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posted by fanblog

2020年01月14日

チームメイトへの文句や暴言。

「ここにこう動け」
「なにやってんだ!」

「なんで〇〇しないんだよ!」
「ちゃんと見とけよ!」



先日のバスケ練習中、チームメイトへの
文句や暴言を言いがちだった選手が
やり過ぎなくらいに大暴れ。

試合は当然のようにボロ負け、
最悪な雰囲気のまま終わってしまった。

僕は「聞き流そう流そう」と必死だったものの、
気になるものは気になり、どんどん委縮。

最後の方はシュートを打つのも怖くなり
エアーボールまでやってしまった。



以前の記事で、
人に強い言葉を平気で言う心理を
分析してみたことがあった。

ただ、今回は周りが眉をひそめるくらいに
暴言がひどかったので、

悠長に「本当は自信がない裏返しなんだ」などと
客観視する余裕なく、心が折れてしまった。

→「強気な仮面の下は怯え。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/191/0



チームの代表も頭を抱えていた。

「彼は人数がギリギリだったら呼ぶことがあるけど、
今日ぐらいひどい日が続くようならもう呼ばない」
と憤慨していた。

1メンバーの僕でもきついのだから、
チームをまとめる立場から見たら
本当に頭が痛いだろう。



僕自身もその日は
同じコートに立ちたくないくらい
辛く腹立たしかった。

けど、一夜明けて理性を取り戻し、
客観的に見られるようになると、

笑えない冗談や、人を傷つけるようなからかいを
好き放題に言いまくる彼が少しかわいそうに見えた。



今まで誰も注意してくれる人がいなかったのかな。

言いたいことを何も我慢せず
好き放題言うのが許される環境で育ったのかな。

それとも、親や周りも同じように
好き放題に暴言を言いまくる人ばかりで、
ずっと傷つけられて育ったのかな。

そんな言葉が日常的に飛び交う毎日で、
冗談じみたけなし合いやブラックジョークが
当たり前のコミュニケーションだと学んだのかな。



その人の身体的な特徴を平気でいじったり、
僕自身は離婚歴があることをいじられたり、

人を傷つける冗談を言ってはいけないと
学ぶ機会に恵まれなかったのかな。



せっかくバスケが好き同士で知り合えて、
しかもかなり実力がある選手なのに、
自分の周りから人が離れていくことに気づかない。

彼が他のチームから出入り禁止にされているかは
わからないけど、

そこに気づこうとしないせいで
練習させてもらえるチームが減っていったら
もったいないな。



実力があって、自分の中で
こう攻めるべき、守るべきという
確たるイメージがあるんだろうな。

自分の思い描いた通りに周りが動かなかったり、
自分の理想的な試合運びじゃない状態を
きっと許せないんだろうな。

100パーセント彼のイメージ通りにプレーすれば
きっと何も言わないんだろうけど、

そんなことは難しいし、
彼のためにプレーしてるわけじゃない。

的を射てる指摘だけを受け止めて、
それ以外の雑言は流すしかないんだろうな。



捉え方によっては「上から目線」かも知れないが、
可能な限り冷静に、客観的に見た感想を
言葉を選びながら挙げてみた。

これだけ熱くなるくらいだから、
バスケが相当好きで負けず嫌いだろうし、
タフで闘争心が強い選手なんだと思う。

ただ、その表現方法を間違えてしまうと
1人がいくら上手くてもチームは勝てないし、
周りもついて来ない。

僕は普段は気さくに会話できる関係で、
いい面をたくさん持ってることを知っているだけに、

なおさら「もったいない」と思ってしまう。


posted by 理琉(ワタル) at 18:05 | TrackBack(0) | 人生観

2020年01月13日

生活保護廃止決定通知書。

2020年1月1日付けで
生活保護が廃止された。

12月中に区役所から
廃止になる見通しと電話をもらっていたが、

今年に入っても特に書類が届いたり、
電話があったりはしなかった。

→11月に生活保護の受給を開始。
 「生活保護開始決定通知書。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/352/0

