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2020年01月27日

東京都知事選と山本太郎氏


 

 こう為る2020 7月の都知事選 小池氏軸に思惑が交錯

            〜東京新聞 2020年1月6日 朝刊〜


           PK2020010602100076_size0.jpg

 東京都知事選は、6月18日に告示7月5日に投開票される。現職の小池百合子氏は対応を明らかにしていないが、再選出馬が確実視されて居る。これに対し、都政で対立して来た自民党都連は、対抗馬擁立を目指すが難航し、党本部には小池氏容認ムードも漂う。統一候補擁立で一致した立憲民主・共産等野党の動きも注目だ。知事選から一年後に控える都議選も睨み、各勢力の思惑は交錯して居る。

 「今は明確にはお答えしません」

 昨年12月23日、小池氏は本紙のインタビューで、再選出馬に付いてこう語った。知事周辺は「ギリギリ迄表明し無いのでは」と見るが、連日の様に各種行事や会合を行脚し、年末には「知事選公約の土台」(都幹部)とも云われる都政の長期戦略ビジョンを発表。公明党も「うちは小池知事」(都議)と再選支持が既定路線に為って居り、準備は着々の様相だ。

 最大の焦点は自民党の動き。同じ23日の都議会自民党のパーティーで、党都連幹事長の高島直樹都議は「私達と同じ目線で頑張る知事候補を擁立し、必ず都政を奪還したい」と決意表明した。都連は2017年の都議選で小池氏率いる都民ファーストの会に惨敗して居り、雪辱を期す方針に変わりは無い。
 只都連は昨年6月に選考委員会を設置したものの、8月以降は開かれず事実上停滞。「これと云った人が居ない」(都連幹部)のが実情だ。丸川珠代参院議員等、現職国会議員の名前も取り沙汰されたが、本人は固辞したとされる。

 そんな中、党本部の二階俊博幹事長は「出すなら勝てるのを」「代え無きゃいけ無い積極的な理由は見付から無い」等と容認論を公言し、都議からは「最後は、梯子を外されるのか」と不安が漏れる。
 小池氏側に取っても、知事選後の2021年夏の都議選を見据えた場合、自民党都連との全面的な対立は都政運営の不安材料に為り兼ね無い。「都議会で自民党が勢力を盛り返したら、議会対応が苦しく為るだろう」と都幹部。現段階で「手打ち」は考え難いが、両者の距離感が、知事選に向けて変化するかどうか注目する。

 立民と国民・共産・社民の野党各党は、先月10日、統一候補擁立で一致した。小池氏は2017年衆院選で「希望の党」を結成して旧民進党分裂の切っ掛けを作っただけに、当時の「排除の論理」に不信感は根強く、小池氏の政治姿勢も論点と為りそうだ。 

        岡本太 石原真樹 井上峻輔  以上









 新興勢力が台頭するには ガチンコ単独路線を貫く事
 
 と為ると、山本太郎氏は都知事選へ?


       〜【雑談】音喜多駿(参議院議員 東京都選出) 1/2 Tweet〜


           1-28-2.jpg

 こんばんは、音喜多駿(参議院議員 東京都選出)です。今日は月刊誌から取材を受け「れいわ新選組旋風」を中心に先の参院選に付いての振り返りをしながら、ライターさんと今後の情勢に付いて雑談をして居りました。
 昨日のブログでも取り上げた様に、野合を繰り返す既存野党に有権者は飽き飽きして居り、その「現状不満層」が新興勢力に流れ込んで居ますし、又参院選・東京選挙区では私にも流れて来て居たと思います。自分の過去ログを見返していると「候補者調整は有権者の選択肢を奪う事に他為らず、有権者に失礼である」と云う内容の記事が発掘され、我ながら良い事言ってるナアと感じた処であります(!)。

