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2020年01月22日
立憲と国民は合流すべきだったし 安倍さんは冒頭解散すべきだった FNN.jp
相手の嫌がる事をするのが喧嘩に勝つ鉄則
立憲と国民は合流すべきだったし 安倍さんは冒頭解散すべきだった
〜FNN.jpプライムオンライン フジテレビ 解説委員 平井文夫 1/22(水) 18:14配信〜
⊡ 五輪の前の解散は無いな
⊡「数合わせ」と「大義なし」への批判
⊡ 五輪後に改憲解散か
五輪の前の解散は無い
東京五輪の話から始まった安倍首相の施政方針演説を聞いていたら「五輪の前の解散は無いな」と思った。「喧嘩は相手が嫌がる事を遣れ」と云う鉄則が正しいなら、今回、立憲民主と国民民主は当面解散が無いと思って無理に合流し無かったみたいなので、逆に安倍さんは相手が嫌がる解散を今直ぐした方が好いと云う事に為る。
一方野党がバラバラな限り選挙に勝つのは難しいので、野党は無理しても合流したら安倍さんは嫌がった筈だ。
「数合わせ」と「大義が無い」事への批判
しかし野党は「数合わせ」批判を恐れて合流せず、安倍さんも「大義が無い」批判を恐れて今は未だ解散し無い様だ。五輪が終われば衆議院の任期は後一年。解散には好い「頃合い」である。そしてこの場合の大義は「憲法改正の是非」位しか思い着か無い。
施政方針で憲法改正に付いて安倍さんは「憲法審査会の場で共にその責任を果たして行こうではありませんか」と随分控えめな表現だった。しかしこれは野党が審議に応じ無ければ「国民に信を問うべき時が来た!」と自分が豹変する為の伏線ではないか。
ちなみにフジテレビの11月の世論調査では6割近くが「憲法改正の是非を争点に解散するのは問題無い」と答えて居る。与党が勝てばその後1年間で憲法改正がスムーズに行われ、安倍さんは総裁任期満了で退陣。但し負けたらその時点で退陣。
もしこのスケジュールだと野党はどうすべきか。矢張り合流を急いだ方が好い。一番のネックと思われる原発にしても折り合え無い話では無い。「数合わせ」批判はどう転んでも遣って来る。寧ろ相手の嫌がる事を遣るのが喧嘩に勝つ鉄則である。
もう一つ大事なのは、今回みたいにダラダラダラダラ何回も何時間も会うのはダメ。安倍さんが又直ぐ「解散するのしないの」と解散カードをチラ着かせて介入して来る。遣るなら秘密交渉で、党首会談はセレモニーと云う形にし無くちゃダメです。
執筆 フジテレビ 解説委員 平井文夫 FNN 以上
【関連報道1】 「統一会派を事実上の政党に」 立憲・安住氏 国民との合流見送り受け
〜産経新聞 1/22(水) 11:28配信〜
立憲民主党の安住淳国対委員長は22日、国民民主党との政党合流が当面見送りと為った事に関し「(野党統一)会派を事実上の政党として運用して行く」と強調した。国会内で記者団に語った。
安住氏は「残念ながら合流は小休止と為ったが、会派中心主義で行く」とし「国会が始まれば徹底的に遣る。党派に関係無く、一体と為って運営する」と語った。立民の福山哲郎・国民の平野博文両幹事長は21日、両党の合流を当面見送る方針で一致。統一会派の枠組みで国会での共闘等深める事を確認して居た。
安住氏は又、安倍晋三首相主催の「桜を見る会」を巡る問題に関し、内閣府が首相ら政治家による招待者の内訳を記した資料を野党側に提出した事に付いて「首相が私物化して居た証拠そのものだ。厳しく追及する」と語った。
以上
【関連報道2】立憲と国民の合流 阻んだ身内の損得勘定 記者の視点
〜朝日新聞デジタル 1/22(水) 13:16配信〜
会談に臨む立憲民主党の福山哲郎幹事長(右)と国民民主党の平野博文幹事長 2020年1月21日午後3時1分 国会内・岩下毅撮影
「野党がこんな状況だから政権が続く。安倍晋三首相は本当にラッキーだ」立憲民主党と国民民主党の合流協議の打ち切りを横目に、或る自民党幹部はそうホクソ笑んだ。
統一会派を結成した臨時国会で、野党は政権の不祥事の追及で成果を挙げた。首相の「桜を見る会」を巡る様々な疑惑を見ても、長期政権の驕りや歪は覆い隠しようも無い。立憲民主党の枝野幸男代表が呼び掛けた野党勢力の再結集に、政治に緊張感をもたらす切っ掛けを期待した有権者も居た筈だ。その目に今回の「破談」はどう映ったか。両党の議員は深刻に受け止めるべきだ。
立憲側は通常国会召集前の合流を求め、国民側は結論を出せ無かった。国民の玉木雄一郎代表は「皆の納得」が必要と繰り返したが、党内の反対派を必死に説得する等した様子は伺え無い。有権者の期待より「身内」の損得勘定や保身を優先する論理は無かったか。
政権選択の機会はそう遠く無い時期に訪れる。現状を好しとしない民意の受け皿を作るには、両党が通常国会で連携を深めて信頼関係を醸成し、有権者の期待を勝ち取る他無い。両党に所属する一人ひとりの議員の自覚が求められる。
野党取材キャップ・村松真次 朝日新聞社 以上
【関連報道3】代表質問 野党 行き成り辞任要求
「桜を見る会」「IR汚職」で追及
〜TBS News i 1/22(水) 18:40配信〜
国会で代表質問が始まりました。「桜を見る会」を巡り野党が追及です。国会の召集から僅か3日。代表質問で早くも安倍総理に対する辞任要求が飛び出しました。
「貴方が疑惑まみれのママ、そのママ地位に留まり続ければ、日本社会のモラル崩壊が続くばかりです。潔く総理の職を自ら辞す事を強く求めます」(立憲民主党 枝野幸男代表)
22日に行われた代表質問。「桜を見る会」を巡る問題の安倍総理の認識が問われました。
「招待者名簿は、野党から資料要求が為された1時間後に裁断されました。これを偶々等と云う都合の良い偶然等、多くの方が信じていません」(立憲民主党 枝野幸男代表)
「予め決めて居たスケジュールに従って廃棄したものであり、議員の資料要求と廃棄は全く無関係であると承知して居ります」(安倍首相)
「正式な公文書の形で無くても、関係官署に名簿が残って居る可能性が濃厚。再調査と開示を指示する様求めます」(立憲民主党 枝野幸男代表)
「招待者名簿に付いては、必要な調査を行った結果、既に廃棄されて居ることを確認したものと承知しており、改めて調査を指示する事は考えていません」(安倍首相)
焦点の1つとなっている招待者名簿について安倍総理は、「適切に廃棄したものであり、存在を確認するための再調査は行わない」という従来の政府の立場を改めて強調しました。
一方、現職の国会議員が逮捕されたIR汚職事件については、「誠に遺憾で事態を重く受け止めている」と述べました。ただ、同時に「観光立国の実現を後押しする」として、カジノを含む統合型リゾート施設事業の推進を続ける姿勢を示しました。 (22日17:59)
TBS系 JNN 最終更新:1/22(水) 18:40 以上
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小島健輔が警鐘 ユニクロが此処へ来てむ「失速」して居る本当の訳
小島健輔が警鐘 ユニクロが此処へ来て「失速」して居る本当の訳
〜現代ビジネス 小島 健輔 1/21(火) 8:01配信〜
小島 健輔氏
昨年10月の消費税増税以降、消費は想定以上の落ち込みを見せて居る。その背景は社会負担増と増税による手取りの目減りで、消費税増税を内税で吸収したか外税で顧客に転嫁したかで小売各社の明暗が大きく開いている。
日本人は高級ブランドを買え無く為った
米国のベイン&カンパニーのレポートによると、2019年の世界ラグジュアリー市場規模は、4%増の2810億ユーロで、日本は4%増の240億ユーロと推計して居るから、日本が占めるシェアは8.5%に為る。ちなみに、同レポートは、中国が26%増の300億ユーロ、香港は20%減の60億ユーロ、日本以外のアジアは6%増の420億ユーロ、米国は840億ユーロ、欧州は880億ユーロと推計して居る。
日本人のラグジュアリー消費は、1990年代半ばには世界の24%を占めて居たが2008年には12%に落ち、2019年の8.5%も半分近くは外国人観光客が購入して居ると見られるから、日本人の購買力は大きく落ちたものだ。
手取りは10年で5%減った
日本人が貧しく為ったのも兎も角、中国等新興国(最早IT先進国ですが)が急激にリッチに為った事が大きい。名目GDP(米ドルベース)も2009年迄は米国に続く世界第2位だったのに、2010年には中国に抜かれ、2018年では中国の4掛けにも届か無い程引き離されて居る。
一人当たり名目GDPと為ると悲惨で、2000年にはルクセンブルグに次ぐ世界第2位の38,536ドルと5位の米国を6%上回って居たのに、2010年には18位に落ち、2018年では26位の39,306ドルと、9位の米国の62,606ドルの6掛け迄転落して居る。
2000年から2018年で米国は72%も伸びたのに、日本は2.8%しか伸び無かった。因みに中国はこの間に丁度10倍に為って居るから、爆買いもしたくも為ると云うものだ。
バブル末期には強い円を背景に欧米のブランドショップで爆買いして世界のヒンシュクを買い(中国富裕層の爆買いを笑えませんよ)、バブルがハジけた後も国内ブランド消費はそれ程衰えず、リーマンショック前迄は通勤電車のOLの二人に一人は「ルイ・ヴィトン」を持って居たと言われる程高級ブランド好きだった日本人だが、リーマン以降の所得の伸び悩みに加えての社会負担増と所得控除圧縮と云う増税に打ちヒシガレ、スッカリ貧乏に為ってしまった。
昨年10月の消費増税がそれに追い打ちを掛けたことは言う迄も無い。国税庁の民間給与実態統計では2008年から2018年に掛けて平均給与所得は430万円から440.7万円と2.49%増えて、リーマンショック前の水準を回復したとされるが、同期間に手取り収入は逆に2.27%〜3.77%(所得帯や家族構成で異なる)減少して居る。
健康保険料・厚生年金保険料の上昇(満40歳以上はこれに介護保険料が加わる)や所得控除の廃止・縮小、定率減税の廃止等社会負担増と増税によるもので、これに2%の消費税増税を加えると、手取りはホボ5%の減収に為る。
その一方で国を挙げて無理やりインフレを煽って居るのだから、生計は苦しく為るばかりで高級ブランド消費処では無い国民が大半なのも致し方無い。
価格政策で明暗
そんな実情下では、デフレの再燃は避けられ無いが、大手アパレルチェーンの価格政策は二分されて居り、消費税増税で明暗が開いた。
「ユニクロ」の既存直営店売上(EC含む・以下同)が2019年3〜8月の3.5%増から9〜11月は4.1%減と暗転し、12月も5.3%減と低迷を深めたのに対し「無印良品」は3〜8月の3.4%増から9〜11月は8.5%増と加速し、12月も9.8%増と更に伸ばしている。
ポスト「ユニクロ」の本命と注目され急成長して居る「ワークマン」はモッと強烈で、2019年4〜6月が28.6%増、7〜9月が26.7%増、消費増税後の10〜12月も25.7%増と勢いは衰えず、12月単月では28.7%増と加速して居る。
この3者の明暗を分けたのが消費増税への対応で「無印良品」と「ワークマン」が増税を内税で吸収したのに対し「ユニクロ」は外税で顧客に転嫁した。結果「無印良品」と「ワークマン」が増税後も客数を伸ばしたのに対し「ユニクロ」は3〜8月の6.6%増が9〜11月には0.4%増に急減速し、12月は2.2%減も減少して居る。
内税で吸収か外税で転嫁か最後迄迷走した「しまむら」は結果、税抜き価格と税込価格の併記と云う玉虫色に決着して『内税で増税を吸収して庶民の期待に応える』と云う絶好の機会を逸し、既存店売上は3〜8月の6.0%減から増税直後の10月は8.7%減と低迷を深め、12月も9.0%減と低迷して居る。
客数も3〜8月の6.1%減から10月は6.5%減、12月も6.2%減と客離れが進んで居り、庶民の期待を裏切ったツケは大きかった。
庶民の味方からお金持ち会社へ
決算書を見ても店頭を見ても「しまむら 」がお金持ちな会社だと思う人は居ないだろうが、日々の生計に四苦八苦する庶民の味方と云うイメージが有る訳でも無い。過つては日用衣料を庶民価格で提供して、盤石の支持を得て居たのに、近年は経営効率を志向してSPA化や品揃えの集約、延いては単価アップを図って庶民の支持を失い、客離れが止まら無く為っている。
「ユニクロ」にしても、スッカリグローバルなお金持ち会社に変貌して幹部は外資系並みの高給取りに為り、庶民の感覚から乖離してしまったのかも知れない。
消費税増税の顧客転嫁は痛い判断ミスだったし、防寒アウター等「ワークマン」と比べると割高感を否めず、往時の百貨店平場ブランドの様な中級品と認識され始めて居る。実際、ファーストリテイリングは極端な格差社会で、2015年に公表された給与体系表では、新入社員の320万円から最高幹部の3億9000万円迄、実に122倍もの格差がある。
当時の平均給与769.6万円(36.9歳)から直近の2019年8月期では900.0万円(38.3歳)迄上昇して居るから、庶民感覚から懸け離れるのも致し方あるまい。
その一方、良品計画(「無印良品」)は手取りが目減る大衆の現実を直視して、取り扱い全7000品目中、2018年春に2400品目、2019年秋に1100品目を値下げして居る。それが客数と売上の増加に直結した事は言うまでも無い。
「ワークマン」の人気が沸騰して居るのも「お値打ち価格」が突出して居るからで、粗利益率は「ユニクロ」の46.7%に対して37.6%と9.1ポイントも低い。定番的な継続商品のEDLP(※)で値引きロスを1.33%に抑えて居ることを考えれば、原価率は「ユニクロ」より一回りは高い筈で、それだけお値打ちがある。
※EDLP・EveryDay Low Price・・・・特売や値引きに頼らず期間を通じて低価格で販売する価格政策。
過つては顧客が見えて居た企業も組織が大きく為り幹部が高給取りに為って行くと、組織の論理が先行して顧客が見え無く為る。取り分け庶民を相手にする大衆価格の小売業では、それが致命傷に為り兼ね無い。消費増税で露呈した温度差を直視すべきだろう。
小島 健輔 以上
【管理人のひとこと】
管理人も以前は、月に何度かユニクロに行き、季節ものの品々を取り揃えて居た。その当時のユニクロの価格が安価で品質も手頃で品数も豊富だった。4人家族で皆のものを揃えると可成りの額を消費していた勘定に為る。特に子供達のジーンズやTシャツ・セーターから靴下迄の小物類を含め、更に妻のものも揃えると、夫々が両手に大きなバックを持ち抱え車に乗り込んだものだった。
が、此処に来てトンとこの様な消費活動が無く為ってしまった。無論手取りの収入が減り、水道・電気・通信費等が軒並み上がり、更に市民税や介護保険料等も上がったからだ。更にこの上に消費増税である。食糧費以外には支出出来無い様な塩梅に為ってしまった。ハッキリ言って生活は大変だ・・・贅沢なんて出来もしない。
以前「トンでもステーキ」の店が次々と店舗を閉鎖する・・・との記事を取り上げたが、庶民が偶に少しの贅沢をと考えて居たものが、殆どの人は諦めざるを得ない状況に追い込まれて居る。本当は価値のあるステーキにも手が届か無い・・・と云うギリギリ以下の生活に甘んじ無くては為ら無い。
決して経営が悪いのでも下手なのでは無い。此処迄消費を冷えさせた、安倍政治の経済政策故の結果でしか無い。海外からの旅行者にすると「日本は何て安いのでしょう!」とインバウンドが高まるのも当たり前で、デフレに転げ落ちる坂道を、政府が背中を強く押してる様な政策を続けて居る。何とかしなくては・・・政治が此処迄国民を疲弊させ苦しめるのは一体何の理由があるのだろうか。
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2020年01月21日
「合流」よりも選挙対策 野党共闘が成果挙げた現実が示すこと
「合流」よりも選挙対策
野党共闘が成果挙げた現実が示すこと
〜47NEWS ジャーナリスト・尾中香尚里 1/21(火) 16:12配信〜
党首会談に臨む(左から)国民民主党の平野幹事長・玉木代表、立憲民主党の枝野代表・福山幹事長 17日午後 国会
