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2020年01月28日

社会主義の敗北を認め無い 日本共産党の空しき抵抗




 社会主義の敗北を認め無い 日本共産党の空しき抵抗

     〜JBpress 筆坂 秀世 元参議院議員・政治評論家 1/28(火) 6:00配信〜


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 日本共産党 第28回党大会 1/18
 
 16年振りの綱領改定が大きな議題と為った日本共産党の第28回党大会が、1月18日に終った。只その改定内容は、実に空しいものであった。「相手が居ないのに自分だけで気負い込む事。実りの無い物事に必死で取り組む事」を「独り相撲を取る」と云うが、正しくそれが今回の綱領改定であった。
 日本共産党が戦後の活動の指針として来たのは、1961年の第8回党大会で決定された「日本共産党綱領」(61年綱領)であった。その後、ソ連崩壊等様々な出来事に応じて改定を繰り返して来たが、この綱領を大きく変えるものでは無かった。

 全面的な改定が行なわれたのが2004年の第23回党大会であった。今回の党大会では、この綱領(04年綱領)の核心部分を削除すると云う改定が行われた。この3つの綱領の中身を吟味すると日本共産党と云う政党が、いかに物事を正しく認識しないで、ご都合主義的な現状分析・情勢分析を行って来たかが好く分かる。

 ソ連等の社会主義国を徹底的に美化して居た61年綱領

 61年綱領を今読めば、現実とは大きく掛け離れた分析に、多くの共産党員は恥ずかしく為るか、信じ難いものを見たと思う事だろう。例えばこの綱領では「資本主義世界体制は衰退と腐朽の深刻な過程にある」「世界史の発展方向として帝国主義の滅亡と社会主義の勝利は不可避である」等と分析して居た。だがこの数十年、現実に進んで来たのは帝国主義(資本主義のこと)の滅亡では無く、ソ連、東欧諸国等社会主義の滅亡であった。

 又、社会主義陣営を「平和と民族独立と社会進歩の勢力」と規定して居た。しかし事実はどうだったか。ソ連国内では、スターリンによって反対派の粛清・大弾圧が行われ、酷寒のシベリアには数百万人もの農民等が強制収容所に送り込まれ囚人労働に従事させられて居たと言われて居る。
 対外的にも、バルト三国の併合、ナチス・ドイツとのポーランド分割支配迄行って来た。スターリンは、ヤルタ会談でルーズベルト米大統領やチャーチル英首相に対して、日本の千島列島等の領有を認める様要求した。これは当時、ソ連も認めるとして居た「領土不拡大」の原則に反するものであった。

 ソ連だけでは無く、社会主義陣営で複数政党制や議会制民主主義を採用して来た国は1つも無い。全てが共産党や労働者党等の一党独裁体制が敷かれて来た。中国では、ウイグル民族やチベット民族への弾圧が現在も行われて居る。「平和と民族独立と社会進歩の勢力」の正反対の勢力が社会主義陣営だったのだ。61年綱領の分析は完全に間違って居たと云う事である。

 本当の社会主義は失敗して居ないと弁明

 ソ連や東欧諸国の社会主義体制の終焉によって、世界でも日本でも「社会主義は敗北した」と云うのが常識的な見方と為った。だが日本共産党はそれを簡単には認め無い。何と弁明するのか。04年綱領には次の様にある。

 〈レーニン死後、スターリンを初めとする歴代指導部は、社会主義の原則を投げ捨てて、対外的には、他民族への侵略と抑圧と云う覇権主義の道、国内的には、国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する官僚主義・専制主義の道を進んだ。「社会主義」の看板を掲げて行われただけに、これ等の誤りが世界の平和と社会進歩の運動に与えた否定的影響は、取り分け重大であった〉

 要するに、社会主義の原則を投げ捨てて間違った道を歩んで来た。だから失敗したのだと言うのだ。続けて次の様に言う。

 〈ソ連とそれに従属して来た東ヨーロッパ諸国で、1989〜91年に起こった支配体制の崩壊は、社会主義の失敗では無く、社会主義の道から離れ去った覇権主義と官僚主義・専制主義の破産であった〉

 社会主義の失敗では無かった。本当の社会主義は失敗して居ないと弁明するのである。しかし、そうだとすれば、国によって政党名は違うが、マルクス主義を掲げた共産党等の政権政党で道を踏み外さ無かった処は、只の1つも無かったと云う事に為る。正義の味方の筈の共産党が、世界では悪の権化に為って居た。これではいかにも説得力に欠ける。
 しかも、社会主義は失敗ばかりだったと云うのでは、共産党を名乗る日本共産党に取っても決して喜ばしい事では無い。過つては高らかに声を挙げて居た社会主義の未来を語れ無く為ってしまうからである。

 社会主義の敗北を認め無い為の04年綱領
 
 そこで04年の綱領改定で挿入されたのが、前段の2つの規定である。先ず1つ目は次の様に書かれて居る。

 〈今日、重要な事は、資本主義から離脱した幾つかの国々で、政治上・経済上の未解決の問題を残しながらも「市場経済を通じて社会主義へ」と云う取り組み等、社会主義を目指す新しい探究が開始され、人口が13億を超える大きな地域での発展として、21世紀の世界史の重要な流れの1つと為ろうとして居る事である〉

 中国・ベトナム・キューバの取り組みが「世界史の重要な流れ」だと云う事だ。ソ連、東欧は駄目だったが、これ等の国々が社会主義の優位性を示して行くだろうと云うのだ。楽観的としか言い様が無いが、藁にも縋る思いだったのだろう。
 だが現在の中国を見て、社会主義を目指す国等と思って来たのは恐らく日本共産党だけだろう。誰もが共産党一党独裁の覇権主義国家であり、国際法を無視する軍事大国と見て着た筈だ。「政治上の未解決」等と簡単に言って居るが、自由も民主主義も人権も抑圧された社会と見て来た。だから香港での市民の戦いがあり、台湾の総統選挙でも「中国共産党にノー」の審判が下されたのだ。更に未だ有る、と云うので次の一文も挿入された。

 〈21世紀の世界は、発達した資本主義諸国での経済的・政治的矛盾と人民の運動の中からも、資本主義から離脱した国々での社会主義への独自の道を探究する努力の中からも、政治的独立を勝ち取りながら資本主義の枠内では経済的発展の前途を開きえ無いで居るアジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの広範な国々の人民の運動の中からも、資本主義を乗り越えて新しい社会を目指す流れが成長し発展する事を、大きな時代的特徴として居る〉

 延々と書いてあるが、南米ベネズエラでのチャベス政権の誕生を指して居る。チャベス政権は、自ら「新しい社会主義」を掲げて居たからだ。これを「大きな時代的特徴」と迄持ち上げてしまったのである。
 だが、石油価格が下落するとベネズエラ経済は大失速し、国民の暮らしは大変な事態に追い込まれて居る。チャベスの後継者と為ったマドゥロ政権の下でも市民の反政府デモを暴力的に鎮圧し、多数の死者を出して居る。此処でも評価を完全に誤ってしまったのだ。

 自慢の「科学の目」は間違ってばかり

 04年綱領策定の中心を担ったのは、当時の不破哲三中央委員会議長である。この人の造語に「科学の目」と云うのがある。物事を正しく認識するには、科学的に物事を見無ければ為ら無いと云う意味である。04年綱領の前段の2つの規定は、その面目躍如と云うべきものだろう。
 処が今回の綱領改定では、この04年綱領の売り物だった規定が、2つ共全文削除と云う事に為った。この規定が間違って居たからだ。これが自慢の「科学の目」なのである。

 過つては、地球上の半分の人々が社会主義の下で暮らして居る。この地球は、資本主義から社会主義へ発展して居る。これは歴史的必然であると言って居た。だが、党大会での志位和夫委員長の発言によると、キューバもベネズエラのマドゥロ政権を支援して居るので駄目だそうで、残るはベトナムだけと為ってしまった。社会主義は、この地球上からホボ消えてしまった事を証明したのが今回の党大会だったのだ。
 マア、ドッチにしても3つの綱領が社会や日本の政治に大きな影響を与えた訳では無い。日本共産党がその内部で勝手に、アアでも無いコウでも無いと、独り相撲を取って居ただけだ。遊びの世界なのである。だがその無責任さには呆れるしか無い。


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               筆坂 秀世   以上









 ココで一服・・・牛乳を飲むとお腹が緩く為る 理由を管理栄養士に聞いてみた

          〜教えて!goo ウォッチ 2020年1月28日 8時0分〜

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 体質の所為か筆者は、牛乳を飲むとお腹が緩く為る事が多い。冷たい牛乳なら猶更だ。出来れば冷たい牛乳でも問題無く飲める様になりたいと常々思って居たが・・・「教えて!goo」にも「牛乳を飲むとお腹がゴロゴロし下してしまいます」と云うユーザーから投稿がされて居る様に、この様な人は少無く無い様だ。そこで今回は、牛乳を飲むとお腹が緩く為る理由やその対処法に付いて、管理栄養士の遠藤ミキさんに聞いてみた。

 冷たい牛乳を飲むとお腹が緩く為るのは何故?

 そもそも何故冷たい牛乳を飲むとお腹が緩く為ってしまうのだろうか。

 「『冷たい牛乳』 との事ですが、冷たい飲みものと牛乳とに分けて説明します。冷たい飲み物は、飲む事で胃腸が冷やされ、消化管全体の血行が悪く為ります。血行が悪く為る事で、消化機能が低下しお腹が緩く為ったり、下痢をし易く為ったりします」

 では、冷たい牛乳によるお腹の不調も温度に起因すると云う事だろうか。

 「牛乳に含まれる『乳糖』を分解するラクターゼと云う酵素があります。冷たい牛乳を飲むとお腹が緩く為るのは、胃腸が冷えて、ラクターゼの分泌が更に悪く為ってしまって居ると考えられます」

 ラクターゼと云う酵素の分泌不足と低温による消化機能の低下が、お腹が緩く為る理由と云う事が分かった。

 乳糖不耐症って何?

 牛乳を飲むとお腹を壊す原因に「乳糖不耐症」と云うのが関係して居ると聞いた事がある。

 「乳糖不耐症とは、牛乳の中に含まれて居る乳糖(ラクトース)を分解する酵素が不足する事が原因です。お腹の中に入った牛乳の中に含まれる乳糖は、分泌されるラクターゼによって分解され、吸収されます」
 
 詰まり、乳糖不耐症とはラクターゼが不足して居る状態なのだ。

 「ラクターゼが十分に働いて居る人は、消化・吸収される為、お腹の調子が悪く為りません。牛乳は乳糖を多く含む代表的な食品です。なお、母乳にも乳糖が多く含まれて居ます」

 母乳を飲んで下痢をする赤ちゃんと云うのは、余り聞いた事が無い様な気がするが・・・

 「赤ちゃんの頃は母乳を消化する為、又、子供の頃は牛乳を飲む機会が比較的多い為、ラクターゼが活発に働いて居ます」

 大人に為ってから牛乳や乳製品を摂取する機会が減ると、ラクターゼの分泌が減る事があるとのこと。

 温めた牛乳やヨーグルト等では症状が出無いのは何故?

 冷たい牛乳を飲むとお腹が緩く為る人でも、温めた牛乳やヨーグルトではお腹が緩く為ら無い場合がある。

 「冷たいと消化機能が低下しますが、温める事で血行が好く為り、冷たい場合に比べて乳糖分解酵素を分泌する能力が高く為る事が考えられます」

 腸の働きが増す事で、乳糖を消化出来る様に為る。

 「ヨーグルトは牛乳に比べると乳糖の量が少なく、又食べるタイプのプレーンヨーグルトは牛乳に比べて粘度があり、胃腸を通るスピードも牛乳に比べると遅いので、乳糖分解酵素の分泌を受け易いと考えられます」

 成程。だから冷たい牛乳が飲め無い人でもヨーグルトを問題無く食べる事が出来たのか。なお、低脂肪牛乳等牛乳にも色々な種類があるが、種類を変えると下痢し難いと云う事はあるのだろうか。

 「低脂肪牛乳は、普通牛乳に比べると乳糖の量が多く為って居ます。低脂肪牛乳で大丈夫と云う人は、他に原因があるのかも知れません」

 普段から油を取り過ぎて下痢をし易く為って居る人は、低脂肪牛乳にすると胃腸への負担が軽く為る事があると云う。お風呂上り等に冷たい牛乳を一杯飲むのは、又格別の美味しさだ。只、お腹の弱い人は胃腸への負担を考えると温めて飲むのが好いだろう。それでもお腹の調子が悪く為ると云う人は、ヨーグルトやチーズなど他の乳製品にするのも一つの方法だろう。


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 専門家プロフィール 遠藤ミキさん 料理研究家、管理栄養士。札幌市の料理教室 料理日和 代表。初心者でも安心して学ぶことができ、日々の料理がもっとおいしく、ますます楽しくなるような企画の立案やレシピの作成を精力的に行う。特に、基礎から自分のペースで学べるマンツーマンレッスンには定評があり、ファンも多い。
 
       教えて!goo スタッフ Oshiete Staff   以上









 【管理人のひとこと】

 ナカナカ手厳しい筆坂氏の批判でした。しかし管理人が、日本に在る政党の中で一番に信頼し期待の持てるのが共産党と云う団体です。それは、彼等が教条主義にも似た理想主義を捨て無い・・・或る意味バカ正直で純粋な探求心の旺盛な人達だろうと想像するからです。
 世界に、共産主義の思想で理想的な国を作った例は今の処存在しません。旧ソ連にしろ現在の中国でも、実際は思想とは相容れ無い、個人の自由も無い一党独裁の非民主主義の独裁国家体制です。キューバが頑張って居ますが経済的には苦しい状況でしよう。
 管理人は共産党員でもそのシンパでもありませんが、理想は理想で、現実には不可能と判って居ても、それを目標として現実と妥協して行く・・・だから、一歩一歩理解を広げ仲間を増やして行く努力を続けて居る。彼等はその過程に在るのだと考えて居る筈です。だから、彼等・彼女等の日常は、悪を嫌い、清貧で勉学に励み「理想的な国に一歩でも近付く」事を念頭に活動して居ると思うからです。

 その理想的な国家とは、貧しくとも生き甲斐があり貧富の差の無い「皆が幸福な国」なのでしょう。行き詰った資本主義の短所を補い、彼等の思想の好い面で多くの人達を幸せにしようと考えて居る・・・理想に身を捧げる神父でありシスターであり僧侶なのです。無論彼等は聖職者では無く生身の人間ですから、間違いもあり失敗も続けるでしょう。
 恐らく彼等は幾らジリ貧に為っても「共産党」の党名は捨て無いでしょう。それは、目標だけは捨てられ無い「生きて行く為の糧」だからなので、理想に一歩でも近付いた社会を目指して居るからです。言い換えれば少数の大富豪を生む体制を嫌い、大多数の貧しくとも幸せな人々が集う社会が理想なのです。この様な政党が我が国に存在しても好いのです。日本的共産党思想・・・と云うのが、現在に引き継がれた志位委員長が目指すものなのでしょう。
 ですから、今までに何度失敗しても好いのです。次々と理想を変えても好いのです。新たな目標が次々と生まれても好いのです。仲間内での路線・思想対立が在っても然り、それを乗り越え排除せず共に新たな目標へと向かえば好いのです・・・これは、飽く迄理想論ですが。

 それと管理人は少々便秘気味。何とかしたい時には必ず冷たい牛乳をコップ1〜2杯、グーっと一息で飲み干すと、アラ不思議・・・必ず少量の勝利は味わえるのです。それと、コーヒーを飲む時は常にブラックに牛乳を容れるのが癖に為って居ます、悪しからず。







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「桜を見る会」安倍首相の支持層に起きた「異変」 世論調査のデータから見える有権者の「本音」




 「桜を見る会」安倍首相の支持層に起きた「異変」

  世論調査のデータから見える有権者の 「本音」

       
        〜withnews 朝日新聞社記者・磯部佳孝1/28(火) 7:00配信〜


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         安倍晋三首相(左)2018年9月15日 佐賀市 角野貴之撮影 朝日新聞

 1月に始まった通常国会で焦点の一つが、安倍晋三首相の「私物化」が指摘されて居る「桜を見る会」の問題です。野党の支持層が批判的なのは判りますが、朝日新聞の世論調査をみると、安倍首相を支持する層に「異変」が起こって居る事が分かりました。問題が発覚した2019年11月以降の世論調査から、首相支持層の本音を探りました。

 政権の対応に「納得できない」73%

 1月25日と26日に行った朝日新聞の世論調査では、「桜を見る会」に付いて、次の様に聞きました。
     
 【質問】あなたは、「桜を見る会」をめぐる一連の問題で、安倍政権の対応に納得できますか。納得できませんか。(2020年1月調査)

  納得できる  14%
  納得できない 73% 
 *その他・答え無いは省略
    

 「桜を見る会」は一部の時期を除いて、首相が毎春、東京・新宿御苑で主催して来ました。各界で活躍する人達を慰労し親睦を深めるのが目的で、当時の吉田茂首相が戦前に開かれていた春の「観桜会」等を参考に1952年に始めました。
 処が、昨年11月の臨時国会で「桜を見る会」が問題化します。安倍首相が主催する様に為ってからは、各界の著名人の他に、安倍首相の地元の支援者が多く招待されて居たとして、野党が安倍首相による「桜を見る会」の「私物化」だと指摘したのです。

 こうした批判を受けて、政府は今年の「桜を見る会」の開催を中止しました。安倍首相は招待者の増加に付いて「私自身も反省し無ければ為ら無い」と陳謝したものの「私物化」との指摘を払拭する様な具体的な説明がされ無いまま、年を越しました。

 首相支持層に溜る「不満のマグマ」

 1月の世論調査をみると、問題発覚から3カ月経っても、安倍首相の説明に対する有権者の厳しい視線がある事が伺えます。
 この間、内閣支持率は11月44%(不支持36%)12月38%(不支持42%)1月38%(不支持41%)と推移し、支持は40%を切ったママです。
 2012年12月に始まった第2次安倍政権では、年末年始を挟んだ12月から1月の内閣支持率は上がる事が多かったのですが、今回は横バイでした。不支持が支持を上回る状況も2カ月連続です。「桜を見る会」の問題が尾を引いて居る様です。

