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2020年07月03日
【歩きスマホ】孤独なスマホゾンビに伝えたい。街中にも、きれいな景色がたくさんある。
地下鉄を利用していて気になるのは、猫背の人の多さ。
歩いてる人も、立って待ってる人も『スマホゾンビ』。
彼らの背中を丸めているものの正体はなんだろう?
孤独?寂しさ?承認欲求?癒し?
だとしたら。
スマホ画面から目を離して、少し背筋を伸ばしたら。
街中にだって、きれいな景色がたくさんあるよと伝えたい。
ー目次ー
人類の進化の過程で、
サルからヒトへだんだん背筋が伸びていく、あの絵。
僕らは背中がびしっと伸びた、ヒトのはずなのに。
あれ?
また背中が丸まっていってる。
みんな、猫背のスマホゾンビ…。
もちろん、背筋がびしっと伸びた人もいる。
けど、駅のホームや、
ちょっとした行列で見かける人の多くは、
背中を丸めてスマホを覗きこんでいる。
せっかく進化の過程で伸びた背筋が、
また丸まってしまうんだろうか。
このままでは、人類の背中は
S字フックのようになってしまう。
スマホ画面から、少しの間でもいい。目を離して。
背筋を伸ばして、周りを見わたしたら。
街中にだって、こんなにきれいな景色が散らばってる。
すぐ隣には車がせわしなく走り、
多くの人たちが行き交うようなオフィス街にも。
少し見わたせば、こんなに癒される景色がある。
常に、なにかに追われる日常。
心の休まるヒマなどないような忙しさ。
資本主義教が巻き起こす、終わりのないレースから、
いっときでも解放してくれる景色がある。
特別な景勝地に行かなくても、身近に。
もし、猫背のスマホゾンビたちに
「背筋を伸ばしてみて」と声をかけたら。
「ほっといてよ」と煙たがられるかも知れない。
たとえば、こんなふうに。
景色?ガチャで忙しいから後にしてよ。
レアな武器をゲットしてランキング上位に行きたいんだよ!
そうすれば承認欲求が満たせるだろう?
現実では報われない劣等感を埋めていられるだろう?
景色?どうでもいい。
いまグループLINEの返信で忙しい。
ちょっとでも返信が遅れたら
省かれるのが不安でたまらないから!
みんながいる場所をつなぎとめておけば、
現実での孤独から目を逸らしていられるでしょう?
彼らの背中を丸めている黒幕は誰だろう?
承認欲求?
孤独?
寂しさ?
スマホを見るなと言いたいわけじゃない。
列車を待つ、少しの時間でも有効活用できるなら、
それは素晴らしいこと。
ただ、もし彼らの背中を丸めているものが、
承認欲求や孤独だとしたら。
終わらない競争からの逃避だとしたら。
疲れた心を癒せるものは、
画面の外にもたくさんあることを知ってほしい。
丸まった背中を、少し伸ばして。
前に突き出た首を、真上に戻したら。
画面の中にないような優しい世界が、
たくさん見えるよと伝えたい。
ーースマホが手放せないメカニズムを知り、スマホとのつき合い方を考えようーー
歩いてる人も、立って待ってる人も『スマホゾンビ』。
彼らの背中を丸めているものの正体はなんだろう?
孤独?寂しさ?承認欲求?癒し?
だとしたら。
スマホ画面から目を離して、少し背筋を伸ばしたら。
街中にだって、きれいな景色がたくさんあるよと伝えたい。
ー目次ー
- サルからヒトへ、背筋が伸びてきたはずなのに
- 街中にたくさんある、癒しの景色
- スマホゾンビの背中を丸める黒幕は誰?
- 背筋を伸ばして、スマホ画面の外を見わたしてみよう
1.サルからヒトへ、背筋が伸びてきたはずなのに
人類の進化の過程で、
サルからヒトへだんだん背筋が伸びていく、あの絵。
僕らは背中がびしっと伸びた、ヒトのはずなのに。
あれ?
また背中が丸まっていってる。
みんな、猫背のスマホゾンビ…。
もちろん、背筋がびしっと伸びた人もいる。
けど、駅のホームや、
ちょっとした行列で見かける人の多くは、
背中を丸めてスマホを覗きこんでいる。
せっかく進化の過程で伸びた背筋が、
また丸まってしまうんだろうか。
このままでは、人類の背中は
S字フックのようになってしまう。
2.街中にたくさんある、癒しの景色
スマホ画面から、少しの間でもいい。目を離して。
背筋を伸ばして、周りを見わたしたら。
街中にだって、こんなにきれいな景色が散らばってる。
すぐ隣には車がせわしなく走り、
多くの人たちが行き交うようなオフィス街にも。
少し見わたせば、こんなに癒される景色がある。
常に、なにかに追われる日常。
心の休まるヒマなどないような忙しさ。
資本主義教が巻き起こす、終わりのないレースから、
いっときでも解放してくれる景色がある。
特別な景勝地に行かなくても、身近に。
3.スマホゾンビの背中を丸める黒幕は誰?
もし、猫背のスマホゾンビたちに
「背筋を伸ばしてみて」と声をかけたら。
「ほっといてよ」と煙たがられるかも知れない。
たとえば、こんなふうに。
景色?ガチャで忙しいから後にしてよ。
レアな武器をゲットしてランキング上位に行きたいんだよ!
そうすれば承認欲求が満たせるだろう?
現実では報われない劣等感を埋めていられるだろう?
景色?どうでもいい。
いまグループLINEの返信で忙しい。
ちょっとでも返信が遅れたら
省かれるのが不安でたまらないから!
みんながいる場所をつなぎとめておけば、
現実での孤独から目を逸らしていられるでしょう?
彼らの背中を丸めている黒幕は誰だろう?
承認欲求?
孤独?
寂しさ?
4.背筋を伸ばして、スマホ画面の外を見わたしてみよう
スマホを見るなと言いたいわけじゃない。
列車を待つ、少しの時間でも有効活用できるなら、
それは素晴らしいこと。
ただ、もし彼らの背中を丸めているものが、
承認欲求や孤独だとしたら。
終わらない競争からの逃避だとしたら。
疲れた心を癒せるものは、
画面の外にもたくさんあることを知ってほしい。
丸まった背中を、少し伸ばして。
前に突き出た首を、真上に戻したら。
画面の中にないような優しい世界が、
たくさん見えるよと伝えたい。
ーースマホが手放せないメカニズムを知り、スマホとのつき合い方を考えようーー
2020年07月01日
【差別・ヘイトスピーチ】『ONE PIECE』に学ぶ。差別は”体験”と”意思”の欠如、空っぽの怒り。
なくならない差別的な発言、
過激化、暴徒化するヘイトスピーチ。
「中国は、韓国は〇〇」
「〇〇人は国へ帰れ」
「領土を返せ」
こういうものを見るたび、悲しみとともに思うこと。
特定の誰かに怒りを叫ぶ人たちの中には。
実際に本人から嫌がらせを受けたことのある人は
ほとんどいないんじゃないだろうか。
『ONE PIECE』から学んだ、差別発言をする人の正体。
彼らにはきっと、
なにかされた”体験”も、自ら考える”意思”も欠けている。
空っぽの怒りにすがりついてるだけじゃないだろうか。
ー目次ー
『ONE PIECE』魚人島編に
ホーディ・ジョーンズ率いる「新魚人海賊団」が登場する。
人間に迫害された歴史のある魚人族。
彼は幼少から、そんな人間への恨みを聞き続けて育つ。
そして「人間への復讐」を掲げ、
異を唱える者は同族であろうと手にかけ進軍する。
なのに、
そう。
それほどまでに人間を憎み、差別するホーディには、
人間に迫害された経験がまったくない。
差別発言を繰り返す人たち。
怒りをぶつけ続ける人たち。
実際に何か嫌なことをされたのか。
ひどい扱いを受けたのか、というと。
たぶん多くの人は
「なにもされていない」と答えるんじゃないだろうか。
自分が嫌がらせを、被害を受けたわけでもない。
「体験」も、嫌う根拠を考える「意思」も欠けているのに、
空っぽの憎しみだけで差別に加担している。
差別する人、ヘイトスピーチに傾倒する人。
それにかこつけて暴言を吐く人。
彼らの正体は空っぽだと、ONE PIECEが教えてくれている。
彼らにとって、
暴言の矛先を向ける人たちは、その母国は、
良い者であってはいけないんだ。
怒りをぶつけることが許される”悪”でないと
都合が悪いんだ。
たとえ、家族や近しい人から、
なにかされた経験を語られたとしても。
その恨みを引き継がない選択もできたはず。
なのにそれをせず、自分の意思で差別を止めないのは、
無力な自分の怒りを正当化したいため。
自分に自信が持てず、能力のなさに絶望し、
劣等感にまみれる人生。
あるいは、自分はもっと認められるべきなのに、
こんなはずじゃないという思い。
差別やヘイトは、
不遇な自分の怒りを正当化してくれる聖戦。
表向きには、こう思ってるんじゃないか。
「あいつらは、あいつらの国は
こんなにひどいことをしている。」
「だから、自分が正義の鉄槌を下してやるんだ。
悪を懲らしめるため、聖なる戦いをする自分は正しいんだ。」
違う。
彼らの本音は、
「お願いだ…正しくあってくれ…!!
