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2020年10月22日
【700記事】ブログ毎日更新677日 〜小さなことでも、毎日の学びをアウトプットし続ける〜。
このたび、
ブログ毎日更新677日、700記事に到達。
この100日間は
学びのアウトプット強化期間。
主に次の3つに力を入れた。
学びのアウトプットに
力を入れるようになれたのは、
バスケの友達が紹介してくれた
この本との出逢いのおかげ。
『アウトプット大全』
まだ浅い知識のまま
記事として出していいんだろうか?
もっと深く学んでから出した方がいいだろうか?
そうやって迷わなくていい。
自分にとって大切な気づきなら
どんどん出していいと教えてくれた。
記事として形にすることで復習の効果も倍増。
知識の定着にも役立つ。
そして何より、この本に出逢えたのは
好きなバスケを続け、友達ができたから。
好きなことを続ける
友達を大切にする
それも大きな学びであり、
何ものにも代えがたい財産。
800記事を書く頃には、
どんな”知”との出逢いが待ってるんだろう。
ブログ毎日更新677日、700記事に到達。
この100日間は
学びのアウトプット強化期間。
主に次の3つに力を入れた。
- 毎日の英語学習を記事として出す
→「ブログカテゴリ:英語学習」 - 本を読んだら、1ページ、1節の文章でも
気づきを記事として出す
→「ブログカテゴリ:おすすめ本」 - ”命” ”死” について深く考え、
とにかく記事として出す
→「【アダルトチルドレン】命をつなぐ必要はあるか 〜愛着障害、悲しみと寂しさを再生産したくない〜。」
→「【おすすめ本】『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 日本縮約版』〜PART1 なぜ自殺は感情的に否定されるのか〜。」
→「【おすすめ本】『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 日本縮約版』〜PART2 いちばん理にかなった自殺タイミングはいつか』〜〜。」
学びのアウトプットに
力を入れるようになれたのは、
バスケの友達が紹介してくれた
この本との出逢いのおかげ。
『アウトプット大全』
まだ浅い知識のまま
記事として出していいんだろうか?
もっと深く学んでから出した方がいいだろうか?
そうやって迷わなくていい。
自分にとって大切な気づきなら
どんどん出していいと教えてくれた。
記事として形にすることで復習の効果も倍増。
知識の定着にも役立つ。
そして何より、この本に出逢えたのは
好きなバスケを続け、友達ができたから。
好きなことを続ける
友達を大切にする
それも大きな学びであり、
何ものにも代えがたい財産。
800記事を書く頃には、
どんな”知”との出逢いが待ってるんだろう。
2020年08月20日
【自分が2人いる】短い命を楽しみたい自分、それを冷ややかに客観視する自分。
僕の中には、常に2人の自分がいる。
完全に私的な感覚なので、
「何を言ってるの?」と思われるかも知れない。
だけど最近、
「苦しいのに生きるのはなぜか」を考える時に、
冷ややかな自分の声が大きくなる。
そこで、
同居する2人の自分がどう見えているか、
それぞれが何を言っているかを話したい。
ー目次ー
僕の中に、どうやって2人が同居しているか。
冷ややかな自分が出場している間、
楽しみたい自分が眠っているわけじゃない。
人格交代するわけでもない。
1台のPCにモニターを2台つなげた
デュアルモニターのように、
いつでも両方が見れる状態。
今できること、恵まれていることに、
不思議なくらい純粋に感謝している。
バスケが、野球ができ、
たまに旅ができること。
英語の勉強が、読書ができることに
感謝と言っている。
死ぬまでの短い命を、
やりたいことに残さず使おうと叫んでいる。
好きなことをして楽しんでいる自分に
こんな言葉をかけている。
「好きなことをして楽しい、充実してる。だから何?」
何に対しても冷め、悟りを開いたようにも見える。
諦めの境地から、
何かと根本的なことをズバズバ言ってくる。
死生観について考える時、
その声が大きくなりがち。
冷ややかな自分が最近、
やたらとうるさく言ってくること。
それは、
生きるのが苦しいと思う自分に対しての
「今さら?」
以前、
生き続けるメリットを感じない自分について
書いた時、いちばんうるさく言われた。
→「なぜ、苦しいのに生きなければいけないのか 〜主治医に宛てたノートより〜。」
「今さら?」に加えて、こんなことも言っていた。
↓ーーーーーーーーーー↓
「生きることは苦しい」
そんなことは、
紀元前からさんざん考えられてきたこと。
宗教がとっくに証明してるじゃないか。
「神を信じれば来世で救われる」
「教えを守れば来世で極楽浄土へ行ける」
「善い行いをすれば来世で天国へ行ける」
そう、来世では。
ということは、
現世ではみんな救われてない。
つまり現世は苦しい。
だから、心の拠りどころに宗教があり、
家族や友人、恋人、大切な何かがある。
みんなそうやって、
「苦しい現世にいる期間」をしのいでるだけ。
そんな、数千年前に証明済みの事実と、
まったく同じことを言ってる自分。
今さら何?
