2016年10月12日
アスペルガー受動型の嫁の周りには世話焼きの人間が集まってくる傾向あり。
アスペルガー受動型の嫁は対外的には受け身的なので、
他人に自己主張しすぎたり、相手にあわせなかったりはまずしません。
ですから、男性の積極奇異型のアスペルガーの人よりはトラブルになりにくい面があります。
アスペルガー受動型の嫁のようなタイプの周りには、
なにごとにも積極的で行動力のあるタイプの同性がとりまきを
作ることが多いです。
みてるとあぶなっかしくなったり、手を出したくなったりしたくなるんでしょう。
キビキビ女子からすれば、世話を焼きたくなるタイプなのかもしれません。
だからアスペルガー受動型の嫁のまわりにはそういう友達や知人が
増えては減ってを繰り返します。
まあ、いってみれば私もその「世話焼き人間」の一種ですけどね。
世話を焼くのが単に好きな場合はいいんです。裏表がないですから。
さらに、この関係がうまく保たれているうちはいいんです。
でも、どこかでボタンが掛け違ったりしてしまうことが大いにあります。
特にアスペルガー受動型の嫁の世話を焼くタイプの人間は、
いわゆる世間でいうところの「できるタイプの人」であることが多いです。
ですから、潜在的にかなりプライドも高く、承認欲求も高いタイプが多いようです。
ものごとを〇〇すべきだ!とおもっているようなタイプも多いです。
心理的には無意識に相手を自分より下の人間だと思って世話を焼いているケースも多く、
アスペルガー受動型の嫁は言われれば素直に動いたりしますので、勘違いさせてしまうのです。
アスペルガー受動型の嫁が「ありがとう」など感謝の意がつたわっているうち
は良いのですが、うちの嫁の様なタイプは1度やってもらうと次も同じように
やってくれると脳にインプリンティングされるときが多いのです。
慣れてくるとあたりまえに感じてしまい相手へお礼をいいわすれたり、相手へのねぎらいの優先順位を間違ってしまったりし始めます。
お礼や今までの注意点を置き去りにして、自分のやってもらいたいことをさらに相談して、関係にひびが入ることも多いです。
本心からボランティア精神が強いタイプの人なら良いのですが、
承認欲求が強くて人のことに対して世話を焼いているタイプですと、
ねぎらいや感謝など承認欲求が満たされる見返りがないとだんだん
不機嫌になってくるのです。
こっちは厚意でやってあげているのに、その態度や発言は何なの?
みたいなズレからいつのまにか接点がなくなっていることも多々あります。
相手からすれば、こっちがこんなに懇切丁寧に世話しているのに、失礼極まりない成長しない奴だとでもおもわれるのでしょう。
こんなことが頻繁に起こることから、凄く仲が良かったと思っていたのに
急にあわなくなったりということもあります。相手が怒っちゃうのがほとんどですが^^
世話焼き人間もタイプがいろいろあるでしょうが、私のようなACタイプですと、
誰かに世話を焼くことで自分自身の居場所をみつけているような状態です。
こんな感じで結婚してしまったのがいわゆる気持ちが通わない夫婦NO1である、
アスペルガー受動型の嫁×アダルトチルドレン夫という共依存の関係夫婦です。
アスペ✕ACの共依存は潜在的なもので他人が目で分かるものではありません。
しかし、結構世の中にはこのタイプの夫婦は多いのかもしれません。
本当に世の中の世話を焼いてくれる方々ご迷惑をおかけして済みません。
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他人に自己主張しすぎたり、相手にあわせなかったりはまずしません。
ですから、男性の積極奇異型のアスペルガーの人よりはトラブルになりにくい面があります。
アスペルガー受動型の嫁のようなタイプの周りには、
なにごとにも積極的で行動力のあるタイプの同性がとりまきを
作ることが多いです。
みてるとあぶなっかしくなったり、手を出したくなったりしたくなるんでしょう。
キビキビ女子からすれば、世話を焼きたくなるタイプなのかもしれません。
だからアスペルガー受動型の嫁のまわりにはそういう友達や知人が
増えては減ってを繰り返します。
まあ、いってみれば私もその「世話焼き人間」の一種ですけどね。
世話を焼くのが単に好きな場合はいいんです。裏表がないですから。
さらに、この関係がうまく保たれているうちはいいんです。
でも、どこかでボタンが掛け違ったりしてしまうことが大いにあります。
特にアスペルガー受動型の嫁の世話を焼くタイプの人間は、
いわゆる世間でいうところの「できるタイプの人」であることが多いです。
ですから、潜在的にかなりプライドも高く、承認欲求も高いタイプが多いようです。
ものごとを〇〇すべきだ!とおもっているようなタイプも多いです。
心理的には無意識に相手を自分より下の人間だと思って世話を焼いているケースも多く、
アスペルガー受動型の嫁は言われれば素直に動いたりしますので、勘違いさせてしまうのです。
アスペルガー受動型の嫁が「ありがとう」など感謝の意がつたわっているうち
は良いのですが、うちの嫁の様なタイプは1度やってもらうと次も同じように
やってくれると脳にインプリンティングされるときが多いのです。
慣れてくるとあたりまえに感じてしまい相手へお礼をいいわすれたり、相手へのねぎらいの優先順位を間違ってしまったりし始めます。
お礼や今までの注意点を置き去りにして、自分のやってもらいたいことをさらに相談して、関係にひびが入ることも多いです。
本心からボランティア精神が強いタイプの人なら良いのですが、
承認欲求が強くて人のことに対して世話を焼いているタイプですと、
ねぎらいや感謝など承認欲求が満たされる見返りがないとだんだん
不機嫌になってくるのです。
こっちは厚意でやってあげているのに、その態度や発言は何なの?