通常国会が20日召集された。全く収まる気配を見せ無い「桜を見る会」問題、統合型リゾート(IR)事業を巡る汚職事件等、安倍政権の足元を揺るがす問題が山積する中での国会だが、その国会召集迄の実現を目指し艇た立憲民主・国民民主両党の「合流」は結局実現し無かった。
野党のパフォーマンスは格段に向上
立憲民主党の枝野幸男代表は、国会召集日の20日迄に「合流」の可否を決める様要請。国民民主党は20日の両院議員総会で対応を協議したが、結論を出せぬママ「協議継続」の方針を確認するに留まり、玉木雄一郎代表も「(協議は)一旦小休止に為るのかも知れ無い」と認めざるを得無かった。
「矢張り野党はダメだ」とお決まりの台詞を吐く必要は無い。この間の野党の全体状況は、議員数が増えて居る訳でも無いのに、2017年の前回衆院選直後の状況より格段に向上して居る。政党間の駆け引きに右往左往するより、国会の「表」の場での与野党攻防を追う方が遥かに生産的だ。
2020年1月10日の会談後、取材に応じる国民民主党の玉木代表(左)と立憲民主党の枝野代表 国会
とは云え今回の「合流」問題は、2017年衆院選以降の野党状況の変化が伺えて興味深い面もあった。国会の論戦本格化を前に一度振り返って置きたい。
▽「政治は時間の関数」
言う迄も無く現在の構図は、早期「合流」を求める立憲・枝野氏に対し、慎重な協議を求める国民・玉木氏と云う形だ。
だが、ホンの半年程前迄、この構図は寧ろ逆だった。単独での党勢拡大を目指す枝野氏が、国民民主党を含む外野からの「野党はマトマレ」圧力を受けて居た。何時の間にか攻守が逆転して居る。その理由を考えると、枝野氏がこれ迄度々口にして来た「政治は時間の関数」と云う言葉が思い浮かぶ。
「政治は時間の関数」は、枝野氏が若手議員だった頃、台湾の李登輝総統(当時)から聞いた言葉だ。「政治は時間の変化に応じて変わって行くべきものであり、過つて正しかった政治・政策が今も正しいとは限らず、今、正しい政治・政策が、将来に渉って絶対的に正しい訳では無い」と云う意味だと、枝野氏は解釈して居る。
サテ「合流」問題である。枝野氏は元々政党間の合従連衡に否定的だったが、2017年の「希望の党騒動」で民進党(当時)のリベラル派議員が排除されたのを機に立憲民主党を結党した経緯も加わり、当初から単独での党勢拡大を志向した。立憲を野党の中核政党に育てて主導権を握り、その上で他の野党との連立で政権を取る構想だ。
しかし、結党直後の2017年衆院選で立憲が獲得した議席は僅か55。野党第1党としては過去最少だった。国政選挙だけで議員を増やし政権交代を実現するには、一般的には相当の年月が掛かる。「桜を見る会」を初めとする安倍政権の体たらくを見れば、野党第1党がそんな悠長な態度を取る事は許され無い。
又、衆院の小選挙区制は、政治の潮目が変わると極端な選挙結果を生み兼ね無い。民主党政権が誕生した2009年衆院選の一つ前の選挙は、小泉政権下で民主党が惨敗した「郵政選挙」(2005年)だった。予想以上の早さで立憲に政権が転がり込んだ時、民主党政権の様に政権運営に失敗する訳にはいか無い。
だから枝野氏は、元民進党の仲間で政治理念や政策も近く、新人の多い立憲に比べ経験値の高い国民民主党の議員と、何処かの段階で「共に戦う」事を想定し、タイミングを観ていたと思われる。立憲への入党を望む国民民主党議員の声は、少なからず枝野氏の耳に入って居た筈だ。そこで「時間の関数」である。言い換えれば「急いては事を仕損じる」だろうか。
▽満を持しての動き
枝野氏は一度、時間の関数を間違えて失敗して居る。結党間も無い2017年11月、民進党の党籍を持つ地方議員に対し、年内に立憲に入党するか否かを決断する様促す発言をしたのだ。1年余り後に迫って居た統一地方選の候補者擁立に向け、立憲からの出馬を希望する新人等との調整が必要な為だったが、発言は「上から目線だ」と批判された。
この頃、衆院の「民進系」勢力は、立憲、希望の党(後の国民民主党)、ドチラからも立候補し無かった議員による「無所属の会」の三つが拮抗し、参院は、後に国民民主党と為る民進党が圧倒的に多かった。 コンなな状況で立憲への結集を呼び掛けても反発を呼ぶだけだ。立憲が主導権を握れる迄時を稼ぐ必要があった。
昨夏の参院選。立憲は議席をホボ倍増させ、伸び悩んだ国民民主との差を広げた。立憲は衆参両院で、勢力として頭一つ抜け出した。野党内で主導的立場を得たこの時点で、枝野氏は先ず国民民主・社民の両党に「会派を共にする事」を呼び掛けた。国民民主は元々立憲に「野党はマトマレ」と迫る立場だったのだから、拒み様も無い。
そして秋の臨時国会「桜を見る会」の追及を初め、共同会派に加わって居ない共産党も含めた野党が「ONE TEAM」として力を発揮した。
2020年度からの大学入学共通テストにおける英語民間試験や国語と数学の記述式問題の導入を延期させる等の成果も勝ち取り、各党間の信頼感も醸成された。立憲の所属議員やコアな支持者の中には、枝野氏以上に他党との合従連衡に忌避感を持つ声も在ったが、野党各党が協力を積み重ね成果を出す中で、空気が多少和らぎ始めた。
ここ迄来て枝野氏は、満を辞して国民民主党と社民党に対し、同時に「立憲民主党に加わって欲しい」と呼び掛けた。
▽変わった構図
枝野氏は「合流と云う言葉は使って居ない」と主張するが、外見的には政党を一つにする動きではある。「結党時と言って居る事が違う。枝野氏は変節した」との声もある。だが、枝野氏は2年以上の時を稼いで手順を踏んだ。
立憲が野党の主導権を握り、更に野党間の協力が進んで「合流」反対勢力の反発が薄らいだのを見計らい、初めて行動を起こしたのだ。衆院選の候補者擁立作業を考えれば、これ以上は待て無かったのだろう。
参院選と臨時国会を経て、野党の「合流」に関する構図は「国民民主が立憲を突き上げる」から「立憲が国民民主に呼び掛ける」に移った。今後「対等合併」が俎上に上る事は、極めて難しく為った。現時点では「立憲の主体性を維持したママ他党議員に加わって頂く」形でしか「合流」は有り得ない。
枝野氏は「結党以来の理念を失って居ない」と主張出来る状況を確保しつつ、結果として「合流」を実現する為に、慎重に「時間の関数」を使ったのだと思う。
一方の玉木氏は恐らく、最終局面で合流「協議」を再び「国民民主が立憲を突き上げる」形に戻す事を狙ったのではないか。玉木氏は枝野氏との党首会談で「党名は立憲民主党以外とする」等、およそ立憲側が呑め無い提案をした。
枝野氏の側は「呼び掛けに対する玉木氏の答えを待つ」と云うスタンスであり、恐らく党名や政策を「協議」して居る意識も無かっただろう。玉木氏がそれを承知して居なかった筈が無い。「合流を破談にしたのは枝野氏」と云う構図を作り、その後も更に協議継続を求める事で「突き上げ」の構図を取り戻そうとして居る様に、外見的には見える。
▽急ぐべきは選挙対策
しかし、国会では今も野党各党が連日の様に合同ヒアリングを重ねて居る。野党が一つの政治勢力として現実に国会で機能して居る今、最早「合流」にどれ程の意味があるのだろう。それより急ぐべきは選挙対策、即ち衆院小選挙区で野党候補を1人に絞る事だ。
付け加えると、政党の「合流」は比例代表の名簿を一つにする効果を生むが、比例代表は小選挙区と違い死票が殆ど発生し無い為、政党が「合流」しても居なくても、野党全体の獲得議席は左程変わら無い。
枝野氏は19日、千葉県酒々井町での講演で「別の党で最大限連携し、将来連立政権を組む。これで何の問題も無い」とアッサリと言った。「合流」でゴタ着いて居る暇があるなら、両党は夫々の主体性を保ちつつ協力し合い、安倍政権に確りと対峙する方向に切り替えて欲しい。
尾中香尚里 以上
【関連報道】決められ無い男・玉木雄一郎と、坂道オタク・枝野幸男
お粗末過ぎる野党党首会談
〜文春オンライン 1/22(水) 6:00配信〜
玉木氏は「拙速は避けたい」と強調するばかり 文藝春秋
国会に集まった野党担当の記者は昼食抜きの空腹に苛立ちを隠せ無かった。1月10日、午前11時から始まった立憲民主党の枝野幸男代表(55)と国民民主党の玉木雄一郎代表(50)との党首会談。
幹事長同士が両党合流で合意した上での会談だっただけに、野党担当記者は「永田町の常識では、党首会談は最後のセレモニー。短時間で終わると思って居た」だが、終わったのは午後2時前。3時間近くを費やした結果、合意に達し無かった。
会談直後から情報戦が始まる。立憲の安住淳国会対策委員長は番記者と懇談。玉木氏の財務官僚時代の話を持ち出し「忘年会の幹事だったが和食か洋食か中華か決められず、幹事を降ろされた。決められ無い男だ。人間は変わらない」と揶揄。
その上で、こう暴露した。「前日迄は大筋合意だったのにナア。玉木は党首会談前に合流反対派と話して居た。彼は、何時も直前に話を聞いた人間の意見に左右される」
合流を水面化で工作して来た国民の小沢一郎氏は焦りを隠せ無かった。会談当日の夜、自らマスコミ各社を呼び込み「玉木代表は公党の代表。本人が嫌だと投げ出してはいけ無い。責任を全うし、最終の努力をして行くべき」と強調。「小沢氏は合流が上手く行けば復権の可能性があった。お膳立てをして遣った筈の玉木氏への怒りが滲み出ていた」(政治部デスク)
枝野氏のリーダーシップにも疑問の声
一方、枝野氏のリーダーシップにも疑問の声が挙がる。1月7日、記者から「党首会談の日程は決まったか」と問われた枝野氏は「その質問、違う。今日はモッと大事な事がある」
キョトンとする記者に「まいやんの卒業でしょ」この日の朝、乃木坂46の白石麻衣がグループ卒業を発表した。枝野氏のアイドル好きを知る記者達も「このタイミングでそれかよ」と呆れ顔。立憲関係者は「冗談みたいな話をして好い時期では無い。全く重みも品格も無い」と嘆くしか無かった。
合意見送り直後の1月11・12両日に行われた共同通信の世論調査では、内閣支持率は約7ポイント増で約49%に回復。野党第一党の立憲は逆に約4ポイント減の約7%に。「立憲と国民の合流を巡るゴタゴタが原因です。いつものお家芸と見られたんでしょう」(政治部記者)
共産党の「桜を見る会」追及の成果で内閣支持率が下がった処に、IRを巡る政治とカネの疑惑も浮上し、政権の先行きを危ぶむ声も出て居た。合流が上手く行けば、年明け早々、政権を追い込む勢いが着いた筈なのに、残ったのはゴタゴタした内輪もめの印象だけ。一番ホッとして居るのは、安倍晋三首相だろう。
「週刊文春」編集部 週刊文春 2020年1月23日号 以上
【管理人のひとこと】
人間が複数以上集まると、自然にグループ分けが出来て来る。昔小学生の時、教師の指示で、同じ教室の中に更に小さな「班」を作る様に云われた。「好き嫌い」は無しにしようと、前後左右や他の何らかの組み分けをして、掃除当番とか動物の世話とか何等かの「当番・使役」に対処するグループを作ったのだ。
単なる組み分け程度だったので、班の仲間と別段親しくも為ら無かったし、格別な友情も生まれた訳でも無く、班が解散するとそのまま新たな班に溶け込んで行った。詰まり、人の本性に好き嫌いが在ってコソ、自然に友情が芽生え仲間と為り、数が増えて行きグループと為る・・・これが自然だろう。
政党がその様な、お友達・同好会的な集まりだと云う訳では無いが、多分に人間としての好き嫌いは根底には存在する。誰が考えても、小池百合子氏に翻弄された「希望の党」の落ち武者・残党である国民民主と、除外されて発奮し結集した「立憲」が元の鞘に収まり「同じ党」に為るのは、誰かが許してもお天道様が許さ無い・・・と迄は云わないが、そう思う人は多い筈。
党対党のグループ間の問題を議論する時、互いの事情・思惑・都合を挙げれば限(きり)が無い・・・そんな事は大人なのだから承知の筈。それを敢えて口に出すことで「破談」にしようとの玉木氏の思惑が前面に出た破談劇だった。
それ程一緒に為りたい人が居るのなら、個人として堂々と党を移籍する・・・その様な制度を認めれば好い。裏切り者だとか身勝手だとか謗(そし)らずに、自分の政治的信条だと堂々と動いたら好い。
枝野氏の頭に忘れ難くあるのは、ジリ貧と為った民進党の打開策を考えた責任者が、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの小池氏の甘い蜜の香りの「希望の党」へ参加し、次へのステップへ向かおうとした蟻の様に・・・失敗した悲劇だろう。確かに打開策を講ずるのが党の責任者なのだが、余りにも世間の風を読み過ぎ頼りにし過ぎだ。相手の根性を吟味せず、単なる世間の風聞を信じ込んでしまった人間の浅はかな行動だった。
無暗に世間の風や他人を信じ込まず、トコトン苦境に晒されても歯を食い縛り耐え、更なる発奮を持てる人達と一緒に遣ろう・・・とするものだと想像する・・・これで好かったのだ枝野氏、頑張れ!
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「最高の知性」と目される男が読む世界情勢
「最高の知性」と目される男が読む世界情勢
〜東洋経済オンライン 1/21(火) 5:50配信〜
「イノベーションを起こす者が金融を牽引し勝利する」と語るファーガソン氏。アメリカ対中国の冷戦が始まりつつあり、中央集権的に管理された中国のデジタル決済システムがドルに対抗する存在と為るだろうと云う(撮影 梅谷秀司)
「今最も優れた知性」と目され、日本のメディアからもその発言が注目されて居るニーアル・ファーガソン氏。氏の著書『スクエア・アンド・タワー』(上: ネットワークが創り変えた世界、下:権力と革命 500年の興亡史)は、グーグル元CEOのエリック・シュミット氏が「ファーガソンはシリコンヴァレーが必要とする歴史を提示してみせた」と激賞し、この世界や文明を読み解く為のフレームワークを提示するものとして各紙誌からも絶賛されて居る。
本書の日本語版が刊行された2019年12月に来日したファーガソン氏にインタビューを行い、今世界が抱えている問題と今後我々が直面するであろう危機に付いて聞いた。
GAFAの台頭を何故予測出来なかったのか?
・・・『スクエア・アンド・タワー』では、2つの顕著な「ネットワーク化時代」があると書かれています。第1は15世紀後半から18世紀まで続いた印刷技術の発明と発展であり、そして第2は、まさに今、テクノロジーの発展により1970年代から始まっていると。第1と第2のネットワーク化時代の類似点、相違点は何でしょう。
ネットワークとヒエラルキーの問題について最初に考え始めたときに気づいたのは、ヨーロッパで広まった印刷技術の時代に戻らなければならないということでした。印刷機は最もインターネットに類似しています。
もちろん、その間に電報や電話、ラジオ、テレビなど、さまざまな情報技術が発達していますが、これらはとても簡単に集権化できます。しかし印刷機やインターネットは基本的には分散型ネットワークで、中央での管理は不可能です。したがって予測不可能なことが起きる。分極化の時期、フェイクニュースが簡単に広まるなどといった混乱や、権力の階層構造に疑問が呈される時期が存在するのです。これが類似点と言えるでしょう。
一方、最大の相違点は、印刷技術が真に集権化されることはなかったという点です。インターネットはすでに、広告や商取引によって集権化されています。もともとは分権化されたネットワークになるべく設計され、おのおのが「ノード(結び目)」のように基点となって発信できると信じられていました。だからこそ、ほんの少数のネットワーク・プラットフォームが集権化し始めたときに皆驚いたのです。
アマゾン、グーグル、フェイスブック……。すでにソフトウェアの分野では、マイクロソフトが市場を支配していましたから、それほど驚くことではなかったかもしれませんが、私たちはこれほどまでのスピーディーな集権化のプロセスに対する準備ができていませんでした。誰もこの巨大な分散型ネットワークを作り出したときに、独占企業が出現する機会がすでに創出されていたとは理解していなかったのです。
図書館の整理法とグーグルのアルゴリズム.
