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2022年04月29日

ロングドライブの楽しみ

この1週間ほどブログを書かず、FBもほとんど投稿せずにいた。
実は、久しぶりに少し長めに、東京の家に帰っていた。東京の家にも私の使えるPCはあるのだが、今回は、忙しくてPCでブログの内容を考えることができなかった。東京の家の荷物を少し富山に移動して、マンションの中を少しでもきれいにするために、朝から晩まで小さな引っ越し作業のようなことをやり続けてへとへとになった。

とはいえ、毎日父のそばで介護中心の生活をしてきたので、ロングドライブを含めた5日くらいの、いわば、まとまった「お休み」は、私にとって大きな気分転換だった。
出発した時には、小出から湯沢あたりまで、桜が咲いていた。帰り道では、その桜が、少し散っていた。北海道に向かっての桜前線の動きだけでなく、本州の真ん中で思いがけず桜前線の移り変わりを楽しむことができた。(運転中で撮影できなかったので、写真は、湯沢町の桜ガイドマップより岩原の桜です。このサイトは、すごく充実したサイトです。ぜひご覧ください)
https://www.e-yuzawa.gr.jp/sys/cherry/
220429湯沢岩原桜.jpg

長距離を一人で運転してドライブをするということは、緊張感もあるけれど、運転に集中することで、他の思考があまり入らない時間というのが、かなり多くなる。
もちろん、ハンドルを握りながら色んなことを考えたり思い出したりする時間もあるけれど、運転することにだけ集中している自分もいる。それが楽しい。

しかし、前期高齢者になって変わったこともある。それは、夕方から夜にかけての視力の衰えだ。標識の見え方が衰えるなど、ストレスがかかることが増えてきた。
それでもやっぱり、ハンドルを握り、運転に集中し、あるいは窓外の桜や、たそがれの海の景色に心を癒されたりすることはやはり素晴らしい時間だ。

東京の家に帰っても、家族みんな、仕事がすごく忙しいので、結局私が食事を作ったりすることも多い。実家で料理して、東京でも料理をしているけれど、でもそれはそれで私は楽しい。家族がおいしいと言ってくれると嬉しくなる。

身体能力の衰えは感じるけれど、まだ、なんとか安全運転はできていると思うので、あともう少しロングドライブの楽しみを大切にしたいと思う。


2022年04月21日

リラックスタイム

最近のマイブームというか、リラックス出来る時間がある。
それは、整骨院。実は、介護で父を抱えたりしたことが影響して、慢性的な腰痛になり、一昨年余りの痛みに、整形外科病院でMRIを撮ってみたら、ヘルニアになっているとのことだった。だましだまし生活してきたが、何かの拍子に痛みが出ることもある。

今年は、2月の雪かきの時に、ズキっと来た。
病院の整形外科に行くのも、時間がかかるのでなかなか大変、ということで、父も通っていた近所の整骨院に出かけた。
低周波治療器のような電気を腰にかけてから、マッサージ等を受ける。
先生曰く、腰もさることながら、背骨が曲がってきていて、老人のような背骨になっていると言われた。以前、東京の家に帰った時に、娘が、「パパの背中が丸まって、姿勢が悪くなってすごく老けた!」とショックを受けていた。実は、言われた私もすごくショックだったが、さらに整骨院の先生に言われると、やはりなんとかしないといけないと思った。
坐骨にもゆがみがあるので、それも少しでも矯正しようと言われ、一日おきくらいのペースで通っている。
220421整骨院DSC_0007.JPG
(無理やりの自撮り)

まずうつぶせになって腰に電気をかけられていると、少しウトウトとしてくる。終わったところで、マッサージを受けながら、父の様子や、最近のニュースなどについて先生と会話する。
コロナで人と話す機会がほとんどない中で、静かな音楽が流れる院内で施術をされていると、体が楽になるだけでなく、心もリラックスする。
介護を続けるために、腰痛は少しでも改善したいので、2月からしばらくは、毎日行っていたが、腰痛はかなり良くなったので、今は、一日おきくらいのペースで治療してもらっている。

整骨院にいると、5つくらいある治療用ベッドの会話も聞こえてくる。私と同じような腰の治療や、背骨などの矯正を受けている人が多いなあとあらためて感じる。前期高齢者の私を含めて、整骨院には当然高齢者の患者が多い。そもそも、この町も高齢化が進んでいるので、近所の住民のほとんどが高齢者だ。私もそうだが、年をとれば、体のあちこちにガタが来るのだ。

