2017年02月25日
アスペルガー受動型の嫁と接するときは基準を世間一般においてはいけない!(その2)
→アスペルガー受動型の嫁と接するときは基準を世間一般においてはいけない!(その1)
■イライラしているときは自分の常識や世間の常識が基準となっている
大切な話をしているのにもかかわらず、あくびをしたり、手遊びをしたり、
はたまたキョロキョロとまわりをみたり、場所を移動したり、そんなことをするのが、
アスペルガー受動型の嫁の標準と言えます。別に相手を怒らせるためにやっているわけでなく、
悪いとは思っても、思考が制御する前に運動神経野がある意味自動で行動させてしまっているのです。
こういう行動は、夫婦や家族という一致団結して共同生活をしていくという意識が高いひと
からすれば、まったくもって不謹慎で不真面目で頭にくるという見方しかできないでしょう。
本当に頭にきます^^
・話をしていても対案がでるわけではない
・聞いているか不明
・ようやく口を開いたと思えばまったくちがう話題
こんなひとと生涯を一緒になんて描いていけない!と思われてもしかたありませんね。
でも、なんどこちらの常識や、世間の常識はこうであると教えたとしても
こちらの思ったような態度ができるようになるかといえば正直むずかしいと言えます。
相手が変わるよりどう考えても自分のさまざまな執着した考え方を変えた方がはるかに
はやいのです。どうしても高い自分の基準や世間の常識というラインで相手をみている
傾向がありますので、いつみても「この人まだこのラインに届かないのか」という評価
しか下すことができません。
これを繰り返していると、必然的に先入観にこの人は基準に届かない駄目な人としか
見られなくなるようになり、悪循環ばかりになってきます。
■さげすむときがあってもいいが、エスカレートしすぎない
「過去と他人は変えられない」とはよくいいますが、まさにその通りです。
でも他人は変えられないけど、自分は変えられるという発想に至っても、
結構自分を変えるって思った以上に大変なんですよね^^
超ネガティブなときにこういう自己啓発の本を読んでしまうと、
「なんだよ結局自分がすべて悪いってことかよ!」
「こんなにツライ思いしているのに自分を変えるってひどい」
「嫌な気持ちにさせているのは周りなはずなのにどうして自分が変わるの!」
と本で書いてあることを素直に受け取ることがまずできません。
というか、読んでいると余計に具合が悪くなり、憤りさえこみ上げてくる人や
フラッシュバックから発作を起こすような人もいるでしょう。万人向けの
自分を変える方法っていうのはないのだと思います。
結局そのタイミングはいつなの?といえば、やはり自分が自分を変えようと
思ったときしかありません。本を読んで促されても、カウンセリングで「手放しなさい」
と半強制的に言われても、自分自身の本心が自分で変わりたいと思わなければまだ
その時期ではないのだと思います。
それを無理にアダルトチルドレンの癒やしとしてやろうとすると体の一部だけ
やる気があるけど、大半はどこかで自分が変わる必要は無いと思っている自分も
いるので、その葛藤というか矛盾に苦しめられることになります。
ただ自分の基準を高く持ったままでも生きていくことは可能です。
しかし夫婦や家庭や親子となるとまったくの別人格が一緒に生活するわけですから
どうしても自分の基準が高いと周りに自分の基準を押しつけがちになることも否めません。
長い生活の中でこれを慢性的にやられると、お互いあまり気持ちよく幸せな関係になれる
というイメージは客観的に見ても得られないのではないでしょうか。
自分の基準を下げることは、どうしても相手にあわせてあげてやっているという
感覚になりがちですが、すぐにはできなくてもたまには相手の感覚にあわせてあげる
という日があっても訓練的には良いのかなぁと感じます。
私のような自覚がない完璧主義者の人たちは思った以上に存在します。
あまりにも完璧主義者過ぎてくると世の中も周りの人間もすべて馬鹿に
見えてきてしまいます。かといって自分が凄く優れているなんてはおもって
いないでしょうが、根底には「どうして私の基準が誰も理解してくれないの!」という
承認欲求が満たされていないことがどこかに染みついてしまっているのかもしれません。
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■イライラしているときは自分の常識や世間の常識が基準となっている
大切な話をしているのにもかかわらず、あくびをしたり、手遊びをしたり、
はたまたキョロキョロとまわりをみたり、場所を移動したり、そんなことをするのが、
アスペルガー受動型の嫁の標準と言えます。別に相手を怒らせるためにやっているわけでなく、
悪いとは思っても、思考が制御する前に運動神経野がある意味自動で行動させてしまっているのです。
こういう行動は、夫婦や家族という一致団結して共同生活をしていくという意識が高いひと
からすれば、まったくもって不謹慎で不真面目で頭にくるという見方しかできないでしょう。
本当に頭にきます^^