ーーーーーーーーーー
「自分を客観視できるのはよいこと」
そんなことをよく耳にする。
僕の場合、
”客観視するもう1人の自分”というより、
”1人で2画面を見ている”感覚。
ただ客観視できるだけならよかったのに、
片方はどうしてこんなに冷めてるの?
人間は相反する感情をたくさん抱えてる。
矛盾も、一貫性のなさも。
僕の片方が選んだ性格は、
ずる賢さでも、攻撃性でも、嫉妬深さでもない。
すべてを諦めたような、虚無的な性格。
命の尊さに、純粋に感謝できる自分。
短い命を、悔いなく感じ切ろうとする自分。
なのに一方で、
その命すべてに虚しさを抱える自分。
僕の中の闇は、どうしてこんなに空っぽなの?
光と闇を併せ持つのが人間だとしたら、
僕はどうして闇の代わりに”虚無”を持ってるの?
根底にある
”誰にも愛されなかった悲しみ”に、
うすうす気づきながら自問する。
ーー愛されなかった末に陥る、愛着障害という病ーー
- 短い命を楽しみたい自分
- そんな自分を冷ややかに客観視する自分
完全に私的な感覚なので、
「何を言ってるの?」と思われるかも知れない。
だけど最近、
「苦しいのに生きるのはなぜか」を考える時に、
冷ややかな自分の声が大きくなる。
そこで、
同居する2人の自分がどう見えているか、
それぞれが何を言っているかを話したい。
ー目次ー
- デュアルモニターのように同居する2人
- 「生きることは苦しい」→『今さら?』
- 光と闇の代わりに、”光と虚無”を持っている
1.デュアルモニターのように同居する2人
僕の中に、どうやって2人が同居しているか。
冷ややかな自分が出場している間、
楽しみたい自分が眠っているわけじゃない。
人格交代するわけでもない。
1台のPCにモニターを2台つなげた
デュアルモニターのように、
いつでも両方が見れる状態。
1.短い命を楽しみたい自分
今できること、恵まれていることに、
不思議なくらい純粋に感謝している。
バスケが、野球ができ、
たまに旅ができること。
英語の勉強が、読書ができることに
感謝と言っている。
死ぬまでの短い命を、
やりたいことに残さず使おうと叫んでいる。
2.冷ややかに客観視する自分
好きなことをして楽しんでいる自分に
こんな言葉をかけている。
「好きなことをして楽しい、充実してる。だから何?」
何に対しても冷め、悟りを開いたようにも見える。
諦めの境地から、
何かと根本的なことをズバズバ言ってくる。
死生観について考える時、
その声が大きくなりがち。
2.「生きることは苦しい」→『今さら?』
冷ややかな自分が最近、
やたらとうるさく言ってくること。
それは、
生きるのが苦しいと思う自分に対しての
「今さら?」
以前、
生き続けるメリットを感じない自分について
書いた時、いちばんうるさく言われた。
→「なぜ、苦しいのに生きなければいけないのか 〜主治医に宛てたノートより〜。」
「今さら?」に加えて、こんなことも言っていた。
↓ーーーーーーーーーー↓
「生きることは苦しい」
そんなことは、
紀元前からさんざん考えられてきたこと。
宗教がとっくに証明してるじゃないか。
「神を信じれば来世で救われる」
「教えを守れば来世で極楽浄土へ行ける」
「善い行いをすれば来世で天国へ行ける」
そう、来世では。
ということは、
現世ではみんな救われてない。
つまり現世は苦しい。
だから、心の拠りどころに宗教があり、
家族や友人、恋人、大切な何かがある。
みんなそうやって、
「苦しい現世にいる期間」をしのいでるだけ。
そんな、数千年前に証明済みの事実と、
まったく同じことを言ってる自分。
今さら何?