 参考過去記事 やっぱり「選挙区(候補者)調整」は有権者を馬鹿にしてたと思う
https://otokitashun.com/blog/senkyo/5258/


 翻って、今回の参院選で躍進した「れいわ新選組」が(維新もですけど)この勢いを持続するとしたら、矢張り「野党共闘」に取り込まれるのでは無く、独自路線を堅持して行く事が極めて重要に為るのではないでしょうか。
 「ソコソコの議席を取る」「与党を苦しめる」為には、反自民と云う勢力で纏まった方が良いのかも知れませんが、昨日も述べた通りそれでは実は現政権を延命させるだけです。本気で政権交代を狙うのだとすれば、最初は大きく伸長し無くても、単独路線を貫く事。

 それで公言通り、衆院選全選挙区で候補者を擁立したら、小選挙区で勝つ事は出来ずとも「現状不満層」の票を掻き集めて可成りの数の比例枠を獲得する事が出来るでしょう。ソコソコ数が多いけど、自分達の保身だけで本気で政権交代をする気が無い野党連合より、数は少なくとも「本気で首を取りに来ている」少数野党の方が自民党に取って驚異だし、有権者の期待も集まると思います。
 そんな事を諸々と考えて行くと、矢張り今自由な立場にある山本太郎氏が来年の都知事選挙に出無い手は無いよな・・・と感じる処です。

 順当に行けば衆院選は都知事選の後に為るでしょう。「れいわ新選組」の名前を衆院選前にもう一度轟かせる為には、都知事選程相応しい舞台はありません。これ迄東京選挙区で活動して来た山本氏が都知事選に出る事にはそれ程違和感はありませんし、

 れいわ新選組と山本太郎氏論・ポピュリズムとリアリズムの狭間で(平河エリ)https://hbol.jp/198328/6

 国会ライターの平河エリ氏が分析する様に、山本太郎氏の支持者は「目的の為に手段を選ば無い事」を好意的に受け止めて居る訳ですから、出馬に対して大きなリスクはありません。負けても「れいわ」の名が轟く、勝てば勿論歴史的大勝利。

 残り11ヶ月と為った都知事選に向けて、各党の思惑は加速して行きます。東京維新に取っても都知事選・都議選は一つの天王山。周りの動きにも注視しながら、有権者の期待に応える為の準備をして行きたいと思います。それでは、また明日。


                  以上









  「れいわ新選組」と山本太郎氏論・ポピュリズムとリアリズムの狭間で

              〜平河エリ@読む国会 2019.08.01〜


               1-28-3.jpg

                 ポートレートが見付から無いので

 2019年の参院選が終わった。大きなニュースの無い選挙の中「れいわ新選組」が2議席を獲得した事が話題を呼んだ。本稿では、山本太郎氏の6年間の議会活動を振り返ると共に、一体「れいわ新選組」或は山本太郎氏が何を目指して居るのかを考えたい。

 山本太郎氏は、何時消費税をメインテーマとする様に為ったのか?

 山本太郎氏の政治活動は脱原発運動から始まった。これは周知の事実だろう。しかし、今回の選挙に置いて「脱原発」は「れいわ新選組」のメインテーマとして語られ無かった。専ら話して居たのは消費税のことである。勿論、原発即時停止、は政策の中には入って居るが、消費税や奨学金の問題等から比べると大分下にある。
 それでは、山本太郎氏は何時、消費税をメインテーマにする様に為ったのか。例えば「新党ひとりひとり」時代には、この様に発言して居る。

 「安倍総理は、消費税を引き上げて税負担を求めて行く以上、政治家も身を切る決意を示さ無ければ為らないと云う事から国会議員の歳費2割削減も決まって行ったと云う様な趣旨の事を仰っていますよね。平成19年4月24日、第一次安倍内閣で閣議決定された『公務員制度改革に付いて』と云う文書には『公務員は、先ず、国民と国家の繁栄の為に、高い気概・使命感及び倫理観を持った、国民から信頼される人物である必要がある』と書いてあります。  
 稲田大臣、私、国会議員の歳費2割削減と同時に、国会議員と同等の給与を受けて居る幹部職員の給与2割削減、実現するべきじゃないのかなと思うんですけれども、大臣の御見解お聞かせ願えますか」(平成26年4月11日 参議院内閣委員会)
此処では寧ろ維新の会の様な、身を切る改革を主張されて居る、とも読める。