 それでは、安倍首相の支持基盤と言える内閣支持層と自民支持層は「桜を見る会」の問題をどう見て居るのでしょうか。      

 【質問】「桜を見る会」に付いて、安倍首相は「私は、招待者のとり纏め等には関与して居ない」と説明しています。アナタは、安倍首相の説明に納得できますか。納得できませんか。(2019年11月調査)

  納得できる   全体 23% 内閣支持層 40% 自民支持層 37%
  納得できない  全体 68% 内閣支持層 49% 自民支持層 53%
 *その他・答えないは省略
    

 【質問】「桜を見る会」を巡る一連の問題に付いて、アナタは、安倍首相の説明は十分だと思いますか。十分では無いと思いますか。(2019年12月調査)

  十分だ    全体 13% 内閣支持層 25% 自民支持層 21% 
  十分では無い 全体 74% 内閣支持層 61% 自民支持層 67%
 *その他・答えないは省略
  

 【質問】アナタは「桜を見る会」を巡る一連の問題で、安倍政権の対応に納得出来ますか。納得出来ませんか。(2020年1月調査)

  納得できる  全体 14% 内閣支持層 29% 自民支持層 24%
  納得できない 全体 73% 内閣支持層 58% 自民支持層 62%
 *その他・答えないは省略
     

 内閣支持層と自民支持層で、安倍首相や政権に対する否定的な評価が高いママである事が判ります。この問題を巡っては、安倍首相の支持層にも「不満のマグマ」が溜って居ると言えそうです。

 通常国会で首相の説明は――

 今月20日に始まった通常国会。安倍首相は施政方針演説で「桜を見る会」の問題には一言も触れませんでした。更に、首相の施政方針演説に対して各党が質問する代表質問でも、野党の党首らから「桜を見る会」の問題に付いて問われましたが、安倍首相はこれ迄と変わら無い答弁を続けて居ます。
 通常国会では、与野党議員と安倍首相らが一問一答形式で遣り取りする予算委員会が1月27日から始まりました。果たして、安倍首相から納得の行く説明があるのでしょうか。


                  以上









 安倍政権の強さ「定食屋」に例えると・・・世論調査が示す「常連」

   〜安倍内閣 第1次政権と第2次政権の違いは?朝日新聞 世論調査部 2015年2月26日〜

 • 第1次 38%  第2次 45%
 • 離れぬ「常連客」
 • 支持する理由トップは・・・
「他より好さそう」

 通算在職日数が歴代最長と為った安倍晋三首相。1年で退陣した第1次政権と、7年続く第2次政権は何が違うのでしょうか?世論調査のデータで分析すると、長期政権を支えて来た世論の実態が浮かんで来ました。鍵を握って居るのが「常連客」の存在です。安倍政権の強さを「定食屋」に例えながら、探って観ました。(朝日新聞記者・磯部佳孝)

 第1次「38%」⇒第2次「45%」

 アナタは、安倍内閣を支持しますか、支持しませんか・・・朝日新聞の世論調査では毎回、内閣支持率を出して居ます。安倍政権の内閣支持率の平均を比べると、第1次政権と第2次政権でガラリと変わって居ます。

 【アナタは、安倍内閣を支持しますか。支持しませんか】

 第1次政権(06年9月〜07年8月) 支持 38% 不支持 42%
 第2次政権(12年12月〜)    支持 45% 不支持 34%
 ※2016年7月から調査方法などが一部変更


 安倍政権を「定食屋」に例えるなら、第1次政権は第2次政権より繁盛して居無かったことが見て取れます。

 第2次政権を支える人達は 男性・若者・自民支持層

 第2次政権の支持率の高さは、自民党の歴代長期政権の中でも小泉政権に次ぐ水準です。今年11月の調査結果を観てみましょう。

 【アナタは、安倍内閣を支持しますか、支持しませんか(2019年11月)】

 支持 44% 不支持 36%
 ※その他・答えないは省略


 今年は常に4割台の支持率を維持して居ます。長期政権で支持率を失わ無いワケは何処にあるのでしょうか。世論調査では、全体の数字だけで無く、性別や年代、支持する政党と云った項目毎に内閣支持率を見ることが出来ます。11月調査ではどうだったのでしょうか。

 【アナタは、安倍内閣を支持しますか、支持しませんか(2019年11月)】

 性別  男性 支持49% 不支持34% 女性 支持38% 不支持37%
 年齢別  支持   不支持 
 18〜29歳 47%   25%
 30代   51%   22%
 40代   46%   32%
 50代   47%   35%
 60代   35%   46%
 70歳以上 39%   46%


 支持政党別

  自民支持層 支持 80% 不支持 9%
  無党派層  支持 23% 不支持 45%
 ※その他・答えないは省略


 男性の支持率が49%、年代では18〜29歳は47%・30代は51%と高い事が目立ちます。支持政党では自民支持層の80%が支持して居ます。第2次政権を主に支持して居るのは男性・若者・自民支持層と言えそうです。 
 平均支持率で見ると、第2次政権では20代以下の男性が6割弱、30代と40代の男性が5割の支持率でした。ちなみに第1次政権では男女共に60代以上の支持率が比較的高く、40代以下の男性の支持率が高い第2次政権とは対照的です。この変化は「定食屋」の客層が第2次政権では若い人達に広がったとも言えます。更に第1次政権と第2次政権で違いが大きいのは、自民支持層の支持率の動きです。

 離れぬ「常連客」

 【自民支持層の内閣支持率】

 第1次平均 支持 77% 不支持10%  第2次平均 支持 83% 不支持 6%

 これは、自民支持層の内閣支持率の平均です。安倍首相は自民党のトップ・党総裁でもあり、定食屋で例えるなら、自民支持層はその店の「常連客」です。第1次政権が短命に終わり、第2次政権が長く続いている背景には、この「常連客」の動きがありました。
 第1次政権は発足当初コソ、自民支持層の支持率は89%でしたが、その後の閣僚の相次ぐ辞任等によって低下します。

 参院選直前の07年6月には最低の64%と為り参院選は惨敗。内閣改造を行った8月は78%に持ち直しましたが、敗戦のダメージは大きく、自身の体調不良も重なり退陣に繋がりました。肝心の国政選挙で「常連客」が離れてしまえば、選挙に勝って定食屋を続けて行く事は難しく為ります。
 一方、第2次政権では、自民支持層の支持率は70〜90%台で推移します。財務省の公文書改ざん等が発覚した直後の18年4月は68%に下がりましたが、その翌月には74%と持ち直しました。5度の国政選挙前には何れも70%台後半〜90%台前半をキープして織「常連客」を離さ無い事が第2次政権の強みと為って居ます。

 支持する理由トップは・・・「他より好さそう」

 では「常連客」が第2次政権で離れて行か無いのは何故でしょうか。朝日新聞の世論調査では16年7月以降、内閣を支持する人にその理由を次の4つの選択肢の中から聞いています。11月は次の様な結果に為りました。

 【内閣を支持する理由(2019年11月)】

 ・1他よりよさそう 全体 56% 自民支持層 53%
 ・2政策の面 全体 16% 自民支持層 17%
 ・3自民党中心の内閣 全体 15% 自民支持層 17%
 ・4首相が安倍さん 全体 11% 自民支持層 11%
  ※5その他・答え無いは省略


    1-28-11.png

 自民支持層の内閣支持理由のトップは、この4つの選択肢では常に「他より好さそう」です。更に11月調査では、長期政権の理由に付いても聞きました。

 【安倍政権が長い間続いて居る理由に付いて、アナタの考えに近いものは、次のうちドチラですか(2019年11月)】

 他に期待できる人や政党が無い  全体 82% 自民支持層 74%
 安倍さんの政治姿勢や政策が好い 全体 14% 自民支持層 25%
 ※その他・答え無いは省略


 第2次政権を支えて来たのは、熱烈な安倍政権への支持者よりも、消極的な支持者の方が多いと言えそうです。その背景には、安倍首相が2012年12月の衆院選で当時の民主党から政権を奪還し、その後5回の国政選挙で勝ち続けて居る事があります。
 自民支持層に取っては、安倍首相は与党への返り咲きを果たした功労者であり、自民党内に他に期待出来る人が台頭して来ない限りは、今のママで好いという意識が働いて居るのではないでしょうか。
 例えるなら、近所のライバル店が店名を変えてもパッとせず、内輪モメで客足が伸び無い中、特別美味しい訳では無いけれど、他の店よりは好さそうな定食屋「安倍」に客が集まって居る。そんな状況なのかも知れません。


                   以上













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2020年01月27日

元防衛大臣・驚愕の発言 「 何ででコンなに必要だったの?」沖縄・ヘリパッド建設強行の舞台裏  




 元防衛大臣・驚愕の発言 「 何ででコンなに必要だったの?」 

 沖縄・ヘリパッド建設強行の舞台裏


              〜AERA dot.〈dot.〉 1/27(月) 17:00配信〜


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 ヘリパッド建設に抗議する市民は、本土・沖縄連合の機動隊員によって強制排除された 2016年7月(写真 阿部岳)

 昨年末、沖縄の東村・高江の集落を囲む様に造られた「米軍ヘリパッド」建設に際し、政府高官が日本の民間企業に建設協力を打診し、便宜供与を匂わせて居た事が明らかと為った。
 企業側の内部メモから浮かび上がって来たのは、徹底的に民意を蔑ろにする政権の姿だ。内部メモの存在をスクープした沖縄タイムスの阿部岳記者が、本土復帰後最悪の「165日」の現場を克明に描いた著書『ルポ沖縄 国家の暴力』(朝日文庫)で明かした「政府暴走」の一端を公開する。

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                   和泉洋人首相補佐官

 沖縄の山奥で引き起こされた数々の無法と、政権中枢が一本の線で繋がった。入手した内部メモを読んで、「矢張りそうだったのか」と云う感慨の様なものを抱いた。現場を這い回った日々の記憶が蘇った。
 メモの中で、和泉洋人首相補佐官は「本件は官邸で官房長官直結で私が仕切って居り、一省庁の問題では無く国の問題」と発言して居た。菅義偉官房長官の側近として、官邸で権勢を振るう人物。「本件」は米軍のヘリパッドを、東村高江周辺に建設する事業を指す。

 沖縄本島北部、広大な森に広がる北部訓練場の約半分を返還する。代わりに、返還区域に在ったヘリパッドを引き続き使う区域に移設する。そう云う大義名分だったが、新設の6カ所がよりによって集落を取り巻く様に配置され、防衛省から真面な説明も無かった。オスプレイやヘリが飛び交う下では、危ないし煩くて暮らせ無い。地元の高江区は反対し、2007年に始まった工事は抗議行動で中断して居た。
 2016年7月工事を再開した政府は、反対を好く知った上でアラユル手段を使って抵抗を潰しに掛かった。人口約140人の集落に、全国6都府県の警察から機動隊員約500人を差し向けた。工事に必要な資機材の搬入が座り込みで阻止されると、陸上自衛隊のヘリを投入して運ばせた。

 内部メモはヘリ投入の翌日に当たる2016年9月14日に、電源開発(東京・Jパワー)が作成した。この日午前、会長が和泉補佐官から官邸に呼ばれた時の遣り取りが記録されて居る。
 電力卸売りが主力のJパワーは、建設現場近くに発電所を持って居た。政府はその発電所の建屋を作業員や防衛省職員の休憩用に使わせたいと考えたが、事務レベルの折衝でJパワーが断った。県民が反対する基地建設に肩入れして居ると見られては、沖縄での事業が難しく為る。だが、会長を呼び出した和泉補佐官は、有無を言わせ無かった。

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           安倍パワー満開の和泉首相補佐官の公費半休出張

 「懸念は理解するが、国が米国との関係の中で急いで居る事業と受け止めて、協力して欲しい。中立とか言うのは勘弁して下さい。会長から下して貰い、事務局間で相談させて欲しい」

 会長は「国の強い要請と受け止める」と応じざるを得無かった。和泉補佐官は「有り難い。海外案件は何でも協力しますから」と、海外で事業展開するJパワーへの便宜供与迄匂わせて居た。

 此処で政府側が得たのは、発電所の建屋を使わせて貰う、と云う非常に些細なメリットである。これによって工事が劇的に進んだ訳では無い。政府高官が熱心に民間企業トップを説き伏せ、行政の公平性を歪める様な危ない橋を渡る。何故此処迄するのか、不思議な感じがするかも知れない。
 これは、私が高江の現場でズッと感じて来た違和感と一致して居る。払った犠牲と得た成果がどうしても引き合わ無いのだ。人権を踏みにじり民主主義を破壊し、法を破って約94億円の税金を投入した。引き換えに手にしたものは、直径45メートルの米軍ヘリパッド6カ所である。周辺には、既に15カ所のヘリパッドが在った。

 驚くべきエピソードが有る。工事が一段落した2017年1月、高江区の区長が、防衛省の大臣室を訪れた時の事。新設ヘリパッドの配置図を示すと、当時の稲田朋美防衛相はこう言ったと云う。「何でコンなに必要だったんでしょうね」建設を強行した防衛省の責任者が、必要性を根本から問うて居る。ズッと反対して来た区長は呆気に取られ「ハイ、そうなんですよ」と返すのがヤッとだった。

 「何でコンなに」その答えを政府は知ら無い。政府が知って居るのは、米軍が必要だと主張して居る事・・・それさえ知って居れば十分だ。
 内部メモは和泉補佐官の発言を伝える。「米国政府は、日本政府は沖縄関連で何もして居ないと見て居る。本件は、日本政府も汗を流して居る証拠として、20年間放置されて居た件を動かした」米国の目にどう映るかだけを気に掛ける日本政府の卑屈さが痛々しい。

 今、名護市辺野古の海で、全く同じ構図の新基地建設が進んで居る。総事業費は政府発表で高江の100倍に当たる9300億円に上り、更なる膨張も確実視される。民意と豊かな海を埋め殺して造るのは、長年リストラ対象と為って来た海兵隊の、しかも輸送部隊しか使え無い飛行場である。和泉補佐官は此処でも強行の指揮棒を振るって居る。
 これは安全保障政策では無い。日本をボロボロにする事と引き換えにした米国への隷従であり「売国的」ですらある。


              沖縄タイムス・阿部岳   以上









 沖縄のヘリパッド建設強行に立ち上がった意外な人とは?

            〜AERA# 沖縄問題 渡辺豪 2016.10.24 07:00〜


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 機動隊と市民の鬩ぎあいが続く沖縄・高江周辺 道路封鎖などが続き、近隣住民からは生活への影響を訴える声も出て居る(c)朝日新聞社

 沖縄本島北部で進む米軍ヘリパッド建設。これ以上、現場で起きて居る事を看過出来ないと、遠く離れた東京都民の有志が行動を起こすと云う。何故か。

 米軍北部訓練場の約半分(4千ヘクタール)を返還する条件として、ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設が進められて居る沖縄県東村(ひがしそん)高江。住民等の反対運動対策として、警察の機動隊が派遣されて居るが、そこに警視庁等沖縄以外の警察が動員されて居る事は意外と知られて居ない。
 東京から沖縄迄、警視庁機動隊を派遣するのは違法・不当な公金支出ではないのか。東京都内の市民グループメンバー等が10月17日、都監査委員に派遣中止勧告を求める住民監査請求書を提出する。

 300人超が参加

 請求するのは市民グループ(田中祥士代表)の呼び掛けに応じた300人超。弁護士67人が代理人としてサポートして居る。
 監査請求書によると、都公安委員会は沖縄県公安委員会からの「援助要求」を受け、7月12日に警視庁機動隊員の沖縄派遣を決定。警視庁機動隊員は、沖縄県警や他府県警の機動隊員等と共に7月19日以降、高江のヘリパッド建設予定地周辺で、法的根拠も示さず、市民の強制排除やテントの撤去・車両検問等を行って居る。
 こうした警察力の行使は許されず、機動隊員への給与等の支払いは違法・不当として、速やかに機動隊員の派遣を中止する様都公安委員会への勧告を求めて居る。監査請求の事務局を担当する高木一彦弁護士はこう憤る。

 「東京都に所属する警察官の本務は都民の身体・生命・財産の保護にあり、他県での警察力の行使は例外的にノミ許容されるべきです。沖縄で基地に反対する市民を弾圧するのに、我々都民の税金が使われて居るのは許せ無い」警視庁の機動隊派遣の手続きに関してはこう指摘する。  「表面上、沖縄県公安委が都公安委に派遣要請する形式が取られて居ますが、沖縄県公安委の実質的な権限を握るのは国のキャリア官僚である沖縄県警本部長。政府主導で派遣が決定されたのは明らかです」

 大阪、福岡等も派遣

 沖縄に派遣されて居るのは警視庁の他千葉・神奈川・愛知・大阪・福岡の全国5府県警の機動隊員。計500人規模に上る。
 ヘリパッドは、高江集落を取り囲む様に6カ所の建設が計画されて居る。既に完成した2カ所では、米海兵隊のオスプレイが昼夜を問わず訓練に使用。高江では今年6月の夜間(午後7時〜午前7時)の航空機騒音発生回数が、2年前と比べて約24倍の383回に上った。

 一方、北部訓練場の部分返還を「負担軽減」の目玉にしようとヘリパッド建設を急ぐ政府は9月、工事に使う大型車両を自衛隊のヘリコプターで搬送。10月8日には菅義偉官房長官が沖縄を訪問し、高江区への直接的な財政支援を検討する意向を示した。
 「現場では夜を徹し、今この瞬間も海上保安庁・警察・自衛隊の諸君が任務に当たって居る。今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」
 9月26日の所信表明演説で安倍晋三首相は、安全保障環境の変化やヘリパッド移設に触れた上で、こう訴えた。安倍首相に促された自民党議員は一斉に立ち上がって手を叩き続け、約10秒間、演説が中断した。「起立」と「拍手」への批判は上がったが、演説内容に異論を挟む声は目立って居ない。

