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2018年08月15日
気合いについて考えてみる
押忍!いつも気合だけは十分なかつおです。
(๑ ́ᄇ`๑)
空手といえば「気合い」。これがないと何だか締まらないという気がするのは小生だけでしょうか?
でも、「何で声を出すの?」と問われて、子供たちが納得いくような答えをもって指導できるかと問われると、どうも私見になってしまいます。
腹式呼吸の体得?相手に対しての威嚇?厳粛な道場の雰囲気作り?身体の締め・極め?試合でのアピール?明確にはよく分からないのが実情です。
そこで、自分なりに改めて「気合いを入れる」「声を出す」ということについて調べてみました。
空手における気合い
https://plaza.rakuten.co.jp/hikaruinochi/7008/
声を出す意味、出さない意味
http://karatedo2000.blogspot.com/2015/06/blog-post.html?m=1
沖縄における手(ティー)の稽古は、師匠の自宅の庭で夜中に行われていたことを考えると、現代の道場での稽古みたいに「エイ!」「押忍!」「えいしゃおらぁ!!」みたいなことはしてなかったと思うんですよね。ということは「必然」ではないんでしょうね。
おそらく本土の剣術道場の影響で今の雰囲気が出来上がったのだろうなぁと推察します。
余談
ちなみに、和道流の道場では「押忍!」は使っていませんでした。もしかして協会独特?テレビでおなじみ「ミスター押忍」の先生も、中先生の拓大の先輩みたいですね。「はい」も「ありがとうございます」も「よろしくお願いします」も「押忍!」で通じる便利なマジックワード(๑ ˊ͈ ᐞ ˋ͈ )ƅ̋
巻藁突きについて
先日、相原先生の特訓に参加してきました。いやー、しんどかったです。帰り際に相原先生が「強さの秘訣は巻藁だよ…」とボソッとおっしゃって行かれました。(๑ ˊ͈ ᐞ ˋ͈ )ƅ̋
巻藁稽古をしてみようという方も、そうでない方も、見てみて触って突いてみて、いかがでしたでしょうか?うちの先生は「安定性が今ひとつ」との評価でしたが、個人的には真っ直ぐつけないとグネッとなるので、ある意味いい練習になるので自宅用はこのままで行こうかと考えています。
巻藁突きの目的と効用について、色々な説がありますが、100%の正解は無いようです。どちらかというと突く中で効能を自覚するような帰納法的な発見があったり、自分で意義づけたりという方が正解なのかも?
光圓流Webサイトより引用(他流派でスミマセン)
https://kouenryu.jimdo.com/武術随想録/巻藁で-突き-をつくる/
某ブログより引用
http://budo-jotatu.seesaa.net/article/50139346.html
昨夜も拳を当てる部分をスポンジに変えてみたりして、未だに試行錯誤しています。当たる部分の硬さと「重さ」、これによって彼は随分と印象を変えます。早く守礼堂の巻藁カバー来ないかな♪
(๑ ́ᄇ`๑)
軽いということは質量による位置エネルギーが下がる(表現合ってる?)ので、打った時に「ポスッ」と物足りない感じに変わりますので、適度な重さの方が拳頭は鍛えられそうです。突き込むときの力は変わらないので変な感じでした。
もし立てかけタイプのやつ作りたいという人がいたらアドバイスしますので、お気軽に声かけて下さいね♪
反射神経を鍛える?
スポーツのパフォーマンスの向上について考える時、よく耳にする言葉があります。それは「反射神経を鍛える」ということ。
天邪鬼な小生はこう思うわけです。「反射神経ってそもそも鍛えられるの?」と。( •᷄⌓•᷅ )੨੨
神経系は運動神経と自律神経に分類されており、そもそも「反射神経」という神経はないんですよね。運動神経(知覚と運動の神経系統)を介して筋肉を動かすというのは分かるのですが、あくまで「外部刺激が知覚され神経により伝達され筋肉が反射的に運動を起こす」という風に言われていて、それを「脊髄反射」と呼んでいます。
脊髄反射
http://kazuyama.info/post-3064/
反射神経と動体視力
http://hideyukiriha.com/archives/6648
「反射神経を鍛える事も一緒で、鍛えたい内容と同じこと、同じ条件で意識して繰り返し反復練習する事が一番の近道になります。」とあります。
ここで空手の攻防における反射行動を鍛えるという視点で考える時、上記の「鍛えたい内容と同じこと、同じ条件」をどう稽古の中に落とし込むかということが重要なんだろうなと思う次第です。
つまり、脊髄反射による合理的な攻防行動が外部刺激に対して起こるまで反復練習を行う以外にないという理屈なんでしょうね。
ただ、この「外部刺激」は相手がいないと得られないものならば、昔の沖縄の武士達はどのようにして稽古をしていたのでしょう?0(:3 _ )〜
掛け試し?変手(ヒンディー)?
型の稽古の中で鍛えるという考えならば、「限りなく高度なイメージ」による仮想相手の拳足を想定しながら型を練る(鍛錬系の型を除く)ということ?