 生活の党時代から時代の空気を読んでシフトして来た

 一方、生活の党時代に為ると、この様に主張は変わる。

 「消費税をPDCAで評価した場合、私は、一旦消費税を5%に戻して先々は廃止して行く、財源は所得税の累進性を強めて資産課税を強化して行くと云う事で賄えると考えます。中小企業・小規模事業者の現状に大変お詳しい先生に、消費税を一旦5%に戻すと云うプラン、御意見を伺いたいと思います」(平成27年03月23日 参議院行政監視委員会)  

 実は、山本太郎氏の政治団体「新党ひとりひとり」では、当初この様な基本政策が書かれて居た。(2019年現在、この内容はれいわ新選組の基本政策に合わせたものと為って居る)

 「裕福な者も貧しい者も同じ税率? 有り得ません。反対!だけでは呪文と同じ。先ずは生活必需品非課税を勝ち執ります」(参照:基本政策 | 新党 ひとりひとり)  

 この文言を見ても、必ずしも山本太郎氏の消費税に対する観点は、固まって居たとは言え無いだろう。そして、生活の党時代から少しずつ、メインテーマをシフトして来たのだ。それは、時代の空気を感じる山本氏の優れた能力によるものではないだろうか。
 山本太郎氏は当初反原発運動家として政治キャリアをスタートし、少しずつその政策を、消費税等の経済政策にシフトさせて来たと判る。先日のインタビューで、山本太郎氏はこう答えて居る。

 「選挙戦で掲げた『原発即時禁止』に付いては『そこに強い打ち出しを持ったら、多分、野党全体で固まって戦う事が難しい』と指摘。『電力系(の支持層)の力を借りながら議席を確保して居る人達も居る』とも述べ、野党共闘の条件とする事には慎重な姿勢を示した」(参照「毎日新聞」)  

 しかし、過つてはここ迄強く発言して居たのだ。

 「枝野さん細野さん。この国の全ての人を被曝させた民主党は戦犯です。首狩り族の一人として僕は行く必要がある。野田さんもそうです。ケジメを着けに行って遣ろう」(参照 田中龍作ジャーナル | 山本太郎氏出馬 「枝野・細野・野田は戦犯、僕は首狩り族になる」)
 
 日本の反原発運動の旗手として当選した候補が、その6年間の議会活動の中で打ち出す政策のウェイトを大きく変えた事は、冷静に評論され無ければ為ら無い事だろう。









 全部乗せ「れいわ新選組」の政策

 「れいわ新選組」を全く新しい政治のムーブメントだと捉える人が居るが、私はこの様な見方は短絡的ではないかと考えて居る。「れいわ新選組」の政策は、日本の所謂「第三極」の政策、或は民主政権後の野党全般を概ね引き継いで居るからだ。この点に付いて語る前に、ソモソモ日本の左派、日本の野党の欧米と比べての捻じれを指摘して置きたい。  

 一般に、左派は大きな政府を望み、右派は小さな政府を施行する。これが世界的にはスタンダードだ。左派には所謂社民主義者が居て、右派には自由主義者が居る。昨今既存の枠組みに縛られ無い政党が出て着たり、左派の中でもMMT等減税論を唱える政治家も居るが基本はこうだ。
 余談だが、好く日本の左派は緊縮でグローバルから見ると異質と云う様な意見があるが、イギリスの労働党のマニフェストでも普通に政府赤字を5年以内にゼロにすると云う公約があったりする。

 政府を信頼せず市場に任せる右派に比べ、左派は政府を信頼し政府の機能を活かそうとするので、健全な財政基盤は必要なのだ。しかし、日本において、社民主義は江田三郎の失脚と共に教条主義化した日本社会党と共に退潮し新自由主義が台頭した。  
 その後、平成維新の会・新進党・民主党・みんなの党・日本維新の会等様々な政党や政治集団が現れたが、多くが「増税無き景気回復(或は減税による景気刺激)と、社会保障の両立」を党の公約として来た。 例えば、みんなの党の政策にはこうある。