→12月に保護廃止になる電話をもらう。
 「生活保護、廃止の見通し。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/403/0



歯医者と精神科にかかるために
国保に入る必要があったので、

国保加入手続きに行った際に
生活保護課から廃止通知書を手渡しでもらった。

忙しくて郵送が遅れていたそうだ。



地獄演説の大ダメージと引き換えに
親から受け取った資産を使い、

保護開始から廃止までに受け取った費用と、
その間10割負担でかかった医療費の合計、
約34万円を返還する。

返しても手元には100万円以上残るので、
就職して稼ぎ始めたお金と併せて
しばらくはこれでやっていく。



こんなに早く生活保護を卒業するとは思ってなかったが、
かといって何年も受給を続けるイメージも
できていなかった。

昨年は本当に不安と重圧に押し潰されそうな毎日で、
目の前を乗り切ることに精一杯だったから、
イメージどころじゃなかったかも知れない。

平穏な日々がほしいと言い続けたのとは裏腹に、
ことごとく暴風吹き荒れた1年だったけど、

結果的には最も大きな問題だった
「親への決定的な諦め」につながった。

→親の中にあるのは不安と自己愛、僕の姿はなかった。
延長戦決着、戦利品は”諦め”。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/389/0

→自分へ依存する親の姿をはっきり見る。
 「子どもの逃げ道を塞ぐ”生活保護封じ”。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/393/0



今後どういう思いに変わっていくかわからないが、
今この日この瞬間の気持ちとしては、
「あぁ、廃止になったか」。

渡された資産があるとはいえ、
本来なら「収入が…生活が…」などと
今後の不安をもっと考えていてもおかしくない。

なのに、今のところ大して焦りもせず、
不安も動揺もなく淡々と受け止めている。

以前に書いた覚えがあるけど、
僕にとって一番大きな障壁であり問題なのは
生活でも稼ぎでもなく親だったことがわかる。

今までだったら大崩れするところ、
親問題に比べたら「ああそう」と思ってるあたり、
良くも悪くも楽観的でいられるようになった。



このまま生活保護を継続で受けていたら、
本来は必要だった引っ越しをする機会がなかった。

生活保護を受給しながらの引っ越しを
経験してみたかった気持ちはあるが、
動きづらい真冬に大きな環境変化がなくてよかった。



何にせよ、ここからは収入の申告もないし、
何を持つのも自由であり自分次第。

意気込むでもなく淡々と始まった、
本当に自由な自分の人生に、何を描いていこうか。

それを考えつつ、これまで通りこつこつと、
できることを毎日積み上げることにする。


posted by 理琉(ワタル) at 18:49 | TrackBack(0) | 人生観

2020年01月08日

驚愕の、1日1000アクセス。

自分の記事が
Googleアプリの「おすすめ記事」欄に載ると

一気にアクセスが集中するという
Google砲の話を書いたことがある。

→「Googleからの初アクセス記念。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/290/0

今回、またこのGoogle砲を疑うような
信じられない数字が目に飛び込んできたので、
その辺を書いてみようと思う。



日中に記事を編集し、夜はバスケで外出。
この日のアクセス数は夕方で100未満。

帰宅し、再び記事を編集しようとすると、
アクセス数が1000を超えていた。

不在にしていた数時間で900アクセス。



びっくりして調べてみると、
GoogleやYahooからの流入はゼロ。

検索ワードからの訪問もゼロ。

?!

何があった?!

