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2019年10月23日

納得できないこと(十月廿一日)



 日本でワールドカップが開催され、日本代表が多くの人にとっては予想外の活躍をしたことで、ラグビーに注目が集まり、ネット上には、だからラグビーは素晴らしい的な記事と、外国のメディアが日本の素晴らしさをたたえているという記事があふれている。こういう記事は嫌いじゃないからついつい目を通してしまうのだが、読み終わって消化不良というか、プロの報道の在り方としてこれでいいのかと言いたくなるものが多い。

 ラグビーが素晴らしいスポーツであることを否定する気はまったくない。ただ、今の、ラグビーのノーサイド精神は素晴らしいとか、ラグビーは人間を育てるスポーツだとかいう報道は、すでに80年代終わりのラグビーブームのときにも、もてはやされた言説である。表面的な部分だけさらって大騒ぎをしたマスコミが、Jリーグの発足で沸くサッカーに目を移したとたんに、極端に言えば、全く報道されなくなり、ラグビーは忘れられたスポーツと化した。
 あのときも、いまでいう「にわかファン」が大量にいたのを、協会が舵取りに失敗して、取り込むことができなかったのだ。その失敗に実力よりも見てくれと人気優先だったマスコミの報道も大きく寄与した。2015年のワールドカップの後も同じような失敗をしていることを考えると、今の報道の在り方、協会の舵取りのしかたが、これでいいのかと心配になる。

 ラグビーの典型的なノーサイド精神の報道にしても、サッカーやハンドボールなど他のスポーツでもやっていることを、ラグビーにしかないというような形で大騒ぎしているのを読むと、今後が心配になる。今ラグビーを絶賛している連中が、そのうちラグビーに否定的なことを言いだす理由にもなりかねない。
 試合が終わった後、両チームの選手が審判や監督も含めて握手をして回るのも、ユニフォームの交換をするのも、応援してくれたファンの前に行ってお礼のあいさつをするのも、サッカーでもハンドボールでも普通にやっていることだ。ラグビーのノーサイド精神が、他のスポーツと違う部分はどこなのか、相対的な視点からの説明がないのが不満でならない。こんな根拠のない持ち上げは、昔懐かしい誉め殺しにつながって、ラグビー人気の凋落を導きかねない。

 ノーサイド精神の表れを、他のスポーツの比較で書いていた記事も少ないながら、見かけた。サッカーや野球では、原則として両チームのファンが別々の観客席に座るのに対して、ラグビーは区別しないでみんなまとめてごちゃ混ぜに座るというのは確かにその通りである。その理由は、サッカーのファンとは違ってフーリガンがいないので、観客動詞の乱闘が発生しないからだとか、イギリスではサッカーから締め出されたフーリガン、スポーツのファンというよりは暴れたいだけのアホどもが、ラグビーの会場に出没していて、問題になっているとか、今回のワールドカップで問題にならなかったのはフーリガン連中に日本までくるお金がなかったのだろうなんてことも書いてあった。こういう記事こそ読まれるべきだと思うのだけどね。
 個人的には、試合終了後の退場のシーンで、互いに花道みたいなものを作って健闘をたたえあうのはラグビーだけだし、お互いの控え室を訪問し合って交流を深めたり、その際の写真をSNSで公表するというのもラグビーぐらいのものだろうと思う。ただ、確信がないので、その辺をジャーナリストに他のスポーツではどうなのか確認した上で書いてほしいのだけど、ないものねだりなのかなあ。

 ノーサイド精神と言えば、高校時代にラグビー部の顧問の先生が、「ラグビーの試合は勝ち負けを決めるのが最終的な目標ではない。だから大会で引き分けに終わった場合も延長をしてまで決着をつけたりはしないで、抽選で先に進むチームを決めるんだ」と言っていたのを覚えている。1989年の高校選手権の決勝が開催されずに両校優勝になったときも、この説明で残念だけど、それがラグビーなら仕方がないと思ったのだ。

 それなのに、今回のワールドカップで試合が中止になったり、中止になりそうになったりしたときに一部の国の代表関係者が中止は納得できないと駄々をこねたのを、ノーサイドの精神から批判する記事が見られなかったのも納得がいかない。ラグビーでは勝ち負けを決めること以上に大切なことがあるのではないのか。それが今回は台風による災害の被害を最小限にすることだったはずである。
 特にラグビー関係者から、大会前にサインしたとからという理由ではなく、他のスポーツではなく、ラグビーなのだから、ラグビーのノーサイド精神から行けば、どんなに残念で悔しくても、中止を受け入れなければならないのだという批判が聞こえてこなかったのが残念でならない。海外では、中止の試合が出たことを強く批判するメディアやラグビー関係者がいたという話だけど、その態度もまた批判されるべきであろう。

 それから、アイルランドの監督が、日本との試合での判定におかしいところがあったと試合後に発言したのも、ノーサイド精神から逸脱していないか。次の試合に向けたけん制なんて解説もあったけど、ラグビー万歳で、ノーサイド精神をもてはやすのなら、やはり批判するべきだろう。ラグビー関係者にはしがらみもあって言えないのかもしれないが、雑誌や新聞の記者なら問題ないはずだ。
 試合前の言葉の投げあいは、ノーサイドになる前だから問題ないにしても、試合が終わった後に、判定や相手のプレーに文句を付けるのはラグビーには似合わない。そんなのは、いちゃもんをつけるのが仕事の記者たちや、ラグビーを酒の肴にしているファン達に任せておけばいいのだ。
 この話もうちょっと続く。
2019年10月22日22時。









2019年10月22日

日本代表残念(十月廿日)



 ラグビーの日本代表の「ポハートカ」が終わった。南アフリカ(ついついチェコ語交じりの日本語で「イホアフリカ」と言ってしまいそうになる)が強かったと言えばそれまでなのだけど、日本代表の選手たち満身創痍で疲労困憊だったのだろう。途中から一方的に攻め続けているように見えた前半でさえ、アイルランド戦やスコットランド戦の前半のようなキレがなかった。チェコテレビの解説者は、これは守っている方が疲れると言っていたけど、4年前のスコットランドとの試合のように、攻めても攻めてもトライがとれないのは、見ていて焦燥感がつのった。