同時に、広告を売ることにより金儲けをするという危険に気づけませんでした。広告販売はグーグルやフェイスブックが利益を出すベースになっています。私は時々、すべての企業がウィキペディアのように基本的に広告で稼ぐのをやめる決断をしてくれないかと思いますよ。一度、広告収入によるビジネスモデルを構築したら、あらゆる意図しない結果が待ち受けている。私たちは今もその中で生きています。
書籍は広告を売りませんから、分権化された技術のままです。またすべての図書館は広告とは無関係で、コンテンツが無料で提供され、合理的に整理されています。本書が図書館に置かれた場合、その隣に置かれるのは最も似たような書籍か、あるいは私自身の著作か、どちらかでしょう。
しかしグーグルで情報を検索すれば、そうはなりません。グーグルは合理的に情報を整理しているのではなく、モノを売るために整理しているのです。こう考えると、第1のネットワーク化時代とはまったく異なる世界に私たちがいることを理解してもらえると思います。
・・・トランプ大統領の出現や中国の台頭、香港のデモなど、世界が不安定化しています。ネットワークとヒエラルキーという視点からどう読み解くことができるでしょうか。
例えば香港やそのほかの場所で噴出したさまざまな抗議活動は、過去のそれとは異なります。なぜなら、ほぼすべてのデモ参加者がスマートフォンを持っているからです。
20世紀の間は、デモ参加者よりそれを取り締まる警察のほうが確実にまともな通信手段を持っていました。だからこそ革命を望む民衆は弱体化していったのです。しかし今はデモに参加する民衆のほうが優位です。彼らはスマートフォンによって、警察よりも意思疎通ができているからです。
一般的に言って、分権化されたネットワークは、既存の階層型組織に比べてより力強くなる傾向にあります。だからこそ、ボリビアのエボ・モラレス元大統領は失脚し、チリの憲法は改正されることになり、香港と台湾の民主化を求める民衆は強化したのです。こうしたケースはこれからも増え続けるでしょう。
テクノロジーがネットワークを強化し、階層型組織を弱体化させたのです。本書『スクエア・アンド・タワー』は、こうした現象を説明できるネットワークの枠組みを提示しています。本書を読んだ後は、きっと世界が違って見え、より理解しやすくなると思います。
・・・これから世界が直面するであろう、例えば環境問題や政治、金融問題などグローバルな課題を3つ挙げるとしたら何でしょう。
人類が直面している危機として、今どきの答えとして挙げるなら気候変動でしょう。しかしこれは最も差し迫った危機というわけではありません。戦争のほうがより危機的だということは歴史が示しています。核戦争は、じわじわと訪れる気候変動より、瞬間的かつ破滅的な結果をもたらします。
今は、アメリカ対中国という第2次冷戦期の初期段階に入っていると言っていいでしょう。両国が計算を誤れば、冷戦がいとも簡単に武力衝突となる可能性があります。したがって、私はこれを1番の危機として挙げたいと思います。
2番目に、ちょうど1世紀前の教訓から、変異型インフルエンザ・ウィルスのほうが気候変動よりずっと差し迫った危機だということがわかります。100年前のいわゆるスペイン風邪は、第1次世界大戦よりも多くの死者を出し、人類を壊滅状態に追い込みました。ネットワーク化された世界がその一因です。これは明日にも起こるかもしれません。そして100年前よりはるかに速く広まるでしょう。
そして3番目が気候変動ですが、2007年からのCO2の排出量の増加は、主に中国が原因です。次がインド。本当に気候変動が怖くて心配なら、どのようにして中国とインドに制約を課すかを考えなくてはなりません。パリ協定にそんな条項はありません。ですから本書では、「ネットワーク化された世界が国際関係のベースとなれば、できるのは無秩序な世界だ」と書きました。
もはや大国は世界的な危機に対処できない
何れにせよ、戦争やパンデミック、或は気候変動など世界的な危機に対処する唯一の方法は、大国の理解だと私は考えます。しかしながら第2次冷戦期の現在、大国にその期待はできないと私は悲観的に見ています。
かつて私は、拙著『文明』で西洋が近代の覇権を握った理由として、政治的・経済的な「競争」、そして「科学」「所有権(法の支配)」「医学」「消費社会」「労働倫理」の6つをキラーアプリとして取り上げました。
その妨げに為るのは、これまた拙著『劣化国家』で示した4つ――「世代間協業の崩壊(公的債務超過)」「行きすぎた金融規制」「法の支配の堕落」「民間社会資本の衰退」――です。この枠組みは、現在のアメリカの問題点を考えるにあたり、非常に有用です。
中国もしかり。彼らは6つのキラーアプリのうち、「科学」「医学」「消費社会」「労働倫理」の4つはダウンロードしましたが、「競争」と「法の支配」は拒んでいます。不完全なOSなのです。そのため、大国として機能しません。アメリカが抱える問題はバグと捉えることができますが、中国はバグではなく仕様の問題。これが、私が悲観的に見ている理由です。
・・・シリコンバレーで今一番ホットな話題とは何でしょうか?
私が頻繁に議論しているのは暗号通貨とデジタルマネーです。実際、私の著書『マネーの進化史』の新版でこれらのことを書き加えました。2008年から昨年までの期間をカバーしています。そこでは、私たちは今後10年間、過去の10年間よりもずっと大規模な金融革命を目の当たりにするだろうと述べました。
過去10年は、古いシステムが崩壊しないよう何とか立て直しを図っていたにすぎません。しかし今、私たちは明らかに新しいシステムを構築していて、未来にはいくつかの異なる可能性が存在します。
米中の金融覇権をめぐる3つのシナリオ
1つ目の可能性は、古いシステムが生き残って支配を続ける未来です。USドルが基軸通貨として残り、アメリカが引き続き金融制裁により強大な力を持ち続けます。
2つ目は、ブロックチェーンをベースとする、第三者の認証を必要としない分権的な決済システムで、国家の管理を逃れることができる未来です。自由主義者にとっては非常に魅力的なアイデアでしょう。
3つ目は、中央集権的に管理された中国のデジタル決済システム、すなわちAlipay(アリペイ)やWeChatPay(ウィーチャットペイ)がほかに取って代わる金融アーキテクチャーとなる未来です。これは確実にドルに対抗する存在となるでしょう。もしくはこの3つの可能性が共存する未来もあるかもしれません。
もっとも、ブロックチェーンをベースとしたビットコインや暗号通貨には限界があります。国家に対して大きな脅威となるからです。またビットコインで代金を払うのはかなり不便です。したがって私の予測では、ビットコインは金(かね)ではなく、一種の資産になるでしょう。本当の競争は、古いドルのシステムと、新しい中国の電子決済システムの間にあります。
中国は金融テクノロジーの面で躍進しています。アメリカにとって最大のリスクは、中国が金融革命を起こし続け、パワーバランスが最終的にシフトすることだと言えるでしょう。
何年も前から私の研究の主要テーマの1つは、「イノベーションを起こすものが金融を牽引し勝利する」と云う事です。
笹 幸恵 フリーライター 以上
【管理人のひとこと】
つい最近の時代まで、世界一貧しく人口の多い国・・・と言われて居た中国が、アッと云う間に世界の中心へと踊り出た。アレヨアレヨと云う間に世界を席巻し、経済的な伸長は甚だしく、日本に追い付き瞬く間に日本の数倍の規模へと膨れ上がってしまった・・・本当に隔世の感じだ。今や世界の二大大国に上り詰め真っ向からアメリカと対峙し引けを取ら無い。
その間我が国は・・・嫌、その話は辞めて置こう・・・先進国最低の貧しい国へと転がり落ちてしまったのだから。政治的に世界から一周遅れたこの民族に明日は来るのだろうか。
話を戻し、この先中国はどの様な国へと為るのだろうか・・・実に気に為る処なのだが、政治的には、一応共産党独裁の国家であるが、その独裁制が国家資本主義を牽引し、アメリカの様に余分な雑音・邪魔が入らぬ分、効率的・大局的に計画的に政策を推し進める体制が功を奏して居る様で、アメリカを凌駕する目覚ましい発展途上にある。
その独裁制の政策がプラスに向かっている間はイケイケで進められるが、一旦綻びに向かうと・・・果たしてどう為るだろう・・・との懸念を拭い去れない危うさを含んでいる。アノ広大な国土を果たして共産党の一党独裁で統治して行けるのか、嫌、それだからコソ、独裁で無ければ統治出来ない・・・と色々云われる。恐らく、政治的に民主化されれば、直ぐに何十何百に分裂し収拾の着か無い貧しい地帯と為り果て、単にアジアの人口が集中する貧しい地帯へと逆戻りする予感もする。
反してアメリカは、今でも世界各国から亡命・移民を目指す新たな人達の目指す「新天地」として人口が増え続けて居る。それだけでも大きなエネルギーと為る。方や中国は、今後数年の間に老齢化・人口減少を迎える。此処は、アメリカと中国が敵対しつつも、世界の為には両立し続けるのが・・・今までの歴史を学習しつつ新たな冷戦時代を切り抜ける方便を模索するしかない。
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施政方針演説「何時も通り、薄っぺらい」れいわ山本氏
施政方針演説 「何時も通り、薄っぺらい」れいわ山本氏
〜朝日新聞デジタル 1/20(月) 20:57配信〜
日本記者クラブでの記者会見に応じる「れいわ新選組」の山本太郎代表
「れいわ新選組」山本太郎代表(発言録)
施政方針演説があった。何時も通り、薄っぺらいと云う事以外申し上げる事は無い。この7年間、政権を担当しながら、デフレ脱却も行え無い。お金の量は増やしたが、そのお金が世の中に回る様な財政出動は、ホボ為されて居ない。
揚げ句の果てには、一番最後に憲法改正の話が出て来た。憲法改正を無理矢理選挙の争点にする事で、これ迄の失策に関して余り目が向か無い様な選挙の争点作りを今から遣って居る様に感じた。権力の私物化に対してケジメを取る、事実関係を明らかにする事が重要だ。 (20日 記者会見で)
朝日新聞社 以上
【関連報道】「桜」で安倍首相VS野党の直接対決
「白塗り」「総理枠」の真相は・・・国会攻防の見処
〜FNN.jpプライムオンライン 1/22(水) 12:06配信〜
桜を見る会巡り安倍首相と野党が全面対決 攻防の見処は
「ヒアリングに出て来ない人事課長に付いて、私の部屋に来る事に為って居たんですけれども…スッポかされました。人事課に電話すると誰も居ない。人事課長の携帯番号も判らんと。誰一人何処に行って居るか判らない。ここまで来ましたからね。課長補佐電話に出て下さいと言ったら拒否。総理案件ナンだからでしょうかね。立法府の要請に神隠しの様な事を遣って居る。凄まじいですよね」 (立憲民主党 黒岩宇洋衆議院議員)
呆れ・・・苛立ち・・・官僚に向けられたこの言葉は、野党の「桜を見る会追及本部」での出席議員の発言だ。この様に追及本部では毎週の様に野党と政府の攻防が繰り広げられて居る。しかし、実際には政府側にノラリクラリと交わされて居る印象だ。
追及本部での議論が停滞し勝ちな中で、真相解明の場として注目されるが矢張り国会だ。特に注目されるのが、本会議での代表質問に続いて来週月曜から行われる予算委員会だ。此処で野党と安倍首相が丁々発止の矢理取りを繰り広げる事に為るが、野党がどの様に追及し安倍首相はどの様に答えるのか。攻防の見処をまとめた。
見処(1) 杜撰な公文書管理 一体なぜ?
野党側が最近特に追及を強めているのが、杜撰な文書管理の問題だ。この問題では2011年から17年に掛けての名簿が、文書管理のルールに則って管理簿に記載されて居なかったことが判明。政府側は民主党政権時代の前例が漫然と引き継がれたと説明して居る。
これに対して野党は、当時の桜を見る会は東日本大震災の影響で中止されて居ると指摘、中止に為った会の前例をそのママ引き継いだのは可笑しい等と反論して居る。又去年11月に政府が国会に提出した文書では、一部の資料が「白塗り」即ち消されて居たことも判明。
政府側は人事課長の判断であり極めて不適切だったとしつつも、飽く迄担当者ベースの問題だと主張、一方の野党側は意図的な隠ぺいだとして政府を追及して居る。こうした文書管理の問題に安倍首相がどう答弁するかが注目だ。
見処(2) 60番の謎、総理枠・昭恵夫人枠
60−2357と云う数字。これはマルチ商法を展開して破綻した「ジャパンライフ」の元会長に2015年に送られたとされる桜を見る会の招待状に振られた数字だ。過去の資料を元に野党は60番が「総理枠」だと主張、桜を見る会の招待状でマルチ商法の被害が拡大したと追及して居る。
しかし政府側は名簿や資料が既に廃棄されて居るとして、明確には認めて居らず、誰が呼ばれたかは「個人情報で答えられ無い」と云う立場だ。安倍首相が国会答弁でこの総理枠に付いてどの様に説明するかも注目だ。
野党側は又、後段の「2357」の数字は、1番から順番の通し番号に為っているのではないかとして調査を要求したが、政府側は明確な説明をして居ない。政府側は、去年の総理枠に付いて1000人程度として居るが、野党側はこの数字の大きさから、総理枠が数千人だった可能性があると指摘して居て、この点も国会で追及すると見られる。
見処(3) 名簿は本当に削除・廃棄されたのか
こうした多くの疑問の根幹と云えるのが「名簿は本当に残って居ないのか」と云う問題だ。それは名簿や資料が出て来なければ多くの問題が結局は手詰まりに為る為だ。政府側の説明によれば、去年5月に名簿等の資料はシュレッダーに掛けられ、データも同じ時期に削除された。
野党側は廃棄の経緯が不自然過ぎるとして、本当に消したのかデータ削除のログ等を提出する様要求して居るが政府側は「これ以上の調査は必要無い」と応じて居ない。野党側は又「政治枠」の名簿等を1年以内に廃棄すれば、翌年誰を呼んだかも判ら無く為る、不自然だとも主張。本当は名簿が残って居るのではないかと疑って居る。
この他にも、安倍首相夫妻が出席した地元後援者向けの「前夜祭」や、昭恵夫人と関連するとされるケータリング会社の選定の問題等、桜を見る会には多くの論点が残されて居る。
首相の答弁姿勢は?野党の追及何処まで? 問われる「政治への信頼」
これ迄政府側は「記録が残って居ない」「個人情報で答えられ無い」「担当者の記憶が不明瞭」等と云う答弁を判を押す様に続けて居る。国会論戦の焦点は、久々に予算委員会でこの問題で答弁に立つ安倍首相が「対決姿勢」なのか「身交わし戦術」なのか、どの様な姿勢で論戦に応じるかだろう。又「桜を見る会」の見直し策の検討を進める事で批判を交わす事も考えられる。
一方で、安倍内閣の支持率を見ても、一時は桜を見る会や閣僚の相次ぐ辞任等で下落傾向と為ったものの、下げ止まったり反転したりと、現時点で危機的な状況に為っては居ない。
対する野党の政党支持率もこの問題で浮上したとは言え無い水準だ。これは安倍政権が一連の問題に説明責任を果たしたと云うよりも、野党側が現政権に代わる受け皿として期待を受けられて居ない表れに思える。
更に、この問題を追及すれども名簿や新たな事実等が出て来なければ、桜を見る会の問題の追及は何れ限界を迎え下火に為る事が予想される。その中で追及が長期化すれば「桜よりも政策論争をすべき」と云う声も強まると見られ、或る野党幹部も「問題には旬がある。何時までも続けられる訳では無い」と認めて居る。
去年の参議院選挙では「れいわ新選組」やNHKから国民を守る党の議席獲得が大きな話題と為ったが、桜を見る会を巡る政府与党の不十分な説明と野党の進展の無い追及が続けば、 既存の与野党共に国民からの大きな不信を招き、次の衆議院総選挙に向けて既存勢力とは異なる勢力の台頭に繋がるかも知れない。
何れにしろ、時の政権与党の「特権性」と云う要素を孕み「文書管理」と云う民主政治の根幹に繋がっているこの桜を見る会の問題の行方は、政府・与党・野党、全ての当事者に取って「政治への信頼とは何か」と云う問題を突き付けて居る様に思える。
フジテレビ政治部 柴木友和 FNN PRIME編集部 以上
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ゴーン逃亡劇で日本は悪者か 欧米メディアの見方を「デーブ・スペクター」が解説
ゴーン逃亡劇で日本は悪者か
欧米メディアの見方を「デーブ・スペクター」が解説
〜デイリー新潮 1/20(月) 11:31配信〜
米は冷笑、仏は同情的!?