 しかし、沖縄では安全保障政策を巡って混乱が続いて居る。高江では、沖縄戦を体験した車椅子の女性(87)が機動隊との揉み合いで小指を切って5針を縫う怪我をした。取材記者が機動隊に強制排除される事態も起きた。地元紙は、高江で市民を排除する際、耳元で暴言を浴びせる機動隊員が居るとも報じて居る。辺野古海域でも、海上保安庁の「過剰警備」が問題視されて来た。
 為政者が命じた任務にどの様な意味が有るのかは、置かれた立場によって受け止め方が異なる、と云う事に想像力を働かせる必要がある。今回の監査請求はそう訴えて居る。


       ※AERA 編集部・渡辺豪 2016年10月24日号    以上

























東京都知事選と山本太郎氏


 

 こう為る2020 7月の都知事選 小池氏軸に思惑が交錯

            〜東京新聞 2020年1月6日 朝刊〜


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 東京都知事選は、6月18日に告示7月5日に投開票される。現職の小池百合子氏は対応を明らかにしていないが、再選出馬が確実視されて居る。これに対し、都政で対立して来た自民党都連は、対抗馬擁立を目指すが難航し、党本部には小池氏容認ムードも漂う。統一候補擁立で一致した立憲民主・共産等野党の動きも注目だ。知事選から一年後に控える都議選も睨み、各勢力の思惑は交錯して居る。

 「今は明確にはお答えしません」

 昨年12月23日、小池氏は本紙のインタビューで、再選出馬に付いてこう語った。知事周辺は「ギリギリ迄表明し無いのでは」と見るが、連日の様に各種行事や会合を行脚し、年末には「知事選公約の土台」(都幹部)とも云われる都政の長期戦略ビジョンを発表。公明党も「うちは小池知事」(都議)と再選支持が既定路線に為って居り、準備は着々の様相だ。

 最大の焦点は自民党の動き。同じ23日の都議会自民党のパーティーで、党都連幹事長の高島直樹都議は「私達と同じ目線で頑張る知事候補を擁立し、必ず都政を奪還したい」と決意表明した。都連は2017年の都議選で小池氏率いる都民ファーストの会に惨敗して居り、雪辱を期す方針に変わりは無い。
 只都連は昨年6月に選考委員会を設置したものの、8月以降は開かれず事実上停滞。「これと云った人が居ない」(都連幹部)のが実情だ。丸川珠代参院議員等、現職国会議員の名前も取り沙汰されたが、本人は固辞したとされる。

 そんな中、党本部の二階俊博幹事長は「出すなら勝てるのを」「代え無きゃいけ無い積極的な理由は見付から無い」等と容認論を公言し、都議からは「最後は、梯子を外されるのか」と不安が漏れる。
 小池氏側に取っても、知事選後の2021年夏の都議選を見据えた場合、自民党都連との全面的な対立は都政運営の不安材料に為り兼ね無い。「都議会で自民党が勢力を盛り返したら、議会対応が苦しく為るだろう」と都幹部。現段階で「手打ち」は考え難いが、両者の距離感が、知事選に向けて変化するかどうか注目する。

 立民と国民・共産・社民の野党各党は、先月10日、統一候補擁立で一致した。小池氏は2017年衆院選で「希望の党」を結成して旧民進党分裂の切っ掛けを作っただけに、当時の「排除の論理」に不信感は根強く、小池氏の政治姿勢も論点と為りそうだ。 

        岡本太 石原真樹 井上峻輔  以上









 新興勢力が台頭するには ガチンコ単独路線を貫く事
 
 と為ると、山本太郎氏は都知事選へ?


       〜【雑談】音喜多駿(参議院議員 東京都選出) 1/2 Tweet〜


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 こんばんは、音喜多駿(参議院議員 東京都選出)です。今日は月刊誌から取材を受け「れいわ新選組旋風」を中心に先の参院選に付いての振り返りをしながら、ライターさんと今後の情勢に付いて雑談をして居りました。
 昨日のブログでも取り上げた様に、野合を繰り返す既存野党に有権者は飽き飽きして居り、その「現状不満層」が新興勢力に流れ込んで居ますし、又参院選・東京選挙区では私にも流れて来て居たと思います。自分の過去ログを見返していると「候補者調整は有権者の選択肢を奪う事に他為らず、有権者に失礼である」と云う内容の記事が発掘され、我ながら良い事言ってるナアと感じた処であります(!)。

 参考過去記事 やっぱり「選挙区(候補者)調整」は有権者を馬鹿にしてたと思う
https://otokitashun.com/blog/senkyo/5258/


 翻って、今回の参院選で躍進した「れいわ新選組」が(維新もですけど)この勢いを持続するとしたら、矢張り「野党共闘」に取り込まれるのでは無く、独自路線を堅持して行く事が極めて重要に為るのではないでしょうか。
 「ソコソコの議席を取る」「与党を苦しめる」為には、反自民と云う勢力で纏まった方が良いのかも知れませんが、昨日も述べた通りそれでは実は現政権を延命させるだけです。本気で政権交代を狙うのだとすれば、最初は大きく伸長し無くても、単独路線を貫く事。

 それで公言通り、衆院選全選挙区で候補者を擁立したら、小選挙区で勝つ事は出来ずとも「現状不満層」の票を掻き集めて可成りの数の比例枠を獲得する事が出来るでしょう。ソコソコ数が多いけど、自分達の保身だけで本気で政権交代をする気が無い野党連合より、数は少なくとも「本気で首を取りに来ている」少数野党の方が自民党に取って驚異だし、有権者の期待も集まると思います。
 そんな事を諸々と考えて行くと、矢張り今自由な立場にある山本太郎氏が来年の都知事選挙に出無い手は無いよな・・・と感じる処です。

 順当に行けば衆院選は都知事選の後に為るでしょう。「れいわ新選組」の名前を衆院選前にもう一度轟かせる為には、都知事選程相応しい舞台はありません。これ迄東京選挙区で活動して来た山本氏が都知事選に出る事にはそれ程違和感はありませんし、

 れいわ新選組と山本太郎氏論・ポピュリズムとリアリズムの狭間で(平河エリ)https://hbol.jp/198328/6

 国会ライターの平河エリ氏が分析する様に、山本太郎氏の支持者は「目的の為に手段を選ば無い事」を好意的に受け止めて居る訳ですから、出馬に対して大きなリスクはありません。負けても「れいわ」の名が轟く、勝てば勿論歴史的大勝利。

 残り11ヶ月と為った都知事選に向けて、各党の思惑は加速して行きます。東京維新に取っても都知事選・都議選は一つの天王山。周りの動きにも注視しながら、有権者の期待に応える為の準備をして行きたいと思います。それでは、また明日。


                  以上









  「れいわ新選組」と山本太郎氏論・ポピュリズムとリアリズムの狭間で

              〜平河エリ@読む国会 2019.08.01〜


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                 ポートレートが見付から無いので

 2019年の参院選が終わった。大きなニュースの無い選挙の中「れいわ新選組」が2議席を獲得した事が話題を呼んだ。本稿では、山本太郎氏の6年間の議会活動を振り返ると共に、一体「れいわ新選組」或は山本太郎氏が何を目指して居るのかを考えたい。

 山本太郎氏は、何時消費税をメインテーマとする様に為ったのか?

 山本太郎氏の政治活動は脱原発運動から始まった。これは周知の事実だろう。しかし、今回の選挙に置いて「脱原発」は「れいわ新選組」のメインテーマとして語られ無かった。専ら話して居たのは消費税のことである。勿論、原発即時停止、は政策の中には入って居るが、消費税や奨学金の問題等から比べると大分下にある。
 それでは、山本太郎氏は何時、消費税をメインテーマにする様に為ったのか。例えば「新党ひとりひとり」時代には、この様に発言して居る。

 「安倍総理は、消費税を引き上げて税負担を求めて行く以上、政治家も身を切る決意を示さ無ければ為らないと云う事から国会議員の歳費2割削減も決まって行ったと云う様な趣旨の事を仰っていますよね。平成19年4月24日、第一次安倍内閣で閣議決定された『公務員制度改革に付いて』と云う文書には『公務員は、先ず、国民と国家の繁栄の為に、高い気概・使命感及び倫理観を持った、国民から信頼される人物である必要がある』と書いてあります。  
 稲田大臣、私、国会議員の歳費2割削減と同時に、国会議員と同等の給与を受けて居る幹部職員の給与2割削減、実現するべきじゃないのかなと思うんですけれども、大臣の御見解お聞かせ願えますか」(平成26年4月11日 参議院内閣委員会)
此処では寧ろ維新の会の様な、身を切る改革を主張されて居る、とも読める。

 生活の党時代から時代の空気を読んでシフトして来た

 一方、生活の党時代に為ると、この様に主張は変わる。

 「消費税をPDCAで評価した場合、私は、一旦消費税を5%に戻して先々は廃止して行く、財源は所得税の累進性を強めて資産課税を強化して行くと云う事で賄えると考えます。中小企業・小規模事業者の現状に大変お詳しい先生に、消費税を一旦5%に戻すと云うプラン、御意見を伺いたいと思います」(平成27年03月23日 参議院行政監視委員会)  

 実は、山本太郎氏の政治団体「新党ひとりひとり」では、当初この様な基本政策が書かれて居た。(2019年現在、この内容はれいわ新選組の基本政策に合わせたものと為って居る)

 「裕福な者も貧しい者も同じ税率? 有り得ません。反対!だけでは呪文と同じ。先ずは生活必需品非課税を勝ち執ります」(参照:基本政策 | 新党 ひとりひとり)  

 この文言を見ても、必ずしも山本太郎氏の消費税に対する観点は、固まって居たとは言え無いだろう。そして、生活の党時代から少しずつ、メインテーマをシフトして来たのだ。それは、時代の空気を感じる山本氏の優れた能力によるものではないだろうか。
 山本太郎氏は当初反原発運動家として政治キャリアをスタートし、少しずつその政策を、消費税等の経済政策にシフトさせて来たと判る。先日のインタビューで、山本太郎氏はこう答えて居る。

 「選挙戦で掲げた『原発即時禁止』に付いては『そこに強い打ち出しを持ったら、多分、野党全体で固まって戦う事が難しい』と指摘。『電力系(の支持層)の力を借りながら議席を確保して居る人達も居る』とも述べ、野党共闘の条件とする事には慎重な姿勢を示した」(参照「毎日新聞」)  

 しかし、過つてはここ迄強く発言して居たのだ。

 「枝野さん細野さん。この国の全ての人を被曝させた民主党は戦犯です。首狩り族の一人として僕は行く必要がある。野田さんもそうです。ケジメを着けに行って遣ろう」(参照 田中龍作ジャーナル | 山本太郎氏出馬 「枝野・細野・野田は戦犯、僕は首狩り族になる」)
 
 日本の反原発運動の旗手として当選した候補が、その6年間の議会活動の中で打ち出す政策のウェイトを大きく変えた事は、冷静に評論され無ければ為ら無い事だろう。









 全部乗せ「れいわ新選組」の政策

 「れいわ新選組」を全く新しい政治のムーブメントだと捉える人が居るが、私はこの様な見方は短絡的ではないかと考えて居る。「れいわ新選組」の政策は、日本の所謂「第三極」の政策、或は民主政権後の野党全般を概ね引き継いで居るからだ。この点に付いて語る前に、ソモソモ日本の左派、日本の野党の欧米と比べての捻じれを指摘して置きたい。  

 一般に、左派は大きな政府を望み、右派は小さな政府を施行する。これが世界的にはスタンダードだ。左派には所謂社民主義者が居て、右派には自由主義者が居る。昨今既存の枠組みに縛られ無い政党が出て着たり、左派の中でもMMT等減税論を唱える政治家も居るが基本はこうだ。
 余談だが、好く日本の左派は緊縮でグローバルから見ると異質と云う様な意見があるが、イギリスの労働党のマニフェストでも普通に政府赤字を5年以内にゼロにすると云う公約があったりする。

 政府を信頼せず市場に任せる右派に比べ、左派は政府を信頼し政府の機能を活かそうとするので、健全な財政基盤は必要なのだ。しかし、日本において、社民主義は江田三郎の失脚と共に教条主義化した日本社会党と共に退潮し新自由主義が台頭した。  
 その後、平成維新の会・新進党・民主党・みんなの党・日本維新の会等様々な政党や政治集団が現れたが、多くが「増税無き景気回復(或は減税による景気刺激)と、社会保障の両立」を党の公約として来た。 例えば、みんなの党の政策にはこうある。

 「界中を見渡しても、デフレ下で増税をしている国はありません。みんなの党は、以下の経済成長戦略や物価安定目標の策定等により、10年間で所得を5割アップさせる事を目標に掲げます。結果として、今よりも遥かに実質経済規模が小さかった1990年当時の約60兆円を超える国税収入も得る事による財政再建も目指します」

 れいわ新選組の政策にはこうある。

 「物価の強制的な引上げ、消費税をゼロに。初年度、物価が5%以上下がり、実質賃金は上昇、景気回復へ。参議院調査情報担当室の試算では、消費税ゼロにした6年後には、1人当たり賃金が44万円アップします」(参照政策 | れいわ新選組)  

 この2つの根底に「増税無き景気回復」とでも呼ぶべき考えが流れて居る事は判るだろうか。この考え方は、特定の人間が党首に為った時期の民主党を除けば、日本の野党の基本的スタンスである。  
 税や財源は議論せず、財源は埋蔵金であったり、時に「日本は破綻しない」と云う学説に基づいた新たな赤字国債であったりする訳だ。この様な点を含め、消費税廃止が果たして左派的な政策なのか疑問が残る。私は「れいわ新選組」の政策は、右派も左派も喜ぶ、過去の野党のパッチワーク的な「全部乗せ」的政策であると感じて居る。

 全部乗せの限界が来てインフレに為った時、どうするのか?

 国土強靭化も最低賃金上昇も直接給付も、戸別所得補償制度も消費税廃止も大体入って居る。要は、アラユル分野に政府支出を増やしますと云う政策だ。  
 しかし、仮にインフレ目標達成迄財政再建を先送りするにせよ、国債が無限には発行出来ないことは自明だ。しかも、この様な「全部乗せ」の公約である。消費減税だけでは無く、様々な政策を合わせると相当な額の新規国債が必要になる。  

 パッチワークの結果「れいわ新選組」の政策は実現性が低いもの、或は財源論を意図的に省いたものに為ったと評価せざるを得無い。支持者の方々も含め、この様な点から目を逸らしてはいけ無いのでは無いか。インフレに為るまでは国債で財政の大部分を賄うと云う事は、インフレに為った場合、様々な社会サービスが削られ、大規模な増税が来ると云う事である。インフレが絶対に来無いと考えて居るなら別だが、論理的にはシンプルだ。  
 その様な社会システムに、我々は信頼を置けるのだろうか。私は疑問である。 国債は本来、将来産業への投資等に、景気刺激策とイノベーション施策として使うべきで、安定して財源を必要とする社会保障の分野で使う事は不適切では無いのだろうか。

 日本の左派政党のねじれとは

 「れいわ新選組」は決して政策的には新しいムーブメントでは無いと述べた。日本の左派のねじれの原因の一つには、政策と選挙のねじれた関係がある。「れいわ新選組」の候補者だった安冨氏のブログを引用する。

 「私は、山本太郎の『れいわ新選組』は、所謂『政党』では無いと結論した。ココで言う『政党』と云うのは、その目的を『綱領』と云う形で明文化し、何らかの『政策』を掲げて選挙を戦い、議席を獲得して綱領の実現を目指す・・・と云う共通の目的を持った集団の事である。  
 実の処、この定義にキチンと当て嵌る政党は、日本共産党しか無いであろう。他の政党は『選挙に当選して議員に為りたい』と思う人が集まって、票を得られる方法を色々考えそれを綱領や政策として出し『政党』のフリをして居る集団に過ぎ無い。それでも、フリをし無いといけ無いので、候補者が党の掲げる政策に反対だと公言する訳にはいか無いし、綱領と関係の無い政治理念を掲げる事にも大きな問題が生じる。
 その上、往々にして選挙のヤリ方も、支持母体と為る組織が主導権を握り、候補者はそれに従って運動する事に為り勝ちである」(参照:安冨歩氏のブログ)
 

 この安冨氏の考察に書かれた様な前提の下、伝統的に日本の左派は「減税と社会保障の両立」と云う実現困難な政策(時に財政再建も含む)を選挙の度に掲げる事に為り、それ等は細川政権・鳩山政権等左派政権実現の度に破綻した。  
 細川政権は国民福祉税導入で瓦解し、民主党政権は最終的に消費増税に踏み切らざるを得無かった。村山政権は、社会党が消費税廃止法案を提出して居たにも関わらず、2%増税を決断せざるを得なかった。民主党政権は所得税・法人税等の累進性強化を一定程度行い、更に行政改革で予算を捻出しようと考えたが、最終的には消費増税を含む一体改革を選んだ。  

 左派が大きな政府を選挙では語らず、増税無く社会保障の増大に対応しようとする事が、左派政権の安定性を損ねて来た。では、何故日本の野党の政策は、その様な総花的、或は八方美人なものに為ってしまうのか。









「票を取れるか」で物事を判断する癖が着いた日本の有権者

 私は、野党支持層、嫌日本の有権者は「票を取れるかどうか」で物事を判断する癖を着けてしまって居るのではないかと見ている。  
 この様な考え方の下では、全ての政策は「集票力があるか」もっと云うと「ウケが好いか」と云う視点でのみ判断され、更に有権者は「この政策ならウケが好いのに、何故この様な政策を打ち出さないのか」と云うねじれた義憤を持つ様に為る。  