ともあれ、世間話をしながらマッサージをを受けたり、ぼーっとしながら電気をかけてもらったりする時間は、体だけでなく心もほぐれる時間だということをしみじみと感じている。
そんな時間は、今や私の貴重なリラックスタイムになっている。

#腰痛 #整骨院

2022年04月19日

小さな工夫

故郷に帰り、父の世話をするようになってから、もう9年が経った。最初の6年は、父も自分で歩けた。しかし、かえって心配なことが多かった。私の目を盗んで、自分で勝手に動いて、自転車で出かけたりして、転倒してけがをしたことが3度あった。
3度目の時は、歩道と車道の区切りのブロック石に、あともう少しで頭をぶつけるような倒れ方で、転び方が悪ければ命をおとしたかもしれないというような事故であった。その時は数日入院した。

自宅にいても、ベッド横のポータブルトイレでなく自分でトイレに行こうとするが、途中で間に合わなくなって、衣服から廊下までを汚してしまったことが何度もあった。この頃が、私が一番悩んでいた時期かもしれない。「汚す」ことがものすごく多かった。衣類からシーツから廊下まで、毎日汚物の処理ばかりをしているような気になった。汚物処理は、想像以上に心を痛めつける。今だから書けるが、廊下の掃除をしたり洗濯をしたりしながら、何度か涙を流したこともある。

完全に寝たきりの父を介護するようになって3年余りだろうか。実は、父が動けなくなって、むしろほっとしたところもあった。私のいない時に勝手に出歩いたりして事故にあう心配をしなくてすむようになったからだ。それでも、寝たきりの最初の頃は、「ゴルフに行く」と言い張って、「俺を起こして支度をしてくれ!」と何度も言うことがあって、そのたびに言い争いをした。彼は、自分が歩けなくなっていることを、今でもあまり自覚していない。自分は今でも動ける、ゴルフもできるという気持ちでいる。逆にそれが、彼の命を維持している強さなのかもしれないけれど。

ともあれ、何年か介護をしていると、当然慣れも出てくるようになる。酒を飲みながらテレビに夢中になったり、原稿書きの仕事に集中したりしていると、夜のオムツ交換作業をつい忘れそうになることもあった。そのため、小さな三角形のPOPを作った。
220419オムツサインDSC_0001.JPG

オムツ交換を忘れないように、昼と夜の作業時間の前、昼食の時と、夕食の片づけを終わった頃に、ダイニングテーブルの上にこのPOPを置く。自分の部屋のPC前にも同じPOPがあって、それも同じタイミングで置いておく。おかげで、作業が遅れることはほとんどなくなった。

このPOPを裏返してテーブル奥に下げると、ようやく私の一日が終わる。これは、私の一日の区切りをリマインドしてくれる大切なツールになっている。
今夜も、ルーティンの作業が終わり、POPを裏返して私の一日がようやく終わる。
#介護の工夫

メルケルとプーチン

1979年頃から数年、私は、旧東ドイツ政府観光局の仕事を担当したことがあった。
観光誘致を目的として、東ドイツが、東京青山に政府直轄の観光局を開き、日本での観光プロモーションを始めたのだ。

当時、私は、飛行機会社の担当をしていて、その関係で、ハワイやベルギーなど各国の政府観光局の仕事も、所属している部署にいくつか依頼が入ってきていた。
まだ、パンフレットを数千部作る程度の小さな予算規模だったせいか、入社して数年の私が担当することになった。
そのきっかけは、たまたま部にかかってきた外人からの電話に、私が応対していたのを部長が見ていたからであった。電話を終えた私に、「君は英語が話せるんだな」と部長が声をかけてきた。当時は、今と違って、英語を話せる人というのは極端に少なかった。たまたま私は、高校生の頃から英語に興味があって、モンキーズやビートルズなどの音楽等をきっかけにして英語が好きになっていた。とはいえ、上手いなどとは、お世辞にも言えないレベルだったが、それでも当時は、会話ができると言われたのだ。

まあ、そんなわけで、いきなり東ドイツ政府観光局のオフィスに通うことになった。オフィスと言っても、ドイツ人の所長と女性、それに日本人の女性というわずか3名のスタッフ構成だった。ジンが大好きなゼペット爺さんのような所長は、息子くらいの年齢の私をとても可愛がってくれた。

