新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2018年08月15日
「膝の抜き」に関する考察?
みなさんは「嫌いな稽古内容」ってありますか?
小生は一切の迷いなくこう言います。
「先生との5本組手!」と。
嫌いというのとは違うのですが、何というか絶望感?とでも表現しましょうか…(٭°̧̧̧ω°̧̧̧٭)
特に自然体からの一本目の受け、あれで心を折られて、さらに追い詰められて、最後は反撃する心のエネルギーが切れています。
チ───(´-ω-`)───ン
稽古の時によく言われる「膝を抜く」という指導。未だに体感として実感できていないんですよね〜。理屈から入る本土的発想の小生は、なにかヒントが転がっていないかと色々と調べてみました。
膝を抜くー下方への体移動
https://www.google.co.jp/amp/s/karatebuko.exblog.jp/amp/18424161/
Yahoo!知恵袋より
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14120839754
どうも中達也先生の順突き(おいづき)に全て集約されているような気がしてきた…(๑ ˊ͈ ᐞ ˋ͈ )ƅ̋
膝の抜き、重心を身体の外に置く、骨盤の操作。稽古の時に一つひとつ意識しながら実験してみようと思います。疲れ切ってヘロヘロの時に力が抜けて、思わず「コツ」のようなものを体感できる時もあるので、頭でっかちにならないように頑張ります!
前手での突き
刻み突き、和道流では「飛び込み突き」と「流し突き(突きと同時に入り身になる突き)」があって、引き手も取らず夫婦手で使います。未だにそのクセが抜けない…( •᷄⌓•᷅ )੨੨
最近、組手の稽古をさぼりがちな小生です。なかなか体がついていかないのと、組手競技自体にあまり魅力を感じられなくなってしまったので、色々と模索しながら稽古方法を考え込んでしまっています。
一時期、県大会に向けて研究というと大げさですが色々と調べる中で、荒賀龍太郎選手の刻み突きがキレイなフォームだったのでよく見てました。高橋さんがコメントしてくれてた人ですね。
荒賀龍太郎選手 刻み突き
沖拳会の山城先生のところに荒賀選手らが稽古に行っている動画を見たことがあるのですが、この時もナイファンチの移動稽古をさせることによって肩の線の変化を悟らせないような動きを指導していました。古伝の空手が、現代スポーツ空手に通用するというのは、これもロマンがありますねぇ。
つべこべ言わずに稽古に励め!という感じですが、未だにしっくりくる刻み突きを打てないかつおなのでした。(๑ ˊ͈ ᐞ ˋ͈ )ƅ̋
ナイファンチによる身体操作
トマリ手セミナー(山城美智)
総合格闘家の菊野選手が弟子入りを決めた山城先生の「突き」がインパクト強すぎ!初めて食らった瞬間「死ぬかと思った」と菊野選手(笑)
この突きの鍛錬は、何を隠そう「ナイファンチ」の型で練られているそうなんですね。山城先生曰く「型を稽古して、強くならないわけがない」と言い切っています(グレートジャーニー2は必見!)。ただし、中先生の仰る「型を稽古する」のと「型で稽古する」のの違いがまだよく分からない小生には、その真意が掴めるワケもなく、今日も迷走中。
人間の腕の重さは、個人差はありますが約5kgあるそうです。これを遠心力を用いて力を逃さずに当てるだけで、恐ろしいくらいの衝撃です。そのためには身体をどのように使えば一番効率的なのかをナイファンチ(鉄騎)の型は教えてくれているんですね。
肘の痛み(滑膜ひだ肥大)
先生に腰のキレと肘をしっかり伸ばすことを指導してもらい「肘の腱も鍛えなあかんなぁ…」と思いながらも心配事もありましてん。
空手を再開してから1年くらい経った時期でしょうか。ある日「肘が痛い…伸ばすときパキッと音がする…」という症状が出現しました。
最初は根性で治す!続けてれば気にならなくなる!と精神論バリバリで頑張っていたのですが、ある日 勤務先の病院の作業療法士に見てもらったところ「絶対にCT撮って診てもらったほうがいい!」と脅されて、某スポーツ整形外科で診察を受けました。
診断名は「滑膜ひだ障害」。なんじゃそりゃ??説明を聞くと、肘を伸ばしきった時にかかる負荷が、肘関節内の滑膜ひだを過剰に刺激して、ひだが肥大してしまい関節の稼働を邪魔している状況とのこと。
