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2020年01月10日

それは1979年から始まった アメリカとイラン 敵対の歴史を紐解く




 


 

 それは1979年から始まった アメリカとイラン 敵対の歴史を紐解く

          〜BUSINESS INSIDER JAPAN 1/9(木) 8:10配信〜


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               吉川慧氏 Kei Yoshikawa

 1988年東京都生まれ 東京中華学校講師(世界史)ドワンゴのニュース部門等を経て2016年3月から現職 関心領域は政治・国際ニュースの他、歴史、美術、映画、将棋、落語、アニメ・漫画等 お肉が大好き ハフポストの特集企画「#だからひとりが好き」ディレクター  連絡先 kei.yoshikawa@huffingtonpost.jp

 〜トランプ大統領の命令で米軍がイランの革命防衛隊「コッズ部隊」のソレイマニ司令官らを殺害したことで、両国間で緊張が高まって居ます。1月8日、イランはイラク国内の米軍基地をミサイルで攻撃。更なる報復の連鎖と中東情勢の不安定化が懸念されて居ます。アメリカとイランは何故敵対して居るのか。歴史的な経緯を簡単に振り返ってみます〜


 



 
 1 パフラヴィー2世がアメリカと接近

 過つてのイランは今とは違い、シャー・・・古代ペルシアに於ける「大王」の呼称。報道では「国王」「皇帝」等と表記・・・が支配する王政の国でした。第2次大戦期、国王レザー=ハーンは、ナチス・ドイツに接近した事でイギリスやソ連の反発を招き退位させられました。代わって国王と為ったのが、レザー=ハーンの長男モハンマド・レザー・パフラヴィー・パフラヴィー2世です。
 パフラヴィー2世は親英・親米路線でしたが、これに国内の民族主義勢力が反発します。「民族主義」とは、外国勢力からの解放・独立を目指す考えです。特に、イギリス系の石油会社が独占して居たイランの石油利権をイランの手に取り戻そうと云う抵抗運動が強まって行きます。

 1951年、イランでは民族主義者のモサデグ氏が首相に就任。モサデグ首相は石油の国有化を宣言。イギリス系のアングロ=イラニアン石油会社を接収しました。処が、こうした動きにイギリスやアメリカは反発します。1953年、米CIA等の工作によりイランでクーデタが発生。モサデグ首相が失脚し、パフラヴィー2世が再び実権を握りました

 当時は東西冷戦下でもあり、パフラヴィー2世はアメリカに接近。イランは1955年に結成された反共軍事同盟・中東条約機構(METO)に参加しました。アメリカとしても、イランを中東における反共の砦にしたかった訳です。モサデグ失脚で石油国有化も頓挫しました。石油の利権はイギリス・アメリカなどのメジャー・国際石油資本が実質的に支配する事に為ります。

 パフラヴィー2世の親米・独裁体制は、ヤガテ革命を招きました。1978年1月、イスラム教シーア派の聖都コムで、神学生等による反政府デモが弾圧されます。これ以降、王政に反対する動きが全国に飛び火しました。1979年1月、パフラヴィー2世は遂に国外に脱出し王政は崩壊しました。同年2月、フランス・パリに亡命して居た宗教指導者ホメイニ師がイランに凱旋帰国します。
 反体制勢力は王党派を駆逐。新たにイスラム原理主義・反米路線を掲げる新政権が樹立され「イラン=イスラム共和国」が成立しました。革命前迄のイランは中東において、西洋化を通じた近代化のお手本の様な存在でした。処がイラン革命は、こうした発展モデルを正面から否定する事に為った訳です。

 2 上からの近代化「白色革命」

 モサデグ失脚後、パフラヴィー2世はアメリカとの結び着きを強めて行きます。1963年からは「白色革命」と呼ばれる近代化政策が始まり、農地改革や国営工場の民間払い下げ、女性参政権、識字率の向上等が図られました。
 この「白色革命」は王権による上からの強権的な西洋化・近代化でした。その為宗教勢力や民族主義者などが反発します。処が、改革に反対する勢力は秘密警察に弾圧され、言論や思想の自由も封じ込まれました。

 パフラヴィー2世は、豊富な石油マネーを基に軍備拡張や更なる近代化を進めます。1973年の第3次中東戦争を切っ掛けとした第一次オイルショックの後、石油価格が高騰した事も背景にありました。 急激な近代化は、貧富の格差を広げる事に。都市には地方から農民が流入し農村は疲弊。インフレが発生し、国民の間では次第に経済的な不満が高まって行きます。







 3 イラン革命(1979年)