怒りという正義にすがりついていなければ、
不安で怖くてたまらないんだ…!!
たとえそれが、実体のない空っぽの怒りでも。」
人種差別、ヘイトスピーチ、特定の国に対する暴言。
それはきっと、あなたの本音じゃない。
あなたの怯えが、すがりつく先を探してるだけ。
だから、もしよからぬ言葉が出そうになったら。
どうか自分に問いかけてほしい。
私は一体なにに怯えてるんだろう?
私はどうしてこんなに不安なんだろう?
差別で傷つく人がいない世界を、切に願う。
ーー『ONE PIECE』魚人島編は、差別の正体を教えてくれたーー
過激化、暴徒化するヘイトスピーチ。
「中国は、韓国は〇〇」
「〇〇人は国へ帰れ」
「領土を返せ」
こういうものを見るたび、悲しみとともに思うこと。
特定の誰かに怒りを叫ぶ人たちの中には。
実際に本人から嫌がらせを受けたことのある人は
ほとんどいないんじゃないだろうか。
『ONE PIECE』から学んだ、差別発言をする人の正体。
彼らにはきっと、
なにかされた”体験”も、自ら考える”意思”も欠けている。
空っぽの怒りにすがりついてるだけじゃないだろうか。
ー目次ー
- 人間からの迫害経験がないホーディ・ジョーンズ
- なにもされていないのに、差別に加担する人たち
- 差別する者は、相手が”良い者でないこと”を願っている
- 差別は、無力な自分の怒りを正当化する”聖戦”
- 差別で傷つく人のいない世界を願う
1.人間からの迫害経験がないホーディ・ジョーンズ
『ONE PIECE』魚人島編に
ホーディ・ジョーンズ率いる「新魚人海賊団」が登場する。
人間に迫害された歴史のある魚人族。
彼は幼少から、そんな人間への恨みを聞き続けて育つ。
そして「人間への復讐」を掲げ、
異を唱える者は同族であろうと手にかけ進軍する。
なのに、
フカボシ
「過去お前の身にどれ程の事があった?!
人間は一体お前に何をした!!」
ホーディ
「…なにも」
『ONE PIECE』65巻 643話 より
そう。
それほどまでに人間を憎み、差別するホーディには、
人間に迫害された経験がまったくない。
2.なにもされていないのに、差別に加担する人たち
差別発言を繰り返す人たち。
怒りをぶつけ続ける人たち。
実際に何か嫌なことをされたのか。
ひどい扱いを受けたのか、というと。
たぶん多くの人は
「なにもされていない」と答えるんじゃないだろうか。
自分が嫌がらせを、被害を受けたわけでもない。
「体験」も、嫌う根拠を考える「意思」も欠けているのに、
空っぽの憎しみだけで差別に加担している。
3.差別する者は、相手が”良い者でないこと”を願っている
「新魚人海賊団」は怨念が作り上げたバケモノだ。
先人達の恨みが忘れ去られることを恐れ、
人間達への怒りが冷める日を恐れ…生き急ぎ!!
己の聖戦が正しくある為、人間が良い者でない事を願っている…!!
血を欲するこいつらは魚人族の平穏すら望んではいない!!
こいつらの恨みには「体験」と「意思」が欠如している!!
実体のない…空っぽの敵なんだ!!
『ONE PIECE』65巻 643話 より
差別する人、ヘイトスピーチに傾倒する人。
それにかこつけて暴言を吐く人。
彼らの正体は空っぽだと、ONE PIECEが教えてくれている。
彼らにとって、
暴言の矛先を向ける人たちは、その母国は、
良い者であってはいけないんだ。
怒りをぶつけることが許される”悪”でないと
都合が悪いんだ。
4.差別は、無力な自分の怒りを正当化する”聖戦”
たとえ、家族や近しい人から、
なにかされた経験を語られたとしても。
その恨みを引き継がない選択もできたはず。
なのにそれをせず、自分の意思で差別を止めないのは、
無力な自分の怒りを正当化したいため。
自分に自信が持てず、能力のなさに絶望し、
劣等感にまみれる人生。
あるいは、自分はもっと認められるべきなのに、
こんなはずじゃないという思い。
差別やヘイトは、
不遇な自分の怒りを正当化してくれる聖戦。
表向きには、こう思ってるんじゃないか。
「あいつらは、あいつらの国は
こんなにひどいことをしている。」
「だから、自分が正義の鉄槌を下してやるんだ。
悪を懲らしめるため、聖なる戦いをする自分は正しいんだ。」
違う。
彼らの本音は、
「お願いだ…正しくあってくれ…!!
怒りという正義にすがりついていなければ、
不安で怖くてたまらないんだ…!!
たとえそれが、実体のない空っぽの怒りでも。」
5.差別で傷つく人のいない世界を願う
人種差別、ヘイトスピーチ、特定の国に対する暴言。
それはきっと、あなたの本音じゃない。
あなたの怯えが、すがりつく先を探してるだけ。
だから、もしよからぬ言葉が出そうになったら。
どうか自分に問いかけてほしい。
私は一体なにに怯えてるんだろう?
私はどうしてこんなに不安なんだろう?
差別で傷つく人がいない世界を、切に願う。
ーー『ONE PIECE』魚人島編は、差別の正体を教えてくれたーー
2020年06月26日
【誹謗中傷】他人を貶めたくなるほど、追い詰められたあなたへ 〜その書き込み、大切な人に誇れますか?〜。
ネットで誹謗中傷する人、
他人を傷つけて優越感を得ようとする人。
他人を貶めずにいられないほど、
不安で追い詰められている自分を、どうか責めないでほしい。
それでもあなたの指が、心ない言葉を書き始めたら。
どうか、立ち止まって考えてほしい。
その書き込み、あなたの大切な人に誇れますか?
人を傷つけた罪悪感をいっさい感じないまま、
残りの人生を生きていける自信がありますか?
ー目次ー
あなたが現実世界で抱える不安、不満。
人生がうまくいかない
こんなはずじゃなかった
どうして自分ばかりこんな目に遭うんだ
自分はもっと評価されるべきなのに不遇だ
自分はどうせ何をやってもうまくいかない
だから、自分よりうまくいっている人を貶めたい。
せめてネットの中だけでも、自分の人生を正当化していたい。
そうでもしないと、不安と絶望に押しつぶされてしまう。
たとえ、あなた自身がそのことに気づいていなくても。
「気にくわないから書き込んでるだけだ」と言われても。
あなたの心の底では、きっと悲鳴をあげてる。
現実世界ではとうてい言えないような罵詈雑言を、
ネットに刻み込んでしまうくらい。
本当はすべてを投げ出したい。
ぶちまけてしまいたい。
気に入らないあの人に、上司に、親に、子に。
嫌だと思うこと、気に入らないと思うことに、善も悪もない。
人間として自然な感情。だから自分を責めないでほしい。
そして、あなたが
言いたいことをなかなか言えないことにも、善悪はない。
しがらみも立場も、背負っている責任もある。
だから、鬱憤が溜まるばかりでも、
現実世界では吐き出せない自分を責めないでほしい。
ここまで受け止めてもらえたなら。
もしよければ、考えてみてほしい。
あなたが今、誰かを傷つける言葉を
ネット上に書き込んでいるなら。
その書き込み、
自分の子どもに誇れますか?
自分の家族に誇れますか?
そして、自分自身に誇れますか?
いちど書いてしまったコメントは、
「削除」をクリックしても痕跡は消せない。
10年後の自分が、何かの拍子でその痕跡を見た時、
自分への罪悪感を抱えない自信はありますか?
「言ってやった自分はすごいだろう」
「正義のためにアイツを懲らしめてやった」
そんな、一時の達成感だけを
残りの人生ずっと持ち続けられますか?
「ちょっとひどいこと書いちゃったな…」
そんな後ろめたさを感じずに生きていける自信はありますか?
