私のような中年後期でそこそこ仕事ができて管理能力があると、転職先でも責任者になるケースが多い。
そのような中で、強いストレスにさらされた時、それを自分自身の内面の力で乗り越えなくていけない場合が多い。
よって、悩みのほとんどは自分自身の知識や能力と内面で処理、解決しなくてはいけないことが多くつらい思いをする。
この悩みは人間的に誠実でまじめな性格の人間ほど悩むものであると思う。
性格とうつ病や神経症の相関関係は臨床結果や研究でも明らかになっている。
私はその時どのような方法で悩みを解決するかと言えば、私独自の方法がある。
その方法とは自分を客観的に見るようにし、自分だけが苦しいと思わないようにしている。
また、先人の苦労や人生の先輩の言葉を参考にすることで乗り越えることができる場合が多い。
しかし乗り越えられない困難があることも知った。
メンタル疾患などの病気になって私のように数年治らないことがある。
もし、乗り越えられないのであれば物事に執着せず、その会社はきっぱり辞める、その場から逃げるべきだと思う。
下手に責任感を感じて、うつ病になっても我慢して仕事を全うしようと続けてうつ病が悪化してから退職すると、私のようにうつ病と不安障害、自律神経失調症を併発して治るのに数年の時間を要する。
私は幸い貯金があって、節約を重ねて貧困生活で耐え忍び、また、身内の世話になり何とか治るまでの期間過ごせたが、
そうでない場合、生活保護やホームレスになっていたと思われる。
メンタル疾患を甘くみてはいけないのだ。
仕事でメンタル疾患になったら初期で休職するか退職が良いと思う。
自分でも体調がすぐれなかったり、気力ができないなど異変を感じて医師にかかるころにはメンタル疾患は中程度まで進行している場合が多いと思う。
我慢して責任を全うしようとすると私のようになる場合が多いと思う。
今回私は、仕事で管理職と現場担当の兼務での長時間労働と強いストレスが続きメンタル疾患を発症して退職したが
仕事であれだけ会社に尽くしたにもかかわらず、会社は退職時に何らお金を支払ったり何もしてくれなかった。
本当に会社というのは冷たく無責任なのだとつくずく思わされた。
私がメンタル疾患になった原因は8割が会社の仕事が原因で2割は自分のストレス耐性弱さだと思う。
うつ病が治た現在、もう2度とうつ病にならないように以下の考えで生きている。
苦しい職場には執着せず、パワハラな人やブラック企業だと知ったら長居はせずスパッと有無を言わさず退職する。
メンタル疾患にならないように以下の考え方をしている。
1、私には古武道の免許皆伝の師範の叔父がおり、90歳の高齢ではあるが苦悩を克服する上で参考になることをいってくれた。
それは、武士に最低限求められる要件として、どんなつらいときでも自分に負けない強い心と、体力を持つことだそうだ。
それと絶対あきらめずに生き抜く心を持つことだそうだ。
叔父の流派では技や心の鍛錬はもちらんだが、人生の目的を生き抜くことと、
他人を生かすことの両立を果たすことに重きを置いている。
古武道を60年以上、行ってきた叔父の言葉であるから、単純な言葉でも苦しいときに聞くと、
初心を見落としていたことに気づかされるし、説得力があった。
2、物事に執着しない、逃げる時は勇気をもって逃げる。
私の高校の恩師は10年前、校長まで上り詰めたが、
生徒指導のことで親からの執拗なクレームにさらされ自殺して亡くなったらしい。
その人は高校時代の部活の担当であり、自殺するような人ではなかったので驚いた。
ただ、頭は相当切れる人で、大変真面目な人であった。
また、近年の事例では福島県警と宮城県警で職場でのパワハラ疑惑での自殺などがある。
はたから見れば、仕事を退職すればいいものをと思うのだが、
当の本人はその職場や職種に執着して前が見えなくなってしまうことで、
死ぬしか道がないと考え自殺したのだろう。つまり、物事に凝り固まった考えでまじめに考えすぎ、
仕事や地位など何かに執着するために考えすぎて、どつぼにはまり込んだためだと思う。
そして良心の呵責にさいなまれ、自ら命をたったのだろう。
客観的に見れば、他に生き抜く方法があったと思う。
