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2020年01月11日

江戸時代の経済成長 何故可能だったのか




 




 江戸時代の経済成長 何故可能だったのか

              〜JBpress 1/11(土) 6:00配信〜


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                東海道中膝栗毛

 過つては江戸時代の経済事情に付いて「低成長で、農民が領主に搾取された時代」と云った歴史観が私達の間で共有されて居ました。
 その遠因は、第二次世界大戦での敗戦にありました。日本が戦争に負けたのは、民主主義国では無く、欧米と比較して封建的だったからであり、その原因を遡(さかのぼ)れば江戸時代に鎖国をして開明的に為れ無かったからだ、と云う考えが戦後一般に広がったのです。

 しかし現在では、江戸時代にもそれ為りの経済成長があった事が判って居ます。ソモソモ産業革命を迎えたヨーロッパがそれ以降、急激に成長したと云う事であって、ヨーロッパと比べれば日本の経済成長率は相対的に低かったかも知れませんが、足下を見れば十分な成長を実現して居たと考えるべきなのです。では、江戸時代の経済成長とは、一体どう云うものだったのでしょうか。

 戦乱が無く為り官僚化した武士達
 
 戦国時代は全国で多数の戦いが繰り広げられて来ました。しかし江戸幕府が開かれると一転、日本は戦乱の無い時代に入ります。更には、国を閉じる「鎖国」を選びました。
 戦国時代の日本は、世界有数の軍事国家でした。1575年の長篠の合戦においては、過つては「3000丁もの鉄砲が使われた」とされて居ましたが、最近ではその数字は1000丁へと下方修正されて居ます。だとしても、長篠の合戦は世界的に観て最大規模の銃器が使用された戦争でした。

 処が江戸時代に為り戦争が無く為り、ヤガテ鎖国政策が執られる様に為ると、軍事産業が大きく縮小する事に為ります。朝鮮への侵略に失敗して居る事もあり、国外に新たな領土を求めて戦争を仕掛ける事も無く為ります。
 戦争が無く為ると、軍人としての武士は不要に為ります。江戸時代の武士は理念としては軍人でしたが、現実には官僚でした。彼等は、給料に当たる石高が固定されて居たので所得は増えません。しかも、官僚としての武士は多過ぎでした。

 そこで、一つの仕事が複数の武士によって分割される事に為ります。一種のワークシェアリンクです。例えば江戸町奉行は北町と南町に分けられ、毎月担当が変わりました。これは権力集中を排除する目的もありましたが、実は失業対策でもあったと考えられて居ます。
 武士とは対照的に、農民や商人の所得は増えました。公的には、江戸時代を通じて石高は一定でした。しかし現実には江戸時代最初の一世紀は、新田開発が奨励され、農地は増大します。更に各地で特産物も栽培される様に為ります。

 その上、江戸時代当初は「二公一民」収穫の3分の2が領主、3分の1が農民だった年貢が、1700年頃には、実質的に「一公二民」に為ります。年貢の負担が減った訳です。
 こうして農民は豊かに為り、彼等の可処分所得も増加しました。農民だけでは無く、職人や商人の所得水準も上昇し、消費財を購入出来る様に為りました。新田開発により食糧増産が実現すると、人口も爆発的に増えて行きます。江戸時代の初めに1700万人程だった人口も3000万人に達しました。

 しかし1700年頃には新田開発は抑制される様に為ると人口も増え無く為りました。江戸時代の人口成長は最初の1世紀でピークに達し、それ以降、余り成長し無く為ったのです。では、この様な状況は江戸の日本経済にどう云う変化をもたらしたのでしょうか。

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               江地庶民の暮らし 長屋

 江戸時代 幕府は海外事情に疎かったのか? 

 それを論じる前に、ココで江戸幕府の情報収集能力に付いて述べてみます。15世紀、独立国であった琉球は、ジャンク船を駆使して東南アジア諸国との貿易を積極的に行って居ました。そのルートを利用し、16世紀後半には日本人が東南アジアに進出し、各地に南洋日本町を作ります。
 詰まり戦国時代の日本人はアジアに積極的に出て行って居り、日本人は海外の情勢に付いて可成りの知識を持って居ました。

 それは江戸時代に為っても同じでした。「鎖国」状態に為りはしましたが、幕府は海外との公式ルートを僅かに残して居ました。そのルートとは、長崎の出島・対馬藩・琉球・蝦夷の松前藩の四つに限定し、此処を通じて海外諸国と遣り取りをしました。現代ではこれらの地を総称し「四つの口」と呼ばれて居ます。
 詰まり「鎖国」とは言いつつも、当時の日本の実態は完全に国を閉ざした訳では無く、当時のアジアで好く見られた様な「海禁政策」詰まり民間の自由な貿易を禁じ、国家が貿易を管理する体制だったと云うのが現在の学説です。江戸幕府は、これ等「四つの口」を通じて、外国の情報を入手して居ました。

 例えば朝鮮通信使は、江戸時代に日本を12回訪れて居ます。幕府は、彼等から海外の情報を入手して居ました。又対馬藩は、現在の釜山市に倭館を置き交易を行いました。更に幕府は、オランダ船が平戸に入港する度に「オランダ風説書」を提出させ、海外の情報を入手して居たのです。政策的には鎖国を続けましたが、だからと云って海外事情に疎い訳では無かった様です。







 銀の大量流出

 過つて、日本は、貴金属資源に富んだ国でした。マルコ・ポーロが、日本を「黄金の国」と呼んだ事は広く知られて居ます。貴金属の中でも最も重要だったのがで、当時の日本は主要な銀産出国でした。
 17世紀前半の日本の銀産出高は、世界の三分の一を占めて居たと云う説さえあります。この当時、南米の銀輸出量が可成り多かったのですが、日本の輸出量もそれと匹敵する程だったとされます。

 当時の日本の貿易収支は赤字でした。それを補填する為、日本は銀を輸出せざるを得ませんでした。その銀は、長崎、対馬、琉球のルートを通じて中国に輸出されます。中国では税制として地丁銀制が採用されて居ましたので、銀の需要が大きかったのです。
 日本の銀輸出に関する研究者として著名な小葉田淳氏は、日本からの銀輸出量を、毎年約2万キログラムと推計して居ます。

 17世紀の日本が銀と引き換えに中国から輸入して居たのは、綿、砂糖、生糸、茶などです。この貿易、日本に大量の銀がある内は問題無かったのですが、余りに大量の銀が流出するので、国内で使用する銀が不足する様に為って来ました。そこで、幕府は、銀の流出回避を検討します。
 しかし、有力な輸出商品を持た無い日本にそれは難しい相談でした。そこで、勘定奉行だった荻原重秀(1658〜1713)は、1695年、貨幣の純分を落とします。そうする事で、より多くの貨幣が鋳造出来る様に為ったので通貨供給量は増加しました。

 これは、生産量が増大して居た江戸の経済に取っては大きなプラスに為りました。経済成長に見合うだけの通貨を供給出来る様に為ったからです。しかしその一方で、アジアでの日本銀貨の評判は急落します。
 そこで新井白石(1657〜1725)は、再び銀貨の質を良くします。すると今度は通貨供給量が減り、デフレと為りました。但し、海外での日本銀貨の評判は上がります。しかし長期的に見れば、国内の金山や銀山の産出量は大きく減少し、1750年頃には、金や銀の海外流出は完全にストップします。この時、日本経済は大転換を余儀無くされました。

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                  幕末の飛脚

 銀の産出減が促した輸入代替産業の発展

 銀輸出が減少し、海外からの輸入が難しく為ると、日本は、中国から輸入されて居た綿、砂糖、生糸、茶、更に朝鮮から輸入されて居た朝鮮人参を国内で製造せざるを得無く為りました。即ち、輸入代替産業が発展したのです。
 只困った事に、鎖国の為、中国の技術者を招聘して直接製造方法を教わる事は出来ません。吉宗の時代(在位1716〜45)に外国書の輸入禁止が緩められたので、日本では中国から書物を輸入し、独学でこれ等の作物を栽培しようと云う機運が盛り上がります。

 しかし書物を頼りに技術を学ぶには多くの時間が必要です。しかも日本の気候も、これ等の商品の栽培には適して居ませんでした。それでも日本は徐々にではありますが、綿、砂糖、生糸、茶、朝鮮人参の国産化=輸入代替に成功して行きました。
 実際、朝鮮人参の国産化により、朝鮮との貿易は大きく減少します。日本は、朝鮮との貿易赤字は無く為って行ったものと推測されます。
 明治に為ると綿、砂糖、生糸、茶は、日本の主要な輸出品に為ります。江戸時代、銀産出量減少に伴い、止む無く国産化に取り組んだ事で、結果的に日本は重要な輸出品を獲得する事が出来たのです。








 江戸時代、武士の生活水準は上がらず、庶民は上昇して居た

 サテ江戸時代の庶民の暮らし振りですが、江戸時代初期には小作農は極めて貧しく、食うや食わずの生活をして居ました。明治維新の時点でも貧しかったのは事実ですが、生活水準は過つて比べれば随分上昇していました。
 これは前述の様に実質的な年貢が減少した事に加え、農業器具の改善により農業生産高が大きく上昇した事も関係して居ます。農業の転換点は1680年代から1710年代に掛けて、将軍で言えば五代将軍・綱吉から八代将軍・吉宗の治世に掛けての事でした。

 この頃農民は市場向けの新しい野菜を栽培し始める様に為ります。これにより市場経済の形成が強く促され、その為日本人の栄養状態は良く為ります。江戸時代終わり迄に平均寿命が5.6歳延びたのです。一方で、武士の生活水準は余り上昇しませんでした。武士の俸給は相変わらず固定されて居た為、彼等の可処分所得は余り増え無かったのです。
 処で、江戸時代には、享保・寛政・天保の三大改革がありました。その内成功したのは、吉宗の時代の享保の改革だけです。それは、享保の改革は殖産興業政策をしたのに対し、後の二つは質素倹約を押し付けたに過ぎ無かったからです。経済を成長させ様と云う意識が無かったことは致命的な問題でした。

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               佐渡鉱山のスケッチ 

 庶民の所得が増加すると、身分の高い人だけに許されて居た贅沢な衣類を低い人達も着る様に為ります。庶民は、より多くの消費財を購入する様に為りました。これも産業の振興を促しました。
 只、日本の経済成長は、手工業で生産される消費財に基盤を置いたものであり、ヨーロッパの様に蒸気を用いた機械によって消費財を大量に生産すると云う事はありませんでした。ここに、江戸時代の日本の経済成長の限界があった事は否定出来ません。

 ですが、江戸時代は、明治以降の経済成長の前提条件を作った事も事実です。綿、砂糖、生糸、茶を国内で生産する事が無かったら、明治を迎えた時の日本には外国に輸出出来る商品は殆ど在りませんでした。日本は江戸時代の内に、欧米経済に追い付く事が出来るだけの潜在力を付けて居た、と見る事も出来るのです。


              玉木 俊明     以上






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世界中で億万長者が増大して居る 2020年も世界経済の拡大は続く 橘玲




 




 [2020年の予想]

 国家主体の旧来の「世界経済」とは異なる巨大なグローバル市場により世界中で億万長者が増大して居る 2020年も世界経済の拡大は続く

          〜ダイヤモンド・ザイ 【橘玲の日々刻々】1/10(金) 21:00配信〜


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                   橘 玲 氏

 「今年はドンな年に為るのだろうか?」と云う予想を毎年書いて居る。去年の予想はその後『上級国民/下級国民』(小学館新書)としてマトメ、幸い多くの読者を得る事が出来た。
 米中の「貿易戦争」は1年以上前から懸念されて居り、昨年はそれが現実化したが、ニューヨーク株価は2万3500ドルから「史上最高値」の2万8500ドルへと20%上昇した。

 トランプが大統領に就任した2016年末は、1万9000万ドルだったから、3年間で50%近く株価が上がった事に為る。「コンなのが大統領に為ったら世界経済は崩壊する」と云う悲観論が間違って居た事は明らかで、楽観論に賭けた投資家は充分な果実を受け取った事に為る。
 とは言え、ここで指摘して置か無くては為ら無いのは、1980年のニューヨーク株価は1000ドルで、それが20年後の2000年に10倍の1万ドルに為った事だ。長期的には同じペースで株式市場が成長するとすれば、2020年の株価は10万ドルに為って居る筈だが、実際にはその3分の1にも届か無い。ローレンス・サマーズが「長期停滞論」を唱えて居る様に、株式の収益率は明らかに下がって来ている。

 だとしたら今年はどう為るのか?ココでは緊迫する中東情勢等個別の話は専門家に任せ「予想」の背景に有る世界認識に付いて書いてみたい。それは「トランプだから株価が上昇した」では無く「誰が大統領でも株価は上昇した」と云う話だ。








 専門家の予想はチンパンジーがダーツを投げるのと同じ位好い加減


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 スティーブン・ピンカーの話題作Enlightenment Now・今こそ啓蒙をが『21世紀の啓蒙 理性、科学、ヒューマニズム、進歩』(草思社)として昨年末に刊行されたが、その中で「当たる予測と外れる予測では何が違うのか? 」と云う興味深い研究が紹介されて居る。
 心理学者のフィリップ・テトロックは、1980年から2000年に掛けての20年間に様々な専門家の2万8000件近くの予測を集めた・・・どの質問も明確な結果と期限を設け、回答は発生確率等の数字で答えさせた。その結果はと云うと、専門家の成績はチンパンジーがダーツを投げるのと同じ位好い加減だった。

 専門家による経済予測や株価予測が当てズッポウと変わら無い事は繰り返し示されて居るから、これだけなら何も驚く事はない。但し専門家はこのファクトを簸(ひ)た隠しにして居るので、知ら無い人が居るかも知れないが。重要なのは、テトロックが心理学者のバーバラ・メラーズと組んで2011〜15年に掛けて行なった追加調査だ。
 ここで2人は、数千人(最終的には2万人)の自称・他称の専門家を募り、情報先端研究計画局・IARPAアメリカ国家情報長官室直属の研究組織が主催する予測トーナメントに参加して貰った。するとその中に、何れのトーナメントにおいても並外れた予測力を持つ「超予測者」が居る事を発見したのだ。

 この「超予測者」は、学識者は勿論機密情報にアクセス出来る諜報員・衆合知を集計する予測先物市場をも凌ぐ「理論上の最高レベルに迫る」結果を出した。
 と云っても、彼らの予測の効果は1年先迄で、5年先に為るとサルのダーツ投げと変わら無く為った。「超予測者」とは一体何者なのか?その話をする前に先ず「ダメ予測者」を見て置こう。この人達は「専門家」を名乗っては居るものの、その予測はダーツ投げをするサルにも劣ったのだ。