出どころは謎ながら、
とりあえず初めての1日1000アクセスを祝う。



アクセス数なんて単なる数字とはいえ、
Google砲の記事でも書いたけど
気になってしまうのが人情。

自分のブログがどれだけ成長しているかを
具体的な形で見られる1つの方法なので嬉しい。

もちろん、それだけ多くの人が
自分の考えを読んで何か思ってくれてることも嬉しい。



広く世界に役立つ情報を発信してるわけじゃない、
極めて私的な体験やそれについての考えを書いている。

そんな一市民の私的な意見なんて、
ほしい人いるの?というのは時々思う。

もっと役に立つような有益なことを
取り上げるなりしてもいいんじゃないかと、
商業的な目線に傾きそうにもなる。

そう思うたびに再確認するのは、
ほしがられるために書いてるんじゃない、
自分が書きたいから書いてるってこと。

他人のために義務感でやってるんじゃなく、
自分がやりたいからやってるってこと。



自分が思っていることを、
誰に邪魔されるでもなく、自由に表現できるところ。

頭で考えてるだけではまとまらないものを
書き出すことによって整理させてくれるところ。

そうすることで、自分の本当の気持ちに
気づかせてくれるところ。

そして、自分が作ってきたものの成長を
感じられるところ。

最初は単に
「1日1000アクセスにびっくりした」
感想を主張したかっただけなのに、
書き進めるとこんなに自分の気持ちが出てきた。

深く考える癖は、話を掘り下げることに
うまくつながってる。



僕が家族に求めて得られなかったもの、
自由に自分の感情や考えを表現する場所。

1つの記念を迎えた今回、
自分のために書いてるんだよってことを、
初心として再確認できた。
posted by 理琉(ワタル) at 18:07 | TrackBack(0) | 人生観

2019年12月28日

生活保護、廃止の見通し。

不本意ながらも、
親から受け取れる資産が見つかったことで、
生活保護の廃止が見えてきた。

返還してもらう金額の計算が完了次第、
1月上旬をめどに保護廃止を予定していると
担当のケースワーカーから連絡があった。



返還するのは11月、12月の2回分と、
その間にかかった病院の費用。

※生活保護の受給中、医療費は
 国が10割負担するため保険証を返還する。

精神科と、歯科に一度かかったので、
その分は返さなければならない。



先日の直接対決の時、
「実はまだ、別途で渡せる通帳がある」と
父がわざわざ区役所で暴露してくれたので、

次にもし困窮しても生活保護が使えないという
少し不利な状況。

→「子どもの逃げ道を塞ぐ”生活保護封じ”。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/393/0

就職したとはいえ障害者雇用枠、
給料は高くなく、質素な生活は続く。



不安になってもおかしくない状況ながら、
今はなぜか楽観的でいられる。

あんな親と接触するなんて絶対嫌だと
ずっと思っていたが、

親のことを決定的に諦められたからか、
万が一の時は文句言えばいいや、ぐらいに思っている。

言い方は悪いかも知れないが、

地獄演説は自分しか見えていない愚行、
実の子に拒絶されてるのにまだ変わらないなんて
憐れな人たちだ、そんな心境。

一生そうやって、人のせいにして生きる人たちに
真剣に傷ついてきた自分がバカみたい。



まだ廃止が正式に決まっていないが、
生活保護を受ける上でのデメリットや
マイナスな体験をほとんどしなかったのは
恵まれていたと思う。

受ける前も、受けた後も、変わらず、
目の前のことに精一杯ぶつかる日々。

僕の場合、受給が決まってからの動きが激し過ぎて、
それどころじゃなかったのかも知れない。



何にしても、廃止が正式に決まったら、
願わくばもう生活保護に頼ることのない人生にしたい。

決して嫌だったからではなく、
親問題を乗り越えた先、本当の自分の人生は
自分で道を作っていきたいから。

ただ、もし本当にどうにもならなくなって、
また行政の助けを借りることになった時は、
変な意地を張らずに保護課に駆け込みたい。

この先は、どうにもならなくなることも含めて
本当の自分の人生だから。
posted by 理琉(ワタル) at 00:42 | TrackBack(0) | 人生観