 「界中を見渡しても、デフレ下で増税をしている国はありません。みんなの党は、以下の経済成長戦略や物価安定目標の策定等により、10年間で所得を5割アップさせる事を目標に掲げます。結果として、今よりも遥かに実質経済規模が小さかった1990年当時の約60兆円を超える国税収入も得る事による財政再建も目指します」

 れいわ新選組の政策にはこうある。

 「物価の強制的な引上げ、消費税をゼロに。初年度、物価が5%以上下がり、実質賃金は上昇、景気回復へ。参議院調査情報担当室の試算では、消費税ゼロにした6年後には、1人当たり賃金が44万円アップします」(参照政策 | れいわ新選組)  

 この2つの根底に「増税無き景気回復」とでも呼ぶべき考えが流れて居る事は判るだろうか。この考え方は、特定の人間が党首に為った時期の民主党を除けば、日本の野党の基本的スタンスである。  
 税や財源は議論せず、財源は埋蔵金であったり、時に「日本は破綻しない」と云う学説に基づいた新たな赤字国債であったりする訳だ。この様な点を含め、消費税廃止が果たして左派的な政策なのか疑問が残る。私は「れいわ新選組」の政策は、右派も左派も喜ぶ、過去の野党のパッチワーク的な「全部乗せ」的政策であると感じて居る。

 全部乗せの限界が来てインフレに為った時、どうするのか?

 国土強靭化も最低賃金上昇も直接給付も、戸別所得補償制度も消費税廃止も大体入って居る。要は、アラユル分野に政府支出を増やしますと云う政策だ。  
 しかし、仮にインフレ目標達成迄財政再建を先送りするにせよ、国債が無限には発行出来ないことは自明だ。しかも、この様な「全部乗せ」の公約である。消費減税だけでは無く、様々な政策を合わせると相当な額の新規国債が必要になる。  

 パッチワークの結果「れいわ新選組」の政策は実現性が低いもの、或は財源論を意図的に省いたものに為ったと評価せざるを得無い。支持者の方々も含め、この様な点から目を逸らしてはいけ無いのでは無いか。インフレに為るまでは国債で財政の大部分を賄うと云う事は、インフレに為った場合、様々な社会サービスが削られ、大規模な増税が来ると云う事である。インフレが絶対に来無いと考えて居るなら別だが、論理的にはシンプルだ。  
 その様な社会システムに、我々は信頼を置けるのだろうか。私は疑問である。 国債は本来、将来産業への投資等に、景気刺激策とイノベーション施策として使うべきで、安定して財源を必要とする社会保障の分野で使う事は不適切では無いのだろうか。

 日本の左派政党のねじれとは

 「れいわ新選組」は決して政策的には新しいムーブメントでは無いと述べた。日本の左派のねじれの原因の一つには、政策と選挙のねじれた関係がある。「れいわ新選組」の候補者だった安冨氏のブログを引用する。

 「私は、山本太郎の『れいわ新選組』は、所謂『政党』では無いと結論した。ココで言う『政党』と云うのは、その目的を『綱領』と云う形で明文化し、何らかの『政策』を掲げて選挙を戦い、議席を獲得して綱領の実現を目指す・・・と云う共通の目的を持った集団の事である。  
 実の処、この定義にキチンと当て嵌る政党は、日本共産党しか無いであろう。他の政党は『選挙に当選して議員に為りたい』と思う人が集まって、票を得られる方法を色々考えそれを綱領や政策として出し『政党』のフリをして居る集団に過ぎ無い。それでも、フリをし無いといけ無いので、候補者が党の掲げる政策に反対だと公言する訳にはいか無いし、綱領と関係の無い政治理念を掲げる事にも大きな問題が生じる。
 その上、往々にして選挙のヤリ方も、支持母体と為る組織が主導権を握り、候補者はそれに従って運動する事に為り勝ちである」(参照:安冨歩氏のブログ)
 