ーーーーーーーーーー
3.光と闇の代わりに、”光と虚無”を持っている
「自分を客観視できるのはよいこと」
そんなことをよく耳にする。
僕の場合、
”客観視するもう1人の自分”というより、
”1人で2画面を見ている”感覚。
ただ客観視できるだけならよかったのに、
片方はどうしてこんなに冷めてるの?
人間は相反する感情をたくさん抱えてる。
矛盾も、一貫性のなさも。
僕の片方が選んだ性格は、
ずる賢さでも、攻撃性でも、嫉妬深さでもない。
すべてを諦めたような、虚無的な性格。
命の尊さに、純粋に感謝できる自分。
短い命を、悔いなく感じ切ろうとする自分。
なのに一方で、
その命すべてに虚しさを抱える自分。
僕の中の闇は、どうしてこんなに空っぽなの?
光と闇を併せ持つのが人間だとしたら、
僕はどうして闇の代わりに”虚無”を持ってるの?
根底にある
”誰にも愛されなかった悲しみ”に、
うすうす気づきながら自問する。
ーー愛されなかった末に陥る、愛着障害という病ーー
2020年08月12日
【安楽死の権利】苦しくても生きるという選択、生きるという”終身刑の延長”を断る選択。
※誰かを殺したい、自殺したいなどの意図はありません。
個人の死生観についてのお話です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
生きることは素晴らしい
命だけは助けて
死にたくない
苦しくても生きろ
日々
「生き辞めたい」と思って生きてる僕の心には、
これらのメッセージは心の深くまで響いてくれない。
なぜ”生きろ”とだけ押しつけられるのに、
”生き辞める”ことはタブー視され否定されるの?
命を続ける選択と同じように、
命を終わらせる選択をしたっていいんじゃないの?
だって、多くの人は勘づいてるでしょ?
”生きることは苦しい”って。
だったら、そんな”終身刑の延長”を
断る権利があったっていいんじゃないの?
ー目次ー
誤解があるかも知れないので、
あらかじめ伝えたいこと。
僕は決して、
人の命を救おうとしている人たちを否定するつもりはない。
人の命を救うことはとても尊い行為。
入院や救急車を数えるほどしか経験していない僕でさえ、
医療現場の過酷さを見ては、ただ尊敬するばかり。
僕が言いたいのは、
人の命を救うことの大切さを理解した上で、
「生き辞める」選択肢があってもいいんじゃないか
ということ。
それを日本語では、どうやら『安楽死』と呼ぶらしい。
命とは何かを定義するのは難しい。
僕は専門的なことは何もわからないけど、
身体と脳が動いて、食べて寝ていれば、
それだけで”命がある”と呼べるんだろうか。
つねづね疑問に思っている。
いくら身体が動いていようと、
「生きろ」という身体の要求と
「別にそこまでして生きたくないし」という心の要求が
一致していないことだってある。
身体と心は別物か、一体か、そんな議論もある。
別物でも一体でも、
死にたいことと
生きていたくないことは同じじゃないし、
死んでいないことと、
生きてることも同じじゃないと思う。
そして、この不一致は
生きることへの苦しみをもっと大きくする。
「そこまで生きたくもない」と思っている心を、
「生きろ」と訴える身体の思想へむりやり近づけるか。
それとも、不一致のまま生きるのは苦しすぎるから、
そこで終わらせる選択をするのか。
「身体の思想へ心を近づけろ」と言う。
「命を粗末にするなんてとんでもない」と言う。
それ本当に、本当の本心で言ってる?
最後のメッセージ
「どんなに苦しくとも、生きねば」
僕は最後まで同意できなかった。
腐海に怯え、瘴気に怯え、蟲に怯え。
人間の残虐性に、狂気に怯える。
そこまで苦しいのに、むりやり生きる?
「生き辞める」のも選択肢として有りじゃない?
国民の大半は極貧生活。
年貢が少しでも足りないと
村人全員が罰せられ、処刑される
どれだけたくさんの米が収穫できようと、
村人は一切、口にできないまま、
年貢を納める道中で餓死していく。
そこまでして生き延びたって
年貢が少しでも足りないと
村人全員が罰せられ、処刑される
に怯える日々が延長されるだけじゃないか。
だったら、処刑されて「生き辞める」のも
選択肢として有りじゃない?
