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2020年03月11日
9年後に思う『3.11』、あのとき通話していた人は、今。
2011.3.11
地震が起きたあの時、僕はコールセンターで
衛星放送に関わるお問い合わせの受信の仕事をしていた。
ブースには大きなTVが何台も並び、
ちょうどニュースのチャンネルが映っていた。
14:46
僕は神奈川県の人と通話していた。
特にクレームではない、普通のお問い合わせ。
少し揺れたような気がした、その時、電話口から
「あ、ちょっと待ってください。地震が…」
ヘッドセットを通して、地鳴りのような音が響いた直後、
電話が切れた。
札幌 震度3
電話が切れた直後に揺れが襲ってきた。
揺れている最中にも、通話している人はいたが、
揺れ始めて少し経ってから「デスクの下に避難してください」と
アナウンスが流れた。
幸いにも、物が倒れたり、壊れたりはしなかった。
静止画のような仙台空港
揺れが収まった直後から
ブースに設置されている大きなTVでは
仙台空港の滑走路が映し出されていた。
固定カメラの映像では滑走路に亀裂が入っていたり、
何かが倒壊したりした様子は見受けられない。
まるで静止画のように見えた。
現実が流れ込む
その静止画に、右側から少しずつ、泥水が流れ込んできた。
少しずつ、確実に、滑走路に引かれたラインを覆っていった。
徐々に水位が上がる。
泥水の中に木の枝が、流木がからまっている。
TV画面の下の方に見えていたはずの地面の位置が、
TV画面の中ほどまで上がった。
流木、自動車、トラック、
そして家の壁が流されてきた時、現実を知った。
ふと、窓の外を見ると、
札幌のオフィス街が変わらずそこにあった。
モニターに映る映像とかけ離れすぎて、
自分が今ここにいることが夢なのかとすら思った。
真に怖い時、人は言葉を失う
受電を一時的にストップしていたブース内、
皆、声も出せずに凍り付いていた。
「怖い」「悲しい」「信じられない」などという表現が、
どれだけ上っ面をなぞっただけの言葉かを思い知った。
再現VTRなどで、被害者が悲鳴をあげるシーンを見ると、
あれは嘘なんじゃないかと思えた。
本当に怖いものを見た時、人は声すら出せないから。
あの時、通話していた人は今
地震が発生した時、僕が通話していた神奈川県の人は
無事だったんだろうか。
電話を切った後、ちゃんと避難できたんだろうか。
あの日から、被害状況をニュースなどで知るたび、
そのことばかりが頭に浮かんだ。
あの日から9年も経った今でも、たまに思い出す。
現地に行っていない、
わずかな募金をした程度の僕が言うのはおこがましいけど、
今も元気だといいなぁ。
2020年02月29日
Google検索2ページ目に、自分の”スマホゾンビ”記事がヒット。
首を前傾させ、背中を丸め、
スマホ画面を凝視しながら闊歩する
スマホゾンビの集団に怖さを感じる。
以前、そんな記事を書いたことがある。
考えないようにしても、地下鉄に乗るたび、
歩きスマホ集団が発する孤独感の渦が気になる。
→「スマホゾンビに感じる怖さ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/431/0
考え出したら深掘りする性分、
やっぱり、スマホゾンビの心理が
気になって仕方ないので、
「スマホゾンビ 駅」
でGoogle検索してみる。
すると、僕が書いたスマホゾンビ記事が
なんとGoogle検索の2ページ目に出てきた。
自分の記事がGoogle検索に認められた驚きと嬉しさ、
そして気恥ずかしさが混ざり合う。
検索結果の画面を見ながら一人で照れる。
それと同時に、強い責任感も感じた。
街中での光景が際立って指摘されているけど、
僕と同じように駅を見渡して恐怖を感じる人も
きっと多いだろう。
そうなると、いずれ「スマホゾンビ 駅」で
検索する人が増える。
これだけ上位でヒットするなら
いずれはもっとたくさんの人に読まれる。
その時に、「これが自分の感じたことです」と
堂々と言えるように、ベストを尽くして仕上げよう。
今、読み返してみると
何だかボリューム感が足りない。
中盤まで盛り上がるストーリーが
最後に駆け足で終わってしまうような
消化不良な感じがする。
もっと言いたいことがありそうなのに、
途中で終わらせてしまっている。
もしかすると、
僕の文章の全体的な傾向かも知れない。
他の記事も見直してみよう。
偶然にもGoogle検索で見つけ、
自分が書いた記事を客観的に読み返し
ボリューム不足に気づくことができた。
検索ワードに引っ掛かったこと、
上位表示されて嬉しい、
そこで終わるのではなく、
改善ポイントに気づけたことに感謝する。
スマホゾンビ記事はこれから
納得いくまで書き直そう。
気づいた時、変化へのストレスを感じた時こそ、
次の段階へ成長するチャンス。
スマホ画面を凝視しながら闊歩する
スマホゾンビの集団に怖さを感じる。
以前、そんな記事を書いたことがある。
考えないようにしても、地下鉄に乗るたび、
歩きスマホ集団が発する孤独感の渦が気になる。
→「スマホゾンビに感じる怖さ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/431/0
考え出したら深掘りする性分、
やっぱり、スマホゾンビの心理が
気になって仕方ないので、
「スマホゾンビ 駅」
でGoogle検索してみる。
すると、僕が書いたスマホゾンビ記事が
なんとGoogle検索の2ページ目に出てきた。
自分の記事がGoogle検索に認められた驚きと嬉しさ、
そして気恥ずかしさが混ざり合う。
検索結果の画面を見ながら一人で照れる。
それと同時に、強い責任感も感じた。
街中での光景が際立って指摘されているけど、
僕と同じように駅を見渡して恐怖を感じる人も
きっと多いだろう。
そうなると、いずれ「スマホゾンビ 駅」で
検索する人が増える。
これだけ上位でヒットするなら
いずれはもっとたくさんの人に読まれる。
その時に、「これが自分の感じたことです」と
堂々と言えるように、ベストを尽くして仕上げよう。
今、読み返してみると
何だかボリューム感が足りない。
中盤まで盛り上がるストーリーが
最後に駆け足で終わってしまうような
消化不良な感じがする。
もっと言いたいことがありそうなのに、
途中で終わらせてしまっている。
もしかすると、
僕の文章の全体的な傾向かも知れない。
他の記事も見直してみよう。
偶然にもGoogle検索で見つけ、
自分が書いた記事を客観的に読み返し
ボリューム不足に気づくことができた。
検索ワードに引っ掛かったこと、
上位表示されて嬉しい、
そこで終わるのではなく、
改善ポイントに気づけたことに感謝する。
スマホゾンビ記事はこれから
納得いくまで書き直そう。
気づいた時、変化へのストレスを感じた時こそ、
次の段階へ成長するチャンス。
2020年02月08日
意外と波瀾万丈?
職場が用意してくれた、
初めてのカウンセリング。
略歴を話した時の
心理士さんのコメントがこちら。
「理琉さん…なかなか波瀾万丈ですね。。」
【年表】
2013.10 広汎性発達障害が発覚
2014.10 親と決定的な大喧嘩、
リスト/アームカット、ODの末に絶縁状態に
2016.6 結婚
2016.11 戸籍改名
2018.8 前会社(一般枠)を退職
2018.9 離婚
2018.11 失業保険の給付開始
2018.12 障害年金を申請
2019.1 障害者相談室とつながる
2019.2 障害年金に落ちる
2019.6 就労移行支援へ通所開始
祖父逝去
2019.8 失業保険の給付終了
2019.11 生活保護の申請、受給開始
2019.12 就職(障害者枠)、就労移行支援を卒業
一方的な親は直らないと悟りを開く
2020.1 生活保護の受給終了
こうして年表にしてみると
まさに”人に歴史あり”という感じだが、
そんなに?