 当てズッポウより精度の低い予測しか出来ない「専門家」が居るなんて、信じ難いと思うだろう。何故こんな恥ずかしい事に為るかと云うと、彼等が「何等かの思想信条に固執し、それを見当違いの自信に結び付けて居る」からだった。日本でも、以下の記述に当て嵌まる専門家や知識人が何人も思い浮かぶのではないだだろうか。

 「彼等ダメ予測者は、複雑な問題に出会うと好みの因果関係の型に嵌め込もうとし、上手く嵌ら無ければ無関係で不要なものとして切り捨ててしまう。曖昧な答えに我慢が為らず、自分の分析を限界迄、或いはそれ以上に推し進めるし『さらに』『その上』と理由を重ねて、自分が正しく他の人々が間違って居る事を強調しようとする。その挙句、驚く程自信満々に為り『そんな事は有り得ない』とか『これは確実です』等と断言し勝ちに為る」

 「ダメ予測者」はメディアに好く登場し、ネットでも攻撃的な論説を展開する著名人だ。その結果「有名で有れば有る程、又内容が彼等の専門に近いもので有れば有る程予測精度が低かった」と云う悲惨な事に為ってしまうのだ。

 日本には過つて「リフレ派」と呼ばれる経済専門家が居て「デフレは日銀がマネーサプライを増やさ無いからだ」とか「大胆な金融緩和をすればマイルドなインフレが実現して日本経済は回復する」等自信満々で新奇な経済政策を説き、懐疑的な経済学者に罵詈雑言を浴びせて居た。
 処が黒田日銀が「2年・2倍・2%」の異次元金融緩和に踏み切ってから8年経っても物価は全く上がら無い。当初、マネタリーベースは2倍の260兆円を目標にしたが、現在はその更に倍の500兆円と云う異常な額に為って居る。極めて党派的な彼等の予測は見事に外れたが、それは正に「予測通り」と云う事に為る。







 「超予測者」は暗黙裡にベイズ推定を使う「ベイジアン」
 
 「超予測者」と云うのは、要するに「ダメ予測者」の逆の事をする人達だ。「彼等超予測者は、出来るだけ多くの情報源から出来るだけ多くの情報を集めた。そして考える時には『しかし・でも・とは言え・その一方』と云った転換語を使って頻繁に頭を切り替える。
 又確実性に付いては、可能性や確率に付いて語る。誰も「私が間違って居ました」とは云いたく無いものだが、彼等は他のグループより素直に間違いを認め考えを変えた」


 超予測者は天才では無く、IQ分布で云うと上位20%・偏差値60程度以内で、数学の達人と云う事も無い。但し性格には明らかな特徴があり、ビッグファイブ・パーソナリティを構成する5大要素の「経験への開放性」(知的好奇心が強く、変化を好む)が高く「認知欲求」(知的活動を楽しむ)が強く「統合的複雑性」(不確実性を受け入れ、物事を多角的に捉える)が高い。
 更に、最初の直感を信用せず、党派性が無く、常に「この推論に矛盾はないか」「もっと他の資料に当たるべきではないか」「誰かがこの意見を述べたら、自分は納得するだろうか」と自問して居る。

 テトロックは「超予測者」は暗黙裡にベイズ推定を使う「ベイジアン」だと云う。一般の統計学は標本の平均や分布を計算するが、ベイズ統計では、完全な標本が無い状況から確率を導いて行く。その為「主観的確率」とも言われる。
 ベイジアンが予測をする時は、客観的な標本が無いのだから「推測したい事象が全体的かつ長期的にどの程度の頻度で起こりそうか」の基準率を大雑把に主観的に決める。その上で、新たな証拠がその推計にどの様に影響かを与えるかに応じて基準率を微調整して行く。
 テトロックは「超予想者」の遣り方を、2015年1月7日にパリで起きたシャルリ・エブド襲撃事件を例に説明して居る。このテロを受けて「2015年1月21日から3月31日迄の間に、西ヨーロッパでイスラム過激派によるテロが起きるか」を予測するのが課題だ。

 私達は、記憶に強く残って居るもの程頻度や確率を高く見積もるバイアス(利用可能性・ヒューリスティック)に捕らわれて居る。評論家はテロに付いて強い関心を持って居る事を示す為に「その可能性は充分にある」等と答えるだろうし、政治家なら「2カ月以内にそんな事起きませんよ」と云って万が一テロが発生したら政治生命が終わってしまう。

 「超予測者・ベイジアン」はこうしたバイアスから自由なので、先ずはウィキペディアで過去5年間にヨーロッパで起きたイスラム過激派によるテロ事件を調べ、その件数を5で割って、1年当たり1.2件と云う数字を「基準率・主観的確率」とした。
 だが2011年の「アラブの春」で流れが変わったと思えたので、2010年を計算外にして1年当たり1.5件に微調整した。その上で、イスラム過激派に参加する新兵の増加(テロ発生率を上げる)と、セキュリティ対策の強化(テロ発生率を下げる)を勘案して確率を5分の1程度引き上げ、1年当たり1.8件と云う予測値を弾き出した。課題の予測対象期間は69日間なので、その間に新たなテロが起きる確率は34%と為った(1.8÷365×69)。
 こうした発想は「人類の歴史を偶然性や不確実性に満ちたものだと思って居て、必然や運命で考え様とし無い」事から生まれる。「超予測者」は、この世界が複雑系だと考えて居るのだ。

 「博学な知識人の意見や観念体系に基づく説明よりも、愚直に微調整した確率の方が遥かに高い精度で将来を予測出来る」「物事は一般的な法則や高尚な弁証法によってでは無く、無数の小さい力が可能性や度合いを高めたり低めたりする事によって決まる」 
 これが正しいとしたら(多分正しいだろう)、マクロ経済学の複雑な数式を組み合わせた理論や政治学のイデオロギー分析は何の役にも立た無い。世界を因果律で説明しようとする専門家の予測がサルのダーツ投げと同じに為るのは当たり前なのだ。
 ピンカーはテトロックによる予測の研究を「私達の歴史、政治、認識論、知的生活に対する見方を根本的に変えるものだ」と評している。







 「富の拡大によってスケール感を見失った世界

 誤解の無い様に断って置くと私は「超予測者」では無いし、様々なデータを取り込んでベイズ推計によって未来の確率を計算して居る訳でも無い。だがテトロックの研究は「誰の予測に耳を傾け、誰の予測を無視すれば好いか」に付いての有力な指針を与えて呉れるだろう。
 その上でココでは、最初の「基準値・主観的確率」として、私達がどの様な世界に生きて居るかの仮説を述べてみたい。それは「富の拡大によってスケール感を見失った世界」だ。

 先ずは以下のグラフを見て欲しい。クレディスイスが毎年発表して居る「世界の富裕層」レポートから、世界のミリオネア(億万長者)の国別人数を集計したもので、青が2000年オレンジが2019年を示して要る。金融資産や不動産資産等総資産から住宅ローン等の負債を差し引いた純資産を推計。全世界には4680万人のミリオネアが居り、この20年間で世界の富が爆発的に拡大した事が判るだろう。

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 アメリカのミリオネアは1900万人で、全て世帯主として概算すると、総世帯数1億2246万に対して15.5%・6〜7世帯に1世帯はミリオネアに為る。以下、主要先進国をミリオネア世帯比率で並べると、イギリス・ミリオネア250万人/世帯数2641万は9.5%で10世帯に1世帯、フランス・200万人/3000万が6.7%、日本・300万人/5075万が6%で15〜16世帯に1世帯、ドイツ・200万/4080万世帯が4.9%で20世帯に1世帯に為る。
 経済格差の拡大で貧困が社会問題に為って居るが、その一方で、億万長者が何処にでも居る世界に私達は生きて居る。

 もうひとつ目を引くのは、アメリカのミリオネアが2000年の750万人から1900万人へと2.5倍に為った様に、日本を除く全ての国でこの20年間にミリオネアが大きく増えて居る事だ。高度経済成長期に在る中国で億万長者が続々と誕生したのは当然としても、それ程経済成長率が高い訳でも無いヨーロッパ諸国でもミリオネアの伸び率は極めて高い。
 これがトマ・ピケティの云う「資産効果」で、株式・金融資産と不動産・実物資産の価値・・・取り分け主要都市のマイホームの評価額が大きく上がった事を示して居る。

 日本だけミリオネアの伸び率が低いのは、超低金利・株価低迷・不動産価格の下落によって富裕層が「資産効果」を享受出来無かったからだろう。その結果日本人は「貧困」にばかり目を奪われて、世界で起きて居る「富の爆発的拡大」と云うもうひとつの側面を上手く理解出来ないで居るのでは無いだろうか。

 マネーが奔流と為って金融市場と云う川に流れ込んで居る

 IMF・国際通貨基金の推計では、世界の経済規模・GDPの総計は2000年の33兆ドルから、2023年には3倍超の106兆ドルに拡大する。富裕層の人数だけで無く、株式の時価総額でも、グローバル市場に流通するマネーの量でも、アラユル指標が富の拡大を示して居る。これは、マネーが奔流と為って金融市場と云う川に流れ込んで居る様なものだ。

 これを陳腐な比喩だと思うかも知れないが、チャンと理由がある。川は平地に至ると支流に分かれ、デルタ・三角州)作りながら海へと流れ込んで行く。このデルタは、毛細血管の分岐等と同じく典型的な複雑系・フラクタルだ。
 世界の根本法則がフラクタル(べき分布)だと述べたのは、数学者のベノワ・マンデルブロで、植物の成長(ブロッコリー)、生き物の身体(脳のニューロン)、自然(海岸線)や宇宙(星雲の分布)に至るまで、アラユル処に複雑系の構造が見られる事を示した。マンデルブロは、先物市場の価格変動や個人資産の分布を分析して、金融市場や経済もフラクタルだと指摘して居る。

 フラクタル構造は、成長するに連れてテールが長く伸びて極端な事が起こり易く為る(ロングテール)と同時に、複雑性のレベルが上がって行く。川の水量が増えるに連れて、支流(水路)は複雑に為ってデルタが拡大する。
 日本では木曽川・長良川・揖斐川によって生まれた濃尾平野のデルタが有名だが、アマゾンの様な大河では遥かに巨大なデルタが作られる。ソコでは、木曽川や長良川と同じ水量の川は、多くの支流の一つに過ぎ無い。濃尾平野のデルタも過つては洪水に悩まされたが、上流にダムを作る等の治水工事によってホボ管理が可能に為った。

 その経験を覚えて居る人は、自分が何時の間にかアマゾンの支流に居るとしても、同じ様な治水工事で川の流れを管理出来ると思うかも知れない。その先には、途方も無い大河が流れて居ると云うのに。これが「スケール感を見失った世界」だ。

 グローバル市場は、濃尾平野の規模からアマゾンのデルタへと変貌して居る

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             アマゾンのデルタ地帯を宇宙から見る

 ここで提示する仮説は、グローバル市場は今では濃尾平野の規模からアマゾンのデルタへと変貌して居るのではないかと云うものだ。ソコには国家だけで無く、GAFAの様な巨大プラットフォーマーやジェフ・ベゾス、ビル・ゲイツの様な超富裕層の富も流れ込み、国家主体の旧来の「世界経済」とは大きく異なる経済生態系が出来ている。
 処がスケール感を見失って居る為、経済政策は未だに国家単位で、目の前の支流の治水工事をして居るだけだ。日本経済はGDPで世界の6%、株式時価総額で8%の規模しか無い。この程度では中央銀行が何を遣った処で大きな流れは変えられ無いだろう。

 これはイギリスも同じで、ブレグジットが実現しても、EU離脱派が主張する様にイギリス経済が劇的に改善する事も無ければ、残留派が懸念する様な経済的な大惨事が起きる事も無いのではなかろうか。中東情勢への関心が薄れて居るのも、シェールガス・オイルの開発や温暖化問題等の要因でエネルギー構成が変わり、石油価格がグローバル経済に与える影響が低下して居るからだろう。

 大河の流れを変えられるとしたら、アメリカと中国の二大プレイヤーだが、貿易を規制しようとしても他の国を迂回するだけで、これでは新たな支流が出来るだけだ。それによって世界経済が逆に活性化したと考えれば「米中貿易戦争」にも関わらず世界の株価が上昇して居る理由が説明出来るだろう。
 グローバル資本主義は、今より豊かに為りたい、少しでも幸福に為りたいと云う70億人の欲望によって駆動されて居る。「地球環境の制約内で」と云う但し書きを着けなくては為らないが、この欲望に際限は無いから、今年も世界経済の拡大は続くと予想したい。それによって日本経済も多少は成長出来るだろう。

 国家単位の経済政策の有効性が失われつつあるのと同様に、政治(国家による国民の管理)も大きく変わりつつある。人々は益々自由と自己実現を重視する様に為って居り、最早全体主義(ファシズム)や独裁政治が復活する事は無く、生命の価値が途轍も無く高騰した事で、国家対国家の全面戦争を遂行する事も不可能に為ったのではないだろうか。
 しかし未だに、専門家を含む多くの人達が「スケールの違う世界」を理解出来ず、1920年代や1940年代(濃尾平野)を参照して現代(アマゾンのデルタ)を語って居る。「ポピュリズムが荒れ狂うヨーロッパの状況はヒトラー台頭前夜だ」とか「今の右傾化した日本は戦前と同じだ」等と云う人達の予測に耳を傾けるのは時間の無駄だろう。

 持ちロん川の水量が大きく増えたのだから、一端氾濫すれば被害は途方も無いものに為る可能性がある。その切っ掛けに為りそうなのは中国のバブル崩壊だが、その確率はベイジアンの中国専門家に任せたい。
 序にもう一つ言って置くと、万が一ブラックスワン・グローバル金融危機が起きたとしたら、その時コソ投資の絶好の機会に為るだろう。一端川の流れが堰き止められたとしても、大河はヤガテ滔々と流れ出すだろうから。


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 橘 玲(たちばな あきら) 作家 2002年金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー 『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット 著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)『幸福の「資本」論 あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊) 『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)『もっと言ってはいけない』(新潮新書) など 最新刊は『上級国民/下級国民』(小学館新書)