中先生の言われる「型で稽古する」というのは、上記のような内容を包括した言葉なのかなぁなんて思う今日この頃でありんす。(๑ ˊ͈ ᐞ ˋ͈ )ƅ̋
合気道について
空手のブログなのに、なぜに合気道?とお思いかと思いますが、たまには視点を変えて当身(剛法)すなわち空手技的なものを捉えてみようという試みであります。(๑ ˊ͈ ᐞ ˋ͈ )ƅ̋
「合気道は当身七分投げ三分」という言葉があるそうです。植芝盛平 合気道開祖の言葉ですね。
「合気道の稽古に当身の練習なくない??」という声が聞こえてきそうです。( •᷄⌓•᷅ )੨੨
小生は、この言葉をどうも良く分からずにおりましたところ、合気道に限らず、日本の武道全体の時代背景や各々の関係性を知ると、何となくしっくりきました。
合気マスターさんのブログより抜粋
http://aikidoblog777.seesaa.net/article/324282240.html
危険技の排除や実戦の場のなくなってきた結果として、現在のような稽古体系となってきたことを知らないと、そりゃあ良く分からないはずでした。
日本拳法を「総合格闘技の元祖」と表現するあたり、面白いですね。
空手に限らず、他の武道のことについてはあまり熱心に勉強してこなかったのですが、空手を少し客観的に見ることが出来たというお話でございました。
٩(ˊᗜˋ*)و
下段の蹴りについて
空手の型って、回し蹴りがほとんどないですよね?
上段蹴りも見ないですよね?
言われると「そういえば…」なんですが、小生は今年になるまで気付きませんでした(´Д`)
理由としては「足場の悪い野試合で、回し蹴りなんか放てない」とか「足を掴まれて転かされたら致命的なので腰から上は蹴らない」とか聞きます。確かに。
では、実戦的な蹴りの技術というのは、いったいどのようなものなのか?屋外で、低リスクで、効果的となると、やはりローキックなんでしょうね。
フルコン空手のローキック!
受け方間違えると筋断裂や肉離れ起こします、マジで。
伝統派空手のローキック?
こちらは和道流の動きになるそうです。こんなん練習したっけな?
一心流のヒザ関節蹴り!
剛柔流の鍛錬具(サーシ)を用いた稽古にもこの膝蹴りの動きがありますね。
中国拳法の宮平保先生も、自分より遥かに身体の大きい稽古仲間を膝関節蹴り一発で倒した(倒してしまった)経験から、急所攻撃を旨とし中国武術の道に進まれたというエピソードを聞きました。
協会の一般の稽古では行いませんが、小生は巻藁の下段部分にしっかりと当て込む練習をひっそりとしています。
使う場面が一生ないことを願いますが(๑ ˊ͈ ᐞ ˋ͈ )ƅ̋
中国拳法まじヤバイ!
空手(「手(ティー)」)は、沖縄の独自発生のものか、中国から伝来したものかについては、様々な見方がされています。
起源(ルーツ)を求める欲求や、自国がオリジナルであるとしたい願望というのは、いつの時代もどこの国でもみられる傾向のように思いますが、このグローバル社会と呼ばれる現代において、オリジンを誇るという発想自体がナンセンスなのかもしれない、そんなことを考える小生であります。
ฅ^•ﻌ•^ฅ
戦争や闘争の歴史が人類の歴史であるという側面は否定できない以上、何かしらの徒手空拳による技術がそれぞれの国や地域にあり、時代の中で互いに影響を受けあったという風に考えるのが妥当かと。オリジナルが必ずしも優れているわけでも偉いわけでもないのでね。
中国武術 宮平保先生の実演解説(グレートジャーニーより)
遠い間合いから一撃をかます!という協会の空手のスタイルとは違い、接触したら相手を無力化するまで離れずに攻める!という発想のようです。知らんけど。
余談ですが、この宮平保先生は元々は沖縄で空手の稽古をされていたようです。機会に恵まれて台湾へ武術留学され、沖縄に帰ってきてから空手の先生方に中国武術の要素を紹介されたそうですが、あまり快く受け入れては貰えなかったそうです。
年月を経て、沖縄空手と中国武術の交流会のような機会が設けられた様子を拝見しましたが、そこに至るまでは色々あったみたいですね(察し)。
(๑ ˊ͈ ᐞ ˋ͈ )ƅ̋
受けは攻撃?「骨」で受ける外受けとは
空手の技術を体系化する過程で「動きに名前をつける」という作業が行われてきたとおもうんです。唐突ですが…(๑ ˊ͈ ᐞ ˋ͈ )ƅ̋
でもおそらく、昔の手(ティー)の動きには、一つひとつに名前がついていたわけではないようなんです。すなわち、腕を反対の体側から斜め下に払う動きを「下段払い」と呼びましょう!って、いつか誰かが決めたから、あの動きは「下段払い」と呼ばれているだけなんですよね。
でも、とある時期に、とある場所では、あの動きは「拳鎚(ケンツイ)」と呼ばれていたそうで、受けというよりは打ちとして認識されているんですよね。
受け即攻撃という言葉を、「受けてすぐに攻撃する」ととるか「受けがそのまま攻撃」ととるかで、空手の型の動きの解釈が大きく変わってくるのだろうなと思う次第であります。
骨で受ける!沖縄空手の破壊力!