時々、写真素材を預かるなどの用で、東ドイツ大使館にも行くことがあったが、事前に必ず所長から連絡を入れてもらい出かけた。鉄格子の入っている受付で名前と顔をチェックされ、ゲートが開いて入ることができた。受付は女性だったが、私が入る時に、いつも引き出しを軽く自分の側に少し引いていた。何度目かに、その引き出しに拳銃が入っているのがちらっと見えた時には正直驚いた。今にして思えば、私の写真かビデオも、毎回撮影されていたに違いないと思う。
220418映像の世紀メルケル.jpg
(NHK)

そんなことを思い出しながら、NHKの「バタフライエフェクト」という番組で、メルケル首相の回を見ていた。彼女と私は同い年である。そして、彼女は東ドイツ出身で、私が政府観光局に通っている頃は、まだ物理学者になろうとしている頃だったのということを放送で知った。しかし、その後、政治家に転身し、ドイツ統一後、初の女性首相となった。各国首脳にも物怖じしない肝の座ったその発言は、いつも痛快で、私は就任当時から好感を抱いていた。プーチン大統領と最も心が通じていたのも、おそらく彼女だっただろう。

そんなメルケル首相も、昨年退任し、国際政治の肝っ玉母さんのような愛すべきキャラクターは、国際政治の舞台から姿を消した。もし彼女が、今も首相であったら、プーチンに対して誰よりも影響力のある交渉ができたのではないかという気がする。
しかし、もはや専制君主となったプーチンの耳には、たとえ親愛なるメルケルおばさんの進言でも届かなかったかもしれないけれど。
#メルケル

2022年04月17日

料理の力

冷蔵庫に残っているほうれん草を使わなきゃ、ということもあって、今日は、キッシュを作った。
父には中の具材が噛めないし、キッシュをみじん切りにするのは私自身あまり気乗りがしない。何より、父はこういう西洋風の料理はそれほど好きでもない。
というわけで、私一人しか食べないので、いつもは、卵を2個だけ使って小さいのを作るのだが、今日は、パイ皿にちょうど入る量の卵3個で作った。そのため、昼に作って、ランチにも少し食べて、量を減らすようにした。
220417キッシュ.jpg

ほうれん草とベーコンのキッシュが食べたい、という気分は、料理の持つ最初の力だ。
「食べたい」という思いと、それを具体化すること、それが料理を作る力になる。
そして、材料を調理し、自分ができる範囲のやり方で、少しでも美味しくなるように配慮しながら作っていく。卵の白身を切るように混ぜたり、炒め加減を気にしたりして作ることは、料理というアクションの持つクリエイティブな面だろう。作るということが、人の発想や感性も刺激する、それもまた料理の力である。

そして、きれいに出来上がった時の喜び、それはひと仕事を終えた達成感となり、それを食べて味に満足できれば、美味しさと料理がもたらす栄養が、生きる力と喜びを与えてくれる。
材料を加工し、味を含めてひとつのかたちにまとめあげていくプロセスは、デザインであると言えるかもしれない。
私にとっては、こうした料理が与えてくれる一連の力が、ともすれば自宅介護で折れそうになる心を支えてくれる、まさに大切な力となっている。

明日もまた、父と私のために、さて何を食べようかと、料理という総合的なデザインワークに取り組むだろう。
#料理の力

2022年04月15日

北欧の決断

下の写真を見ると、知的でしっかり者の雰囲気のする女性二人が、和やかに散歩をしているように見える。しかし、実は、そんな平和な話題ではない。
スウェーデンとフィンランドの首相が、13日に共同の記者会見を行いNATO 加盟への意向を発表した。
恥ずかしながら、フィンランドが、19世紀には帝政ロシアの領土の一部だったということは、多分世界史で習ったのだろうが、全く記憶になかった。あらためて地図を眺めると、確かにロシアと国境を接している。その国境は1300キロにもなるという。
220415フィンランドとスウェーデン首相.jpg
スウェーデンのアンデション首相(左)とフィンランドのマリン首相(ロイター)

フィンランドは、ロシア革命後に独立し、第二次世界大戦後は、非同盟性政策を貫いてきた。またスウェーデンは、19世紀のナポレオンとの戦い以降、200年あまりも中立国として戦争に関わっていないという。長年にわたって、中立を維持しNATOに対してもロシアに対しても慎重な姿勢をしてきた両国が、ウクライナ侵攻によって、その長い中立の立場に別れを告げ、NATO 加盟を検討している意向を表明したのである。

