2017年03月07日
発達障害は親の愛情不足?!発達障害を認めようとしない人たち(その2)
→発達障害は親の愛情不足?!発達障害を認めようとしない人たち(その1)
愛情不足という言葉は非常に都合の良い言葉に聞こえますね。
発達障害の子どもを持つ家庭でも事情はさまざまです。
・親も発達障害で、子どもも発達障害の場合
・親は定型発達で子どもが発達障害の場合
親が発達障害で子どもも発達障害の場合はそもそもの愛情をわからないで
接している場合もあります。価値観も特有なものがあるので無機質なコミュニケーション
になりがちでしょう。マニュアル通りに良いという教育をしたから子どもが愛情を
感じてくれるかはまた別問題です。
親が定型発達で子どもが発達障害の場合は、親は自分の価値観での愛情を
子どもへ振りまくことになります。たいていはこの愛情がそもそも誤っている
ことが多く、いわゆる条件付きの愛情を振りまいていることが多いです。
過干渉であったり、過保護であったり口も出すけど手もだしてしまい子どもの
自立を妨げます。親が思ったような道を進んでくれることが親からみると子どもが
幸せなのだろうという偏った価値観に気づかず、親切の押し売りをしている状態。
発達障害の子どもは個人差があるでしょうが、そんな親の期待や条件はなんのそので、
手を貸してくれればそれがあたりまえだと思ってしまい、自分でやるという選択肢が
減っていくことはあまり望ましいものとは言えません。
子どもが発達障害でなかったとしても、子どもとの接し方というものはこれをやれば
問題ない!なんていうことはありません。ただ過保護や過干渉は確実に本人の自立を
妨げることになります。とはいえ、放任主義でなにも関与しないということが良い
というわけでもなさそうです。放任というのは無関心になりなさいということでは
ないです。子どもには常に関心を持って接しなくてはいけませんが、本人の選択した
気持ちや決断をひとりの人間として尊重しながら自己肯定感を高められるように
できることが望ましいと思います。
どうしても子どもを育てていると、「その選択よりこっちの方が良いでしょ」
というときはたくさんでてきます。普段から子どもの選択をある程度尊重するような
家庭環境が整っていれば子どもの自尊心や自己肯定感を下げずにすむでしょう。
しかしコレが明確に浮き彫りになる時期があります。いわゆる受験の時ですね。
義務教育が中学校で終わり高校受験になるときには、ある程度自分の将来を
見通して自分の進学する高校を選択しないといけなくなります。さらに大学となれば
よりいっそう専攻する科目が限定されます。
いままでは親がアレもやってあげるコレも決めてあげると散々やってあげることが
親の愛情であると勘違いしている人たちが、受験になると一気に本人の意見をヒヤリング
しようとします。過干渉の親は子どもの意見を聞いたとしても自分が思い描く進路を
進めてみたり、子どもが選んだ選択だとこういう大変なことがあるから、こっちにしなさい
など余計な口を挟む場合も珍しいことではありません。
親としては子どもが幸せになって欲しいと考えていることが多いでしょう。
しかし親が考える幸せと子どもが考える幸せを混同してはいけないのでしょう。
親からすればこれが愛情のひとつだと疑わない人もいるでしょうが、親切の押し売りを
し続けられた子どもは発達障害であればなおさらですが、定型発達の子どもでも
アダルトチルドレンとしてインナーチャイルドを抱えた子どもになり得ます。
そう考えると、日ごろから失敗することを恐れず受け入れられるような環境を
作ってあげられることが親としての愛情とも言えるような気がします。
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コメントありがとうございます!
おっしゃるとおりですね。
愛着障害というものは判断がよりむずかしいと思います。
どちらも結果的には脳の問題ですから、改善や訓練が
本当に大変だと思います。
ADHDと愛着障害(脱抑制型)も、似ていると言われる。
専門家でないと判別できないし、複合型も存在する。
発達障害で育てづらく、叱ってばかりで愛着障害にケースもある。
親が発達障害だと、コミュニケーションが苦手で愛着障害になる。
先天性の発達障害が増えているのは、愛着障害が含まれると思う。
また愛着障害は、病名として診断されることは少ない。
※引っ込み思案・落ち着きがない・問題児として、片付けられる。
コメントありがとうございます。
そうですね。脳の機能障害というものはやはり目に見えないため
わかりにくいということが世間では一般化しているということでしょうね。
アスペルガーを平気で病気という医者もいるぐらいですから
いかに世間の認知がむずかしいかが分かります。
せめて近親者には掘り下げた理解をして共有して欲しいのですが、
人の先入観なんて合っているかどうかよりもイメージ画選考しますから
大変ですね。
コメントありがとうございます。
対等な立場での意見の交換は幼い頃から私も潜在的に望んでいたことです。
私自身常識をどうしてこんなに重んじようと考えていたかという本質的な
理由は、子供の頃を思うと、まわりから馬鹿にされないようにとか、下に
みられないように、つまりなめられないようにするためというのがあったきがします。
人間は歴史を見れば容易に分かりますが、人の下に人を作りたがる性質が
あります。マスコミの報道は偏見を助長するものばかりです。
うちの親はどちらかというと常識ぶっている割にはすごく差別的な発言を
ぺろんと子供の前では言う方でしたから、根底にそういう意識が普通になって
いた面はあります。
マロンさんのいうように、いじめやセクハラなどさまざまな社会問題も
結局は自分の不満で満たされない感情をいいやすい人ぶつけやすい人へ
憂さ晴らしをしている状態です。だから弱い人というより、あまり発言が
得意でない人力が弱くて反抗できない人、そういう人にその感情は流れて
いきます。
アダルトチルドレンは本当に甘くないです。でも少しずつ癒やすことはできます。
もう十分マロンさんはがんばっているの無理のしすぎは禁物だと思います。
それを知ったら知ったで「病気」呼ばわりする方が多くて辟易します。
当事者はもちろん、親御さんの気持ちを考えるとやるせません。
ある日、受験だ結婚だという時ではなく、昔から意思疎通をスムーズにすること。
もちろん一方的なことではなく、交換です。
そして頭から否定するのではなく、またバカにするのでもなく、親も子も相手を自分と同一のものと勘違いせず、1つの意見として尊重すること。
交通整理や、老人介護や、スーパーの売り子を卑下することはやめてほしいです。嘘くさく、立派な仕事!と持ち上がろと言っているのではないです。ただ、もう、自然に、言ってみれば放っておいてほしいのです。
この世に差別される仕事なんてありますか。あるとするなら誰がそれをジャッジするんでしょうか。
結局、自分の人生に不満のあるロクデナシが、自分より弱い者をいじめる為に差別しているんだと思います。
アダルトチルドレンを甘くみてはいけないです。はじめは大人しくても、いずれ危ない可能性があります。見た目が普通、もしくは普通よりも常識ぶっているから余計に怖いです。
自分のこと、そう思います。