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2018年12月19日
ジッテ(十手)の棒!?(;゚Д゚)!
最近になって、改めてこの型のカッコよさに惹かれております。
どうも、過日の県大会で先生方に交じって団体型で十手(ジッテ)を打たせてもらったかつおです。
伝系としては、型の名称や構えの形から、慈恩(ジオン)、慈蔭(ジイン)と同系統ではないかという話も聞きますが、実際のところや詳細はよく分かっていないようです。
このジッテについて「棒を持ったときに、そのまま棒術の動きとなる」という話や、「棒を持った相手との攻防を想定している」という説が実しやかに囁かれているようですが、真相はいかに?
Jitte No Bo(十手の棒)
海外の空手家の方の探究心・研究熱には、本当に頭が下がります。
上記の棒術との関連を、実際に棒術に落とし込んで、比較検証してみるという試みなのだと思います。
「面白いな!」とは思うのですが、そのまま鵜呑みにするのは躊躇してしまいます。
それは、「棒を持たないと棒術の鍛錬にはならないのではないか?」という見方もしなくてはいけないと思うからです。
単純に、「いや、棒持って稽古しなよ」と。
六尺棒はおおよそ900g〜1,100gと、結構な重さがあり、自在に振り回すには徒手空拳の鍛錬だけでは難しいものがあります。
実際に、棒術の型自体がいくつもあるのに、なぜ敢えて?という感じがします。
これに対しての反論としては、
・本当の理合をパッと見で分からないようにする
・狭い屋内でも稽古できるようにする
ために、敢えて棒を持たずに行う型を作ったという声が聞こえてきそうです。
また、ジッテには「動きがそのまま棒術」とする説がある一方、「相手の棒術に対しての攻防を想定している」という説も聞き及びます。
小生にとっては、こちらの方がしっくり来ます。
相手の棒を奪ったり、相手の棒を捌くような分解ならば、何となく部分部分ではありますが工夫できそうです。
真相は藪の中?
これについて、きちんとした話を聞いたことがあるわけではないので、あまり惑わされずに「ジッテは空手の型として稽古する」、「棒の手の型はそれはそれで稽古する」以外にはないのですが、こうした藪を手探りで探検するのもまた楽しいのかもしれません。
沖縄ではジッテは失伝してしまっているとも聞きますので、古武道の古老の先生方でも分からないことかもしれませんが、訪沖の際には機会があればお伺いしてみようかと思っています。
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バンバン(ノシ 'ω')ノシ
2018年11月24日
パッサイ色々‹‹\(´ω` )/››
小生の通う伝統派空手の道場では、得意型として稽古している人が一番多いと思われますパッサイです。
色々な発音・当て字がされていることを最近知りましたかつおでございます。
抜塞大が人気のウチの支部の皆さんのためにも、ちょっとだけ調べ物してみました。
伝統派で稽古されているバッサイは糸洲先生の改変型?
ウチの流派で稽古されている抜塞大の伝系は、どうも糸洲系統のようですね。
糸洲のパッサイ
花城のパッサイ大
知花先生の糸洲のパッサイとタイトルにありますが、正しくは花城のパッサイなのだとか。
伝系としては糸洲安恒→花城長茂→仲村渠(なかんだかり)完蔵という系統があるようですが、船越義珍先生が上記の誰かに教わったものが松濤館流に伝えられてきたと考えられますが、年代的には糸洲先生から教わったものですかね。
※本部流ブログさんより情報を拝借いたしました。
古流のパッサイ?
沖縄の古流や別の伝系のパッサイは少し趣が違います。
少林寺流 パッサイ
「闇夜の探り手」がカッコイイですね。
沖縄空手国際大会 首里・泊系 パッサイ
古流パッサイ、松村のパッサイ
本土のバッサイは、糸洲先生が改変した先の二つのものなどに、各流派ごとの特徴が加わって現在の形になっていると考えるのが妥当な気がします。大とか小とかしている時点で改変されていますね。
まあ、どこの時点の何をもってオリジナルとするかは意見が別れる部分もあると思うので、へーそうなんだ的な捉え方でおりますが。
技術の体系化による添削?