 考えてみれば、プール戦を勝ち抜いた場合の相手が、ニュージーランドか南アフリカというのは、最悪の組み合わせだった。同じプールにこの二国が入っているという組み分けがそもそもとんでもないということになる。現状ではこの二国が決勝に進みそうだし、出場全チームの中で、頭一つも二つ抜けている感じである。イングランドもオーストラリアに勝っていたけど、今回のオーストラリアは、ニュージーランドに完敗したアイルランドと比べてもはるかに出来が悪そうだったからなあ。
 それでも、日本代表が、まだ疲れのたまっていなかったプール戦の二試合目(一試合目は緊張しすぎて大変そうだから)に南アフリカと当たっていたら、南アフリカの状態も上がり切っていなかっただろうし、もう少し勝負になっていたのではないかとか、ニュージーランドと万全の状態であたるのを見たかったとか、あれこれ考えてしまう。前回のワールドカップでは南アフリカに勝って、全部で3勝もしただけで十分という感じだったけど、今回は組み合わせ次第ではもう少し上まで行けたんじゃないかなんて思うから、本当に強くなったなあ。
 ここまで強くなった選手たちの努力には、特に要領よく世の中を渡っていくのが勝ち的な風潮の強くなっている現在においては、賞賛の言葉しかない。同時に、選手たちがここまで頑張れたのは、サッカーでも野球でもなく、ラグビーというスポーツだったからなのだろうとも思う。見るものを引きずり込むようなこのスポーツの持つ魔力は、実際にプレーする選手たちにも作用しているに違いない。何でもかんでもラグビーは素晴らしい的にまとめてしまう現在のマスコミの報道にはどうかとも思うけどさ。

 多くの競技で、日本代表よりもチェコ代表を応援することが多くなった人間でありながら、ラグビーだけは日本代表(昔はジャパンと呼んでいたんだけどあちこちで連発されて言いたくなくなった)を応援し続けているのは個人的な思い入れがあるからだ。出身校が県内ではラグビーの強いところで、中学時代の先輩や同輩、後輩が花園を目指して頑張っていたのを目の前で見て応援してきた。

 気に入らなかったのは、「スクール・ウォーズ」で火がついたラグビー人気が、80年代の終わりには、なぜか大学ラグビー、しかも関東のリーグ戦ではなく対抗戦グループに飛び火して、早稲田や明治のラグビーがマスコミによってちやほやされたことだった。これは、日本のラグビーにとってはマイナスで、その後ラグビー人気が冷え込み、なかなか上がってこなかった原因の一つになっている。
 どう見てもリーグ戦側のチームや関西の同志社あたりのほうが強いのに、早稲田、明治がスポーツマスコミに大々的に取り上げられ、勝ち目なんてないのに日本選手権でも大学のほうに光が当たっていた。大学選手権あたりだと結構微妙な判定で早明が勝ち上がるなんてこともままあったし、それを批判するのはタブーになっていたしで、はたから見ていても最悪だったのだ。

 90年代の初めに伝手があって、大学選手権の明治−法政の試合を見に行ったことがある。試合前の予想では圧倒的に明治だったけど、試合が始まったら明らかに法政のほうが上で、かなりの差をつけて勝ったんじゃなかったか。当時のラグビーの報道なんてそんなもんだったのだ。早稲田と明治にちょっと慶応とそれ以外というね。日本にスポーツ雑誌というものを定着させた「ナンバー」ですら大差なかったからなあ。
 そんな早明中心のラグビーに関西の同志社、神戸製鋼で風穴を開けて、日本最強のチームを作り上げたのが平尾選手だったのだけど、ワールドカップでは、その平尾選手でも、後には平尾監督でも、協会の意向を受けてだろうけど、大会前に大言壮語していた平尾率いる日本代表でも、勝てなかったのだ。それが、80年代からラグビーを見続けて密かに応援していた人間が、日本代表の試合の結果さえ気にできなくなった理由である。だから、あの絶望を乗り越えて、ラグビーを応援し続けてきたファンの熱意にも頭が下がる。

 この二大会の選手たちの頑張りを見てしまった以上は、これから日本代表の成績が低迷しても、チェコ代表が強くなってきても、ずっと日本代表を応援することになりそうだ。今回以上の成績を収めるために、まだまだ大変ないばらの道が続くのだろうけど、サッカーのワールドカップで、チェコ代表か日本代表が優勝するのよりは、ラグビーの日本代表が優勝するほうが想像できる気がする。いや、優勝を期待したくなるという方が正しいか。
 次のワールドカップはヨーロッパのフランスだというから、今回以上にたくさんの試合が見られることを期待したい。今回日本の試合をテレビで見られたのは2試合しかなかったし。
2019年10月21日17時。










2019年10月21日

チェコで渋滞(十月十九日)



 10月に入って気温が下がり、冬が近づいてきたということで、今週末自動車のタイヤの交換がてらうちのの実家に帰ることになった。土日とも午前中に移動するのでラグビーのワールドカップの準々決勝の試合が二試合しか見られなくなるのは残念だが、一週間先に回すと準決勝が二試合とも見られなくなるので、それよりはましである。
 9時ごろに出発して、10時半ごろにはタイヤ交換を任せているお店に着く予定だったのだが、あれこれあって、一時間近く遅れてしまった。予想外の渋滞にはまってしまったのである。チェコの誇る高速道路のプラハとブルノを結ぶD1は、改修工事が行なわれている関係もあって、ひんぱんに渋滞している(とは言え日本ほどではないと思うけど)印象があるけど、モラビアの田舎だと交通事故でもない限り渋滞になることはない。以前大雪の中立ち往生したバスの後で30分ぐらい待たされたことがあるけれども、それ以外は渋滞と呼べるものにはまったことはない。
 オロモウツから南モラビアに向かうルートでは、プシェロフの北側が工事中で、いつものルートを走ることができない。市内を通らず迂回するためのバイパスとして高速道路の延伸工事が行われているのだが、町の北側ではインターチェンジの工事で、鉄道の線路を越える跨線橋などの関係もあってややこしいことになっている。いつもよりは時間がかかったとは言え、ここはゆっくりでも車が流れていたから問題はないのだ。