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2020年01月10日

有罪率99%の背景に検察官の裁判官化? ゴーン被告が糾弾した検察の問題点とは









  有罪率99%の背景に 検察官の裁判官化? ゴーン被告が糾弾した検察の問題点とは

             〜AbemaTIMES 1/10(金) 18:33配信〜


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                   ゴーン被告

 英語・フランス語・アラビア語等を駆使し、約2時間30分に渉って持論を展開したカルロス・ゴーン被告。自身の逮捕が多くの共犯者達による陰謀だったと潔白を訴えると共に、日本の検察や司法制度に対する批判を繰り返し、自身の逃亡を正当化した。
 朝日新聞やテレビ東京・小学館を除き、日本メディアの多くが締め出される中で参加した海外メディアからは、ゴーン被告の言動を評価しない声も有る一方「日本の司法の暗い片隅に光を投げ掛ける」(英ガーディアン)「乱暴な逮捕や長期の勾留等この事件の根底にある彼の真実を伝える機会だった」(仏フィガロ紙)等、日本の司法制度に関する厳しい意見も見られる。

 こうした事態を受け、森まさこ法相は会見を開いて「主張すべき事があるので有れば、我が国の刑事司法制度において、正々堂々と公正な裁判所の判断を仰ぐ事を強く望む」と異例の反論に踏み切った。

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                   メディアの反応は

 ジャーナリストの佐々木俊尚氏

 「自白偏重で有罪率99%、風呂は週2回で妻に会え無い、クリスマスに1人・・・等と云う話は分かり易く強いので、ナカナカイメージとしてはヒックリ返り難い。日本の司法はこんなに酷いと云う印象が欧米に伝わったと思う。
 そこで日本としては『日本の司法は大丈夫だ』と言うより 『我々の社会に公正さを取り戻すんだ』と主張した方が効果的ではないか。何故なら、ゴーン被告はグローバル企業のリーダーとして、分断と格差の象徴の様な人物に為って居るからだ。
 実際、富裕層やアッパーミドルが読むフィガロ紙の読者アンケートでは、77%が逃亡は正しかったと云う結果に為って居るが、一方、フランスで取材をして居たジャーナリストの記事によれば、格差問題で闘って居るイエローベスト運動の人達の反応は、ゴーンざま見ろでは無くゴーン酷いだ。
 又、レバノンでも富裕層からは英雄扱いされて居るが、反政府運動で戦って居る人達も居て、彼等もゴーン被告に対しては批判的だ」


 とコメント。慶應義塾大学の若新雄純特任准教授

 世界における日本の司法と云う問題に為った事に対して如何に答えるかが大事なのに、法務相と検察が出したコメントは『日本において裁かれなさい。無実なら言い返しなさい』と云う事で、非人道的だとされた容疑者への扱いの部分に付いては反論し無かった。言われっパナしに為って居るのではないか

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 と話した。元日経新聞論説委員で、法制審議会特別部会委員の安岡崇志氏は、

 「もう少し具体的に俺はこんな目に遭ったと説得力を持って言って呉れるのではないかと期待して居たがそれは無かった。面白いなと思ったのは、検察の取り調べ中に早く自白しろ。容疑を認めろ。認め無かったら家族に累が及ぶぞと云う様なことを言われたと云う話だ。
 今時、そんな言い方で調べるのかと思ったし、逮捕容疑を認めたと云う調書は取らせて居無い筈なので、仮にゴーン氏が日本に戻って来て裁判が開かれたとしても、言った・言わ無いが続く」


 との見方を示す。その上で、

 「今の日本の司法は、世界に冠たるものだと云う考えの専門家や法務省関係者・議員は多いが、世界標準では取り調べの時に身柄を拘束すると云う事は無い。調べの中で自白調書を取らせず、黙秘や否認を続ける限り、ズッと拘置所を出られ無い。
 平野龍一と云う刑事法学者が1985年に発表した『現行刑事訴訟法の診断』と云う有名な論文の末尾に『我が国の刑事裁判は可成り絶望的である』と云う有名な言葉があり、取り調べの為の身柄拘束は欧米の水準からすれば堪え難いものだと指摘して居る。
 もっと言えば、それよりも遥か昔の明治35年には、或る弁護士が『刑事被告人の待遇』と云う文章の中で『有罪判決が確定する迄は、無辜の良民として扱わ無ければいけ無い』と書いて居る」
と指摘。

 「取り調べ時の弁護士立会いに付いて、法制審の特別部会でも最初の10回位は議題に上ったが、その後、意見の対立が激しいから辞めて置こうと云う事に為り、改正法の話には出て来なくなった。人質司法の問題についても、もう少し慎重に勾留を認める・起訴後の保釈をゆるやかに認めるべきだと云う意見が出たが、結局は今までの基準を再確認すると云うだけで前進はゼロだった」と振り返った。

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                    落合氏

 元検事の落合洋司弁護士「ゴーン氏の件に付いて言えば、囚われの身で出られ無かった訳では無く、一定の制約があるにしても保釈に為って居り、弁護団が着いてキチンと裁判で主張が出来る状態にあった。それにも関わらず逃亡してしまった。
 それは無いのでは無いか、と云うのが日本の国内の見方としては多いと思う。一方で、ゴーン氏なり、海外のマスコミが指摘して居る日本の司法の問題点に着いては当たって居る処も少なからず有ると思う。実際、これ迄も国連から勧告を受ける等、批判されて来て居るが、法務省や検察庁がグローバルスタンダードとの比較において日本はどうなのか、と云う発想で反省する事をして来なかったし、我々は法令に基づき、我々の遣り方で遣って居るのだ、と制度自体の問題点を認めようとし無かった。
 只、今回の会見を受け、認めようとし無ければしない程相手とのズレが広がり、突かれる度合いが強まって行くと思う。司法制度自体を変える為には法制審議会なりが動いて、国会に刑事訴訟法の改正案を出さないといけ無い。しかし法務省の幹部は結局、皆検事だ。そう云う組織なので、検察の力を弱める様な改革と云うのはソモソモ遣ろうとしない」


 と話す。また、ゴーン被告が訴えた「有罪率99%」の問題に着いて佐々木氏は「普通は警察が捕まえて地検に持って行き検察が起訴する。しかし、特捜事件は東京地検・大阪地検が行き成り逮捕して起訴する。特に今回の様な特捜事件は、逮捕されて有罪に為る率が99%だ。しかも特捜は近年余りにも力が強く為り過ぎて、非常に横暴に為って居ると言われて居る」

 と疑問を投げ掛ける。落合氏は、

 「現状では捜査段階で強力な捜査が行われるので、尚且つ起訴するに当たってはハードルを高くして居る。詰まり、検察段階で相当数がフィルタリングされ、これは有罪に持ち込むのが難しいと云うものに付いては、ドンドン不起訴にして居ると云う事だ。
 だから伊藤詩織さんの問題の様に、民事では損害賠償請求が認められて居て、被害者がどうしても起訴して欲しいと言って居る事件であっても、刑事事件では慎重過ぎる位に為って不起訴にして居る面はあるだろう。有罪に為って居る率だけを見ると、如何にも歪んで居る様に見えるが、そこはトータルで見ていか無いといけ無い」
と説明。

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                    各国の司法制度

 そして「只、確かに警察が送って来る事件の場合、検事はチェックしようと云う目で見るので、難しい点が有れば補充捜査も指示するし、ダメだったら不起訴にする。しかし特捜部による、所謂独自捜査の場合、自分達でドンドン遣ってしまうので、それをチェックする処は無い。
 裁判所の令状に付いても、捜査をチェックして出して居る訳では無いので検証する人は居ない。その点、アメリカには大陪審と云って、捜査自体をチェックするシステムがあるし、フランスには予審判事と云う人が居て、裁判官が捜査自体を主体的に遂行して行く制度がある。それが無い為、日本の独自捜査は一度暴走し始めると止めど無く暴走して行く。
 又、アラユル証拠を見て有罪に為ら無いと云うものをドンドン不起訴にして行くと云う事は、一審の前に検察が裁判官の様な立場で裁いてしまうと云う事でもあり、裁判がその判断を検証し、刑の重さを決めて行くだけの場に為って居るとも言える。
 平野先生の論文にも「それは裁判と言え無い」と書いてある。しかし日本の場合、起訴されると云う事自体本人に取っては非常に痛いので、慎重に確認する事自体がいけ無いとは言い難い。それでも罪名や被害者の居る・居ない等によって、或る程度は思い切ってこれは裁判を受けて貰おうと、極め細かく遣り方にして行く事は必要なのではないか」
とした。


      AbemaTV『AbemaPrime』より    以上









 【管理人のひとこと】

 AbemaTVの記事は、大いに公正で公平な見方だと思う。検察や法務省が「日本の司法が悪かった」とは口が裂けても言え無いのは判るが、余りにも官僚的で高圧的で一方的過ぎる。確かにこの様な不祥事を「恥ずかしい・・・」との本音で言えたら正直なのに、この様な失態に狼狽(うろた)え慄(おのの)き乍ら、強弁で誤魔化そうとするのが見て居て痛ましく情け無い。
 「言いたい事があれば裁判で堂々と反論しなさい!」とは、マルで刑が確定した事を前提とする言い方であり、ゴーン氏は「その裁判を受けて居る状況・・・身柄拘置・仮釈放に対しての諸条件」に不満で人権に劣ると怒って脱失を決意したのだ。その人に向かって「逃げずに裁判を・・・」とは、逃げ果(おお)せた被告人に向かって「逃げるな!」との追い台詞に過ぎず意味の無い「犬の遠吠え」に似た空しい限り。

 日本の検察・裁判に関わる人権問題は、以前から世界(国連)から批判され何度も勧告・是正を指摘されている。それには深く善処せず、法曹界の批判も交わし旧態を続けて来た。何度かの改革のチャンスが在ったにも関わらず、今でも明治時代そのママの風潮が続いて居たのでは無かろうか。この機会に、日本の司法・裁判制度が開かれた世界の模範的なものに為るのならゴーン様々である。







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無敗の男・中村喜四郎は、何故誰にも聞かれて居ない場所で演説するのか




 




 無敗の男・中村喜四郎は何故、誰にも聞かれて居ない場所で演説するのか

            〜文春オンライン 1/10(金) 6:00配信〜


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      2014年の総選挙で当選が決まり、笑顔で花束を受け取る中村氏 コピーライトマーク共同通信社

 「誰にも聞かれて居ない場所で演説を続けられる様に為って、要約一人前なんですよ」中村喜四郎の言葉だ。日本一選挙に強い男とも呼ばれる衆院議員である。何しろ無所属での当選回数のレコードを持つ。選挙に勝つ事14回、その内7回が無所属での選挙に為る。

 正に「地獄の黙示録」のカーツ大佐を見るかの様

 そんな中村の名を聞いても「昔逮捕されてムショに入った人」位のイメージしか持た無い人は多かろう。それも止むを得まい。何しろ四半世紀近く、ロクにメディア露出して来なかったのだから。ゼネコン汚職で「国策捜査」の様にして逮捕(1994年)され、有罪判決を受けて下獄(2003年)する。
 検察の取調に完全黙秘を貫いた中村は、マスコミに対しても一切を語る事無く、只選挙に出て、只管当選し続けた。

 その間、スシ詰めの支援者を前にして、鉢巻姿で演説する中村の狂気染みた姿をニュース映像で時折見た。「中村教」と支援者達は言うのだが、それは正に「地獄の黙示録」のカーツ大佐を見るかの様であった。沈黙を続ける中村の闇の奥に入って行ったのがノンフィクションライターの常井健一である。『 無敗の男 中村喜四郎 全告白 』(文藝春秋)はその著書だ。

 中村は、選挙とも為ると決起集会に5000人を集め、1日20箇所まわり「夜は個人演説会で千人以上、全員に握手して二時間叫ぶ」のだと云う。68歳で迎えた先の衆議院選挙も、そうした人気アイドル顔負けの活動を連日熟して当選を果たす。
 この様な熱狂は日頃の地道な活動の下地があってコソだ。中村は「無反応を確かめる」様に街宣活動を続け、人の居ない場所に一人で立って演説をする。端から見ればバカバカしい事を続ける事で、信用を得て行くのだという。

 選挙における「音」で言えば・・・

 そして、中村ならではの選挙戦術がオートバイだ。「オートバイに乗って遊説する時は静かに乗って居てはダメなんですよ、静かでは。音が人を興奮させる訳だから、煩く無いと意味が無い」と言う。

 選挙における「音」で言えば、山本太郎も音に拘る。何しろ「選挙フェス」を謳う位だ。これ又常井による「れいわ新選組・山本太郎の研究」( 「文藝春秋」2019年10月号 )によると、山本陣営は10人近くの音響のプロを抱え、演説会場には録音スタジオでも使われる音響ミキサーや超高性能スピーカーが配置されるのだと云う。
 そうまでして聞き心地を追求するのは「山本の演説を聴いた人の数しか支持者は生まれ無いからだ。『声が聞こえる範囲にしか人は集まら無い』と云うリアリズム」に徹しての事だと常井は記して居る。

 SMクラブでのプレイを巡って息子と取っ組み合いのケンカ

 それで言えば中村の選挙は、日頃から「無反応を確かめる」様な活動で得た信用の一つひとつを、オートバイの音で掘り起こし、掻き立てて回って居るかの様だ。「選挙は騒音」と言って憚(はばか)ら無い、意識高い系の者がヒステリーを起こしそうな選挙戦術である。しかしそう遣って中村は、政党や企業の支援も無しに、個人の力で選挙を勝ち続けるのであった。

 処で『無敗の男』で常井が書くのは中村の政治活動ばかりでは無い。政治家だろうが何だろうが、誰しも様々な事情を抱えて生きて居る。或いは「どんな家にも問題がある」とは森健『 小倉昌男 祈りと経営 』(小学館)の有名なフレーズだが、中村の家庭も例外では無い。

 その昔、六本木のSMクラブの元女王様が中村とのプレイを「週刊現代」で告白する。1993年の事だ。当時、中村の長男は未だ小学生で、その事が心の傷として残り続け、後年、親子で取っ組み合いのケンカをする事に為る。その居り、中村はシラを切る事無くこう言ったと云う。 「チャンとお金を払って、楽しませて貰っただけだ」

 最近に為ってインタビューを受ける理由とは

 例えば山崎拓はどうか。山崎は回顧録『 YKK秘録 』(講談社)で、会合の店名や密談のホテルの部屋番号に至るまで事細かく記し、その折々の政局と自らの政治家活動を振り返る。しかし選挙の落選(2003年)に付いては「不覚を取って敢え無く落選した」とだけ記している。不覚も何も「週刊文春」(2002年5月2・9日号)の「山崎拓『変態行為』懇願テープと悍(おぞ)ましい写真」で暴かれた愛人問題で信頼を失った結果に他なら無い。

 刑務所にまで入った中村にすれば、過去のスキャンダルを自分の評伝に書かれる位、どうと云う事は無いだろうが、読む方からすると、それを隠さ無い事でこの人は信頼出来ると思い、それを遠慮無く書く著者にも同様の思いを抱こうか。
 そうした常井の取材を除いては、長らくマスコミを避けて来た中村だが、最近に為って報道各社のインタビューを受ける等、表に出る様に為る。それは安倍政権を倒す為だ。

