2020年01月25日
「国技」大相撲が戦前から批判されて来た大きな矛盾
【管理人】 数あるプロスポーツの中で、大相撲程小難しく面倒なものは無い。異常な太り方で互いに力一杯ブツ駈り合い投げ飛ばすのだから怪我をして当たり前。身体を守る一切の防具も使わず裸で・・・プロレスの様に互いに意思疎通もせず逃げ場も無く真剣に?対峙するのは半ば異常だ・・・と私は思って居る。
父親が高校の相撲部の顧問をして居た事もあり・・・一人が序の口で入り活躍したが十両迄は行けなかった・・・余程の鍛錬か持って生まれた天賦が無ければ永くは続けられ無いものだ。これをスポーツと呼べるかどうか。
そして、私は「若・貴」の作られた大相撲人気にとても疑問を持っている。千代の富士の実力に比べると貴乃花はアマチュアの域は超えて居ない。それは、NHKとメディアが作った楼閣だ。以来、大相撲はスポーツ好きな私からは、余り好きでは無いものへと為ってしまった。誰かが「相撲道」と誇らし気に語っているが、それは全く架空の話だ。更に品格と云うが、それを指摘し語るご本人がどうなのか。品格とか「相撲道」を語るのであれば、それは神の領域の人が云うものである。
「国技」大相撲が戦前から批判されて来た大きな矛盾
〜JBpress 1/24(金) 6:00配信〜
『叱られ、愛され、大相撲!「国技」と「興行」の100年史』(胎中千鶴著 講談社選書メチエ)
長きに渉り愛され、そして世間から叱られ続けて来た大相撲。相撲はどの様にして「国技の様なもの」と為ったのか。度重なる不祥事を乗り越えて来た大相撲をどの様に捉え、どの様に付き合って行けば好いのか。「スー女」である胎中千鶴氏が大相撲への愛と苦悩を語る。JBpress
(※)本稿は『叱られ、愛され、大相撲!「国技」と「興行」の100年史』(胎中千鶴著、講談社選書メチエ)より一部抜粋・再編集したものです。
「国技の様なもの」
余り知られて居ないが、大相撲の主催者である公益財団法人日本相撲協会の定款では、協会運営の目的を「太古より五穀豊穣を祈り執り行われた神事(祭事)を起源とし、我が国固有の国技である相撲道の伝統と秩序を維持し継承発展させる為」と明記して居る。
そう為ると、本場所や巡業等も「国技である相撲道」の継承と発展の為に行われて居る事に為る。ビール片手に焼き鳥を頬張って居る場合では無いのだ。
相撲に「道」を付けて「相撲道」と称するのであれば「国技」に邁進する者達には「武士道」を連想させる様な真剣な態度が求められる。中でも実践者の頂点に立つ横綱は、単なる興行団体の稼ぎ頭やスポーツ選手とは異なる立場なのだから、土俵上でも私生活でも品性高潔で無くてはダメ、と云う理屈に為る。近年目にする「横綱の品格」とやらも、この様な「国技」の枠組みから生じたものと云え様。
とは云え、「国技」と云う定義は飽く迄協会が唄って居るだけで、相撲が日本の国技であると規定する明確な根拠は見当たら無い。日章旗や「君が代」は法律で国旗・国歌に定められて居るが、国技にはそれが無いのだ。
詰まり「国技の様なもの」と云うモヤモヤした認識を、日本人がメディアを介して何と無く共有して居る、と云うのが実際の処だろう。
一人横綱の支え
この「国技の様なもの」を巡る議論が近年最も沸騰したのは、多数の外国人が角界に入門し、上位に進出し始めた2000年代後半である。朝青龍等外国出身力士の素行が問題視され「国技の危機」として警戒する論調が高まった。メディアが盛んに「伝統」や「神事」を語る事に、何処か排他的な空気を感じた方も居るだろう。 2010年(平成22)朝青龍が引退した。10月の断髪式を終えた彼は「生まれ変わったら、大和魂を持った日本人横綱に為りたい」と、痛烈な皮肉とも受け取れるコメントを残して日本を去った。