 この安冨氏の考察に書かれた様な前提の下、伝統的に日本の左派は「減税と社会保障の両立」と云う実現困難な政策(時に財政再建も含む)を選挙の度に掲げる事に為り、それ等は細川政権・鳩山政権等左派政権実現の度に破綻した。  
 細川政権は国民福祉税導入で瓦解し、民主党政権は最終的に消費増税に踏み切らざるを得無かった。村山政権は、社会党が消費税廃止法案を提出して居たにも関わらず、2%増税を決断せざるを得なかった。民主党政権は所得税・法人税等の累進性強化を一定程度行い、更に行政改革で予算を捻出しようと考えたが、最終的には消費増税を含む一体改革を選んだ。  

 左派が大きな政府を選挙では語らず、増税無く社会保障の増大に対応しようとする事が、左派政権の安定性を損ねて来た。では、何故日本の野党の政策は、その様な総花的、或は八方美人なものに為ってしまうのか。









「票を取れるか」で物事を判断する癖が着いた日本の有権者

 私は、野党支持層、嫌日本の有権者は「票を取れるかどうか」で物事を判断する癖を着けてしまって居るのではないかと見ている。  
 この様な考え方の下では、全ての政策は「集票力があるか」もっと云うと「ウケが好いか」と云う視点でのみ判断され、更に有権者は「この政策ならウケが好いのに、何故この様な政策を打ち出さないのか」と云うねじれた義憤を持つ様に為る。  

 支持者個人がその政策をどう捉えるかでは無く、支持者が「どの政策なら勝てるのか」を基準に政策を考える様に為るのだ。「野党は消費税減税で纏まれば選挙に勝てるのに、何故遣らないのか」と云う様な言説は、この様な思考を下にして発せられる言葉ではないか。
 私は「れいわ新選組」の支持層には「選挙に勝てる様な政策を打ち出して居る党を支持する」と云う層が一定程度存在すると見て居る。 「この政策なら野党は勝てる」と考え、ソコに高揚感を感じる人達も居るのだろう。しかし、その様な思考の下選挙に勝った野党がその後何故政権を維持出来なかったかを考えると、この様な思考は矢張り、政策を下に政党を選ぶと云う有権者の有り方とは大きく掛け離れたものではないか。此処には、政党を選ぶと言いながら人を選ぶ、非拘束式の全国比例と云う制度の歪さも透けて見える。

 「れいわ新選組」は「左派」なのか

 共産党の試算では、財政を様々な場所から捻出し17.5兆を確保する事に為って居るが、これは主に社会保障の財源確保等に使われる事に為って居る。(参照 日本共産党の政策│日本共産党中央委員会)  
 消費税は平成29年度では年間17兆円の税収だ。廃止の為の財源確保は、共産党並みの徹底した課税強化を行って要約捻出出来る額だ。  

 しかし、冷静に考えてみよう。年間17兆の財源があれば、社会保障の強化や再分配機能の強化は可能である。この様な政策では無く敢えて消費税廃止を目指す理由は何か。「消費税では無く法人税や所得税の累進性を強化するべき」と云う意見は一見正しく思える。しかし、それは必ずしも消費税が不要な税であると云う事を意味しない。
 間接税が、広く様々な国で用いられて居る税率である事も確かだ。所得税の累進性強化、法人税の課税強化は必要であるとしても、消費税を廃止したり減税したりするべきだと云う結論には為ら無い。ソモソモ、日本の国民負担率は中程度、社会保障は極めて低く、更に社会保障の持続性には大きな疑念を持たれて居る。OECDのレポート等を見ても、再分配機能は先進国の中で極めて弱い。

 「明確な定義がある訳ではございませんけれども、今厚労省から御答弁があった国際比較と云う意味で言えば、社会保障支出の対GDP比は、OECD諸国、データがある中で、35カ国中15番目、ヤヤ真ん中位、それから国民負担率と云う意味で云うと、OECD36カ国中26位と云う事で、下から数えた方が早いと云う状況にございます。  
 又、社会保障給付費、急速な高齢化を背景として増大して行く中で、予算と云う意味で申し上げれば、その給付費の約半分弱を公費負担で賄って居りますけれども、それを賄う為の十分な財源を確保出来て居らず、赤字国債の累積と云う形で後代にツケ回しを行って居る状態にございます。  
 こうしたことを考えると、我が国は中福祉・低負担の状態にあると云う風に考えて居りまして、委員御指摘の様に、社会保障の持続性を確保して行く為の不断の改革が必要と云う風に財政当局としては考えて居る処でございます」(令和元年4月17日 衆議院法務委員会 宇波政府参考人)
 