 昨年末の東京新聞の取材では「私が居た頃の自民党には謙虚さがあり、権力を使う事に抑制的だった。何か問題が有れば新しい党の顔が出て来た。自分で自分を批判出来たから野党は必要無かった」と述べる(12月27日 朝刊)処が野党が必要とされる今日に在っても、野党は細かい事に拘り、まとまらずに居る。そこで中村は動き出したのであった。野党と言えば、永らく野党の顔であった者に纏わる逸話が『無敗の男』にある。

 「政治家としての感性は、歩か無いと磨かれ無い」

 菅直人が年金未納問題(2004年)で四国八十八箇所参りのお遍路に出掛ける。坊主頭に白装束姿を記憶する者も多かろうか。
 実は同時期、中村も出所を機にお参りして居る。その時、中村が寺の台帳に記帳しようとすると菅の名前が在ったのが途中から消える。帰ってしまったからだ。菅は「つなぎ遍路」で9年掛けて7回に分けて回るのに対して中村はと言えば、運動着を着て人知れず早朝から歩いては40日で廻り切るのであった。

 このエピソードには「野党とはなにか?」の寓話性がある。上っ面のパフォーマンスに現(うつつ)を抜かすのが、民主党を初めとする近年の野党の習性だ。そこに在って小沢一郎が力を持ち続けるのは、そうした野党の中でも自民党伝来の「ドブ板選挙」を知る事での選挙に強いとの神話性によってであったろう。
 小沢の師に当たる田中角栄は、初選挙の者に「戸別訪問3万軒、辻説法5万回」を説いた。田中の秘書だった中村もおよそ11万軒を廻る。「政治家としての感性は、歩か無いと磨かれ無い」と中村は言う。

 「マニフェスト選挙」だ「真っ当な政治」だと言った野党が謳うムーブメントは、一時的には意識高い系の人達にウケても、直ぐに廃れるのが常だ。増して声高に立憲主義を言った処で、幾つに為っても「センター試験で何点だった」と話す様な大卒の郷愁を誘うだけだろう。

 「陽の当たらぬ場所」の人達の怒りと恨み

 そう言えば『無敗の男』は最終章で、ロッキード事件で逮捕されてなお選挙に勝つ田中角栄を「圧勝させたもの」を洞察する、本多勝一のルポ『 そして我が祖国・日本 』(朝日新聞社)を紹介している。
 そこで本多は土建屋中心の利益集団の票ばかりでは無く「陽の当たらぬ場所」の人達の怒りと恨みが当選させたのだと説いた。そして言論人は田中の当選を「地方ならではの『政治意識の低さ』や『遅れた民度』」と冷笑するが、そうした者達やマスコミの田中批判は「都会人の遊び」にしか映ら無いのだと言い、野党関係者等にコソこれを読んで欲しいと本多は述べた。これは極めて今日的で或る種の安倍政権批判への反応にも重なり合おうか。

 中村が政治の世界に入った時、保守王国・茨城は企業や有力者を他の自民党議員が押さえ切ってしまっていた。だから「オレは百票持っている」と嘯(うそぶ)く者を相手にするのでは無く「家族三人しか居ないけど、皆で応援する」と云う支持者を作って行ったのだと云う。
 もし企業や有力者に頼っていたら、逮捕を切っ掛けに皆、逃げてしまうだろうし、増して影響力の限られる無所属では当選し続ける事等出来なかったろう。一般の人の支援を掻き集めるからコソ、中村は「日本一選挙に強い男」に為ったのだ。

 「桜を見る会」に呼ばれる事も無い、意識高い系でも無い、普通の人に声を掛ける政治。そこに可能性はあるに違い無いと『無敗の男』は教えて呉れ様か。そして何より、バイクに乗ったり演説したりする中村喜四郎を生で見たい気にさせられる一冊である。


               urbansea     以上



 【管理人のひとこと】

 この記事を読んで居て、何か心からジーンと来たのは歳の所為なのだろうか・・・裁判で黙示を通し実刑を受け刑務所に入り、出て来て四国を巡礼する姿に、何の意味も無く「砂の器」の映画のシーンが浮かんでしまった。誰も聞いて呉れそうも無い場所で「辻説法」を続ける政治家は沢山居る様で、元首相の野田氏も、今でも千葉の某駅前で続けられて居るそうだ。
 そうだと聞けば野田氏が「消費増税に前向き」だった経済音痴だったとしても何だか「可愛気」な信念も感ずる。そう遣って「選挙に強い人」に為るのだろう。山本太郎氏も、田中角栄氏が小沢氏に残し、山本氏も受け継いだ「遺産」を頑なに実行して居る「選挙に強い男の一人」だと確信する。
 何だか今の野党は、共産党を含め「組織に依存した」綺麗事の様な選挙戦を続け、泥臭い「ドブ板選挙」の経験は少ないのでは無かろうか。ひ弱な正義だけを振り翳してばかり居ては大衆には届か無い「仲間内」の約束と義理だけを頼りにするもので、その絆はドンドン縮小し小さく為ってしまう・・・消耗品なのだ。
 矢張り、此処は小沢氏や中村氏の様な、更に山本氏を含めた「野武士」の様なバイタリティーと草の根の信念が必要で、野党議員の人の一人が、小さな信条は捨て去り大きな果実を育てる「滅私奉公」を今一度目指すべきでは無かろうか・・・折角与党が与えて呉れた数少ないチャンスを捉え切れず、合同出来ない様では今後の浮上は期待も出来ない。








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「山本太郎氏が都知事選出馬」を警戒する小池百合子氏&二階俊博氏の思惑




  「山本太郎氏が都知事選出馬」を警戒する小池百合子氏&二階俊博氏の思惑

             〜文春オンライン 1/10(金) 6:12配信〜

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 東京五輪イヤーの幕が開いたが、小池百合子東京都知事(67)が精力的だ。「最近の小池知事はドンな団体の会合にも必ず出席する。スケジュールがキツクても挨拶回りを欠かさ無い」(都政担当記者)視線の先は勿論、今年7月5日投開票の知事選。正に「再選ファースト」だ。
 連合・創価学会等集票が見込める組織の要望は全て聞き入れる構え。その甲斐あってか、公明党の山口那津男代表は1月2日、新宿で行った街頭演説で知事選に触れ「都政が継続性をもって、都民第一で進んで行く様にし無ければ為ら無い」と強調、小池氏支持を滲ませた。

 小池氏は自民党にも布石を打つ。昨年のクリスマスイブに、予てから昵懇(じつこん)の二階俊博幹事長を党本部に訪問。記者団から「二階幹事長からどう云う話があったのか」と問われ「東京として好く遣って呉れてるね、と励ましを頂いた」と披露。
 一方の二階氏も常々「(小池氏に勝てる候補は)居ない。当たり前じゃ無いか」と漏らして居る。「わざわざイブに会いに行く事で、蜜月関係を強調した」(政治部記者)との見方が専らだ。

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 丁度同じ頃、都内各地に自動音声の電話が鳴り響いた。「都知事には誰を選びますか」選択肢は小池氏・丸川珠代元環境相・「れいわ新選組」の山本太郎代表。小池氏と対決姿勢を取る自民党都連の一部には、丸川氏擁立論が燻り、山本氏は都知事選に着いて「選択肢として排除しない」と色気を見せて居る。

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 山本氏の知事選出馬は「合理的」である理由

 都連関係者が声を潜める。「実は、山本氏が6月にも知事選への電撃出馬を宣言するとの説が駆け巡った。それを受けて二階氏が仕掛けた調査だろう」仮に調査で小池氏がトップ為らば党が小池氏に乗るべきだと云う材料と為り、山本氏がトップ為らば「保守分裂の選挙では山本氏が漁夫の利を得るぞ」と丸川氏擁立論を牽制出来ると云う訳だ。

 政治部デスクも「山本氏の知事選出馬は合理的だ」と語る。山本氏は最近、衆院選で立憲民主、国民民主、共産等との野党共闘路線に乗るかどうか悩んで居るが「衆院選で共闘すれば、山本氏とれいわの存在感が一気に失われる。山本氏自身がそれを好く分かって居る」(野党幹部)
 一方、立憲の枝野幸男代表は、昨夏の参院選で「野党のカリスマ」の座を山本氏に奪われ、ライバル心を隠さ無い。「山本氏が知事選の野党統一候補に為って呉れれば、山本氏も埋没せずに済、枝野氏にも利がある」(前出・デスク)桜を見る会やカジノ疑惑で与野党の激突が予想される通常国会。その裏では、都知事選を巡る駆け引きも激しさを増しそうだ。


      「週刊文春」編集部 週刊文春 2020年1月16日号   以上









 【関連報道】議員在職50年 小沢一郎「出世とキャリア」 〈1〉

               〜JBpress 1/10(金) 6:00配信〜


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           衆院在職50年を迎えた小沢一郎氏(写真 AP アフロ)

 国民民主党の小沢一郎(77)が衆院在職50年を迎えた。尾崎行雄、三木武夫、原健三郎、中曽根康弘、桜内義雄(衆参通算で51年半)に次いで憲政史上6人目と為る。小沢は1969(昭和44)年12月27日の衆院選で初当選し、現在迄17回連続当選を誇る。小沢は今も野党随一の実力者であり、その現役感は半端では無い。 
 一方でそのキャリアは極めて特徴的だ。一貫して党のポストに就いて来た為、党首経験は通算17年8カ月に及ぶものの、意外にも閣僚経験は自治相の1回だけ、その期間も僅か7カ月余である。官房副長官として首相官邸を経験して居るが、これも1年半に過ぎ無い。

 にも掛からず、首相を凌駕する絶大な権力を握り続け、自民党を2度に渉って下野させた。昭和末期から平成後期に至るまで、日本政治の中心は常に小沢だった。小沢は如何にしてその政治力を高めて行ったのだろうか? 

 27歳で政界デビューした二世議員とは言え、出世が最初から約束されて居た訳では無い。寧ろ、若い頃は可成り地味である。目立たぬ若手政治家の一人に過ぎなかった小沢は、どの様にして権力の階段を駆け上がって行ったのか。自民で23年半、非自民で26年半過ごした議員生活を「出世とキャリア」の観点から振り返る。(敬称略 出典は逐次明記)



 二世議員

 小沢は、吉田茂内閣で郵政相や建設相、池田内閣で行政管理庁長官を務めた父・佐重喜(さえき)の長男として1942年5月24日に生まれた。中学2年迄岩手県水沢市(現・奥州市)で過ごし、中学3年時に父親が居住する東京都文京区に引っ越した。
 都立の有力校・小石川高校へ進学し、東大を志したが願いは叶わず、2浪の末、慶応大学経済学部に入った。1967年4月から日本大学大学院に進学し、司法試験を目指して勉強をして居た。

 転機は父の急逝だった。佐重喜は1968年5月に死去(享年70歳)し、息子の小沢が後継に収まる。佐重喜は藤山愛一郎派であったが、関係者の助言等もあり、当時自民党幹事長として辣腕を振るっていた佐藤派の実力者・田中角栄と接点を持つ。
 小沢本人へのインタビューは勿論、家族や関係者が実名で登場する大下英治の『一を以って貫く 人間小沢一郎』(講談社文庫)によると、小沢が田中に初めて会ったのは1969年4月中旬だと云う。面会場所は田中の私邸・目白御殿だった。

 田中は小沢の前で「好し、思い切って遣ってみろ。親の七光りは当てにしては行けない。戸別訪問は3万軒だ。何処の神社の階段が何段まであるか迄、一木一草を知れ。選挙区の人間を、トコトン知り尽くさねばいかん」「辻説法は5万回だ。3分でも5分でも辻立ちをして、自分の信念を喋れ」と捲し立てた。
 この戸別訪問と辻説法の徹底は、後に小沢が若手や新人候補を指導する時にも、口グセの様に繰り返し主張した方法論である。
 小沢番を長く務めた全国紙の政治部記者は「小沢の教えに影響を受け、それを応用して選挙に強く為った議員は多い。例えば2000年から選挙区で勝利し続けて居る細野豪志(無所属・自民党二階派)は、小沢流選挙を上手く取り入れて居る」と指摘する。

 小沢は1969年12月の衆院選に27歳で出馬しトップ当選を果たす。この時点でも、未だ大学院に籍があり、社会人経験は皆無である。小沢は現在に至る迄政治家の仕事しかして居ない。

 吐くまで飲む
 
 1970年1月14日、国会に初登院した小沢は挨拶の為、再び田中の事務所を訪れる。田中は小沢に向かって「一郎は大学院生だ。他の同期生と同じ気持ちで日々を過ごすなよ。ドンな部会であろうと、必ず出て勉強しろ」(『一を以って貫く』)と言い放った。
 当選同期には、福島県議出身の渡部恒三(後に衆院副議長)茨城県議会議長を務めた梶山静六(後に官房長官)等が犇(ひし)めいて居た。当時の最年少代議士だった小沢の注目度は低く、四世議員である小泉進次郎が2009年に28歳で初当選した際のメディアの注目振りとは雲泥の差だった。

        1-10-1.jpg 渡部恒三氏

 社会人経験も政治経験も無い小沢は、田中の助言に従い、真面目に自民党本部の部会に出席し、国会閉会中は只管地元を回った。田中が言った通り、七光りは通用しない。父親の地盤を継いだとは言え、支持者がスンナリと応援して呉れる程甘い世界では無かった。

 小沢は自著の中でこう述べて居る。「二世だからと言って、それに胡坐をかいて居たら、一回は当選出来ても、その後はどう為るか分から無い」「選挙区の人達は、僕が果たして国会に行くに相応しい男かジッと観察して居る。だから、徹底的に選挙区を回る事にした」『小沢主義 志を持て、日本人』集英社文庫)

        1-10-2.jpg 石川知裕氏

 若い時代の苦労を物語る印象的なエピソードがある。小沢の秘書出身で、陸山会事件で有罪判決を受けた石川知裕元衆院議員の『悪党 小沢一郎に仕えて』(朝日新聞出版)にこんな件(くだり)がある。

 「岩手では日本酒が飲め無いと政治家は務まら無い。会合と云う会合で酒を勧められる事に為る。集まった一人ひとりからお猪口に並々と酒を注がれ、一気に空けるのが礼儀だ(中略)。会合を梯子する小沢の車には、必ず用意し無ければ為ら無いものがあったと云う。塩水を入れた薬缶(やかん)だ。
 一つの会合を終え、小沢を車に乗せると、沢山の人が外まで見送って呉れる。手を振る人が見え無く為った途端、小沢はこう指示する。『ここで止めろ』」
 「小沢はドアを開け、その薬缶の塩水を口へ一気に流し込む。すると、先程支援者から頂いた酒が口から全部出て来るのだ。吐くのである。『口から弧を描くように綺麗な線に為って出てくんだ』と、(住み込み書生第1号の)藤原(良信元参院議員)先生は得意気に話していた」