アレから9年が経つ。その間に大相撲界は、2011年の大規模な八百長行為の発覚で存立そのものが危ぶまれる事態を迎え、それをモンゴル出身の白鵬が一人横綱として必死に支え続けた。事ある毎に自身の目標として、伝説の横綱双葉山や大鵬の名を挙げ、過剰な程に日本的な力士として振る舞おうとした当時の彼の姿を、心に留めて置きたい。
その後も外国出身力士の活躍が続いた所為か「相撲=国技」と云う世間の固定観念は以前に比べて薄らぎつつある様にも見える。だが、稀勢の里や貴景勝等の「日本出身力士」にメディアが過剰に注目したり、横綱を特別視して「国技に相応しい品格」を求めたりする風潮は、未だに根強く存在する。
蔵前国技館
国技館の誕生とピンチ
1954年9月、満を持して蔵前国技館が完成した。総工費2億3千万円、1万1千人収容の大型施設である。新しい国技館の誕生は、協会に取って新時代の幕開けとも云えるが、追い風に為ったのはそれだけでは無い。
前年の1953年5月場所から始まったテレビ中継コソが、その後の大相撲人気を盤石なものにしたと云える。同年5月にNHK、続けて9月以降は民放各社も放映を開始した。家族そろって茶の間で観戦する「テレビ桟敷」が可能に為ったのである。
そして1955年5月、協会関係者に取って最強のサポーターとも云うべき昭和天皇が国技館を訪れた。戦後初の天覧相撲である。8年半の全国行幸を終え、心置き無く大相撲を楽しめる様に為った天皇が、その後足繁く国技館に通い続けた。
こうして戦後の大相撲は、国技館と云う大舞台と、その貴賓席に頻繁に登場する天皇の存在によって、他の娯楽・スポーツと一線を画す「国技」としてのステイタスを再び手に入れたのだった。
しかし、ホッとしたのも束の間、1957年春、協会は戦後最大のピンチに直面した。衆議院予算委員会と文教委員会で、財団法人としての大日本相撲協会の在り方や財政面の問題点を指摘されたのである。同年3月2日に、日本社会党の辻原弘市議員が灘尾弘吉文部大臣に、協会の営利化を指摘、マスコミもこの問題を一斉に報じる事と為った。
『回顧録』によると、武蔵川の処には知人の社会党代議士から事前に連絡が入って居り「ドンブリ勘定では無いか」「営利主義に走り過ぎて居る」等の世評を受けて辻原等が動き出した事を承知して居た。
一報を聞いた彼は「何を云ってるのだろう」「他人からケチを付けられる様な事は毛頭無い」と思ったと云う。
協会の抱える矛盾
だが、公益性を重んじ「国技」としての相撲の指導と普及に努めるべき協会が、建前とは裏腹に興行収益を優先して居る実態は今に始まった事では無い。1925年に認可されてからこの年まで32年間、協会は公益法人と云う錦の御旗に守られて運営を維持して来たものの、その内実が抱える大きな矛盾は、戦前も度々批判の的と為った。
戦後の混乱期には、国民もそれ処では無かったのだろうが、1950年代後半と云えば、日本が経済復興を遂げ、大相撲がメディアを通じて再び注目される様に為った時期である。そうした社会の変化によって、改めて「営利主義」が世間の耳目を集めたと云う側面もあるのだろう。
1957年4月3日、病気療養中の出羽海理事長(藤島秀光)に代わり、武蔵川が文教委員会の公聴会に参考人として出席した。彼の他に現役力士代表として幕内の若瀬川、更に協会OBとして和久田三郎(元・天龍)永井高一郎(元・佐渡ヶ嶽)も招かれ、夫々現在の協会の在り方に付いて意見を述べた。
質問側は、辻原他、佐藤観次郎・川崎秀二・柳田秀一等自民党と社会党の委員である。この時点で協会は既に8項目の改革案を提示して居た為、公聴会ではこれに基づいて意見交換が行われた。