確かにいろいろあったが、
波瀾万丈と言えるほどではないと思っていた。
「そうなんですか?
これって波瀾万丈な部類なんですか?」と聞いてみた。
「人生の早い時期から病んでしまったりしても、
年月を重ねてくるとだんだん収束して、
落ち着いていくことが多いんですよ。
『あの時はいろいろあったけど今があるからいいや』って。
でもこれだけいろんなことが起きてると…
なかなか収束が難しかったでしょ?」
そうなんだ。
自分は波瀾万丈な方だったんだ。
人生で起きたことを順番に話していても、
「ちょっと待ってください、理琉さん、年表作るの難しい」
と言っていた。
ある程度珍しいのは改名くらいで、
自分が経験してきたことが驚かれるようなこととは
あまり思っていなかった。
カウンセリングの現場だからというのは
あるかも知れないが、
心理士さんの「…?!」という反応は意外だった。
→家庭裁判所へ申し立て、戸籍から名前を変更。
「戸籍”改名”、その先へ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/143/0
そんな驚きはあったものの、
初めてカウンセリングを受けられたことで、
心につかえていたものが取れた。
「心霊現象は信じない」と言われるのが怖くて
今まで誰にも話していなかった離人感についても、
思い切って話してみたが、
「あぁ、離人感もあったんですね」と
ごく普通に受け止めてくれた。
来月また受けられるのを楽しみにしている。
→自分を右上から眺める、もう1人の自分の視点。
「浮かんだ世界。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/270/0
→自分の横顔を見ながらの生活。
「自分の横顔が視界に映りながら生きている。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/276/0
そんな、いろいろあって迎えた今日について、
心理士さんは印象深いことを言っていた。
「すごく嫌かも知れないけど、
これだけいろいろあった中で乗り越えてこれたのは、
理琉さんが両親から受け継いだ力があるから」
親と似ている部分を発見するたびに自己嫌悪に陥り、
似たくないと葛藤してきた気持ちを思い出した。
数年前に同じことを言われていたら
きっと激怒していただろう。
「それ、何度も葛藤したんですよー」なんて
苦笑しながら話せる自分がいた。
「今後どうなっていきたいか」
という質問に少し困惑した。
仕事面では、貧困から脱出したいと答え、
精神面では、こう答えた。
「まだ探し回っていて見つからない心の拠り所を
どこかに見つけたい、愛着障害を克服したい」
初めてのカウンセリング。
略歴を話した時の
心理士さんのコメントがこちら。
「理琉さん…なかなか波瀾万丈ですね。。」
【年表】
2013.10 広汎性発達障害が発覚
2014.10 親と決定的な大喧嘩、
リスト/アームカット、ODの末に絶縁状態に
2016.6 結婚
2016.11 戸籍改名
2018.8 前会社(一般枠)を退職
2018.9 離婚
2018.11 失業保険の給付開始
2018.12 障害年金を申請
2019.1 障害者相談室とつながる
2019.2 障害年金に落ちる
2019.6 就労移行支援へ通所開始
祖父逝去
2019.8 失業保険の給付終了
2019.11 生活保護の申請、受給開始
2019.12 就職(障害者枠)、就労移行支援を卒業
一方的な親は直らないと悟りを開く
2020.1 生活保護の受給終了
こうして年表にしてみると
まさに”人に歴史あり”という感じだが、
そんなに?
確かにいろいろあったが、
波瀾万丈と言えるほどではないと思っていた。
「そうなんですか?
これって波瀾万丈な部類なんですか?」と聞いてみた。
「人生の早い時期から病んでしまったりしても、
年月を重ねてくるとだんだん収束して、
落ち着いていくことが多いんですよ。
『あの時はいろいろあったけど今があるからいいや』って。
でもこれだけいろんなことが起きてると…
なかなか収束が難しかったでしょ?」
そうなんだ。
自分は波瀾万丈な方だったんだ。
人生で起きたことを順番に話していても、
「ちょっと待ってください、理琉さん、年表作るの難しい」
と言っていた。
ある程度珍しいのは改名くらいで、
自分が経験してきたことが驚かれるようなこととは
あまり思っていなかった。
カウンセリングの現場だからというのは
あるかも知れないが、
心理士さんの「…?!」という反応は意外だった。
→家庭裁判所へ申し立て、戸籍から名前を変更。
「戸籍”改名”、その先へ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/143/0
そんな驚きはあったものの、
初めてカウンセリングを受けられたことで、
心につかえていたものが取れた。
「心霊現象は信じない」と言われるのが怖くて
今まで誰にも話していなかった離人感についても、
思い切って話してみたが、
「あぁ、離人感もあったんですね」と
ごく普通に受け止めてくれた。
来月また受けられるのを楽しみにしている。
→自分を右上から眺める、もう1人の自分の視点。
「浮かんだ世界。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/270/0
→自分の横顔を見ながらの生活。
「自分の横顔が視界に映りながら生きている。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/276/0
そんな、いろいろあって迎えた今日について、
心理士さんは印象深いことを言っていた。
「すごく嫌かも知れないけど、
これだけいろいろあった中で乗り越えてこれたのは、
理琉さんが両親から受け継いだ力があるから」
親と似ている部分を発見するたびに自己嫌悪に陥り、
似たくないと葛藤してきた気持ちを思い出した。
数年前に同じことを言われていたら
きっと激怒していただろう。
「それ、何度も葛藤したんですよー」なんて
苦笑しながら話せる自分がいた。
「今後どうなっていきたいか」
という質問に少し困惑した。
仕事面では、貧困から脱出したいと答え、
精神面では、こう答えた。
「まだ探し回っていて見つからない心の拠り所を
どこかに見つけたい、愛着障害を克服したい」
2020年02月07日
ショベルカー転倒事件を目撃。
当時通っていた幼稚園のすぐ隣に、
雑草がけっこうな高さまで茂った空き家があった。
ある日の登園途中、
その空き家の取り壊しか雑草の除去か、
工事の人とショベルカーが来ていた。
無造作に伸びた木の枝を
巧みなアームさばきで取り除く姿は
6歳の目にはかっこよく映った。
あんな大きなショベルカーを
自在に操縦できるなんてすごいなぁ。
僕は立ち止まり、作業の現場を眺めていた。
その時、高い位置にある、除去し損なった枝に
ショベルカーのアームが引っ掛かっているのに気づいた。
操縦席の人と、周りで作業している人たちは
まだそれに気づいていない様子だった。
教えてあげないと何かが起こる、
直感的にそう思った。
僕と作業現場の間には
20メートルほどの距離があった。
走ればまだ間に合うと思ったのも束の間、
その瞬間はあまりにも早く訪れた。
枝に引っ掛かったアームを戻そうとした瞬間、
変な回転の力が加わったのか。
バキバキと枝をなぎ倒しながら、
ショベルカーは一気に右側へ傾き始めた。
周囲で作業していた人たちは
一斉に後ろへ飛び跳ねた。
どうやら避けられそうだ。
そうだ、操縦席の人は?
ああもう間に合わない!倒れる!
目を覆いかけたその時、
まさに倒れる寸前の操縦席のドアが開いた。
運転していた人がひらりと飛び降り、
倒れて来る車体をかわすために大きく1ステップ。
ガシャーン!