 支持者個人がその政策をどう捉えるかでは無く、支持者が「どの政策なら勝てるのか」を基準に政策を考える様に為るのだ。「野党は消費税減税で纏まれば選挙に勝てるのに、何故遣らないのか」と云う様な言説は、この様な思考を下にして発せられる言葉ではないか。
 私は「れいわ新選組」の支持層には「選挙に勝てる様な政策を打ち出して居る党を支持する」と云う層が一定程度存在すると見て居る。 「この政策なら野党は勝てる」と考え、ソコに高揚感を感じる人達も居るのだろう。しかし、その様な思考の下選挙に勝った野党がその後何故政権を維持出来なかったかを考えると、この様な思考は矢張り、政策を下に政党を選ぶと云う有権者の有り方とは大きく掛け離れたものではないか。此処には、政党を選ぶと言いながら人を選ぶ、非拘束式の全国比例と云う制度の歪さも透けて見える。

 「れいわ新選組」は「左派」なのか

 共産党の試算では、財政を様々な場所から捻出し17.5兆を確保する事に為って居るが、これは主に社会保障の財源確保等に使われる事に為って居る。(参照 日本共産党の政策│日本共産党中央委員会)  
 消費税は平成29年度では年間17兆円の税収だ。廃止の為の財源確保は、共産党並みの徹底した課税強化を行って要約捻出出来る額だ。  

 しかし、冷静に考えてみよう。年間17兆の財源があれば、社会保障の強化や再分配機能の強化は可能である。この様な政策では無く敢えて消費税廃止を目指す理由は何か。「消費税では無く法人税や所得税の累進性を強化するべき」と云う意見は一見正しく思える。しかし、それは必ずしも消費税が不要な税であると云う事を意味しない。
 間接税が、広く様々な国で用いられて居る税率である事も確かだ。所得税の累進性強化、法人税の課税強化は必要であるとしても、消費税を廃止したり減税したりするべきだと云う結論には為ら無い。ソモソモ、日本の国民負担率は中程度、社会保障は極めて低く、更に社会保障の持続性には大きな疑念を持たれて居る。OECDのレポート等を見ても、再分配機能は先進国の中で極めて弱い。

 「明確な定義がある訳ではございませんけれども、今厚労省から御答弁があった国際比較と云う意味で言えば、社会保障支出の対GDP比は、OECD諸国、データがある中で、35カ国中15番目、ヤヤ真ん中位、それから国民負担率と云う意味で云うと、OECD36カ国中26位と云う事で、下から数えた方が早いと云う状況にございます。  
 又、社会保障給付費、急速な高齢化を背景として増大して行く中で、予算と云う意味で申し上げれば、その給付費の約半分弱を公費負担で賄って居りますけれども、それを賄う為の十分な財源を確保出来て居らず、赤字国債の累積と云う形で後代にツケ回しを行って居る状態にございます。  
 こうしたことを考えると、我が国は中福祉・低負担の状態にあると云う風に考えて居りまして、委員御指摘の様に、社会保障の持続性を確保して行く為の不断の改革が必要と云う風に財政当局としては考えて居る処でございます」(令和元年4月17日 衆議院法務委員会 宇波政府参考人)
 

 この様な中、年間20兆程度必要な消費税廃止が本当の意味で国民の幸福に資するかは、十分に考える必要があるのではないか。ソモソモ、消費増税賛成派は決して少なくは無い。消費増税は関心の高いテーマではあるが、国民が最も苦しんで居るのは消費増税では無く、上がら無い賃金や年金生活への不安ではないか。(参照 読売新聞) この様な点を踏まえても「れいわ新選組」を左派的政党、或は左派的ムーブメントと評価する事は難しい。

 特定枠と選挙運動の有り方

 今回「れいわ新選組」は舩後靖彦氏・木村英子氏、二人の重度障碍者の候補を特定枠で擁立し、二人ともが比例枠で当選した。(参照朝日新聞)  
 先ず断って置きたいのは、二名の重度障碍者が参議院議員に当選された事は日本の議会に取って素晴らしい事であり、参議院や当然衆議院を含め議会は全面的にサポートするべきだと云うのが私のスタンスである。  
 
 その上で、申し上げたい事がある。障碍者支援は、立派なテーマであり、選挙で問うべき大きなイシューだ。しかし、今回の選挙でその争点がどの程度語られて居ただろうか。  
 政見放送では、語られて居た。控えめに言っても、非常に良い政見放送だったと思う。しかし、今回の選挙、そして「れいわ新選組」に取っての一丁目一番地は、消費減税だった事は明らかだろう。WEBサイトを見ても。政策の一番上には消費税廃止が踊って居た。  

 自らが落選しても(恐らく落選するで有ろうことは理解して居た筈だ)お二人を国会に送り込みたいとした山本氏の姿勢は評価したい。しかし、為らば何故消費減税が政策の一番上に来るのだろう。ソコにも又、政策と選挙の優先順位のねじれをどうしようも無く感じてしまう。  
 ソモソモ私は、社会保障機能の強化コソが、重度障碍者の方々に取っても行き易い社会に為ると信じている。それは、税を嫌う事では無く、再分配や社会保障と云う税の機能を十分に活用する事でしか実現出来ない筈だ。だからコソ、消費税廃止と今回の特定枠の擁立に、一貫性を感じる事が出来ない。「れいわ新選組」は一体どの様な政党で、何を実現しようとして居るのか、矢張りその点が見え無いからコソ、政策と選挙のねじれを感じるのだろう。

 山本太郎氏の議会活動に対する姿勢

 山本太郎氏の議会活動をどう評価するかは、人によって異なるだろう。しかし、一つ言えることは、山本氏はソモソモ国会の制度や議会自体を必ずしも重んじて居ないと云う事ではないか。 (訂正)当初この章では2015年に成立した難病対策法案への対応に付いて、山本氏が法案に賛成して居るにも関わらず反対したかの様な解釈をして居ましたが、ご指摘を頂き再読した処、誤読して居ました。お詫びして訂正します。

 左右共に広がる「議会」の軽視

 先日の麻生太郎財務省問責決議案への欠席も意味不明である。議会活動の軽視も甚だしい。

 「スマートに戦って勝つなんて幻想でしか無い。そんな余裕なママで政権奪取出来るのは何時に為るのだろうか? 余りにも気位の高い戦い方しか出来ない野党は野党のママだ。何時まで地獄の様な状態をこの国に生きる人々に強いるのか?  
 月曜には総理の問責と云う儀式が行われる。私はその儀式もパスする。本気で引きずり下ろす気が無い戦いには与しない」(参照 棄権に付いて|山本太郎オフィシャルブログ「山本 太郎の小中高生に読んでもらいたいコト」)
 

 国会に中指を立てて居る写真等からも、山本氏は「国会のルールに則っていては物事は解決出来ない」と云う印象を有権者に与えようとして居るのではないか(或は自分がそう信じて居るのでは)と疑念を抱く。(参照:山本太郎「消費税を廃止しないとスジェネ世代が死ぬ!」 | 日刊SPA!) 
 更に遡るのならば、園遊会で天皇陛下に手紙を手渡す行為も同じである。国会議員が、有権者より与えられた権能として、その良心に基づき一票を投ずる事は義務である。これを放棄する議員を私は信任する事は出来ない。この様な事が受け入れられるのも、偏に議会活動そのものが左右問わず無駄と捉えられている。それだけ議会の信頼が落ちて居るのではないかと推察するのだ。







 「れいわ新選組」はポピュリズムか?

 山本太郎氏をポピュリズムと評することは、今の段階では適切では無い。ご本人も語って居る通り、山本太郎氏は、目的の為に手段を選ば無い政治家である、と云うのが私の結論だ。  
 それをどう評価するかは有権者次第だろう。そして、支持者の一定層も「手段を選ば無い事」を評価して居る。可能な限り、どの様な手段を使ってでも、総理大臣に為る為の最短ルートを通って欲しいと願って居るのではないか。  
 この前提に立てば、山本氏に取っては、国会も「れいわ新選組」と云う政党も手段に過ぎない。これが、恐らく或る種の人に取っては「現実的」に見えるのではないか。  

 詰まり、政策では無く、手段の選ば無さに現実味を感じるのだ。兎に角勝た無きゃ始まら無い。選挙公約は選挙に勝つ為に作るものだ。そんな身も蓋も無い現実が、建前ばかりの政治家に疲れた有権者に評価され、それ等をナマで打ち出す「れいわ新選組」に力を与えたのではないか。
 同時に、山本太郎氏は、建前では無く本音の人だ。「政権を取る為なら何でもする」「総理に為りたい」これは本音だろう。  
 同時に「アナタを幸せにしたいんだ」と云うキャッチコピーに現れる様に、弱者に向ける目も(いささかパターナリスティックな側面もあるとは云え)本音なのだと思う。  

 或るいは、原発事故直後に感じた恐怖も又本音なのだろう。その率直な発言が評価され、彼を国会へと導いた。しかし、その時本音であった事が、一年後本音とは限ら無い。興味関心は移り変わるのである。本音の人と云う事は、反一貫性の人と云う事でもある。  
 感情的な本音と手段の選ば無さ、これが現代的政治のリアリズムであり「れいわ新選組」を押し上げたのではないか(私はこの点、大阪における維新の会の政治運動と共通するものを感じている)この文脈で考えれば、今回既成野党が票を減らした事の原因も、見えて来る様に思う。  

 しかし、リアリズム観点から読み解けるものが多くとも、山本太郎氏がどの様な社会を目指すのか、何を理想とするのかは、実は好く見えて来ない。選挙に勝てる統一の主張として消費税廃止を主張して居るのか、本当に心の底から消費税廃止により偶然の好景気が訪れ、日本の諸問題が解決すると信じて居るのか見え無いのだ。  
 山本太郎氏だけでは無い。「れいわ新選組」は一体何を実現し、どの様な国家を目指す政党なのか。これに簡潔に答えられる人はどの程度居るだろう。そして又、議会軽視の姿勢が明らかな山本氏が、本当にこの国の中枢に就いた時、果たして健全な議会運営が行われるのかは大いに疑問が残る。  
 何れにせよ、有権者が議会に目を向け無ければ、議会は単なる票決の為の場所と為り存在価値を失う。 「れいわ新選組」で当選された二人の新しい議員を含め、有権者が常に議会活動に興味を持ち、質疑が本当に質の高い、有権者の付託に答えるものであるか監視する事が重要だ。

 政治家は監視され、チェックされるのも仕事

 政治家は監視され、チェックされるのが仕事である。山本氏はTwitterで自らの取材発言が批判されると記者に責任転嫁する様な態度が目立つ。(参照 アエラの記事に付いて | 山本太郎オフィシャルブログ「山本 太郎の小中高生に読んでもらいたいコト」)  

 又、メディア出演が意図的に妨害されて居ると云う様な主張を否定せず、一部煽り建てる様にして居る。  メディアから、或は有権者からの批判を受け止められ無いのであれば、山本氏は公党の代表たる資格が無いと言っても好い。又、一部選挙の不正が或るかの様な発言もされて居る。

 「不正が無い訳無いですよ。不正しか無かったんだから、今迄の政治。公文書改ざんしたりとか、隠蔽したりとか、8年分のデータ無く為ったりとか、イラクの日報の問題とか、不正しか無いじゃないかって話ですよ。そう云う連中が、選挙の時に不正しないか?有り得無いでしょ、それ。
 選挙以外は全部不正しますけど、選挙だけは真っ白です、何て在り得無いってことですよ、当然、何かしらの不正は遣って居るだろうけれども、その、ハッキリとしたファクト・決定的なものが掴め無い限りはナカナカそれ追及難しいんですよ」
 (参照:【動画&文字起こし全文】れいわ新選組街頭演説会 19.7.18 福島・福島駅東口 | れいわ新選組)
 
 山本太郎氏は当選以来、都合の悪い報道や事実を陰謀、読者の誤解、或は記者の力量不足と捉える傾向があるのではないかと危惧して居る。健全な批判を受け付け無いのは端的にとても危険だし、不正選挙が不可能な事等、選挙実務に関わった事がある人間なら直ぐに判る筈だ。  
 山本氏は、敢えて言うなら「反一貫性の政治家」である。その場で最適と思った事を発言する。ソコに過去も未来も無い。それを有権者も支持する。何故なら常に「本気で戦って居る」からだ。  

 つまり、発言の一貫性では無く、姿勢の一貫性を見て居るのである。妥協しない(と見えて居る事)に彼の支持の源泉があるのではないか。しかし最早、山本太郎氏は単なる一議員では無い。代表として政党要件を得た政党を率いるなら、過去の発言も含め検証されるのが当然だ。  
 健全な批判すら受け付け無いポピュリズムに為るか、或は健全な批判を受け入れ、強みにするリアリズムの道を行くか。今後の政治活動次第でないかと思う。  
 これ迄アウトサイダーであった山本氏がメインストリームの政治家として総理を目指す為らば、有権者もそれに応じて政治活動を注視すべきなのだ。


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  文 平河エリ@読む国会  平河エリ@読む国会

                  以上







 【管理人のひとこと】

 山本太郎氏の評論記事の中で、これ程深く広く彼を見詰めて批評した記事は今まで見た事が無かった。実に深く真摯に研究されていると感心し感謝する。世界と日本の左派の置かれた立場には、色々な相違は存在するだろうが、押し並べて大きな傾向の一つの流れの中にあると認識する。そして彼が、真正左派なのか単なるポピュリストなのか・・・彼は、右も左も無い単なるリアリストなのだ・・・としたのは実に同感する。
 現実に即し見方も政策も変化させる、自由で束縛され無いアラユル手段を行使し彼の目指す「アナタを幸せにしたい」「生きていて好かったと思う社会」を築こうと訴えるアジテーターなのだ。
 しかし、彼が独裁者と為って「俺が、皆を幸せな社会に連れて行く、ついて来い!」との神の声は決して発さ無い筈だ。彼は、自分の言動で多くの人が一つにマトマり、目的に向かって試行錯誤する姿を見るのが幸せなのだ。無論、究極には一国の責任者と為り、今まで勉強して来た数ある政策の実行に取り掛かりたい筈だが、その結果を甘受するよりは、その過程を充分に楽しんだら、最後には誰か適任者を挙げて後を託す・・・キューバの革命に奔走し、その後をカストロに託し去ったゲバラの様な生き方に憧れて居るかも知れ無い。管理人はそう考えている・・・そうで在って欲しい。庭の梅の木を愛し手入れするのが大好きで、初春の花を愛でるのも人以上なのだが、その実を収穫し口に容れようと迄はしないのだ。







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社会派ドラマ乱立で視聴者に疲労感? 湧き上がるトレンディドラマ待望論










 社会派ドラマ乱立で視聴者に疲労感? 湧き上がるトレンディドラマ待望論

              〜オリコン 1/27(月) 8:10配信〜


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      過つて一世を風靡したトレンディドラマ『君の瞳に恋してる!』DVD

 今期ドラマは医療ものが6本。この大混戦に賛否の声が上がって居るが、近年のドラマシーンを振り返ると、刑事ドラマや医療ドラマが年々増加傾向にある。更に、そうしたドラマで難役を演じる若手俳優が実力派と持て囃される風潮も感じられる。こうした流れの中のシリアスな社会派ドラマの乱立は、視聴者の視聴疲れを呼んで居り、過つてのトレンディドラマの様な、民放が得意として居たお気楽に楽しめるライトなドラマへの待望論も出始めて居る様だ。

 1960〜1970年代は社会派ドラマが台頭 良質なドラマの価値基準は年代により変化

 近年のドラマシーンを振り返ると、社会性の有る重いテーマを取り上げ、その映像からストーリー演出迄重厚に作り上げる社会派ドラマが評価を受け、多くの視聴者から好まれる傾向がある。所謂、良質なドラマと云うものだ。それ自体は決して悪い事では無い。

 過去の人気ドラマを極簡単に振り返って行くと、過つては1960〜1970年代に松本清張氏の『点と線』や山崎豊子氏の『白い巨塔』等のベストセラーが映像化され、社会派がブームに為った。
 1980年代はホームドラマや刑事もの大河ドラマ等に人気が集中。1980年代後半にフジテレビの月9ドラマを初めとするトレンディドラマが全盛に。これは1990年代も続くが『家なき子』(日本テレビ系)に代表される野島伸司ドラマが1960〜1970年代の社会性をポストモダン化。
 当時の作品の面白さを分析して当時風に再構築した良い意味での時代遅れっプリが好評を博し一世を風靡した。この影響でトレンディドラマも進化。木村拓哉人気も起こり、視聴率30%を超える大ヒットドラマが次々と生まれた。

 2000年代初頭は『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)や『ケイゾク』(TBS系)『トリック』(テレビ朝日系)等堤幸彦監督・宮藤官九郎脚本等ドラマ界に新しい流れが生まれた。
 だが、視聴率的には1960〜1970年代の初心に返った様な『白い巨塔』(テレビ朝日系)のリメイクや『華麗なる一族』(TBS系)に数字が集まった。テレビ朝日が得意とする刑事・医療ものの人気シリーズが安定した視聴率を獲り始めたのもこの頃だ。2010年代位からは、現実の社会問題や犯罪をシリアスに描く『Woman』『Mother』(日本テレビ系)等に評価が集まる。
 この間も軽いテイストの恋愛ドラマが無かった訳では無い。しかし、ドラマ黄金期の1990年代程の勢いは無く、又趣味趣向の細分化やテレビ離れ等により、国民的と呼べる様なヒットドラマは生まれ無かったのが現状だ。

 社会派ドラマ偏重傾向の裏側に視聴率から逃げる思惑も

 近年続いて居る社会派ドラマ偏重の傾向は、以前から指摘されて居る様に視聴層の変化に先ず要因がある。総務省が発表した2019年版「主なメディアの利用時間と行為者率」のデータによれば、平日のテレビ(リアルタイム)視聴の平均利用時間が減少した一方で、インターネットの平均利用時間は、平日、休日共に増加傾向に。年代別には50代と60代のテレビ(リアルタイム)視聴の平均利用時間が高く、次いで40代30代、20代は60代の3分の1以下と為る。