心当たりがある。分不相応に五十四歩小の稽古をしていた時期で、手刀打ちや下段背刀受けをしていた。肘をビンビンに伸ばしていた(笑)
治療について聞くと、アスリート(卓球の福原愛選手などもこの怪我で悩まされた)や日常生活に支障をきたすレベルだと外科的治療(手術)も視野に入れるが、まずは2週間の安静加療を、とのこと。
2週間も休めるか!と思いながらも、肘を庇うように気をつけて稽古を続けたら、いつの間にか痛みとパキパキという異音は消えていた。でも、今でも肘を伸ばした手刀打ちは痛いので、様子を見ながら行なっている。
改めて、空手の突きにおける肘の使い方についておさらいするつもりで色々と調べると、そもそも「全力での空突き自体が肘によくない」という説が少なからず見られるのである。
40代からの空手道より抜粋
http://karateman.net/2014-11-7.html
よく「標的に当たってから拳一つ分押し込む」という風に聞きます。巻藁突き、ボクシングのシャドー、沖縄空手の突き手を見ても、確かにそのような使い方がうかがえる。全力で突く(殴る)のは、あくまでミットやサンドバッグなどの対象物があるときの方がいいのかなと感じています。
皆さんはどんな所を気にかけて稽古していますか??( •᷄⌓•᷅ )੨੨
明鏡(メイキョウ)
五十四歩大の棒の手に対する攻防が入っていたり、壮鎮のような動きが入っていたり、燕飛のような飛び(燕飛は本来は肩車からの投げ、こちらは三角飛び)が入っていたりと、こちらも盛り沢山な型ですね。
明鏡
中達也先生の明鏡指導
ネーミングセンスで言ったら、この名前が一番好きですね。明鏡止水(邪念のない、落ち着いた静かな心境)から来ているのかなと。
元々は明鏡初段〜三段まであったのが、協会設立時に「協会らしい型にしよう」と現在の形にまとめられたとか。
この型の独特の挙動としては、最初のところに出てくる両腕を回した後の両手喉突き(?)と、騎馬立ちの下段掻き分けの動きですが、分解見つからず用法は分かりません。むしろ鍛錬の意味合いの強い動きなんでしょうか?中先生の動画に少し出ていますが、詳しくは触れられていないんです。(´Д`)
恐らくですが、かなりの上級者向けの型であろうことは推察されますので、得意型にすることはまずないかな…
約束組手(和道流空手)
以前書いた和道流空手の続編です。
松濤館流、剛柔流、糸東流空手の開祖はすべて沖縄出身で、空手以前の沖縄武術である首里手と那覇手を修行していました。
和道流開祖の大塚は茨城県出身で、まず日本柔術を修め、その後に東京で空手を学んでいます。
つまり日本柔術の影響を大きく受けているため、和道流は柔術から生まれた流派と考えてもいいでしょう。
突き、蹴り、投げ、関節技、そして受け身があります。
和道流 約束組手 一本目(大塚博紀先生)
また約束組手の練習体系が一本目から十本目まであります。
約束組手とは1対1で向き合い、お互いに決められた動き、技を順番通りに出し、実戦的な感覚を習得する練習。
一本目から十本目まで項目があるのは、柔術や剣術の修行過程をヒントに作ったのではないでしょうか。
和道流空手 約束組手1〜10本目(ロシア)
和道流の戦う理論は最小限の動きで決めること。
松濤館流、剛柔流、糸東流は受け(防御)もガッチリ力強く行うのに対し、和道流では流すように受けます。
さらに受けた手をそのまま伸ばして攻撃に転ずるという感じです。
ここにも柔術や剣術の理論が生きているのでしょう。(WEBより抜粋)
王冠(ワンカン)
沖縄伝統空手では松林流の型として記されています。日本空手協会の試合においては、ほとんどお目にかかる機会はありませんね。
教本のポイントには一言「軽妙なすり足による運足」とだけ書いてあります。
本土空手ではあまり聞きませんが、沖縄空手(ショウリン流?)では分解の指導もされているようです。「大半の組手が、平行の攻防ですが、このワンカンの形の特徴は、縦の攻防の組手が組まれてあり、三段の攻撃、三面の攻撃、三先の攻防反と天、地、人を通して勝利を得る法の教えを学ぶ優れた古典形です。開祖久高政棋幸利指南は、”常に、千回鍛錬し、万回練磨する様“に、言われています。」とありました。
空手協会 王冠(ワンカン)
国際松濤館 王冠(ワンカン)
松濤館 慶応大 王冠(ワンカン)
どんな型かと問われれば、「五十四歩と壮鎮と抜塞が混じって短くなった感じ?」くらいしか小生には分かりません。あるいはこの型を基に、他の型が生み出されたのか?