枝を巻き込んだアームが、
刈り残した雑草のじゅうたんに叩きつけられた。
横倒しになった操縦席の部分は
整地が済んだ砂地に倒れ、砂ぼこりが舞った。
6歳にして、奇跡の脱出劇を目の当たりにした。
よかった…。
ほっと胸をなで下ろした。
間一髪、難を逃れた作業員たちが
横倒しになったショベルカーの周りで
立ち尽くしている光景で、僕の記憶は途切れている。
衝撃映像を目撃した僕は、その後
登園し何を思ったんだろう。
そして、あの脱出した人は
今も元気にしているだろうか。
幼稚園児の目には、
細身で身軽に映ったあの人。
とっさにあんな回避行動が取れるなんて、
人間はすごいと6歳ながら感動した。
雑草がけっこうな高さまで茂った空き家があった。
ある日の登園途中、
その空き家の取り壊しか雑草の除去か、
工事の人とショベルカーが来ていた。
無造作に伸びた木の枝を
巧みなアームさばきで取り除く姿は
6歳の目にはかっこよく映った。
あんな大きなショベルカーを
自在に操縦できるなんてすごいなぁ。
僕は立ち止まり、作業の現場を眺めていた。
その時、高い位置にある、除去し損なった枝に
ショベルカーのアームが引っ掛かっているのに気づいた。
操縦席の人と、周りで作業している人たちは
まだそれに気づいていない様子だった。
教えてあげないと何かが起こる、
直感的にそう思った。
僕と作業現場の間には
20メートルほどの距離があった。
走ればまだ間に合うと思ったのも束の間、
その瞬間はあまりにも早く訪れた。
枝に引っ掛かったアームを戻そうとした瞬間、
変な回転の力が加わったのか。
バキバキと枝をなぎ倒しながら、
ショベルカーは一気に右側へ傾き始めた。
周囲で作業していた人たちは
一斉に後ろへ飛び跳ねた。
どうやら避けられそうだ。
そうだ、操縦席の人は?
ああもう間に合わない!倒れる!
目を覆いかけたその時、
まさに倒れる寸前の操縦席のドアが開いた。
運転していた人がひらりと飛び降り、
倒れて来る車体をかわすために大きく1ステップ。
ガシャーン!
枝を巻き込んだアームが、
刈り残した雑草のじゅうたんに叩きつけられた。
横倒しになった操縦席の部分は
整地が済んだ砂地に倒れ、砂ぼこりが舞った。
6歳にして、奇跡の脱出劇を目の当たりにした。
よかった…。
ほっと胸をなで下ろした。
間一髪、難を逃れた作業員たちが
横倒しになったショベルカーの周りで
立ち尽くしている光景で、僕の記憶は途切れている。
衝撃映像を目撃した僕は、その後
登園し何を思ったんだろう。
そして、あの脱出した人は
今も元気にしているだろうか。
幼稚園児の目には、
細身で身軽に映ったあの人。
とっさにあんな回避行動が取れるなんて、
人間はすごいと6歳ながら感動した。
2020年01月30日
泣きたい気持ちに重ねる、『手紙 〜拝啓 十五の君へ〜』。
うまくいっていた時には
まったく無関心だった心身の疲れ。
今日は明らかに自分という器が満杯で、
破裂しそうなのが感覚としてわかる。
思いきり泣きたい。
泣きたいのに
感情のシャッターが閉じてしまったよう。
平坦で起伏がなくなっている。
どうしよう。
泣くための材料を探す。
そういえば昨日、
外出先でたまたまかかっていたこの曲。
久しぶりに聴いて
目頭が熱くなりかけたから
慌ててその場を立ち去ったんだった。
『手紙 〜拝啓 十五の君へ〜』
アンジェラ・アキ
そんなに「悔しい…!」って叫んでさ。
ボロ負けしたあの試合、
特に自分がマークしてた相手に
抜かれたり、たくさん点を取られたり。
負けたのは誰が穴になったわけでもないけど、
自分のところでやられたと思い込んでいて。
まだ吹っ切れてなかったんだね、
悔しかったんだね。
自分がやられた場面ばかり思い出して悔しがったら、
チームの上昇より自分の活躍を優先している
セルフィッシュな選手と思われるかも知れない。
そんな心配ばかりして、悔しさを押し殺して
表に出せなかったよね。
ずっと悩んできた、彼らとの関係。
そんなに号泣しながらも
気づいたらつぶやいていた言葉。
「僕は誰かに愛されていたという答えをください」
そっか、怖いんだね。
もしかすると
誰からも愛されていなかったんじゃないか
誰も自分に愛着も関心もないんじゃないか
その恐怖はどれだけ諦めても、
悟りを開いても拭えないよね。
自分のルーツが出来上がる時期に
あまりにも長い時間を過ごしてしまったね。
でも一方で、何をしてくれたら
愛されてると心から実感するのか。
それがわからないのが、また怖いんだよね。
学び損ねたよね。
「keep on believing」
自分を信じて、信じてと
無理して呪文のように言い聞かせてる。
自分が積み上げてきたものは本当に正しいのか、
今、つまずいたことで自信を失ってるんだね。
積み重ねてきたことが正しいかどうか。
答えは自分の中にあるでしょ?
人と比べたり、
目の前の結果が出たかどうかで判断したり、
それは誰でも持ち合わせてる感情だから自然なこと。
思ってはいけないと責める必要はない。
劣等感や悔しさ、虚しさだって自然な感情、
むしろ人間だから感じる気持ち。
もう何回リピート再生したかわからないけど、
涙でぐしゃぐしゃだった顔が
少しずつ落ち着いてきたら、
心の中の自分が何て言っているか
少しだけ耳を傾けてみて。
また泣いたっていいから。
何回でも聴いて、たくさん泣いて、
何回でも涙を拭けばいいから。
まったく無関心だった心身の疲れ。
今日は明らかに自分という器が満杯で、
破裂しそうなのが感覚としてわかる。
思いきり泣きたい。
泣きたいのに
感情のシャッターが閉じてしまったよう。
平坦で起伏がなくなっている。
どうしよう。
泣くための材料を探す。
そういえば昨日、
外出先でたまたまかかっていたこの曲。
久しぶりに聴いて
目頭が熱くなりかけたから
慌ててその場を立ち去ったんだった。
『手紙 〜拝啓 十五の君へ〜』
アンジェラ・アキ
未来の自分に充てて書く手紙なら始まった途端、そんなに泣いて。
きっと素直に打ち明けられるだろう
そんなに「悔しい…!」って叫んでさ。
ボロ負けしたあの試合、
特に自分がマークしてた相手に
抜かれたり、たくさん点を取られたり。
負けたのは誰が穴になったわけでもないけど、
自分のところでやられたと思い込んでいて。
まだ吹っ切れてなかったんだね、
悔しかったんだね。
自分がやられた場面ばかり思い出して悔しがったら、
チームの上昇より自分の活躍を優先している
セルフィッシュな選手と思われるかも知れない。
そんな心配ばかりして、悔しさを押し殺して
表に出せなかったよね。
ひとつしかないこの胸が親、祖父母、親戚との複雑な関係。
何度もばらばらに割れて
苦しい中で今を生きている
ずっと悩んできた、彼らとの関係。
そんなに号泣しながらも
気づいたらつぶやいていた言葉。
「僕は誰かに愛されていたという答えをください」
そっか、怖いんだね。
もしかすると
誰からも愛されていなかったんじゃないか
誰も自分に愛着も関心もないんじゃないか
その恐怖はどれだけ諦めても、
悟りを開いても拭えないよね。
自分のルーツが出来上がる時期に
あまりにも長い時間を過ごしてしまったね。
でも一方で、何をしてくれたら
愛されてると心から実感するのか。
それがわからないのが、また怖いんだよね。
学び損ねたよね。
人生の全てに意味があるからそうやって必死に胸を叩きながら唱える
恐れずにあなたの夢を育てて
keep on believing
「keep on believing」
自分を信じて、信じてと
無理して呪文のように言い聞かせてる。
自分が積み上げてきたものは本当に正しいのか、
今、つまずいたことで自信を失ってるんだね。
ああ 負けないで 泣かないで自分のやっていること、練習してきたこと
消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの
積み重ねてきたことが正しいかどうか。
答えは自分の中にあるでしょ?