 ドラマのターゲットと為る、テレビを好く視聴する世代は、所謂1990年代ドラマ黄金期の視聴者層。団塊Jr世代とも被り、年齢分布でも層の厚い世代と云う事が分かる。この世代は多感な時期からドラマを観て育って居り、所謂目の肥えた視聴者層だ。そして此処に制作者の好みと云うファクターが付け加わる。
 多くのプロデューサー・制作部のスタッフにこれ迄話を聞いて来たが、トレンディドラマなどラブストーリーやコメディ系のドラマが(無意識的にだが)低く見られるのに対して、社会派ドラマは社会的にメッセージを投げ掛ける意義・社会に対してドラマが担う役割等が制作する事で評価される傾向にあり、そのポジションが高い。
 これには、テレビや脚本の賞が、社会性を帯びた作品が選ばれる傾向にある事もあり、更には目の肥えた視聴者層の存在がこの状況を盤石にする。

 詰まり「マス向けでは無い、数字は取れ無いものだが作品の評価は高い」と云うエクスキューズが生まれる。辛口な言い方に為るが、数字の重圧と戦うテレビマンの逃げに為って居る側面も無いとは言え無い。そして、そうした同じタイプの作品が重なると本来好きな視聴者でも流石に飽きる。
 一方、キャストの側も、社会派で難役を怪演等メディアや視聴者から持て囃される事が多い社会派ドラマを好む。

 前項と同様の理由もあり、そこからの評価を狙うマネージメントも少なく無い。本来30代を過ぎてからで好い様な重厚な役柄ばかりを10代20代から重ねる若手俳優も多く為って居る。この状況がスタンダードに為ると危険だ。
 王道やクズ役が有ってコソのコントラストとして、重い役の深みが感じられるのが本来の役者。「芸は人なり」薄っペラく見える恐れもある。そんな意味では寧ろ、ライトなドラマで爪跡を残して居る若手達の方が飛躍の可能性を秘めて居るとも言える。

 視聴率からは見え難い「ライトな恋愛ドラマ人気」

 此処で先程の総務省のデータに戻ろう。インターネットの利用時間は年々増えて居り、20代が最多。30代40代がヤヤ減ってホボ同数で50代から減少傾向にある。しかし、そのネットでテレビ番組を観る人は驚く程多い。例えば、フジテレビの動画サイト『FOD』仕掛け人である野村和生氏は、ネットのインタビューで「月9ドラマが若年層の女性にヒット。この現象は過去の月9作品も然りで『FOD』では女性がキュンキュンするコンテンツに集まる傾向があります」と話して居る。
 詰まり、何時の時代もコテコテのベタでライトな王道恋愛ドラマは、若い世代を中心に多くの人の胸に刺さる。Netflixでも昨年、日本で2番目に観られたコンテンツは『テラスハウス』だった。テレビ視聴率に現れ無い数字がこう云った場所に潜んで居り、需要の受け皿は実はある。

 その時代の流行と恋愛要素の強いトレンディドラマは、確かに賞味期限が短い。真剣にその時の流行や恋愛を描いても、その時代を過ぎてしまえば笑いの要素にも為ってしまう。しかし、そんな刹那的な処にコソ、トレンディドラマの良さがあるのではないだろうか。
 社会派ドラマは普遍を映し出し、名作として残るものを目指す。だが全てが後世に残る訳では無い。一方で、その時代の打ち上げ花火であるトレンディドラマには、社会派ドラマには無い社会の俗世的な一面を映し出す役割があり、その時に輝く事の重要性もある。

 トレンドには浮き沈みのリズムがあるが、社会派ばかりと為った今のシーンにコソ、気軽に楽しめるテレビドラマらしいドラマへのニーズが犇々(ひしひし)と高まって居る事が感じられる。テレビは時代を切り取るもの。シーンには打ち上げ花火も大事だ。数字ノミに気を取られて及び腰に為るのでは無く、今の時代のトレンディドラマを立ち上げる局があっても好いのでは無いだろうか。


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          文 衣輪晋一 メディア研究家    以上









 【管理人のひとこと】

 好く、最近のTVは面白く無く、ニュース番組やワイドショー的TV報道番組以外には余り観なく為った・・・と云う話を、若い人達からも年配の人達から共に聞く。最も若い人達が昼間のニュースショー的番組を観る時間も無く、録画して観る程の魅力は無いだろう。しかし、夜の20時から23時の間のお茶の間時間・・・今はその時間も無いに等しいが・・・所謂、ゴールデンタイムに相当する番組で観たいと思うものは、個人的には「ポツンと一軒家」程度である。
 此処には、今に極まる社会現象が悉く表現される番組で、日本に住む人の生活と時間の流れが色濃く映し出される。昔は、山の奥の奥にも人が「生きる為に」入り込み、開拓し開墾し家族の生活を支える基盤を確りと築いて行った歴史がある。それが今は・・・少子高齢化・人口減少の極致に有るのが「ポツンと一軒家」の存在だろう。
 或る意味、極端にシナリオの少ない行き当たりバッタリのドキュメントであり、何が起こるか判ら無いドキドキ感を視聴者に与える好く出来た番組だ・・・日本は、昔は貧しいながら「〇〇〇〇〇・・・」だと感銘を共有出来る。この〇〇〇〇には、視聴者の今までの経験によって人生観が夫々異為るだろうが、何がしかの記憶に強く残る。
 しかし、この様な番組のヒットで、他局に同じ様な番組を量産されてしまっては直ぐに飽きられてしまう。今は、同じ様な過去にヒットしたバラエティーの焼き直しで時間を潰して居る。その様な番組を視聴するのは実に時間の無駄だ。

 それと、余りにも警察の物語が多過ぎた嫌いもあった。正義は警察にあり、極悪非道な容疑者を苦労の末に捕らえる・・・しかし、実際の警察機構・検察も含め・・・他の社会・職場と同じ、競争関係・派閥・好き嫌い・内部犯罪・不正・・・が混在して居るのは当然で、余りにも一方的な立場ノミを強調する番組作りだった。最近は、警察内部の構造を批判し皮肉る様なストーリーも多いが、マルで警察関係からスポンサー料を貰ってるかの様な番組作りは考え物だった。
 推理・探偵に文学作品・恋愛もの・過去の大作・・・社会派ドキュメント・・・矢張り、視聴者が自由にジャンルを選択出来ることが望ましいので、ヒットしたものの後追い番組だけは避けて頂きたい。NHK・タモリの、地方紹介の番組が地味に面白いのは、彼の豊富な知識と専門家の知識が織混ざり、知らず知らずに新鮮な知識を与えられてしまう・・・そんな番組も実に楽しい。








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山本太郎都知事はあるか? 東京都長期ビジョンを読み解く!




 山本太郎都知事はあるか? 東京都長期ビジョンを読み解く!

             〜Japan In-depth 1/27(月) 8:44配信〜


 【まとめ】

  東京都知事選で立憲民主党が山本太郎氏擁立検討の報道
  高い対話能力、群衆に入る政治姿勢は評価 一部政策は疑問
  山本氏出馬なら面白い 自民が独自候補擁立なら氏の当選も


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   山本氏は参院選落選後も全国で遊説をして居る(2019年10月26日 福岡・博多駅前)

 立憲民主党が山本太郎さんを東京都知事選の「野党統一候補として擁立すべく検討を始めた」と云うニュースが流れた。山本さん自身も「選択肢としては排除しない」と言って居るそうだし、過去には「れいわ新選組として、絡んで行きたい」との発言もあったそう。サテどうなるか。
 この連載では前回、東京都知事選挙を占ったが、小池再選と云う結論。しかし、山本太郎さんが出馬すると大きく構図は変わる。その可能性を含めて、今回は山本太郎さんに付いて書きたいと思う。

 山本太郎さんの政治活動と政治的スタンス

 山本さんの経歴を振り返ってみよう。1974年兵庫県生まれ。元俳優。日本テレビの「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」で一躍注目を浴び、「代打教師 秋葉、真剣です!」で映画デビュー。その後も「ふたりっ子」「バトル・ロワイアル」「難波金融伝 ミナミの帝王」「新選組!」等で熱演。
 東日本大震災を受けて反原発運動に参加。メディアから干された状態に為り、政治活動家に。2012年の衆院選で落選、2013年の参院選で当選した。反原発やその発言で注目を浴びる。「れいわ新選組」を立ち上げる。現在は党の代表。
 参議院議員の任期を終えた後は、全国でのキャラバンを行って居る。彼の強みは、コミュニケーション能力の高さである。

 第一に、凄いのはその対話能力である。双方向のコミュニケーションが確り出来ている。言葉の使い方、動作・振る舞いが上手い等の高いプレゼンテーション能力は彼の経歴から言って当然の事ではあるが、注目すべきなのは、対話能力を支えるその姿勢である。
 相手の聞きたい事に対して確り答える。判ら無い事は判ら無いと言う。反対意見にもジックリ耳を傾ける。多くの政治家が出来て居ない(出来るのだが、自分に取って大事な人相手にしか遣ら無い事が多い)こうした基本的な事が山本さんは出来ている。
 特にネガティブな意見に晒されても丁寧に答える。彼の動画を見れば判るが、煽る人、話を遮る人等のメンドクサイ有権者相手にも丁寧に対応して居る様が分かる。相手の意見には、意見や立場の違いがあっても尊重した上で反論して居る。

 第二に、有権者・主権者に懸命に情熱的に語り掛ける処。相手の苦しい状況や困り事、悩みに耳を傾け、その悩みの解決策(の様なもの)の必要性を訴える。その眼差しは何時も真剣である。

 相手の話を聞く態度、巧みな話術、プレゼン能力、主張、ベースにある有権者・主権者への敬意・・・こうした日本の伝統的な政治家には有るまじき態度が、人々の熱狂を呼び込むのは当然の事である。

 山本さんの政策は?

 山本さんが訴えて来た、具体的な主な政策は以下の通り。

  消費税廃止
  奨学金チャラ、安い家賃で住める公的住宅を拡充
  最低賃金1500円に(中小零細企業に影響がない様に、不足分は国が補填)

  保育、介護、障害者介助、事故原発作業員など公務員化
  規制緩和・規制改革に反対
  ベーシックインカム
  指定管理制度や規制改革に反対 【参考】れいわ新選組HP

 雇用重視、再配分、国民の安心を担保する政策である。こうした政策が公約や都政に反映される事に為るだろう。東京都では、美濃部都政等過去にはリベラルな政策で、日本の政策を変える迄先進的な役割を担った事もあった。その再来を期待出来るかも知れない。只、個人的には、疑問は2つ

 第一にMMT理論を下にした経済政策を信じて居る事。彼の政策アドバイザーを務める松尾匡氏(立命館大学経済学部教授)が主張して居る「通貨発行権の有る政府はデフォルトしないから、通貨を刷り捲くって財政出動すればインフレは来ない」と云う反緊縮政策をベースにして居る事だ。
 この経済政策を行ったら、日本財政が今以上に更に厳しく為り、日本円の価値が棄損されて、何処かの国みたいにドルを使う様に為る、と云う未来が予測されるに決まってるのにだ。

 第二に「〇〇が悪い」的な過激な意見が多い事。組織が一体と為って悪いとかは知的とは言え無い。社会は複雑だし、これ等は構造的な問題であるのに、物事を単純化し過ぎる嫌いがある。

 本物のリーダーなのかどうか?

 山本太郎さんは、政治活動に参入して以来、可成りのバッシングを受けて来た。しかし、地道な活動を通して、誤解や不信、穿(うが)った見方を取り除いて来た。未だ「ポピュリズム」「大衆煽動」と云う批判を受けてしまう事もあるが、その主張はどうであれ「政治家として有るべき態度」を行動として示して来た事は確かである。

 ここ迄民衆に語り掛け、フラットな立場で触れ合う政治家は居ただろうか。全国津々浦々に出掛け、群衆の中に入って対話する政治家は居ただろうか。私の知る限り、田中康夫さん位しか思い浮かば無い。多くの政治家はこうした事は出来ないだろう。自分が好きな、居心地の好い支持者以外の相手、彼等・彼女等に取ってストレンジャーと話をするのは大変だし勇気の居る事なのだ。

 因みに、私は大好きな小池都知事と対話したいと東京都庁に好く行くが、この3年、お話させて頂く機会すら与えられた事は無い。山本太郎氏が立候補すれば、面白い選挙に為る。自民党が独自候補を擁立し、小池氏との三つ巴と為れば、山本氏は確実に当選するだろう。


                  以上









 正しい都知事候補の選び方 その選定基準 

 東京都長期ビジョンを読み解く!【特別編】


           〜西村健 NPO法人日本公共利益研究所代表 「西村健の地方自治ウォッチング」〜

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            西村健 NPO法人日本公共利益研究所代表
 
 舛添東京都知事の辞職を受け、東京都知事選挙が告示された。多くの方が立候補されたこの選挙。自民党内の争いやタレント議員の巧みな発言等、メディアの報道だけ見て居るだけだと全体構造が見え無く為り、訳が分から無く為るので、正しい候補者を選ぶ為のガイドを提示したいと思う。

 先ず今回の候補者選出過程に対して触れて置きたい。残念ながら資格や能力も十分満たす都内の首長・都議会議員と云った専門家から名前が出て来なく、著名人の方々が出馬する事態と為った。確かに、選挙区としては非常に大きいので知名度が鍵に為る事は確か。
 只、この事実に私は可成りの危機感を感じる。都民の関心の低さか「勝てる候補を」と云う政党の利益に目が眩んだのか、少し都民をバカにした態度か、メディアがこれ迄都政に関心を喚起し無かったツケか、既得権益の構造を守りたかったのか・・・原因は判ら無い。だからコソ、都政とは何か・都知事に何を求めるのかが考える必要がある。
 大きく分けて、実績(予想とこれ迄の経歴からの類推)能力、政治状況が判断する要素である(*の印がつくのは可能性や期待度で考えるしか無い)

 1 問われる実績

 (1) 政策や課題における成果*

 ・都民の幸福度・満足度の向上*
 ・問題の解決度合*
 ・重点政策の成果*
 ・各種指標の変動(外部要因が強い政策・課題を除く)


 (2) 東京都長期ビジョン、地方創生戦略における各種項目

 ・東京都長期ビジョンの各政策分野に対する方向性・目標
 ・各政策分野に対する課題認識
 ・提案した政策による課題解決の度合*


 (3) 過去の行政実績・リーダーシップ実績

 ・行政機関での実績(経営・マネジメント、成果創出、発信など)
 ・企業・NPO・専門組織での実績(経営・マネジメント、成果創出、発信など)


 2 問われる資質・能力

 (1) 基礎能力

 ・情報発信力
 ・現状分析力・判断力
 ・政策理解力
 ・コミュニケーション能力・説得力
 ・リーダーシップ
 ・マネジメント力


 (2) 態度・姿勢

 ・規律・法令順守
 ・積極性・粘り強さ
 ・協調性
 ・威厳
 ・人間としての信頼性(行動、言動、振る舞い)
 ・他人への敬意、リスペクト


 3 政治・利害関係面

 (1) 支援団体

 ・支援団体名、そことの結びつき度合い
 ・支援団体の受益の度合い
 ・支援団体による影響を受ける度合


 (2) 政党との関係

 ・政党が掲げる政策との親和性
 ・政党の力を借りることによる政策実行可能性
 ・政府や党の中央からの指示や命令への従属度・自立性


 (3) 政治資金

 ・政治資金の法的な適正さ
 ・政治資金の使い道・用途の適切さ


 上記は、政治家を余りにも政治やイメージで選んでないか?と云う政治家選出プロセスに対する問題提起である。これらの視点で、ABCDEと云う基準で選ぶ方法、点数を着ける方法、総合点方式等で「都知事にふさわしいか」評価してみてはいかがだろう。夫々の配点は自由に設定すると面白い。
 夫々が価値観や自分の政策志向に従って考えてみて、周りと話し合う事が東京都政再生の第一歩ではないか。


                   以上



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 小池再選は固いが、波乱も 【2020年を占う・都政】

    〜西村健 NPO法人日本公共利益研究所代表 「西村健の地方自治ウォッチング」〜

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 【まとめ】

 ・五輪・パラリンピックの後の経済状況が懸念される。
 ・都知事選で小池氏が立候補すれば、再選は堅い。
 ・政党や知名度だけで無く経歴や実績に議論が及ぶ選挙にしたい。


 2020年を占う、この企画。2020年の東京は東京五輪・パラリンピックの開催がある事に尽きるだろう、好い意味であれ悪い意味であれレガシーに為る。五輪・パラリンピックはそれでそれ為りに成功するだろうが、恐ろしいのはその後の経済状況などである。

 2019を振り返る

 先ずは恒例のネタ。東京の兄が、2019年の流行語を交えながら、先ず2019年を振り返ろう。

 1月 出国時に1人1000円を課す「国際観光旅客税」がスタート。増大するインバウンドに対応したものだが、オーバーツーリズムに苦しむ自治体も。
 2月 米朝首脳会談、残念ながら決裂。韓国の文在寅さんが笑わ無い男に。
 3月 ゴーンさんの保釈、作業着への変装が話題に。野球のイチローさんが引退、会見では「後悔など有ろう筈が無い」発言。
 4月 新元号が「令和」に決まる。有能な番頭さんであった筈の菅さんが「令和おじさん」としてキャラ化・人気急上昇。池袋で高齢ドライバーである飯塚幸三さんの暴走が引き起こす凄惨な事件発生。容疑者扱いされ無いママで「上級国民」は逮捕され無い?で世論沸騰。けれども、免許返納する高齢者は増加。

 5月 令和の時代に。丸山穂高さんが戦争発言で所属政党から除名される。しかし、その自由な発言で「NHKをぶっ壊す」党に参画「無敵の人」活動を開始!
 6月 G20大阪サミット開催。グレタさんの問題提起は余り受け入れられず。
 7月 イリエコネクションを発端とした芸人の闇営業問題で大騒動。参議院議員選挙は関心薄く「松本 動きます」が、有権者は動かず。
 8月 「ホワイト国」のリストから韓国を除外し日韓関係悪化。セクシー小泉進次郎氏と滝川クリステルさん結婚したがポエムは発表されず。高速道路を股に賭けた「煽り運転の申し子」が大ニュースに。「エグザイルの41軍」にでも居そうな男性とガラケー女と一緒に逮捕される。原宿に「東京タピオカランド」がオープンしたが、原宿周辺はタピオカごみ問題も。タピるのも好い加減にして欲しい。
 
 9月 香港で反政府抗議デモ、海外ではウイグル人への対応で中国の人権問題が問題に。日本では#KuTooと為ら無いが、新幹線での靴を脱ぐか問題がネット世論沸騰。
 10月 消費税増税、軽減税率は騒がれず。◯◯ペイでキャッシュレス経済も拡大。ラグビーW杯で8強入り、俄かファン含めたONE TEAMで日本が熱狂!ジャッカル!「(英語民間試験は)自分の身の丈に合わせて頑張って貰えば」と身の丈発言が大騒動に為り、大学入学共通テストでの英語民間試験導入が延期に。
 11月 ジャパンライフの人や「反社」迄来て居た「桜を見る会」を政府は来年度中止に。シュレッダーが大勝利(笑)「別に」の女優がお薬問題で捕まる。
 12月 #忘年会スルーが話題に。若者はミルクボーイのコーンフレークの漫才でも見ていたいらしい。ゴーン被告がレバノンにゴーン。タピるで騒動に為った女性タレントが離婚、チョリース!