動作や形の名前によって先入観で「これは受け(防御)」「これは打ち(攻撃)」と、勝手に解釈してしまってはいないだろうか?そんなことを考えさせられる動画でした。
沖縄空手の三大流派(剛柔流、ショウリン流、上地流)
今や日本の空手の流派は乱立状態。中にはイカガワシイ、商売気の強いようなところもあるようですが、空手の聖地 沖縄でもかなり沢山の流派名が横行していて状況としては大変な部分もあるようです。
過日の沖縄空手世界大会の開催に当たっても様々な事情と思惑が入り乱れ、まとめ上げられた方々のご苦労が偲ばれます。沖縄行きたいなぁ〜(´Д`)
空手界は、柔道や剣道と違い、統一団体の位置付けや役割が大きく違うので、現在のように「流派の数だけルールがある」ような試合形式になってしまっている状況です。そもそも「空手で試合」ということ自体が古老の沖縄の先生方からしたら理解に苦しむ実情なのでしょうけど。
少し(?)古いものですが、沖縄の三大流派と呼ばれる剛柔流、ショウリン流、上地流について紹介された動画がありましたので紹介いたします。1時間番組2本分なので、本当に時間がある時にでもご覧ください。
Part1
Part2
沖縄空手の流派一覧
誰も興味無いかも知れませんが…
沖縄空手古武道辞典なるものに載っている沖縄空手の流派の一覧を以下に紹介してみました。ショウリン流系と呼ばれるものは、「少林」「小林」「松林」「少林寺」など様々あり、ちょっと混乱してしまいます。流派によって知名度、規模、歴史は様々で、「宗家」という考え方も色々みたいですね。昔は流派なんてものはなく、「どこどこの何某は棒がすごい!」とか「クーサンクーを習うなら誰それが素晴らしい!」と、互いにリスペクトとコネクションで成り立っていた文化のようですが、なぜにこの様な状況が生まれてしまったのでしょうね。利権とプライドの織りなす営みの産物なのでしょうか…なんて詩的に表現してみたり(๑ ˊ͈ ᐞ ˋ͈ )ƅ̋
• 石嶺流(いしみねりゅう)
• 一心流(いっしんりゅう) 一心流国際空手道連盟
• 上地流(うえちりゅう)
• 沖縄拳法(おきなわけんぽう)
• 空真流(くうしんりゅう)
• 剛柔流(ごうじゅうりゅう)
• 硬軟流(こうなんりゅう)
• 剛泊流(ごうはくりゅう) 沖縄剛柔流・泊手空手道協会
• 孝武流(こうぶりゅう)
• 湖城流(こじょうりゅう)
• 糸東流(しとうりゅう)
• 松濤館流(しょうとうかんりゅう)
• 昭平流(しょうへいりゅう) 沖縄空手道協会
• 小林流(しょうりんりゅう)
• 少林流(しょうりんりゅう) 沖縄少林流空手道連盟
• 松林流(しょうりんりゅう・まつばやしりゅう) 世界松林流空手道連盟
• 少林寺流(しょうりんじりゅう)
• 中部少林流(ちゅうぶしょうりんりゅう)
• 渡山流(とざんりゅう)
• 日本少林寺唐手道(にほんしょうりんじからてどう)
• 本部流(もとぶりゅう)
• 本部御殿手(もとぶうどうんてぃ)
• 劉衛流(りゅうえいりゅう)
• 琉球少林流(りゅうきゅうしょうりんりゅう)
参考文献:沖縄空手古武道事典
取手(とりて)についても考えてみるの巻
小生は空手と併修してひっそりと(?)稽古しているものがあります。それは「合気道」と「琉球古武道」。(๑ ˊ͈ ᐞ ˋ͈ )ƅ̋
その合気道の中に「小手返し」という技があります。おそらく合気道に限らず色々な技術体系にある小手返しですが、合気道におけるそれの稽古は「正面打ち」といって手刀を振り下ろしてくるものを入り身で捌いてからの稽古になります。練習してて思うのは「この動きで本気の相手に技をかけるのはかなり難しいだろうな」ということです。
人間の手首を「極める」って、結構難しいんですよ。まして武道の心得のある相手の動きに合わせてとなると、小生のような凡人にはまあ無理でしょう。理合を学ぶというつもりで稽古を続けているわけですが、実戦の場で使いやすいとしたらこっちかな?
小手返しより簡単?骨を極める!
自分の右手で自分の左手の骨を極めてみました…
痛え!!(٭°̧̧̧ω°̧̧̧٭)