心ない言葉は、他人を傷つけて終わりじゃない。
いちばん近くで聞いてる人がいる。
それは、自分自身。
気に入らないアイツを傷つけてやった。
やってやった自分の方が優れてるんだ。
なんで自分はうまくいってないのに、
自分より下のはずのアイツはうまくいってるんだ。
許せない、引きずり落としてやる!
そう思って、誰かに言葉の刃物を刺したあなた。
すぐには気づかなくても、
誰でもない自分自身にいちばん深く刺さってる。
もう、自分自身を傷つけるのはやめよう。
あなたが現実世界で報われていないこと、
不安と自己否定に押しつぶされそうなことは、
あなたのせいじゃない。
いろんな辛いことがあって、悲しみがあって今、
不満を溜め込んでしまった事実があるだけ。
そこに善悪も、あなたの責任もない。
だから、
誰かを貶める書き込みをしようとしている自分
誹謗中傷コメントをしようとしている自分
そんな自分を含めて、抱きしめてあげてほしい。
そして、労ってあげてほしい。
「そこまで追い詰められてるんだね、辛かったね」と。
他の誰に認められなくても、
自分のいちばん近くにいるのは自分だから。
自分だけは、自分の味方でいてほしい。
綺麗事だとしても、それが僕の伝えたいこと。
ーー他人を攻撃するのは、不安な自分を守るため。心のメカニズムを知ろう。ーー
他人を傷つけて優越感を得ようとする人。
他人を貶めずにいられないほど、
不安で追い詰められている自分を、どうか責めないでほしい。
それでもあなたの指が、心ない言葉を書き始めたら。
どうか、立ち止まって考えてほしい。
その書き込み、あなたの大切な人に誇れますか?
人を傷つけた罪悪感をいっさい感じないまま、
残りの人生を生きていける自信がありますか?
ー目次ー
- 鬱憤を溜め込んだ自分を、責めなくていい
- その書き込み、あなたの大切な人に誇れますか?
- 自分の言葉は、自分がいちばん近くで聞いている
- 綺麗事だとしても、伝えたいこと
1.鬱憤を溜め込んだ自分を、責めなくていい
あなたが現実世界で抱える不安、不満。
人生がうまくいかない
こんなはずじゃなかった
どうして自分ばかりこんな目に遭うんだ
自分はもっと評価されるべきなのに不遇だ
自分はどうせ何をやってもうまくいかない
だから、自分よりうまくいっている人を貶めたい。
せめてネットの中だけでも、自分の人生を正当化していたい。
そうでもしないと、不安と絶望に押しつぶされてしまう。
たとえ、あなた自身がそのことに気づいていなくても。
「気にくわないから書き込んでるだけだ」と言われても。
あなたの心の底では、きっと悲鳴をあげてる。
現実世界ではとうてい言えないような罵詈雑言を、
ネットに刻み込んでしまうくらい。
本当はすべてを投げ出したい。
ぶちまけてしまいたい。
気に入らないあの人に、上司に、親に、子に。
嫌だと思うこと、気に入らないと思うことに、善も悪もない。
人間として自然な感情。だから自分を責めないでほしい。
そして、あなたが
言いたいことをなかなか言えないことにも、善悪はない。
しがらみも立場も、背負っている責任もある。
だから、鬱憤が溜まるばかりでも、
現実世界では吐き出せない自分を責めないでほしい。
2.その書き込み、あなたの大切な人に誇れますか?
ここまで受け止めてもらえたなら。
もしよければ、考えてみてほしい。
あなたが今、誰かを傷つける言葉を
ネット上に書き込んでいるなら。
その書き込み、
自分の子どもに誇れますか?
自分の家族に誇れますか?
そして、自分自身に誇れますか?
いちど書いてしまったコメントは、
「削除」をクリックしても痕跡は消せない。
10年後の自分が、何かの拍子でその痕跡を見た時、
自分への罪悪感を抱えない自信はありますか?
「言ってやった自分はすごいだろう」
「正義のためにアイツを懲らしめてやった」
そんな、一時の達成感だけを
残りの人生ずっと持ち続けられますか?
「ちょっとひどいこと書いちゃったな…」
そんな後ろめたさを感じずに生きていける自信はありますか?
3.自分の言葉は、自分がいちばん近くで聞いている
心ない言葉は、他人を傷つけて終わりじゃない。
いちばん近くで聞いてる人がいる。
それは、自分自身。
気に入らないアイツを傷つけてやった。
やってやった自分の方が優れてるんだ。
なんで自分はうまくいってないのに、
自分より下のはずのアイツはうまくいってるんだ。
許せない、引きずり落としてやる!
そう思って、誰かに言葉の刃物を刺したあなた。
すぐには気づかなくても、
誰でもない自分自身にいちばん深く刺さってる。
4.綺麗事だとしても、伝えたいこと
もう、自分自身を傷つけるのはやめよう。
あなたが現実世界で報われていないこと、
不安と自己否定に押しつぶされそうなことは、
あなたのせいじゃない。
いろんな辛いことがあって、悲しみがあって今、
不満を溜め込んでしまった事実があるだけ。
そこに善悪も、あなたの責任もない。
だから、
誰かを貶める書き込みをしようとしている自分
誹謗中傷コメントをしようとしている自分
そんな自分を含めて、抱きしめてあげてほしい。
そして、労ってあげてほしい。
「そこまで追い詰められてるんだね、辛かったね」と。
他の誰に認められなくても、
自分のいちばん近くにいるのは自分だから。
自分だけは、自分の味方でいてほしい。
綺麗事だとしても、それが僕の伝えたいこと。
ーー他人を攻撃するのは、不安な自分を守るため。心のメカニズムを知ろう。ーー
2020年06月19日
【継続への挫折】ブログ連続更新の葛藤、折れた心との対話。
ブログ連続更新が550日を超えた昨今。
実はここ1週間ほど、
ブログを書くことへの心が折れていた。
「もう書くのを辞めてしまいたい」と。
今回は、毎日ブログを執筆する中での、
僕の葛藤をお伝えしたい。
何かを継続することに心が折れてしまった人
何の意味も成果も出ないんじゃないかと葛藤している人
そうやって、迷い苦しんでいる人がいたら、
一緒に乗り越えて行こうよと伝えたい。
ー目次ー
毎日、書くネタ探しに追われるような
焦燥感でいっぱいになり、勝手に追い詰められていった。
今日のネタを早く見つけて書き始めないと
寝る時間がどんどん遅くなる。
焦りが先行し、考えがまとまらない。
素直な気持ちよりも、書かなければという義務感が先立つ。
何のために、誰のために書いてるのか。
何に追われているのか。
ぐちゃぐちゃになったまま、
アイデアがまとまらない負のループに陥ってしまった。
数週間ほど前から
肩と首の凝りが慢性化し、痛みと吐き気が出た。
これにより、
デスクに座ってPCに向かう動作が辛くなった。
小手先のマッサージや、睡眠時間の増加では改善せず。
風邪はひいていないし、体調は良好なのに
なんとなく不調という状態に陥った。
どれだけの連続更新を続けたところで
何も得られないんじゃないかと思い始めた。
自分で勝手に限界を作り出し、
連続更新の先に結果という見返りがほしくなってしまった。
自分がブログを書き続けたところで
今が楽になるわけじゃない。
今そこにある痛みは、苦しみは変わらない。
そんな、目先の損得ばかりに目が行くようになった。
スーパー銭湯に行く計画を立てては
気持ちの面で行かずにだらだらしてきた最近。
シャワーで済ませていた最近。
ついに自宅でお風呂を沸かした。
なんだかんだ、
お風呂に浸かるのがいちばんの特効薬。