 時を戻そう。嫌、東京に戻そう。東京ではと言うと、札幌への五輪マラソンコースが移される問題で小池都知事が張り切った位しか、都政ではこれと云った話題は無かった。東京では、11月に「渋谷スクランブルスクエア」が開業する等、再開発の動きは止まら無い。そんな2019年であった。

 都知事選、各党の状況は

 先ずは東京都知事選挙であろう。小池さんの再選はどう為るかである。今の処、小池都知事自体は明確には明らかにして居ない。
 都議会自民党は「都政を混乱させた」と云う意味不明な主張で批判を強めて居るが、二階幹事長が、立候補すれば小池知事を支援する考えを示して居て、更に安倍首相は「(小池さんには)勝て無いよね」と云う話を発したと言われて居る。公明党は山口代表が再選容認を示唆したとも言われて居る。立憲民主党は、小池さんが希望の党設立に至った件で「ケジメを着けさせ無ければ為ら無い」との声・・・・こう為ると小池再選は手堅い処だろう。「れいわ新選組」の動きに期待したい。

 専門家はどう見ているか?

 選挙の専門家の2人に聞いてみた。ネット選挙やネットでのコミュニケーションの専門家の高橋「ヨロン」茂氏に聞いた。

 【出典】高橋氏(本人提供)

 「今のママだと、小池さんが順当に勝つでしょうけど、オリンピックがどの様に開催されるかによって情勢は変わるかも知れません。開催出来ないことも含めて、後は衆院選と同時選挙があるかどうか。勝てるとしたら蓮舫さん位かな。都知事は知名度と「華」が必要です」

 とのこと。確かに五輪前後でひと山ありそうだ。更に、テレビでも有名な選挙コンサルタントの松田馨氏に聞いた。

 「基本的に首長選挙における2期目の選挙は、3期目4期目に比べて再選率が高い。昨年10月下旬に行われたJX通信社の世論調査でも小池知事の支持率は53.6%と過半数を超えて居る事から、小池知事が二期目に立候補すれば当選の可能性は高いと考える。
 立憲民主党等の野党が統一候補を擁立する動きも報道されて居るが、仮に擁立出来た場合は自民党都連の候補と2人で小池批判票が割れる事に為り、小池都知事が漁夫の利を得る事に為るだろう。現職有利を覆す為には、都民の7割以上がその人物を知って居る様な圧倒的知名度が条件に為る。その上で、無党派層から自民党・野党の一部からも好感を持たれて居る様な人物であれば闘えるのではないか」
との事。

 【出典】松田氏(本人提供)

 2人の著名な選挙プランナーが言う様な面白くも無い情勢が予想され、しかもそう為りそうである。過去の都知事達が(都政の反省も無く)テレビで発言して居て、都民も悲しく為って居る様に、著名人であることタレント性がどうしても必要に為ってしまう。私は都議会議員や東京都内の首長で都知事に相応しい人物を多く知って居るが、行政経営の論理よりも選挙の論理が優先してしまう。悲しい現実である。

 お寒い令和の東京都知事選挙

 小池都政に付いてはココでも書いて来たが「以前の石原都政、猪瀬都政、舛添都政よりは未だ増し」と評価する面もある。しかし、

 ・東京五輪のSDGsや環境問題、レガシーには程遠い
 ・満員電車ゼロなどの主張はドッカに行ってしまった
 ・政策過程はブラックボックスのママ


 である。それ為りに新しい事目立つ事には熱心であり、一寸「何か時代に合った新しい事をして居る」と云うムードを作るのは小池都知事はとても上手い。しかし、令和に為っても、政党中心・知名度中心・票獲得中心思考の選挙候補者選びである。そこではこれ迄の経歴や実績も人物としての妥当性には議論が及ば無い。野党も与党も相変わらずである。

 ・選挙に勝つ為には知名度が必要著名人・タレントが都知事に為る
 ・メディアが争点を提起できない政争でしか選挙が盛り上がら無い
 ・政策議論よりも自分達の利権重視首都東京都の先進的な政策は出来ない
 ・おカネ面は比較的豊か都民はそんなに困っては居ない厳しい喧々諤々の政策議論が進ま無い無駄な事業が増える


 この構造を変える時代がもうソコ迄来ている。「うるさい!」って。確かにお前よりは煩い。もう誰かの所為にするのは辞めにしよう。
 

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                   以上







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2020年01月26日

日本人は「失われた30年」の本質を判って無い




 日本人は「失われた30年」の本質を判って無い

     〜東洋経済オンライン 岩崎 博充 経済ジャーナリスト 1/26(日) 8:00配信〜


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       〜既に日本は「失われた40年」への道を突き進んで居るかも知れ無い〜


 今から30年前、1990年の東京証券取引所は1月4日の「大発会」から行き成り200円を超える下げを記録した。1989年12月29日の「大納会」で着けた史上最高値の3万8915円87銭から、一転して下げ始めた株式市場は、その後30年が経過した今も史上最高値を約4割程下回ったママ。長期的な視点に立てば、日本の株式市場は低迷を続けて居る。

 その間、アメリカの代表的な株価指数である「S&P 500」は、過去30年で約800%上昇。353.40(1989年末)から3230.78(2019年末)へと、この30年間でザッと9.14倍に上昇した。方や日本は1989年の最高値を30年間も超える事が出来ずに推移して居る。
 この違いは一体何処にあるのか・・・そしてその責任は何処にあるのか・・・アメリカの経済紙であるウォールストリートジャーナルは、1月3日付の電子版で「日本の『失われた数十年』から学ぶ教訓」と題して、日本が構造改革を行わ無かった結果だと指摘した。

 日本は失われた40年を歩む事に為るのか

 この30年、確かに株価は上がら無かったが、極端に貧しく為ったと云う実感も少無い。政治は一時的に政権を明け渡したものの、バブル崩壊の原因を作った自民党が未だに日本の政治を牛耳って居り、日本のアラユル価値観やシステムの中に深く入り込んで居る。
 バブルが崩壊した原因やその責任を問われぬママ、失われた30年が過ぎて来た。自民党政権が遣って来たことを簡単に総括すると、景気が落ち込んだ時には財政出動によって意図的に景気を引き上げてリスクを回避し、その反面で膨らむ一方の財政赤字を埋める為に消費税率を引き上げ、再び景気を悪化させる・・・そんな政治の繰り返しだったと言って好い。

 2012年からスタートしたアベノミクスでは、財政出動の代わりに中央銀行である日本銀行を使って、異次元の量的緩和と云う名目で、実際は「財政ファイナンス(中央銀行が政府発行の国債を直接買い上げる政策)」と同じ様な政策を展開して来た。政府に逆らえ無い中央銀行総裁が登場したのも、日本経済の「失われた20年・30年」と無縁では無いだろう。
 実際に、近年の日本の国際競争力の低下は目に余るものがある。生産能力は低下する一方であり、加えて少子高齢化が顕著に為って来ている。新しい価値観をナカナカ受け入れ無い国民や企業が蔓延し、失われた30年が過ぎた今、日本はこれから失われた40年、或は失われた50年を歩き始めて居るのかも知れない。

 このママでは2030年代には、日本は恒常的なマイナス成長国家と為り、経常赤字が続き、ヤガテは先進国から陥落する日が来るのかも知れない・・・そんな予測をする専門家も多い。日本の失われた30年を、もう1度検証し振り返って見たい。








 この30年、何が変化したのか? 

 この30年で日本はドンな変化を遂げたのだろうか。先ずは、主要な統計上の数字の面でチェックしてみたい。

  平均株価(日経平均株価) 3万8915円87銭(1989年12月29日終値)2万3656円62銭(2019年12月30日終値)
  株式時価総額 590兆円(1989年年末、東証1部)648兆円(2019年年末、同)
  ドル円相場 1ドル=143.4円(1989年12月末、東京インターバンク相場)109.15円(2019年12月末)

  名目GDP 421兆円(1989年)557兆円(2019年)
  1人当たりの名目GDP 342万円(1989年)441万円(2019年)
  人口 1億2325万人(1989年、10月現在)1億2618万人(2019年、11月現在)

  政府債務 254兆円(1989年度、国と地方の長期債務)1122兆円(2019年度末予算、同)
  政府債務の対GDP比 61.1%(1989年)198%(2019年)
  企業の内部留保 163兆円(1989年、全企業現金・預金資産)463兆円(2018年度)

 これ等の数字で判る事は、第1に株価の低迷がズッと続いて居る事だ。1989年の大納会で着けた3万8915円と云う高過ぎる株価は、解禁されたばかりの株式先物指数が一部の外国人投資家に使われた意図的な上昇相場であったと云う背景もあるが、30年間回復出来ない現実は日本経済に問題があるとしか言い様が無い。
 アメリカの株価がこの30年で9倍に為った事を考えると、日本の株価は異常な状態と言って好いだろう。ちなみに、この30年間でドイツの株価指数も1790.37(1989年末)から1万3249.01(2019年末)に上昇。ザッと7.4倍に為って居る。

 尚、株式市場の規模を示す時に使われる「時価総額」も、この30年で日本は僅かしか上昇して居ない。株式の上昇による資産効果の恩恵を日本の個人は殆ど受けて居ないことに為る。個人が株式に投資して金融資産を大きく伸ばしたアメリカに比べると、日本は一向に個人の株式投資が進んで居ない。日本人の多くが豊かさを実感出来ない理由の1つと言って好いだろう。
 実際に、この30年で海外投資家の日本株保有率は1990年度には5%弱だったのが、2018年度には30%に達して居る。日本株の3割は外国人投資家が保有して居る訳だ。

 過つて日本の株式市場は3割以上が国内の個人投資家によって保有されて居た。バブル崩壊によって個人投資家が株式投資から離れ、その後の個人の資産形成に大きな影を落としたと言って好い。現在では、過去最低レベルの17%程度に留まって居る。
 ちなみに、アベノミクスが始まって以来、政府は「GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)」等の「五頭のクジラ」と呼ばれる公的資金を使って、意図的に株価を下支えして居ると言って好い。日銀も「ETF(上場投資信託)」を買い続けて居る。

 これでは株価は適正な価格形成を行えず、個人投資家の多くは割高な価格で株を掴まされて居る状態だろう。株価が暴落した時に、個人が株式市場に参入する機会を失ってしまって居る訳だ。株式市場と云うのは、飽く迄も市場の価格形成に任せるのが望ましく、株価が大きく下がれば個人投資家が株式投資を始める可能性が高い。折角の投資機会を、政府が意図的に邪魔して居る状態が続いて来たとも言えるのだ。

 マクロ経済的に見ると、日本の名目GDPは1989年度には421兆円だったのが、30年を経た現在では557兆円に為って居る。(米ドル建てで計算 1989年はIMF 2018年は内閣府推計) 一見すると国内総生産は順調に伸びて来たかの様に見えるが、世界経済に占める日本経済のウェートを見ると、その凋落振りが好く見て取れる。

  1989年 15.3%
  2018年 5.9%

 
 アメリカのウェートが、1989年の28.3%(IMF調べ)から2018年の23.3%(同)へとヤヤ低下したのに比べると、日本の落ち込みは大きい。その代わり中国のウェートは2.3%(同)から16.1%(同)へと急上昇して居る。新興国や途上国全体のウェートも18.3%から40.1%へと拡大して居る。日本の国力の低下は、明らかだ。
              
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 グローバル企業が示す日本の衰退

 日本の「失われた30年」を的確に示して居る指標には、日本全体の「国際競争力」や日本企業の「収益力ランキング」がある。例えば、スイスのビジネススール「IMD」が毎年発表している「国際競争力ランキング」では、1989年から4年間、アメリカを抜いて日本が第1位と為って居た。それが2002年には30位に後退し、2019年版でも30位と変わって居ない。
 一方、アメリカのビジネス誌『フォーチュン』が毎年発表している「フォーチュン・グローバル500」は、グローバル企業の収益ランキング・ベスト500を示したものだ。1989年、日本企業は111社もランキング入りして居たが2019年版では52社に減少して居る。

 日本の科学技術力も、この30年で大きく衰退してしまった。 日本の研究者が発表した論文がどれだけ他の論文に引用されて居るのかを示す「TOP10%補正論文数」と云うデータでも、1989年前後には世界第3位だったのだが、2015年には既に第9位へと落ちてしまっている。
 この他にも、ココ30年で順位を落としてしまった国際ランキングは数知れ無い。殆どの部分で日本以外の先進国や中国に代表される新興国に抜かれてしまって居る。日本は今や先進国とは名ばかりの状態なのかもしれない。

 残念な事に、日本のメディアは日本の技術が素晴らしいとか治安が優れて居る等、数少ない日本の長所を殊更にクローズアップして、日本が世界をリードして居る様な錯覚を毎日の様に国民に与え続けて居る。
 1989年には、日本に遣って来る外国人観光客は非常に少なかった。訪日外国人客は283万人(1989年)、それが今や3119万人(2018年)に膨れ上がった。当時、外国人に取って日本の物価は非常に高く、一部のお金持ちを除くとナカナカ日本に来る事が出来なかった。
 現在は中国に限らず、世界の数多くの観光客が日本は格安だとして訪れて居る。実際に、日本はコノ30年間ほどんど物価が上がらず、アベノミクスで掲げた年2%のインフレ率さえ達成出来ない。国民生活に取っては、それが悪い訳では無いが、日本の国力は明らかに低下して居ると考える必要があるだろう。

 責任は何処にあるのか? 

 日本が失われた30年を始めた切っ掛けは、言う迄も無く株価の大暴落だが、追い打ちを掛ける様に当時の大蔵省(現財務省)が、高騰を続ける不動産価格を抑制しようと「総量規制」を実施した事にある。株価にブレーキが掛かっているのに、土地価格に迄ブレーキを掛けたことが原因であり、そう云う意味ではバブル崩壊は政府の責任だ。
 アメリカがリーマンショックを経験した様な出来事を、日本はその20年も前に味わって居た訳だが、そこでの対応の違いがアメリカと日本の差を決定的にしたと言って好い。

 日本は、株価暴落や土地価格の暴落等によって実質的に経営破綻に追い込まれた金融機関や企業の破綻を先延ばしし、最終的に7年以上もの時間を掛けてしまったからだ。リスクを先送りにする事で、自民党を軸とした政治体制を守り、政権と一蓮托生に為って居た官僚機構も、意図的に破綻処理や構造改革のスピードを遅らせた。その間、政府は一貫して公的資金の出動による景気対策や公共事業の増加等で対応して来た。
 財政赤字が未だ400兆円のレベルだった頃に、当時の大蔵省主計局に取材した事がある。担当者は「赤字国債の発行を辞める事は、官僚機構が自ら国を荒廃に追い遣ることに為る」と発言したのを今でも思い出す。赤字国債無しでは、日本は立ち行か無く為って居る事を認めて居る訳だ。

 この30年、日本は企業救済の為の資金は惜しまずに支出して来た。アメリカの様に、税金を民間企業に支出する事に強硬に反対する共和党の様な勢力が日本には無いからだ。公的資金の支出が景気の回復に効果が無いと判ると、今度は郵政民営化と云った規制緩和を始める。
 しかし、コレも様々な勢力に忖度する余り、中途半端な形で進行し、結果的に景気回復の切り札には為ら無かった。最終的に、現在進行形のアベノミクスに辿り着く訳だが、スタートして今年で8年に為ろうとして居るにも関わらず、その効果は見当たら無い。

 ヒョットしたら、一時的に消費者物価が2%を突破するかも知れないが、一時的なものに終わる可能性が高い。その間、政府の債務はドンドン膨らんで、政府は何度も消費税率アップに動く以外に方法は無く為って行く。1989年4月に消費税を導入して以降、この30年で政府は3回の「消費税率引上げ」を実施して居るが、何れも2%3%と云う具合に、叛の少しずつ引き上げる事で決定的なパニックに陥るリスクを避けて来た。
 一方のアメリカは、リーマンショック時にバーナンキFRB議長は大胆に、そしてスピード感を持って解決策を打ち出した。責任を回避せずに、リスクに立ち向かう姿勢がアメリカには在ったと言って好い。

 日本は常にリスクを回避し、事無かれ主義に徹し、改革のスピードや規模が小さく為ってしまう。その結果、決断した割りに小さな成果しか上げられ無い。簡単に言えば、この30年の失われた期間は現在の政府に責任がある事は間違い無い。
 それでも国民は、バブル崩壊の原因を作った政権に今も肩入れして来た。その背景には補助金行政等、政府に頼り過ぎる企業や国民の姿がある。実際に、この30年間の統計の中でも有った様に政府債務は250兆円から約4倍以上の1100兆円に増えて居る。
 自民党政権が今も続いて居るのは、只単に「低い投票率」に支えられて居るだけと云う見方もあるが、30年の間に、国民の間に「諦め」の境地が育ってしまったのも事実だろう。

 長期に渉ってデフレが続いた為、政府は経済成長出来ない=税収が増え無い分を長期債務と云う形で補い続けて着た訳だ。収入が減ったのに生活水準を変えずに、借金で賄って来たのが現在の政府の姿と言って好い。









 日本は何故構造改革出来ないのか? 