 小沢は徹底的に地元に張り付いた。地元に戻ると、1日100軒以上の戸別訪問、100以上の後援会支部でのミニ集会を徹底的に熟すスタイルを貫いた。田中の教えを忠実に実践したと云える。「言いたい事を言い、自分が信じている事を実行する為には、選挙に強いと云う事が大前提と為る」(小沢主義)と強調して居る。









 国会質問は嫌い

 小沢は若い頃から、地元受けを狙ったスタンドプレーを好ま無かった。1970年4月17日、衆院文教委員会で初めての質問に立った。私学振興財団に関する法案に着いての質疑だった。
 憲法論をベースにした質問で、原理原則論を好む小沢らしさが感じられる。当選間も無い政治家は大抵、国会質問で有権者にアピールしようとするが、小沢はそう云った活動には新人時代から興味が無かった。試しに筆者が「国会会議録検索システム」で検索を掛けた処、小沢の初当選から10年間の国会での発言は僅か33回。当選同期の羽田孜(後に首相)が87回、渡部が71回である事を考えると半分以下である。

 『90年代の証言 小沢一郎 政権奪取論』(五百旗頭真ら編 朝日新聞社)で、小沢は国会質問に付いてこう答えている。

 ・・・小沢さんは、国会の委員会での質問等は余り好きじゃ無いんですか。

 小沢 嫌いですね。僕は国会で余り質問をした事が無い。35年間の議員生活で質問は合計でも30分位しかした事が無い。質問をしても、答弁に立つ役人の話を聞くだけだから、何の意味も無い。意味の無い事は遣りたく無い。
 
 小沢は国会質問では無く、先輩や実力者達と過ごす事を優先した。常に小沢は「誘われたら断ら無い」姿勢で可愛がられて行く。師匠である田中とは将棋を指し、姻戚関係を結ぶ竹下登・後ろ盾と為る金丸信のマージャンにも最後迄付き合った。会合や宴席の幹事役は何時も小沢が引き受けた。朴訥で口数が少無く万事控え目だが、酒は飲めるし付き合いが好い。古い日本社会で出世する条件を備えて居た。

             1-10-3.jpg 野中広務氏

 目上や先輩に対する態度に関しては、野中広務が興味深い見方をして居る。野中は1992年の竹下派(経世会)分裂時に小沢と激しく対立する一方、1998年の自自連立政権で再び手を組む事に為る因縁の深い人物だ。1985年頃の話である。

 「竹下派の七奉行は、テレビが映して居る正面に座る訳です。処が、七奉行の1人である小沢一郎さんは居ら無いんですよ。小沢さん、何処に居るのかなと思ったら、秘書が座って居る柱の陰に座って居る訳。嫌、小沢一郎と云うのは偉い奴だ(中略)。年が若いけれど、そう云う事を心得た政治家が居るな、と云う感じを受けた事を今も忘れません」(『聞き書 野中広務回顧録』御厨貴・牧原出編、岩波現代文庫)

 科学技術政務次官

 1975年12月、三木内閣の科学技術政務次官に就任する。当選2回の33歳であるが抜擢では無い。政務次官は当選2・3回生であれば手にする事が出来るポストだった。小泉進次郎が内閣府兼復興政務官に就いたのは当選2回の32歳。小沢の初期のキャリアは進次郎と共通して居る部分がある。

 政務次官時代の小沢には大仕事が待って居た。難航して居た原子力船「むつ」の母港探しである。小沢は長崎県佐世保市入りし対話を重ねた。在職期間は僅か10カ月だったが、同市が修理港と為る道筋を着けた。一定の成果を出したのだ。小沢は後に党政務調査会の科学技術部会長も経験して居り、科学技術は得意分野だった。
 1976年9月に政務次官を退任すると、自民党には猛烈な逆風が吹いて居た。そんな中で行われた1976年12月の衆院選、所謂「ロッキード選挙」で小沢は生き残る。この選挙では、当選同期で終生の友にも敵にも為る梶山が落選して居る。この選挙に勝った小沢は、ライバルだらけの当選同期の中でヤヤ優位に立ち始める。

 同年12月、福田赳夫内閣で建設政務次官に就いた。当選3回、2度目の政務次官である。田中派の影響力が強い建設省に敢て送り込まれたであろう事は想像に難く無い。派閥内で「使える建設族若手」として存在感を放ち始めた時期である。
 丁度この頃から、建設相だった父・佐重喜の薫陶を受けた若手官僚が幹部クラスに為って居り、小沢は官界との関係を深めて行く。東京府立五中時代を含む小石川高校出身のキャリア官僚の会合にも名を連ねる様に為った。先輩議員にくっ付いてばかりの小沢だったが、霞が関人脈の構築は怠ら無かった訳だ。後年、野党生活が長期化しても、政府内の事情に精通して居たのは官僚人脈が大きい。2世議員としての遺産をこう云う場面で活用して居るのは抜け目が無い。

 地味な30代

 時期は前後するが、小沢は1973年、田中を支援して居た新潟県内の建設会社の娘と結婚して居る。時の首相・田中が父親代わりとして結婚式に出席したエピソードは有名だ。お見合いから挙式まで僅か3カ月。事実上の政略結婚である。
 小沢の妻の妹が、竹下登の実弟・亘と結婚し、竹下とも姻戚関係と為る。上司から可愛がられて姻戚関係を結ぶパターンは出世の観点から見れば王道中の王道である。

 1979年3月、自民党岩手県連会長に就任した。36歳の若さである。県連のベテラン達が統一地方選を巡る面倒な地元調整を小沢に押し着けた事情もあったが、期待に応えて同年4月の統一選を乗り切る。「ベテランの顔を立て、若手の自分が泥を被る」スタイルは何時の時代でも好まれるのは言う迄も無い。
 同年10月の衆院選後、自民党は分裂寸前と迄言われた熾烈な党内抗争「四十日抗争」を繰り広げ、派閥間対立が頂点に達した。浜田幸一が自民党本部内のバリケードを撤去する等したテレビ的にも派手な政局だったが、当選4回の小沢には出番は無い。

 1980年6月、大平正芳首相の急逝により、自民党は史上初の衆参同日選で圧勝した。小沢は38歳、既に当選5回を数えて居たが、未だ目ぼしいポストには就いて居ない。小沢の30代は非常に地味だった。例えば、竹下登、海部俊樹、麻生太郎、安倍晋三、岸田文雄、小泉進次郎等「若手ホープ」が経験して来た重要ポスト・青年局長も経験して居ない。70年代は正に「雌伏」と表現出来る。小沢が表舞台に出るのは1982年迄待た無ければ為ら無い。


     続く 紀尾井 啓孟









 【管理人のひとこと】

 山本太郎氏の都知事立候補・・・この解説には「合理性」があると解説する。確かに、現在交渉中の野党大連合は頓挫しそうな雲行きであり、立憲の吸収合併を否定する人達が新たに分派する・・・益々弱小野党化が加速されそうな・・・有っては為らない最悪の結果へと雪崩れ込みそうだ。
 ソモソモ国民側の存在は、維新に似た「湯党」的体質が抜け切れず・・・敢て云う為らば、安倍氏のヤル気の無い掛け声だけの「憲法改正」の餌に飛び付き、与党に組し利権の一端を貰いたい・・・かの様な印象を多くの国民に与えて居るからで、イッソ維新と合流した方がスッキリする。
 立憲もこの様な体質が混在すれば、それこそ立党の具現化に少しも利せず負の印象が強く為り、互いにダメージを受けるだけでは無かろうか。国民の分裂劇を加速させ、この話は立憲側にも多少の傷を残すことで落ち着くだろう。
 サテ、山本太郎氏の立場だが、確かに実に難しい。野党大連合が為っても為ら無くても彼が、オール野党のキャスチングボードを握れるか? それは、何かの大きな出来事でも起き無ければ無理な様だ。幾ら人気があり大衆を動員する魅力があるとしても、政党としての組織力は到底及ば無い。彼が主張する消費税廃止や奨学金徳政令・政府の大型経済対策等は国政としての仕事。
 彼が都知事として何がしたいのか・・・現在無職の彼が単なる「次の仕事」として「腰掛」としての意味でしか無いと受け止められてしまう。親分の小沢氏とヨクヨク相談して次の「奇跡的」な一手を考えて欲しい。山本氏の政治に於いての才能がどの様に開花するのか、彼を無くすのは国家的損失だ、頑張れ「たろう!」







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武士達のリストラ!「秩禄処分」とは?




 武士達のリストラ! 「秩禄処分」とは?

           〜PHP Online 衆知 歴史街道 1/9(木) 12:12配信〜

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 明治新政府の大きな課題

 明治新政府は、廃藩置県や地租改正と云う革命を、奇跡的に無血で成し遂げた。しかし、明治新政府には、もう一つ大きな課題があった。それは武士に支給して居た「秩禄」を廃止する事である。
 江戸時代、武士は将軍や大名から俸禄を貰う事で生活を成り立たせて居た。明治維新でも、その形式は受け継がれて居た。既に述べた様に明治新政府は「版籍奉還」「廃藩置県」により、幕府や大名が持って居た領地・藩を国家に返納させた。

 しかし、幕府や大名が持って居た領地・藩には武士が付随して居り、この武士への俸禄はそのママに為って居た。将軍や大名が幕臣や藩士に払っていた俸禄を、明治新政府がマトメて秩禄と云う形で払い続けたのである。詰まり、藩は廃止しても、武士への財政支出は残って居たのだ。明治新政府の経済改革の中で、この秩禄を廃止する事が、最も困難なものだったと考えられる。

 武士が貰っていた俸禄は、江戸時代の250年に渉って綿々と続いて来た「既得権益」である。武士に取って、俸禄を貰う事は当たり前の事であり、俸禄を貰う為に先祖代々将軍や藩主に忠誠を尽くして来たのである。その権利を簡単に手放せるものでは無い。
 ソモソモ武士と云うのは、他に収入を得る方策を持って居なかったのだから、俸禄が無ければ忽ち食って行けなく為る。しかし明治新政府に取って、武士に払う「秩禄」は大きな負担と為って居た。国家支出の3割にも上って居たのだ。

 明治新政府は、キチンと教育を受けた新しい軍隊・新しい官僚組織を作ろうとして居り、もう世襲の武士達には用は無い。何の用も足さ無い武士達に対して、国家支出の3割も割か無くては為らないのだ。一刻も早く、近代国家としてのインフラを整えたい明治政府に取って、秩禄と云うものは大きな障害と為った。その為、タイミングを見計らって秩禄の廃止を行なう事にしたのである。
 武士の秩禄は、明治維新時に既に大幅に削減されて居た。上級武士為らば7割程度、中下級武士も3割から5割程度削減されたのだ。詰まり、明治初年の時点で、武士の報酬は江戸時代から比べれば、半減かそれ以上の削減をされたのである。
 
 明治3(1870)年には、武士から農民や商人に為る者には、士族から除籍し一時賜金として禄高の5年分を出すと云う制度を作った。又、秩禄を奉還する者・放棄する者には、禄高の3年分を一括支払いし、樺太・北海道移住者には7年分を一括支払うと云う制度を作って居る。
 明治6(1873)年には、この士族除籍制度を更に拡充し、百石未満の元下級武士に対し秩禄奉還した場合は、永世禄の者は禄額の6年分・終身禄の者は禄額の4年分を一時支給する事にした。翌年には、百石以上の者にも同様の制度が設けられた。

 これはマルで早期退職奨励金の様なものである。「6年分の報酬を一度に支払うから武士を辞めなさい」と云う事である。但し、新政府には金が無い為、支給は半額を現金・半額を公債証書とした。公債は8%の利子が着き、3年間据え置いた後、7年間で償還されるものだった。
 この様な制度を作ると云う事は、秩禄がその内廃止されるかも知れない、と云う雰囲気が社会に有ったと云う事である。そうで無ければ応募する者等居無い筈だからだ。

 更に新政府は、明治6(1873)年に家禄税を創設して居る。これは、家禄に対して課せられる税金で、家禄高に応じて累進性に為って居たが、平均して11・8%の税率だった。家禄は政府が支給して居るものなので、家禄を11・8%削ったのと同じ事だった。
 こう云う処置を段階的に行なって行くことで、家禄が廃止の方向に向かって行くと云う事を士族は肌で感じる事に為ったのだ。

             1-11-4.jpg


 遂に武士の給料を全廃する

 そして明治9(1876)年、明治新政府は遂に秩禄を廃止し、金禄公債を武士に配布する事にした。詰まり、秩禄を廃止する代わりに、少し纏まった金・俸禄の5年〜14年分を武士に与えた訳である。
 しかし新政府は財政が苦しく、現金では支給出来ずに公債と云う形で支給した。公債なので、利子が支払われる。利子率は220石以上の上級武士が5%・22石から220石の中級武士が6%・22石以下の下級武士が7%だった。当面はその利子で食って行きなさいと云う事である。

 新政府に取っては、可成り大きな負担だったが、秩禄を廃止する為には仕方がなかった。この金禄公債を貰った武士には、毎年利子が入って来る。しかしその利子は、以前の俸禄と比べれば勿論非常に低い。22石以下の下級武士が毎年受け取る利子は平均で29円5銭だった。
 武士の殆どは22石以下である。だから、武士の大多数は平均29円5銭の年収しか無かった訳である。1日当たりにすると僅か8銭であり、大工の手間賃45銭に遠く及ば無かった。武士の殆どは利子だけでは生活出来ず、他の収入の途を求め無ければ為ら無かった。

 金禄公債を売って慣れ無い商売を始め、元も子も無くしてしまうと云う武士も大勢居た。所謂「没落士族」による「武家の商法」である。彼等は、汁粉屋、団子屋、炭薪屋、古道具屋等を始めたが、殆どが上手く行かず、1年持つ者は稀だったと云う。
 又士族の多くは、新しい政府での官職を求めようとした。武士と云うのは、江戸時代は役人でもあったのだから、明治に為っても役人に為ろうと云うのは当然の事だと云える。しかし新政府は「能力の有る者しか採用しない」と云う建前を採っていた。
 欧米化・富国強兵化を目指して居た新政府は、何の能力も無い武士を役人として雇い入れる余裕は無かった。何らかの能力が無ければ到底、官職には就け無かった。