私だったら、今まで行ってきた仕事や地位や資格にこだわらず、腹をくくって違う業種に転職し、
給与が安くともそれで生きる決意をすると思うのだが。
嫌な会社はある程度まで我慢して限界を感じたら未練なく辞める。
ところが自殺する人の多くは自分の考えは正しいと考え、うつ病や神経疾患を発症していることに気づかない。
また。そのせいで自分の心理状態が苦しくなっていることにも気づかない。
誰しも人生の中で後になって「今思えば」という大きな失敗や怖かった記憶などの経験をするものだと思う。
人生の中でそのような経験を一度もせずに生きれる人は稀であると思う。
それを主観的に考えると、他人から見れば小さいことでも自分自身の意識の中では大きく思えて仕方ない状況に陥る。そのような自分に気づくべきである。
したがって、私は以下のように発想を変えて自分を客観的に見るようにしている。
自分の行っていることが正しいのであれば、いや多少の間違いがあろうとも、いかにしても恥やプライドを捨ててでも生き抜くことにこだわるべきである。
世の中、自分のような誠実で社会性を有する人間が滅んで、
自己中心的で凶悪犯罪や社会的に重大な事件を犯しても良心の呵責も感じずに、
平気でずうずうしく生きている人間が生き残ることが社会の道理にかなっていないはずだ。
悪い心をもち犯罪を犯すような人間こそ悩み苦しむべきであり、
良心と誠実さ社会性を持った人間は苦しむべきでなく、生き残るべき人間である。
3、自分よりも苦しい世の中の立場の人のことを考える。
私が思うに、自分よりも大きなストレスにさらされ続け、それでも逃げ場のなかった人として昭和天皇が挙げられる。
昭和天皇は敗戦した際、自分の責任で多くの国民が亡くなったことに大変痛みを覚え、その後も、亡くなるまで戦争責任を問われ続け、精神的に大変苦しい思いで生きてこられたに違いない。
天皇も人であるから良心の呵責があったに違いない。
また、今上天皇も亡き昭和天皇の行った戦争責任の批判の中で、大変苦しい思いをされてきたに違いない。
しかし、天皇陛下はいくら苦しくとも自殺することも逃げることも許されない。
そのような状況に追い打ちをかけるように左翼やマスコミは天皇批判を近年まで続けてきた。
天皇家が受けてきたプレッシャーの大きさは雅子様が体調がすぐれないのでもよくわかる。
また、美智子様の結婚当初とその後の数年での外見のやつれ具合の比較でもどれほどの心労があったのかも想像できる。
天皇陛下はいくら苦しくとも、自分が自殺などしたら日本国の信用を無くしかねないと頑張られていると思う。
そのうえで、高齢の体に鞭打ち、公務にまい進されている。
一方で私にはいくらでも逃げ道もあるし、いちいち小さいことでマスコミに報道されたりしないし、精神的な苦痛は小さいと思う。 心を強くもって、どんなプレッシャーにも耐えられるはずだと思えてくる。
4、神経科等を受診してみる。
人が悩むとき脳内の神経がある一定期間、過剰興奮状態にある。
あまりに苦しいときは精神か神経の疾患を疑ってみよう。
本人はなかなか気づいにくいだろうが、夜眠れない、食欲不振、
食事がおいしいと思わない。なにかにつけ苦しい。肩がこるなどは
神経疾患の初期症状であるので、それが2週間以上続くようなら病院にいってみることだ。
神経の過剰興奮が収まるまで数週間以上を必要とすることもある、小さい悩みは、耐えながら時間を待つ。
病的でない悩みならそのうち、悩んでいたことが客観的に見れるようになり、時間とともに悩みがどんどん減退してゆく。
もし、悩みが減衰しないようなら、神経科などを受診し、薬剤投与やカウンセリングで神経の興奮を解き
病気の軽減を図ることで、悩みを軽減させる。
5、思い切って人に甘える
うつ病などになりやすい人の性格は人に迷惑をかけたくない心理などから
他人をたよったり甘えたりするのが苦手な人が多いと思う。
それが自分の欠点だから、信頼できる人へは甘えてよいと思う。
以上が、私が仕事や私生活での精神的な悩みを克服する方法だ。
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