人と比べたり、
目の前の結果が出たかどうかで判断したり、
それは誰でも持ち合わせてる感情だから自然なこと。
思ってはいけないと責める必要はない。
劣等感や悔しさ、虚しさだって自然な感情、
むしろ人間だから感じる気持ち。
もう何回リピート再生したかわからないけど、
涙でぐしゃぐしゃだった顔が
少しずつ落ち着いてきたら、
心の中の自分が何て言っているか
少しだけ耳を傾けてみて。
また泣いたっていいから。
何回でも聴いて、たくさん泣いて、
何回でも涙を拭けばいいから。
2020年01月26日
「書くことがない」の中身を考える。
いつものように、今日は何を書こうかと
朝からいろいろ考える。
見るものや触れるものを通じて
「これについて書いてみようか」
などとネタを探しながら過ごす。
お題は無限に転がっている。
なのに、この日は自分の癖とも言える
「深く掘り下げる」特技が働かず、
文章の広がりがないまま
「この話はまた今度にしよう」と没にしていく。
そんなことを繰り返し、いざPCに向かっても
「書くことがないなぁ」などと悩み始め
気づいたら、特に何も書かないまま
1時間以上も経過していた。
どうしよう、書くことがない、
そうつぶやき続けるだけの1時間を
逆によく過ごせたなと思った。
本やブログを書く人が一度は経験する、
ネタ切れというやつだろうか。
でも、僕の深く考える癖はここで発動した。
書くことがないと困っているんなら、
書くことがないと困っているのはなぜなのかを
考えてみよう、と。
「書くことがない」を連呼していたが、
厳密に言うとそれは嘘だ。
生きて動く限り、周りにあるものは常に変化し、
自分の感情もめまぐるしく変わる。
ネタ自体は無限に転がっている。
だから本当は「書くことがない」ではなく、
「書けるほど話が広がらない」が正しいんじゃないか。
そしてそれは無意識に、自分のブログのハードルを
上げてしまっている。
せっかく自分の考えを書くなら、
ある程度の文字数でしっかりまとめたい。
そのネタに対して
一言二言ぐらいは思うことがあっても。
1000文字ぐらいまでには広がらない。
広げる自信がないから没にしよう。
そんな無意識の欲や完璧主義によって、
せっかく浮かんだ短い感想を閉じ込めている。
長さや文字数なんて決まってないんだから
短くてもアウトプットすればいいのに、
もったいない。
自分の障害のこと、親との関係、
怒りをぶちまける人の心理、
自分が泣いたり悲しんだりする時の共通点。
これまでいろんな分析をしたきたが、
結論の着地点が似通ってきている。
それは自分の考え方の偏りが
ある程度はっきりしてきたということ。
1つの話題に対して、
現時点で絞り出せる自分の視点や考え方が
頭打ちになりつつあるとも言える。
これまでの人生で学び、蓄えた知識や経験を
すべて出し切ったとは思っていない。
けど、自分の中にまだ眠っているネタを引き出し、
文章として表現するためには、次の段階へ
進む必要があるんじゃないだろうか。
蓄えだけでやってきた今までから一歩進んで、
アウトプットのための引き出しを増やす段階へ。
300記事を書き終えるあたりまでは
アダルトチルドレンや発達障害の本ばかり読んでいた。
最近では、読む本のジャンルが広がってきて、
孤独、愛着障害、境界性パーソナリティー障害の本に
興味の対象が派生している。
それらについて長く書けないのは、
まだ理解が浅く、自分のものにできていないから。
読んだ本に自分の考えを重ねられるようになれば、
もっといろんなことを書けると楽しみにしている。
※「300記事目。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/302/0
ネタが切れることはあり得ない。
今、ネタ切れてきているのはたぶん
自分のアウトプット能力。
それを伸ばすには時間と実践が必要。
だから今後も、PCに向かって
「書くことがない」を連呼する光景は
何度もあるだろう。
なんだかんだ言いながら言葉を絞り出して、
自分らしくこつこつゆっくり伸ばしていくんだろう。
あれ、なんだ。
書くことがないと言っていたくせに、
書くことがない理由をこんなに書けるじゃないか。
朝からいろいろ考える。
見るものや触れるものを通じて
「これについて書いてみようか」
などとネタを探しながら過ごす。
お題は無限に転がっている。
なのに、この日は自分の癖とも言える
「深く掘り下げる」特技が働かず、
文章の広がりがないまま
「この話はまた今度にしよう」と没にしていく。
そんなことを繰り返し、いざPCに向かっても
「書くことがないなぁ」などと悩み始め
気づいたら、特に何も書かないまま
1時間以上も経過していた。
どうしよう、書くことがない、
そうつぶやき続けるだけの1時間を
逆によく過ごせたなと思った。
本やブログを書く人が一度は経験する、
ネタ切れというやつだろうか。
でも、僕の深く考える癖はここで発動した。
書くことがないと困っているんなら、
書くことがないと困っているのはなぜなのかを
考えてみよう、と。
「書くことがない」を連呼していたが、
厳密に言うとそれは嘘だ。
生きて動く限り、周りにあるものは常に変化し、
自分の感情もめまぐるしく変わる。
ネタ自体は無限に転がっている。
だから本当は「書くことがない」ではなく、
「書けるほど話が広がらない」が正しいんじゃないか。
そしてそれは無意識に、自分のブログのハードルを
上げてしまっている。
せっかく自分の考えを書くなら、
ある程度の文字数でしっかりまとめたい。
そのネタに対して
一言二言ぐらいは思うことがあっても。
1000文字ぐらいまでには広がらない。
広げる自信がないから没にしよう。
そんな無意識の欲や完璧主義によって、
せっかく浮かんだ短い感想を閉じ込めている。
長さや文字数なんて決まってないんだから
短くてもアウトプットすればいいのに、
もったいない。
自分の障害のこと、親との関係、
怒りをぶちまける人の心理、
自分が泣いたり悲しんだりする時の共通点。
これまでいろんな分析をしたきたが、
結論の着地点が似通ってきている。
それは自分の考え方の偏りが
ある程度はっきりしてきたということ。
1つの話題に対して、
現時点で絞り出せる自分の視点や考え方が
頭打ちになりつつあるとも言える。
これまでの人生で学び、蓄えた知識や経験を
すべて出し切ったとは思っていない。
けど、自分の中にまだ眠っているネタを引き出し、
文章として表現するためには、次の段階へ
進む必要があるんじゃないだろうか。
蓄えだけでやってきた今までから一歩進んで、
アウトプットのための引き出しを増やす段階へ。
300記事を書き終えるあたりまでは
アダルトチルドレンや発達障害の本ばかり読んでいた。
最近では、読む本のジャンルが広がってきて、
孤独、愛着障害、境界性パーソナリティー障害の本に
興味の対象が派生している。
それらについて長く書けないのは、
まだ理解が浅く、自分のものにできていないから。
読んだ本に自分の考えを重ねられるようになれば、
もっといろんなことを書けると楽しみにしている。
※「300記事目。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/302/0
ネタが切れることはあり得ない。
今、ネタ切れてきているのはたぶん
自分のアウトプット能力。
それを伸ばすには時間と実践が必要。
だから今後も、PCに向かって
「書くことがない」を連呼する光景は
何度もあるだろう。
なんだかんだ言いながら言葉を絞り出して、