 明治14年の帝国年鑑によると、旧武士の内、明治政府で官職に有り付けた者は全体の16%に過ぎ無いという。西南戦争を初めとする旧士族の乱も、この秩禄廃止が要因の一つである。明治新政府は、大きな代償を払う事に為ったが、これで近代的な財政システムを作る事が出来たのである。

 又この秩禄奉還に関しては、武士以外の人々は歓迎して居た。武士以外の人々に取って、武士であると云うだけで貰える秩禄と云うのは不愉快なものなので、当然と言えば当然である。当時の新聞の投書等には、華族や士族の事を「平民の厄介」「無為徒食」等と批判する者も多く見られた。
 又「東京日日新聞」では「士族に対する家禄は、給金でも褒美でも無く、御情の仕送り・貧院の寄付」とまで書かれている。国民の大多数は、近代国家を作る為には莫大な費用が掛かる事を知って居り、何もしていないのに禄を貰える華士族達と云うのは、批判の対象でしか無かったのだ。

 旧武士達もその点は、弁えて居た様で、薩長土肥以外の殆どの士族達は半ば仕方無いと感じて居た様である。だからコソ、武士の反乱は西南戦争程度で済んだのである。西南戦争は、当時の日本に取っては大戦争だったが、それでも半年で勝負が着いた。近代のアジア諸国の内乱に比べれば、遥かに短期間で終息したものといえる。これは、当時の武士階級が、時代の流れを受け入れる様に為って居たからではないかと思われる。


 ※本稿は、大村大次郎著『土地と財産」で読み解く日本史』より一部を抜粋編集したものです。       

           大村大次郎 評論家・元国税調査官   以上



 【管理人のひとこと】

 現在このブログのサブで「学び直しの日本史」を準備中です。学校時代は確か日本史を学んだ筈なのですが、トウに全て忘れ去りました。今は、古墳時代へと準備中ですが、縄文・弥生と進みヤッと古墳時代ですが、ナカナカ興味深く毎日深夜まで格闘しています。
 その時代人類は、生まれ落ち生き延びても寿命が短く、毎日食う為に大変な苦労されていたと想像するのですが、時が過ぎ江戸時代・明治時代に進んで令和の現在も同じ様な苦労が続くものです。武士階級の廃止・・・とは、一つの身分制度の廃止であり、国による国民の一部分の遺棄・生命に留めを指すもので、この様な事を為政者は泣きの涙で断行します。
 同じ様なことは、戦後の日本の社会でも起きます。それは、敗戦で海外に居た数多くの国民が帰還します。しかし、日本は戦争中の国土の疲弊で大変な食糧不足に陥って居ました。その上に帰還者の食糧には難儀します。職も無く食料も無い日本に・・・要約帰還した人達は職を探し食料を求めます・・・国は、彼等に職と食料を与えようと「緊急開拓政策」を閣議決定し、今まで手付かずの未墾のアラユル山地に入植を勧めます。この結果、約30%が定住しますが、残りの7割は開墾を諦め各地に散って行くのです。その間、国は色々な政策で彼等を援助しますが・・・結局は棄民政策だと批判されます。
 しかし・・・TV番組「ポツンと一軒家」を視聴すると、戦後開拓民の一部は現在まで営々と農業や林業を続け確りとした生活の基盤を確立して居る方々もいらっしゃる様です。想像出来ない大いなる努力と忍耐がそれを裏付けます。そして、もうその様な不便な所には住めないと・・・その地の殆どは過疎地として忘れ去られてしまうのです。







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それは1979年から始まった アメリカとイラン 敵対の歴史を紐解く




 


 

 それは1979年から始まった アメリカとイラン 敵対の歴史を紐解く

          〜BUSINESS INSIDER JAPAN 1/9(木) 8:10配信〜


            1-11-1.jpg

               吉川慧氏 Kei Yoshikawa

 1988年東京都生まれ 東京中華学校講師(世界史)ドワンゴのニュース部門等を経て2016年3月から現職 関心領域は政治・国際ニュースの他、歴史、美術、映画、将棋、落語、アニメ・漫画等 お肉が大好き ハフポストの特集企画「#だからひとりが好き」ディレクター  連絡先 kei.yoshikawa@huffingtonpost.jp

 〜トランプ大統領の命令で米軍がイランの革命防衛隊「コッズ部隊」のソレイマニ司令官らを殺害したことで、両国間で緊張が高まって居ます。1月8日、イランはイラク国内の米軍基地をミサイルで攻撃。更なる報復の連鎖と中東情勢の不安定化が懸念されて居ます。アメリカとイランは何故敵対して居るのか。歴史的な経緯を簡単に振り返ってみます〜


 



 
 1 パフラヴィー2世がアメリカと接近

 過つてのイランは今とは違い、シャー・・・古代ペルシアに於ける「大王」の呼称。報道では「国王」「皇帝」等と表記・・・が支配する王政の国でした。第2次大戦期、国王レザー=ハーンは、ナチス・ドイツに接近した事でイギリスやソ連の反発を招き退位させられました。代わって国王と為ったのが、レザー=ハーンの長男モハンマド・レザー・パフラヴィー・パフラヴィー2世です。
 パフラヴィー2世は親英・親米路線でしたが、これに国内の民族主義勢力が反発します。「民族主義」とは、外国勢力からの解放・独立を目指す考えです。特に、イギリス系の石油会社が独占して居たイランの石油利権をイランの手に取り戻そうと云う抵抗運動が強まって行きます。

 1951年、イランでは民族主義者のモサデグ氏が首相に就任。モサデグ首相は石油の国有化を宣言。イギリス系のアングロ=イラニアン石油会社を接収しました。処が、こうした動きにイギリスやアメリカは反発します。1953年、米CIA等の工作によりイランでクーデタが発生。モサデグ首相が失脚し、パフラヴィー2世が再び実権を握りました

 当時は東西冷戦下でもあり、パフラヴィー2世はアメリカに接近。イランは1955年に結成された反共軍事同盟・中東条約機構(METO)に参加しました。アメリカとしても、イランを中東における反共の砦にしたかった訳です。モサデグ失脚で石油国有化も頓挫しました。石油の利権はイギリス・アメリカなどのメジャー・国際石油資本が実質的に支配する事に為ります。

 パフラヴィー2世の親米・独裁体制は、ヤガテ革命を招きました。1978年1月、イスラム教シーア派の聖都コムで、神学生等による反政府デモが弾圧されます。これ以降、王政に反対する動きが全国に飛び火しました。1979年1月、パフラヴィー2世は遂に国外に脱出し王政は崩壊しました。同年2月、フランス・パリに亡命して居た宗教指導者ホメイニ師がイランに凱旋帰国します。
 反体制勢力は王党派を駆逐。新たにイスラム原理主義・反米路線を掲げる新政権が樹立され「イラン=イスラム共和国」が成立しました。革命前迄のイランは中東において、西洋化を通じた近代化のお手本の様な存在でした。処がイラン革命は、こうした発展モデルを正面から否定する事に為った訳です。

 2 上からの近代化「白色革命」

 モサデグ失脚後、パフラヴィー2世はアメリカとの結び着きを強めて行きます。1963年からは「白色革命」と呼ばれる近代化政策が始まり、農地改革や国営工場の民間払い下げ、女性参政権、識字率の向上等が図られました。
 この「白色革命」は王権による上からの強権的な西洋化・近代化でした。その為宗教勢力や民族主義者などが反発します。処が、改革に反対する勢力は秘密警察に弾圧され、言論や思想の自由も封じ込まれました。

 パフラヴィー2世は、豊富な石油マネーを基に軍備拡張や更なる近代化を進めます。1973年の第3次中東戦争を切っ掛けとした第一次オイルショックの後、石油価格が高騰した事も背景にありました。 急激な近代化は、貧富の格差を広げる事に。都市には地方から農民が流入し農村は疲弊。インフレが発生し、国民の間では次第に経済的な不満が高まって行きます。







 3 イラン革命(1979年)

 パフラヴィー2世の親米・独裁体制は、ヤガテ革命を招きました。1978年1月、イスラム教シーア派の聖都コムで、神学生らによる反政府デモが弾圧されます。これ以降、王政に反対する動きが全国に飛び火しました。
 1979年1月、パフラヴィー2世は遂に国外に脱出し王政は崩壊しました。同年2月、フランス・パリに亡命していた宗教指導者ホメイニ師がイランに凱旋帰国します。反体制勢力は王党派を駆逐。新たにイスラム原理主義、反米路線を掲げる新政権が樹立され「イラン=イスラム共和国」が成立しました。

 革命前迄のイランは中東において、西洋化を通じた近代化のお手本の様な存在でした。処がイラン革命は、こうした発展モデルを正面から否定する事に為った訳です。

 4 米大使館人質事件とイラン=イラク戦争(1980〜88年)

 ホメイニ師を最高指導者とするイラン新政権は、中央条約機構・中東条約機構[METO]の後進から離脱する等反米政策を進めます。更には、イランから逃れたパフラヴィー2世の受け入れをアメリカが認めた事で、ホメイニ支持の学生達がテヘランのアメリカ大使館を襲撃。1年以上も大使館員とその家族52人を人質に捕る事件が発生しました。(アメリカ大使館人質事件)
 当時、アメリカのカーター大統領(民主党)は救出作戦を指示するも失敗。この事件は、カーター政権が1期4年で終わり、共和党のレーガンが大統領に為る切っ掛けに為ったと言われています。

 イラン革命後、イスラム教の宗派でスンニ派が優位の近隣国は、シーア派系住民による革命が広がることを懸念します。隣国イラクのサダム・フセイン政権はアメリカの支援の下、革命の混乱に乗じてイランに侵攻。この「イラン・イラク戦争」は8年に及ぶ泥沼の戦いに為りました。
 
 5 イラン核疑惑(2002)と核合意(2015)アメリカの離脱

 革命後の1980年以来、イランとアメリカは断交が続いて居ますが、対立が一層深まる事態が2002年に起こります。イランが核兵器を開発して居るのではと云う疑惑でした。イラン側は平和利用を主張しましたが、アメリカや西欧各国などは経済制裁を実施しました。
 2015年、アメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・中国・ロシアの6カ国は、イランと核開発に関する協定で合意に漕ぎ着けます。

 イランに求められたのは、核兵器に用いる様な高濃縮ウランや兵器級プルトニウムを15年間生産し無い事と、ウラン濃縮に使われる遠心分離機を大幅に減らす事でした。合意を受け欧米各国は、イランへの経済制裁を緩和する事に為りました。
 オバマ政権が締結したイランとの核合意でしたが、当時アメリカ国内では共和党を中心に「甘過ぎる」と批判が出ていました。

 その後就任したトランプ大統領は2018年5月、イランとの核合意からの離脱を一方的に宣言。制裁を再開します。直近のアメリカとイランの緊張は、此処が契機に為ったと言われています。アメリカの核合意離脱を受けて、イランは2019年5月から核合意の履行を段階的に停止して居ます。なお、イラン政府は1月5日、核合意に基づくウラン濃縮等の制限を全て放棄すると表明。
 更に、アメリカが原子力空母をイラン周辺に派遣する等軍事的圧力を掛けたり、イランが米軍の無人機を撃墜したりと、次第に両国の緊張が高まって行きます。







 6 米軍、ソレイマニ司令官殺害(2020年)

 イラン革命から40年余りが経った今、イランとアメリカの緊張の糸は、又も張り詰めてしまいました。2019年12月末、イラク北部キルクークにあるイラク軍基地にロケット弾が撃たれ、民間業者のアメリカ人1人が死亡。米軍とイラク軍の複数の軍人が負傷しました。
 首都バグダッドでもイランの支援を受ける民兵組織の支持者がアメリカ大使館を包囲、投石する事態が発生しました。米軍によるイランのソレイマニ司令官ら殺害のニュースが伝えられたのは、その直後の1月3日です。アメリカ側はソレイマニ司令官の影響下にあったシーア派民兵組織が、アメリカ人や米軍施設への攻撃を計画していたことを殺害理由として居ます。

 一方で、2020年11月に大統領選挙での再選を狙うトランプ大統領が、選挙を意識して取った行動ではないかと云う指摘もあります。又、自身が下院の弾劾決議を受けた不正疑惑「ウクライナ疑惑」から目を逸らす為では……という声もでて居ます。
 ソレイマニ司令官らの殺害後、トランプ氏は「我々はイランの52の地域を標的にした」とツイート。この「52」と云う数字は、アメリカ大使館人質事件での人質の数を意味して居るとされます。イラン問題が失脚に繋がったカーターの様に、これで大統領選に負ける訳には行かないという意思表示なのでしょうか。

 何れにしても報復の連鎖に歯止めは掛かるのか。イランのミサイル発射を受けて、トランプ大統領は1月9日に何らかの声明を発表すると表明して居り、その内容に注目が集まります。


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                文・吉川慧     以上







 
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これが世界の左派が掲げる反緊縮政策だ 松尾匡氏(立命館大学経済学部教授)










 これが世界の左派が掲げる反緊縮政策だ 松尾匡氏 立命館大学経済学部教授 

            〜ビデオニュース・ドットコム 1/9(木) 2:56配信〜


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           松尾 匡(まつお ただす) 立命館大学経済学部教授

 安倍政権が歴代最長の政権を維持出来て居るのは、何と言ってもこれ迄毎如く選挙に勝利して来たからだ。そして、その勝因は常にアベノミクスに代表される経済政策だった。
 実際、安倍政権は安保法制や秘密保護法・共謀罪等の難しい法案を可決させて来たが、毎回選挙で問われたのはそうした安全保障政策や社会政策では無く経済政策だった。野党がアベノミクスへの対案を提示出来て居ない事が、安倍政権の長期政権化を可能にして来たと言っても過言では無いだろう。

 立命館大学経済学部の松尾匡教授は、アベノミクスに一定の評価を与えながらも、それに対抗する経済政策を提示する事は十分に可能だと語る。それが左派による反緊縮経済政策だ。
 これは必ずしも日本に限った事では無いが、我々はどんな政策を実行するにも財源の裏付けが必要だと強く思い込まされて来た。そして財源とは税収若しくは国債・・・詰まり借金によって賄われるものであり、借金が膨らみ過ぎると財政破綻のリスクが増すので、緊縮政策を採ら無ければ為ら無いと教えられて来た。

 処がこの考え方に異を唱える勢力が世界で台頭して居る。イギリス労働党のコービン党首やアメリカ大統領に出馬中のバーニー・サンダース候補やオカシオ・コルテス下院議員等世界各国の左派の間で反緊縮政策を提唱する勢力が支持を集めて居ると云うのだ。
 最近注目を集めて居るMMT・現代貨幣理論もその流れを汲む。日本では山本太郎氏の「れいわ新選組」が、反緊縮を前提とする再分配政策を主張して先の参院選を戦い躍進して居る。