会議上の焦点のひとつと為ったのは、その頃マスコミでも取り上げられて居た茶屋制度である。茶屋とは、本場所の切符と館内の飲食物販売を一手に請け負って居た店のことで、理事長を初め協会内の有力者の家族や親戚が経営するものが多く、当時は20軒程存在した。
彼等は、主に企業や馴染みの上客にノミ切符を販売するので、一般客が個人的に切符を手に入れる事は困難だった。又、切符や飲食物の値段は「ご祝儀」と称され、価格を設定しない場合もあった。この様な不明朗で非近代的な慣習に国民が厳しい目を向けたのは、テレビ中継によって「国技館の大相撲」が全国的に可視化された事と、矢張り無関係では無いだろう。
更に、相撲指導者を養成する教育機関に関しても意見が求められた。協会設立時に定めた「寄付行為」(定款にあたる基本規則)では、日本の「国技」たる相撲道の維持興隆に努め、それによって国民の育成を図ることを協会の目的として居る。その具体的な事業のひとつが「相撲専修学校」の設置だが、未だに実施に至って居ない点が問題と為ったのである。
ここでイメージされる学校とは、全国の地域社会や教育現場に相撲を普及させる為の指導者の養成機関であろう。力士経験者や体育教員を受講生と想定するもので、戦時中に佐渡ヶ嶽が私費を投じて開いた長野県の戸隠山道場等がそれに近い。
処が、この件に付いて委員に質された武蔵川は「学校制を設けまして、それを卒業した者を幕下或は十両と矢理ましても(中略)ナカナカ力士と云うものはそれ一方では完成出来無い訳です」と、シドロモドロの答弁を行って居る。
詰まり彼は、財団法人の事業として設置すべき指導者養成機関を、興行に従事するプロ力士養成の場と捉えて居たのである。当日の議事録を見る限り、全般的にソツナク意見を述べた武蔵川だったが、殊専修学校の件に限っては激しくピントがズレた遣り取りに終始した。
待った無しの組織改革
こうした協会の、認識不足に付いて、和久田は公聴会の場で次の様に痛烈に批判した。
・・・33年もホッポラかして置いて、今頃に為って至急取り掛かると云う事は、いかにも私は協会幹部諸公がズルいと申しますか、その場逃れの考え方で、こうした文書を、文面的に見ますると何か盛んに改革をする様な事を言って居りますけれども、結局ホッカブリ主義で、人の噂も七十五日で、その内又何とか為るのだろうと云う様な甘い考えで、この改革案を発表したのではないかと私は察せられるのであります。(「第26回国会衆議院文教委員会議録第15号」1957年4月3日)
1932年の春秋園事件の中心人物として大相撲の改革を求め、その後満洲で相撲教育に力を注いだ和久田の言葉には説得力がある。学校設置問題以外にも、不明朗な会計制度、高い席料、既得権益に執着する茶屋等、25年前に彼が指摘した旧弊を未だに抱え込んで居る協会には、流石に愛想も尽きるだろう。
満洲から帰還後の和久田は、銀座の中華料理店や名スポーツ用具店経営等複数の事業で成功し、1952年からはラジオ東京(TBSラジオの前身)で、辛口の大相撲解説者としても活躍した。この直言居士、協会に取っては最後迄面倒な存在であったに違い無い。
公聴会ではこの他にも、各委員が力士の給与・退職金等にも言及したが、武蔵川は、既に協会が提示した改革案に沿って、茶屋制度廃止、専修学校設置、力士の待遇改善等の対策を講じる姿勢を示した。その為特段の紛糾も無く、協会としては何とかピンチを切り抜けた形と為った。