 問題は、プシェロフを出た後、高速道路に入って現時点で終点のオトロコビツェで発生した。まず、ズリーンからオトロコビツェに向かう車が多かったせいか、高速を下りたところの信号がなかなか青にならず、我々の前にいた車の中には強引にUターンして高速に戻るものもあった。数分待たされてオトロコビツェに向かう道路に降りたときには、我々の後ろに車が何だいも並んでいた。
 降りてちょっと行ったところで路面の改修工事をしていて、二車線が一車線になっていたため、ジップ方式で合流するというのを初めて体験した。オトロコビツェとズリーンの間は、鉄道だけでなく、チェコでも珍しくなったとローリーバスが走っているのだが、いつもと違う車線を走っているせいでバスから電線に伸びている二本のポールの電線との接続部分が外れてしまう瞬間を目にしてしまった。
 外れたのは一本だけだったのだが、運行のためには二本接続していないとならないらしく、運転手が降りてきて、まずもう一本も外して屋根に収容していた。その後、工事区間を通り過ぎた後、本来の車線に戻ったら、また降りてきて、ポールを電線に接続させていた。この渋滞でよかったのは、このシーンを見られたことだけである。

 工事区間を過ぎても車の流れは一向に速くならず。いや逆に進まなくなった。高速の出口から、普段は遅くとも5分以内で到着するオトロコビツェの南側の交差点に50分近くかけて到着したときに、渋滞の根本的な原因を発見した。二車線の道路が一箇所一車線になっているぐらいで渋滞するほどチェコの土曜の交通量は多くないのだ。
 問題は、左折する車が入る車線が工事で通行止めになっていたことだった。そのため、真ん中の直進する車線に、直進と左折の車が並ぶことになり、右折の車線は車の数が少ないこともあって問題なく流れていたのだが、直進の車線がまったく進んでいなかった。それは、車線の変更をしたあとも、信号のタイミングをそのまま、直進が青の場合、左折は赤になり、左折が青の場合は、直進が赤になるという設定を変えなかったせいで、どちらかが青になっても最初の1、2台しか交差点を越えていけなかったのだ。直進と左折の車が交互に並んでいる感じだったしさ。
 我々の車が交差点の近くにたどり着いてあと3台ぐらいで渋滞を抜けられそうになったときに、後からパトカーが反対車線を走ってきて、警官が降りた。渋滞が高速道路の奥のほうまで伸びたせいか、信号を無視して警官が交通を制御することにしたようだ。とにかく、我々の車線にいた車を排除するために、「ここを空けないと大変なんだ」とかなんとか、他の方向に向かう車の運転手に大きな声で叫んでいた。

 その後は、いつものチェコの土曜日で、大した問題もなく目的地まで到着した。納得いかないのは、ラジオでチェスキー・ロズフラスを聞いていたのに、情報が流れなかったことだ。チェスキー・ロズフラスでは、「ゼレナー・ブルナ」という交通情報を頻繁に流していて、渋滞や迂回路の情報が手に入るのだけど、この日のオトロコビツェの渋滞に関しては全く情報が入らなかった。情報が流れていたら、終点のひとつ前の出口で降りていたはずなのだけどなあ。
 実は、オトロコビツェで工事のために交通規制が行われているのは知っていた。知っていたのだけど、週末のチェコの車の量を考えたら、大したことにはなるまいと油断していたのである。まさか、あんな渋滞しろといわんばかりの対応をしているとは思いもしなかった。油断大敵である。
2019年10月20日22時。











posted by olomoučan at 07:20| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2019年10月20日

オリンピックなんかやめてしまえ(十月十八日)



 IOCの議長だか委員長だかが、開催地の東京の意向も、開催国に日本の意向も確認することなく、勝手な決定をして、混乱を引き起こしているらしい。マラソンと競歩を札幌に持っていくというのだが、それで炎暑の中での大会の問題がなくなると考えているのなら浅はかとしか言いようがない。選手の健康が一番というのなら、夏の東京でオリンピックを開催すること自体がナンセンスなのだ。

 IOCという組織が腐敗しきった巨大な利権組織であることは知っていたが、鶴の一声ですべてが決まるような独裁組織だというのは知らなかった。それなのに、前回のオリンピックに際して、死病に冒されたチャースラフスカーの願いを聞き入れなかったこの委員長なる男に対する怒りは高まる一方である。こんなのに選手ために云々など抜かしても、信用はできない。いや、有力選手を抱えるスポンサーのためということか。今後、開催を目指す都市にとっては朗報かもしれない。これまでのように何十人ものIOC関係者を買収するよりも、トップ一人を買収すればいいことが明らかになったのだから。
 とまれ、こんなことが起こるのも、日本と言う国がなめられているからであろう。ちょっと強く言えば、多少の無理は唯々諾々と受け入れると思われているのだ。それは、日本という国の国民性でもあろうし、弱腰と批判されることの多い戦後の日本外交のもたらした結果だと言ってもいい。ラグビーのワールドカップのスコットランドが駄々をこねたのも、台風を知らない無知ゆえのおろかさに加えて、日本ならごねれば何とかなるという判断もあったはずだ。その判断が誤っていたことは、日本代表チームが勝つことで示した。

 では、今回、開催国の日本、開催都市の東京は何をするべきなのだろうか。それは、腐敗しきってそれを改善しようとする意思も見えないIOCにお灸をすえるようなことだろう。こんな信頼できない組織とはこれ以上仕事はできないとして、開催権を返上してしまえ。その上で、招致から開催準備、チケットの払い戻しまで、かかった経費をすべて計上してIOCに請求しよう。同時に損害賠償の裁判を起こすのも忘れてはいけない。韓国のまねをして日本国内の裁判所を使うのもいいかもしれない。
 同時に、IOCの腐敗を告発するとして、これまでの招致に際して、IOC関係者にばら撒いた賄賂、贈物などなどを、失敗した名古屋オリンピックなんかも含めて全部公開してしまえ。どうせ今回の東京オリンピック招致に関して責任者が贈賄の疑いで捜査の対象になっているんだから、因果を含めて全部引っかぶってもらえばいい。同時にIOC関係者が全員摘発されるように圧力をかけるのも忘れてはいけない。
 こういうのは、森元総理だと心もとないので、自民党どころか日本をぶっ壊しかけた小泉元総理に登板願って、「IOCをぶっ壊せ」を合言葉に暴れまわってもらうのがよさそうだ。IOCが自らの利益を求めるせいで、開催地の負担ばかりが大きい形でのオリンピックなどいつまでも続けて生けるわけがないのだから、どこかで誰かが警鐘の声をあげなければならない。その役をオリンピック大好きの日本が担うのも悪くない。戦争でもないのに、開催権返上ともなれば、IOCも問題を軽視することはできなくなるはずだ。