 松尾氏によると、こうした反緊縮左派は、財政危機論は新自由主義者のプロパガンダだと主張する。財政危機を煽り緊縮財政を推し進めれば、公的社会サービスが削減され、民間に新たなビジネスチャンスが生まれる。又、公有財産を切り売りすれば大資本が儲かり、しかも新自由主義が目指す小さな政府が実現すると云った具合だ。
 反緊縮左派の考え方は非常に明快だ。要するに、通貨発行権の有る政府はデフォルトリスクは全く無いので、財源が必要で有れば通貨をジャンジャン刷って財源を賄えば好いと云うのだ。

 そんな事をすれば大変なインフレに為ってしまうと考えるかも知れないが、不完全雇用の間は、どれだけ通貨を発行してもインフレは悪化しないと云うのは、今日では反緊縮派に限らず、主流派・非主流派のケインジアンに共通する経済政策の考え方だと松尾氏は言う。
 インフレに或る程度の上限を設けた上で、そこ迄は通貨の発行によって社会政策の財源を賄って行くのが反緊縮派の経済政策の要諦と為る。その一方で松尾氏は、通貨の発行により確保した財源を、医療、教育、社会保障等の社会サービスの拡充に再分配し、より公平な世の中を志向する政策を提案する事により、安倍政権が掲げるアベノミクスとの対立軸を明確にする事が出来ると語る。

 財界や大企業の意向を強く受けた安倍政権には、再分配や公平な世の中を志向する政策路線は採れ無いと考えるからだ。より公平な社会を作る為には再分配が必要だが、その為に財源が不可欠だ。しかし、税の累進性を高める事で富裕層への課税を強化したり法人税を増税するだけでは限界がある。
 もし反緊縮派の主張する様に財政赤字を気にせずに再分配をする事が出来れば多くの施策が選択肢に入って来るが、ソモソモそんな事は可能なのか。反緊縮政策とはどの様な考え方に基づいて居たもので、そこに落とし穴はないのか。反緊縮派の重鎮の松尾氏に、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。


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 松尾 匡(まつお ただす) 立命館大学経済学部教授 1964年石川県生まれ 1987年金沢大学経済学部卒業 92年神戸大学大学院経済学研究科博士後期課程修了 博士(経済学)同年より久留米大学経済学部教授 2008年より現職 著書に『左派・リベラル派が勝つための経済政策作戦会議』共著に『そろそろ左派は経済を語ろう』『「反緊縮!」宣言』など

 本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください

                   以上

















2020年01月09日

何故スレイマニ氏は殺されたのか 歴史の簡単な解説と共に アメリカによる殺害の意味を考える




 




 何故スレイマニ氏は殺されたのか 歴史の簡単な解説と共に 

 アメリカによる殺害の意味を考える



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         〜今井佐緒里  欧州研究者・物書き・編集者 1/9(木) 13:11〜

 先ず筆者は、アメリカの暴挙も非民主的な宗教的独裁国家も、両方反対である事は最初にハッキリ書いて置きたい。その上で、スレイマニ司令官殺害の騒ぎを見て居て、ズッと思って居たことを書きたいと思う。
 「スレイマニ氏殺害は、ソンなに変わった事件だろうか?」 筆者には、歴史上、実に好くある事に見える。この問いを考える事は、何故スレイマニ司令官は殺されたのかの答えと同じに為る。
 一言で言うのなら、アメリカとイランの共通の敵・・・アルカーイダやイスラム国の脅威が薄れて来た今、こう為ったのは当然ではないのかと思うのだ。先ずは、大変大雑把にこの地域の最近の歴史を見ながら説明して行きたい。







 伝統的な関係とは

 アメリカは、サウジアラビア等と仲が良い友好国である。理由は主に石油である。そして、サウジアラビア等は、イランと大変仲が悪い。理由はイスラム教の宗派である。サウジアラビア等はスンニ派、イランはシーア派だからだ。過つて欧州で、カトリックとプロテスタントが血で血を洗う程イガミ合ったのと似ている。
 それなら、アメリカはイランと仲が良いのか・・・昔は仲が良かった。過つてイランのパフラビー(パーレビ)国王は、米英の強い支援を受けて統治出来て居たからだ。 しかし1979年「イラン・イスラム革命」が起きた。これは、イスラム教で国をマトめ、アメリカの支配を排除する事が目的の革命である。この革命を機にガラっと変わった。この時から、アメリカとイランは「犬猿の仲の敵同士」と為って居た。

 詰まり単純化した公式で言うと、「アメリカ+サウジアラビア等・スンニ派」VS 「イラン・シーア派」と為って居た。これを変えたのが、イスラム過激派の台頭である。

 過激派と親米国が繋がっていると云う疑惑

 重要なのは、過激派の人達は殆どがスンニ派であると云う事だ。元々スンニ派とは多数派と云う意味だと説明される事がある。過激派は多数派の中から生まれたと云う、単純な事実を見た方が好いだろう。
 最初は、アルカーイダだ。ウサマ・ビンラディンに率いられたアルカーイダが、2001年9月11日にニューヨークで同時多発テロを起こした時から世界の事情は一変した。あのニューヨークで、大衝撃のテロが起きてしまった。真珠湾攻撃以来と言われたが、或る意味では遠いハワイの軍艦攻撃よりもニューヨークのど真ん中のビルに飛行機が突っ込んで、ビルが崩れて行ったのを目の当たりに見た方が衝撃的だったかも知れない。筆者も、アノ日のテレビの生中継は覚えて居る。本当の事とはとても思え無かった。

 ウサマ・ビンラディンと云うのは、サウジアラビアで生まれ王室御用達の財閥の家の出身である。ズ〜ッとサウジアラビアからアルカーイダに資金が流れて居るとの疑惑があった。この資金は、王族・・・詰まり国の中枢からも出て居ると云う、デッチ上げとは言い切れ無い疑惑もあった。親米の国だからコソ、反米のテロリストは生まれたのだった。
 オバマ大統領の時代、ウサマ・ビンラディンは殺害された。この為にアルカーイダは以前程の勢いは失われた。しかし今度は、イスラム国・ダーイッシュが勃興してしまった。テロ行動が主体のアルカーイダと異なり、彼等の目的は国を作る事だった。

 イスラム国も未だ「国」では無い黎明期の時代、テロ行動しか行って居なかった時代には、サウジアラビアの資金援助を受けて居ると云う疑惑があった。但し、サウジアラビア国家は、これ等の資金援助疑惑を否定して居る(当たり前か・・・)ウサマ・ビンラディンは、同国国籍を剥奪されて居る。 この様に、アメリカに取っては「誰も信用出来ない」状態と為って居た。







 敵の敵は味方

 アメリカに取っては、頼りの筈の中東の親米国家が信用出来なく為って来た。公式には相変わらず「友好国」なのであるが。此処でアメリカが頼りにしたのがシーア派のイランだった。頼りと云うよりは利用したと云う方が正確だろう。スンニ派仲間でグルに為って居ると云う印象を与える人達よりも、彼等の敵、シーア派の方が頼りに為ると思えたのだろうか。
 一方でイランに取っては、スンニ派の過激派もサウジアラビア等もドチラも敵の様なものだ。イランに取っても、アメリカは接近する価値がある国と為って居た。イランに取ってアメリカは「敵の敵=味方」と為った。これはアメリカに取っても同様だろう。

 但し・・・ここが大変ヤヤコシイのだが・・・アメリカは親イラン国に為った訳では無いし親サウジアラビア等の公式ポジションを止めた訳では無い。イランも、反米国家の看板はそのママである。公式(?)には、相変わらず敵同士と云う事に為って居る。それでもお互いの利益に為るし共通の敵を持って居るのだから、共に協力出来る処はしよう。但し間接的な形で・・・と云う事である。ここで活躍したのが、スレイマニ司令官である。

 民兵である事 実態は代理軍事力

 処で、何故スレイマニ氏は「司令官」なのだろう、将軍ではないのか・・・彼が率いて活躍して居たのは「シーア派の民兵」で有る事が重要である。詰まりイラン国軍では無い。だから、イランの国の人達にアレ程英雄として尊敬されて居たのに「将軍」では無くて「司令官」なのだ。正式な軍隊を率いて居れば将軍だっただろう。
 民兵と云う言葉から、お金で雇われる小さい精鋭グループみたいのを想像したら全く異なる。イランの民兵は「政府の管理外に有る強力な代理軍事力」である。この司令官がスレイマニ氏だったと云う事だ。

 だから、民兵ではあるが、意味合いとしては国の兵士と変わりは無い。スレイマニ氏が行って居た事は、民兵と云う名の代理軍事力を率いてイランの国益の為に働く事。イランに忠誠を誓う中東のシーア派組織を支援すること。
 民兵であるから機動性に優れ自由裁量の幅が大きい。中東を自由に動き回って、自分達の利益の為に行動出来る。国軍であればイラン政府や法律を無視出来ず、更には国際法の管理下に無くては為ら無い。でも民兵だから自由である。イランの最高指導者アリ・ハメネイ師の全面支持を受けて居た。

 闘う相手がテロリストだから、民兵の方が良かったと云うのもある。でも、この代理軍事力はテロの時代の前から、20世紀から存在して居るのだ。
 1979年のイラン・イスラム革命の後、1980年代にレバノンで「レバノン・ヒズボラ」を建設した。ヒズボラとは、シーア派イスラム主義の政治組織・武装組織の事である。イエメンのフシスでも行い、同じ事をイラクでも取り組んで居たのだ。支援処か自分達で作って居た。
 そしてイランは、イランに有る程度の忠誠心を示すシーア派だけに利益をもたらす・・・この様なグループには年間数億ドルを提供して居る。アメリカが目を着けたのは此処であった。

 アフガニスタンで、アルカーイダを支持したタリバン政権・強硬スンニ派の打倒で、米軍占領後のイラクで・イスラム国第2の都市モスルにおける掃討作戦で・・・アメリカとイランの代理軍事力の協力が間接的に或いは陰で行われて居たと云う。
 これは、イランの最高指導者アリ・ハメネイ師の協力を間接的に受けて居た事にも為る。アメリカに取っては、彼等は民兵であって国軍では無い。だから直接イラン国家と協力して居る事には為ら無いし、親米国家のサウジアラビア等にも表の顔では言い訳が立つ・・・イラン側も同じで、アメリカと協力して居るのは国軍では無くて民兵だから、イラン国家がイラン・イスラム革命の根幹である反米を辞めた訳では無い・・・この様に、双方に取って都合が好かったのである。それなら何故今、スレイマニ氏は殺害されたのか。







 イスラム国の衰退

 2019年10月、アメリカが、イスラム国の指導者・アブバクル・バグダディの殺害に成功したからだろう。イスラム教の預言者・ムハンマドの後継者「カリフ」を自称する迄に為ったものの、近年は逃亡生活を送って居たと云う・・・ウサマビンラディン殺害後、アルカーイダの力が衰えて行った様に、今後はこの様な勢力は衰えて行くと見込んだのではないか。勿論予断は許さ無いが。
 と為ると、アメリカに取って、イランの代理軍事力等は最早邪魔なのだ。これ以上大きく為って貰っては困るのだ。中東のアチコチのシーア派に数億ドルも資金援助して、政治組織・武装組織を作って中東を不安定化させて貰っては迷惑なのだ。

 それに、アメリカはこの様な、恰も国の軍隊の様なのに民間軍事組織であると云う存在が、極めて危険なものである事を十分判って居たのではないか。それでもテロリストの排除や、陰のテロリスト支援者の牽制の為には、毒をもって毒を制す事が必要だったのだろう。
 「敵の敵は味方」と云う論理でクッ付いた二者が、共通の敵が無く為ったら今度は相手を倒そうと試みるのは歴史の必然である。

 トランプ大統領は、第一声の発言として「我々は昨夜、戦争を止める為に行動を起こした。戦争を始める為に行動を起こしたのでは無い」「私はイランの人々を深く尊敬して居る。イランの体制転換を求めて居るのでは無い。しかしながらイランの現体制による中東での攻撃は今直ぐ止め無ければ為ら無い」と言った。
 散々利用して来たクセに・・・とは思うが、共通の敵の脅威が薄れた今と為っては、こう云う発言が出て来るのは自然だろう。最も今回の決断には、可成り唐突感は否め無い。特にマティス国防長官が辞めた後は、可成り政権内部でゴタゴタがある様だ。

 オバマ前大統領もトランプ大統領も人間は全く違うが、アメリカの軍事覇権に興味が無いと云う点では似て居ると思う。トランプ大統領を見て居ると、年取ってから知識も関心も無い事に大権を持つと悲惨だと思う。
 どう云う経緯でこう為ったのかは未だ謎だが、こう云う戦略を描いた人が政権中枢に居ても何の不思議もない。それは判っては居るのだが、オバマ前大統領の融和路線の方が良かったのに。

 筆者は、今後本当にテロの脅威が薄れて行くのなら、アメリカは「親米国家」と言われて居た中東の国々にどう云う対処や対応をするのか、寧ろそちらの方に関心がある。

 内ゲバの末路は

 又別の見方も出来る。元々アルカーイダは、全世界のイスラム教徒に「アメリカと同盟者を攻撃しろ」と聖戦・ジハードを呼び掛けて居た。イランは反米国家にも関わらず、この訴えには耳を貸さず、アメリカに間接的に協力する道を選んだ訳である。中東の国々では、イスラム教徒内の「スンニ派 VS シーア派」と云う内ゲバの方が重要だったのだ。歴史において、内ゲバを利用される方が弱く、利用する方が強いと相場が決まって居る。
 欧州の植民地支配は、先ず当地での内ゲバ(内戦)を利用する事から始まって居た。日本でも、薩長にはイギリスが、徳川幕府にはフランスが着いて居た。もし薩長はイギリスの力を借りて、徳川幕府はフランスの力を借りて内戦に勝とうとして居たら、ドチラかの勝利も束の間で日本は植民地に為って居ただろう。

 日本人の偉大な処は、外国の脅威を前に内ゲバを辞めて手を取り合い、一致団結して国を統一した事である(明治維新)。これが出来なかった国は植民地に為った。植民地時代が終了し、冷戦時代が終わってもなお、この様に中東では延々と内ゲバ(しかも宗教)を続けて居る。こんな様では強者に利用される続けるだけで先が見えて居る・・・と言え無いことも無い。更に大きな目で見れば、これ等は「アラブの春」の反応の様にも見える。