日本人は海外の反応を非常に気にすると言われる。2019年12月、日本時間の31日に「私は今レバノンに居る」との声明を出したカルロス・ゴーン被告(65)の逃走に関する報道はその代表例だろう。
試しに編集部のパソコンを使い、検索エンジンに「日本人 海外 反応 気にする」と入力し、ニュースを探してみた。するとトップ10本の内何と3本が、ゴーン被告に関する記事だった。勿論PC毎に違う結果が出る訳だが、表示順のリストをご紹介して置く。
◆「ゴーン被告記者会見・日本の当局は何故効果的な反論が出来ないのか」(YAHOO! ニュース:1月13日 ※江川紹子氏の署名記事)
◆「劇的な脱出に成功したゴーン被告 海外はどう見て居るか」(Forbes JAPAN:1月5日 ※ピーター・ライオン氏の署名記事)
◆「ゴーン被告『逃亡正当化』日本の司法制度“痛烈批判” 『保釈中の逃走』法改正の動き」(MBSニュース:1月9日)
因みに他の7本はプロレス、外国人労働者、サッカー、カジノ問題とバラバラであり、時事性が低い記事もある。ゴーン被告のニュースが3本も表示されるのは、矢張り突出して居る。どれ程日本人が“前代未聞の逃走劇”に付いて、海外の評価を知りたがって居るか一目瞭然だ。
そうしたニーズに応えた記事の1つに、共同通信が1月9日に配信した「ゴーン被告会見、報道様々 各国メディア、肯定や皮肉」が有る。レバノンに8日で開かれた会見を海外メディアがどう報道したかと云う記事だ。
《カルロス・ゴーン被告が逃亡先のレバノンで8日行った記者会見に付いて、各国メディアの報じ方は様々だ。フランスのフィガロ紙は、陰謀で投獄された後、脱獄して報復に出るアレクサンドル・デュマ作の物語に例え「現代のモンテ・クリスト伯(巌窟王)は全世界を魅惑する」と報道。レバノン英字紙デーリー・スターは、被告が「長く待ち望んだスピーチ」を行ったと伝えた。
米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は、スクリーンに資料を映しながら説明する様子を「企業のプレゼンテーションの様」としつつ「文字が小さ過ぎて誰も読め無かった」と皮肉交じり》
ルノーの本社があるフランスは同情的、アメリカは意外に冷笑的・・・こんな傾向があるのかと読者は推測する訳だが、実情はナカナカ見えて来ない。
欧米の報道内容を総まとめ
日本人としては、次の様な疑問を持って居るのではないか。
「海外メディアはゴーン被告と一緒に為って日本を“人質司法の国”と批判するキャンペーン報道を繰り広げて居るのではないか?」
「逃亡劇を詳細に報じ、日本の出入国管理は穴だらけとバカにして居るのではないか?」
「ゴーン被告の妻、キャロル・ナハス容疑者(53)に同情し、日本を批判する報道を繰り広げて居るのではないか?」
そこでデーブ・スペクター氏に取材を申し込んだ。デーブ氏はニュース番組でコメンテーターを務めて居り、海外番組の買い付け等も行って居ることから、海外メディアの報道に詳しい。当然ながらゴーン被告に関する報道も高い関心をもってウォッチして居る。
デーブ・スペクター氏
「結論から言えば、日本の人質司法をセンセーショナルに批判する様な報道は行われて居ないに等しいですね。元々日本と欧米の報道では、相当な温度差があるのです。欧米のメディアは、ゴーン被告の逃亡を事件としてでは無く経済ニュースとして取り上げて居ます。日本は逃げられた側ですから、社会部が事件として大きく報道して居ます。嫌、今や芸能ニュース並みの扱いかも知れません(笑)」
アメリカの場合なら、ゴーン被告のニュースを報じて居るのは、自国のウォール・ストリート・ジャーナル、ブルームバーグ、そしてイギリスに本社を置くロイターと云う経済メディアが中心だ。記者と読者の関心は「ルノーと日産の将来は今後、どう為るのか?」がメインだと云う。
「ドラマチックな逃亡劇ではありましたが、そもそもルノーに高い関心を持って居るのはフランス人だけでしょう。アメリカ人は日産の車が大好きですし、欧州車はドイツ車もイタリア車も人気があります。しかし、ルノーの車がアメリカ国内を走って居る処は余り見た事がありません。日本とフランスを除けば、カルロス・ゴーンと云う人物に対する関心はそれ程高く無いのです」
こうした欧米の報道姿勢は、ゴーン被告にも好ましい状況だと云う。彼の主張の根幹は「ルノーと日産の合併を阻止する為に日本政府が動き、日産社内のクーデターを検察が応援した」だ。このストーリーに、海外の経済メディアも高い関心を持って居る。
「テレビ東京が会見に出席を許された事が大きな話題を呼びましたが、同じ理由だったと思います。『ワールドビジネスサテライト』(平日・23:00)は経済ニュースが中心で、検察のリーク報道を流す番組ではありません。ゴーン被告は『アノ番組なら、自分の主張に関心を示す筈だ』と判断したのでしょう」
“手記”と“映画”の制作が進行中!?
レバノンでの会見が行われる前は「政治家の名前が暴露されるのではないか」と、日本でも高い関心を集めて居たが、結局の処ゴーン被告は「レバノン政府に迷惑を掛けたく無い」として名前を伏せた。ゴーン被告が「ルノーと日産の合併を阻止する為に日本政府が動き、日産社内のクーデターを検察が応援した」と訴えて居るのは前に見た通りだが、デーブ氏も「耳を傾けるべき主張だと思います」と理解を示す。
「特捜部の立件対象は、全て日産社内で解決出来るものばかりです。日産の調査でゴーン氏の不透明な金の流れを明らかにした上で解任し、民事訴訟で返還請求をすれば済む話でしかありません。
しかし、ルノーと日産の間で行われて居たことは、日本政府とフランス政府の戦争であり、ロッキード事件級のスキャンダルだった筈なのです。この問題を追及しない日本の野党には、強い失望を覚えて居る程です」
会見で政治家の名前を暴露し無くとも、手記に書く手はある。それが映画やドラマ化されれば、ゴーン氏には巨万の富が転がり込むかも知れない・・・こうした観点での記事も頻繁に報じられて居る。
◆「ゴーン被告、ネットフリックスと独占契約 仏紙報道」(朝日新聞デジタル:1月3日)
◆「ハリウッド関係者と面会 ゴーン被告、逃走前に映画の相談―米紙」(時事ドットコムニュース:1月4日)
◆「ゴーン被告が本を出版へ 海外メディアで主張を展開も」(NHK NEWS WEB:1月9日)
朝日新聞デジタルの「仏紙」とあるのは、高級紙のルモンドだ。しかし、ネットフリックス側は直ぐに、「契約ない」と否定したが、信じる人は少無い様だ。
「ネットフリックスは世界中で人気ですし、オリジナルの映画とドラマシリーズも制作して居ます。実際に放送されるのは“氷山の一角”で、無数の企画書が書かれ映画化権を取得し、大多数はボツに為ります。そう云う意味で云えば、ゴーン被告の人生に関心を持た無い担当者は居ないと思います。ネットフリックスなら、日本とフランス・ブラジルと中東諸国、そしてアメリカでのヒットが見込めるので、権利を確保しようとしても全く不思議はありません。但し、実際に制作して公開されるかは未知数です」
TBS NEWSが1月13日に報じた「ゴーン被告、“逃亡劇”のハリウッド映画化に前向き」の記事と動画は、アメリカのCBSテレビがゴーン被告に行ったインタビューを紹介したものだ。これによるとゴーン被告は、今後の見通しに付いて、次の様に語ったと云う。
《アメリカのハーバード法科大学院や投資家のイベント等多くの講演依頼が来て居るとした一方で、何か固定された役職に就く事は考え難く、在ったとしても投資分野に為るだろうとの見通しを語りました》
デーブ氏も「私はゴーン被告の今後を、母国のレバノンで半ば引退に近い状態に為ると思います」と予測する。
「ゴーン被告は1954年生まれで、今年の3月で66歳に為ります。ビル・ゲイツさんは1955年生まれで、今は64歳。彼の引退が発表されたのは2008年でした。今やIT業界では30代のリタイアも珍しく無く為りました。手段は問題が在りましたが、ゴーン被告は逃亡した事で故郷に帰り、妻と生活を共にする事が出来ました。再起を期して経営の表舞台に戻るとは考え難く、安穏とした日常生活を選ぶのではないでしょうか」
新潮社 2020年1月20日 掲載 以上
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2020年01月20日
カジノ業者が警告! 「日本にカジノは要らない」客を外に出さ無い様に作るカジノで、街が儲かる訳が無い
カジノ業者が警告! 「日本にカジノは要ら無い」
客を外に出さ無い様に作るカジノで 街が儲かる訳が無い
〜HARBOR BUSINESS Online 1/20(月) 8:34配信〜
ZARost PIXTA(ピクスタ)
日本国民を米カジノ業者に売り渡した安倍総理
2016年11月、アメリカ大統領就任を控えて居た当時のドナルド・トランプ氏と安倍晋三総理は初会談を行った。その直後、政府はカジノ実現に向けた動きを一気に加速させ、翌12月には「カジノ解禁法」(正式名称 特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律)を成立・施行してしまった。
その背景には、それ迄クリントン勝利と踏んで居てトランプ側との接点が無かった安倍政権が、大統領当選を受けて何とかパイプを繋ごうとし、頼った先がアメリカのカジノ大手「ラスベガス・サンズ」のシェルドン・アデルソン会長だったからだと言われて居る。
しかし、ギャンブル依存症の問題が既に深刻化して居る日本で、カジノは本当に必要なのか? 安倍政権は、トランプに媚び諂う為に日本国民を米国カジノ業者に売り渡したのではないか。
21日発売の『月刊日本 2020年2月号』では、第3特集として「カジノが国を滅ぼす」と題した特集を打ち、真正保守の立場から断固としたカジノ反対の主張をして居る。今回はその中から、同誌編集部による、カジノ建築を手掛けて来た日本人建築デザイナー・村尾武洋氏への取材記事を紹介したい。
日本人建築デザイナー・村尾武洋氏
客が破産する迄カネを貸すカジノ
2019年12月26日、横浜市内で「カジノ・ニューヨークからの警告」と題する講演会が開かれた(主催「カジノを考える市民フォーラム」)講師はニューヨーク在住の建築デザイナーの村尾武洋氏。村尾氏は2004年から米国でカジノのデザインに携わり、これ迄数十件もの仕事を手掛けて来たプロだ。カジノの内幕を知る人物は、何故「日本にカジノは要ら無い」と警告するのか。
「私は2004年からカジノのデザインを請け負って来た。最初の仕事は4億円でニューヨークに在るカジノの内装デザインだった。その店がオープンしてから6週間後、事業主から『好く遣った。モトは取った』と言われた。次は12億円の内装デザインで、オープン8週間後に同じ事を言われた。こうしてカジノの内装を毎年2〜3件ずつ請け負う様に為り、カジノからカジノへ全米を回る様に為った」
だが、段々とカジノの正体に気付いたと云う。
「カジノが儲かると云う事は、誰かが損をして居ると云う事だ。カジノの収益は誰かの負け金だ。忘れられ無い光景がある。ネバダ州リノに在るカジノタウンの近くで、紳士然とした男性が高級なオープンカーを手で押して居た。
彼は私に『5ドル貸して呉れ』と頼んだ。話を聞くと、週末に新婚の妻とカジノに来て、全財産をスッたと云う。クレジットカード・普通預金や当座預金も使い果たした。家も抵当に入れた。妻には別れられ、結婚指輪も失った。手元に残ったのは腕時計と愛車だけで、ガソリン代も無い。彼は普通の人だったのだと思うが、2〜3日のカジノで全て失ってしまった」
カジノでは驚く様な大金が動く。
「例えば、バカラ・・・インディアンポーカーとホボ同じゲームで、1勝負5秒で終わる。レートは色々だが、最高レートだと1勝負に1000万円を賭ける。負ければ5秒で1000万が無く為る。パチンコで1000万を無くそうとしたら何十日も掛かるが、カジノでは数秒、1億も1時間在れば無く為る」
構造そのものが客からカネを搾り取る「罠」
しかも、カジノには破産する迄賭けさせる仕掛けがある。
「カジノには必ずクレジットルームがある。そこで客は職業や給与を示してカネを借りる。クレジットカードの上限一杯迄借りる事も出来れば、家を抵当に入れて借りる事も出来る。カジノは客が限界迄負けられる様にカネを貸し出すのだ」
更に、カジノには客を逃がさ無い仕掛けもあると云う。
「客はカジノに居れば居る程カネを使う。だから我々は客をカジノから出さ無い様にする。先ず時間が分から無い様に時計は置か無い、窓も作ら無い。屋内照明は夕方5〜7時位の落ち着いた明るさに調整する。光の調子、音の反響具合、カーペットの厚さ、肘掛けの高さ、クッションの柔らかさ、全て計算して居る。非常出口は在るが、出口も見え無い様に複雑に作る」
カジノの外側も客を逃がさ無い様に作られて居る。
「先ずカジノを中心に置いて、その周囲に関連施設を作る。駐車場からホテル、レストラン、コンサートホール、何処へ行くにもカジノを通る様に設計して居る」
カジノは構造そのものが罠なのだ。
ターゲットは日本人
そのカジノが何故今日本で開かれ様として居るのか。
「リーマンショック後、カジノ業界はベガスやマカオも含めて全体的に苦しい。その中で日本は数少ないフロンティアの一つだ。日本にカジノを作るのは、日本人のタンス預金を獲りたいからだ。日本のカジノは外国人が対象だと言われるが、実際のターゲットは日本人だ。
アメリカでは2004年から都心にカジノを作り始めた。ニューオーリンズを皮切りに、ボルチモア、セントルイスと続いたが、都心にカジノを作る狙いは地元住民のカネを獲る事だ」
横浜市等カジノ誘致に名乗りを上げた自治体は、街の活性化等のメリットを挙げている。
「我々は客がカジノから出無い様に、街に出無い様に作って居る。だから、カジノの恩恵が街に還元される何て事は在り得ない。在れば、我々の負けだ。シカゴやインディアナのカジノは、周辺にガソリンスタンドが数軒在るだけ。客はカジノの中だけでギャンブル、宿泊、食事、買い物を済ませるから周りはスッカラカンだ」
実は、自治体が強調して居るメリットは、カジノ業界のプロパガンダなのだと云う。
「カジノ業界が自治体に進出する際は新聞、テレビ、ラジオ、インターネットを利用しながら、2年程掛けて少しずつカジノ誘致の素晴らしさを広告する。税収増や雇用増の具体的数字を予想グラフにしてプレゼンも行う。そして市長や地元有志を抱き込み、住民の賛成が51%以上に為れば勝ちだ。そう為れば、49%以下の反対派の住民が何を言おうがカジノはオープン出来る」
実際にカジノで国や自治体は儲かるのか。政府の方針では、カジノ収益の分配率は国15%、自治体15%、事業者70%だと云うが。
「カジノは産業の一つとしてネイティブの居住地区に作られる事が多いが、その場合、収益の配分は自治体70%事業者30%位。日本では数字が逆転して居るから驚いた」
予想通りに収益が上がら無かったらどう為るのか。今の処、IRのカジノは1店舗、IR全体のうち3%の面積とされて居るが。
「蓋を開けて収益が上がら無かった場合はカジノの面積を5%⇒10%と拡大して行く、それでも収益が上がら無ければ、カジノを増やして競争原理を働かせると云う方向に行くのではないか。しかしカジノが成功したら、それだけ損をする人が増える。カジノの成功は良い事では無い」
カジノに付きものな「売春システム」も必ず出来る
ギャンブルで負ける以外に、どんなデメリットがあるのか。
「一番怖いのは売春。カジノでは『飲む・打つ・買う』がセットだ。ラスベガスやマカオで遊んでいる客を呼ぶのに、日本だけ『女性が居ない』と云う訳にはいかない。裏でそう云うシステムは必ず出来る。言い方が悪いが、日本人女性は世界的に人気がある。横浜にカジノが出来れば、地元の女のコに声が掛かるだろう」
女性だけで無く子供にも影響が有ると云う。
「カジノの近くにはレストランやビュッフェ、ブティック等家族が足を運ぶ場所を作る。カジノの隣に保育所すら作る。子供達はカジノを目で見て耳で聞いて楽しみ『何時か自分も遊びに行ける』と思う。こうして次世代の顧客を育てる。カジノはソコに存在するだけで身体の一部になる。
『日本にカジノを作る必要は無い』唯々それを伝えたかった。横浜はカジノが無くても人が来る。粋な街だ。このママで良い」
カジノが国民を不幸にする事は火を見るよりも明らかだ。
取材・文 月刊日本編集部 ハーバー・ビジネス・オンライン
【月刊日本】げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」と云う偏狭な枠組みに囚われ無い硬派な論調とスタンスで知られる。
以上
【関連報道1】カジノ誘致を巡る「利権」と云う幻想 甘い汁を吸えるのは誰なのか?