思い返せば、心理学的なことを深掘りして書いてきた。
いつの間にか、短い記事ではダメだと自分を縛っていた。
心理的なことがすべてじゃないし、文字数が基準でもない。
自分の生活すべてがコンテンツになるじゃないか。
おもしろい本の紹介や、夕食の紹介でもいいじゃないかと
自分に許しを出した。
書くからには納得いくものを世に出したいと、
どこかで無理をしていた。
「毎日、有益な情報を書かなければならない」
そんなハードルを無意識に課しては、
自分でしんどくなっていた。
最近はTwitterとInstagramの投稿頻度を減らして
睡眠時間を長くしている。
突っ走り過ぎる、自分に
「今日はこれぐらいで」と言う技術の習得中。
この1週間、いろいろやってきて。
無意識の完璧主義に気づいて、ゆるくできたのは大きい。
だけど、いちばん効いたのは。
やっぱりこれ。シンプル過ぎる結論。
お風呂が最強。
慢性化した肩と首の凝り、吐き気、軽い腰痛が
ほぼ吹き飛んだ。
身体の重さがなくなり、気力も回復と、
お風呂はいいことずくめ。
シャワーもいいけど、もうひと手間。
疲れた時は、お風呂を沸かそう。
ーー自宅のお風呂で、温泉に癒されたいーー
実はここ1週間ほど、
ブログを書くことへの心が折れていた。
「もう書くのを辞めてしまいたい」と。
今回は、毎日ブログを執筆する中での、
僕の葛藤をお伝えしたい。
何かを継続することに心が折れてしまった人
何の意味も成果も出ないんじゃないかと葛藤している人
そうやって、迷い苦しんでいる人がいたら、
一緒に乗り越えて行こうよと伝えたい。
ー目次ー
- 心が折れた3つの原因
- 3つの気力回復対策
- いちばんの特効薬はお風呂
1.心が折れた3つの原因
1.締め切りに追われるような焦燥感
毎日、書くネタ探しに追われるような
焦燥感でいっぱいになり、勝手に追い詰められていった。
今日のネタを早く見つけて書き始めないと
寝る時間がどんどん遅くなる。
焦りが先行し、考えがまとまらない。
素直な気持ちよりも、書かなければという義務感が先立つ。
何のために、誰のために書いてるのか。
何に追われているのか。
ぐちゃぐちゃになったまま、
アイデアがまとまらない負のループに陥ってしまった。
2.肩と首の凝りが慢性化
数週間ほど前から
肩と首の凝りが慢性化し、痛みと吐き気が出た。
これにより、
デスクに座ってPCに向かう動作が辛くなった。
小手先のマッサージや、睡眠時間の増加では改善せず。
風邪はひいていないし、体調は良好なのに
なんとなく不調という状態に陥った。
3.ブログ継続への限界を作り出した
どれだけの連続更新を続けたところで
何も得られないんじゃないかと思い始めた。
自分で勝手に限界を作り出し、
連続更新の先に結果という見返りがほしくなってしまった。
自分がブログを書き続けたところで
今が楽になるわけじゃない。
今そこにある痛みは、苦しみは変わらない。
そんな、目先の損得ばかりに目が行くようになった。
2.3つの気力回復対策
1.お風呂に浸かった
スーパー銭湯に行く計画を立てては
気持ちの面で行かずにだらだらしてきた最近。
シャワーで済ませていた最近。
ついに自宅でお風呂を沸かした。
なんだかんだ、
お風呂に浸かるのがいちばんの特効薬。
2.少ない文字数でもOKにした
思い返せば、心理学的なことを深掘りして書いてきた。
いつの間にか、短い記事ではダメだと自分を縛っていた。
心理的なことがすべてじゃないし、文字数が基準でもない。
自分の生活すべてがコンテンツになるじゃないか。
おもしろい本の紹介や、夕食の紹介でもいいじゃないかと
自分に許しを出した。
3.突っ走り過ぎた自分を休ませた
書くからには納得いくものを世に出したいと、
どこかで無理をしていた。
「毎日、有益な情報を書かなければならない」
そんなハードルを無意識に課しては、
自分でしんどくなっていた。
最近はTwitterとInstagramの投稿頻度を減らして
睡眠時間を長くしている。
突っ走り過ぎる、自分に
「今日はこれぐらいで」と言う技術の習得中。
3.いちばんの特効薬はお風呂
この1週間、いろいろやってきて。
無意識の完璧主義に気づいて、ゆるくできたのは大きい。
だけど、いちばん効いたのは。
やっぱりこれ。シンプル過ぎる結論。
お風呂が最強。
慢性化した肩と首の凝り、吐き気、軽い腰痛が
ほぼ吹き飛んだ。
身体の重さがなくなり、気力も回復と、
お風呂はいいことずくめ。
シャワーもいいけど、もうひと手間。
疲れた時は、お風呂を沸かそう。
ーー自宅のお風呂で、温泉に癒されたいーー
2020年06月11日
骨折が教えてくれた、身体のケアの大切さ 〜人は、痛い目を見てようやく気づく〜。
僕は2016年5月に、左足首を骨折した。
大好きなバスケどころか、
歩くこともできない日々が辛い時もあった。
だけど、恥ずかしながら
骨折したおかげで大切なことに気づかされた。
それが
ケガしないための身体のケア
僕が骨折して以来、ストレッチや体幹運動を
習慣化するまでの経緯をシェアしたい。
ー目次ー
バスケのゲーム中、左足1本で着地した際に鈍痛。
「左足首内果骨折」
内側のくるぶしの骨が剥がれた状態。
靭帯や腱の損傷は奇跡的になし。
よほどきれいに垂直の力が加わったんだろう。
整形外科の先生がこう言って笑っていた。
「どういう状態w何やったらこんなきれいに割れるの(笑)」
手術でボルトを入れ、離れた骨をくっつける。
3週間の入院と、2週目から歩行訓練、リハビリ。
スポーツ復帰まで2ヵ月とのことだった。
※手術直後の映像が残っていた。
入院2週目。
松葉杖が板についてきたあたりで、
徐々に歩行訓練を中心としたリハビリが始まった。
リハビリで初めて、自分がどれだけ
自分の身体を使えていないか思い知らされた。
おそらくケガの最大の要因。
身体のごく一部の筋肉しか使えていないから、
衝撃を分散できず、特定の部位に負荷が集中する。
コンクリートの床と避難用マットの
どちらが衝撃をやわらげるかは明白。
リハビリのメニューに、
バランスボードに乗りながら
重さ1キロのウェイトボールを受け取る動きがある。
当時の僕はなんと、
バランスボードにも乗れないほどバランス感覚が乏しかった。
柱につかまってようやく乗れるくらいなので、
ウェイトボールを受け取るのは夢物語だった。
そんな大騒ぎの末、何とかバスケに復帰できた。
今回の大ケガで
身体のケアの大切さを思い知った僕は、
毎日のルーティーンにこの3つを取り入れた。
ガチガチだった関節と筋肉に、弾力と柔軟性をつける。
衝撃と負荷を分散させ、全身を効率よく使う。
とにかくケガしにくい身体作りと、
股割りをしてみたい新目標のため。
バランスを取る動作は全身をまんべんなく使う。
身体のすみずみまで使う感覚を覚えるため、
洗面所にバランスボードを置いた。
毎日の洗面、歯磨き、身支度を
バランスボードに乗って行うようになった。
重さ3キロのウェイトボールを使った
ハンドリング練習。
これも全身を使う感覚を養うため。
球技をやっているので
ボールを扱う方が楽しいという理由も。
あれから4年。
ボルトを取る手術もできたが、受けなかった。
なので左足首にはまだボルトが入っている。
空港の金属探知機をくぐる時、その説明をする。
柔軟性、バランス感覚は、それなりに上がった。
幸いなことに、
あれ以来、大きなケガはしていない。
あの時、靭帯や腱が無傷だったのも幸運だった。