 民主化の地平線

 チュニジアに始まったアラブ世界の民主化の波「アラブの春」が起こったのは、2011年の事だった。携帯やネットで急速に世界が小さく為る今、長い目で観れば、世界の国々は民主化して行くのが必然だと思う。アラブの春は、ヨーロッパに近い北アフリカから始まった。今は揺り戻しの時期と為って居る。これが終わる時代には、どう云う新しい時代と為るだろうか。
 アルカーイダもイスラム国も、それに乗じたり反対したりする勢力も、花火が消える前には最も大きく燃え上がる時が来る様な、そんな感じを受ける。

 中東は、北アフリカよりも更に遅れて居るが、それでも時代の波には逆らえ無いだろう。アノ欧州に遣って来た大量の難民は、戦火で追われた人達だけでは無い。俗に云う「経済難民」も多く、彼等は自国では中流以上の人達である。
 彼等は、遅れた自分の国に居るのが嫌なのだ。お金の為だけでアノ様な危険は犯せ無い。自分の国には存在しない自由の輝きを求めて遣って来て居るのだ。そして彼等は一度遣って来たら、決して自国に完全帰国しようとはし無い。

 中東の国々が民主化して行く様子を、筆者が生きて居る間には見られ無いかも知れない。それでも、新たな地平線の方向だけは、ズッと見続けて居たいと願って居る。それは文明の大きな転換なのだから。


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 今井佐緒里 欧州研究者・物書き・編集者 フランス・パリ在住 追求するテーマは異文明の出合い EUが変え行く世界観 社会・文化・国際関係などを中心に執筆 ソルボンヌ大学(Paris 3)大学院国際研究・ヨーロッパ研究学院修士号取得 日本EU学会 日仏政治学会会員 
 編著に「ニッポンの評判 世界17カ国最新レポート」(新潮社)欧州の章編著に「世界が感嘆する日本人〜海外メディアが報じた大震災後のニッポン」「世界で広がる脱原発」(宝島社)連載「マリアンヌ時評」(フランス・ニュースダイジェスト)等 フランス政府組織で通訳 早稲田大学卒業 日本では出版社で編集者として勤務  仏英語翻訳 ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr


                 以上








 【管理人のひとこと】

 アメリカとイランの関係・・・と云うだけで無く、宗教が絡む紛争関係と云うのは・・・特にイスラム教の中東問題は、これにイスラエルが加わると、私には一度読んだだけでは到底理解出来そうも無い、複雑で入り組んだ関係で整理も着きません。今井氏のレポートを何度も何度も読み返してみようと考えています。
 それにしても筆者の今井氏は、美人なのに余り素顔を公表されて無いのか、ヤッと一枚ゲットし冒頭に掲載させて頂きました。顔より中味で勝負・・・の様な強い思いが有るのでしょう。鋭い切り口と的確な筆致・・・歴史から紐解き解説する親切で丁寧な文章に感謝致します。今後もご活躍を祈ります。







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記者が目の前で見たゴーン氏会見 日本メディアには笑顔なく




 記者が目の前で見たゴーン氏会見 日本メディアには笑顔なく


            〜NEWS ポストセブン 1/9(木) 7:00配信〜

 ゴーン氏は身振り手振りを交えて2時間以上、語り続けた

 〜1月8日22時(日本時間)からレバノンで行われた、日産の元会長カルロス・ゴーン氏の記者会見。注目を集めたこの会見には、世界から約80媒体のメディアが参加したが、その中で日本メディアは、朝日新聞とワールドビジネスサテライト(テレビ東京)そして本誌・週刊ポストとNEWSポストセブン合同の現地取材班の3媒体のみだった。
 本誌現地取材班の1人、ジャーナリストの宮下洋一氏は、会見をどう見たのか。会見が行われたレバノンの首都・ベイルートからリポートする〜


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              ジャーナリストの宮下洋一氏

 アッと云う間の2時間半だった。140人にも及ぶ記者達がゴーン氏に詰め寄り、会場はカオス状態だった。この熱気は半端なかった。兎に角熱く、会見が続くに連れゴーン氏の顔もハッキリ判る程上気して行った。
 ゴーン氏が日本の司法をバッシングする事は、最初から予測出来ていた。会場に詰め掛けたフランス、地元レバノン、アメリカ、イギリスを初めとする海外メディアの報道陣は、日本の司法に対して批判的な考えも有るからか、ゴーン氏に同情する様な表情を見せる場面もあった。

 例えば、レバノンの報道陣はゴーン氏の地元愛を聞く度に笑顔を作り、時折、拍手をし、日本での検察や司法制度に対して納得して居ない様子だった。彼等が会見の話を聞きながら寄り添う様な姿勢を見せると、ゴーン氏はより強くトーンを上げて嬉しそうに答えて居た。
 フランスのメディアも、日本の司法制度の被害者だと主張するゴーン氏に同情を込めた様な質問をする記者が居た。日本の司法に対しゴーン氏がどう思って居るかに付いて、質問が次から次へと出て来る。そんなフランスメディアの質問が出る度に、ゴーン氏は笑顔を見せた。

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 フランスの大手テレビ局の質問が来れば「オー、LCIか!」とニコリと笑って長々と答えて居た。彼の表情は、全く疲れて居なかった。解放感に溢れるこの状況で、寧ろ生き生きとして居る様に見えた。ヤッと自らの思いを世界の報道陣を前に話が出来ると云う気持ちが前面に出て居た。

 一方で、ゴーン氏が眉毛を歪める程険しい表情をする場面もあった。イギリスの記者が「火の無い処に煙はたた無い」と、皮肉混じりのトーンで日本を逃れた事に付いて聞かれた処、声を大きくして弁明する場面もあった。
 もしかしたらゴーン氏は、ここに集まる全員が味方に為って呉れると思って居たのだろうか。その為に報道陣を選んだのだろうか。質問するメディア側が余り彼の話に乗って来ない場面では、ゴーン氏のジェスチャーは大きく為って行った。そして日本の司法批判を繰り返し、要所要所でキャロル夫人への愛情を口にしていた。「愛するキャロルに会いたかったんだ・・・」.

 最前列に座って居たキャロル夫人の横に移動して居た私は、夫の愛情の言葉を聞く度に、両手の指を絡める反応をしたり、微笑む表情を作ったりして居る様子を見る事が出来た。
 質疑応答が進むに連れてヒートアップし、世界中から集った記者達の側も、もう当てられる順番はどうでも良く為って居た。当てられて居ないのに立って質問を始める者も居れば、何人も同時に話し出す者も居た。ゴーン氏は「待ちなさい、待ちなさい」と困惑して居たが、瞳の奥には笑顔も見えて居た。
 私も順番が来る前にマイクを渡されたので、ワザと立ち上がって質問した。ゴーン氏が私を見て居た事が判って居たからだ。

 「この会見の場に日本のメディアがそれ程多く集って居ない事に驚いて居る。何故一部のメディアしか招か無かったのか。それと、独房での生活に付いて少し詳しく教えて頂きたい」
 私がそう尋ねた時、ゴーン氏の表情は険しかった。興味深いのは、我々日本のメディアに対しては、殆ど笑顔を見せ無かったことだ。眉間にシワを寄せ、終始、厳しい表情で訴えて居た。私の質問には、

 「私は日本のメディアを差別して居る訳では無い。又、日本のメディアだけ締め出した訳でも無い」
 「正直に言って、プロパガンダを持って発言する人達は私に取ってプラスには為ら無い。又、事実を分析して報じられ無い人達は私に取ってはプラスに為ら無い」

 と答えた。そして結局、言いたい事は只一つだった。「私は無実。何もして居ない」と云う事。

 ゴーン氏の会見は、社長時代に日産をV字回復させた時のプレゼンを見て居る様だった。自信溢れる彼の姿を見ながら、今後の日本との戦いに恐れ等感じて居ないだろうと思った。それはキャロル夫人も同じだった。彼等2人は、このママ何処に辿り着くのかは分から無い。
 会見終了直後、最前列で夫の会見を見守って居たキャロル夫人に「日本で出た逮捕状に付いて、今の心境を聞かせて下さい」と聞いた。キャロル夫人は硬い表情でこう一言だけ答えた。


 「日本の司法は残酷よ」

                 以上








 
 【関連記事】単なるショーだった「逃亡ゴーン会見」の舞台裏

             〜東洋経済オンライン 1/9(木) 7:50配信〜


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 記者会見場に約100席用意された席は、主にフランス・レバノン・アメリカメディアで埋まって居た(写真Mohamed Azaki ロイター)

 〜約2時間半に及んだショーで彼は、4カ国語を巧みに操りながら、嬉々として会場を仕切り、時折会場からは拍手すら起こった・・・1月8日、レバノンの首都ベイルートで開かれたカルロス・ゴーン日産自動車元会長の記者会見。世界中からメディアが詰め掛けた会見では何が起こって居たのか〜

 会見を仕切った辣腕フランス人女性

 会場と為ったベイルート・プレス・シンジケートは、ベイルート中心部から車で約20分、市内西部に位置する。市内に滞在して居た海外メディアの記者達は、中心部から右手に美しい地中海、左手に荒廃したビルと新しいビルが混じった町並みを眺めながら会場へ遣って来た。
 元々ベイルートの交通事情は最悪だが、この日は波乱の展開を予想するかの様に大雨で道路は更にカオス状態だった。

 会見が始まる午後3時(日本時間8日午後10時)前には、会場前は多くの人でゴッタ返して居た。今回、ゴーン氏に選ばれ、会見に出席出来た100人に及ぶジャーナリストの殆どはフランス人・レバノン人・そしてアメリカ人で、日本のメディアはホボ参加が許され無かった。その所為か、会場前ではイライラした様子の日本の記者団の姿が見受けられた。
 民間警備員や広報関係者が駐車場へ車を入れようとする中、建物の前は混乱状態と為って居た。これ迄のフランスの著名人に注目が集まった時と同様、今回のショーを仕切って居たのは、危機に陥ったフランスの著名人や大企業が頼りにする広報会社「イメージ7」だ。

 同社を率いるのは、ビジネスマン・ジャーナリスト、政治家の間に極めて大きなネットワークを持つアン・モーと云うブロンドヘアのフランス人女性である。この日もモー氏は会場に訪れ、会見では質問の際にマイクを回す役割まで務めて居た。
 2018年11月18日に逮捕されて以来、ゴーンはアメリカや日本向けの広報担当企業を何度か替えて居るが、グローバル向け戦略に付いては逮捕直後からズッとイメージ7及びモー氏に任せて居る。今回、会見に入れる人選をしたのもゴーン氏の支持を受けたモー氏である。(彼女の画像を探したが、今の処見付からなかった)

 本当は会場の「真ん中」で話したかった

 会見には、CNNやニューヨーク・タイムズ、ウォールストリートジャーナル等、多くのアメリカメディアも訪れて居たが、奇しくもこの日、関係が悪化するイランが、イラクにある米軍基地に弾道ミサイルを発射。アメリカメディアはゴーン会見処では無かったかも知れない。
 他国のジャーナリストからも「自らがイランの支援を受けたヒズボラの誘拐ターゲットに為るかも知れないから大変だ。必ずセキュリティガードと行動しないと危ない」と危惧する声が聞かれた。実際、ヒズボラの支配下にあるベイルートの空港には、殺害されたイランのソレイマニ司令官のポスターがそこら中に掲げられて居る。

 会場はとても暑く、参加者は窓を開けて欲しいと頼んだ。緊張感に包まれた会場では、カメラマン同士や記者が揉めているのも見受けられた。ゴーン氏が妻のキャロル氏と会場に着いたのは、現地時間の2時55分(日本時間21時55分)会見が始まる5分前だ。会場に入る時も多くの報道陣に取り囲まれた。
 会場に入るとゴーン氏は前方に用意されたステージ迄進み、そこで話をしたが、実は会見前は報道陣の「真ん中」に立って話す事を希望して居た。ドナルド・トランプ大統領や、エマニュエル・マクロン大統領がそうする様に、多くの人々に取り囲まれて居る姿をテレビに映したかったのだ。アリーナの真ん中に立って居るボクサーやミュージシャンのイメージだ。

 更に今回、ゴーン氏は会見を出来るだけグローバルなものにしたいと考えて居た。1時間以上に及んだスピーチ後、質疑応答までの休憩時間にゴーン氏は、報道陣の中に分け入って彼等と言葉を交わした。そして「アメリカ人は居ませんか?フランス人?日本?イギリス?アア、イタリアの人ね」と聞き廻り、どの国の報道陣にも1つは質問を出して欲しいと頼んで居た。
 そうして集めた質問に対し、ゴーン氏は英語・フランス語・アラビア語・ポルトガル語と云う4つの言語で対応。会場には、ゴーン氏の家族や友人の為にも2列の「関係者席」が用意されて居た。妻のキャロル氏は勿論、彼のレバノンの弁護士であるカルロス・アブ・ジャウデ氏、フランスの弁護士の1人であるフランソワ・ジムレ氏、そして時には、彼のレバノンの友人が、彼の回答に拍手して居り、マルで政治集会の様な雰囲気に包まれて居た。

 会見後、ゴーン氏は主にテレビメディアの単独インタビューを受けた。フランスはTF1・M6・France24・そしてCNNフランスの4媒体だ。France24は多言語放送をして居り、ゴーン氏はアラビア語と英語を含めた3つの言語でインタビューを行ったと云う。

 目新しい事は語られ無かった

 フランスメディアの反応はおおよそ肯定的だ。筆者が話した記者の殆どが、ゴーン氏のショーマンとしてのパフォーマンスに感心して居た。しかし、当初からこの事件を追って居るジャーナリスト達は不満気だった。結局、何一つ目新しい事が語られ無かったからだ。「レバノン政府に迷惑は掛けられ無い」として、陰謀を企てた日本の政府関係者の名前を挙げる事も無かった。
 又、今回、日本のメディアの参加が限られて居た事に付いて「締め出した積りは無い」「中立的なメディアを選んだ」としたゴーン氏だが、2時間以上に渉って日本の司法制度を批判するのであれば、モッと日本のメディアの参加を許すべきだっただろう。この日、日本メディアから受けた質問は僅か2問だった。

 一方、この日、世界で最もゴーンに関心を寄せ無かったのはレバノン人かも知れない。深刻な経済危機に陥って居るレバノンでは「貧困だけで無く、国の一部では飢餓問題も出て来て居り、ゴーンを気にして居る余裕が無い」と、弁護士でエコノミストのカリム・ダハール氏は言う。
 今回のショーが外国メディアに残したもの。それは、日本の刑事司法制度とゴーン、両方に対する不信感かも知れない。


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 レジス・アルノー 『フランス・ジャポン・エコー』編集長 仏フィガロ東京特派員  以上







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