最近、本土の型と沖縄の型とを見比べることがたまたま多かったわけですが、何故にそのように改変されたのかという点に思いを馳せておりました。
・学校授業や学生指導にあたり、目突きや金的打ちや貫手などの危険な技を排除した
・昔のように同じ型を何十年も稽古するわけではないので、稽古年数の浅い者向けに簡易化
・各流派にある技術体系に多少無理して当てはめた
ということが考えられますが、小生は個人的には三つ目が、本土の各流派における形の違いに影響しているのではないかと思っています。
改変自体の良し悪しということにも、様々な考え方ができるでしょうが、その流派の技術体系にない微妙な技を、無理にカタにはめてしまうというような作業が多かれ少なかれ見られたのではないかと邪推しています。
源流はどういったものであったのか、他流派の形の意図はどこにあるのか、そんなことにも関心を持ちながら、自流派の型を稽古していくと、また新たな発見が生まれたりするのかもしれませんね。
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2018年08月15日
明鏡(メイキョウ)
五十四歩大の棒の手に対する攻防が入っていたり、壮鎮のような動きが入っていたり、燕飛のような飛び(燕飛は本来は肩車からの投げ、こちらは三角飛び)が入っていたりと、こちらも盛り沢山な型ですね。
明鏡
中達也先生の明鏡指導
ネーミングセンスで言ったら、この名前が一番好きですね。明鏡止水(邪念のない、落ち着いた静かな心境)から来ているのかなと。
元々は明鏡初段〜三段まであったのが、協会設立時に「協会らしい型にしよう」と現在の形にまとめられたとか。
この型の独特の挙動としては、最初のところに出てくる両腕を回した後の両手喉突き(?)と、騎馬立ちの下段掻き分けの動きですが、分解見つからず用法は分かりません。むしろ鍛錬の意味合いの強い動きなんでしょうか?中先生の動画に少し出ていますが、詳しくは触れられていないんです。(´Д`)
恐らくですが、かなりの上級者向けの型であろうことは推察されますので、得意型にすることはまずないかな…
王冠(ワンカン)
沖縄伝統空手では松林流の型として記されています。日本空手協会の試合においては、ほとんどお目にかかる機会はありませんね。
教本のポイントには一言「軽妙なすり足による運足」とだけ書いてあります。
本土空手ではあまり聞きませんが、沖縄空手(ショウリン流?)では分解の指導もされているようです。「大半の組手が、平行の攻防ですが、このワンカンの形の特徴は、縦の攻防の組手が組まれてあり、三段の攻撃、三面の攻撃、三先の攻防反と天、地、人を通して勝利を得る法の教えを学ぶ優れた古典形です。開祖久高政棋幸利指南は、”常に、千回鍛錬し、万回練磨する様“に、言われています。」とありました。
空手協会 王冠(ワンカン)
国際松濤館 王冠(ワンカン)
松濤館 慶応大 王冠(ワンカン)
どんな型かと問われれば、「五十四歩と壮鎮と抜塞が混じって短くなった感じ?」くらいしか小生には分かりません。あるいはこの型を基に、他の型が生み出されたのか?
