2016年09月28日
アスペルガー受動型の嫁の感覚は理解できない!?100分の1でもやっていればやったという性質。
アスペルガー症候群の人とはコミュニケーションがむずかしいといわれています。
注意をしても省みない態度や発言で余計に周りから敬遠されてしまうということも
少なくありません。
単にコミュニケーションができない!というとなにを話しても通じないように
勘違いしてしまう人も多いわけですが、もちろんそんなことはありません。
ただ、受け止め方がやや特殊で特徴があるということをよく想定して
会話をしないと理解できないことも間々出てくるでしょう。
■たわいのない話をする分にはなにも問題がない。
あまり重要性が高い内容でなければ、意思疎通なんて厳密に行われなくても
会話はすすむものです。いわゆる世間話や噂話、テレビでやっていることを
見ながら話したり、笑ったりするなんてことではそんなにすれ違いを感じない
ですむかもしれません。
■コミュニケーションの相違が起こるポイント
アスペルガー受動型の嫁と会話をしていると、本当に疲れるときがあります。
「〇〇やった?」なんて頼んでおいたことが終わったか聞くときは注意が必要です。
私たちの中では、「〇〇やった?」という言葉の中にすでに全部終わって完了したか?
というような意味も含まれています。
しかし、彼らは言葉を言葉のままとらえるという特徴がありますから、
これでは言葉足らずなのです。
会話の中では、「もちろんやっておいたよ!」なんて言葉が返ってくるわけですが…
確認をしてみると、なんじゃこりゃ全然終わってないじゃない。なんてことがおこります。
例えば洗濯を頼んだとしましょう。「シャツを洗濯しておいて!」
こちらからすれば、当然洗って、干してきれいにたたんでおいてという意味も含まれます。
気が利くならアイロンも掛けておいてくれると助かるなんて思ってもいます。
しかし、アスペルガー受動型の嫁からすれば、仮にまだ干し終わってなかったとしても、
洗濯はしてある場合は、「洗濯しておいたよ!」という表現を使うのです。
ですから、頼むときもひと苦労します。
すべて具体的に伝えるように努めないといけません。
しかも、細かく具体的に伝えてもあまりにも工程数が多いと、
忘れてしまいます。
受け止め方はアスペルガー症候群の人にとっても異なるでしょうから、
なるべく行程が少なく伝えられるようにすることが大切なのです。
■100%をもとめる私と1%でもやっていればやったといいはる嫁
アダルトチルドレンでなるべく失敗をしたくない完璧主義者に近い私。
あまりきっちりしすぎないように意識していますが、潜在的にはできれば
100%に近づけたいと思っています。
反面、アスペルガー受動型の嫁は1%でも手をつけていれば「やった」といいます。
話を聞いているかいないか分からない場合も、少しでも聞いていれば「聞いている」といいます。
最終的な目的が達成できていなくても、少しでも着手したのであれば、やったと豪語するのです。
彼らは脳内のドーパミン放出が少なく私たちと同じような達成したときの快感みたいな
ものが感じられにくいともいわれています。それゆえかあまり達成することへの執着が
少ないように感じるのです。単にやったことを5歳児の子どものように主張し続けたり、
やっているのにやっていないと言われてかってに不機嫌になったりします。
一緒に生活をしたり、同じ仕事をしていると目標や目的が同じになりやすいはずなのですが、
こういう理由もあってアスペルガー受動型の嫁の場合は温度差が大きくなってしまうわけです。
ハッキリ言ってこうすればOKなんてものは個人差があるのでマニュアル本のように
簡単にはいきません。そして、肝心なのはこちらがイライラして感情的にならないように
することですが、これは昨日も話しましたが一番難儀なことです。
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少なくありません。
単にコミュニケーションができない!というとなにを話しても通じないように
勘違いしてしまう人も多いわけですが、もちろんそんなことはありません。
ただ、受け止め方がやや特殊で特徴があるということをよく想定して
会話をしないと理解できないことも間々出てくるでしょう。
■たわいのない話をする分にはなにも問題がない。
あまり重要性が高い内容でなければ、意思疎通なんて厳密に行われなくても
会話はすすむものです。いわゆる世間話や噂話、テレビでやっていることを
見ながら話したり、笑ったりするなんてことではそんなにすれ違いを感じない
ですむかもしれません。
■コミュニケーションの相違が起こるポイント
アスペルガー受動型の嫁と会話をしていると、本当に疲れるときがあります。
「〇〇やった?」なんて頼んでおいたことが終わったか聞くときは注意が必要です。
私たちの中では、「〇〇やった?」という言葉の中にすでに全部終わって完了したか?