身体のケアの大切さに、
痛い目を見てようやく気づくとは、恥ずかしい限り。
だけど、この痛い目は結果的に、
僕のバスケ人生を大幅に伸ばしてくれた。
ーーバランスボード、ウェイトボール、トレーニング用品の購入はこちらーー
大好きなバスケどころか、
歩くこともできない日々が辛い時もあった。
だけど、恥ずかしながら
骨折したおかげで大切なことに気づかされた。
それが
ケガしないための身体のケア
僕が骨折して以来、ストレッチや体幹運動を
習慣化するまでの経緯をシェアしたい。
ー目次ー
- 骨折の経緯と、笑える患部の状態
- リハビリで思い知った、自分の身体のぎこちなさ
- ケガしない身体作りに取り入れた、3つのルーティーン
- 痛い目を見て、大切なことに気づく
1.骨折の経緯と、笑える患部の状態
バスケのゲーム中、左足1本で着地した際に鈍痛。
「左足首内果骨折」
内側のくるぶしの骨が剥がれた状態。
靭帯や腱の損傷は奇跡的になし。
よほどきれいに垂直の力が加わったんだろう。
整形外科の先生がこう言って笑っていた。
「どういう状態w何やったらこんなきれいに割れるの(笑)」
手術でボルトを入れ、離れた骨をくっつける。
3週間の入院と、2週目から歩行訓練、リハビリ。
スポーツ復帰まで2ヵ月とのことだった。
※手術直後の映像が残っていた。
2.リハビリで思い知った、自分の身体のぎこちなさ
入院2週目。
松葉杖が板についてきたあたりで、
徐々に歩行訓練を中心としたリハビリが始まった。
リハビリで初めて、自分がどれだけ
自分の身体を使えていないか思い知らされた。
1.身体が固く、可動域が狭い
おそらくケガの最大の要因。
身体のごく一部の筋肉しか使えていないから、
衝撃を分散できず、特定の部位に負荷が集中する。
コンクリートの床と避難用マットの
どちらが衝撃をやわらげるかは明白。
2.体幹が弱く、バランス感覚が悪い
リハビリのメニューに、
バランスボードに乗りながら
重さ1キロのウェイトボールを受け取る動きがある。
当時の僕はなんと、
バランスボードにも乗れないほどバランス感覚が乏しかった。
柱につかまってようやく乗れるくらいなので、
ウェイトボールを受け取るのは夢物語だった。
3.ケガしない身体作りに取り入れた、3つのルーティーン
そんな大騒ぎの末、何とかバスケに復帰できた。
今回の大ケガで
身体のケアの大切さを思い知った僕は、
毎日のルーティーンにこの3つを取り入れた。
1.寝る前のストレッチ
ガチガチだった関節と筋肉に、弾力と柔軟性をつける。
衝撃と負荷を分散させ、全身を効率よく使う。
とにかくケガしにくい身体作りと、
股割りをしてみたい新目標のため。
2.洗面所にバランスボードを設置
バランスを取る動作は全身をまんべんなく使う。
身体のすみずみまで使う感覚を覚えるため、
洗面所にバランスボードを置いた。
毎日の洗面、歯磨き、身支度を
バランスボードに乗って行うようになった。
3.ウェイトボールのトレーニング
重さ3キロのウェイトボールを使った
ハンドリング練習。
これも全身を使う感覚を養うため。
球技をやっているので
ボールを扱う方が楽しいという理由も。
4.痛い目を見て、大切なことに気づく
あれから4年。
ボルトを取る手術もできたが、受けなかった。
なので左足首にはまだボルトが入っている。
空港の金属探知機をくぐる時、その説明をする。
柔軟性、バランス感覚は、それなりに上がった。
幸いなことに、
あれ以来、大きなケガはしていない。
あの時、靭帯や腱が無傷だったのも幸運だった。
身体のケアの大切さに、
痛い目を見てようやく気づくとは、恥ずかしい限り。
だけど、この痛い目は結果的に、
僕のバスケ人生を大幅に伸ばしてくれた。
ーーバランスボード、ウェイトボール、トレーニング用品の購入はこちらーー
2020年06月10日
親が地球儀を買ってくれなかった理由 〜激動の時代背景を理解する〜。
小学生の頃。
地図と年鑑が好きだった僕は、親に
「地球儀がほしい」とずっと頼んでいた。
だけど結局、買ってもらえなかった。
親が言った理由は、
「地球儀の地図なんてどんどん古くなるから」
当時は納得できなかった。
「どうして地図はよくて地球儀はダメなんだ」と
本気で思っていた。
だけど、親が生きた時代を理解した今、
「地図が古くなる」の意味がようやくわかった。
ー目次ー
僕の両親が青春時代を過ごしたのは、
1960年代〜70年代。
若い時代を過ごしたのは、
1980年代〜90年代。
ざっくり挙げるだけでも、
すさまじい激動だったことがわかる。
高度経済成長
東京オリンピック
世界中で相次ぐ独立国の誕生
2度のオイルショック
ベトナム戦争、中東戦争
バブル
ベルリンの壁崩壊
バブル崩壊
ソ連崩壊
東西ドイツ統一
いま以上に、世界地図がころころ変わっていた時代。
国が生まれ、分裂し、統一されるのが頻繁にあった時代。
それを肌で感じてきたからこその言葉だったんだろう。
小学生の僕が、店頭で地球儀を見て思ったこと。
「地球儀って、どうしてこんなに値段が高いの?」
覚えている限り、当時の価格で4000円〜1万円以上。
現在は数万〜数十万円まである。
「地球儀 高額 理由」で検索するも、
今のところ答えを見つけられていない。
親が地球儀を買ってくれなかった理由は、
「すぐに古くなる高額な地図」
と思っていたからかも知れない。
地図帳10冊分のお金をかけて、
ころころ変わるものを眺めさせたくない。
そんな思いがあったんだろうか。
地球儀の作りは大きく分けて以下の2種類。
どちらも地球儀を回すときの楽しみ。
日本から遠く離れた国を見つけては、
まるでその国に行ったような空想にふける。
小学生の時、あれほど欲しがった地球儀。
なのに僕は結局、自分の地球儀を持たなかった。
だけど、地球儀を見かけた時は
とてもわくわくした気持ちになる。
遠い国、高い山、極地を指差しては、
そこに何があるかに想いを巡らせるのが好き。
そんな、憧れだった地球儀の話。
地図と年鑑が好きだった僕は、親に
「地球儀がほしい」とずっと頼んでいた。
だけど結局、買ってもらえなかった。
親が言った理由は、
「地球儀の地図なんてどんどん古くなるから」
当時は納得できなかった。
「どうして地図はよくて地球儀はダメなんだ」と
本気で思っていた。
だけど、親が生きた時代を理解した今、
「地図が古くなる」の意味がようやくわかった。
ー目次ー
- 国の誕生、分裂、統一が当たり前にあった時代
- 地球儀は”すぐに古くなる高額な地図”だった?
- 地球儀を回す楽しみ、行政型と地勢型
- 地球儀は憧れの存在だった
1.国の誕生、分裂、統一が当たり前にあった時代
僕の両親が青春時代を過ごしたのは、
1960年代〜70年代。
若い時代を過ごしたのは、
1980年代〜90年代。
ざっくり挙げるだけでも、
すさまじい激動だったことがわかる。
1960年代
高度経済成長
東京オリンピック
世界中で相次ぐ独立国の誕生
1970年代
2度のオイルショック
ベトナム戦争、中東戦争
1980年代
バブル
ベルリンの壁崩壊
1990年代
バブル崩壊
ソ連崩壊
東西ドイツ統一
いま以上に、世界地図がころころ変わっていた時代。
国が生まれ、分裂し、統一されるのが頻繁にあった時代。
それを肌で感じてきたからこその言葉だったんだろう。
2.地球儀は”すぐに古くなる高額な地図”だった?
