2016年12月24日
多動性の特性を持つ子どもへの対応!あまりにひどいときは薬物療法も視野に入れておきたい。
男の子は小学1年生。父親に顔にあざができるほど殴られ、児童相談所(児相)が一時保護していた。
男の子はとにかく落ち着きがない。追いかけるが、ケイコが伸ばす手をすり抜け、走り回る。同行した児童心理司と2人で追いかけてやっと捕まえた。手をつなぎ、小児科の医師のもとに連れて行った。
診察中、廊下で待っていると「トイレ!」と飛び出してきた。看護師も手に負えない様子だ。児童心理司が追いかけていった。
中略
医師によると、両親の希望は「服薬はさせたくない」とのこと。父親は「ちょっと元気で困っている。(殴ったのは)しつけだから」と話したという。
「ご両親が発達障害を受容していないので、治療は慎重にしないといけないですね」と医師はケイコに言った。
引用元:朝日新聞デジタル
多動性の子どもをもつ親としては非常に複雑な気持ちですね。
単に多動性があると言っても実際はかなり差があります。
そして、成長とともに少しずつ緩和していくことも珍しくありません。
ですから親としてはあまり薬を投与したくないという気持ちはわからないではありません。
ただ、ここまではげしい多動の場合は、一度ストラテラやリタリンをためしてみるという
ことも親としては選択肢は持っていて欲しいと感じます。
多動をしている本人は周りからすればいつ衝動的に何をするかわからないという
不安に襲われるわけですが、当事者本人はやめようとおもっても本能的な性質に
近いわけで、簡単にはスキルが身に付くわけではありません。
あまりに言うことを聞かないとついゲンコツやビンタをして言うことを聞かせるという
のが昔ながらのやり方でしょうが、結果的に静かに収まったとしても良い方法とは
もちろんいえません。
現代でこれをやっていると、まちがいなく虐待です。
発達障害であってもそうでなくてもこの教育方法は子どもの心に闇を植え付けるような
ものなのです。
親からすると、静かになれば自分の言うことをわかってくれたと思ってしまいがち
ですが、多動性の子どもからすれば、意味がわからないけど怒られているから
やめようということしか認識できず。これが常態化すると自分が悪いと感じていないのに、
怒られるという悪循環に陥るのです。
仮に自分が悪いと認識ができたとしても理性でどうにかこうにか静かにできる
ようになるならそれは障害ではなく単に、発達が未発達だっただけです。
一番怖いのは、いつも怒られすぎて本人の自己肯定感を低下させてしまい
二次障害になることです。こうなってくると障害と二次障害のWで社会へ放り出される
わけですから、本人はよりいっそういきづらい世の中だという認識も強くなるでしょう。
ただ、昔と異なり多動性の子は自他ともに障害を認識されやすい点はプラスです。
病院に適切にかかることで薬物療法や、SSTなどを早い段階でうけられるからです。
定型発達でも発達障害でも自己肯定感をさげながら生活すると言うことが一番の
不幸の源になります。
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コメント有難うございます。
貴重なご意見ですね。薬物治療の問題は、子どもの頃ですと
当事者の子ども自身の意志では判断できないと言うこともありますよね。
成人すれば薬物治療をするかしないか判断できますが、一番はげしいのは
幼児期でもあるので親の中で選択肢からまったく切ってしまうことは避けたい
ですね。
今大人で発達障害と診断している人たちが一番大変である気がします。
幼少期は大人や親からは見過ごされて成長してしまったわけですし、
選択もできない時代だったでしょうから。
自分の子どもをみていると本当ににぼしさまが言うように当事者も
未知の世界で悩んでいると言うことがよくわかります。なかなか視覚化
できないお互いの世界観をすべて理解するのは難しいですが、うまく
コミュニケーションがとれる工夫はしつづけないといけないと感じます。
(あくまで対処療法であって発達障害の治療では無いのですが、誤解してる人が多い様です)
問題は一番困ってるのは当事者本人なのに、本人や周りの人が障害そのものを理解しない、受け入れない事。当事者がまだ子供だったり、発達障害を知らないまま大人になると理解も難しいでしょうが、受け入れないと、どうにもなりません。
健常者が障害という未知な部分を受け入れるのは怖いと思いますが、当事者もまた別の未知の中にいる事を知ってほしいです。