・話をしていても対案がでるわけではない
・聞いているか不明
・ようやく口を開いたと思えばまったくちがう話題
こんなひとと生涯を一緒になんて描いていけない!と思われてもしかたありませんね。
でも、なんどこちらの常識や、世間の常識はこうであると教えたとしても
こちらの思ったような態度ができるようになるかといえば正直むずかしいと言えます。
相手が変わるよりどう考えても自分のさまざまな執着した考え方を変えた方がはるかに
はやいのです。どうしても高い自分の基準や世間の常識というラインで相手をみている
傾向がありますので、いつみても「この人まだこのラインに届かないのか」という評価
しか下すことができません。
これを繰り返していると、必然的に先入観にこの人は基準に届かない駄目な人としか
見られなくなるようになり、悪循環ばかりになってきます。
■さげすむときがあってもいいが、エスカレートしすぎない
「過去と他人は変えられない」とはよくいいますが、まさにその通りです。
でも他人は変えられないけど、自分は変えられるという発想に至っても、
結構自分を変えるって思った以上に大変なんですよね^^
超ネガティブなときにこういう自己啓発の本を読んでしまうと、
「なんだよ結局自分がすべて悪いってことかよ!」
「こんなにツライ思いしているのに自分を変えるってひどい」
「嫌な気持ちにさせているのは周りなはずなのにどうして自分が変わるの!」
と本で書いてあることを素直に受け取ることがまずできません。
というか、読んでいると余計に具合が悪くなり、憤りさえこみ上げてくる人や
フラッシュバックから発作を起こすような人もいるでしょう。万人向けの
自分を変える方法っていうのはないのだと思います。
結局そのタイミングはいつなの?といえば、やはり自分が自分を変えようと
思ったときしかありません。本を読んで促されても、カウンセリングで「手放しなさい」
と半強制的に言われても、自分自身の本心が自分で変わりたいと思わなければまだ
その時期ではないのだと思います。
それを無理にアダルトチルドレンの癒やしとしてやろうとすると体の一部だけ
やる気があるけど、大半はどこかで自分が変わる必要は無いと思っている自分も
いるので、その葛藤というか矛盾に苦しめられることになります。
ただ自分の基準を高く持ったままでも生きていくことは可能です。
しかし夫婦や家庭や親子となるとまったくの別人格が一緒に生活するわけですから
どうしても自分の基準が高いと周りに自分の基準を押しつけがちになることも否めません。
長い生活の中でこれを慢性的にやられると、お互いあまり気持ちよく幸せな関係になれる
というイメージは客観的に見ても得られないのではないでしょうか。
自分の基準を下げることは、どうしても相手にあわせてあげてやっているという
感覚になりがちですが、すぐにはできなくてもたまには相手の感覚にあわせてあげる
という日があっても訓練的には良いのかなぁと感じます。
私のような自覚がない完璧主義者の人たちは思った以上に存在します。
あまりにも完璧主義者過ぎてくると世の中も周りの人間もすべて馬鹿に
見えてきてしまいます。かといって自分が凄く優れているなんてはおもって
いないでしょうが、根底には「どうして私の基準が誰も理解してくれないの!」という
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コメントありがとうございます。
私の場合は、そういう理屈が頭ではわかっているつもりでも
同じ価値観で、同じレベルに成長してくれるような人間が生涯のパートナー
みたいな絵空事みたいな感覚が心の片隅にへばりついていた気がします。
これは逆に言えば、自分のことを丸々分かってくれる人を求めていることでも
あります。
自分基準でものを考えることは別にいけないことではないです。
ただ、その基準が分かる人もいればいない人もいる。ましてアスペルガー
の人が相手であれば、こちらの基準を察してあわせることはまずむずかしい
わけで、生活をしていくのであれば、自分の基準の見直しが必要だと言うことです。
マロン様は離婚という選択をしているわけですから、自分の基準を
自分で信じてあげてもまったく問題ないと思います。未熟なんてことはなく
自分の今の気持ちをしっかり自分で受け止めて線をひけたということは
勇気と労力のいることです。
運命共同体として受け入れられる人が良い人間というわけはないですし、
離婚を選択したのですから間違っていないと思いますよ。
あくまで記事は私自身にむけて継続していくためには自分で目線を
買える必要があるというイメージで記載していますので、マロン様が
離婚を改め直してもらいたいなんというおこがましい気持ちはありません。
そこはべつの道を選択しているのでさまざまな見方がある程度にとっていただければ幸いです。
でも対アスペルガーさんとなると、少し違ってきませんか?
価値観や脳の働き方の違いと言えばそれまでですが、明らかに日常に支障が出ますし、こちらの感情を逆撫でてきます。
運命共同体としては受け入れ難い…と感じるのが本音です。
すみません、人間が未熟だと分かっています。