2019年12月27日

400記事目。

僕の人生の軌跡を書き続けて、
これが400記事目となる。

3月に100記事目、
6月に200記事目、
9月に300記事目と、

自分らしく
コツコツ地道に積み上げてきたかなと思う。

→「100記事目。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/102/0

→「200記事目。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/202/0

→「300記事目。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/302/0



最近ではGoogleやYahoo、Twitterなどから
キーワード検索で見にきてくれることが
少しずつ増えてきて、

自分のブログが成長していることを
嬉しく思う。



今年はとにかく予想外な事件だらけだったけど、
中でも300記事目から今日までの100日間は
特にエキサイティングだった。

大きく分けると生活保護、親との対決、
そして突然の就職。

この間、僕は記事で何度も
「平穏がほしい」と書き続けてきたのに、
まったく反対の大波だらけだった。

あまりに急展開が多いから、
最期の方は平穏な日々がほしいとは
敢えて言わなくなり、

悟りの境地に達したように
「激動上等」と言い出す始末。

追われれば逃げるのは人だけじゃないと悟った。



そんな濃密な100日間を乗り越え、
心の平穏を望むことを止め始めた昨今、

新しい就職先での実務に慣れ、
逆にようやく落ち着きつつある。

心乱れる最大の障壁である親に対して
決定的な諦めを感じられたからこそ、
多少のことは問題にしなくなったかも知れない。

人を諦めることはすごく辛い選択だったけど、
自分の成長という面では結果的によかったのかな。

※「延長戦決着、戦利品は”諦め”。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/389/0



なんにせよ、一通りの事件が起こり終わったからか、
今は「これからどうしよう」という不安があまりない。

目の前の瞬間を楽しもうとしている感覚。

こうやって余裕が出てきたフリをしていると、
年末年始にでも大きな事件が発生しそうだ。

せっかく悟りを1つ開いたので、
400記事記念に一言、強がっておく。

「だいたい何が起きても親問題よりずっとマシ。」


posted by 理琉(ワタル) at 01:46 | TrackBack(0) | 人生観

2019年12月19日

区役所で怒鳴る人に遭遇…。

区役所の生活保護課を訪れると、
男性の怒鳴り声が響いていた。

長靴に帽子、長髪を後ろで束ねた
60歳前後と思われる人が

カウンター(?)で2人の職員を相手に
わめき散らしていた…。



その怒鳴り声を聞いて
僕はすぐに気持ち悪くなってしまい目を伏せた。

それを見たケースワーカーさんが
「少し離れた席へ行きましょうか」と
遠い席へ誘導してくれた。

1年ほど前、保健福祉課の窓口で
怒鳴り散らしている男性と遭遇した。

区役所で怒りを露にする人に出逢うのは
今回で二度目だけど、慣れるものではない。



「タクシーの領収書が〇〇なんて知らん!」
「古着屋で売った額まで知らせろってのか!」
「俺は〇〇しろなんて話は聞いてねぇぞ!」

そんなようなことを
繰り返し叫んでいた気がする。

雇用保険の受給と違い、
生活保護を受けるとお年玉やお小遣いを含め
文字通りすべての収入を知らせないといけない。

リサイクルショップで何かを売った額も、
メルカリやフリマの売上金額も。

そんな収入申告の関連で不満を訴えていたのかなと
勝手に想像しながらも、耳を塞いで遠ざかった。



「生活保護課には、ああいう人は多いですか?」

ケースワーカーさんに聞いてみた。

「まぁ、たまに居ますね…。」

少し申し訳なさそうに答えてくれた。

クレーマーと呼んでいいのかわからないが、
所得が少ない人の生活に直接関わる部署だけに、
なおさら心に余裕がない人が怒鳴り込んでくるんだろう。



僕は今、こうして生活保護の受給者となるくらいだから、
本当に食べ物や家がなくなる恐怖に潰れかけたことはあるし、
どれだけ人から余裕を奪うかは一応わかるつもり。

一時期は食欲でさえも、あるのかないのか
わからなくなったこともあった。

→「食の選択肢が狭いとどうなるか。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/317/0

擁護するわけではないが、あの怒鳴ってた人も
相当追い詰められてるんだろう。

家を失うレベルまでお金の心配が大きくなると、
本当に目の前以外の何も見えなくなる。



少し前の話だけど、よく行くスーパーで
やっぱり60代くらいの男性が学生相手にキレて、
警察沙汰になるシーンを目撃した。

この人もそうだし、区役所の人もそうだと思うけど、
明日の生活費も見えない不安に加えて
人から相手にされない寂しさも
きっと追い打ちをかけている。

貧困と孤独の二重苦が
彼らから余計に自制心を奪っている。

→スーパーで遭遇した警察沙汰事件。
「キレる」背景にある寂しさ。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/364/0