というような意味も含まれています。
しかし、彼らは言葉を言葉のままとらえるという特徴がありますから、
これでは言葉足らずなのです。
会話の中では、「もちろんやっておいたよ!」なんて言葉が返ってくるわけですが…
確認をしてみると、なんじゃこりゃ全然終わってないじゃない。なんてことがおこります。
例えば洗濯を頼んだとしましょう。「シャツを洗濯しておいて!」
こちらからすれば、当然洗って、干してきれいにたたんでおいてという意味も含まれます。
気が利くならアイロンも掛けておいてくれると助かるなんて思ってもいます。
しかし、アスペルガー受動型の嫁からすれば、仮にまだ干し終わってなかったとしても、
洗濯はしてある場合は、「洗濯しておいたよ!」という表現を使うのです。
ですから、頼むときもひと苦労します。
すべて具体的に伝えるように努めないといけません。
しかも、細かく具体的に伝えてもあまりにも工程数が多いと、
忘れてしまいます。
受け止め方はアスペルガー症候群の人にとっても異なるでしょうから、
なるべく行程が少なく伝えられるようにすることが大切なのです。
■100%をもとめる私と1%でもやっていればやったといいはる嫁
アダルトチルドレンでなるべく失敗をしたくない完璧主義者に近い私。
あまりきっちりしすぎないように意識していますが、潜在的にはできれば
100%に近づけたいと思っています。
反面、アスペルガー受動型の嫁は1%でも手をつけていれば「やった」といいます。
話を聞いているかいないか分からない場合も、少しでも聞いていれば「聞いている」といいます。
最終的な目的が達成できていなくても、少しでも着手したのであれば、やったと豪語するのです。
彼らは脳内のドーパミン放出が少なく私たちと同じような達成したときの快感みたいな
ものが感じられにくいともいわれています。それゆえかあまり達成することへの執着が
少ないように感じるのです。単にやったことを5歳児の子どものように主張し続けたり、
やっているのにやっていないと言われてかってに不機嫌になったりします。
一緒に生活をしたり、同じ仕事をしていると目標や目的が同じになりやすいはずなのですが、
こういう理由もあってアスペルガー受動型の嫁の場合は温度差が大きくなってしまうわけです。
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当事者のお声ありがとうございます!
そうなんですよね。やはり言われた単語以上の意味を憶測できるだろうという発想では
一緒に生活することはむずかしいのだと思います。
いかにこちらが具体的かつわかりやすく説明できるかにかかってくるわけですが、
完璧な答えを探そうといろいろ東奔西走した結果私は自分の体調を崩すことになりました^^
いまでは合っているか間違っているかというお互いの価値観を押しつけ合うより、
本当にして欲しいことをやって欲しいことを率直かつ簡潔につたえるということに
たどり着きました。かりに自分の思うような結果でなかったとしても嫁にお願いするときは、
うまく伝えきれず、こちらが思っているようにことが運ばなくてもいいものを頼もうと。
確かに幼い頃からそういうSSTの環境が整っていれば、もうすこし察し方もことなるのだと思います。まあ日本語ってむずかしいです本当に。
私の場合は「間違ってるのはそっちでしょう。先生から受けた教えや国語の本には洗濯する=洗濯物を洗う″だけ″と記されてた。他の行為は″干す・畳む″と別の言葉を使っていた。最後まで頼むのならば『洗濯をしたら干して乾かし、畳んでおいてね。』と言うのが筋というものでしょう。」と抗議し、祖母や母・上級生を怒らせてしまったこともありました。
後々洗濯する=最後までする事である。それが常識だ。と解ったときは、ものすごく騙された気がしました。
「なら最初に『二重の意味がある』ということを教えて欲しかった…。先生の言うことだから、教科書に書いてあるから、こちらが正しいに違いない、と信じてしまったじゃないか。」と。
おかげで、早いうちからソーシャルスキルのトレーニングができる機会を作って欲しい。
無理なら楽しく学べる資料(学習漫画など)を学校に置いて欲しい、と願ってやみません。