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2020年08月24日

校歌斉唱

私の学校では、始業式の最後に校歌を歌う。
かつて私が通った学校では、一番だけとか一番と三番だけを歌う、というスタイルだったが、今の学校では、フルで歌うのである。

校歌は、学校の顔。
在校生にとっては誇り。
卒業後も忘れない、魂に刻まれるものである。

今日は始業式であった。
久しぶりに全校生徒が集まった。いよいよ二学期が始まる。

一切の休校をしていないので、例年通りの学期始まり。
近隣の学校はすでに学校が始まっている。

校歌を一緒に歌いながら、ふと考えた。
全国の学校、学期の初めにどれだけの学校が校歌を歌えているのだろうか。

これまで『当たり前』であったことが、『当たり前でない』世の中になった。

今年入学してきた中学一年生。
ほぼ100%、卒業式で校歌を歌っていない。
放送で流れただけだろうが、悲しい卒業式だ。
保護者も在校生も参列しない、形ばかりの卒業式だったという。

アメリカの国力低下と、大統領でトランプを再選させないためとはいえ、中国共産党は、とんでもないウイルスをばらまいたものだ。

今でも私は、小学校、中学校、高校の校歌を歌うことができる。

音楽の授業で歌うときは、フェイスシールドをつけるのだろうか…。

なんとも不自由な世の中になった。

先日テレビを見ていたら、ある小学6年生が、「行事がすべてなくなった勉強ばかりの学校はつまらない。」と、地域で署名活動を始めたことが取り上げられていた。

確かに、学校から授業以外の行事や集団活動を取り除いたら、学校としての機能は三分の一くらいになってしまいそうだ。

その小学生は、「最後の小学校時代がつまらなくなってしまったので、僕たちにもう一回小学6年生をやらせてください」、というものだった。

この発想にはびっくりした。

休校ばかりで大して勉強もせずに、学齢だけで卒業させてしまった彼らが、大人になったとき、ゆとり世代以上のダメージを日本社会に与えてしまうことになるだろう。

その責任は、国家の政治にある。

卒業後、何年経とうとも、堂々と校歌を歌える国民でありたい…。
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