小学生の僕が、店頭で地球儀を見て思ったこと。
「地球儀って、どうしてこんなに値段が高いの?」
覚えている限り、当時の価格で4000円〜1万円以上。
現在は数万〜数十万円まである。
「地球儀 高額 理由」で検索するも、
今のところ答えを見つけられていない。
親が地球儀を買ってくれなかった理由は、
「すぐに古くなる高額な地図」
と思っていたからかも知れない。
地図帳10冊分のお金をかけて、
ころころ変わるものを眺めさせたくない。
そんな思いがあったんだろうか。
3.地球儀を回す楽しみ、行政型と地勢型
地球儀の作りは大きく分けて以下の2種類。
- 『行政型』
国の単位で色分けされている
どこにどんな国があるか知れる - 『地勢型』
地形の凹凸がリアルに再現されている
「地球感」を感じられる
どちらも地球儀を回すときの楽しみ。
日本から遠く離れた国を見つけては、
まるでその国に行ったような空想にふける。
4.地球儀は憧れの存在だった
小学生の時、あれほど欲しがった地球儀。
なのに僕は結局、自分の地球儀を持たなかった。
だけど、地球儀を見かけた時は
とてもわくわくした気持ちになる。
遠い国、高い山、極地を指差しては、
そこに何があるかに想いを巡らせるのが好き。
そんな、憧れだった地球儀の話。
2020年06月09日
虎の威を借る狐、国の威を借る「領土を返せ」発言 〜アドラー心理学”権威づけ”の観点から〜。
※領土問題の話が出ますが、
それについて悪意や批判の意思はありません。
「領土を返せ」と言っている人は、なぜ公共の場で
「領土を返せ」と言っているのか考えてみた、という内容です。
※全員に当てはまるとは考えていないことも、
注釈させていただきます。
日本にもある領土問題。
思うところがある人はきっと多い。
ただ、最近「悲しいな」と思ったこと。
出身者や関係者でない人たちが、どうしてわざわざ
ネットのコメントなど公共の場で「返せ」と言うのか。
わざわざネット上で「返せ」と言う人の心理を考えた結果、
「虎の威を借る狐」で説明がつくんじゃないかと思った。
ー目次ー
外国に興味がある者の端くれとして、
サハリンや北方領土に近い北海道民として。
サハリンを紹介してくれた
北のアリョーナさんの動画に感動。
今、同じ街にこんなすごい人がいるんだ。
どこかですれ違ってるかも知れないと思うと嬉しい。
ただ、コメント欄を見て悲しくなった。
「サハリンを返せ」「日本の領土だったんだから」
故郷を紹介しただけで、
どうしてこんなことを言われなければならないんだろう。
僕が山口に住んでいたとき、
もし北海道を紹介して「返せ」と言われていたら。
きっと悲しい気持ちになっていた。
かつて、どこの領土だったとしても。
そこには人の暮らしがあり、文化がある。
どこの領土かについては、政治家に言うこと。
もしくは、わざわざ言わずに、意見として持っていればいい。
にもかかわらず、どうして公共の場で「領土を返せ」と言うのか。
それは、
国という強大な力に自分の意見を乗せることで、
あたかも自分が優れているように見せられるから。
「虎の威を借る狐」のように、
「国の威」を借りて、見せかけの優越感に浸れるから。
北方領土を返還してほしいという、国の意思。
だったら自分も同じように「返せ」と言えば、
まるで国の力が自分の力のように錯覚できる。
「自分のバックには国家がついてるんだぞ」
「国家と同じ意見を主張できる自分はすごいんだぞ」
しかも、公共の場で「領土を返せ」と言えば、
一定数の同調してくれる人が現れる。
それによって、自信と安心を手にできる。
「自分が言ったことは正しいんだ」と、
ただ、「返せ」と打つだけで。簡単に。
では、どうしてわざわざ
「国の威」を借りなければならないのか。
それは、本当は自分に自信がなく、
強い劣等感を抱えているから。
何の後ろ盾もないまま、
自分の意思を主張するのが怖くてたまらないから。
本当の自分は劣っている、無力な存在。
それを悟られるのが怖い。
でも自分を成長させて
無力感を解消する労力はかけたくない。
かといって、本当は無力な自分を受け入れたくもない。
簡単な方法で、自分は優れた存在だと認められたい。
だから、強い力を持った者と同じことを言って、
自分の優位性を誇示しようとする。
そうでもしないと、
「こんな自分」を誰も認めてくれないと思ってるから。
昨今、芸能人の政治的な発言が叩かれてしまった。
知名度のある人が、政治に関わる意見を言うと、
冷静でいられない人が多いことを実感した。
だから今回、
領土問題が絡む内容を書くのはすごく怖かった。
だけど僕は、自分の意見を言うために
虎の威を借りたくなかった。
悲しいと感じたこと、「なぜ言うの?」と疑問だったこと。
書くのが怖かったこと、正直に書いた。
僕は、外国のいろんな場所について、
もっと知りたいと思った。
ーー劣等感を隠すための権威づけについて、勉強になった本ーー
それについて悪意や批判の意思はありません。
「領土を返せ」と言っている人は、なぜ公共の場で
「領土を返せ」と言っているのか考えてみた、という内容です。
※全員に当てはまるとは考えていないことも、
注釈させていただきます。
日本にもある領土問題。
思うところがある人はきっと多い。
ただ、最近「悲しいな」と思ったこと。
出身者や関係者でない人たちが、どうしてわざわざ
ネットのコメントなど公共の場で「返せ」と言うのか。
わざわざネット上で「返せ」と言う人の心理を考えた結果、
「虎の威を借る狐」で説明がつくんじゃないかと思った。
ー目次ー
- サハリンにも、北方領土にも、悲しい「返せ」の声
- 「国の威」を借りて、見せかけの優越感に浸る
- 強い劣等感を、お手軽に隠したい
- 本当に怖かった、領土問題が絡む記事の執筆
1.サハリンにも、北方領土にも、悲しい「返せ」の声
外国に興味がある者の端くれとして、
サハリンや北方領土に近い北海道民として。
サハリンを紹介してくれた
北のアリョーナさんの動画に感動。
今、同じ街にこんなすごい人がいるんだ。
どこかですれ違ってるかも知れないと思うと嬉しい。
ただ、コメント欄を見て悲しくなった。
「サハリンを返せ」「日本の領土だったんだから」
故郷を紹介しただけで、
どうしてこんなことを言われなければならないんだろう。
僕が山口に住んでいたとき、
もし北海道を紹介して「返せ」と言われていたら。
きっと悲しい気持ちになっていた。
2.「国の威」を借りて、見せかけの優越感に浸る
かつて、どこの領土だったとしても。
そこには人の暮らしがあり、文化がある。
どこの領土かについては、政治家に言うこと。
もしくは、わざわざ言わずに、意見として持っていればいい。
にもかかわらず、どうして公共の場で「領土を返せ」と言うのか。
それは、
国という強大な力に自分の意見を乗せることで、
あたかも自分が優れているように見せられるから。
「虎の威を借る狐」のように、
「国の威」を借りて、見せかけの優越感に浸れるから。
たとえば自分が権力者と懇意であることを、ことさらアピールする。
それによって自分が特別な存在であるかのように見せつける。
あるいは、経歴詐称や服飾品における過度なブランド信仰なども、
ひとつの権威づけであり、優越コンプレックスの側面があるでしょう。
いずれの場合も「わたし」が優れていたり、
特別であったりするわけではありません。
「わたし」と権威を結びつけることによって、あたかも
「わたし」が優れているかのように見せかけている。
つまりは偽りの優越感です。
『嫌われる勇気』”優越コンプレックスについて” より
北方領土を返還してほしいという、国の意思。
だったら自分も同じように「返せ」と言えば、
まるで国の力が自分の力のように錯覚できる。
「自分のバックには国家がついてるんだぞ」
「国家と同じ意見を主張できる自分はすごいんだぞ」
しかも、公共の場で「領土を返せ」と言えば、
一定数の同調してくれる人が現れる。
それによって、自信と安心を手にできる。
「自分が言ったことは正しいんだ」と、
ただ、「返せ」と打つだけで。簡単に。
3.強い劣等感を、お手軽に隠したい
では、どうしてわざわざ
「国の威」を借りなければならないのか。
それは、本当は自分に自信がなく、
強い劣等感を抱えているから。
何の後ろ盾もないまま、
自分の意思を主張するのが怖くてたまらないから。
本当の自分は劣っている、無力な存在。
それを悟られるのが怖い。
でも自分を成長させて
無力感を解消する労力はかけたくない。
かといって、本当は無力な自分を受け入れたくもない。
簡単な方法で、自分は優れた存在だと認められたい。
だから、強い力を持った者と同じことを言って、
自分の優位性を誇示しようとする。
そうでもしないと、
「こんな自分」を誰も認めてくれないと思ってるから。
4.本当に怖かった、領土問題が絡む記事の執筆
昨今、芸能人の政治的な発言が叩かれてしまった。
知名度のある人が、政治に関わる意見を言うと、
冷静でいられない人が多いことを実感した。
だから今回、
領土問題が絡む内容を書くのはすごく怖かった。
だけど僕は、自分の意見を言うために
虎の威を借りたくなかった。