 ただ、4年に一度のオリンピックに向けて努力してきた選手たちのことを考えると、開催権を返上してオリンピックを行わないで済ませるのは申し訳ない。代替の大会を開くのも悪くない。オリンピックは一箇所で一時期に大量のスポーツを行うから開催地の負担も、住民に対する迷惑も含めて過大になるのだ。ならば、個々のスポーツの統括団体と協議の上で日本各地で分散開催するのも悪くない。日本ではさまざまなスポーツの世界選手権が行われてきているのだ。日本の各競技団体はそのノウハウを持っているわけだから、任せてしまえばいい。
 こんなことは世迷言で実現の可能性はまったくない。ただ、ラグビーのワールドカップのおかげで、日本人が日本人であることに誇りを持ち、国民としての一体感を感じている様子を見ると、やれるとすれば今しかないとも思う。そして、実現できる人がいるとすれば、マスコミ受けのいい日本史上最高の煽動政治家小泉元総理しかいない。

 オリンピックじゃなければ、テレビで中継を見ても、負けたと思わずに済むから、こちらの精神衛生上も悪くない。ハンドボールなんてオリンピックじゃなくても見てしまうわけだけど、オリンピックの競技として見ると、敗北感を隠せないのである。
2019年10月19日21時30分。










2019年10月19日

ゼマン大統領の健康問題(十月十七日)



 ゼマン大統領が、また入院したらしい。大統領府の発表では、以前から計画されていた健康診断のための入院だから、大統領が病気に倒れたというわけではないという。最近聞かなくなったけど「人間ドック」みたいな形での入院なのだろうか。10月28日にプラハ城で行なわれる国家式典、勲章の授与式に向けて体調を整えるための入院だという話も聞こえてきた。
 大統領の職務というものが激務で、大変なものであるのはわかるけれども、毎年行なわれている儀式のために入院して準備をしなければならないというのは、去年まではそんなニュースはなかったわけだし、健康に不安を感じさせる。最近は、テレビなどで、以前とは違った弱った姿を見せることが増えているだけに、なおさらである。

 思い返すと、二期目の大統領選挙の際に、大統領との関係は知らないが、ある医者が、ゼマン大統領は癌だと発言して問題になった。このときは、大統領側は、主治医の健康に問題はないと診断書を提出して、沈静化を図るとともに、その医師を虚偽の発言をして選挙の妨害をしたということで裁判に訴えるといっていたと思うのだが、続報が確認できなかったので、裁判になったのかもどんな判決が下りたのかもわからない。
 ただ、当時から、一期目の選挙のときとは違って、歩くのに杖が必要になっていたし、確実に年齢を重ねて体が弱っているのは明らかだった。問題になったのは、その時点での健康状態ではなく、5年という任期を全うできそうかということだったのだが、有権者は、問題なさそうだと判断して、ゼマン大統領に二期目の大統領の座を与えたのだった。

 今回の入院が、あれこれ憶測を呼んでいるのには、もう一つ理由があって、名前負けしているとしかいえないテレビ局のバランドフで毎週放送されている「大統領との一週間」という番組で、司会者のソウクプの質問に答えて、自らの「náhradník」について語ったらしい。これまでは、この件に関する質問にはかたくなに回答を拒否していたのに、どうしてだろうという疑問を、今回の入院と結びつけた結果、病状が悪化して「náhradník」が必要な状況になっているのではないかと憶測したようである。
 その憶測の正否はともかくとして、よくわからないのが「náhradník」が意味するところで、スポーツなら交代選手なのだけど、政治家、大統領の場合は、病気で執務ができなくなった場合の大統領代理になるのだろうか。それとも亡くなった場合の臨時大統領か。もしくは大統領職の後継者ということかもしれない。チェコでも憲法で大統領が倒れた場合、誰が代理をしたり、臨時の大統領を務めたりするかは決まっているはずで、ゼマン大統領が恣意的に選ぶことはできないはずだから、次の大統領選挙で選ばれる人という可能性が高いような気もする。
 その番組で、ゼマン大統領が上げた「náhradník」になる可能性がある人物は、一人は意外なことに労働組合のボスであるストシェドゥーラ氏で、もう一人は予想通りバビシュ首相だったという。バビシュ氏が首相を経て大統領になるという、クラウス氏、ゼマン氏の路線を狙っているのは、周知の事実だが、労働組合のストシェドゥーラ氏は政治的な野心を持っているのだろうか。

 それはともかく、この発言はゼマン大統領が、自らの大統領としての終わりが近づいていることを意識していることを示しているのかもしれない。ゼマン大統領が退場すると、本当の意味でポスト共産主義といわれた90年代が終わることになる。チェコの政界の問題は、この一時代の終焉に際してハベル、クラウス、ゼマンと続いたビロード革命で活躍した政治家に続く存在が育っていないことである。
 だから、バビシュ首相やオカムラ氏のような人物が実業界から政界に入っていきなり要職を占めることができるのだ。それは、チェコという国にとってあまりいいことではないだろう。また、クラウス以後の市民民主党、ゼマン以後の社会民主党が後継者を育てられなかったということでもある。ハベル大統領のように非政治家の大統領をと考えても、誰もが納得するような候補は存在しない。
 現状だと、対立候補として誰が立候補しても、バビシュ首相が当選するのは決まりのように見える。勝ち目があるとすれば根強い人気を誇るクラウス大統領の復帰ぐらいかなあ。それもできれば避けてほしいけどさ。
2019年10月18日23時。











2019年10月18日

中華スラビアの終わり?(十月十六日)



 ロシア語に堪能で、プーチン大統領とも個人的親しいらしいチェコのゼマン大統領は、ロシアよりの発言をすることで知られているが、同時にチェコ国内における中国政府の代弁者のように見えることもある。プラハと北京が姉妹都市の協定を結んだのにも、ゼマン大統領の意向があったはずだから、今回プラハ市が協定の見直しを求め、認められず破棄することを決めた件に関しても、中国よりの発言をしている。
 プラハ市長が、協定の、いわゆる一つの中国条項を問題にして削除しようとし始めた時点で、海賊党の政治的パフォーマンスだとか言って批判していたが、破棄の話が出てくると、チェコ中関係で何が起こってもおかしくないとか、何が起こってもプラハの責任だとか、お前どこの国の人間だよと言いたくなるような脅迫じみた発言をしていた。