〜ハーバー・ビジネス・オンライン 2019.11.10〜
カジノ誘致を巡る2つの「利権争い」
カジノ誘致に付いては、現在水面下の利権争いが段々激しさを増して居る。今回は、余り表に出て居ない「飛んでも無い話」も含めて解説する。
現状はカジノを含むIR(統合型リゾート)を何処に誘致するのかと、夫々においてどのカジノ運営会社に運営を委託するのかの2つの大きな「利権争い」がある。ドチラにも桁違いの利権が想定されて居り、各自治体を含めた各社各様の思惑が複雑に絡み合い、段々その激しさを増して居る様子がハッキリと見える。
カジノを含むIRの誘致は、取り敢えず2020年夏の東京オリンピック後に3か所に絞る様で、現状では大阪府・市と横浜市が先行して居る。残る1枠を長崎県と和歌山県が追って居る。更にその前段階の「検討中」には北海道、東京都、千葉市、名古屋市辺りが続く。
IRの誘致は2025年の万博も招致した大阪府・市(どちらも会場は大阪湾の人工島である夢洲)が日本維新の会主導で先行して居た。此処に来て官邸主導で横浜市(横浜港の荷揚げドッグを撤去して会場とする)と、検討中である筈の北海道(苫小牧市)が「当確」かの様に報じられて居るが、マダマダ流動的な処がある。
カジノ利権に食い込む「港湾局」の陰
振り返ると、日本において「カジノ」が最初に話題と為ったのは、1999年に東京都知事と為った石原慎太郎氏が都知事選挙中から「お台場カジノ構想」を提唱した辺りからである。
しかし今から考えてみると、この発言は「カジノ」よりも「お台場」の方に力点が置かれて居り、バブル真っ盛りの1989年に着工した臨海副都心計画(お台場)、2001年に決定されたとされる築地魚市場の豊洲移転計画と全く同じ構造であり、最初から東京湾岸に全ての利権を集中させる方策の1つだった筈である。
「お台場カジノ構想」も「築地魚市場の豊洲移転計画」も石原都知事や2000年に就任した浜渦武生副知事の影響力ばかりが大きく伝えられて居るが、臨海副都心計画も含めて一貫して「目立た無い様に」取り仕切って居たのが東京都港湾局であり、そこに膨大な利権が隠されて居たことは余り知られて居ない。
バブルが弾けて臨海副都心計画の見直しが議論された時、強行継続させたプロジェクトリーダーの高橋俊龍・副知事や、後にお台場の魚市場用地を東京都に売却する東京ガスに天下って居た今沢時雄・取締役等は東京都港湾局の出身である。(今沢氏は港湾局長だった)
詰まり当時も現在も、カジノ(東京に限らず各自治体の)港湾局が深く関わって居ることは覚えて置か無ければ為ら無い。
2000年代から加速した議員とカジノの関係
しかし、石原都知事のカジノ構想で、カジノ=利権と安直に結び着ける国会議員が続出し、2002年12月には早くも「カジノと国際観光産業を考える議員連盟(野田聖子会長)」が超党派で発足して居る。この議員連盟には「我も我も」と多数の議員の参加希望があり、その後も同じ様な議連には必ず参加者が200人近く犇めく状態が続く。
そして2006年1月には自民党政務調査会・観光特別委員会に「カジノ・エンターテインメント検討小委員会(岩屋毅委員長)」が発足し、自民党内で正式に議論が始まる。又この頃から、海外のカジノ運営会社が色んなツテを頼って委員会に接近し、勉強会だけで無く海外カジノ視察と称してアゴアシ付きの海外旅行に委員会メンバーを頻繁に「ご招待」する様に為った。
当時よく名前を聞いたカジノ運営会社は、MGMとWynn(ウィン)である。MGMはセガサミーと、Wynnはアルゼ(現ユニバーサルエンターテインメント)と、親密だったからである。
2009年8月に民主党に政権が移ってもこの流れは止まら無い。2010年4月にはこれも超党派で「国際観光産業振興議員連盟(IR連盟=古賀一成会長)」が発足し、この頃からカジノ法制化(合法化)の動きが出始める。当時の与党・民主党の方が積極的で、複数のワーキンググループを立ち上げてIR推進法案の準備を進めるも、2012年12月の総選挙で下野して頓挫してしまう。
政権交代を受けて自民党がIR議連を改組し、細田博之・元内閣官房長官が会長に就任。2013年6月に日本維新の会が単独でIR推進法案を衆議院に提出すると、自民党と生活の党が相乗りする形で「カジノを中心とした統合型リゾート(IR)を推進する法案」として同年12月に衆議院に議員立法で提出する。しかし、ロクに議論され無いうちに、2014年12月の衆議院解散で廃案と為る。
2015年4月に再び「統合型リゾート(IR)整備推進法案」として自民党、日本維新の会等が衆議院に議員立法で提出するも、自民党の連立相手である公明党が積極的で無い等の理由で審議される事は無かった。
工事需要は在れどその後の損益は誰も考えて居ない愚
法案は飽く迄も統合型リゾートの一環としてカジノを全国に何か所か解禁すると云う建て付けであるが、日本の各議員や主要企業等は全て「兎に角何でも大掛かりなハコモノ(統合型リゾート施設)を建てて、そこでカジノを開設させしてしまえば明日からでも外国人を含む観光客が押し寄せてカネを落として呉れる」と非常に楽観的に考えて居た。
そしてこの認識は現在でも殆ど変わって居ない。だから、カジノを含む統合型リゾート(IR)を誘致すること自体が「利権」だと考えられて居る訳である。確かに公共事業と同じで一度は工事需要がある為「利権」ではある。だが、その後の損益計算等は誰も考えて居ない。
「甘い汁」は全て海外のカジノ運営会社が吸う
サテ統合型リゾートに含まれるカジノであるが、日本人には当然にその運営ノウハウが無い為、海外のカジノ運営会社に「丸投げ」するしか無い。そしてこの統合型リゾートで唯一大儲け出来る処が、このカジノ運営である。
先ず統合型リゾート(IR)の運営主体は各自治体であるが、本来はテナントであり家賃を徴収し無ければ為らないカジノ運営会社から家賃も取らず、逆に高額の成功報酬等を支払う契約と為る筈である。又カジノ運営会社がこれ等ハコモノ建設の為の資金を出す事等絶対に無い。
確かにカジノ運営とは簡単では無い。世界中から大手客(大金を賭けても平気な大金持ち)を呼び寄せて適度に巻き上げ、同時に世界中から集まって来るイカサマ師を排除し無ければ為らない。日本人には絶対に無理である。
もし日本人がカジノを運営するなら、アッと云う間に世界中から腕利きのイカサマ師が押し寄せ、多分1日で数百億円位は持って帰られてしまう。消えた仮想通貨の様な問題が毎日起こる訳である。
一筋縄ではいか無い「カジノ運営」のノウハウ
余談であるが、イカサマ師で無くても偶々大勝ちしてしまう大手客も居る。その大手客をアノ手コノ手で帰さずカジノに留め、スッカリ取り戻すのも運営会社のノウハウである。実際にラスベガスでは自家用機で来た大手客が大勝ちすると、空港の管制官を買収して離陸許可を出させず、ホテル代も食事もサービスするからと誘われて帰って来た大手客からスッカリ取り戻してしまう事等お手の物。幾らでも裏技がある。
又大負けした大手客には賭け金を信用貸しする事もある。こう為るとモッと負けてしまうもので、その回収もカジノ運営会社の重要な仕事と為る。
更に余談を加えると、コンな大手客の1人に日本人の柏木昭男氏が居た。世界のカジノで大勝ちを続け、映画のモデル(1995年公開の映画「カジノ」にK.K.イチカワとして登場)にも為っていたが、1992年に自宅で何者かに暗殺されて居り、事件は迷宮入りしている。
この柏木氏が訪れたカジノの中にはトランプ大統領が経営して居たアトランティック・シティのトランプ・プラザ(2014年に倒産)も含まれる。実際に2人は面識があり、トランプが自分のカジノに誘った様で、結果は1勝1敗だった筈である。
カジノ無しでも訪日外国人が増える中、効果は有りや?
話を戻すと、カジノはパチンコと同じで運営会社の儲け=客の損失であり、運営会社は、顧客の損益(即ち自分の損益)を自由に調節する事が出来る。詰まり、客が日本人なら、日本人トータルの損益がプラスに為る事は「絶対に」無い。
トランプが大統領選に当選した2016年11月8日から僅か9日後の11月17日、安倍晋三首相は当選したばかりのトランプをNYの自宅(トランプタワー)に訪問して居る。しかし、安倍首相は(官邸も外務省も)次期大統領はヒラリーと「決め打ち」して居た為、トランプとのルートが全く無かった。
両者を繋いだのは、トランプの大スポンサーであるカジノ王のシェルドン・アゼルソン。この時、安倍首相は「日本も間も無くカジノを法制化(合法化)する」と口を滑らせてしまった筈である。
帰国した安倍首相は早速3年以上もホコリを被ったママに為っていた「統合型リゾート(IR)整備推進法案」を引っ張り出し、会期末の12月14日迄に衆参両院で決議する様に厳命。衆参両院とも僅か数時間の審議で強引に成立させてしまった。かくして日本でもカジノが法制化(合法化)されてしまった訳である。
当初のIR推進の目的は「外国人観光客の誘致」だったに違い無い。カジノ構想が出て来た2000年代の訪日外国人観光客は年間5〜600万人であり、カジノは外国人観光客誘致の1つの目玉と為って居たかも知れない。
処が日本を訪れる外国人観光客は2013年に1000万人を超え、2018年には3100万人にも為り、今後更に増えそうな勢いである。その日本を訪れる目的は多様化。日本は「親切で安全で文化的な国」との評価が固まりつつある。そこで「カジノが出来ましたよ」と言った処で、どれだけの効果があるのか? 次回は、日本のカジノ運営を何処が握るのかに付いて考えたい。
文 闇株新聞 2010年創刊 大手証券でトレーディングや私募ファイナンスの斡旋、企業再生などに携わった後、独立。証券時代の経験を生かして記事を執筆し、金融関係者・経済記者などから注目を集めることに。2018年7月に休刊するが、今年7月に突如復刊(闇株新聞) 有料メルマガ配信のほか、日々、新たな視点で記事を配信し続けている。現在、オリンパス事件や東芝の不正会計事件、日産ゴーン・ショックなどの経済事件の裏側を描いた新著を執筆中
【関連報道2】安倍首相 汚職発覚もカジノ推進
「桜」前夜祭 ホテル明細出さず 代表質問始まる
〜時事通信 1/22(水) 15:34配信〜
安倍晋三首相の施政方針演説等に対する各党代表質問が22日、衆院本会議でスタートした。首相は、汚職事件が発覚したカジノを含む統合型リゾート(IR)整備に付いて「高い独立性を有するカジノ管理委員会や国会での議論も十分に踏まえ、丁寧に進めて行きたい」と述べ、推進の方針を変え無い考えを強調した。立憲民主党の枝野幸男代表が「到底容認出来ない」と中止を要求したのに対して答えた。
内閣府のIR担当副大臣だった衆院議員秋元司容疑者(自民党離党)の逮捕に付いては「誠に遺憾だ。副大臣に任命した者として事態を重く受け止めて居る」と語った。
首相主催の「桜を見る会」を巡り、枝野氏は首相の地元支援者が多数参加して居た事を「公職選挙法違反の買収と実質的に何が違うのか」と追及。昨年4月に東京都内のホテルで開かれた会費5000円の「前夜祭」明細書を開示しない理由を質した。
首相は、自身の事務所がホテル側に問い合わせた処「営業の秘密に関わる事から、公開を前提としての資料提供には応じ兼ねる」との回答があったと説明した。招待者名簿が残って居ないか枝野氏が再調査を求めたのに対し、首相は「既に廃棄されて居ることを確認した」と拒否。電子データ消去時の端末記録の開示も「不正侵入等を助長する恐れがある」と拒んだ。
枝野氏は「政治とカネ」の問題を巡る菅原一秀前経済産業相と河井克行前法相の辞任に付いて「首相にも責任がある」と批判。首相は「一人ひとりが自ら襟を正すべきで、可能な限り説明を尽くして行くと考えている」と述べるに留めた。
自民党の二階俊博幹事長は憲法改正論議の在り方を聞いた。首相は「改憲に対する国民意識の高まりを確り受け止め、憲法審査会で与野党の枠を超えた活発な議論が展開されることを期待している」と語った。国民民主党の玉木雄一郎代表は、自民党改憲案の柱と為る自衛隊の9条明記に付いて「論理的整合性が取れていない」として取り下げを要求。首相は「問題があるなら憲法審で(対案を)提示頂きたい」と反論した。
以上
【管理人のひとこと】
安倍晋三氏も滔々(とうとう)落ちるべき処まで落ちてしまったのか・・・国内産業が軒並み疲弊し、これ以上落ち無い処迄弱り切ってしまった。遣る事為す事全て失敗し、日本は先進国最低の経済に陥って居る。辺りを見回すと、殆どの利権を漁り食い潰した。残るは最後に残された「公営博打」所謂、法律で禁じられた御法度の「ギャンブル」だけだ。
今までは、国や地方公共団体の税収の補完にのみ認められた「ギャンブル」を、利権獲得の為に「国に許可権の有る民間の事業会社に委託して利益を上げ様」とする「利権の塊」を作ろうとした。飽く迄国に指導権があり、尚且つ「民間業者が事業者」と為る、事業者・ギャンブル産業と国との間に発生する利権を漁ろうとする魂胆しか無い。案の定、この構想による政治家と事業者間での利権を巡る暗躍が始まってしまったのは、鼻から判って居た事だ。
それで無くともパチンコを初め、私達の周りには競輪・競馬・ボート・オート・・・数限り無い「ギャンブル」が揃い、無制限に門戸を開いて我々を待って居る。公営ギャンブルで収益を上げるのは、その対面に「ギャンブルで負けた」無数の国民が存在する。
誰かが負けたのを前提とする「公営ギャンブル」での収入を、今度は「民間事業者の利益」に献上する制度を作った。国民の負けた分を吸い上げる事業者から、今度は、国が吸い上げ様とする・・・鬼畜な振る舞い以外の何物でも無い。日本人の入場を制限し、飽く迄海外からのギャンブラーから収益を上げる目的だそうだが、誰が鴨にネギを背負わせて海外から遣って来るものか。甘い身勝手な構想で儲ける算段をするのは、時代遅れの博徒でも発想だにしない暗愚な政策だ。
ギャンブル場はIRの中の限られた面積であり、周囲には国際会議場やホテル・観劇・その他アラユル人を呼ぶイベント会場が主と為る・・・とするが、その様なものは民間や公共団体には既に無数に存在して居る。そこの中には維持費もママ為らぬものも在り、そんな状況も考えず、新たな土地で大掛かりな土建の利権を発生させ様とする・・・全てが利権より始まり利権で終わる・・・暗愚で醜い政策としか考えられ無い。span>
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徳川幕府は何故、260年も続いたのか〜家康の巧妙な分断政策
徳川幕府は何故、260年も続いたのか〜家康の巧妙な分断政策
〜童門冬二(作家) 2019年07月22日 公開〜
徳川家康
二分化された大名の役割
徳川家康は所謂「御三家」を創った。九男・義直、十男・頼宣、十一男・頼房の三人の息子を、夫々尾張、紀州、水戸の三藩に配し、徳川家を名乗らせた。しかしこれは必ずしも自分の息子達を完全に信頼した上での行為では無い。徳川家康の幕府創設とその運営方針は「分断支配」である。
詰まり組織を細分化し、夫々に責任者を置き、責任者同士の競争によって組織全体を活性化し、これを保とうと云う考え方である。