悲しいと感じたこと、「なぜ言うの?」と疑問だったこと。
書くのが怖かったこと、正直に書いた。
僕は、外国のいろんな場所について、
もっと知りたいと思った。
ーー劣等感を隠すための権威づけについて、勉強になった本ーー
2020年06月08日
誹謗中傷は、歪んだ悲しみの暴走 〜正しく闘うために、相手を知る〜。
大きな問題になっている、ネットでの誹謗中傷。
正しく闘うために、どうすればいいか考えていた。
決して許されない行為だけど、
「ダメ、ゼッタイ。だから闘う、ねじ伏せる。」
だけでいいんだろうか。
毅然とした姿勢に加えて、
相手の背景を想像し、理解しようとしてみるのも
有効なんじゃないだろうか。
ネットで誹謗中傷する人のバックグラウンドについての、
僕の考えをシェアしたい。
ー目次ー
最初に伝えたいことは、
僕は誹謗中傷する人を擁護する気はないということ。
加害者にどんな事情があろうと、
許したり、「だったら仕方ないね」と言う気はない。
言葉の刃物は、容易に相手を殺す。
やってはいけないこと。
それを前提として。
「誹謗中傷はダメ!」というだけでなく、
誹謗中傷してしまった背景も考えてみよう、という提案。
彼らがわざわざネットで誹謗中傷しないといけないくらい、
実生活で満たされず、追い詰められ、孤独に震えてるとしたら。
気軽にできる憂さ晴らしに、つい手を染めてしまったとしたら。
誹謗中傷という行為に至るまでに、
彼らがどういう気持ちで生きてきたのか。
その背景まで追うことで、
根底にある原因が見つかるかも知れない。
現状への不満、自分をわかってもらえない孤独感。
それを変える勇気を持てない自分への無力感。
そんな満たされない日々の中に、
2つの選択肢があったら、どっちを選ぶだろう。
正しく闘うために、どうすればいいか考えていた。
決して許されない行為だけど、
「ダメ、ゼッタイ。だから闘う、ねじ伏せる。」
だけでいいんだろうか。
毅然とした姿勢に加えて、
相手の背景を想像し、理解しようとしてみるのも
有効なんじゃないだろうか。
ネットで誹謗中傷する人のバックグラウンドについての、
僕の考えをシェアしたい。
ー目次ー
- 擁護ではなく、背景を考えてみようという提案
- 根底には、無力な自分への深い諦めがある
- 親からもらえなかった愛情を、代わりに求める
- 誹謗中傷は、ずっと積もった悲しみの暴走
- 正しく闘うために、相手を理解してみる
1.擁護ではなく、背景を考えてみようという提案
最初に伝えたいことは、
僕は誹謗中傷する人を擁護する気はないということ。
加害者にどんな事情があろうと、
許したり、「だったら仕方ないね」と言う気はない。
言葉の刃物は、容易に相手を殺す。
やってはいけないこと。
それを前提として。
「誹謗中傷はダメ!」というだけでなく、
誹謗中傷してしまった背景も考えてみよう、という提案。
彼らがわざわざネットで誹謗中傷しないといけないくらい、
実生活で満たされず、追い詰められ、孤独に震えてるとしたら。
気軽にできる憂さ晴らしに、つい手を染めてしまったとしたら。
誹謗中傷という行為に至るまでに、
彼らがどういう気持ちで生きてきたのか。
その背景まで追うことで、
根底にある原因が見つかるかも知れない。
2.根底には、無力な自分への深い諦めがある
現状への不満、自分をわかってもらえない孤独感。
それを変える勇気を持てない自分への無力感。
そんな満たされない日々の中に、
2つの選択肢があったら、どっちを選ぶだろう。
- 実生活を満たすために、労力と時間をかけて自分を変える
- 労力も時間もかけず、SNSなどでお手軽に八つ当たりする
誹謗中傷する人だけじゃなく、
楽な方を選ぶ人はいるんじゃないかな。
ここで考えることは、その選択が是か非かではなく、
どうして楽な方を選ばなければいけなかったか。
それは、その人の根底に
「どうせ自分には何もできない」
という自分への深い諦めがあるから。
本当は何もできない自分を隠すために、
周りより優位な場所にいたい。
本当は怯えてる自分を悟られないために、
周りを攻撃し、支配したい。
特別でない自分を受け入れたくないために、
誹謗中傷のような目立つことをしたい。
そうやって、
自尊心の低い自分から必死で目を逸らそうとしている。
3.親からもらえなかった愛情を、代わりに求める
そこまでの自己否定、自尊心の低さの根底には
親から愛情をもらえなかった悲しみがある。
自分のことを見てもらえなかった、
特別な存在として大切にされなかった。
親にすらそんな扱いを受けた自分が、
他人に受け入れられるわけがないんだ。
他人は敵なんだ、だから攻撃して勝つんだ。
自分の優位性を示して、
親からもらえなかった注目を、代わりにもらうんだ。
たとえ、言葉で相手を傷つけてでも。
4.誹謗中傷は、ずっと積もった悲しみの暴走
親から愛情をもらえなかった理由、
きっかけになった出来事、それはわからない。
確かに言えることは、親もその親から
充分な愛情をもらえなかったということ。
子どもに与えるだけの愛情を持てないまま親になり、
うまく愛情をもらえなかった子どもがまた親になる。
悲しみが連鎖しているということ。
だから、ネットで誹謗中傷する人には、
誹謗中傷に至る遥か以前から積もった悲しみがある。
愛されなかった悲しみが歪んで膨らみ、
手軽に意見が言えるSNSと結びついて暴走する。
誹謗中傷を減らすためには、暴走した悲しみに
目を向けてみるのも、1つのアプローチじゃないかな。
5.正しく闘うために、相手を理解してみる
僕には誹謗中傷を受けるほどの発信力も、影響力もない。
「誹謗中傷する人の背景や生い立ちを考える」だなんて、
受けたことのない人間だから、悠長に言えるのかも知れない。
ただ、「絶対に許さない!」と真っ向からぶつかると、
負けた側には理不尽な怒りと復讐が生まれる。
闘うことは大切だけど、相手を潰すだけじゃなく、
一瞬でも相手を知ろうとしてみるのもいいんじゃないかな。
「あぁ。そこまで孤独で追い詰められてるのかな」と。
悲しみと、憎しみと、復讐の連鎖を1つでも減らすために。
ーー攻撃性の背景にある、傷ついた愛着の理解におすすめの本ーー
2020年06月01日
【2020】誕生日 〜後悔しない1年を生きる〜。
6月1日。
札幌では前夜、震度2の地震。
無事に乗り越え、
ブログ開設から2回目の誕生日を迎えた。
※「【2019】誕生日。」
「まさかこうなるとは、そんな出来事がいくつあるだろう」
何気なく書いたあの日には想像もできなかった、
濃密な1年を振り返る。
ー目次ー
去年の今日、まさか誕生日の10日後に
祖父が亡くなるなんて。
「祖父と、2人きりの時間。」
僕は祖父の初孫。
通夜の日の号泣が
関わった時間の長さと濃密さを証明した。
「就労移行支援に通い、人生の再出発」
そう言って通所し始めた就労移行支援。
まさか障害者枠で働いてるなんて。
「唐突に、就職決定。」
去年は力のほとんどを親との闘いに費やした。
他のことにガツガツする余力がなかったことが、
逆に仕事の縁を好転させた。
就労移行支援に入った時点で、
生活保護は視野に入っていた。
けど、受給と廃止を巡って、
まさかあんな大騒ぎになるなんて。
「延長戦決着、戦利品は”諦め”。」
「子どもの逃げ道を塞ぐ”生活保護封じ”。」
第三者がいても、ここが区役所生活保護課でも、
父の暴れっぷりは変わらなかった。
「親は変わらないし反省もしない」
その悲しい事実を、決定的に悟ることになった。
僕はプロのカウンセラーでもなければ、子どももいない。
そんな自分がまさか、親子関係の悩み相談を受けるなんて。
「【仮説】子どもを問題児扱いする親の、真の目的 〜自責と、親への復讐から目を逸らしたい〜。」
親子に関することをたくさん書いてきたけど、
ずっと葛藤してること。それが
「子どもがいない自分が言って説得力があるのか」
今も悩んでるけど、
自分の心の癒しのためにも書いていきたい。
何といっても、最大の「まさか」は
コロナウィルスによるパンデミックだろう。
確かに不安、不便、不自由な日々。
だけど、
仕事や生活にさほど大きな影響がなかった自分は
恵まれていることも実感した。
何より、今回のようなことがなければ、
「子どもの命を背負う人」の立場を
真剣に考える機会はなかったかも知れない。
「自粛延長の可能性を受けて 〜子どもの命を背負う人の言葉、守るものがない自分の立場〜。」
2019年
心おだやかに過ごせる日々は、
求めても手に入らなかった。
2020年
諦めるように、求めなくなった途端、
皮肉にも手に入った。
2021年
僕は明日死んでも後悔しないように
生きれているだろうか。
どんなストーリーが書き加えられるのかを
今から楽しみにしている。
ーー誕生日にこそ考えたい。もし1年後、この世にいないとしたらーー
札幌では前夜、震度2の地震。
無事に乗り越え、
ブログ開設から2回目の誕生日を迎えた。
※「【2019】誕生日。」
「まさかこうなるとは、そんな出来事がいくつあるだろう」
何気なく書いたあの日には想像もできなかった、
濃密な1年を振り返る。
ー目次ー
- まさか祖父が亡くなるなんて