 この様な中、年間20兆程度必要な消費税廃止が本当の意味で国民の幸福に資するかは、十分に考える必要があるのではないか。ソモソモ、消費増税賛成派は決して少なくは無い。消費増税は関心の高いテーマではあるが、国民が最も苦しんで居るのは消費増税では無く、上がら無い賃金や年金生活への不安ではないか。(参照 読売新聞) この様な点を踏まえても「れいわ新選組」を左派的政党、或は左派的ムーブメントと評価する事は難しい。

 特定枠と選挙運動の有り方

 今回「れいわ新選組」は舩後靖彦氏・木村英子氏、二人の重度障碍者の候補を特定枠で擁立し、二人ともが比例枠で当選した。(参照朝日新聞)  
 先ず断って置きたいのは、二名の重度障碍者が参議院議員に当選された事は日本の議会に取って素晴らしい事であり、参議院や当然衆議院を含め議会は全面的にサポートするべきだと云うのが私のスタンスである。  
 
 その上で、申し上げたい事がある。障碍者支援は、立派なテーマであり、選挙で問うべき大きなイシューだ。しかし、今回の選挙でその争点がどの程度語られて居ただろうか。  
 政見放送では、語られて居た。控えめに言っても、非常に良い政見放送だったと思う。しかし、今回の選挙、そして「れいわ新選組」に取っての一丁目一番地は、消費減税だった事は明らかだろう。WEBサイトを見ても。政策の一番上には消費税廃止が踊って居た。  

 自らが落選しても(恐らく落選するで有ろうことは理解して居た筈だ)お二人を国会に送り込みたいとした山本氏の姿勢は評価したい。しかし、為らば何故消費減税が政策の一番上に来るのだろう。ソコにも又、政策と選挙の優先順位のねじれをどうしようも無く感じてしまう。  
 ソモソモ私は、社会保障機能の強化コソが、重度障碍者の方々に取っても行き易い社会に為ると信じている。それは、税を嫌う事では無く、再分配や社会保障と云う税の機能を十分に活用する事でしか実現出来ない筈だ。だからコソ、消費税廃止と今回の特定枠の擁立に、一貫性を感じる事が出来ない。「れいわ新選組」は一体どの様な政党で、何を実現しようとして居るのか、矢張りその点が見え無いからコソ、政策と選挙のねじれを感じるのだろう。

 山本太郎氏の議会活動に対する姿勢

 山本太郎氏の議会活動をどう評価するかは、人によって異なるだろう。しかし、一つ言えることは、山本氏はソモソモ国会の制度や議会自体を必ずしも重んじて居ないと云う事ではないか。 (訂正)当初この章では2015年に成立した難病対策法案への対応に付いて、山本氏が法案に賛成して居るにも関わらず反対したかの様な解釈をして居ましたが、ご指摘を頂き再読した処、誤読して居ました。お詫びして訂正します。

 左右共に広がる「議会」の軽視

 先日の麻生太郎財務省問責決議案への欠席も意味不明である。議会活動の軽視も甚だしい。

 「スマートに戦って勝つなんて幻想でしか無い。そんな余裕なママで政権奪取出来るのは何時に為るのだろうか? 余りにも気位の高い戦い方しか出来ない野党は野党のママだ。何時まで地獄の様な状態をこの国に生きる人々に強いるのか?  
 月曜には総理の問責と云う儀式が行われる。私はその儀式もパスする。本気で引きずり下ろす気が無い戦いには与しない」(参照 棄権に付いて|山本太郎オフィシャルブログ「山本 太郎の小中高生に読んでもらいたいコト」)
 