もはやスターリン以上の専制君主となってしまったプーチンの脅威は、NATOの構造も激変させた。それは言い換えれば、第三次世界大戦も起きかねない事態がさらに進んでいるということかもしれない。
この二国の動きに対し、ロシアはすぐに厳しい反応を示した。NATO の脅威に対抗するためにウクライナを取り込もうとして侵攻したプーチン大統領にとって、この二国の発表は、むしろ裏目に出たことになる。

たまたま偶然であるが、長年の中立を放棄するという大きな決断に傾いた二人の首相は、女性であった。先日の外相会議でもそうだったが、世界中で、大きな仕事のステージで女性のトップが活躍する時代が本当にやってきていることを実感するできごとでもあった。

いずれにせよ、かつての冷戦時代よりもっと、世界中が高いリスクにさらされている事態が続くことになる。恐怖の第二次冷戦である。平和への祈りがどんどん遠くなっていくようにも感じてしまう。
#NATO

2022年04月13日

異才の建築の喪失

銀座8丁目というか、昭和通りの向こう側というか、我々の世代にとっては、海岸通りの交差点を通る時に目に入る異形の建築物が、中銀マンションである。
設計者は、黒川紀章。彼の代表作のひとつである。
外観は、さいころが集まったような不思議な姿で、実は、マンションの一部屋一部屋が、ユニットになっていて、部屋一つを、個別に丸ごと取り換えできるというところがウリであった。しかし、たぶん、それを実践した部屋はなかったと思う。
220413中銀マンション.jpg
(lifehacker)

保存しようという動きもあったようだけれど、結局解体することが決定し、住人も、3月の時点で全員が退去している。
いよいよ12日から解体工事が始まるという新聞記事を目にして、ちょっと胸が痛んだ。

一度部屋を見てみたいと思ったけれど、残念ながら訪れる機会は、ついになかった。
デザイナーなど私と身近な業界の人が数多く入っていたので、調べれば知り合いも見つかったのではないかと思うだけに、重ね重ね残念ではある。

一部屋のユニットを保存する動きはあるようで、数多くのオファーが世界中から来ているようだから、個別の部屋は、世界のどこかでいきつづけるようではあるのが、せめてもの救いである。
建築というのは、当然耐用年数がある。いつかは壊れる。もちろん法隆寺のように木造建築であっても、何百年も残り続けるものもあるけれど、それはかなり例外的だ。

世界に名をとどろかせたユニークな建築は、コロナによるスティホーム型のライフスタイルの中で、あらためて、人間が暮らすコンパクトな住まいのユニットとしての設計思想の優秀さが、注目された。

世界のどこか、できれば日本のどこかで、このユニークな建築物の部屋のユニットだけでも、生きながらえてくれることを心から祈っている。
#中銀マンション

2022年04月12日

春すすむ

昨日も今日も、25度前後という夏のような気温になった。
ついこの間まで、我が家の中庭には根雪があったというのに、今はもう跡形もない。

わが町自慢の千本桜も、散り始めて少し葉桜になってきている。季節は一気に春から初夏のようだ。
気温が上がると、冷たい麺類がおいしい。
一昨日は、のりと大根おろしでざるそばを、今日も、そうめんを作って食べた。
地球温暖化に伴い、季節の移り変わりの速度が早くなったように感じる。
220412そうめんランチ.jpg

雪の多い冬が終わったと思ったら、今度はまたフェーン現象による灼熱の夏がやってくるのだろうか?以前も書いたけれど、私が子供の頃には、「暑いですねえ」と人々が言う気温は30度くらいだったように思う。それが今は、35度を超えたりする。
わが百年古民家は、つい10年前までは、夏にエアコンなど全く必要なかった。
外気温が30度くらいでも、だいたい5度くらい室内は低いので、真夏でもほとんど25度くらいだったように思う。それが今では、室内でも30度を超える日が多くなった。
明らかに天候が変わってきている。

今朝は、お向かいのお寺の境内で、花まつりの出車を見た。幼稚園児がお釈迦様の像を積んだ象の車を引いて町中を回りお寺に戻ってくるのだ。
60数年前に、私もこの行事をやった。
通りには、たくさんの見物人がいて、気恥ずかしいのと晴れがましいのとが入り混じった感覚を味わったことを、60年後の幼稚園児の姿を見て突然思い出した。記憶というのは不思議なものだ。

ウクライナの紛争は、まだ終わりが見えない。長期あkする見通しが主流となっている。

今年もまだ、コロナと共存する夏が続く。さて、いったいどんな夏になるのだろうか?
ウクライナに平和が訪れ、世界中のコロナウィルスがおさまることを誰もが願っているけれど、その願いは、なかなか叶いそうにない。