自分らしくこつこつゆっくり伸ばしていくんだろう。
あれ、なんだ。
書くことがないと言っていたくせに、
書くことがない理由をこんなに書けるじゃないか。
2020年01月25日
駅のホーム、スマホゾンビが放つ”無機質・無関心なオーラ”が怖い。
最近、いちばん怖いと思う場所は地下鉄の駅のホーム。
特に、電車のドアが開いた瞬間の光景には背筋が凍る。
なぜなら、
大勢のゾンビが放射状に出てくるから。
ー目次ー
スマホゾンビというのは、
歩きスマホをする人を例えた言葉のこと。
首を前に倒し、背中を丸め、周囲を気にするでもない。
イヤホンをつなげたスマホ画面を凝視しながら
電車から無言で降りてくる。
スマホ画面以外への無関心さ、その時の視界や世界の狭さを
全身からオーラのように発している。
その無機質な空気感が融合、増大し、
渦を巻くようにホーム全体を覆っている。
降りてくる人たちだけでなく、
乗車の列に並んでいる人たちもまたスマホゾンビ。
傾けた首と、曲げた背筋をまっすぐにするでもなく、
手にした電子機器を凝視したままふらふらと乗り込む。
ゲームにSNSに夢中、それ以外の世界に興味がなく、
「前の人が進んだから、何となく進んだだけ」にも見える。
なのにマナー良く、整然と並ぶ姿も、おどろおどろしく見える。
彼らが発する無関心な空気とかみ合わない、
異様なギャップがなおさら怖い。
駅のホームを闊歩するスマホゾンビたちが、
どうしてこんなに怖く感じるのか。
僕はホラーやスプラッタ系の映画が苦手。
誰かが死ぬようなシーンは、できれば見たくない。
スマホを凝視し、のろのろと向かって来るさまは、
まるでホラー映画の世界に実際にいるような怖さを感じる。
ここは現実世界、気を抜いたら襲われるような場所じゃない。
なのに、身の危険が付きまとう世界にいる。
そんな錯覚を覚えるのかも知れない。
押し寄せるスマホゾンビたちは
現実世界に身体だけを残し、意識は画面の中。
身体は現実世界、駅のホームにあるのに、
みんなゲームやSNSの世界にいて、この世の住人ではなくなってる。
身体は仕事や用事などで移動するために、
便宜上、この世界に残してあるだけ。
”心ここに在らず”
魂の入っていない、入れ物だけの集団の行進みたいに感じる。
以前、歩きスマホの人たちが抱える
孤独感や寂しさを推測してみたことがあった。
彼らが発する"無機質無関心なオーラ"はもしかすると、
そんな負の感情が形を変えた姿かも知れない。
→「歩きスマホの心の中は」。
みんな承認欲求に飢えている、
本当はそれを声を大にして訴えたい。
でも現実世界では受け止めてくれる人がいないから、
いくら飢えていてもそれを言えず、飲み込むしかない。
そんなもどかしさ、非充足感を、
画面越しの世界に現実逃避して一時的に満たす。
言いたいのに言えない孤独感と承認欲求への飢え。
無言の「寂しい、助けて」という悲鳴。
そんな、言葉にならない叫びが
ホーム全体に充満しているようにも感じる。
僕はかつて、別の理由で頚椎椎間板ヘルニアを患い、
首輪のような装具を付けながら数か月を過ごしたことがある。
→「ストレートネックの再発にご用心。」
そうやって何とか矯正できた僕は、
スマホゾンビたちの猫背と首の痛みが気になる。
あれだけ首を突き出し、スマホを食い入るように覗き込んでいて、
首の付け根、痛くないんだろうか?
経験者として本当に伝えたい。
ストレートネックを治すのはけっこう大変。
僕はスマホゾンビたちが孤独なんじゃないかと思う。
「満たされない現実世界に残しておくのは身体だけでいい。
孤独感や承認欲求を満たしてくれる世界へ旅立ってしまおう。」
無機質な空気をまとい闊歩する彼らには、
もしかするとそんな意識が根底にあるような気がする。
こんなことを聞いたら怒られるかも知れないけど、
僕はスマホゾンビに直接、
「どうしてスマホゾンビをしているんですか?」
と尋ねてみたい。
彼らに対し、僕が感じる怖さの正体を、本人に聞いてみたい。
特に、電車のドアが開いた瞬間の光景には背筋が凍る。
なぜなら、
大勢のゾンビが放射状に出てくるから。
ー目次ー
- スマホゾンビが放つ、無関心なオーラ
- 乗車の列に整然と並ぶゾンビが怖い
- 苦手なホラー映画の世界の疑似体験
- 現実世界にあるのは身体だけ
- 寂しさと孤独感が生み出す、無機質な空気
- 首の付け根の痛みに思いを馳せる
- スマホゾンビをする理由を尋ねてみたい
1.スマホゾンビが放つ、無関心なオーラ
スマホゾンビというのは、
歩きスマホをする人を例えた言葉のこと。
首を前に倒し、背中を丸め、周囲を気にするでもない。
イヤホンをつなげたスマホ画面を凝視しながら
電車から無言で降りてくる。
スマホ画面以外への無関心さ、その時の視界や世界の狭さを
全身からオーラのように発している。
その無機質な空気感が融合、増大し、
渦を巻くようにホーム全体を覆っている。
2.乗車の列に整然と並ぶゾンビが怖い
降りてくる人たちだけでなく、
乗車の列に並んでいる人たちもまたスマホゾンビ。
傾けた首と、曲げた背筋をまっすぐにするでもなく、
手にした電子機器を凝視したままふらふらと乗り込む。
ゲームにSNSに夢中、それ以外の世界に興味がなく、
「前の人が進んだから、何となく進んだだけ」にも見える。
なのにマナー良く、整然と並ぶ姿も、おどろおどろしく見える。
彼らが発する無関心な空気とかみ合わない、
異様なギャップがなおさら怖い。
3.苦手なホラー映画の世界の疑似体験
駅のホームを闊歩するスマホゾンビたちが、
どうしてこんなに怖く感じるのか。
僕はホラーやスプラッタ系の映画が苦手。
誰かが死ぬようなシーンは、できれば見たくない。
スマホを凝視し、のろのろと向かって来るさまは、
まるでホラー映画の世界に実際にいるような怖さを感じる。
ここは現実世界、気を抜いたら襲われるような場所じゃない。
なのに、身の危険が付きまとう世界にいる。
そんな錯覚を覚えるのかも知れない。
4.現実世界にあるのは身体だけ
押し寄せるスマホゾンビたちは
現実世界に身体だけを残し、意識は画面の中。
身体は現実世界、駅のホームにあるのに、
みんなゲームやSNSの世界にいて、この世の住人ではなくなってる。
身体は仕事や用事などで移動するために、
便宜上、この世界に残してあるだけ。
”心ここに在らず”
魂の入っていない、入れ物だけの集団の行進みたいに感じる。
5.寂しさと孤独感が生み出す、無機質な空気
以前、歩きスマホの人たちが抱える
孤独感や寂しさを推測してみたことがあった。
彼らが発する"無機質無関心なオーラ"はもしかすると、
そんな負の感情が形を変えた姿かも知れない。
→「歩きスマホの心の中は」。
みんな承認欲求に飢えている、
本当はそれを声を大にして訴えたい。
でも現実世界では受け止めてくれる人がいないから、
いくら飢えていてもそれを言えず、飲み込むしかない。
そんなもどかしさ、非充足感を、
画面越しの世界に現実逃避して一時的に満たす。
言いたいのに言えない孤独感と承認欲求への飢え。
無言の「寂しい、助けて」という悲鳴。
そんな、言葉にならない叫びが
ホーム全体に充満しているようにも感じる。
6.首の付け根の痛みに思いを馳せる
僕はかつて、別の理由で頚椎椎間板ヘルニアを患い、
首輪のような装具を付けながら数か月を過ごしたことがある。
→「ストレートネックの再発にご用心。」
そうやって何とか矯正できた僕は、
スマホゾンビたちの猫背と首の痛みが気になる。
あれだけ首を突き出し、スマホを食い入るように覗き込んでいて、
首の付け根、痛くないんだろうか?