 国会に中指を立てて居る写真等からも、山本氏は「国会のルールに則っていては物事は解決出来ない」と云う印象を有権者に与えようとして居るのではないか(或は自分がそう信じて居るのでは)と疑念を抱く。(参照:山本太郎「消費税を廃止しないとスジェネ世代が死ぬ!」 | 日刊SPA!) 
 更に遡るのならば、園遊会で天皇陛下に手紙を手渡す行為も同じである。国会議員が、有権者より与えられた権能として、その良心に基づき一票を投ずる事は義務である。これを放棄する議員を私は信任する事は出来ない。この様な事が受け入れられるのも、偏に議会活動そのものが左右問わず無駄と捉えられている。それだけ議会の信頼が落ちて居るのではないかと推察するのだ。







 「れいわ新選組」はポピュリズムか?

 山本太郎氏をポピュリズムと評することは、今の段階では適切では無い。ご本人も語って居る通り、山本太郎氏は、目的の為に手段を選ば無い政治家である、と云うのが私の結論だ。  
 それをどう評価するかは有権者次第だろう。そして、支持者の一定層も「手段を選ば無い事」を評価して居る。可能な限り、どの様な手段を使ってでも、総理大臣に為る為の最短ルートを通って欲しいと願って居るのではないか。  
 この前提に立てば、山本氏に取っては、国会も「れいわ新選組」と云う政党も手段に過ぎない。これが、恐らく或る種の人に取っては「現実的」に見えるのではないか。  

 詰まり、政策では無く、手段の選ば無さに現実味を感じるのだ。兎に角勝た無きゃ始まら無い。選挙公約は選挙に勝つ為に作るものだ。そんな身も蓋も無い現実が、建前ばかりの政治家に疲れた有権者に評価され、それ等をナマで打ち出す「れいわ新選組」に力を与えたのではないか。
 同時に、山本太郎氏は、建前では無く本音の人だ。「政権を取る為なら何でもする」「総理に為りたい」これは本音だろう。  
 同時に「アナタを幸せにしたいんだ」と云うキャッチコピーに現れる様に、弱者に向ける目も(いささかパターナリスティックな側面もあるとは云え)本音なのだと思う。  

 或るいは、原発事故直後に感じた恐怖も又本音なのだろう。その率直な発言が評価され、彼を国会へと導いた。しかし、その時本音であった事が、一年後本音とは限ら無い。興味関心は移り変わるのである。本音の人と云う事は、反一貫性の人と云う事でもある。  
 感情的な本音と手段の選ば無さ、これが現代的政治のリアリズムであり「れいわ新選組」を押し上げたのではないか(私はこの点、大阪における維新の会の政治運動と共通するものを感じている)この文脈で考えれば、今回既成野党が票を減らした事の原因も、見えて来る様に思う。  

 しかし、リアリズム観点から読み解けるものが多くとも、山本太郎氏がどの様な社会を目指すのか、何を理想とするのかは、実は好く見えて来ない。選挙に勝てる統一の主張として消費税廃止を主張して居るのか、本当に心の底から消費税廃止により偶然の好景気が訪れ、日本の諸問題が解決すると信じて居るのか見え無いのだ。  
 山本太郎氏だけでは無い。「れいわ新選組」は一体何を実現し、どの様な国家を目指す政党なのか。これに簡潔に答えられる人はどの程度居るだろう。そして又、議会軽視の姿勢が明らかな山本氏が、本当にこの国の中枢に就いた時、果たして健全な議会運営が行われるのかは大いに疑問が残る。  
 何れにせよ、有権者が議会に目を向け無ければ、議会は単なる票決の為の場所と為り存在価値を失う。 「れいわ新選組」で当選された二人の新しい議員を含め、有権者が常に議会活動に興味を持ち、質疑が本当に質の高い、有権者の付託に答えるものであるか監視する事が重要だ。

 政治家は監視され、チェックされるのも仕事

 政治家は監視され、チェックされるのが仕事である。山本氏はTwitterで自らの取材発言が批判されると記者に責任転嫁する様な態度が目立つ。(参照 アエラの記事に付いて | 山本太郎オフィシャルブログ「山本 太郎の小中高生に読んでもらいたいコト」)  