その大きなものが、大名を先ず譜代大名と外様大名に分けた事だ。譜代大名は三河国以来、徳川家が未だ松平家と云って居た当時から忠節を尽くして来た武士が大名に為ったグループである。外様大名と云うのは、過つては織田信長や豊臣秀吉の部下だった者が、関ヶ原の合戦や大坂の陣以降徳川家に忠節を尽くす様に為った連中だ。家康はこう云う転向者を信用しなかった。
だから、260年間、明治維新迄、徳川政権の政策担当者は全て譜代大名である。外様大名は絶対に幕政に参画する事は出来なかった。常に政権のカヤの外に置かれた。言ってみれば譜代大名は万年与党であり、外様大名は万年野党であった。
しかし、家康の分断政策は、この大名の二分化だけでは無い。モッと皮肉な扱いをした。それは政権を担当出来る譜代大名の給与は低く抑え、逆に政権担当者に為れ無い外様大名の給与を莫大なものにしたのである。加賀前田100万石、薩摩島津77万石、仙台伊達62万石、肥後細川55万石、筑前黒田52万石等がその例だ。
しかしそれは只高い給与を与えっ放しにしたのでは無く、参勤交代やお手伝い等によって、これ等の大名の財政が常に逼迫する様に仕向けたものだった。これも分断政策の一つだ。
ポストを複数制にした効果
又徳川幕府の管理職ポストを、全て複数制にした。一人の人間に限定しなかった。老中、若年寄、大目付、諸奉行アラユル役職ポストに二人以上の人間を配置する。そして「月番」と云って、一か月交代で仕事をさせた。周りから観れば夫々の仕事の評価が比較出来る。
言ってみれば、これ等のポストに就いた人物は、衆人環視の下で競争させられたのである。ドッグレースをさせられたのと同じだ。勢い能力をフルに発揮し無ければ為ら無い。ここにも家康の叡知があった。御三家も同じである。
童門冬二氏(作家)
御三家を創った時、家康は「徳川本家に相続人が絶えた時は、三家が好く相談をして相続人を決める様に」
と言ったと云う。その限りにおいては、
●家康は別に、御三家の中から相続人を出せとは言って居ない
●例え御三家の中から候補者を出すにしても、その順位は決めて居ない
と云う曖昧なものだった。この辺は家康の分断支配の巧妙な処で、彼は何時もこう云う不透明で曖昧な部分を残した。そして当事者が、アアでも無い、コウでも無いと考え尽くすのを期待する。意地が悪い。
しかし御三家側では、ヤガテ「徳川本家に相続人が絶えた時は、御三家の中から候補者を出す」と云う事に申し合わせた。が、順位に付いては別段の定めは無かった。その為に、何回か争いが起こった。
特に、第8代将軍を決める時に、尾張か紀州かの争いは切実なものと為り、その後にシコリを残した。しかしこの御三家の制度は、現在でも好く問題に為る後継者決定の時に「血か能力か」と云う問題を「飽く迄も血統を重んずる」と云うことに確定したと言って好いだろう。
この血統重視の方針は、その後何回か徳川本家に相続人が絶えた時の危機に対応する有力な論理として通用した。5代将軍から6代将軍への移行の時、7代将軍から8代将軍への移行の時、そして10代将軍から11代将軍への移行の時、更に13代将軍から14代将軍への移行の時に遺憾なく発揮される。
世界に例を見無い有効な管理システム
この御三家制で確立された「血の尊重」を、最も有効な論理として振り翳(かざ)したのが、幕末の井伊直弼である。この時も、列強の開国要求に迫られて、日本国内は騒然として居た。有能な将軍が出現し無ければ、この混乱は収まら無いと観られた。その為今までに無かった、将軍に対する期待条件として「年長・英明・人望」の3条件が世論として湧き起こった。この世論を京都朝廷も支持した。危機を感じた井伊直弼は、
「将軍を誰にするかと云うことは、徳川家内部の問題だ。例え年少の将軍が出現したとしても、その為に老中以下補佐役が控えて居る。徳川家に関わりの無い人物が、無責任に誰が好い等と云うことを言うべきでは無い」
と言って、当時「年長・英明・人望」の3条件を満たして居た一橋慶喜を擁立した連中を全部罰してしまった。安政の大獄である。従って徳川家康が創始した御三家制度は、
「徳川幕府を指揮する征夷大将軍は、全て徳川家の血を引く者の世襲制とする」
と云うことを260年間守り抜いたのである。井伊直弼が主張したのも、この御三家制度に根拠を置く論理である。その意味では、御三家だけでは無く御三家を取り囲む形で、アラユル役職、或は大名達に対し分断支配の網の目を隙間無く張りめぐらした徳川家康の叡知は、世界のどの国にも例を見無いシステムを創造したと言って好いだろう。
そして更にこれ等の武士の論理を貫く為に、士・農・工・商の四階級に日本人を分断してしまった身分制度は、色々な問題を生む。この事は目に見え無いソフトの面だけでは無い。目に見えるハードの面においても、例えば諸都市における「木戸(市内の要所に設けた警戒の為の門)」等によって、夜に為ればそこに住む住民が全く檻の中に住まわされて居る様なシステムが考案された。
従って、徳川幕府の管理は人的にも物的にも、現代で言われる「高密度管理社会」を、既に実現して居たと云うことが言える。
※本稿は、童門冬二著『信長・秀吉・家康の研究』(PHP文庫)より、一部を抜粋編集したものです。
【関連記事】徳川光圀は、何故『大日本史』を編纂したのか
〜童門冬ニ(作家)2019年02月21日 公開〜
徳川光圀
※本稿は、童門冬二著『歴史人物に学ぶ 男の「行き方」 男の「磨き方」』より、一部を抜粋編集したものです。
徳川光圀の若き日々
不良少年
徳川光圀の出生は、必ずしも幸福なものでは無かった。父の徳川頼房が歓迎しなかったからだ。頼房は、初代の水戸藩主だった。徳川家康は、九男、十男、十一男を夫々尾張、紀伊、水戸に封じて、所謂「御三家」を創った。もし、徳川本家に相続人が欠けた時は、この御三家の中から候補者を出すと云うことだ。
母は谷久子と云った。水戸藩に仕える武士の娘で、水戸城の奥勤めをして居た侍女である。頼房に愛されて光圀を身籠った。しかし頼房は、三木仁兵衛と云う信頼する家臣に久子を預け「生まれて来る子は水にせよ」と命じた。「水にする」と云うのは、当時の言葉で「間引き」といって、赤ん坊が生まれると直ぐその命を絶ってしまう慣わしである。
しかし三木仁兵衛は、非常に心の温かい人物で「この世で人の命程大切なものは無い」と信じて居た。三木は妻と相談して、主人の頼房には内緒で光圀を育てる事にした。母の久子は感謝した。
父の頼房が「水にせよ」と云ったのは、光圀が初めてでは無かった。久子は七年前にも、頼房の子を身籠った。その時も頼房は「水にせよ」と云った。その子も、三木仁兵衛夫妻はソッと育てた。これが、後の四国高松藩主に為る松平頼重で、この兄の存在が、ヤガテ光圀に大きな心の転機をもたらす。
光圀は幼名を長丸と云い、後に千代松と改めた。ヤガテ父に認知されて、世子(相続人)に指名されると、時の将軍・徳川家光から名前を一字貰って「光国」とした。「圀」と改めるのは50代に為ってからである。光圀は頼房の三男に為るが、2人の兄を差し置いて相続人に指名された。光圀は少しも喜ば無かった。
彼には子供の時から心に受けた深い傷があった。それを、三木夫妻は必死に為って隠したが、何時しか少年光圀の耳にも「千代松様は、本当は水にされるお子様だったのだ」と云う噂が入った。(父は、私を殺す積りだったのか?)と云う思いは、身体を骨の底からガタガタにする様なショックだった。
この頃は未だ戦国の余風が残って居て、武士らしさが求められたが、光圀は逆な生き方をした。三味線を弾いたりサイケな服装をした。自分でデザインを考えた衣類を、色取り取りに染めさせ、これを着て江戸の町を歩き廻った。
世間の人々は「水戸様の若様はマルでかぶき者だ」と云って指をさした。かぶき者と云うのは、元々は「傾く」から来て居る。只歌舞伎役者の真似をすると云うことよりも、拗ねて世の中に対し斜に構える生き方を云った。
事実、少年時代の光圀は斜に構えて居た。それは、胸の底にある父への不信感と怒りであり、同時に悲しみでもあった。彼は、その事を思い詰めると、真っ当に生きる事が出来なく為った。だから、斜に構えてかぶき者を気取り、江戸の町をサイケな格好で歩き廻るパフォーマンス活動を自ら許して居た。
詰まり「自分は、この世に生まれた時から不幸な星の下に育ったので、この位のことはしても好かろう」と云う気持ちであった。
云ってみれば、自分の個人的な不幸を社会への対抗要件として居た。斜に構える事は、自分の出生を喜ば無かった父を初め、世の中に対する報復でもあった。遊廓である吉原にも好く出入りした。此処で喧嘩もした。こうして、少年時代の徳川光圀は、世間から後ろ指を指されっ放しの、鼻持ち為らない不良少年であった。
しかし、頭は鋭く、大人が理屈に合わ無い話をすると直ぐ「そんな馬鹿な事は在り得ない」と矛盾点を指摘した。話し手は得意の鼻を折られて白ける。この「常に真実を追求する」と云う態度は、光圀が成人してからの邪教の追放や『大日本史』の作成等でも見受けられる。
『史記』で人生を悟る
父の徳川頼房は、光圀を跡目相続人と決めた時に、傅役として、伊藤玄蕃、小野角右衛門、内藤儀左衛門と云う3人の武士を着けた。伊藤と内藤は、役目の範囲内で光圀を育てた為、光圀がいかにかぶき者振りを発揮しても、余り意見を云わなかった。云っても聞か無かったからだ。
一人小野角右衛門だけがズケズケ意見した。口で云っても判らないので、小野は「諫草」と云うメモにして、シツコク光圀に読ませた。
初めのうち光圀は「うるさい」と云って「諫草」を跳ね飛ばして居たが、ヤガテ書かれて居ることに関心を持ち、目を留める様に為った。と云うのは、小野の書いた「諫草」の中には、中国の文献からの引用が多かったからだ。
孔子や孟子等の中国古代の聖人の言葉を引くと「貴方のこう云う行ないは、正に孔子や孟子の云う、人間としてやっては為ら無いことに当て嵌まります」等と書いてあった。光圀は小野の博識振りに感心し、次第に中国の人物と歴史に関心を持つ様に為った。
彼は『史記』と云う本を読み始めた。ズバリ説教調の孔子や孟子の本よりも面白かった。中国古代の人間の生き方が、活き活きと描かれて居たからである。偶々その中の「伯夷伝」と云う文章を読んで、光圀は大きな衝撃を受けた。
「伯夷伝」と云うのは伯夷と云う兄と叔斉と云う弟の物語だ。彼等の父は孤竹の国君だったが、死んだ時跡目を継ぐ者の指名をして居なかった。伯夷は、弟の叔斉に「父に愛されて居たお前が相続人に為れ」と云った。叔斉は「兄さんを差し置いて、私が家を継ぐ事は出来ません」と辞退した。何時迄話し合ってもまとまら無い。そこで兄弟は相談して「イッソの事、この国を捨てて、2人何処かで自然と親しみながら暮らそう」と決めた。
偶々、周と云う国に行った。ここの王である武王が、自分の仕える紂王を武力で退ける企てをして居た。これを知った伯夷と叔斉は、周の武王の馬の手綱に縋って止めた。「いかに悪王と云っても、主人を武力で追放する事は不忠に当たります。好くありません」
しかし武王は「紂王は悪王であって、既に王では無い。只の人間だ。私は只の人間を征伐しに行くのだ」と云って、言葉通り紂王を追放してしまった。
光圀はこの話を知って居た。そして、小野が頻りに引用した孟子は「周の武王の行為は正しい。紂王は悪王であって徳を失って居た。徳を失った王は王では無く匹夫である。周の武王が退治したのは匹夫であって、王では無い」
と武王を支持した。そして、孟子はこれを「放伐」と名付けた。孟子の放伐の理論は、下克上の論理として、戦国時代には日本でも活用された。処が、光圀が衝撃を受けたのは、孟子が肯定する周の武王の行為を、伯夷と叔斉は最後まで「間違った事だ」と否定した勇気に対してである。
もう一つ事情があった。それは、この頃の光圀は既に自分に頼重と云う兄が居て、四国高松の藩主に為ったことを知って居た。同時に、その兄も罷り間違えば水にされて、生まれて直ぐアノ世に送られて居たかも知れ無いことも知って居た。
同じ生まれ方をしたのにも関わらず、兄を差し置いて自分が水戸徳川家の当主に為った。その事が、光圀にはズッと引っ掛かっていた。彼の非行の一因にはこの兄の存在もあった。「伯夷伝」を読んで感動した光圀は、水戸徳川家の今後の相続に付いて、途轍もない方法を考え出した。
同時に、それ迄の非行をピタリと辞めた。真面目な相続人に為り、民を治める知識や技術を学び始めた。そして、根底に為る「愛民」の思想を学んだ。光圀は生まれ変わったのである。『史記』と云う一冊の本が、光圀に根源的な自己変革を促したのだ。
大義を正す日々
寛文元年(1661)7月に、父の頼房が死んだ。59歳だった。8月19日、光圀は跡を継いで水戸徳川家の第2代藩主に為った。
藩主に為って直ぐ光圀が出したのは「殉死禁止」の令である。殉死の禁止は、既に徳川本家でも触れて居たが、全く守られて居なかった。将軍が亡く為る度に、多くの武士が殉死した。
10年程前、3代将軍・徳川家光が死んだ時も多くの大名や旗本が後を追って腹を切った。人命尊重の気持ちを募らせて居た光圀は、父の死に対して藩の武士が腹を切る事を禁止した。この厳命は守られて、水戸家では父・頼房の死に対する殉死者は1人も出なかった。
光圀は、自分の政策を発表した。
● 民政を重視し、農民の暮らしを豊かにする
● 『大日本史』の編纂を続行する
● 領内に水道を建設する
● よこしまな宗教を禁止する
● 農民の負担を軽減する為に、雑税の幾つかを廃止する
等であった。そして、最も藩内を驚かせたのは、相続人を定める方法である。光圀は「今後、水戸徳川家の相続は、四国高松の松平家と交代で行なう」と宣言した。皆目を見張った。光圀は実行した。即ち、兄・頼重の息子である綱条(つなえだ)を養子に迎えた。頼重には「私の息子を、高松の世子にして貰う」と告げた。頼重は「そこ迄遣らなくても好いのではないか」と云ったが、光圀は承知しなかった。
18歳の時に読んだ『史記』の「伯夷伝」の衝撃が、ズッと胸の中に残って居た。三男の自分が、兄の頼重を差し置いて水戸の当主に為ったことに、何とも云えない後ろめたさをかんじて居たのである。
水戸領内の民政を重視して、民の暮らしを豊かにしたいと云うのも、そう云う後ろめたさの裏返しであった。同時に『大日本史』の編纂を続行すると宣言したのも、その為であった。『史記』の「伯夷伝」に感動した光圀は(日本にも、探ってみればこう云う事例が沢山あるのではないか。それを掘り起こして整理し、後世に伝えよう)と思いたったのである。
『大日本史』編纂の企ては、彼が当主に為る前の明暦3年(1657)から行なわれて居た。彼が30歳の時である。江戸駒込の中屋敷に史局を設け、編纂に従事する専門の学者達を集めた。特別な予算も用意した。この事業は相当な金食い虫であったので批判も多かった。
しかし光圀は、藩主に為ってもこの編纂は続けると宣言したのである。実を云えば、この『大日本史』の編纂は明治39年(1906)迄掛かる。250年に渉る大規模な修史作業であった。彼は『史記』によって学んだ「人倫の道」即ち「大義を正す」と云うことを、水戸藩内だけで無く、日本全体のコンセンサスにしたかったのである。
『大日本史』と云う本は、南北両朝に分かれて居た頃の皇統問題に言及し「南朝が正統である」とした。その為、楠木正成や新田義貞達が忠臣と為り、足利尊氏達は逆賊と呼ばれた。しかし、足利3代将軍・義満の時に、南朝の後亀山天皇は、北朝の後小松天皇に「三種の神器」を渡し両朝は合一した。そして以後は、後小松天皇系の天皇が続いて今日に至って居る。