 その脅迫の一環としてもらしたのが、今のままではスラビア・プラハのオーナーを務めている政府系の金融機関が撤退する可能性が高いというものだった。買収直後であれば、スラビアファンを喜ばせたに違いないこのニュースだが、現状を考えると、ファンの心理は微妙であろう。中国資本が手を出す前のスラビアは、破産寸前で成績もどん底に低迷していたのが、あれから数年でプルゼニュとチェコ最強チームの座を争い、チャンピオンズリーグの本戦に出場するまでになっているのである。
 一説によると、中国資本が手放す予定のスラビアを買収しようとしているのは、カタールの王族の一人らしい。ついに中東のオイルマネーがチェコのスポーツに流入する可能性が出てきたのだ。ハンドボールにつぎ込んでくれと思ってしまうのは、優勝チームさえ金銭的な理由で、ハンドボール版チャンピオンズリーグに参戦できない実態を知っているからである。今年は女子のモストが参戦しているから以前よりはましになってはいるのだけどさ。スポーツ間格差が大きすぎる。

 このゼマン情報に対して、スラビア側は具体的な発表は何もしておらず、つまり、肯定も否定もしていないのだが、ガセなら中国資本の代理人のトブルディークが即座に否定のコメントを出しそうなことを考えると、あってもおかしくない気はする。前のオーナー企業の社長が逮捕されたか何かで姿が見えなくなったという時点で、きな臭いものはあったし。

 それでもう少し情報を探してみたらあった。そのネット上の記事によると、中国資本が、ビジネスとしても最も成功を収めている中国からチェコへの投資であるにもかかわらずスラビアを手放そうとしているのは事実らしい。ただし、その理由は、ゼマン大統領が主張するようなプラハに対する復讐ではなく、以前から計画されていたものだという。
 その記事によると、中国側が問題にしているのは、スラビアを最初に買収した中国企業の社長が、実はゼマン大統領の経済顧問にも任命されていたのだけど、詐欺罪だったか、汚職だったかの廉で中国で逮捕されたことらしい。実は逮捕されたのかどうかも定かではなく、ゼマン大統領が中国を訪問したときにも、登場しなかったことで憶測が流れたのだったかな。その後、スラビアのオーナー企業を政府系の会社が引き継いだことで、恐らく粛清されたのだろうということになった。

 とまれ、そんな共産党政権によって排除されなければならなかった人物が主導したプロジェクトは、長く継続する気がなく、買い手が現れればすぐに手放す予定だったのかもしれない。買い手なしに手放して撤退するのは、ゼマン大統領の顔をつぶすことになるから避けていたということだろうか。そして、買い手として現れたのがカタールの王族というから、チェコとしては喜びにくい。
 もう十年以上前の話だが、アラブの王族がプラハに居を構えていて、金をばら撒いて未成年の女子を自宅に連れ込んであれこれよからぬことをしていたというので摘発されたことがある。同じ人物が来ることはないだろうけど、そういう先人がいると警戒してしまうものである。あの捕まったアラブの王族は、外交取引で国に帰ることが許されたんだったか。その後のことはニュースになっていないけど、無罪放免にはなっていないはずだ。

 イギリスのどケチオーナーから始まって、金満中華資本、オイルマネーとスラビアのオナーの変遷というのも、なかなか一筋縄では行かない。意外なことに金は出すけど口は出さない現在の中華オーナーって悪くないんだよなあ。口を出さないのではなくて、オーナー企業が変わったせいで、事情がわからなくて出せないだけかもしれないけど。
 チェコと中国の間では、他にもいくつかスポーツに関して協力を進めている。例の中国のアイスホッケーチームの話とかさ。いずれも中国の強化につながっているから、プラハに対する復讐なんてくだらない理由だけで中止ということにはならないだろう。ゼマン大統領はありえると言っているみたいだけど。
2019年10月17日20時。









2019年10月17日

「スラブ叙事詩の行方」(十月十五日)



 去年だったか一昨年だったか、日本に何十年ぶりかに貸し出され、話題を集めたあるフォンス・ムハの「スラブ叙事詩」は、現在プラハのどこかの倉庫に眠っている。日本から帰ってきた後、チェコスロバキア第一共和国独立記念行事の一環として、ブルノの国際展示場などで、展示が行われていたが、それが終わった後は、行き場がなくなり、巻き取られて倉庫に放り込まれた。プラハは依然として、ムハとの約束であった専用の展示会場を用意できていないのである。

 現時点では具体的な計画もできていないようで、このままではまた忘れられた作品になることを恐れたプラハ市では、5年と年限を切って、モラフスキー・クルムロフに貸し出す計画を立てていた。そのぐらいあれば専用の会場が準備できると踏んだのだろうが、5年どころか、最低でも7年はかかるだろうなんて声も漏れてきている。
 それで、なのかもしれないが、モラビアの果てに送るよりはプラハの内部にとどめたいと考え出した一派が出てきて、プラハ南部のズブラスラフにある城館に展示をしようという声も上がっている。問題は、ズブラスラフで展示の準備にかかる時間が2年ほどと、半年から1年と言っているモラフスキー・クルムロフより長いことと、旧貴族への資産返還の一環で個人所有になっているため、賃貸料を払わなければならないことのようである。クルムロフは当然、そんなものはいらないと言っている。

 担当者が代わると、引継ぎもろくにないまま、計画がひっくり返されることのあるチェコの役所の悪癖がまた出てきたということなのだろうが、市当局内にも、クルムロフ派、ズブラスラフ派があって、なかなか決められないようである。それどころか遺族も、プラハ嫌いで知られるジョン・ムハ氏はクルムロフを推し、別の孫娘はズブラスラフを推すという混沌とした状況にある。
 昨日の夜、たまたまテレビを付けたら、この件に関するレポートが放送されていて、プラハの両派の声を伝えていたのだが、クルムロフ派(と思しき)人が、市会議員に両方の城館の現状を視察させて、説明を受けた上で、議会の投票で決めるのが一番いいと語っていたのに対して、ズブラスラフ派の人が、「スラブ叙事詩」がクルムロフに行ったのは共産党の決定だったと語っていたのには、唖然としてしまった。悪いことは何でも共産党のせいにしておけば、何とかなるのがチェコだけど、それにしてもプラハ市の関係者としては無責任な発言である。