 全国平均の公示地価を見ると、1976年を「0」とした場合、1992年迄はプラス圏だったが、その後バブルが崩壊して住宅地・商業地共に公示価格は只管マイナスを続けて、2015年にヤッと「前年比プラス」に転じる状況にある。30年前の土地価格に戻るには、悪性インフレ位しか考えられ無い状況だ。要するに、30年近い歳月、日本国民は土地価格の下落を余儀無くされた訳だ。
 株価や土地価格が上昇出来なかった背景をどう捉えれば好いのか。簡単に言えば、少なくとも日本政府は構造改革に繋がる様な大胆な改革を行って来なかった。都市部の容積率を抜本的に見直すと云った構造改革を怠り、消費税の導入や税率アップの様な構造改革では無い政策でサエも、選挙に負けると云うトラウマがあり一線を超えずに遣って来たと云う一面がある。

 最も、構造改革をスローガンに何度か大きな改革を実施した事はある。例えば、企業の決算に「時価会計」を導入した時は、本来だったら構造改革に繋がる筈だった。これは、日本政府が導入したと云うよりも、国際的に時価会計導入のスケジュールが決まり、それに合わせただけの事だが、本来であれば株式の持ち合いが解消され、ゾンビ企業は一掃される筈だった。
 処が政府は、景気が悪化すると直ぐに補助金や助成金と云った救済策を導入して、本来なら市場から退散し無ければ為ら無い企業を数多く生き残らせてしまった。潰すべき企業を早期に潰してしまえば、その資本や労働力は又別の処に向かって、新しい産業を構築する事が出来る。負の結果を恐れる余り、政府は常にリスクを先送りして来た。
 バブル崩壊後も、株式市場は長い間「PKO・Price Keeping Oparation相場」と言われて、政府によって株価が維持されて来た。世界の平均株価と大きく乖離した時期があった。.

 官民揃ってガラパゴスに陥った30年

 そして今大きな問題に為って居るのが、デジタル革命、 IT革命と云った「イノベーション」の世界の趨勢に日本企業がドンドン遅れ始めて居る事だ。この背景には、企業さえも構造改革に対して消極的であり、積極的な研究開発に打って出る事が出来無かったと云う現実がある。
 欧米の様な「リスクマネー」の概念が決定的に不足して居る。リスクを取って、新しい分野の技術革新に資金を提供する企業や投資家が圧倒的に少ない。

 日本は或る分野では、極めて高度な技術を持って居るのだが、マーケティング力が弱く、それを市場で活かし切れ無い。過去、日本企業はVHSやDVD、スマホの開発と云った技術革新では世界のトップを走って来た。しかし、実際のビジネスと為ると負けてしまう。
 技術で優っても、ビジネス化出来無ければ只の下請け産業に為ってしまう。もっと判り易く言えば、日本特有の世界を作り上げて、そこから脱却出来ない「ガラパゴス化」と云う欠点に悩まされて来た。

 日本特有の技術に固執する余り、使う側のポジションに立て無いと言っても好い。日本が製造業に固執しながら、最先端の技術開発に終始して居る間に、世界は「GAFA」(グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾン)に支配されて居た。余りにも残念な結果と云える。
 この30年、日本企業は様々なガラパゴスを作って来た。そして、そのガラパゴスの背景には、必ずと言って好い程政府の歪んだ補助行政や通達・ 規制と云ったものが存在して居る。業種にもよるが、日本企業の多くは消費者では無く、規制当局や研究開発費を補助して呉れるお上(政府)の方向を向いてビジネスして居る姿勢を好く見掛ける。政府が出して呉れるお金を手放せ無いからだ。

 とは云え、失われた40年を歩き始めたかも知れ無い日本に取って、今後は失われただけでは済ま無いだろう。日銀には一刻も早く、金融行政を適正な姿に戻し、株式市場も適正な株価形成のシステムに戻す事が求められて居る。自民党が避けて来た「最低賃金の大幅上昇」「積極的な円高政策」と云った、これ迄とは真逆の政策に踏み切る時が来て居るのかも知れない。

 そして、政府は財政赤字解消に国会議員の数を減らす等、目に見える形で身を切る改革をし無ければ、今度は「崩壊する10年」に為る可能性が高い。


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 岩崎 博充 1952年長野県生まれ武蔵大学卒業 ルポライター・コメンテーター・ジャーナリスト 武蔵大学経済学部卒業後雑誌編集者等を経て1982年に独立 経済・金融等のジャンルに特化したフリーのライター集団「ライトルーム」を設立 雑誌・新聞・単行本等で執筆活動を行う他 テレビ・ラジオ等のコメンテーターとしても活動

             岩崎 博充 経済ジャーナリスト     以上


















 










2020年01月25日

「人類の未来は決して暗くない」世界注目のハーバード大学教授が喝破する ジャーナリズムの罪


  
  「人類の未来は決して暗く無い」

  世界注目のハーバード大学教授が喝破する ジャーナリズムの罪


              〜文春オンライン 1/25(土) 6:00配信〜


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             スティーブン・ピンカー氏 コピーライトマーク大野和基


       「我々は未来に付いて楽観主義に為るべきでしょう」

 そう語るのは、ハーバード大学心理学教授のスティーブン・ピンカー氏だ。国内では、崩壊する年金制度や人口減少、移民の受け入れ等の問題が山積し、国外に目を向けても、異常気象や緊迫した国際情勢が待った無しの状況・・・現状をそう捉え、絶望して居る人々は多いだろう。
 しかし、こうした希望の無い評価に対して「それは『地球は平らだ』と主張する位、全くの誤りだ」とピンカー氏は断言する。

 何故人は科学による進歩を正しく認識出来ないのか?

 進化心理学の第一人者であるピンカー氏は、2004年にタイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に、2005年にはフォーリンポリシー誌の「知識人トップ100人」に選ばれた。米国科学アカデミー会員で『アメリカン・ヘリテージ英語辞典』の語法諮問委員会議長も務めて居る。
 又、2011年に刊行した『 暴力の人類史 』では、人類史を通じて暴力が確実に減少した事を、データを基に立証して話題と為った。最新刊の『 21世紀の啓蒙 理性、科学、ヒューマニズム、進歩 』では、現代に蔓延るシニシズムを危惧し「進歩」への信頼を説いて居る。我々が未来に期待出来る根拠に付いて、ピンカー氏が語った。

 「データを見れば、人類を取り巻く環境が良く為って居る事は自明です。18世紀中頃には29歳だった平均寿命は今や71.4歳に延び、食糧状態に付いても、1960年代には1日1人当たり約2200キロカロリーだった摂取量が、現在では約2800キロカロリーです。又、世界総生産は200年でホボ100倍と富も増えました。
 インフラや政治形態も改善して居ます。特に先進国では、清潔な水が蛇口から流れ、権力者を批判しても投獄され無い民主主義の下で暮らす事が出来る。更に、機械化が進み、世界の知識を小さな端末で持ち歩けます。しかし、世界はドンドン悪く為って居る、未来は暗いと云う認識が広がって居ます。人は何故理性や科学による進歩を正しく認識出来ないのでしょうか」

 
 その理由としてピンカー氏は「ジャーナリズムの責任」を指摘する。

 この25年で12億人超が極度の貧困から脱した

 「ジャーナリズムは、毎日、銃撃やテロ攻撃、内戦、飢餓、病気の大流行に付いて報道して居ます。その様な悲惨なニュースを見ると、世界中がバイオレントに為り、病気が流行し、貧困に向かい、危険に陥って居ると思うでしょう。
 一方で、平和に暮らしている地域はニュースに為りません。又、良い事は年に2、3%の割合で徐々に進み、10年・20年を掛けて大きな進歩に為りますが、その進歩は漸進的なので新聞は報道しないのです。
 例えば、極度の貧困(1日1.9ドル未満で生活する人)は、この200年間で、世界の人口の90%から10%迄減少して居ます。しかし『今日、13万7000人の人が極度の貧困から脱出しました』と云うヘッドラインを新聞で見る事はありません。この25年で12億5000万人が極度の貧困から脱したと云う事実に、人は気が付いて居ないのです」


 貴方も「フィルターバブル」に入って居る

 その様にして作られた我々の「世界に対するイメージ」を、より強固にしてしまうのが「SNSにより作られるバイアス」だ。情報が溢れるSNSへの接し方には注意が必要だと続ける。

 「インターネットやSNSにおいては、自分が見たい情報しか見え無く為り勝ちです。それを『フィルターバブル』と言います。我々は、自分と異なる意見を持つ人々に対して『彼等はフィルターバブルに入って居る』と一蹴し勝ちですが、貴方自身もフィルターバブルに入って居る事には気が付きません」
 
 バイアスの影響を容易く受けてしまう我々に必要な能力、それは「データを理解する事」だと云う。目の前の危機に印象論で惑わされ無い事、その重要性をピンカー氏は強調した。

 「調査や分析によって得られるデータから考え、自分自身の考えだけを信頼し無い事を常に心に留めて置くべきなのです」
 
 環境問題や原発、AIに対する恐怖、所得の格差・・・我々が怯える問題の中で、本当に向き合うべきテーマは何だろうか。豊富なデータを基にピンカー氏が語った「 人類はモッと未来に期待すべき 」は「文藝春秋」2月号及び「文藝春秋digital」に掲載されて居る。


        「文藝春秋」編集部 文藝春秋 2020年2月号   以上










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明智光秀は何故本能寺の変を起こしたのか 本郷和人氏解説




 明智光秀は何故本能寺の変を起こしたのか 本郷和人氏解説

           〜NEWS ポストセブン 1/25(土) 16:00配信〜


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 〜「本能寺の変」の首謀者である明智光秀を主役にしたNHK大河ドラマ『麒麟がくる』が始まった。光秀は、何故本能寺の変を起こしたのか。『東大教授がおしえる やばい日本史』等ベストセラーを連発する歴史学者の本郷和人氏が、光秀の真実を判り易くレクチャーする〜

 光秀が何故本能寺の変を起こしたのか・・・「朝廷黒幕説」や、信長が光秀と縁の深い長宗我部元親を攻め様としたからと云う「四国原因説」等様々な説が出て居ますが、歴史学者の立場から言えば「動機」を探ることに余り意味は無い。それは飽く迄フィクション、小説の領域の仕事です。
 その前提の上で敢えて言うとすれば「光秀は、信長の天下統一後の自分の処遇に不安を抱いて居たのでは無いか」と云う事ですね。

 信長は息子達の為に、次世代の織田政権を盤石にする準備を着々として居た筈です。それを見て、光秀等オールドパワーは「もう俺達はお払い箱に為るのではないか」と思ったかも知れません。信長の抜擢主義は諸刃の剣であって、役に立つなら幾らでも引き立てるが、不要と為れば切り捨てられる。
 実際、佐久間信盛や林秀貞等の重臣が追放されて居ます。それを見て、光秀ばかりで無く家臣の多くが「次は俺か」と思って居たでしょう。

 それよりも興味深いのは、光秀は本能寺の変の「後」をどう生き抜こうと考えて居たかと云う事です。好く「明智の三日天下」と言われますが、それは光秀に取って不本意な結果だったのは間違い無い。キッとその後のプランも練って居た筈です。
 光秀は(信長に取って重要な)京を抑えて居る。信長の様に全国統一を狙わ無くても、近畿さえまとめれば家臣を路頭に迷わせる事は無いと踏んだのではないか。

 本能寺の変の後に、光秀が細川幽斎に宛てた所状が有ります。そこには「自分は私利私欲で信長を討ったのでは無く、(幽斎の子の)忠興等を取り立てたいが為である。近国を平定した後は息子や忠興に譲って引退し様と思う。だから味方に為ってください」と書いてある。
 これは細川を味方に付ける為の方便でしょう。切羽詰まった時、人間は何だって言いますからね。でも、光秀の娘のガラシャが嫁ぎ、血縁を通じた盟友でも在った細川幽斎・忠興父子が同調し無かった事は大きな誤算でした。縁の深い細川が着か無いのでは、明智に着くのは辞め様かと云う流れが広がったのではないでしょうか。


 【プロフィール】ほんごう・かずと 昭和35(1960)年東京都生まれ 東京大学・同大学院で石井進氏・五味文彦氏に師事し日本中世史を学ぶ 著書に『上皇の日本史』(中央公論新社刊)『承久の乱』(文藝春秋刊)『乱と変の日本史』(祥伝社刊)『東大教授がおしえる やばい日本史』(ダイヤモンド社刊)等

     構成 内田和浩 ※週刊ポスト2020年1月31日号    以上







 本能寺の変で信長が言った 「しかたがないな」をどう解釈するか


 〜NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公、明智光秀と云えば、織田信長を自害に追い込んだ「本能寺の変」の首謀者として知られて居る。敵役としてのイメージが強い光秀を、信長はどの様に評価して居たのか。『東大教授がおしえる やばい日本史』等ベストセラーを連発する歴史学者の本郷和人氏が、光秀の真実を判り易くレクチュアする〜

 美濃出身の光秀がどの様な経緯で信長に仕える様に為ったのかも好く判って居ません。只、信長の前に越前の大名・朝倉義景に仕えたのは間違い無い様です。
 何等かの縁で斎藤道三に仕えて才能を認められたが、1556年の道三とその息子・義龍の戦い(長良川の戦い)で道三の側に着いて負けてしまい美濃には居られ無く為った。その後、浪人して朝倉氏に仕えたと云うのが妥当な見方でしょう。只、朝倉氏にはそれ程重用され無かった。

 現代に生きる私達には「日本人」と云う共同体の意識があるけれど、群雄割拠で周囲を敵に囲まれた戦国時代にはそれは無い。「同郷の人間以外は信用するな」と云う感覚が有りました。朝倉氏初代の朝倉孝景は、実力で越前守護に伸し上がった戦国大名の走りとも云える人物です。
 この孝景が定めた「朝倉敏景(孝景)十七箇条」には「重役の息子だから重役に為れると考えるな。才能が無ければ使わ無い」とか「合戦の時に吉凶を占う事は辞めろ」と云う様に当時としては非常に合理的な考えが示されて居ます。
 にも関わらず、内政に付いては「越前以外の者は為るべく使うな」と書いて居る。進歩的だった孝景ですらそうなのですから、余所者の光秀が認められるのは大変だったと想像出来ます。

 その後、光秀は朝倉家を離れ、足利義昭(室町幕府15代将軍)と織田信長の両方に属する時期を経て、信長に仕える事に為ります。その後、信長の下で残した実績からも、光秀が軍事的にも政治的にも物凄い才覚を持って居たのは間違い無い。
 信長は、才能が有れば出身に関わらず重用すると云う当時としては希有な価値観を持って居た。だからコソ光秀は頭角を現わして行く訳です。

 秀吉よりも上だった

 上洛した信長が、京の政務に当たらせた4人の中に光秀は名を連ねます。この内、光秀、羽柴秀吉、丹羽長秀は織田家の中でドンドン出世して行きます(もうひとりは中川重政)大経済都市である京で税を吸い上げる為、信長は期待を掛ける家臣に京都奉行を遣らせ競わせた訳です。
 上洛の3年後、信長は比叡山焼き討ちを実行しますが、この時の光秀の働きには目覚ましいものがあった。その為光秀は比叡山の門前町である坂本に城を建てる事を許されます。坂本は京の東の玄関口で、日本海交易による物資が集まる物流の要所でした。

 その後、光秀は丹波を平定して亀山を居城にします。亀山は京の西の玄関口。詰まり、光秀は京の東と西の玄関口の両方を貰い、京の経済を制する役割を任された事が判ります。4人の京都奉行で最も信長のお眼鏡に適ったのが光秀だったのです。
 加えて、丹波からは京都に何時でも軍勢を送り込める。過つて歴史学研究の権威である高柳光寿さんは「光秀は近畿方面軍の司令官だった」と評して居ましたが、それは正しい解釈でしょう。

 織田家の方面軍は、北陸は柴田勝家、中国は羽柴秀吉、関東は滝川一益、四国は丹羽長秀、そして光秀は畿内を担当して居る。この内最も重要なのは畿内ですから、信長が光秀を一番信頼して居た事は間違いありません。
 しかし天正10年(1582)6月2日、明智光秀は京都の本能寺を襲い信長は自害します。信長旧臣の太田牛一が書いた『信長公記』には、信長が本能寺で光秀に襲われた時「是非に及ばず」と言ったと記されて居ます。現代風に訳すなら「しかたがないな」です。

 信長は女達を逃がしてから死にましたが、太田は女達からそれを聞いたのでしょう。だからこの言葉には臨場感がある。では、この「しかたがないな」をどう解釈するか。「光秀に抜かりは無いだろうから、逃げても仕方が無い。為らばここで死ぬか」と云う意味か。
 それとも「光秀を抜擢して今の地位に着けたのは俺なんだから、仕方が無い」と云う意味か。僕は後者なのではないかと思います。

 本能寺の変を語る際「信長が油断した」と云う表現をする人が居ます。しかし幾ら警戒しても、親衛隊のトップが裏切ったらどうしようも無い。光秀が近くに居るから枕を高くして寝られると思ったら、そいつが裏切ったと云う事ですから、信長が手抜かりして居たとは云え無いでしょう。


       構成 内田和浩 ※週刊ポスト2020年1月31日号  以上









 通説が覆された本能寺の変 NHK大河ドラマ『麒麟がくる』はどう描くのか

 「敵は本能寺にあり」・・・明智光秀が主君・織田信長を討つ際に発したと云うこの言葉。今年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』(1月19日スタート)ではどう描かれるのか。歴史作家の島崎晋氏が「本能寺の変」の謎に付いて解説する。
 
 本能寺の変が起きたのは天正10年6月2日、西暦で云えば1582年6月21日早朝の事だが、この政変を巡る謎は大きく分けて二つある。一つは動機に関するもので、もう一つは明智光秀による単独犯かそれとも共謀者や黒幕がいたのかと云う点である。