光圀の意図は何処にあったのだろうか。『大日本史』の思想は、後に「水戸学」と呼ばれ、幕末の尊皇運動の理論的根拠に為る。南朝を正統とし北朝を偽朝とすれば、徳川政権は足利政権と違って正当な武士政権として存立出来る。天下の副将軍・徳川光圀の真意はこんな処にあったのでは無かろうか。
しかしその後、水戸思想は独り歩きをし、幕末の志士を奮起させた。もし、光圀に初めから倒幕思想があったとすれば、そう云う危険思想の持ち主を、幕府が副将軍として扱う筈は無い。この辺は謎だ。もっと追究されるべきテーマだ。
愛される「ご隠居」に
光圀は、元禄3年(1690)10月14日に藩主の座を退いた。63歳だった。後は、約定に従って四国高松藩主・松平頼重の子綱条を指名した。徳川将軍は、家光の後4代目は家綱が継いだが、家綱が死んで5代目に綱吉が就任して居た。処が、綱吉は有名な悪法である「生類憐みの令」を出した。これが拡大解釈されて民衆が酷い目に遭った。
光圀は、この綱吉の悪政を諫める為に、藩主の座を退いたのだとも云われる。隠居の身なら思い切って意見が出来るからだ。それ迄の彼は副将軍として江戸城で政務に励んで居た。が、綱吉には柳沢吉保と云う側近が居て、殆どこの2人で政治が行なわれて居た。ナカナカ光圀には口を出す機会が無かった。又、綱吉も光圀を煙たがって居た。
西山荘
隠居した光圀は、常陸(茨城県)の太田と云うところに引っこんで「西山荘」と名付けた隠居所に籠った。『大日本史』の編纂は、駒込から小石川の本邸に移された彰考館で行なわれて居たが、これも水戸に移した。西山荘に移った光圀は、付近に梅の木が多かったので自分の号を「梅里」と名付けた。
身近に『大日本史』を編纂する有名な2人の学者が居た。佐々宗淳(さっさむねきよ)と安積澹泊(あさかたんぱく)である。2人は『大日本史』の記事を正確にする為に好く諸国を探索して歩いた。
宗淳の通称は介三郎、澹泊の通称は覚だったので、これが後の「助さん・格さん」に発展したのだと思う。『水戸黄門漫遊記』そのものは、全くのフィクションである。光圀が歩き廻ったのは、常陸国内か、精々近隣の地域に過ぎない。恐らく、佐々と安積が歩き廻ったことが漫遊記に発展したのだろう。
『大日本史』の編纂は相当な金食い虫であり、又この編纂に携わる職員を優遇したので、藩内でも不平の声が多かった。光圀がこの頃寵愛して居た家臣に、藤井紋太夫と云う男が居た。才覚があるので光圀は重宝して居たが、この藤井が将軍・綱吉の側近・柳沢吉保に接近した。
2人の動きを見て居ると、どうも光圀を力の無い立場に追い込む様な企てをして居る。藤井にすれば『大日本史』が余りにも金を食うので、この編纂を辞めさせようとしたのかも知れない。これを知った光圀は、或る日突然、藤井を刺殺した。天下は驚いた。
光圀は同じ頃、江戸城に出掛けて行っては将軍・綱吉に『大学』等、中国の古典の講義を行なった。暗に「生類憐みの令」の様な悪法を、早く廃止すべきだと云う意見である。しかし、綱吉は聞か無かった。綱吉も又「生き物の命を大事にしたいと云うのは私も同じだ。だから、小動物の命を大事にする事が、即人間の命を大事にする事に繋がるのだ」と云って聞か無い。光圀は「そんな馬鹿な事は無い」と云ったが、綱吉とは見解の相違があった。
『大日本史』の編纂だけで無く、この頃の光圀は頻りに領内を歩き廻った。藩主に為った時に約束した上水道も笠原水道として完成して居た。怪し気な宗教も全部無く為っていた。善政を行なったので、領民は光圀を「黄門様」と呼んで敬愛した。
元禄13年(1700)12月6日、光圀は死んだ。生前の行ないを偲んで「義公」と贈名された。73歳だった。黄門と云うのは官位で中納言の事を云う。従って、中納言であれば誰もが黄門で、光圀の専売特許では無い。しかし、黄門と云えば直ぐ徳川光圀を思い出すのは、矢張り彼の人徳だろう。
子供の頃、危うく「水」にされそうに為った彼は「人間の傷の痛み」を知って居た。自分の傷の痛みを知るからコソ、他人の傷の痛みが判った。それが弱い人間への優しさや思い遣りに為った。黄門漫遊記は、そう云う彼の気持ちをシンボライズしたドラマだ。明治22年(1889)の憲法発布の直後から流行し始めたと云う。明治天皇の積極的な地方巡幸と、果たして関わりは無かったのだろうか。
以上
童門冬二氏(作家)
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危機的な少子化問題 新しい発想で対策を考える
危機的な少子化問題 新しい発想で対策を考える
〜現代ビジネス 1/19(日) 11:01配信〜
〜少子化が急速に進んで居る。急激な少子化が数々の深刻な社会問題を引き起こす事は、徐々に常識に為りつつある。少子化を何とか押し留め様と、政府は様々な手を打って来た。にも関わらず、少子化の勢いは鈍って居ない。少子化のスピードを遅らせる為には「何故人は子を持つのか?」と云う根本的な問題を考えてみる必要がある。動機付けの問題である。そこからは、これ迄とは全く違った少子化対策が浮かび上がって来る〜
少子化対策の限界
これ迄、様々な少子化対策が実施されて来た。が、その最大の問題は、どの対策も充分な効果を上げて居ないことである。児童手当の支給・保育園への助成等、施策は多岐に渡るが何れも少子化にブレーキを掛けるには至って居ない。
もうひとつの大きな問題は、対策の多くが予算措置を必要とする事である。少子化対策に「成功」した例として、好くフランスが挙げられるが、そのフランス並みの対策を講じ様とすると、7兆円近い追加予算が必要に為ると試算されて居る。(1)
一方、国の財政にはユトリが無い。「赤字国債」の残高は883兆円に上り、国民1人当たり700万円もの借金をして居ることに為る。(2)「先進工業国」の中では、突出した額の借金である。GDP(国内総生産)に対する比率でみると、フランスの場合、国債の残高はGDPとホボ同程度(96.3%)だが、日本の場合は、2倍半近く(236%)にも為る。(3)フランス並みの対策を講じる事は、極めて困難なのである。
生物学的な動機付け
これ迄の少子化対策は、何れも「誰もが『子を持ちたい』と望んで居る」と云うことを前提にして居る。子を持ちたくても、シバシバ「経済的に余裕が無い」「仕事と子育ての両立が難しい」と云った障害があり、その障害を取り除く事が、少子化対策の主眼に為って来たのである。
確かに、多くの人は「子を持ちたい」と望んで居る。この望みは、自分の遺伝子を残そうとする生物の基本的な欲求に根ざして居る。しかし、こうした生物学的な動機付けだけで充分なのであれば、ソモソモ少子化問題が生じる筈は無い。
遺伝子を残す為の生物学的な仕組みは、身体的には受精に繋がる行為が脳内の快中枢を刺戟する事であり、心理的には恋愛感情が生じる事である。処が、避妊や中絶の技術が発達した結果、こうした生物学的な仕組みは、出産には繋がら無く為って来た。生物学的な動機付けは、少子化対策の基盤としては、効力が弱まって来て居るのである。
子育てのコスト
一方、子育てには大きなコストが伴う。子を1人育てる為には、1千万円掛かるとも、2千万円掛かるとも言われる。夫婦と子供2人の世帯では、第2子が大学に進学すると子育てのコストは可処分所得の70%にも達すると云う。(4)
更に、子育ては多大の時間と労力を要する。子育てと並行して仕事を続け様とすると、重い負担に喘が無ければ為ら無い。かと云って、子育てに専心すると、キャリアが中断して出世や昇給の上で不利に為ることが多い。一人親家庭の場合は、ソモソモ「子育てに専心する」と云う選択肢は無い。子が非行等の問題を起こす危険もあり、自分が子を虐待してしまう危険もある。
子を持つ事を促す生物学的な動機付けの効力が弱まる一方で、子を持た無いことを促す社会的な動機付けは強まって来て居るのである。生物学的な動機付けの中には「子を持ちたい」と望む心理的な欲求も含まれているが、これには個人差があり、子供を「うるさい」とは感じても、特に「可愛い」とは感じ無い人も居る。
価値観にも個人差があり、子を持つ事よりもキャリアを重視する人も少無く無い。子育てに何千万円もの金額を費やすより、その金額を自分の為に使いたいと考える人も居る。そうした人々は「子を持た無い」と云う選択肢を選び、少子化が進行する事に為る。
経済的な動機付け
しかし、過去を振り返ってみると、子を持つ事には、生物学的な動機付けの他に、経済的な動機付けも働いて居たことが分かる。年金制度が整備される前は、年老いて働け無く為った時、充分な資産が無い限り、老後の生活は自分の子に支えて貰う必要があった。
年少児の死亡率が高かった時代には、子が居なく為ってしまうと云う危険を避ける為に、多くの子を設けて居た。子に恵まれ無ければ養子を取ることもあった。しかし、年金制度が整備された現在、老後の生活を支える為には、子を持つ必要は無い。年金が支えて呉れる。詰まり、現在は経済的な動機付けも働か無く為っているのである。
年金制度の落とし穴
その年金の仕組みを見ると「現役世代が支払って居る保険料を原資にして、高齢者に年金を支給する」と云う形に為っている。その「現役世代」は、子を持た無い人に取っては他人の子である。即ち、子を持たずに年金を受給して居る人は、他人が育てた子供達に老後を養って貰って居ることに為る。
子を育てる為には何千万円かの費用が掛かるが、子を持た無い人はそれを自分の為だけに使う事が出来る。老後は、他人が何千万円かの費用を賭けて育てた子供達に生活を支えて貰う事が出来る。言い換えると、子を持つ人から子を持た無い人への所得移転が生じて居る事に為る。
子を持た無い人は子を持つ人に「只乗り」して居る訳で、経済学で言う「フリーライダー問題」が生じて居ることに為る。これは道義的な問題として捉える事も出来る。何れにしても、経済的な動機付けは、現在では、子を持つ事を妨げる方向に作用して居るのである。
ストレートな対策
少子化のスピードを緩める為には、子を持つ事への動機付けを高める必要がある。生物学的な動機付けの効力が低下して来て居る現在、経済的な動機付け迄が子を持た無いことを促進して居る様では、少子化は進むばかりである。経済的な動機付けが子を持つ事を促進する様に、社会制度を設計し直す必要がある。
ここ迄の考察から自然に出て来る少子化対策は「子を持た無い人には年金を支給し無い」と云う年金制度の改革であろう。この改革が実施されれば、経済的には、子を持た無いことは有利では無く為る。子を持つ人から子を持た無い人への所得移転も無く為る。
キリギリス問題
しかし、このストレートな対策には問題もある。「キリギリス問題」である。イソップの寓話「アリとキリギリス」を想起しよう。現役の時には退職後のこと等考えずに、貯蓄もせず子も持たずに裕福な暮らしをしてしまう「キリギリス」が出て来る可能性がある。こうした「キリギリス」は、退職後、年金が支給され無ければ忽ち困窮することに為る。
「キリギリス」の数が少なければ「自業自得」と突き放すことも出来るだろう。しかし、数が多く為れば、社会不安の源に為りかねないので、放置する事は出来ない。
また、将来、自分が年金を受給出来ないと云うことに為れば、保険料を支払おうと云う動機付けは消える。その結果、子を持た無い人が保険料を支払わ無く為れば、年金制度を維持する事は困難に為る。従って「年金を減額する」事位は可能かも知れないが「年金を支給しない」と云う対策は現実的では無い。
現実的な対策
それより現実的で、しかも効果が期待出来る対策は「子を持た無い人には、社会保障(年金と健康保険)の保険料を増額する」と云う措置である。どれだけ増額するかは、子育ての費用を基準にして考えることになる。
現在は、子を持た無いことが経済的に有利に為っている。しかし、子を持た無い人の保険料が高く為り、子育ての費用と変わら無くなれば、子を持た無いことの経済的な利点は消える。経済的な動機付けが子を持た無いことを促進する事は無くなる。一歩進んで、子を持た無いことが経済的に不利に為る様に増額幅を設定することもできる。
「子を持た無い人には年金を支給しない」と云うストレートな対策の場合は、現役世代には年金の受給が遠い将来の事に感じられて「キリギリス問題」が生じる恐れがある。しかし「子を持た無い人の保険料を高くする」と云う対策の場合は、毎月、高い保険料を実感する事に為るので、経済的な動機付けが働き易くなる。子を持つ事が経済的に不利で無くなれば、或は有利に為れば、子を持つ人が増えると期待する事ができる。
年金改革の利点
この対策の最大の利点は、予算措置を必要とし無いことである。国が膨大な借金を背負って居る現在の財政事情の下でも実施が可能である。
仮に「出生数を増やす」と云う効果が充分に大きく為らなかったとしても、保険料の増額によって生じた財源は、子育て支援など他の少子化対策に振り向ける事ができる。フランスで効果を上げた少子化対策が実施できるかも知れない。
近年は、非正規雇用の増加などに伴って、低所得層の割合が拡大して来ており、特に年収が300万円に満たない層では「そもそも結婚すること自体が難しい」と云う問題も出て来た。財源が増えれば、こうした層の税額控除を拡充する等、結婚を支援する対策も実施出来る。又、保険料の増額に、所得に応じた累進制を導入すると云う措置も考えられる。
出生率が低下する原因の一つは、晩婚化だと言われている。また、結婚はしても、出産を遅らせる結果、子を持とうとした時には高齢になっていて、出産が出来なくなっている、或は出産が1回しかできなくなっている、という問題も指摘されている。
子を持たない人の保険料が高くなれば、高い保険料を支払い続ける事を避け様する心理が働いて、こうした晩婚化や出産年齢の高齢化に歯止めが掛かる可能性もある。
大義名分
この対策には道義的な大義名分がある。現在は、子を持たない人は、他人が育てた子どもたちに老後を支えて貰っている。しかし、子を持たない人の保険料を増額すれば「国の将来を担う新しい世代を育てる為に、国民全員が公平な経済的負担をする」と云うことに為る。子を持つ人から子を持た無い人への所得移転は無くなり、先の「フリーライダー問題」も解消する。
少子化対策の財源を増やす為には「西欧諸国並みに税金を引き上げる」と云う方策が提唱されて居り、何れ、れが必要に為るかも知れない。しかし、この方策を取った場合は、子を持た無いことが経済的に有利になると云う現状は変わら無いことに為る。
従って、この方策には経済的な動機付けの効果を期待する事が出来ない上に、年金制度の公平性と云う点に限っては大義名分も無い。
目前の危機
日本の人口は10年程前から減少に転じた。この先、人口は、崖から突き落とされる様な勢いで減って行くと予想されている。50年後には8千万人近くに迄落ち込むと云う予測もある。(5)人口がピークだった2008年頃と比べると、4千万人以上減る事に為る。これは、東京を中心とする首都圏(1都7県)の現在の人口がソックリ消えてしまうことに相当する。
今後50年の間、少子化は人口の高齢化と同時進行することに為る。生産年齢人口が減り続ける一方で、年金を受給する高齢者の人口は増え続けて行くのである。何れ、現役世代は高齢者を支え切れなくなり、年金制度は崩壊する恐れがある。
年金改革は不利益か?