僕は小さい頃から
漫画『ブラックジャック』が大好きだ。
簡単に殺す人々に対し、ブラックジャックは
「こっちはひとり助けるだけで精一杯なんだ…」
命を救うことの尊さに震える一方、
心から同意できない自分もいた。
「助かってよかった」
「どうして助からないといけないんだろう」
矛盾する思いを抱えて読みながら
僕は安楽死の外科医”ドクター・キリコ”の信念にも共感した。
戦場で瀕死になり
「それでもまだ死ねないでいる悲惨な患者をごまんと見てきた」
だから
「安らかに終わりたい」
その願いを叶え、キリコは最期の注射器に魂を込める。
日本では「自殺幇助だ!」と言われてしまう。
けど、
個人が選択した生き方であり死に方だということも、
もっと尊重されていいんじゃないか。
生き延びることは”苦しみの延長”であり
”終身刑の延長”。
死にたくないと言う人だって、
「では生きることは楽しいですか?」
と質問したら、
全員が「楽しい」と答えるわけじゃないだろう。
多くの人が骨身にしみてわかってる。
「生きることは苦しい」と。
にもかかわらず、どうして口をそろえて
生きることは素晴らしい
命だけは助けて
死にたくない
苦しくても生きろ
などと声高に叫ぶの?それは本当に本心?
権力者に搾取されるため?
一部の富裕層の奴隷となるため?
苦しみの中にあるわずかな希望のため?
大切な誰かのため?
大切な誰かがいない人は?
生きろ生きろと押しつけるくせに、
死はまるでタブーかのように否定するのはなぜなの?
ケガや病気で苦しみながら
それでも生きようと戦っている人たちにとって。
僕がここまで書いたことは命への冒涜かも知れない。
そのことについては本当に申し訳ない。
僕は「生きるのは苦しい」と嘆きながらも、
自殺する勇気もない臆病者だ。
自殺する勇気がないから生きてる、
それは自覚している。
命は尊い、命を救う行為は尊い。
それは本当に思ってる。
その上で
”命を終わらせる”という選択が、
許されてもいいんじゃないだろうか。
苦しくても生きる、
それも人生の選択肢ならば、
”終身刑の延長”を終わらせることだって、
同じように人生の選択肢じゃないか。
はた目には生きがいを持ち、
充実しているように見えたって、
身体と心の思想の不一致に苦しむ人はたくさんいるから。
あくまで個人の選択として。
命にも、
続ける権利だけでなく、終える権利がほしい。
個人の死生観についてのお話です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
生きることは素晴らしい
命だけは助けて
死にたくない
苦しくても生きろ
日々
「生き辞めたい」と思って生きてる僕の心には、
これらのメッセージは心の深くまで響いてくれない。
なぜ”生きろ”とだけ押しつけられるのに、
”生き辞める”ことはタブー視され否定されるの?
命を続ける選択と同じように、
命を終わらせる選択をしたっていいんじゃないの?
だって、多くの人は勘づいてるでしょ?
”生きることは苦しい”って。
だったら、そんな”終身刑の延長”を
断る権利があったっていいんじゃないの?
ー目次ー
- 人の命を救うことは尊い、その上で”生き辞める”選択肢がほしい
- 身体は”生きろ”と訴え、心は”別に生きたくもない”と拒否する
- 同意できないメッセージ”苦しくとも生きねば”
- 生きろと押しつけ、死をタブー視するのはなぜ?
- ”生きたい”人たちへの謝罪
1.人の命を救うことは尊い、その上で”生き辞める”選択肢がほしい
誤解があるかも知れないので、
あらかじめ伝えたいこと。
僕は決して、
人の命を救おうとしている人たちを否定するつもりはない。
人の命を救うことはとても尊い行為。
入院や救急車を数えるほどしか経験していない僕でさえ、
医療現場の過酷さを見ては、ただ尊敬するばかり。
僕が言いたいのは、
人の命を救うことの大切さを理解した上で、
「生き辞める」選択肢があってもいいんじゃないか
ということ。
それを日本語では、どうやら『安楽死』と呼ぶらしい。
2.身体は”生きろ”と訴え、心は”別に生きたくもない”と拒否する
命とは何かを定義するのは難しい。
僕は専門的なことは何もわからないけど、
身体と脳が動いて、食べて寝ていれば、
それだけで”命がある”と呼べるんだろうか。
つねづね疑問に思っている。
いくら身体が動いていようと、
「生きろ」という身体の要求と
「別にそこまでして生きたくないし」という心の要求が
一致していないことだってある。
身体と心は別物か、一体か、そんな議論もある。
別物でも一体でも、
死にたいことと
生きていたくないことは同じじゃないし、
死んでいないことと、
生きてることも同じじゃないと思う。
そして、この不一致は
生きることへの苦しみをもっと大きくする。
「そこまで生きたくもない」と思っている心を、
「生きろ」と訴える身体の思想へむりやり近づけるか。
それとも、不一致のまま生きるのは苦しすぎるから、
そこで終わらせる選択をするのか。
「身体の思想へ心を近づけろ」と言う。
「命を粗末にするなんてとんでもない」と言う。
それ本当に、本当の本心で言ってる?