経験者として本当に伝えたい。
ストレートネックを治すのはけっこう大変。
7.スマホゾンビをする理由を尋ねてみたい
僕はスマホゾンビたちが孤独なんじゃないかと思う。
「満たされない現実世界に残しておくのは身体だけでいい。
孤独感や承認欲求を満たしてくれる世界へ旅立ってしまおう。」
無機質な空気をまとい闊歩する彼らには、
もしかするとそんな意識が根底にあるような気がする。
こんなことを聞いたら怒られるかも知れないけど、
僕はスマホゾンビに直接、
「どうしてスマホゾンビをしているんですか?」
と尋ねてみたい。
彼らに対し、僕が感じる怖さの正体を、本人に聞いてみたい。
2020年01月24日
就労移行支援OB会、憧れの先輩に会って。
昨年末、突如として就職が決まり、
就労移行支援を卒業してから1ヵ月。
月1回のOBの集いに、先月初めて参加し、
今月も参加してきた。
→卒業当日、1人で密かに泣いて、
ひっそりお別れ。
「就労移行支援、卒業。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/395/0
先月、初めて参加した時は
クリスマスパーティということで盛大。
毎月のこじんまりした会は初めて。
僕が入るより先に卒業したOBの方が
7〜8名まったりされていた。
この事業所へ体験通所した初日、
卒業生として話をしに来てくれたTさんと、
初めてゆっくり話すことができた。
Tさんに「憧れの先輩なんです」と伝えた。
照れながらも、嬉しそうにしていた。
「そんな風に思ってくれるのは嬉しいです」
→体験通所、初日。
風邪で通所日がずれていなければ会えていなかった。
「就労移行支援事業所への体験通所-1日目-。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/173/0
人生の再出発のための道を模索していた当時、
いろいろ動いていたものの、
ここからどうやって立ち直ればいいか
見当がついていなかった。
生活力も味方もいない、家族とはうまくいかない、
そんな八方塞がりな毎日に絶望し、
今年で人生が終わってもいい気持ちが
今以上に強かった。
でも、Tさんの話を聞く機会に恵まれ、
ひきこもりから10年かけて少しずつ立ち直り
こうやって活躍するまでになった姿に憧れを抱いた。
ここへ通所しようと決めていたものの、
何をすればいいかわからなかった僕に、
「時間がかかったっていい、ゆっくり歩いて行こう」と
勇気を与えてくれた。
そんな昨年6月から半年あまり、
僕は気づいたら卒業し、
OBとして戻ってくるまでに立ち直っていた。
ここに出逢い、通わなければ
今頃どうなってたかわからない。
就労に繋がるような、
別のどこかには通っただろう。
でも、ここまであたたかくて
恵まれた環境に出逢わなければ、
立ち直って働くどころか、今こうして
人生が好転することもなかったかも知れない。
Tさんも、この場所に辿り着いたことを
とても幸運だったと仰っていた。
ここのあたたかい環境とスタッフさんは本当にすごい、
ここへ通えたから、今こうして働けている自分がいる、
とても感謝していると感慨深く語っていた。
10年かけて人生を立て直した憧れの先輩との、
夢のような語らいだった。
当時の僕は、身の回りで起きることや
自分の感情にさえも、達観したような諦めを感じていた。
投げやりを通り越したような冷めた状況だったのに、
人生の方向を変えるような大切な出逢いに恵まれた。
それはたぶん、生きることへの執着を
ほとんど諦めながらも、どこかで諦め切れず、
見苦しく足掻いたから。
孤独と諦めの境地で
ぼんやりしていた1〜2年前の自分に、
そんな行動力が残っていたことは不思議に思う。
もうどうにもならないと思っても、
何か行動を起こせば何とかなる。
完全に諦めたつもりでも、
とりあえず生きていれば
どこかで何かに出逢い、運命が動いていく。
半年前には考えもしなかった戻り方をしながら、
そんなベタな感想に浸っていた。
就労移行支援を卒業してから1ヵ月。
月1回のOBの集いに、先月初めて参加し、
今月も参加してきた。
→卒業当日、1人で密かに泣いて、
ひっそりお別れ。
「就労移行支援、卒業。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/395/0
先月、初めて参加した時は
クリスマスパーティということで盛大。
毎月のこじんまりした会は初めて。
僕が入るより先に卒業したOBの方が
7〜8名まったりされていた。
この事業所へ体験通所した初日、
卒業生として話をしに来てくれたTさんと、
初めてゆっくり話すことができた。
Tさんに「憧れの先輩なんです」と伝えた。
照れながらも、嬉しそうにしていた。
「そんな風に思ってくれるのは嬉しいです」
→体験通所、初日。
風邪で通所日がずれていなければ会えていなかった。
「就労移行支援事業所への体験通所-1日目-。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/173/0
人生の再出発のための道を模索していた当時、
いろいろ動いていたものの、
ここからどうやって立ち直ればいいか
見当がついていなかった。
生活力も味方もいない、家族とはうまくいかない、
そんな八方塞がりな毎日に絶望し、
今年で人生が終わってもいい気持ちが
今以上に強かった。
でも、Tさんの話を聞く機会に恵まれ、
ひきこもりから10年かけて少しずつ立ち直り
こうやって活躍するまでになった姿に憧れを抱いた。
ここへ通所しようと決めていたものの、
何をすればいいかわからなかった僕に、
「時間がかかったっていい、ゆっくり歩いて行こう」と
勇気を与えてくれた。
そんな昨年6月から半年あまり、
僕は気づいたら卒業し、
OBとして戻ってくるまでに立ち直っていた。
ここに出逢い、通わなければ
今頃どうなってたかわからない。
就労に繋がるような、
別のどこかには通っただろう。
でも、ここまであたたかくて
恵まれた環境に出逢わなければ、
立ち直って働くどころか、今こうして
人生が好転することもなかったかも知れない。
Tさんも、この場所に辿り着いたことを
とても幸運だったと仰っていた。
ここのあたたかい環境とスタッフさんは本当にすごい、
ここへ通えたから、今こうして働けている自分がいる、
とても感謝していると感慨深く語っていた。
10年かけて人生を立て直した憧れの先輩との、
夢のような語らいだった。
当時の僕は、身の回りで起きることや
自分の感情にさえも、達観したような諦めを感じていた。
投げやりを通り越したような冷めた状況だったのに、
人生の方向を変えるような大切な出逢いに恵まれた。
それはたぶん、生きることへの執着を
ほとんど諦めながらも、どこかで諦め切れず、
見苦しく足掻いたから。
孤独と諦めの境地で
ぼんやりしていた1〜2年前の自分に、
そんな行動力が残っていたことは不思議に思う。
もうどうにもならないと思っても、
何か行動を起こせば何とかなる。
完全に諦めたつもりでも、
とりあえず生きていれば
どこかで何かに出逢い、運命が動いていく。
半年前には考えもしなかった戻り方をしながら、
そんなベタな感想に浸っていた。
2020年01月19日
バス停で、第二の故郷を知る人に声をかけられた。
大学バスケ部のジャージを着てバスに乗り、
終点の地下鉄駅で降りた時、
仕事帰りと思われる50代くらいの男性に
声をかけられた。
「出身はこっち?ずいぶん遠い大学行ったんだね。
〇〇県でしょ?