 今でこそ、チェコの至宝のように語られるムハの「スラブ叙事詩」だが、作品が完成した1920年代の終わりには、当時の芸術的志向が前衛芸術に向かっていたため、あまり高く評価されなかったようだ。だから、寄贈を受けたプラハ市も、専用の展示会場を建設するという約束を、ずるずると引き延ばし、なし崩しになかったことにしようとしていたのだろう。第二次世界大戦前の第一共和国の時代でさえ、建設されることはなく、チェコの文化財に指定されたのも実は2010年と最近のことである。
 戦災を避けるために巻き取られてどこかに隠され、戦後プラハ市内の小学校の倉庫に移された後は顧みられることなく放置され、朽ち果てるに任されたいた。ジョン氏は、母親に連れられてその倉庫に出向き、雨漏りの水をかぶり変色しカビが生え、ところどころ破れた作品を前に涙を流した母親の思い出を語っていた。これがあるから、ジョン氏は、プラハ市に展示するのを嫌がっているのだろう。

 そして、1950年代になって、モラフスキー・クルムロフの美術関係者が、再発見し、クルムロフに移して、修復作業を始めたのである。恐らく、共産党がクルムロフに移すことを決めたのではなく、クルムロフ側に許可を与えただけではないのか。共産党にとってはブルジョワの画家であるムハの作品をプラハで展示するのが許せなかっただけで、プラハ以外の地方であればどこでもよかったはずである。
 数年にわたる修復の後、モラフスキー・クルムロフで展示が始まるのが、1963年だったかな。それから少しずつ興味を引き始めて、確か70年代だったと思うけれども、作品の一部が日本に貸し出されて日本中のあちこちで展示が行われたらしい。そんな関係者の努力の果てに「スラブ叙事詩」は価値を高め、芸術的にも高く評価されるようになったのだ。それにプラハが気付いて返せと言い出したのもそれほど昔の話ではないはずだ。その裏に、2000年代に入ってモラフスキー・クルムロフの城館を買収したインヘバという会社の存在があるという話もある。プラハでの展示会場の候補となっていた産業宮殿を所有していたのもこの会社だという。
 とまれ、プラハの市議会で、まともな決定、つまりクルムロフ行きが決まることを願っておこう。
2019年10月16日12時。








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2019年10月16日

台風一過(十月十四日)



 日本に一体どれだけの被害をもたらすのだろうと恐れられた巨大台風が、日本を過ぎ去った。事前の報道では、犠牲者の数が8000人を超えるのではないかと予想されていて、心配しながらネット上での報道を確認していたのだが、最終的な犠牲者の数は100人以下となりそうで、洪水の被害も最悪の事態は避けられたといってよさそうだ。被害を受けた方々には申し訳ないけれども、被害が予想よりも少なかったことに安堵した。

 台風のよく来る九州の人間なので、台風に対する感覚が他の地域の人たちとはちょっと違うのかもしれないが、台風が来てしまったら、もうできることは祈ることぐらいしかないという感覚を持っている。幸いしたことはないけど、避難にしても、被害を減らすための対策にしても、台風が来る前にするべきことであって、来てしまってからでは危険極まりなく自殺するようなものである。
 たまに、台風が来てから、屋根に登って転落する事故や、外に出て川に流される事故が起こったりしていた。犠牲になった人に対しては痛ましいという気持ちは持ったけれども、同時にどうしてそんな馬鹿なことをしたんだと思ったのも否定できない。学校でも、そういうことが起こったというのを子供たちに話して、教訓にしていた。

 昔は天気予報が、天気予想と揶揄されるレベルの外れっぷりだったから、天気予報に基づいて雨や風が激しくなる前に、臨時休校にしたり、短縮授業にしたりしても、台風がそれたり急に勢力を失ったりして、それほど雨が降らなかったこともままあったけれども、本当に直撃して雨戸を閉めてぎしぎしと音を建てる家の中で、台風が過ぎるのを待つしかなかったこともある。強風で屋根瓦がずれて雨漏りしたなんてこともあったかな。
 高校のときは、県全体の高校の代表を集めたイベントに出かけたら、台風が近づいてきて、ぎりぎりで戻って来られたなんてこともあった。翌日上陸されて土砂崩れで鉄道と道路が通行止めになったために、もう日程の関係で一日残っていた連中は、すぐには戻って来られなかった。土砂崩れがなくても暴風で鉄道が運行できなかった可能性も高いけど、台風が来てしまってからではできることはないのだ。

 そんな経験をしてきた人間からすると、台風一過後のマスコミの報道には理解できないことが多い。被害が予想よりも少なかったことに安堵するような発言をした自民党の政治家が袋叩きにあっているみたいだが、言葉の選択の良し悪しはあるにしても、政治家としては正しい発言ではないのか。個人として正しいことが、政治家として正しいとは限らない。
 政治家に求められるのは、起きてしまった災害を分析して、次への対策に結びつけることだ。身内が犠牲になっていようと、関係者が犠牲になっていようと、責任ある地位に就いた政治家には、悲しみに浸る権利などない。特に今回のような治水の想定を越えるような台風が来た場合には、復興の計画や実行に加えて、更なる洪水対策をどうするのかが大切になる。そのためにこそ、政治家は税金で飼われているのではないのか。

