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2017年04月12日

『ヨハネス・コメニウス 汎知学の光』の刊行を寿ぐ(四月十日)





 いよいよ本日発売である。と言ってもこの記事を投稿するのは、チェコ時間で十二日深夜、日本時間の十三日の朝になるし、今日中に書き上げられるとも限らない。すでに日本時間では十一日だし。(結局順番を入れ替えて一日早く投稿することにした。本当は昨日投稿したかったのだけど書きあがらなかったのである。4月11日追記)

 書名に現れるコメニウスは、もちろんチェコ語のコメンスキーのことである。残念ながら日本ではラテン語名の方が有名であるため、コメンスキーと言ってもぴんと来ない人の方が多いのだろう。コメニウスというのは、教育学においては必要不可欠な名前で、教員採用試験にも頻出するらしいけれども、チェコ人であることを、モラビアの出身であることを、どのぐらいの人が知ってくれているのだろうか。
 昔はせいぜい平凡社ライブラリーの『世界図絵』ぐらいしか手に入らなかったコメンスキーの著作が、近年相次いで日本語に翻訳されて刊行が進んでいる。『地上の迷宮と、心の楽園』『覚醒から光へ』『パンパイデイア』なんて本まで、決して安くはないとはいえ、確実に手に入るのである。いい時代になったものである。

 しかし、とそこで考える。果たして自分は、近年縁のある日本のコメンスキー関係者と知り合う前からこれらのコメンスキーの著作について知っていたのだろうか。答えは、おそらく知らなかったになる。『世界図絵』の解説で名前ぐらいは目にしていたかもしれないけれども、それが自分の知識として頭の中に入ってはいなかった。
 いや、そもそも、コメンスキーについての基礎的な伝記事項さえろくに知らなかったのだ。今でもそれほど詳しいといえないので、コメンスキーを研究している方たちと話すときには、頓珍漢なことを言ったり質問したりしてしまっているはずである。穴があったら入りたい。
 そんな困った状況で、あれば読みたいと渇望していたコメンスキーに関する概説書、しかも教育者、哲学者としての側面以外にも、宗教学者、政治家など、コメンスキーを多角的に捕らえて解説した本が出るというのである。期待しないわけにはいかないじゃないか。

 今の自らの状況をふりかえると、あるかなきかの知識を基に、研究者たちと話をし場合によっては通訳し、その中で得た知識を基に会話や通訳を続けるという知識の自転車操業状態である。コメンスキーに関する知識も、基本的なことは知らないくせに、妙に細かいことは知っているという非常に偏ったものになっているはずだ。それもこれも、コメンスキーの伝記が日本語で読めないのが悪い。チェコ語でなら読めるのだろうけれども、人名の海におぼれて理解不能になるのは目に見えている。だから、今回出版されたこの本は、本当に本当に待望の一冊だったのだ。これを読めれば少しはマシになれるはずである。
 実は著者とは縁があって何度かお目にかかって、お話をさせてもらったことがある。その際にこの本の構想と内容をちょっとだけお聞かせいただいた。その話を聞いただけでも、読みたいと思わされたし、講談社の編集者が書いたという内容説明も簡潔的確、かつ魅力的にまとめられており、編集者が編集作業のために読んだ際の感動が表れている。読むことに厳しい編集者をうならせる本は、幸せな本である。ならば、もう読むしかない。

 不満は二つだけ。一つは書名のコメンスキーの名前に、「アーモス」が入っていないこと。書名は簡潔なほうがいいのだろうけれども、著者がときどき口にされる自分の名字のアナグラムがアーモスになるというお話が大好きなのである。著者とコメンスキーの運命的なつながりを感じさせるために、無理をしてでも「アーモス」を入れてほしかった。各章にくすぐりのような小ネタを入れたと仰る著者のことだから、本の中には出てくるのだろうけど。
 それに、チェコ語でも、アーモスを抜いて、ヤン・コメンスキーと言われると、どうにもこうにも落ち着かない。やはり、名字だけでコメンスキー、名前も使うならヤン・アーモス・コメンスキーでないとしっくりこないのである。将来文庫化されるときには、「アーモス」を追加してもらえるようにお願いしておこう。

 もう一つは、本の帯に書かれた「東方からヨーロッパを駆け抜けた」という惹句である。ここにはヨーロッパというと、せいぜいイギリス、フランス、そしてドイツ、イタリアくらいしか思い浮かばない日本人の一般の意識が反映している。
 しかし、地図を見れば、チェコは、いやモラビアだけを取り出しても、ヨーロッパの東方と呼ぶには、西にありすぎることは明白である。ヨーロッパといえば、本来ロシアのウラル山脈までを指す言葉なのだから。仮にロシア正教圏の旧ソ連をヨーロッパから除外するにしても、コメンスキーの出自について「東方から」と言うのは無理があるような気がする。コメンスキー自身の移動も、カトリック色の強かった西へというよりは、プロテスタントの多かった北へ向かった印象であるし。

 本来神聖ローマ帝国を形成する領邦の一つであった現在のチェコが、ヨーロッパの東側に分類されるようになったのは、第二次世界大戦後のことであり、地理的な分類というよりは政治的な分類だった。それを考えると、冷戦期の世界観が現在に至るまで日本人のヨーロッパへの認識に影響を与え続けているということなのだろう。これは、チェコに来たばかりの頃に、チェコのことを「東ヨーロッパ」と言って、チェコの人たちに嫌がられた自分自身への批判でもある。
 高校で世界史を学び、チェコが神聖ローマ帝国の一部であったという知識はあっても、冷戦期の東側、西側という思い込みの強さから、それを実感することはできていなかった。チェコ人がよく言う「チェコはヨーロッパの中心」というのは、言いすぎだろうが、歴史的に考えれば、ヨーロッパの東と西の境界のすぐ西にあるのがチェコなのだ。コメンスキー自身も『世界図絵』のヨーロッパの章の地図でチェコを中心より西側に描き出しているし、「東方から」と言われるのは不本意だろう。
 だから、コメンスキーの思想だけでなく、その生涯をも歴史的な背景と絡めて説明されるこの本を読めば、「東方から」という部分に違和感を感じることだろう。それが、冷戦期から引き続くヨーロッパ観を多少は改めることにつながるかもしれない。そんなこともひそかに期待している。

 ところで、多面的なコメンスキー像の中には、チェコのH先生が教えてくれたさすらいの飲んだくれとしてのコメンスキー像も含まれているのだろうか。まあ、それは読んでのお楽しみというやつである。
4月11日15時。


 しかし、講談社も、学生時代に学術文庫の『風土記』には泣かされたけど、たまにとんでもなくいい仕事するよなあ。著者のブログには出版の経緯なども記されているので、興味のある方はぜひ。4月12日追記。


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タグ:講談社
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