俺も20年前にあっちで仕事してたことあるけど、
あの県て本当に学力高いよね、すごいねー」
僕は気づかなかったが、
同じバス停からの乗車だったらしい。
並んでいる時、
背中の「〇〇UNIV.」の大学名を見て、
ずっと気になっていたそうだ。
僕は地元から
2000キロほど離れた県の大学へ進んだ。
だから、面識がある人には
「遠くへ行ったね」と驚かれることはあるが、
通りすがりの人に声をかけられたのは初めて。
学力がどうかについては答えられなかったが、
「ほんとにいい場所だよね」と言ってくれたことが
とても嬉しかった。
距離が距離だから、
現地に行ったり住んだりしたことのある人には
卒業して戻ってきて以来、会ったことがなかった。
僕自身も卒業して以来、再訪問はできていないが、
大学4年間を過ごした第二の故郷という思い入れがある。
だから「いい場所」と褒められると、
自分の育った地元が褒められているというか、
自分のことのように嬉しかった。
気さくに声をかけてくれたその人と
あの土地についてもっと話したかったが、
僕がそう思い始めるやいなや、
足早に改札を抜けて行ってしまった。
見ず知らずながら懐かしくなって、
つい声をかけてみたんだろうか。
列車を乗り継いで20時間、
飛行機は直行便がなく、
2回のフライトで着く。
ふと声をかけられたら
急に懐かしくなってきた。
大学時代を過ごした第二の故郷、
また行きたいなぁ。
終点の地下鉄駅で降りた時、
仕事帰りと思われる50代くらいの男性に
声をかけられた。
「出身はこっち?ずいぶん遠い大学行ったんだね。
〇〇県でしょ?
俺も20年前にあっちで仕事してたことあるけど、
あの県て本当に学力高いよね、すごいねー」
僕は気づかなかったが、
同じバス停からの乗車だったらしい。
並んでいる時、
背中の「〇〇UNIV.」の大学名を見て、
ずっと気になっていたそうだ。
僕は地元から
2000キロほど離れた県の大学へ進んだ。
だから、面識がある人には
「遠くへ行ったね」と驚かれることはあるが、
通りすがりの人に声をかけられたのは初めて。
学力がどうかについては答えられなかったが、
「ほんとにいい場所だよね」と言ってくれたことが
とても嬉しかった。
距離が距離だから、
現地に行ったり住んだりしたことのある人には
卒業して戻ってきて以来、会ったことがなかった。
僕自身も卒業して以来、再訪問はできていないが、
大学4年間を過ごした第二の故郷という思い入れがある。
だから「いい場所」と褒められると、
自分の育った地元が褒められているというか、
自分のことのように嬉しかった。
気さくに声をかけてくれたその人と
あの土地についてもっと話したかったが、
僕がそう思い始めるやいなや、
足早に改札を抜けて行ってしまった。
見ず知らずながら懐かしくなって、
つい声をかけてみたんだろうか。
列車を乗り継いで20時間、
飛行機は直行便がなく、
2回のフライトで着く。
ふと声をかけられたら
急に懐かしくなってきた。
大学時代を過ごした第二の故郷、
また行きたいなぁ。
タグ:生きる
2020年01月16日
レジで店員にスゴむ壮年に遭遇。
先日のバスケ中、
チームメイトへの文句や暴言で
暴れまくる選手とのやり取りに続き、
またしても険悪な場面に遭遇してしまった。
今回は「店員にスゴむ壮年」に遭遇した話。
年明けから順調にいき過ぎていたから、
今週はそういう波風の立つような、
怒りを溜めた人に出くわす週なのかも知れない。
仕事終わりにブックオフへ立ち寄ると、
カウンターの方から男性の怒鳴り声が聞こえてきた。
「んなこともわかんねぇのかよ!」
「たった200円だぞ、おいコラ!」
中略
「俺は穏やかだからよかったけど、
他の奴にやったら殴られてっぞ!」
まるで、突っ張ってる人が弱い者にスゴむような、
大げさなくらいにオラオラした巻き舌。
僕はその時、ちょうど本棚の陰で
カウンターが見えない位置にいた。
恐ろしく思いながらも、
一体どんな”いかつい人”がスゴんでいるのかと
カウンターが見える位置に移動してみた。
若い女性店員が2人、
カウンターに肘をつき、
2人の方へ身を乗り出すように立っていたのは、
身長160センチくらいで
ものすごく細い、50代くらいの男性。
お世辞にも強そうには見えなかった。
人を見た目で判断するのはよくなし、
そういう外見だから強そうに見えないというのは
僕の偏見だとわかっている。
ただ、それを差し引いても、
腕っぷしが強かったり、地位や権力を持っていたり、
反社会的勢力に出入りしているようには
とても見えなかった。
会話の内容から、お金の計算を間違えたと思われる。
ただ彼の言っている通り、「たかが200円」のことで
公衆の面前で理不尽にキレるのはデメリットしかない。
それを知ってか知らずかはともかく、
冷静に考えたらとてもできないような暴挙に
敢えて踏み切ったということは、
彼はキレる相手と場所とチャンスを
探していたんじゃないだろうか。
接客の現場でよく聞く話、
お店で偉そうにしたり、
店員に横柄な態度を取ったり
キレる客というのは相手を選んでいる。
立場の弱い、何も言い返してこないであろう人にだけ、
客という安全と優位性が保証された場所から牙をむく。
だから、もしあの時カウンターにいたのが
大きくて強そうな男性だったりしたら
きっとあんなことをしなかったんじゃないだろうか。
本当は脆くて自信がなくて、打たれ弱い。
けどそれを自分で認めたくないから、
反撃される可能性が極めて低い相手にだけ
大きな態度を取るんじゃないだろうか。
そんな分析をしながら、
過去にキレる壮年に出くわした時と同じように、
彼の生い立ちや普段の生活についても
思いを巡らせた。
これだけの怒りを爆発させるということは、
彼らは普段、よほど抑えつけられているか
幸せではないんだろう。
自分が不幸で、孤独で、認められていない。
大切に扱われていない。
不満、怒り、寂しさ、
溜まりに溜まった負のエネルギーを
本来ぶつけるべき人にぶつけられないから、
自分より弱い立場の人に向ける。
かまってほしい、認めてほしい、
自分はすごい人間なんだと誇示したい。
自分はもっと大切に扱われるべきなのに、
誰も自分を特別扱いしてくれない。
自分の怒りを本当に向けるべき相手は、
目の前にいる店員ではないのに、
そのことに気づかないまま、
不幸や不満のはけ口を無意識に探し、
ここぞとばかりに爆発させたんだろう。
→スーパーにて、学生とやり合う壮年に遭遇。
警察沙汰になり連れて行かれた。
「「キレる」背景にある寂しさ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/364/0
→区役所の生活保護課にて、
窓口で職員に怒鳴り散らす壮年に遭遇。
「区役所で怒鳴る人に遭遇…。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/394/0
また偏見から物を申すと、
通りすがりの僕から見ても
強そうに見えなかったあの人は、
自分より大きくて強い人間から
虐げられた過去があるんじゃないだろうか。
