえば医学上はすでになくなっています。
自閉症スペクトラムというなかに含められてしまったからです。
近年ではちょっと変わった人や空気が読めない人、
使えない人を簡単に「アスペルガーかも」とか「発達障害かも」
というレッテルを貼る人達が増えてきているそうです。
あるコメントによれば、このブログもそのひとつみたいですが^^
レッテルというものは、先入観を間違いないものであると押しつけて
それ以外の選択肢をとってしまうような烙印とも言えます。
東大生は4人に1人が自閉症スペクトラムの疑いがあるという
根拠がよくわかりませんし、ツイートした人は差別意識は皆無だそうですが、
語弊を招くような内容でもありますね。
日常生活に支障をきたしているようなタイプの人は自閉症スペクトラムという
診断を受けるメリットがあるかもしれません。しかし一般的には社会にうまく
順応して生きていけている、周りに支障をきたしている人がいないのであれば、
障害名称というのはあまり拘らない方が良いのです。
ADHDだから……
アスペルガーだから……
障害名がわかることで前向きになれたり、自分自身の工夫の仕方が理解できたりする
場合はすごく診断する事に意味はあると思います。
といっても特に日常生活に支障をきたさずエンジョイしている人は多いのでは
ないでしょうか。
私たちの日常生活は事実がどうかよりも先入観で気分が悪くなったり、良くなったり
することが多いです。
テレビや新聞、週刊誌などさまざまなメディアがありますが、何気なしに
目を通しているとうっかり先入観を自分に植え付けてしまうということは多分にあります。
そうかもしれない…けど、そうでないかもしれない…
そういう情報は本当に多いと思いますが、あまり真に受けすぎると
本当に狭い心の人間になってしまうような気すらします。
情報の取捨選択は容易ではありませんが、できればレッテルを貼るので
あれば良い先入観をうけつけていきたいものです。
99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)
2週間無料でスタート!クラウド型レンタルサーバー「Zenlogic」
【このカテゴリーの最新記事】
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/6059795
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック
コメントありがとうございます。
そうですね。ご自身で嘘だといえば嘘になるでしょうが、
そこまで嘘をつかないと自分が自分でいられないぐらいツライ思いを
していたのだと思います。
わかったからと言っても急に楽になるわけではないでしょうが、
これから何年かかるか分かりませんが、少しずつそんな自分を
受け入れられる時が来るかもしれません。
少しずつ本来のご自身が取り戻せるといいですね!
私、嬉しいです。
今迄ずっと嘘ついて生きてきました。周りにも、自分にも、嘘ばかりの人生でした。
なぜなら不幸だったからです。
自分の不幸が悲しくて、不幸じゃないフリしていました。
我ながらうまかったと思います。演技を鵜呑みにしている友人は多いです。
仕方なかった気がします。子供の頃にそんな話をして理解できる子供って何人もいないと思います。
だから幸せなフリしました。友人関係を維持するために。
時々苦しみました。自分の中で嘘の帳尻合わせしなくてはいけないから。
1人で泣きました。泣くことで一旦その場が凌げたからです。
最近、大学時代に知り合った一番の友人に20枚に及ぶ手紙で全て告白しました。驚いていました。
私が親と確執あることを多少知っている子でしたが、ここまでとおもわんかったと言ってました。
でも、軽蔑も憐れみもないと受け止めてくれました。
嬉しかったです。受け止めてくれたことも、話せた自分も。
主様の言葉が背中を押してくれました。
誰だって経験ないことは分からないものです。
私もイジメやDVの経験がないので、そういったことを真に理解できにくいのと同じと思います。
主様は私の話を現実として理解してくれました。救われました。
どこにでもある家庭の話、で片付けないで下さってありがとう。
よくある話とは、頻度と深度が違うと思います。それを説明するのは難しく、理解してくれた嬉しさは大きかったです。
実家に戻ってからの私は腫れ物扱いです。
大人しくしてるとナメられるのは重々分かっていましたから先制しました。
戻って数日後に集中的に部屋で壁を叩いたり、金属棒で物を叩いて音を出したのです。
私が壊れかけていると三人は捉え、ほとんど話しかけなくなりました。
皆そうですが、特に兄はこうでもしないとダメなんです。そうしないと、毎日毎晩部屋のドアを開けるまでノックし続けて、どうしたー?なんでー?いいのー?と、言い続けますから。本物の、障害者独特の行動です。
母親には、昔の暴力が頭に蘇ると泣き喚いて伝えたところ、精神病院かかれと言われました。
もういいやと思ってます。
全員が、私を精神病者と捉えていてくれれば、その方が楽です。これくらいのズルさは身につけました。
友達や前職場の仲間とは普通に連絡取っています。私、むしろ外では愛想良くてやる気あるタイプに認識されてるかもしれません。
こうやって、精神病者と明るい人みたいなおかしな演技が続けると、またおかしな自分が残ってしまうかもしれないですね。ほんとはあまり良くないでしょうね。
街中でふと私と会っても、私がこんな人間とはきっと思えないと思えないと思います。心底恥じてますから。
だからもしかしたらその場でも自分を繕うかもしれません。
こんな話、全部なかったことにしているかもしれません。
幸せな人間のフリして、嘘を並べているかもしれません。
いつかパッと目が覚めて、全部夢だったとなったらいいなと、そんな馬鹿みたいなことを思ったりします。
馬鹿だなと、思いながらです。