ただね、

怒りとして出しちゃアカンよ。

誰も救われないよ。

公共の場で怒鳴り散らしてる人に
手を差し伸べたいと寄り添ってくれる人は
きっと少ないよ。



本心では悲鳴なんだと思う。

どうしようもできない無力感、一向に上向かない生活水準、
明日への大きな不安、人が離れていく孤独感。

なのに、表現方法として怒鳴ることを選んでしまった。
だから誤解を生み、軋轢を生み、余計に人が離れる悪循環。

「伝え方が9割」と聞くけど、本当にその通りで、
自ら助け船を遮断してしまってる。

もっと違う方法で助けを求められれば、
敵を増やさなくて済んだのになぁ。



あの場ではすごく嫌な思いをしたし、
彼の怒鳴り声で嬉しい気持ちになった人は少ないだろう。

だけど、あんなふうに感情に自制心が呑み込まれた人は
いなくならないのかなぁと、悲しい気持ちになった。

古着を売った金額よりも、タクシーがどうのこうのよりも、
本当は何に怒ってるんだろう。

怒りに満ちた人生の根本には
どんな寂しさや悲しみが潜んでいるんだろう。


posted by 理琉(ワタル) at 01:39 | TrackBack(0) | 人生観

2019年12月02日

承認欲求をひたすら並べる。

帰る場所がほしい。

帰りたくなったら気軽に連絡して、
いいよ、帰っておいでと言ってもらえる場所がほしい。



居ても煙たがられない場所がほしい。

「〇〇するなら置いてやる」
「いつまで居るつもりだ」
「帰れ帰れ!」
「居候」

滞在条件や罵声がない場所がほしい。



早く引っ越ししなければと
心を急き立てることのない場所がほしい。

生活保護を受けたんだから
引っ越しは必要なことなんだけど、

申し訳ない、引っ越しに動く元気が残ってない。



僕が生まれてよかったと言われたい。

僕は生まれてきてくれただけでよかった、
それ以上は何もいらないと言われたい。

僕は生まれてきてもよかったのか、
という問いにイエスと答えてほしい。



そんなことばかりを
自分以外に求める自分を受け入れたい。

大き過ぎて受け止めきれないほど、
「無条件の愛情」を他人に求める
依存的な一面がある自分を責めずにいたい。

心の中でこれだけ
「無条件の受け入れ」を求めているのに、

いざ人前に出ると何も言えず、
ただ無言で意見を押し殺している自分も
紛れもない自分なんだと肯定したい。



別に自分が生き続けなくてもいいんじゃない?
と考えていることも受け入れたい。

こんなに次々と色んなことで悩むのに疲れたから、
もう別に生き続けなくてもよくない?
と考えていることも否定せずにいたい。

去年の今頃は
2019年没で全然構わないと思っていて、

今年の今頃は
長くてあと数年後没でもういいや
と思っている自分も、そうなんだねと受け止めたい。



僕はずっと愛情飢餓に陥っていることを
素直に認めたい。

周りがどれほど「充分与えた」と言っても、
僕自身が愛情に飢えていて、
もらえなかったと思っていることを
隠さずに受け入れたい。



自分は生まれてきてもよかったんだと、
自分で断言できるようになりたい。

人から認めてもらうばかりではなく、
自分は生まれてきて存在してもいいんだという
確たる自信がほしい。



自分は生まれてきてもよかった証拠がほしい。


posted by 理琉(ワタル) at 23:52 | TrackBack(0) | 人生観

2019年11月29日

「ここに居ていい」と言われたい。

僕はここに居てもいいのか、
僕はここに存在していてもいいのか、

その答えがほしい。
居てもいいよと言われたい。

生きていてもいいのか、というよりも
「始めから居なかったこと」にならなくていい、
存在自体はしていいんだよと認められたい。



ある程度の人がいるのに
誰も話していない空間が苦手。

特に気まずくなくても、
ごく普通のありふれた日常風景であっても。

沈黙の中にいるとすぐに、背中に悪寒が走る。

「出て行け」と言われているのではないかと
勝手な妄想が繰り広げられる。