 動機に関しては大きく分けて怨恨説野望説・成り行き説の三つがある。通説と為って居た怨恨説は江戸時代から続く見方だが、これに初めて正面から異を唱えたのは、戦国史研究の大家である高柳光寿で、1958年刊行の『明智光秀』(吉川弘文館)では、光秀が信長から受けたとされる屈辱の全てが後世のフィクションと論証され、野心家としての光秀像が打ち出された。

 これに対し、同じく戦国史研究で名を知られた桑田忠親は1964年に刊行した『織田信長』(角川新書)の中で、イエズス会宣教師ルイス・フロイス著の『日本史』の中に、光秀が安土城で信長に足蹴にされたとの記述がある事を根拠に野望説を否定し怨恨説を主張した。

 ドチラの説を取るにせよ、歴史愛好家の間では、本能寺の変が光秀の単独犯行で、尚且つ偶々隙が生じたから実行した突発的出来事とする見方が有力だった。それが一変したのは、1992年に作家の桐野作人による『信長謀殺の謎 織田信長謀殺の朝廷疑惑人脈を追う』(ファラオ企画)が刊行されてからだ。本能寺の変には黒幕乃至は共謀者が居て、可成り前から計画されて居たとの説が飛び交う様に為った。
 黒幕としては朝廷や追放された15代将軍足利義昭、共謀者としては徳川家康上杉景勝等の名が挙げられて居る。が、ドレも状況証拠しか無い為、以前の大河ドラマでは採用されるには至ら無かった。

 しかし、近世国家成立史を専門とする藤田達生(三重大学教授)が1996年に論文「織田政権から豊臣政権へ─本能寺の変の歴史的背景─」を発表し、2001年にそれを膨らませた『本能寺の変の群像─中世と近世の相克』(雄山閣出版)を世に出すと更に新たな説が登場した。

 藤田は当時の書状を根拠に、黒幕は足利義昭で、光秀が謀反に踏み切った直接の切っ掛けは信長の対四国政策の変更にあり、上杉景勝や本願寺、雑賀衆、筒井順慶とも裏で手を結んで居たとする説を唱えた。それ以降、政治的な理由による計画的犯行との見方がにわかに強まる事と為った。

 確かに、数々の書状を見る限り、個人的な理由や突発的な行動で無いのは明らか。今年の大河ドラマ『麒麟がくる』が藤田説に従うとすれば、本能寺の変前夜の密使の遣り取りが入念に描かれる事に為るだろう。脚本家や製作スタッフがどの説を採用するのか注目したい。


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 【プロフィール】しまざき・すすむ 1963年東京生まれ 歴史作家。立教大学文学部史学科卒 旅行代理店勤務 歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している 著書に『ざんねんな日本史』(小学館新書)『いっきにわかる! 世界史のミカタ』(辰巳出版)『いっきに読める史記』(PHPエディターズ・グループ)など著書多数 最新刊に『ここが一番おもしろい! 三国志 謎の収集』(青春出版社)がある

                   以上







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「国技」大相撲が戦前から批判されて来た大きな矛盾




 【管理人】 数あるプロスポーツの中で、大相撲程小難しく面倒なものは無い。異常な太り方で互いに力一杯ブツ駈り合い投げ飛ばすのだから怪我をして当たり前。身体を守る一切の防具も使わず裸で・・・プロレスの様に互いに意思疎通もせず逃げ場も無く真剣に?対峙するのは半ば異常だ・・・と私は思って居る。
 父親が高校の相撲部の顧問をして居た事もあり・・・一人が序の口で入り活躍したが十両迄は行けなかった・・・余程の鍛錬か持って生まれた天賦が無ければ永くは続けられ無いものだ。これをスポーツと呼べるかどうか。
 そして、私は「若・貴」の作られた大相撲人気にとても疑問を持っている。千代の富士の実力に比べると貴乃花はアマチュアの域は超えて居ない。それは、NHKとメディアが作った楼閣だ。以来、大相撲はスポーツ好きな私からは、余り好きでは無いものへと為ってしまった。誰かが「相撲道」と誇らし気に語っているが、それは全く架空の話だ。更に品格と云うが、それを指摘し語るご本人がどうなのか。品格とか「相撲道」を語るのであれば、それは神の領域の人が云うものである。



  「国技」大相撲が戦前から批判されて来た大きな矛盾

            〜JBpress 1/24(金) 6:00配信〜


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 『叱られ、愛され、大相撲!「国技」と「興行」の100年史』(胎中千鶴著 講談社選書メチエ)
 
 長きに渉り愛され、そして世間から叱られ続けて来た大相撲。相撲はどの様にして「国技の様なもの」と為ったのか。度重なる不祥事を乗り越えて来た大相撲をどの様に捉え、どの様に付き合って行けば好いのか。「スー女」である胎中千鶴氏が大相撲への愛と苦悩を語る。JBpress
 (※)本稿は『叱られ、愛され、大相撲!「国技」と「興行」の100年史』(胎中千鶴著、講談社選書メチエ)より一部抜粋・再編集したものです。



 「国技の様なもの」

 余り知られて居ないが、大相撲の主催者である公益財団法人日本相撲協会の定款では、協会運営の目的を「太古より五穀豊穣を祈り執り行われた神事(祭事)を起源とし、我が国固有の国技である相撲道の伝統と秩序を維持し継承発展させる為」と明記して居る。
 そう為ると、本場所や巡業等も「国技である相撲道」の継承と発展の為に行われて居る事に為る。ビール片手に焼き鳥を頬張って居る場合では無いのだ。

 相撲に「道」を付けて「相撲道」と称するのであれば「国技」に邁進する者達には「武士道」を連想させる様な真剣な態度が求められる。中でも実践者の頂点に立つ横綱は、単なる興行団体の稼ぎ頭やスポーツ選手とは異なる立場なのだから、土俵上でも私生活でも品性高潔で無くてはダメ、と云う理屈に為る。近年目にする「横綱の品格」とやらも、この様な「国技」の枠組みから生じたものと云え様。
 とは云え、「国技」と云う定義は飽く迄協会が唄って居るだけで、相撲が日本の国技であると規定する明確な根拠は見当たら無い。日章旗や「君が代」は法律で国旗・国歌に定められて居るが、国技にはそれが無いのだ。
 詰まり「国技の様なもの」と云うモヤモヤした認識を、日本人がメディアを介して何と無く共有して居る、と云うのが実際の処だろう。

 一人横綱の支え

 この「国技の様なもの」を巡る議論が近年最も沸騰したのは、多数の外国人が角界に入門し、上位に進出し始めた2000年代後半である。朝青龍等外国出身力士の素行が問題視され「国技の危機」として警戒する論調が高まった。メディアが盛んに「伝統」や「神事」を語る事に、何処か排他的な空気を感じた方も居るだろう。 2010年(平成22)朝青龍が引退した。10月の断髪式を終えた彼は「生まれ変わったら、大和魂を持った日本人横綱に為りたい」と、痛烈な皮肉とも受け取れるコメントを残して日本を去った。

 アレから9年が経つ。その間に大相撲界は、2011年の大規模な八百長行為の発覚で存立そのものが危ぶまれる事態を迎え、それをモンゴル出身の白鵬が一人横綱として必死に支え続けた。事ある毎に自身の目標として、伝説の横綱双葉山や大鵬の名を挙げ、過剰な程に日本的な力士として振る舞おうとした当時の彼の姿を、心に留めて置きたい。
 その後も外国出身力士の活躍が続いた所為か「相撲=国技」と云う世間の固定観念は以前に比べて薄らぎつつある様にも見える。だが、稀勢の里や貴景勝等の「日本出身力士」にメディアが過剰に注目したり、横綱を特別視して「国技に相応しい品格」を求めたりする風潮は、未だに根強く存在する。

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                   蔵前国技館

 国技館の誕生とピンチ

 1954年9月、満を持して蔵前国技館が完成した。総工費2億3千万円、1万1千人収容の大型施設である。新しい国技館の誕生は、協会に取って新時代の幕開けとも云えるが、追い風に為ったのはそれだけでは無い。
 前年の1953年5月場所から始まったテレビ中継コソが、その後の大相撲人気を盤石なものにしたと云える。同年5月にNHK、続けて9月以降は民放各社も放映を開始した。家族そろって茶の間で観戦する「テレビ桟敷」が可能に為ったのである。

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 そして1955年5月、協会関係者に取って最強のサポーターとも云うべき昭和天皇が国技館を訪れた。戦後初の天覧相撲である。8年半の全国行幸を終え、心置き無く大相撲を楽しめる様に為った天皇が、その後足繁く国技館に通い続けた。
 こうして戦後の大相撲は、国技館と云う大舞台と、その貴賓席に頻繁に登場する天皇の存在によって、他の娯楽・スポーツと一線を画す「国技」としてのステイタスを再び手に入れたのだった。

 しかし、ホッとしたのも束の間、1957年春、協会は戦後最大のピンチに直面した。衆議院予算委員会と文教委員会で、財団法人としての大日本相撲協会の在り方や財政面の問題点を指摘されたのである。同年3月2日に、日本社会党の辻原弘市議員が灘尾弘吉文部大臣に、協会の営利化を指摘、マスコミもこの問題を一斉に報じる事と為った。
 『回顧録』によると、武蔵川の処には知人の社会党代議士から事前に連絡が入って居り「ドンブリ勘定では無いか」「営利主義に走り過ぎて居る」等の世評を受けて辻原等が動き出した事を承知して居た。

 一報を聞いた彼は「何を云ってるのだろう」「他人からケチを付けられる様な事は毛頭無い」と思ったと云う。

 協会の抱える矛盾

 だが、公益性を重んじ「国技」としての相撲の指導と普及に努めるべき協会が、建前とは裏腹に興行収益を優先して居る実態は今に始まった事では無い。1925年に認可されてからこの年まで32年間、協会は公益法人と云う錦の御旗に守られて運営を維持して来たものの、その内実が抱える大きな矛盾は、戦前も度々批判の的と為った。

 戦後の混乱期には、国民もそれ処では無かったのだろうが、1950年代後半と云えば、日本が経済復興を遂げ、大相撲がメディアを通じて再び注目される様に為った時期である。そうした社会の変化によって、改めて「営利主義」が世間の耳目を集めたと云う側面もあるのだろう。

 1957年4月3日、病気療養中の出羽海理事長(藤島秀光)に代わり、武蔵川が文教委員会の公聴会に参考人として出席した。彼の他に現役力士代表として幕内の若瀬川、更に協会OBとして和久田三郎(元・天龍)永井高一郎(元・佐渡ヶ嶽)も招かれ、夫々現在の協会の在り方に付いて意見を述べた。
 質問側は、辻原他、佐藤観次郎・川崎秀二・柳田秀一等自民党と社会党の委員である。この時点で協会は既に8項目の改革案を提示して居た為、公聴会ではこれに基づいて意見交換が行われた。

 会議上の焦点のひとつと為ったのは、その頃マスコミでも取り上げられて居た茶屋制度である。茶屋とは、本場所の切符と館内の飲食物販売を一手に請け負って居た店のことで、理事長を初め協会内の有力者の家族や親戚が経営するものが多く、当時は20軒程存在した。
 彼等は、主に企業や馴染みの上客にノミ切符を販売するので、一般客が個人的に切符を手に入れる事は困難だった。又、切符や飲食物の値段は「ご祝儀」と称され、価格を設定しない場合もあった。この様な不明朗で非近代的な慣習に国民が厳しい目を向けたのは、テレビ中継によって「国技館の大相撲」が全国的に可視化された事と、矢張り無関係では無いだろう。

 更に、相撲指導者を養成する教育機関に関しても意見が求められた。協会設立時に定めた「寄付行為」(定款にあたる基本規則)では、日本の「国技」たる相撲道の維持興隆に努め、それによって国民の育成を図ることを協会の目的として居る。その具体的な事業のひとつが「相撲専修学校」の設置だが、未だに実施に至って居ない点が問題と為ったのである。
 ここでイメージされる学校とは、全国の地域社会や教育現場に相撲を普及させる為の指導者の養成機関であろう。力士経験者や体育教員を受講生と想定するもので、戦時中に佐渡ヶ嶽が私費を投じて開いた長野県の戸隠山道場等がそれに近い。

 処が、この件に付いて委員に質された武蔵川は「学校制を設けまして、それを卒業した者を幕下或は十両と矢理ましても(中略)ナカナカ力士と云うものはそれ一方では完成出来無い訳です」と、シドロモドロの答弁を行って居る。
 詰まり彼は、財団法人の事業として設置すべき指導者養成機関を、興行に従事するプロ力士養成の場と捉えて居たのである。当日の議事録を見る限り、全般的にソツナク意見を述べた武蔵川だったが、殊専修学校の件に限っては激しくピントがズレた遣り取りに終始した。

 待った無しの組織改革

 こうした協会の、認識不足に付いて、和久田は公聴会の場で次の様に痛烈に批判した。

 ・・・33年もホッポラかして置いて、今頃に為って至急取り掛かると云う事は、いかにも私は協会幹部諸公がズルいと申しますか、その場逃れの考え方で、こうした文書を、文面的に見ますると何か盛んに改革をする様な事を言って居りますけれども、結局ホッカブリ主義で、人の噂も七十五日で、その内又何とか為るのだろうと云う様な甘い考えで、この改革案を発表したのではないかと私は察せられるのであります。(「第26回国会衆議院文教委員会議録第15号」1957年4月3日)
 
 1932年の春秋園事件の中心人物として大相撲の改革を求め、その後満洲で相撲教育に力を注いだ和久田の言葉には説得力がある。学校設置問題以外にも、不明朗な会計制度、高い席料、既得権益に執着する茶屋等、25年前に彼が指摘した旧弊を未だに抱え込んで居る協会には、流石に愛想も尽きるだろう。
 満洲から帰還後の和久田は、銀座の中華料理店や名スポーツ用具店経営等複数の事業で成功し、1952年からはラジオ東京(TBSラジオの前身)で、辛口の大相撲解説者としても活躍した。この直言居士、協会に取っては最後迄面倒な存在であったに違い無い。

 公聴会ではこの他にも、各委員が力士の給与・退職金等にも言及したが、武蔵川は、既に協会が提示した改革案に沿って、茶屋制度廃止、専修学校設置、力士の待遇改善等の対策を講じる姿勢を示した。その為特段の紛糾も無く、協会としては何とかピンチを切り抜けた形と為った。

 しかし、事はこれだけで収まら無かった。公聴会から1カ月後の5月4日、出羽海理事長(藤島秀光)が国技館内の協会取締室で割腹自殺を図ったのである。発見が早く一命は取り留めたが、理事長の親族が経営する茶屋の隠し所得の発覚を恐れたからだろうと噂された。これによって協会の組織改革は待った無しの局面を迎える事に為る。
 1957年5月、自殺未遂で療養中の出羽海理事長が辞表を提出し、新理事長として時津風(元横綱双葉山)が就任した。

 武蔵川の『回顧録』によると、新理事長は「全く寡黙の人」だった。「向かい合って話を始めても、話が詰まると30分でも1時間でも黙って座って居る」程だと云う。半面、一度部下に任せた仕事に付いては一切口出しをしないタイプなので、武蔵川に取っては馬が合う上司だった様だ。伝説の横綱の登場は、それだけで協会のイメージアップに貢献した事だろう。

 これを機に協会は、組織改革を一気に進めた。茶屋制度の廃止、力士の月給制度の採用の他、安定収入確保の為に現在に続く1年六場所制に踏み切った。一方で行司や年寄の定年制も実施し、人件費の増大に歯止めを掛けた。
 但し懸案の相撲専修学校に付いては、協会が飽く迄新弟子養成機関の設置に拘った様で、結局1957年10月に「相撲教習所」が置かれた。これは、新弟子が6カ月間、相撲の歴史や文化等教養科目を学ぶ場所と云う形態で、現在も運営されて居る。

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                   千代の富士

 翌1958年には、財団法人日本相撲協会と改称、イヨイヨ名実共に新生相撲協会が歩み始めた。その後、土俵上には次々とスター力士・名横綱が現れ、夫々の時代を築いて来た。1960年代の柏戸・大鵬、1970年代初頭の北の富士と玉の海と、それに続く輪島・北の湖。1980年代に入ると千代の富士が「ウルフフィーバー」を巻き起こした。

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 1985年1月、再び両国新しい国技館が完成した。総工費150億円、収容人員1万1千人、四角形の大屋根を持つ堂々とした外観は、今も両国のシンボルとして健在である。その後の1990年代の平成の若貴ブーム、21世紀に入ってからの朝青龍白鵬等モンゴル勢の活躍は未だ記憶に新しい。

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 相撲の品格

 しかし、2007年以降、角界では立て続けに不祥事が起きた。相撲部屋内の暴行、横綱の暴力、力士の薬物使用、暴力団が絡む野球賭博、八百長疑惑等、半世紀の間組織内に貯め込んで居た膿が、次々と出されたかの様である。
 協会は関係者を解雇したり引退させたりする事で何とか事態を収拾しようとして来たが、評判と信頼は地に落ち、再びそれを取り戻すのには長い時間が必要だった。この10年は、大相撲の現代史において最も深刻な時代だったと云えるだろう。

 この時期、世間の厳しい目が向けられた角界に対して、メディアや識者が盛んに使う様に為ったのが「品格」と云う言葉である。2005年のベストセラー、藤原正彦『国家の品格』から火が点いた「品格」ブームが、不祥事続きの大相撲にも及んだらしい。
 力士の素行だけで無く、立ち合いの乱れや仕切りの形骸化、勝負が着いた後の駄目押し等、土俵上のルールやマナーにもイチイチ注文が付き「品格」が求められる様に為った。

 そして、そのお手本とされたのが双葉山である。受けて立つ相撲や、泰然自若とした土俵態度等、全てが模範的だと云うのだ。更に、これに便乗して出版された双葉山の著書『横綱の品格』(2008年)も話題に為った。
 と云ってもこの本は、1956年刊行の『相撲求道録』の復刻版(1979年)に、第48代横綱大鵬幸喜の序文などを加え、書名を変えただけのものである。半世紀の時を経て、正か自分が「品格」ブームの一翼を担う事に為ろうとは、故人も予想だにし無かっただろう。


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                  胎中 千鶴    以上











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