協会だけは猫足でなく後屈立ちなんですね。「慶応大学OBは、当初の「松濤館」の原型を留めているので、空手協会が「猫足立ち⇒後屈立ち」へ変化させたものと考えるのが良いだろう。」という見方をする人もいますが、真相は何処に?( •᷄⌓•᷅ )੨੨
壮鎮(ソウチン)
空手には謎や不明点が山ほどありますが、 今回は「壮鎮」の型について。
分解動画や試合映像ではないのですが、2つの動画をご紹介します。
壮鎮は松濤館の壮鎮と、小林流や糸東流にある壮鎮の2種類があります。 この2つは見るからに別物です。
松濤館
糸東流
糸東流の壮鎮は新垣派の特徴と言われる輪受けで始まり、回し受けで終わるという特徴があります。
また雲手と同じく猫足のサンチンというような始まり方をします。(雲手は差指を出しますが)
松濤館流の壮鎮は、富名腰義珍先生の命を受けて、三男、義豪先生が糸東流の摩文仁先生や、沖縄の古老のところへ行って幾つかの型を持ち帰った「松濤館十五の型以外の型」のうちひとつではありますが。
一方、糸東流の壮鎮も、摩文仁先生の得意形であるということは書籍に記載はありますが、どちらの先生から摩文仁先生に伝わったかは不明のようです。
少なくとも、松濤館流と糸東流の壮鎮は、「同名異型」の典型で、「共通点が少ない」というより「共通点が全くない」と言った方が良いくらいですね。
「摩文仁先生、富名腰義豪先生はそれぞれ別の「壮鎮」という名称の型を伝承する古老を探し当て、これを習得した」という以外に考えられません。
この両型の何れか、あるいは双方とも、「摩文仁先生、富名腰義豪先生の創作型でないか」という穿った考え方も不可能ではありませんが、創作型にしては、糸東流は解釈の不可思議な動作が多いですし、松濤館流は左右不対称の動作が多すぎます。
強いて言うならば、糸東流は演武線というか動作そのものが「首里手 十三」に近い印象がありますし、松濤館流は泊手である「ローハイ」に動作が近いと言えましょうか。 (以上mixi掲示板から引用)
何やら情報が混沌としていて、結論は分からないのですが、「公相君(クーサンクー)」や「ワンシュウ」のように同一人物もしくは同姓同名の別の人物から別の型が伝えられたという可能性もありますね。でも、「壮鎮」なんて名前の人いないか(笑)ますます広がる空手のミステリー…
雲手(ウンス)
1〜2挙動目の動き、「開雲の手」と呼ばれるそうです。もう既にこれだけでカッコイイ!٩(ˊᗜˋ*)و
「雲は気象の影響によって千変万化する。この形は雲のように相手に良い応じ無理なく変幻自在である。
相手の意表をついて、或は高く飛んだり、滑り込んだり、威嚇したりさそったり、しかも字身体全体の部位を武器にしての闘いを表現する。
軽妙機敏、間のとり方、拍子のつかみ方、虚実の妙といい、まさに兵法の極意そのままを感じさせられる形である。
また、鶏頭受から一本貫手のような特殊な技法もあるが何よりも縦横に駆使する蹴り技も見られるのが大きな特徴である。」以上、サイトより引用。
WKF日本チーム(分解あり、ドリームチームやん!)
「教本には雲手の注意事項として、慈恩や観空等の形を十分に修練しないうちに、やってはいけないと書いており、まあ、かっこいい形で皆、憧れる形ですが、逆に未熟だとサマになりません。
また、大きな大会で、優秀な選手の多くがこの形を演武しますし、他の流派ではほぼ見られず、また、松濤館流の特徴である、スピード、華麗さ、ダイナミックさの最たるものですので、ある意味、松濤館流の代表的な形と言っても良いと思います。」(以上、Yahoo知恵袋より引用)
去年の相原先生の特訓の時にご指導して欲しかったのですが、先の五十四歩と同様「まだ早い!」とぴっしゃり言われ、それ以降は手をつけておりません。いつか動画のようなキレッキレの雲手を打てるよう、地道に努力していく所存であります!