何の変哲もない日常の1シーンなのに、
背中越しに感じるその場の空気が
ちくちくと突き刺さる。

そんなことになるのはきっと、
僕はここに居てもいいのかダメなのか
説明も回答もないのに耐えられないから。



高校の時はバスケ部の先輩から、
大学の時はバスケ部の同級生から、

自分にだけ声をかけられなかったり、
いないものとして無視されたりしていた。

社会人になってからは、
親から「居候」と呼ばれ
家族扱いされなかった。

僕はこの場所に居てはいけない、
始めから居なかったと回答された経験だった。

→「”居候”という言葉が嫌い。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/188/0



何の期待に応えなくても、
何も価値を生み出さなくても、
何かの役割や仕事をこなさなくても、

居るだけでいい、と言ってくれる場所がほしい。

人がいるのに沈黙が漂う場所で
自分の存在に対して勝手に罪悪感を感じる。

勝手に背中をすくませながら、
自動的な自責を上書きしようと試みる。

「いやいや、この沈黙には何の意味もないよ」と。



音楽を始めた理由は
ずっとやってみたかったから。

けどそれは表面的な興味で、
本当の根源的な理由は自分の存在の主張。

僕はここに居る、いいでしょ?
この問いに、誰かに答えてもらいたかったから。

→「音楽活動を始めた本当の理由。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/252/0



僕にとって、本当に心から好きで
損得抜きで没頭できることは、
バスケだけかも知れない。

音楽を始めたり、一時期モデルをやったり、
ヒーローショーのアクターをやったり、
ダンスをやったり、

人前で何かを表現する活動を
いろいろとやったのはすべて、

自分の存在を認めてほしい、
自分はここに居る、居てもいいと答えてほしいという、
存在することへの承認欲求だったんだろう。



僕は一見、やりたいことをやってきたようでいて、
実は自分の存在への肯定をずっと求めてきた。

だからたぶん、本当の意味でやりたいことは
まだバスケしか見つけられていない。

この先も存在許可を求めてさまようのか、
そんなこと抜きに、本当にやりたいことを見つけるのか。

「居るだけでいい」と言われたい心と
どう折り合いを付けていけばいいだろう。


posted by 理琉(ワタル) at 00:37 | TrackBack(0) | 人生観

2019年11月21日

「心の平穏」は贅沢な要求なのか。

やっと手に入れたと思ってた
家がなくなる恐怖から解放されて
心穏やかに過ごせる日々。

それが崩れるかも知れない事件が起きてから
一週間くらいが経過した。

→「やっと手に入れた平穏な日々に、急展開。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/362/0



区役所からは、まだ何の連絡もない。

生活保護が一旦廃止になるかも知れない、
関わった分だけ傷つく親に
関わらないといけないかも知れない、

この2つの恐怖がどちらも襲ってくるでもなく、
でもどちらの可能性も消えないという、
二重の悩みが煮え切らない日々は、

確実に僕の心へダメージを蓄積していた。



それがついに爆発。

家で一人、床に頭を付け、
床を拳で殴りながら泣き叫んだ。

「僕はそんな無茶な要求してないでしょう」

「自分の心を傷つける者との関係を断ち切り、
不当な攻撃をされず、心穏やかに過ごしたいだけ。

そんな強欲なこと言ってないでしょう!」と。



事態が進んでいないので、
今は一応、生活保護の受給中。

だけど、だんだんと
こんな疑問を抱くようになってきた。

僕は生活保護を受ける資格はあるんだろうか、
僕は存在していてもいいんだろうか。



自分がここに、この家に今、
居てもいい確証が持てない。

帰る場所がない僕にとって、
寝泊まりできる唯一の場所であるこの家。

何の進展もないけど