 又、メディア出演が意図的に妨害されて居ると云う様な主張を否定せず、一部煽り建てる様にして居る。  メディアから、或は有権者からの批判を受け止められ無いのであれば、山本氏は公党の代表たる資格が無いと言っても好い。又、一部選挙の不正が或るかの様な発言もされて居る。

 「不正が無い訳無いですよ。不正しか無かったんだから、今迄の政治。公文書改ざんしたりとか、隠蔽したりとか、8年分のデータ無く為ったりとか、イラクの日報の問題とか、不正しか無いじゃないかって話ですよ。そう云う連中が、選挙の時に不正しないか?有り得無いでしょ、それ。
 選挙以外は全部不正しますけど、選挙だけは真っ白です、何て在り得無いってことですよ、当然、何かしらの不正は遣って居るだろうけれども、その、ハッキリとしたファクト・決定的なものが掴め無い限りはナカナカそれ追及難しいんですよ」
 (参照:【動画&文字起こし全文】れいわ新選組街頭演説会 19.7.18 福島・福島駅東口 | れいわ新選組)
 
 山本太郎氏は当選以来、都合の悪い報道や事実を陰謀、読者の誤解、或は記者の力量不足と捉える傾向があるのではないかと危惧して居る。健全な批判を受け付け無いのは端的にとても危険だし、不正選挙が不可能な事等、選挙実務に関わった事がある人間なら直ぐに判る筈だ。  
 山本氏は、敢えて言うなら「反一貫性の政治家」である。その場で最適と思った事を発言する。ソコに過去も未来も無い。それを有権者も支持する。何故なら常に「本気で戦って居る」からだ。  

 つまり、発言の一貫性では無く、姿勢の一貫性を見て居るのである。妥協しない(と見えて居る事)に彼の支持の源泉があるのではないか。しかし最早、山本太郎氏は単なる一議員では無い。代表として政党要件を得た政党を率いるなら、過去の発言も含め検証されるのが当然だ。  
 健全な批判すら受け付け無いポピュリズムに為るか、或は健全な批判を受け入れ、強みにするリアリズムの道を行くか。今後の政治活動次第でないかと思う。  
 これ迄アウトサイダーであった山本氏がメインストリームの政治家として総理を目指す為らば、有権者もそれに応じて政治活動を注視すべきなのだ。


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  文 平河エリ@読む国会  平河エリ@読む国会

                  以上







 【管理人のひとこと】

 山本太郎氏の評論記事の中で、これ程深く広く彼を見詰めて批評した記事は今まで見た事が無かった。実に深く真摯に研究されていると感心し感謝する。世界と日本の左派の置かれた立場には、色々な相違は存在するだろうが、押し並べて大きな傾向の一つの流れの中にあると認識する。そして彼が、真正左派なのか単なるポピュリストなのか・・・彼は、右も左も無い単なるリアリストなのだ・・・としたのは実に同感する。
 現実に即し見方も政策も変化させる、自由で束縛され無いアラユル手段を行使し彼の目指す「アナタを幸せにしたい」「生きていて好かったと思う社会」を築こうと訴えるアジテーターなのだ。
 しかし、彼が独裁者と為って「俺が、皆を幸せな社会に連れて行く、ついて来い!」との神の声は決して発さ無い筈だ。彼は、自分の言動で多くの人が一つにマトマり、目的に向かって試行錯誤する姿を見るのが幸せなのだ。無論、究極には一国の責任者と為り、今まで勉強して来た数ある政策の実行に取り掛かりたい筈だが、その結果を甘受するよりは、その過程を充分に楽しんだら、最後には誰か適任者を挙げて後を託す・・・キューバの革命に奔走し、その後をカストロに託し去ったゲバラの様な生き方に憧れて居るかも知れ無い。管理人はそう考えている・・・そうで在って欲しい。庭の梅の木を愛し手入れするのが大好きで、初春の花を愛でるのも人以上なのだが、その実を収穫し口に容れようと迄はしないのだ。







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