みたいなズレからいつのまにか接点がなくなっていることも多々あります。
相手からすれば、こっちがこんなに懇切丁寧に世話しているのに、失礼極まりない成長しない奴だとでもおもわれるのでしょう。
こんなことが頻繁に起こることから、凄く仲が良かったと思っていたのに
急にあわなくなったりということもあります。相手が怒っちゃうのがほとんどですが^^
世話焼き人間もタイプがいろいろあるでしょうが、私のようなACタイプですと、
誰かに世話を焼くことで自分自身の居場所をみつけているような状態です。
こんな感じで結婚してしまったのがいわゆる気持ちが通わない夫婦NO1である、
アスペルガー受動型の嫁×アダルトチルドレン夫という共依存の関係夫婦です。
アスペ✕ACの共依存は潜在的なもので他人が目で分かるものではありません。
しかし、結構世の中にはこのタイプの夫婦は多いのかもしれません。
本当に世の中の世話を焼いてくれる方々ご迷惑をおかけして済みません。
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ご無沙汰してます!
大丈夫ですか?ボロボロで鬱とは大変じゃないですか・・・
ぽち様が向き合おうとした努力はだれも否定できないとおもいます。
無駄な時間を過ごしたと心底自分に嫌気がさしてきそうですが、
おそらくたくさんのことを学習することができたともいえるでしょう。
逆に決断したと言うことは自分の中で違う道を見つける覚悟をした
ということでしょうから、一皮もふた皮もむけた状態なんだと思いますよ!
いままでくやしいことや、信じられないこと、満たされないこと、
何度悩まされたかわからないでしょうが、それがあったからこそ
今の決断があるのでしょうから、白旗が必ずしも負けとは考えないで欲しいです。
むしろ自分の限界を自分で受け止められたことを喜んであげてくださいね。
陰ながら応援させていただきます!頑張りすぎないように頑張って下さい^^
コメント有難うございます。
そうですね。結果的にどのように受け止めていくかで良くも悪くも
とらえられますから、パートナーが自分のための人生の修行だぐらいの
気持ちでとらえられれば前向きにも考えられるかも知れません。
自己犠牲という発想が起こるのは、自分が満たされていない場合が多いでしょうね。
本当に自分が満たされると感じているときにした他人への親切って、
おそらくなにもリターンがなくてもすがすがしい気持ちを保てますから。
自分の選択肢を少しずつ広げていくことこそが修行なのかも知れません。
カサンドラというか、鬱なのかボロボロになっておりました(苦笑)
いつも頂いているアドバイスのおかげで、今まで頑張ってこれました。
そして、ようやく結論が出ました。
彼女が忙しい時期だったので、何も文句を言わず1年奉仕を続けてきました。一段落したようなので、穏やかに話し合いをしましたが付き合い初めとまったく変わらずなことを確認。
諸事情により、たまに会う機会はあるのですが私はついに白旗を掲げました。アスペと気づいてからたった2年ですが…
これは哲学や道徳や宗教(私が読んだのは主に仏教とキリスト教ですが)で「偽りの献身」として挙げられている項目ですね。
確か、偽りの献身は良くない。
何故ならば相手が感謝するなど思い通りの反応を返さないと、憎しみや苛立ちなどの「悪心」が出てきて、己を苛んでしまうからだ。
それは身体的にも精神的にも宜しくない。よって、すぐに止めましょう…という内容でした。
これを顧みると、もしかしたらアスペルガー(発達障害全般かもしれませんが)は、それを実体験で教えてくれる、生きた教材なのかもしれない…。
人の目で見れば大変な人でも、神の目で見てみれば
貴重な存在なのかもしれない。
そんな風に思えてきます。