これまでの少子化対策は、助成金、無料化など、何れも経済的な利益を供与する形を取っていた。一方、「子を持た無い人の保険料を増額する」と云う措置は、子を持た無い人に経済的な負担を課す事に為る。その為この対策の実施には大きな困難が予想される。子を持た無い人は、保険料の増額と云う政策には好意的に為れないに違い無い。
しかし、保険料の増額に反対して居ると、自分が高齢者に為った時には、年金制度が崩壊して居て、年金が受け取れ無く為っているかも知れない。人口の急減に伴って国内需要も急減し、自分の仕事が無くなってしまうかも知れない。
今後、現役世代の割合は減少して行くが、保険料の増額と云う対策は、現役世代が減り過ぎると現実的では無く為る。現役世代の人口が未だ60%近い割合を占めて居る今が、最後のチャンスかも知れないのである。
【出典】
1. 「子どもと家族を応援する日本」重点戦略検討会議 2007年4月 (金子隆一 (2019) 「人口減少社会の歴史的位置づけ ― 2つの人口転換」)。
2. 平成30年度現在。財務省「財政に関する資料」2019年5月30日
3. 平成30年4月現在。財務省「財政に関する資料」2019年5月30日
4. 厚生労働省「今後の子育て支援のための施策の基本的方向について」 1994年12月16日
5. 国立社会保障・人口問題研究所 「日本の将来推計人口(平成29年推計)」
近未来ビジョン 以上
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秀吉か森蘭丸か 明智光秀「信長殺し」8人の真犯人
秀吉か森蘭丸か 明智光秀「信長殺し」8人の真犯人
〜SmartFLASH 1/19(日) 6:31配信〜
今日から放送されるNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の主人公は明智光秀。ドラマのクライマックスとなるのが、アノ「本能寺の変」だ。1582年6月2日、天下統一を目前にして居た織田信長が、家臣の明智光秀の謀反により本能寺で自害。
だが光秀は「中国大返し」で戻った豊臣秀吉に敗れ、その天下は僅か11日で終わった。「戦国時代、最後にして最大の下剋上」と云われる。主君・信長にパワハラを受け続けた結果の謀反・・・詰まり「光秀の 私怨 が原因」というのが、人々が持つ本能寺の変のイメージだろう。だが近年、これを覆す「新説」が次々と発表されて居る。
今回、紹介するのは、黒幕や共謀者と囁かれる8人の真犯人 。荒唐無稽な説もあるが、思わず膝を打つ説も。歴史上の大事件にも関わらず、未だ「信長殺し」の謎が解明され無いのは何故か。
「信頼性の高い1次史料が、限られて居る為です。学者や作家は、自説の補完材料として、2次史料・3次史料を恣意的に利用する為、基本的な事実すら定まらず論旨が噛み合わ無いのです」
歴史アナリストで『明智光秀の生涯』(三笠書房)の著者 外川淳氏(56)はそう語る。
「黒幕が居ると云う説を提起する人は、真実を解明したい訳では無く、歴史エンタテインメントとして支持を得られれば好いのでしょう。歴史学での研究成果を論拠としながら、ソコにフィクションを追加することで、真実を解明した幻想 を与え続けて居るだけとも云えます。
私自身は『光秀は、黒幕に操られて謀反へ追い込まれたのでは無く、自らの意思で天下簒奪(さんだつ)を決めた』と考えて居ます。『共謀者も居た』と考えますが、山崎合戦で光秀が秀吉に敗北した事で、共謀者自身が証拠を消し去った筈です」(外川氏、以下同)
大河ドラマでは、光秀の「謎めいた前半生」に光が当たる。
「光秀は謀反人と見做され、秀吉の時代には、血縁者や関係者は、その事実を隠さざるを得無かった。その為、光秀に関して信頼に足る史料の殆どが失われ、生年月日や生まれた場所、父の名前さえ不明なのです。
しかし生涯を辿ると、知性と行動力で逆境を克服した優れた武将だった事が判ります。精神状態が不安定で、突発的に謀反した様に語られますが、それは類まれなる名将に対する名誉毀損。天下人と為ることを夢見て、チャンスを逃さ無かった。僅かでも天下を奪い獲った成功者だったと思います」
以下では、8人の “真犯人” についての新説を、外川氏に解説してもらう。あなたの知らない光秀がくる。
真犯人(1)豊臣秀吉
天下統一を目前にして居た信長に取って代わり、自らが覇者と為る為に、秀吉が光秀を謀反へと導いた・・・と云う説。最終的に、本能寺の変で最大の利益を受けたのが秀吉だった事や「中国大返し」の不自然な迄の動きの早さ等が根拠とされる。
「黒幕と迄は云えませんが『光秀との共謀があった』とする事は否定し切れ無い有力な仮説。信長に対する不信感・警戒心は、光秀も秀吉も持って居た筈です。共謀の証拠は、勝者・秀吉により抹消されたとも考えられます」(外川氏の見解・以下同)
真犯人(2)徳川家康
「家康は『信長が自身(家康)の殺害を光秀に命じた』と察知し、光秀と共謀して返り討ちにした」と云う説。信長と徳川家康は同盟関係にあった。しかし、家康は嫡男と妻を信長の命により死に追い遣られて居た。「本能寺の変」直前、家康が光秀から持て成しを受けて居たことも根拠だ。
「光秀と家康の接点は、それ程無かった筈ですが、この両者に仕えた武将が存在します。『この武将が、両者の間を繋ぐスパイ、或は連絡役の様な役割を演じ、謀議を交わした・・・』と想像する事も可能でしょう」
真犯人(3)濃姫
斎藤道三の娘で、後に信長に嫁いだ濃姫を『本能寺の変』の中心人物だと疑う説。『光秀と濃姫は、従妹であり幼馴染み、更に恋仲でもあった』と云う見解を前提として居る。信長を含めたこの3人の三角関係が変を引き起こしたとする筋立てだ。
「ドラマとしては面白いのですが、光秀の出自自体が謎であり濃姫と血縁関係の可能性は低い。とは云え、血縁関係が事実なら、光秀は主君・信長と、濃姫は出世街道を走るエリート・光秀と縁戚に為り・・・互いに好都合です」
真犯人(4)足利義昭
「信長の後ろ盾で将軍と為りながら、後に京を追放された足利義昭が光秀を決起させた」とする説。義昭は京を追放後、毛利氏等の庇護を受けながら、反織田の有力武将と連絡を取り、打倒信長の策謀を続けて居たことは、幾つもの書状等から確認されて居る。
「光秀は、義昭に仕えて居た時期が有り、彼の軽薄な人間性を知り尽くして居た。義昭は『本能寺の変』の頃には既にその価値に見切りを着けられて居り、仮に関与して居たとしても黒幕程の影響力は無かったとみる」
真犯人(5)長宗我部元親
「目前に迫った四国征伐を回避する為、長宗我部元親が光秀と共謀した」とする説。光秀と元親は、近年再検証された「石谷家文書」により、密接に関係して居たことが裏付けられている。光秀は信長を倒した後、元親の協力を得られる事を期待して居た。
「『石谷家文書』からは、光秀と元親の深い関係を知る事が出来る上に、この文書が、光秀に謀反を決意させた可能性迄もある。とは云え『共謀の証拠』と迄は言い切れません」
真犯人(6)正親町(おおぎまち)天皇
「朝廷が信長を京へ誘き寄せ、光秀に襲撃させた」とする説。「本能寺の変」が起きる直前の5月、朝廷(当時は正親町天皇)は、信長に「関白」「太政大臣」「征夷大将軍」の何れかへの就任を打診した。根底には、光秀が朝廷と築いて居た密接な人脈の存在がある。
「『本能寺の変』前後の状況から、光秀と朝廷で謀議する事は可能。仮にその様な事実があっても、光秀が秀吉に敗れた時点で、証拠は抹消されたでしょう。否定は出来ませんが、実証する事も不可能」
真犯人(7)森蘭丸
石原慎太郎の著書『信長記』で示された説。信長に対する森蘭丸の愛を主軸に描いた戯曲作品で、最終的には「信長の愛情を独占し心中する為に、蘭丸が光秀を唆(そそのか)し『本能寺の変』を起こさせた」とする。所謂、BL・ボーイッシュラブ的なストーリー。
「『本能寺の変』を大胆に推理する為に、提起されたひとつ。史実としては齟齬(そご)が生じます。但し、蘭丸の小姓(秘書)としての役割を再評価すると、謎解明の為の新しい方向性と為る可能性も秘められて居る」
真犯人(8)イエズス会
信長は、海外の勢力とも密接な関係を築いて居たが・・・「自らを神格化して、余りに大きな野望を持つ信長を、イエズス会が危険視し光秀を唆し謀反に導いた」とする説だ。だが論拠には、資料の誤読や論理の破綻があり否定的な意見が多い。
「戦国時代の日本は、スペインやポルトガル等、南蛮国からの侵略の危機に脅える様な、不安定な国家ではありません。その為、外国人宣教師の政治的影響力は皆無に等しく黒幕等には、為り様がありません」
週刊FLASH 2020年1月28日号 以上
「関連記事」文章で紐解く 明智光秀が信長討った真の狙い
〜東洋経済オンライン 加来 耕三 1/19(日) 5:20配信〜
織田家一の出世頭、明智光秀は何故「本能寺の変」を起こしたのでしょうか?
日本史の大い為る謎と称されるものの中に、明智光秀が織田信長を弑逆(しいぎゃく)した「本能寺の変」が挙げられます。
次に挙げたのは、その光秀が謀叛(むほん)に及ぶ1年前に、自らの家臣団に宛てて述べた「家中軍法」の一節を現代語訳したものです。内容自体は、明智の兵としての心構えや軍編成に付いての記述なので、詳細は省略しますが、最後の締めの部分は興味深い文章です。
「家中軍法」のポイントは?
「右の通り軍法を定め置く上は、実戦経験者は尚精進を怠らず未熟の者は好く理解せよ。私は瓦礫沈淪(がれきちんりん・瓦や小石の如く沈んで居た境遇)の様な低い身分から、信長様に取り立てられて、この様な莫大な軍勢を任される迄に為った。
軍律も好く弁(わきま)えず、武勇も功績も挙げ無い者は、国家(織田家)の穀潰しで、公のものを掠〈かす〉め取るにも等しい。日々精進して居る者からは軽蔑・嘲笑の対象にもされるであろう。奮起して抜群の功績を挙げた為らば、必ず信長様に報告し、重く取り立てるであろうから、この家中軍法を好く守って欲しい。
天正九年六月二日 日向守光秀」
この時、光秀は主君である信長に、我が身の出世を感謝して居ます。これは「本能寺の変」の1年前。光秀本人が「瓦礫」(価値の無い者)と表現して居る様に、彼の前半生は、21世紀の令和の時代に居たっても尚、悉くが謎に包まれたママです。
「本能寺の変」の動機も、光秀その人も全て不詳・・・好く美濃源氏の土岐氏の系譜に連なって居たとか、明智城の城主の息子であったとの話を耳にしますが、これ等は悉く、江戸時代中期に編纂された『明智軍記』の記す処であり、この書籍は「史料的価値には乏しいが類書も少無いので便宜使用されて居る」(国史大辞典)に過ぎ無い「軍記物」であり、全体が「物語」で、内容に史実では無い記述も多い、根拠の確認出来ないものでしかありません。
只、明らかな事は、この人物が歴史の表舞台に登場してから「本能寺の変」迄、足った14年しか無かったことです。永禄12年(1569年)正月、光秀は確かな記録『信長公記』(太田牛一著)の中で、信長が京を留守にした機会を捉えて、三好三人衆が信長の後押しをする15代将軍・足利義昭を京の六条・本圀寺(ほんこくじ)に攻めた折、立て籠って奮戦した多くの人数の一人に数えられて居ました。
それが僅か2年後、元亀2年(1571年)9月には、織田家筆頭家老の柴田勝家・信長のお気に入りの羽柴(後の豊臣)秀吉等を差し置いて、織田家中で最初の「城持ち」(城将では無く領地着き城主)の身分と為りました。
拙著『心をつかむ文章は日本史に学べ』でも詳しく解説して居ますが、何故光秀は「中途採用」でありながら、織田家においてこの様な異例のスピード出世を遂げる事が出来たのでしょうか。
言葉の問題が大きかった
取っ掛かりは、意外にも「コミュニケーション能力」でした。この時代には、我々が考える以上に「言葉の問題」がありました。室町時代の後期から戦国時代には、ソモソモ明治に創られた標準語が存在しませんでした。信長は丸出しの尾張弁を話し、光秀が仮に美濃出身者為らば、彼はどうにか隣国の信長の言葉が理解出来た筈です。
九州の人と関東・東北の人が京の都で出会ったとしても、恐らく会話は成立し無かったでしょう。江戸時代に入っても、コミュニケーションの基本であるこの言葉の問題は、ナカナカ解決しませんでした。筆談「文章」にして相手にそれを見せ、相手も「文章」で応ずるか、さも無ければ謡(うたい・能の声楽部分)の節を着け、言葉を発して理解を乞うかで、他に方法はありませんでした。
江戸時代「火事と喧嘩は江戸の華」と云われましたが、何故、喧嘩が頻繁に起きたのか? 筆者は「言葉が互いに通じ無かったから」だと考えて来ました。これでは諸事に困ると云うことで、武士の世界では、諸藩は藩士を代々江戸に住まわせて「江戸っ子」を作り、標準語に近い共通の言語を要約持つ事に成功しました。
戦国時代は大変です。こうした方言に加えて「男言葉」と「女言葉」が分かれて居たのです。平安中期に書かれた随筆『枕草子』には、聞いて違った感じを受けるものとして、清少納言は、法師の言葉と男の言葉・女の言葉・下衆(げす・身分の低い人)の言葉を挙げています。
例えば、味の好い事を男性は「うまい」と云い、女性は「いしい」と云いました。これに接頭語が付いて、今日の「おいしい」が誕生したのです。
戦国時代の日本では、この様に男性言葉と女性言葉が峻別されて居り、更には身分上の独特の言い回しがこれに重なり、その上での地方の乱雑な言葉が入り乱れた時勢でもありました。到底、何れも同じ日本語とは思え無いし聞こえません。
言葉すらがこの調子です。礼儀・仕来(しきたり)の煩雑さは相当なものであり、室町風の武家が操る礼式言語「外交」には、専門職が成立して居ました。
室町幕府が成立した折、殿中作法が定まって居らず、諸大名は雑然と屯(たむろ)し喧騒するだけで、何れが上位者か下位の者かそれすら明確化されて居ませんでした。貴人をそれなりに迎え、応ずる作法が無ければ、将軍と云えども尊重される筈がありません。
慌てた幕府は、行儀作法に弓馬術・・・詰まり武芸の作法に、禅の「清規」(修行上の約束事)を加えた礼法を小笠原貞宗に創らせました。これが小笠原流礼法です。これを当時の流行語では別に「行儀」と云いました。狭くは振る舞い・仕業(しわざ)の事であり、広くは立ち居振る舞いの全てを指しました。
筆者は、明智光秀が織田信長に最初に認められたのは、この「外交」の専門職としてでは無かったかと推察して来ました。加えて、行政官も出来れば、合戦の采配を振らせても光秀は抜群の才を発揮しました。信長の「天下布武」を助け、王手迄持って行った最大の功労者は光秀であった・・・と筆者は考えて居ます。
その織田家一の出世頭、ナンバーツーとも云うべき彼が、では何故「本能寺の変」を起こしたのでしょうか?
光秀を「本能寺の変」に向かわせた理由
筆者は、信長とのコミュニケーション不足・・・本来、筆も文章も得意の筈の光秀が、心身の疲労から、敢えてコミュケーションを自ら断つ方向へ向かった事が、何よりも大きかった様に思います。
光秀は諸文献上、信長より6歳以上〜18歳以下の年上と為ります。その光秀が、天正4年(1576年)11月に、糟糠(そうこう)の妻を病で亡くし、自らも病床に伏してしまいます。同じ頃、光秀の同僚であり織田家の最高幹部・方面軍司令官の一人であった佐久間信盛が、大坂本願寺攻めの長期化・不首尾を理由にクビに為り、高野山へ追い遣られる事件が起きました。
同様に、信長の幼少期から仕えた老臣・林秀貞や美濃併合に活躍した安藤守就(もりなり)等が、それコソ取るに足ら無い様な理由でクビに為る事件もありました。光秀は心身共に疲れ切った頭で、自分の行く末を考えた事でしょう。
九州縁の「惟任(これとう)」の姓と「日向守」の官名を、彼は信長から授けられて居ます。好敵手である羽柴秀吉の中国方面軍の次は、自らが九州征伐に臨まねば為りません。この時、光秀は、自らの未来を悲観したのではないでしょうか。既に、何でも相談出来る唯一の妻もこの世には在りません。疲労した頭でフト魔が指した様に「今なら信長を亡き者に出来る」と。
光秀は「空白地帯」の京の都へ、信長が少数の供だけを連れて入って来る事を、誰よりも詳しく知って居ました。信長の盟友・徳川家康も上洛中で、堺に居る事も、光秀は当然熟知して居ます。
天生10年6月2日・・・
天正10年(1582年)6月2日、光秀は本能寺を急襲して、信長を滅ぼしました。6月5日には秀吉の属城・長浜城と丹羽長秀の居城・佐和山城を陥落させて居ます。しかし、最も頼みとする親戚である細川藤孝・忠興父子への相談は後回しにしてしまい、その為「三日天下」は決定的と為りました。
結局、光秀は「中国大返し」で畿内へ駆け着けた秀吉の軍勢と山崎に戦い、一敗地に塗(まみ)れて、最後は落武者狩りの農民の手に掛かってその生涯を閉じました。
光秀が何故、得意の文章力・コミュニケーション能力を駆使して「三日天下」を「不朽の天下」にする努力をし無かったのか。云え、それ以前に、主君・信長との溝をどうして埋め様とし無かったのか。それを筆者も理解出来ずにいるのが正直な処です。
妻を失った時、病後の体調の優れ無かった段階で、光秀が得意の文章力・コミュニケーション能力を発揮して、自らの隠退を信長に認めさせて居れば、日本の歴史は大きく方向を変えた様にも思われるのですが。光秀の悲劇は、現代でも形を変えて起こり得るものです。我々は、先人の知恵・言動に学ぶべきかも知れません。
加来 耕三 歴史家・作家 以上
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