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2022年04月19日

小さな工夫

故郷に帰り、父の世話をするようになってから、もう9年が経った。最初の6年は、父も自分で歩けた。しかし、かえって心配なことが多かった。私の目を盗んで、自分で勝手に動いて、自転車で出かけたりして、転倒してけがをしたことが3度あった。
3度目の時は、歩道と車道の区切りのブロック石に、あともう少しで頭をぶつけるような倒れ方で、転び方が悪ければ命をおとしたかもしれないというような事故であった。その時は数日入院した。

自宅にいても、ベッド横のポータブルトイレでなく自分でトイレに行こうとするが、途中で間に合わなくなって、衣服から廊下までを汚してしまったことが何度もあった。この頃が、私が一番悩んでいた時期かもしれない。「汚す」ことがものすごく多かった。衣類からシーツから廊下まで、毎日汚物の処理ばかりをしているような気になった。汚物処理は、想像以上に心を痛めつける。今だから書けるが、廊下の掃除をしたり洗濯をしたりしながら、何度か涙を流したこともある。

完全に寝たきりの父を介護するようになって3年余りだろうか。実は、父が動けなくなって、むしろほっとしたところもあった。私のいない時に勝手に出歩いたりして事故にあう心配をしなくてすむようになったからだ。それでも、寝たきりの最初の頃は、「ゴルフに行く」と言い張って、「俺を起こして支度をしてくれ!」と何度も言うことがあって、そのたびに言い争いをした。彼は、自分が歩けなくなっていることを、今でもあまり自覚していない。自分は今でも動ける、ゴルフもできるという気持ちでいる。逆にそれが、彼の命を維持している強さなのかもしれないけれど。

ともあれ、何年か介護をしていると、当然慣れも出てくるようになる。酒を飲みながらテレビに夢中になったり、原稿書きの仕事に集中したりしていると、夜のオムツ交換作業をつい忘れそうになることもあった。そのため、小さな三角形のPOPを作った。
220419オムツサインDSC_0001.JPG

オムツ交換を忘れないように、昼と夜の作業時間の前、昼食の時と、夕食の片づけを終わった頃に、ダイニングテーブルの上にこのPOPを置く。自分の部屋のPC前にも同じPOPがあって、それも同じタイミングで置いておく。おかげで、作業が遅れることはほとんどなくなった。

このPOPを裏返してテーブル奥に下げると、ようやく私の一日が終わる。これは、私の一日の区切りをリマインドしてくれる大切なツールになっている。
今夜も、ルーティンの作業が終わり、POPを裏返して私の一日がようやく終わる。
#介護の工夫

メルケルとプーチン

1979年頃から数年、私は、旧東ドイツ政府観光局の仕事を担当したことがあった。
観光誘致を目的として、東ドイツが、東京青山に政府直轄の観光局を開き、日本での観光プロモーションを始めたのだ。

当時、私は、飛行機会社の担当をしていて、その関係で、ハワイやベルギーなど各国の政府観光局の仕事も、所属している部署にいくつか依頼が入ってきていた。
まだ、パンフレットを数千部作る程度の小さな予算規模だったせいか、入社して数年の私が担当することになった。
そのきっかけは、たまたま部にかかってきた外人からの電話に、私が応対していたのを部長が見ていたからであった。電話を終えた私に、「君は英語が話せるんだな」と部長が声をかけてきた。当時は、今と違って、英語を話せる人というのは極端に少なかった。たまたま私は、高校生の頃から英語に興味があって、モンキーズやビートルズなどの音楽等をきっかけにして英語が好きになっていた。とはいえ、上手いなどとは、お世辞にも言えないレベルだったが、それでも当時は、会話ができると言われたのだ。

まあ、そんなわけで、いきなり東ドイツ政府観光局のオフィスに通うことになった。オフィスと言っても、ドイツ人の所長と女性、それに日本人の女性というわずか3名のスタッフ構成だった。ジンが大好きなゼペット爺さんのような所長は、息子くらいの年齢の私をとても可愛がってくれた。

時々、写真素材を預かるなどの用で、東ドイツ大使館にも行くことがあったが、事前に必ず所長から連絡を入れてもらい出かけた。鉄格子の入っている受付で名前と顔をチェックされ、ゲートが開いて入ることができた。受付は女性だったが、私が入る時に、いつも引き出しを軽く自分の側に少し引いていた。何度目かに、その引き出しに拳銃が入っているのがちらっと見えた時には正直驚いた。今にして思えば、私の写真かビデオも、毎回撮影されていたに違いないと思う。
220418映像の世紀メルケル.jpg
(NHK)

そんなことを思い出しながら、NHKの「バタフライエフェクト」という番組で、メルケル首相の回を見ていた。彼女と私は同い年である。そして、彼女は東ドイツ出身で、私が政府観光局に通っている頃は、まだ物理学者になろうとしている頃だったのということを放送で知った。しかし、その後、政治家に転身し、ドイツ統一後、初の女性首相となった。各国首脳にも物怖じしない肝の座ったその発言は、いつも痛快で、私は就任当時から好感を抱いていた。プーチン大統領と最も心が通じていたのも、おそらく彼女だっただろう。

そんなメルケル首相も、昨年退任し、国際政治の肝っ玉母さんのような愛すべきキャラクターは、国際政治の舞台から姿を消した。もし彼女が、今も首相であったら、プーチンに対して誰よりも影響力のある交渉ができたのではないかという気がする。
しかし、もはや専制君主となったプーチンの耳には、たとえ親愛なるメルケルおばさんの進言でも届かなかったかもしれないけれど。
#メルケル
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