 もちろん、言葉の選択は最悪だったから、災害を受けた人が不快に感じるのは理解できるし、非難の声を上げたとしても当然であろう。ただ、同じ政治家であるはずの野党が鬼の首を取ったように大騒ぎするのは、望まれもしないのに無理やり被害を受けた人側に立とうとしているようにしか見えない。日本の政治史上最高のポピュリストだった小泉首相の成功以来、その手法を真似て民主党が政権を取って以来、日本の政治はパフォーマンスに堕してしまったからなあ。ここを書入れ時とばかりに、お祭り騒ぎしているマスコミも、同罪である。
 東京が台風に対して脆弱だったとかいう記事も見かけたが、思わず正気を疑ってしまった。東京が脆弱だったら、脆弱ではない都市など世界中のどこにも存在しない。脆弱だったとしたら、台風を舐めていた都会の人々の頭の中であって、批判するのであれば、行政ではなく、自分だけは大丈夫だと考えてしまうメンタリティであろう。
 そして、小泉政権以来の公共事業=悪、ダム=悪というマスコミも巻き込んだ、もしくはマスコミが巻き込んだキャンペーンが、本当に正しかったのか、部分的に正しかったのは確かだろうけれども、あそこまでやる必要があったのかどうかは検証しておかなければなるまい。公共事業で食っていた地方の土建屋がいじめられて数を減らし余裕を失っているのも、災害対策や復旧工事がなかなか進まなくなっている原因のような気がする。

 落としどころが見えなくなって迷走。不快に感じられる方がいたらお詫びする。
2019年10月15日25時30分。











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2019年10月15日

日本代表すごい(十月十三日)



 チェコではこの日、競馬の伝統的な障害レース「ベルカー・パルドゥビツカー」が行われたため、ラグビーの試合は、チェコテレビでは1試合も中継されなかった。最後の日本―スコットランドだけはネット上で中継してくれたので、昼食後にテレビを消してPCで視聴した。何度か画面が止まってしまうことはあったが、何とか最後まで見通せた。
 こういう試合を見せられて何を言えばいいのだろう。特に前半、相手に先制されてからは、見ているこちらの手が震えてしまうような感動を覚えた。アイルランドとの試合もすごかったけど、この試合の前半はさらにその上を行っていた。現時点でこの大会全チームを通じて最高のプレーだったのではないだろうか。後半4トライ目が決まった時点で、ボーナスポイントを確保したことにちょっと安心したようなところが見えて、相手に連続トライを許した後、守備を立て直して最後まで耐えきったのもすごかった。

 4年前の大会で見た日本の強さは、本当に信じていいのか不安だったけど、今回の強さは本物だった。開催国で環境になれているとか、日程が有利だとかいう話も、アイルランド戦とこの日のプレーの前には全く意味を持たなくなる。チェコテレビの解説者も、大会前は日本がここまでやるとは思っていなかったと脱帽のコメントを残していた。
 この解説者、すでにアイルランドとの試合の後に、試合前はサモアのほうを上に評価していて、勝ち抜けはアイルランドとスコットランドで決まりだと断言していたことに対して、日本チームに謝らなければいけないなんて言っていたのかな。4年前の南アフリカに勝った試合、今大会前の南アフリカとの試合で負けはしたけどボール保持などの統計上は互角以上の戦いだったことを紹介してなお、日本の勝ち抜けはないと見ていたわけだから、日本代表の大会前の評価なんてそんなものだったのだ。

 今日の試合、試合だけでなく大会を通して評価を挙げたのが日本代表だとするなら、株を落としたのがスコットランドだった。試合が始まってそれほど時間が経っていなかったと思うのだが、解説者がスコットランドのプレーを評して、ロシアとサモアには大勝したけれども、そのプレーに見るべきところはなかったと批判していた。それに、明らかな反則を犯しているのに、審判の判定にクレームを付けたり、何で反則になったかわからないというそぶりを見せたりしていたのを、敗戦のための最善の方法だとまで酷評していた。
 後半スコットランドが追い上げたのを称賛している人も多いけど、あれはラフプレーを審判が見逃してくれたおかげという面もかなりある。カード物のシーンが2つはあったし、反則じゃないのかそれというのもいくつかあった。審判としても、カードを出したりして試合の結果を左右したと言われたくなかったのだろうなあ。そんなのがあってなお、きっちり勝ち切って白黒つけたのだから、今の代表すごいわ。アイルランドとの試合のように前半のテンションで後半まで行けていたらとも思わなくもないけど、それは次の試合の楽しみということにしておこう。

 スコットランド側の試合前の言動にはあれこれ批判も出ているようだが、問題点は二つある。一つは、ヨーロッパの人たちの自然観、自然に対する敬虔さ、畏怖する気持ちのない自然観が如実に表れていたことだ。台風や地震と共に生きてきた日本人なら、自然相手にはどうしようもないことなどいくらでもあることを知っている。だから、台風のせいで、開催のために全力を尽くしたうえで、試合が開催できないと言われれば、あきらめるしかないことが理解できる。
 それに対して、ヨーロッパの連中にとって、自然というものは征服するもので、保護するものでしかない。言い換えれば人間の手でどうにでもできると思っている。だから、あんな駄々っ子のように開催を求める恥知らずな主張をするのだ。試合が行われることが決まったときには感謝の言葉を述べたらしいが、正直形だけのものにしか響かない。

 スコットランドの監督、協会関係者があの巨大台風が通過し大量の雨が降った直後に試合が行われたことのすごさを本当に理解しているとも思えない。あのレベルの雨が降ったらヨーロッパのほとんどの都市は壊滅状態に陥るに違いない。チェコでは伝説的に語られる2002年のプラハの大洪水だが、あの時の雨量は日本なら毎年何度も降るような量でしかなかった。当時はニュースで雨量を見ても、雨の映像を見ても、何でこれで洪水が起こるのかさっぱり理解できなかったし。
 とまれ、こんな人間が自然を支配する的な自然観のヨーロッパが中心となって推し進めている現在の世界的な環境保護のブームが日本人の心に響かないのも当然である。今のところ口ばっかできれいごとしか言えない環境大臣には、その辺をきっちり発信してもらいたいところだ。ヨーロッパへの迎合と追従はやめて、日本的な、自然を保護するではなく、自然と共存するような政策を目指してもらいたい。現状では期待薄だけど。