恐怖だけはそのまま残っている現状に、
僕は明らかに苛立ち、平常心を失っている。



自分にとって
安らぎとは正反対の存在の親から離れ、
何者にも心を傷つけられず穏やかに過ごしたい。

僕が今、もっとも強く欲していることは
贅沢な要求なのだろうか。

自信が持てない。
posted by 理琉(ワタル) at 18:31 | TrackBack(0) | 人生観

2019年11月20日

「キレる」背景にある寂しさ。

よく買い物に行くスーパーで、
60代くらいの男性と、男子高校生らしき4人組が
口論を始めるところを目撃してしまった。

殴り合いにはならなかったものの、
高校生たちは意外と冷静だったのに対し、
男性はかなりヒートアップし続けていた。

距離があったので、
言い争いの内容は聞こえなかったけど、

どうやら発端は
「そこに立たれるとTVが見えない」と男性が怒り、
高校生たちに詰め寄ったのが原因らしかった。



高校生の誰かか、周りに居た人か、
誰が呼んだかわからないが、

最終的に警察が3人来て、
気が収まらない様子の男性を取り囲み、

店から連れ出してパトカーに乗せて
連行していった。



実は、僕は以前にもその男性が
高校生のグループに突っかかっていった現場を
何度か見かけたことがあった。

その時はいずれも警察沙汰にはならなかったけど、
周りに買い物客も店員も大勢いる中で

いきなり「おい!お前ら!」と
怒鳴り出したので、

怖いよりも、何が起きたか把握できずに
啞然としてしまった。



後日、そのスーパーへ買い物に行った時、
またその男性を見かけたので、
逮捕や出入り禁止などには至らなかったようだ。

公共の場で何度も騒ぎを起こしているから、
さすがに弁護はできないけど、

その人が「キレる」背景を想像すると、
むげに責めたりはできないかなぁと思った。



僕の勝手な想像だけど、その男性はきっと、
普段寂しいんじゃないかなぁ。

相手をしてもらえる人がいなくて、
誰かと関わりたくて、人のいる場所へ頻繁に通う。

だけど、普段あまり人と接する機会がなくて、
上手い付き合い方や関わり方がわからず、

「TVが見えない」「騒がしい」などの
ネガティブな面ばかりが目に入り、不満が溜まる。

その不満を作り出しているのが
自分よりもずっと年齢が下の学生たちなら、
自分の方が上だと言わんばかりに
強気な態度で挑める。

親に構ってほしくて悪さをする子どもの心理と
根底は同じなんじゃないかな、と思った。



僕がそのスーパーへ買い物に行く時間帯は
いつも同じ夕方。

僕自身も週に何度も行って、
けっこうな常連になってるけど、
行くたびにその人を見かける。

きっとあの人は毎日のように通ってるんだろう。

周囲に突っかかっていく人で、
しかもそのトリガーがわからないので、

どうしても
「怖い、喧嘩っ早い人」というイメージで見てしまい、
見かけたら距離を取ってしまう。

だけど、そうなってしまった背景を
こうやって想像してみると、

なんだか「ただのキレやすい人」で
片付けることはできなくなった。



周りにとっては良い影響とは言えない人なので、
繰り返すが弁護はできない。

だけど、八つ当たりではなく、もっと違う形で、
その人が抱える寂しさの埋め合わせが
できたらいいなとは思う。

それはあくまで、本人の問題なので、
見ず知らずの僕が考えるようなことではないけど、

寂しさや悲しみ、人生への不満や不安が
「キレる」という形で出ていると考えれば、
怖がる以外の対応もできるのかな、と思った事件だった。


posted by 理琉(ワタル) at 18:44 | TrackBack(0) | 人生観
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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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