それは職場の上司や学生時代のいじめ、
もっと遡れば親の虐待や無関心など、
勝てそうにないような力や権限を持った人間から。
いじめや虐待のターゲットにされ、
良い扱われ方をされなかった怒り、恨みを、
やり返してこないとわかっている相手に
置き換えてぶつける。
親子関係でも、虐待の世代間連鎖が問題になるけど、
それと同じで、やられたことを違う相手に
やり返しているんじゃないだろうか。
彼が他の店でも
怒鳴りまくった履歴があるかはわからないけど、
そんな時代背景があるのではと思った。
とはいえ、やっていいことと悪いことは
学ばないといけないし、
あれくらい汚い言葉で罵ると
下手すれば恫喝で警察沙汰、
出入り禁止もあり得る。
何より、関係のない店員も周りの人も
嫌な気分になるし、一生残る心の傷、
トラウマにだってなりかねない。
聞いていた限り、
店員はちゃんとした対応だったので、
スゴんだり汚い言葉で迫るのは間違ってると思う。
本当にものすごく不幸なんだとしたら
そこには同情するけど、
こんな方法でしか自分をアピールできないのは
人間としてみっともない。
というわけで、熱く語ってしまったけど、
彼の心の問題なのに被害を受けるお店は
本当に大変だと思う。
僕にはどうしようもないとわかっていても、
客が店員に怒鳴り散らす光景は無くなってほしいし
何とかできるものならしたい。
人間の二次感情に怒りや恨みがある限り、
接客の現場では無くならないだろうけど、
せめてあの2人の店員さんの心の傷が
少しでも癒されてほしいと願うばかりだった。
チームメイトへの文句や暴言で
暴れまくる選手とのやり取りに続き、
またしても険悪な場面に遭遇してしまった。
今回は「店員にスゴむ壮年」に遭遇した話。
年明けから順調にいき過ぎていたから、
今週はそういう波風の立つような、
怒りを溜めた人に出くわす週なのかも知れない。
仕事終わりにブックオフへ立ち寄ると、
カウンターの方から男性の怒鳴り声が聞こえてきた。
「んなこともわかんねぇのかよ!」
「たった200円だぞ、おいコラ!」
中略
「俺は穏やかだからよかったけど、
他の奴にやったら殴られてっぞ!」
まるで、突っ張ってる人が弱い者にスゴむような、
大げさなくらいにオラオラした巻き舌。
僕はその時、ちょうど本棚の陰で
カウンターが見えない位置にいた。
恐ろしく思いながらも、
一体どんな”いかつい人”がスゴんでいるのかと
カウンターが見える位置に移動してみた。
若い女性店員が2人、
カウンターに肘をつき、
2人の方へ身を乗り出すように立っていたのは、
身長160センチくらいで
ものすごく細い、50代くらいの男性。
お世辞にも強そうには見えなかった。
人を見た目で判断するのはよくなし、
そういう外見だから強そうに見えないというのは
僕の偏見だとわかっている。
ただ、それを差し引いても、
腕っぷしが強かったり、地位や権力を持っていたり、
反社会的勢力に出入りしているようには
とても見えなかった。
会話の内容から、お金の計算を間違えたと思われる。
ただ彼の言っている通り、「たかが200円」のことで
公衆の面前で理不尽にキレるのはデメリットしかない。
それを知ってか知らずかはともかく、
冷静に考えたらとてもできないような暴挙に
敢えて踏み切ったということは、
彼はキレる相手と場所とチャンスを
探していたんじゃないだろうか。
接客の現場でよく聞く話、
お店で偉そうにしたり、
店員に横柄な態度を取ったり
キレる客というのは相手を選んでいる。
立場の弱い、何も言い返してこないであろう人にだけ、
客という安全と優位性が保証された場所から牙をむく。
だから、もしあの時カウンターにいたのが
大きくて強そうな男性だったりしたら
きっとあんなことをしなかったんじゃないだろうか。
本当は脆くて自信がなくて、打たれ弱い。
けどそれを自分で認めたくないから、
反撃される可能性が極めて低い相手にだけ
大きな態度を取るんじゃないだろうか。
そんな分析をしながら、
過去にキレる壮年に出くわした時と同じように、
彼の生い立ちや普段の生活についても
思いを巡らせた。
これだけの怒りを爆発させるということは、
彼らは普段、よほど抑えつけられているか
幸せではないんだろう。
自分が不幸で、孤独で、認められていない。
大切に扱われていない。
不満、怒り、寂しさ、
溜まりに溜まった負のエネルギーを
本来ぶつけるべき人にぶつけられないから、
自分より弱い立場の人に向ける。
かまってほしい、認めてほしい、
自分はすごい人間なんだと誇示したい。
自分はもっと大切に扱われるべきなのに、
誰も自分を特別扱いしてくれない。
自分の怒りを本当に向けるべき相手は、
目の前にいる店員ではないのに、
そのことに気づかないまま、
不幸や不満のはけ口を無意識に探し、
ここぞとばかりに爆発させたんだろう。
→スーパーにて、学生とやり合う壮年に遭遇。
警察沙汰になり連れて行かれた。
「「キレる」背景にある寂しさ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/364/0
→区役所の生活保護課にて、
窓口で職員に怒鳴り散らす壮年に遭遇。
「区役所で怒鳴る人に遭遇…。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/394/0
また偏見から物を申すと、
通りすがりの僕から見ても
強そうに見えなかったあの人は、
自分より大きくて強い人間から
虐げられた過去があるんじゃないだろうか。
それは職場の上司や学生時代のいじめ、
もっと遡れば親の虐待や無関心など、
勝てそうにないような力や権限を持った人間から。
いじめや虐待のターゲットにされ、
良い扱われ方をされなかった怒り、恨みを、
やり返してこないとわかっている相手に
置き換えてぶつける。
親子関係でも、虐待の世代間連鎖が問題になるけど、
それと同じで、やられたことを違う相手に
やり返しているんじゃないだろうか。
彼が他の店でも
怒鳴りまくった履歴があるかはわからないけど、
そんな時代背景があるのではと思った。
とはいえ、やっていいことと悪いことは
学ばないといけないし、
あれくらい汚い言葉で罵ると
下手すれば恫喝で警察沙汰、
出入り禁止もあり得る。
何より、関係のない店員も周りの人も
嫌な気分になるし、一生残る心の傷、
トラウマにだってなりかねない。
聞いていた限り、
店員はちゃんとした対応だったので、
スゴんだり汚い言葉で迫るのは間違ってると思う。
本当にものすごく不幸なんだとしたら
そこには同情するけど、
こんな方法でしか自分をアピールできないのは
人間としてみっともない。
というわけで、熱く語ってしまったけど、
彼の心の問題なのに被害を受けるお店は
本当に大変だと思う。
僕にはどうしようもないとわかっていても、
客が店員に怒鳴り散らす光景は無くなってほしいし
何とかできるものならしたい。
人間の二次感情に怒りや恨みがある限り、
接客の現場では無くならないだろうけど、
せめてあの2人の店員さんの心の傷が
少しでも癒されてほしいと願うばかりだった。