 話を戻そう。もう一つの問題は、ラグビーというスポーツの暗部である差別である。戦績に基づいて代表チームをティア1とか2とかに分けているのはいいとしても、問題は、伝統国を保護するためなのか入れ替わりがないことである。これはもうラグビーというスポーツがイギリスの外に出た時点から続く差別の伝統としか言いようがない。その結果、伝統国は非伝統国を見下して、相手を褒める場合でも、気づかぬうちに上からえらそうなほめ方をする。敗退の瀬戸際に立たされたスコットランドの発言にその日本などの格下チームに対する差別意識が図らずも現れたのが今回の一連の発言なのだろう。
 今回の日本大会は、ラグビーの光の面が大きく取り上げられて賞賛を集めているわけだが、影の面も指摘しないと片手落ちというものである。ワールドカップにおける日程で伝統国が優遇されて非伝統国が割を食う伝統については、すでにフィジーかどこかが批判して久しい。それを放置して特権に胡坐をかいてきたスコットランドが日程を批判するのは天に唾するようなものである。今大会に関して日程に不利のある非伝統国が、事前にわかっていたことだと批判の声を挙げないことが、かえって伝統国の自分勝手な差別意識を浮き彫りにしたのは皮肉である。

 今後の日本代表の課題は、好成績を上げ続けてティア1の仲間に入ることではなく、1と2の壁を壊すことだろう。そうでもしないと、ラグビーという、ただでさえプレーするのが大変なスポーツのこれ以上の発展はない。アイスホッケーと同じく一部の選ばれた国だけの閉鎖的なスポーツになってしまいそうである。見るほうにとっては、それでもいいと言えばいいんだけどね。
2019年10月13日24時。









2019年10月14日

神とのお別れ(十月十二日)



 金曜日にジョフィーン宮殿で行われた一般のファンのためのお別れに集まった人の数は、予想よりも少なく5万人だった。考えてみれば、午前8時から午後10時という14時間の間に、訪れた人、それぞれが発議の前まで進んで、お祈りをして出てくるわけだから、最初から30万という数は無理だったのだ。14時間で5万秒強にしかならないことを考えると、5万人という数字は、限界と言っていい。
 それだけの人がプラハに集まっただけでなく、チェコ各地で追悼のための場所が設置され、蝋燭や花束をささげるためにたくさんの人が集まっていた。プラハのスミーホフにあるゴットの邸宅の前の道路は、この十日ほどの間に人々が持ち寄った追悼のための蝋燭であふれかえっている。プラハ市の清掃局では日曜日まではこのままにしておき、月曜日に改修して一定期間保管するという。ハベル大統領のときには、人々が持ち寄ったろうそくを使って芸術家が追悼のための作品を作ると言っていたけど、今回はどうなるのだろうか。

 金曜日のジョフィーンで騒ぎを起したのが、最近運輸大臣に就任したクレムリーク氏である。公用車で会場に乗りつけ、大臣の特権だかなんだか知らないけど、並んでいる人を無視して会場に入り追悼の意を捧げたらしい。これにはバビシュ首相もお冠で、大臣で土曜日の追悼のミサに出席できるのに何でバカなことをするんだと批判していた。本人は、ゴットのファンであることを主張してどうしてもここに来たかったと述べていたが、ならば仕事を調整して行列に並べばよかったのだ。ゴットにかこつけて人気取りをしようとしているだけだと批判している政治家もいたけど、その辺は五十歩百歩というよりは、目くそ鼻くその世界である。
 夜のニュースでは、ゴットと仕事をしたことのある若手歌手ということで、ブルゾボハティーがコメントを求められて、この事件を念頭に、政治家を揶揄するような発言をしていた。しかし、こいつもわかっていない。ゴットは自らの存在の大きさ、影響力の大きさを自覚して、政治的な発言は避けていたのだ。追悼する側が、ゴットに絡めて政治的な発言をするのもなしである。

 さて、本日土曜日は、政府によって国全体が喪に服す日と定められており、官公庁に掲揚された国旗やEUの旗などは半旗にされている。スポーツなどのイベントは主催者次第ということだったが、大半は予定通り開催し、開始前に1分の黙祷、もしくは拍手をゴットに捧げていた。この国全体が喪に服すというのはハベル大統領の葬儀以来のことで、ここにもゴットのチェコにおける存在の大きさが見て取れる。ちなみに、個人の葬儀だけでなく、2001年のアメリカで起こったテロの際、2011年の東日本大震災の際にも適用されている。

 ミサの会場となるプラハ城の入り口の前には、早朝から人々が集まり、入り口の開く8時にはすでに40人ぐらいのファンが並んでいた。聖ビート大聖堂枠の中庭でミサの様子を見るためにいい場所をとるために行列したということか。プラハ城前の広場でもミサの様子はプロジェクターで見ることができるはずだけど、ファン心理としてはできるだけ近いところで見送りたいというのもあったのだろう。こちらなら、棺を載せた車が出て行くのも見送れるはずである。
 プラハまで出かけられない人のために、チェコテレビが、ニュースチャンネルの24だけでなく、1でも中継してくれた。夜のニュースによると、二つのチャンネル合わせて100万人以上の人が視聴していたという。それに実は民放のノバも中継していて、ゴットのファンの中にはチェコテレビよりもノバを見そうな層も多いことを考えると、3チャンネル合わせて300万人を越えていたとしても驚きはない。全人口の約3分の1がテレビを通してゴットを見送ったのである。

 ミサの参加者の中には、スロバキアの首相のペリグリーニ氏もいて、チャプトバー大統領は出席はしなかったけれども花輪を真っ先に贈ってきていた。政治家枠で参列した人の人選は、国葬なので政府によるのだろうが、それ以外は遺族が人選して招待したようだ。当然、歌手や俳優などの芸能界の関係者が多く、代表してハベル大統領夫人と、カルロビ・バリ映画際の実行委員長である俳優のバルトシュカが二人で挨拶をし、弔辞を担当したのは親友と言ってもいいボフダロバーだった。
 ボフダロバーによると、自分の方が八つも年上だから、死んだら葬式で弔辞を述べるのをゴットに頼んで引き受けてもらっていたらしい。それが今回この役割を引き受けた理由で、ゴットがただ一つ約束を破ったのが、このボフダロバーの葬儀で弔辞を述べる件だったという。その代わりに天国で私の席をちゃんと準備しておけよと呼びかけて、ボフダロバーの言葉は終わった。なかなか感動的で、共産主義の時代を生き延びた人たちの間にある連帯感と言うものを感じさせられた。

 共産主義時代のチェコスロバキアの人々の心を支えたゴットが亡くなったことで、ポスト共産主義と言われた時代も終わるのかもしれない。神を失ったチェコの今後がどちらに向かうのか、チェコに住むものとしても気になるところである。
2019年10月12日25時。









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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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