協会だけは猫足でなく後屈立ちなんですね。「慶応大学OBは、当初の「松濤館」の原型を留めているので、空手協会が「猫足立ち⇒後屈立ち」へ変化させたものと考えるのが良いだろう。」という見方をする人もいますが、真相は何処に?( •᷄⌓•᷅ )੨੨
横山和正先生
他流派ですが…
ライトニングフラッシュハンズ!(瞬撃手)
動画を見ても、スローにしても見えない攻防、横山和正先生の異名です。何度かYouTubeなどの動画サイトで拝見したことがあったのですが、ついこの前、空手オタク友達(先輩)にこちらの先生のことを教えてもらいました。
先日『瞬撃の哲理 沖縄空手の学び方』を上梓されたばかりの、研心会館館長 横山和正先生が、去る5月26日午後4時、尿管癌により永眠されました。享年60。
夫婦手の稽古
もちろんCGじゃないですよ?ある意味、既成概念がぶっ壊れる程の衝撃映像です。
興味深いのは、あらゆる格闘技を修めて来られた横山先生が、最終的にたどり着いたのが「沖縄空手」であるという点です。
小生も横山和正先生のことはあまり知らず、これから勉強しようとしている段階ですが、セミナー形式で15回にわたって空手について紹介(1回目だけ無料)されている記事を見つけたのでリンク先を載せておきます。
https://note.mu/hp_editor/n/na827440c780d
ご冥福をお祈りします。
壮鎮(ソウチン)
空手には謎や不明点が山ほどありますが、 今回は「壮鎮」の型について。
分解動画や試合映像ではないのですが、2つの動画をご紹介します。
壮鎮は松濤館の壮鎮と、小林流や糸東流にある壮鎮の2種類があります。 この2つは見るからに別物です。
松濤館
糸東流
糸東流の壮鎮は新垣派の特徴と言われる輪受けで始まり、回し受けで終わるという特徴があります。
また雲手と同じく猫足のサンチンというような始まり方をします。(雲手は差指を出しますが)
松濤館流の壮鎮は、富名腰義珍先生の命を受けて、三男、義豪先生が糸東流の摩文仁先生や、沖縄の古老のところへ行って幾つかの型を持ち帰った「松濤館十五の型以外の型」のうちひとつではありますが。
一方、糸東流の壮鎮も、摩文仁先生の得意形であるということは書籍に記載はありますが、どちらの先生から摩文仁先生に伝わったかは不明のようです。
少なくとも、松濤館流と糸東流の壮鎮は、「同名異型」の典型で、「共通点が少ない」というより「共通点が全くない」と言った方が良いくらいですね。
「摩文仁先生、富名腰義豪先生はそれぞれ別の「壮鎮」という名称の型を伝承する古老を探し当て、これを習得した」という以外に考えられません。
この両型の何れか、あるいは双方とも、「摩文仁先生、富名腰義豪先生の創作型でないか」という穿った考え方も不可能ではありませんが、創作型にしては、糸東流は解釈の不可思議な動作が多いですし、松濤館流は左右不対称の動作が多すぎます。
強いて言うならば、糸東流は演武線というか動作そのものが「首里手 十三」に近い印象がありますし、松濤館流は泊手である「ローハイ」に動作が近いと言えましょうか。 (以上mixi掲示板から引用)
何やら情報が混沌としていて、結論は分からないのですが、「公相君(クーサンクー)」や「ワンシュウ」のように同一人物もしくは同姓同名の別の人物から別の型が伝えられたという可能性もありますね。でも、「壮鎮」なんて名前の人いないか(笑)ますます広がる空手のミステリー…
和道流空手
たまには他流派の動きを見てみるのも、新たな発見があって興味深いですよね。
大塚博紀は、神道揚心流、及び為我流の柔術を大成した上で、船越義珍・本部朝基・摩文仁賢和に学んだ空手、さらには柳生神影流等の古流剣術の体捌きを加えて創始した。松濤館流、剛柔流、糸東流と並び、空手の四大流派の一つに数えられている。(Wikipediaより)
誰も聞いてないけど…
何を隠そう、小生は和道流空手出身であります。幼稚園の年長さん〜高校三年生まで、引越しの都合等で会派は3つほど変わりましたが、成長期真っ盛りな13年を和道流空手に費やしました。でも稽古の頻度は週二回程度で、試合などに出てもまあ鳴かず飛ばずでした。中三の時の山口県大会の組手3位がベストポジション(´Д`)
小生が子供の頃はインターネットやスマートフォンはおろか、子供が気楽に教本などを手に入れられるご時世ではなかったので、それこそ道場の先生が見せてくれるもの、教えてくれるものが全てでした。他との比較が難しいので、逆に言えばその凄さも実感しにくかったというのが感覚としてあります。
和道流の稽古で好きだったのが「約束組手」。初段で未熟者だった小生は3本目くらいまでしか稽古していないのですが、今になって動画などで見るととても興味深いです。こちらは後日改めて紹介いたします。