( ・ω・)ゞ
二十四歩(ニーセーシ)
二十四歩。先生と「沖縄っぽいですね♪」とニヤニヤしながら稽古しているお気に入りの型のひとつです。(*´ㅈ`*)
中先生の二十四歩(中国にて)
中先生の二十四歩(解説動画)
他の流派(内地?)から見て、この二十四歩という型は唯一と言って良いほど数少ない評価の高い型のようです。
手順は然程難しくはないのですが、打ちごたえ、見応えのある二十四歩を打つには、相当の鍛錬が必要であるという認識や評価が多いです。中先生が得意型にされるのもなんとなく納得。雲手や壮鎮ではないんですよね。
あと気になるのが、「五十四歩」との関連です。名前のつけ方からしてシリーズ物?とか思っていますが、浅学甚だしく詳しくは分かりません。二十四節季という数字もあるので、「戦国時代の中国に由来するのかな?」とか、「型の一連に四季が折り込まれてたりするのかな?」とか、少し思想的な背景なんかもあるんじゃないかと邪推しています。
ある流派では、3段以上になってから稽古する型であると位置づけられているみたいですね。小生にはまだ早いですが、手順だけはこっそり練習しておきます♪
(๑ ́ᄇ`๑)
十手(ジッテ)
型の試合で時々この型を打つ人を見かけます。この前の全国大会の決勝戦でもおひとり打ってました。手順間違えて卍受けが抜けて失格になってましたが…
こちらの優勝チーム、貫禄と重厚さがハンパないです(´Д`)
独特な身体の使い方をする「受け」や、相手の棒を奪っての攻撃など、これまで稽古してきた型と比べて、かなり新鮮な感じがします。
松濤館 十手
https://youtu.be/lEVn0Bb3wbg
日本空手協会 松濤館十五の型(分解あり)
https://youtu.be/ulkqgYX7Hz8
全て棒の相手を想定した動きと言われています。小生にとっては先生方と一緒に県大会の団体型の部に参加させていただいた際に稽古した思い出深い型です。基礎がまだまだ未熟な小生は、なかなかしっくりする十手を打つことは難しかったです。「棒の手」がいかなものか知らない小生は、この型の真意が分からなかったため、コーナンで「なんちゃって六尺棒」を購入し、地道に稽古しています。
岩鶴(チントー)
昨日は黒帯のみなさん、岩鶴の練習してました。
小生も手順だけは覚えたのですが、しっくり来る岩鶴はとてもじゃないですがまだまだ打てません…
岩鶴(チントー)
「泊手」の大家・松茂良興作(まつもらこうさく/1829-1898)から伝授された型で、二段跳び蹴り、鶴の岩立ち(転身後の蹴り技)など、高度の形(技)が含まれています。チャンミーグヮーこと喜屋武朝徳先生の得意型であったともいいます。
日本空手協会 岩鶴
沖縄空手 チントー
http://shao.sakura.ne.jp/data/kata07.mp4
武の舞(舞手の動きあり)
薩摩の侵略と禁武政策のなか、沖縄の武士(ブサー)たちは手(ティー)の秘伝を踊りの中に隠したという説があります。第2挙動の抑え受けも、本来は「舞手」のように相手の肘を逆関節に極める動きを泊手の山城先生が分解のなかで行っています。
余談 いつか沖縄舞踊か沖縄太鼓を習いたいと思うのであります(๑ ́ᄇ`๑)
半月(セーサン)
一時期、先生が指導してくれていましたが、最近はあまりお見かけしない半月。中先生の半月は初めて見たかも知れません。
半月(十三、セーサン)
琉球王朝の最も偉大な唐手(空手)家の一人で、「武士(ブサー)松村」と呼ばれた松村宗棍(まつむらそうこん/1809-1899)から伝授された型。特に前半では腹式呼吸法を意識して行ない(肩胛骨を下げ)、呼吸と攻防の密接な関係を体得する。裏拳撃ちや忍び足での前蹴り等の形(技)が含まれ、時間をかけて鍛錬する型。
日本空手協会
沖縄空手
http://shao.sakura.ne.jp/data/kata02.mp4
鉄騎(ナイファンチ)と並び、首里手系・泊手系の鍛錬型ですね。試合などで見ることはまず無いですが、「セーサン立ち」や「セーサン受け」、セーサンの運足と呼吸法はこの型にしか出てこないので、しっかりと身につけておきたい基本型のひとつだと思います。