しかし、事はこれだけで収まら無かった。公聴会から1カ月後の5月4日、出羽海理事長(藤島秀光)が国技館内の協会取締室で割腹自殺を図ったのである。発見が早く一命は取り留めたが、理事長の親族が経営する茶屋の隠し所得の発覚を恐れたからだろうと噂された。これによって協会の組織改革は待った無しの局面を迎える事に為る。
1957年5月、自殺未遂で療養中の出羽海理事長が辞表を提出し、新理事長として時津風(元横綱双葉山)が就任した。
武蔵川の『回顧録』によると、新理事長は「全く寡黙の人」だった。「向かい合って話を始めても、話が詰まると30分でも1時間でも黙って座って居る」程だと云う。半面、一度部下に任せた仕事に付いては一切口出しをしないタイプなので、武蔵川に取っては馬が合う上司だった様だ。伝説の横綱の登場は、それだけで協会のイメージアップに貢献した事だろう。
これを機に協会は、組織改革を一気に進めた。茶屋制度の廃止、力士の月給制度の採用の他、安定収入確保の為に現在に続く1年六場所制に踏み切った。一方で行司や年寄の定年制も実施し、人件費の増大に歯止めを掛けた。
但し懸案の相撲専修学校に付いては、協会が飽く迄新弟子養成機関の設置に拘った様で、結局1957年10月に「相撲教習所」が置かれた。これは、新弟子が6カ月間、相撲の歴史や文化等教養科目を学ぶ場所と云う形態で、現在も運営されて居る。
千代の富士
翌1958年には、財団法人日本相撲協会と改称、イヨイヨ名実共に新生相撲協会が歩み始めた。その後、土俵上には次々とスター力士・名横綱が現れ、夫々の時代を築いて来た。1960年代の柏戸・大鵬、1970年代初頭の北の富士と玉の海と、それに続く輪島・北の湖。1980年代に入ると千代の富士が「ウルフフィーバー」を巻き起こした。
1985年1月、再び両国に新しい国技館が完成した。総工費150億円、収容人員1万1千人、四角形の大屋根を持つ堂々とした外観は、今も両国のシンボルとして健在である。その後の1990年代の平成の若貴ブーム、21世紀に入ってからの朝青龍、白鵬等モンゴル勢の活躍は未だ記憶に新しい。
相撲の品格
しかし、2007年以降、角界では立て続けに不祥事が起きた。相撲部屋内の暴行、横綱の暴力、力士の薬物使用、暴力団が絡む野球賭博、八百長疑惑等、半世紀の間組織内に貯め込んで居た膿が、次々と出されたかの様である。
協会は関係者を解雇したり引退させたりする事で何とか事態を収拾しようとして来たが、評判と信頼は地に落ち、再びそれを取り戻すのには長い時間が必要だった。この10年は、大相撲の現代史において最も深刻な時代だったと云えるだろう。
この時期、世間の厳しい目が向けられた角界に対して、メディアや識者が盛んに使う様に為ったのが「品格」と云う言葉である。2005年のベストセラー、藤原正彦『国家の品格』から火が点いた「品格」ブームが、不祥事続きの大相撲にも及んだらしい。
力士の素行だけで無く、立ち合いの乱れや仕切りの形骸化、勝負が着いた後の駄目押し等、土俵上のルールやマナーにもイチイチ注文が付き「品格」が求められる様に為った。
そして、そのお手本とされたのが双葉山である。受けて立つ相撲や、泰然自若とした土俵態度等、全てが模範的だと云うのだ。更に、これに便乗して出版された双葉山の著書『横綱の品格』(2008年)も話題に為った。
と云ってもこの本は、1956年刊行の『相撲求道録』の復刻版(1979年)に、第48代横綱大鵬幸喜の序文などを加え、書名を変えただけのものである。半世紀の時を経て、正か自分が「品格」ブームの一翼を担う事に為ろうとは、故人も予想だにし無かっただろう。
胎中 千鶴 以上
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