- まさか障害者枠で働いてるなんて
- まさか生活保護を巡って大騒ぎになるなんて
- まさか親子問題の相談を受けるなんて
- まさかパンデミックが起きるなんて
- 後悔しない1年を生きる
1.まさか祖父が亡くなるなんて
去年の今日、まさか誕生日の10日後に
祖父が亡くなるなんて。
「祖父と、2人きりの時間。」
僕は祖父の初孫。
通夜の日の号泣が
関わった時間の長さと濃密さを証明した。
2.まさか障害者枠で働いてるなんて
「就労移行支援に通い、人生の再出発」
そう言って通所し始めた就労移行支援。
まさか障害者枠で働いてるなんて。
「唐突に、就職決定。」
去年は力のほとんどを親との闘いに費やした。
他のことにガツガツする余力がなかったことが、
逆に仕事の縁を好転させた。
3.まさか生活保護を巡って大騒ぎになるなんて
就労移行支援に入った時点で、
生活保護は視野に入っていた。
けど、受給と廃止を巡って、
まさかあんな大騒ぎになるなんて。
「延長戦決着、戦利品は”諦め”。」
「子どもの逃げ道を塞ぐ”生活保護封じ”。」
第三者がいても、ここが区役所生活保護課でも、
父の暴れっぷりは変わらなかった。
「親は変わらないし反省もしない」
その悲しい事実を、決定的に悟ることになった。
4.まさか親子問題の相談を受けるなんて
僕はプロのカウンセラーでもなければ、子どももいない。
そんな自分がまさか、親子関係の悩み相談を受けるなんて。
「【仮説】子どもを問題児扱いする親の、真の目的 〜自責と、親への復讐から目を逸らしたい〜。」
親子に関することをたくさん書いてきたけど、
ずっと葛藤してること。それが
「子どもがいない自分が言って説得力があるのか」
今も悩んでるけど、
自分の心の癒しのためにも書いていきたい。
5.まさかパンデミックが起きるなんて
何といっても、最大の「まさか」は
コロナウィルスによるパンデミックだろう。
確かに不安、不便、不自由な日々。
だけど、
仕事や生活にさほど大きな影響がなかった自分は
恵まれていることも実感した。
何より、今回のようなことがなければ、
「子どもの命を背負う人」の立場を
真剣に考える機会はなかったかも知れない。
「自粛延長の可能性を受けて 〜子どもの命を背負う人の言葉、守るものがない自分の立場〜。」
6.後悔しない1年を生きる
2019年
心おだやかに過ごせる日々は、
求めても手に入らなかった。
2020年
諦めるように、求めなくなった途端、
皮肉にも手に入った。
2021年
僕は明日死んでも後悔しないように
生きれているだろうか。
どんなストーリーが書き加えられるのかを
今から楽しみにしている。
ーー誕生日にこそ考えたい。もし1年後、この世にいないとしたらーー
2020年05月31日
【函館の浜言葉】「なまってないね」とよく言われる理由 〜浜言葉と自分を分離させた〜。
僕は5歳〜18歳まで函館に住んでいた。
その後、山口、三重、札幌に住む中で、
よく言われること。
「浜言葉なまりがないね。」
長年すごした函館の方言がうつらなかった理由と、
それでも気づかずに使っていた方言を紹介したい。
ー目次ー
函館には、父の転勤で来た。
教員住宅に住んでいて、周りの大人も、
同年代の子どもたちも転勤族だった。
だから、僕の身近には
函館の浜言葉をがっつり話す地元の人が少なかった。
コテコテの浜言葉を話す人は
父方の祖母くらいだったけど、会うのは年に数回。
山口に移住した時みたいに、
方言がうつるには至らなかった。
※「【北海道から山口へ】言葉の壁にカルチャーショックを受けた話。」
非常に寂しい理由だけど、
僕の家庭には会話がほとんどなかった。
「作業所のような家」と表現したこともある。
→「【アダルトチルドレン】母に笑っていてほしかった。」
そんな環境で、家で仕事をする母は山村育ち。
なので、家庭内でも浜言葉が飛び交うことはなかった。
身近に話者が少なかったことで、
僕の中に定着しなかった浜言葉。
それでも、学校では函館の方言にたくさん触れたので、
リスニングはできるようになった。
その中で、僕が方言と気づかずに使っていたのがこちら。
あまりに自然すぎて、方言と気づかなかった言葉。
靴下は「履く」、手袋は「する」ものだと、
かなり後になってから知った。
もうSLが走ってない時代だったけど、
周りが電車のことを「汽車」と呼んでいたので、
あまり疑わずに使っていた。
煙突もないのに、なぜ「汽」なんだろう、
それだけはかすかに疑問だった。
「うちの中がちらかって、もうわやだ」
ひどいさま、めちゃくちゃな状態。
これも方言と気づかずに使っていた。
自然すぎて、方言と気づかなかった言葉がある一方。
あ、これは方言だなと認識しつつ、
なぜか自分では使おうとしなかった言葉。
「”ゴミなげて来て”と頼んだら、本当に投げた」
これが定番のやり取りかも知れない。
投げる・throwではなく「捨てる」という意味。
山口弁で言うところの「ぶち」
強調の言葉。とても、かなり。
「なまらわや」と言ったら、
ひどすぎて目も当てられない、笑うしかない状態。
バグる、ではない。「交換」の意味。
レアカードの交換交渉でたまに登場する方言。
もしかしたら、小さい頃の僕は
あえて浜言葉を話さないよう心掛けていたのかも知れない。
4歳まで、浜言葉じゃない北海道の言葉を聞いてきて、
「浜言葉と自分を分離させよう」という
謎のプライドがあったんだろうか。
そんな意地を張った結果、
浜言葉は聞いて覚えるけどなるべく使わない、
そんな自分を確立したのかも知れない。
それでも、
浜言葉を話す人の映像を見たりすると、
意味がだいたいわかってしまう自分。
ずっと聞いて、根付いてるものはちゃんとあるんだな。
ーー北海道弁を楽しく学べるおすすめの本はこちらーー
その後、山口、三重、札幌に住む中で、
よく言われること。
「浜言葉なまりがないね。」
長年すごした函館の方言がうつらなかった理由と、
それでも気づかずに使っていた方言を紹介したい。
ー目次ー
- 理由1.転勤族に囲まれていた
- 理由2.家庭に会話がなかった
- 方言と気づかずに使っていた言葉
- 方言と気づき、あえて使わなかった言葉
- 浜言葉と自分を分離させたかった?
1.理由1.転勤族に囲まれていた
函館には、父の転勤で来た。
教員住宅に住んでいて、周りの大人も、
同年代の子どもたちも転勤族だった。
だから、僕の身近には
函館の浜言葉をがっつり話す地元の人が少なかった。
コテコテの浜言葉を話す人は
父方の祖母くらいだったけど、会うのは年に数回。
山口に移住した時みたいに、
方言がうつるには至らなかった。
※「【北海道から山口へ】言葉の壁にカルチャーショックを受けた話。」
2.理由2.家庭に会話がなかった
非常に寂しい理由だけど、
僕の家庭には会話がほとんどなかった。
「作業所のような家」と表現したこともある。
→「【アダルトチルドレン】母に笑っていてほしかった。」
そんな環境で、家で仕事をする母は山村育ち。
なので、家庭内でも浜言葉が飛び交うことはなかった。
3.方言と気づかずに使っていた言葉
身近に話者が少なかったことで、
僕の中に定着しなかった浜言葉。
それでも、学校では函館の方言にたくさん触れたので、
リスニングはできるようになった。
その中で、僕が方言と気づかずに使っていたのがこちら。
1.手袋はく
あまりに自然すぎて、方言と気づかなかった言葉。
靴下は「履く」、手袋は「する」ものだと、
かなり後になってから知った。
2.汽車
もうSLが走ってない時代だったけど、
周りが電車のことを「汽車」と呼んでいたので、
あまり疑わずに使っていた。
煙突もないのに、なぜ「汽」なんだろう、
それだけはかすかに疑問だった。
3.わや
「うちの中がちらかって、もうわやだ」
ひどいさま、めちゃくちゃな状態。
これも方言と気づかずに使っていた。
4.方言と気づき、あえて使わなかった言葉
自然すぎて、方言と気づかなかった言葉がある一方。
あ、これは方言だなと認識しつつ、
なぜか自分では使おうとしなかった言葉。
1.なげる
「”ゴミなげて来て”と頼んだら、本当に投げた」
これが定番のやり取りかも知れない。
投げる・throwではなく「捨てる」という意味。
2.なまら
山口弁で言うところの「ぶち」
強調の言葉。とても、かなり。
「なまらわや」と言ったら、
ひどすぎて目も当てられない、笑うしかない状態。
3.ばくる
バグる、ではない。「交換」の意味。
レアカードの交換交渉でたまに登場する方言。
5.浜言葉と自分を分離させたかった?
もしかしたら、小さい頃の僕は
あえて浜言葉を話さないよう心掛けていたのかも知れない。
4歳まで、浜言葉じゃない北海道の言葉を聞いてきて、
「浜言葉と自分を分離させよう」という
謎のプライドがあったんだろうか。
そんな意地を張った結果、
浜言葉は聞いて覚えるけどなるべく使わない、
そんな自分を確立したのかも知れない。
それでも、
浜言葉を話す人の映像を見たりすると、
意味がだいたいわかってしまう自分。
ずっと聞いて、根付いてるものはちゃんとあるんだな。
ーー北海道弁を楽しく学べるおすすめの本はこちらーー