#春から夏へ

2022年04月11日

オーガスタの春

伝統あるゴルフのメジャートーナメントであるマスターズが終わった。
昨年は、日本人で初めて、松山英樹が優勝するという記念すべき大会であった。
松山が優勝した瞬間、解説の中島さんが声を詰まらせ、私も思わずつられて涙を流してしまった。
本当に年をとると涙もろくなる(笑)
220411マスターズTBS.jpg
(TBS)

そして今年は、自動車事故で復帰は絶望的か?ともささやかれていたタイガーウッズが、予選を通過し、最終日は、足を引きずりながらもプレーを続け、ボギーパットながらロングパットを決めたり、バンカーからピンそばに寄せたり、と往年のタイガーを彷彿とさせる見せ場を随所であったのはさすがである。相変わらず、何かが起きる、というようなワクワク感を我々に見せてくれた。
2位につけていたマキロイも、18番では、バンカーからの驚異的なチップインバーディーを決めるなど、最終日のサンデーバックナインは、相変わらず見どころ多数であった。

そして、最後は、11アンダーで他を圧倒して迎えた18番ホールでのシェフラーの、まさかの4パット。おそらく、ウィナーの最終パットが4パットになったのは、はじめてではないか?
松山は、残念な結果だったけれど、2日目までは2位につける活躍を見せてくれたが、パットにツキがなかったのが悔やまれる。今年はオーガスタの女神に微笑まれなかったようだ。
220411マスターズUSA.jpg
(Masters)

プレーを終えたタイガーが、イギリスのメジャーは、開催コースが毎年同じではないが、マスターズは、いつもオーガスタで行われ、先人たちの歩いたグリーンの上でプレーをするという他にはない大会だ、というような感想を語っていたことが印象的だった。こうして長年見ていると、プレーヤーだけでなく視聴者もまた、同じコースであることの楽しみを感じることが多くなる。

そして、こうして今年の感想を書きながら、非常に寂しいことは、いつもFBで投稿を交わしていた前職の会社の同期で、ゴルフの腕もプロ並みだった三島君の投稿がもはや見られないということ。彼のコメントを見ては返信して、FB上で会話しているのは楽しかった。
きっと彼のことだから、天国から見ながら、また辛口のコメントをしていたに違いない。
#オーガスタ

2022年04月10日

桜への思い

わが町自慢の川沿いの千本桜も、満開を過ぎて、今日あたりから散り始めていた。
この桜は、70年前くらいに、町の実業家であった個人の方が、私財を投じて5千本の桜を植えたことに始まり、その桜のうち、約千本くらいが70年後の今も残っていて人々を楽しませ、町に観光客をを呼び込んでもくれている。すごいことである。
220410岸渡川の桜.jpg

大河ドラマに取り上げられた渋沢栄一翁もそうだが、当時の実業家というか功成り名を遂げた方は、社会のために役に立つことにお金を使った人が多い。わが町に桜を植えてくださったS翁もまた、町の未来を見据え、美しい町になることを願って桜を寄贈されたのだろう。
そういえば、つい先日テレビで見た小港鉄道の駅のひとつで咲き誇る桜も、そこに住む個人の方が、長年にわたって植え続けた桜だという話を知って感動した。

桜という花は、日本人が大好きな花だ。私も昔から桜に思いを寄せることが数多くあった。
「さまざまの こと思い出す 桜かな」これは、有名な芭蕉の句である。
この句は、芭蕉が、句会かなにかで、昔仕えていた上司の家に、二十年ぶりくらいに訪れた時に、以前と同じように桜が咲いていることに心を動かされて詠んだといわれている。

私も、九州に転勤し、離任した時の年賀状に、この芭蕉の句を使ったように思う。
転勤を終え、任地を離れる時に、数年間の短い間ではあったが、その土地での様々なことを思い出して、桜へを見る思いがまた違ったことを思い出した。

ほんの1週間程の間に、咲き始めて散っていく桜。つぼみの時にも、薄赤い色を帯び始めたその表情というか風情が、春の訪れを伝えて心を浮き立たせてくれる。
そして、あっという間に満開になったと思ったら、それからわずか数日で散っていく。
華やかなピークといさぎよい散り際が、日本人の心を動かすのだろうか?
外国の方は、そんな桜を見てどう感じるのだろうか?
そんなことを思いながら、散り始めた桜が川面に花筏となって流れていくのを眺めていた。
#桜 #さまざまのこと思い出す桜かな
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