 パフラヴィー2世の親米・独裁体制は、ヤガテ革命を招きました。1978年1月、イスラム教シーア派の聖都コムで、神学生らによる反政府デモが弾圧されます。これ以降、王政に反対する動きが全国に飛び火しました。
 1979年1月、パフラヴィー2世は遂に国外に脱出し王政は崩壊しました。同年2月、フランス・パリに亡命していた宗教指導者ホメイニ師がイランに凱旋帰国します。反体制勢力は王党派を駆逐。新たにイスラム原理主義、反米路線を掲げる新政権が樹立され「イラン=イスラム共和国」が成立しました。

 革命前迄のイランは中東において、西洋化を通じた近代化のお手本の様な存在でした。処がイラン革命は、こうした発展モデルを正面から否定する事に為った訳です。

 4 米大使館人質事件とイラン=イラク戦争(1980〜88年)

 ホメイニ師を最高指導者とするイラン新政権は、中央条約機構・中東条約機構[METO]の後進から離脱する等反米政策を進めます。更には、イランから逃れたパフラヴィー2世の受け入れをアメリカが認めた事で、ホメイニ支持の学生達がテヘランのアメリカ大使館を襲撃。1年以上も大使館員とその家族52人を人質に捕る事件が発生しました。(アメリカ大使館人質事件)
 当時、アメリカのカーター大統領(民主党)は救出作戦を指示するも失敗。この事件は、カーター政権が1期4年で終わり、共和党のレーガンが大統領に為る切っ掛けに為ったと言われています。

 イラン革命後、イスラム教の宗派でスンニ派が優位の近隣国は、シーア派系住民による革命が広がることを懸念します。隣国イラクのサダム・フセイン政権はアメリカの支援の下、革命の混乱に乗じてイランに侵攻。この「イラン・イラク戦争」は8年に及ぶ泥沼の戦いに為りました。
 
 5 イラン核疑惑(2002)と核合意(2015)アメリカの離脱

 革命後の1980年以来、イランとアメリカは断交が続いて居ますが、対立が一層深まる事態が2002年に起こります。イランが核兵器を開発して居るのではと云う疑惑でした。イラン側は平和利用を主張しましたが、アメリカや西欧各国などは経済制裁を実施しました。
 2015年、アメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・中国・ロシアの6カ国は、イランと核開発に関する協定で合意に漕ぎ着けます。

 イランに求められたのは、核兵器に用いる様な高濃縮ウランや兵器級プルトニウムを15年間生産し無い事と、ウラン濃縮に使われる遠心分離機を大幅に減らす事でした。合意を受け欧米各国は、イランへの経済制裁を緩和する事に為りました。
 オバマ政権が締結したイランとの核合意でしたが、当時アメリカ国内では共和党を中心に「甘過ぎる」と批判が出ていました。

 その後就任したトランプ大統領は2018年5月、イランとの核合意からの離脱を一方的に宣言。制裁を再開します。直近のアメリカとイランの緊張は、此処が契機に為ったと言われています。アメリカの核合意離脱を受けて、イランは2019年5月から核合意の履行を段階的に停止して居ます。なお、イラン政府は1月5日、核合意に基づくウラン濃縮等の制限を全て放棄すると表明。
 更に、アメリカが原子力空母をイラン周辺に派遣する等軍事的圧力を掛けたり、イランが米軍の無人機を撃墜したりと、次第に両国の緊張が高まって行きます。







 6 米軍、ソレイマニ司令官殺害(2020年)

 イラン革命から40年余りが経った今、イランとアメリカの緊張の糸は、又も張り詰めてしまいました。2019年12月末、イラク北部キルクークにあるイラク軍基地にロケット弾が撃たれ、民間業者のアメリカ人1人が死亡。米軍とイラク軍の複数の軍人が負傷しました。
 首都バグダッドでもイランの支援を受ける民兵組織の支持者がアメリカ大使館を包囲、投石する事態が発生しました。米軍によるイランのソレイマニ司令官ら殺害のニュースが伝えられたのは、その直後の1月3日です。アメリカ側はソレイマニ司令官の影響下にあったシーア派民兵組織が、アメリカ人や米軍施設への攻撃を計画していたことを殺害理由として居ます。

 一方で、2020年11月に大統領選挙での再選を狙うトランプ大統領が、選挙を意識して取った行動ではないかと云う指摘もあります。又、自身が下院の弾劾決議を受けた不正疑惑「ウクライナ疑惑」から目を逸らす為では……という声もでて居ます。
 ソレイマニ司令官らの殺害後、トランプ氏は「我々はイランの52の地域を標的にした」とツイート。この「52」と云う数字は、アメリカ大使館人質事件での人質の数を意味して居るとされます。イラン問題が失脚に繋がったカーターの様に、これで大統領選に負ける訳には行かないという意思表示なのでしょうか。

 何れにしても報復の連鎖に歯止めは掛かるのか。イランのミサイル発射を受けて、トランプ大統領は1月9日に何らかの声明を発表すると表明して居り、その内容に注目が集まります。


          1-11-2.jpg

                文・吉川慧     以上







 
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