3.同意できないメッセージ”苦しくとも生きねば”
1.『風の谷のナウシカ』原作を読んで
最後のメッセージ
「どんなに苦しくとも、生きねば」
僕は最後まで同意できなかった。
腐海に怯え、瘴気に怯え、蟲に怯え。
人間の残虐性に、狂気に怯える。
そこまで苦しいのに、むりやり生きる?
「生き辞める」のも選択肢として有りじゃない?
2.『火の鳥4 鳳凰編』を読んで
国民の大半は極貧生活。
年貢が少しでも足りないと
村人全員が罰せられ、処刑される
どれだけたくさんの米が収穫できようと、
村人は一切、口にできないまま、
年貢を納める道中で餓死していく。
そこまでして生き延びたって
年貢が少しでも足りないと
村人全員が罰せられ、処刑される
に怯える日々が延長されるだけじゃないか。
だったら、処刑されて「生き辞める」のも
選択肢として有りじゃない?
3.『ブラックジャック』を読んで
僕は小さい頃から
漫画『ブラックジャック』が大好きだ。
簡単に殺す人々に対し、ブラックジャックは
「こっちはひとり助けるだけで精一杯なんだ…」
命を救うことの尊さに震える一方、
心から同意できない自分もいた。
「助かってよかった」
「どうして助からないといけないんだろう」
矛盾する思いを抱えて読みながら
僕は安楽死の外科医”ドクター・キリコ”の信念にも共感した。
戦場で瀕死になり
「それでもまだ死ねないでいる悲惨な患者をごまんと見てきた」
だから
「安らかに終わりたい」
その願いを叶え、キリコは最期の注射器に魂を込める。
日本では「自殺幇助だ!」と言われてしまう。
けど、
個人が選択した生き方であり死に方だということも、
もっと尊重されていいんじゃないか。
4.生きろと押しつけ、死をタブー視するのはなぜ?
生き延びることは”苦しみの延長”であり
”終身刑の延長”。
死にたくないと言う人だって、
「では生きることは楽しいですか?」
と質問したら、
全員が「楽しい」と答えるわけじゃないだろう。
多くの人が骨身にしみてわかってる。
「生きることは苦しい」と。
にもかかわらず、どうして口をそろえて
生きることは素晴らしい
命だけは助けて
死にたくない
苦しくても生きろ
などと声高に叫ぶの?それは本当に本心?
権力者に搾取されるため?
一部の富裕層の奴隷となるため?
苦しみの中にあるわずかな希望のため?
大切な誰かのため?
大切な誰かがいない人は?
生きろ生きろと押しつけるくせに、
死はまるでタブーかのように否定するのはなぜなの?
5.”生きたい”人たちへの謝罪
ケガや病気で苦しみながら
それでも生きようと戦っている人たちにとって。
僕がここまで書いたことは命への冒涜かも知れない。
そのことについては本当に申し訳ない。
僕は「生きるのは苦しい」と嘆きながらも、
自殺する勇気もない臆病者だ。
自殺する勇気がないから生きてる、
それは自覚している。
命は尊い、命を救う行為は尊い。
それは本当に思ってる。
その上で
”命を終わらせる”という選択が、
許されてもいいんじゃないだろうか。
苦しくても生きる、
それも人生の選択肢ならば、
”終身刑の延長”を終わらせることだって、
同じように人生の選択肢じゃないか。
はた目には生きがいを持ち、
充実しているように見えたって、
身体と心の思想の不一致に苦しむ人はたくさんいるから。
あくまで個人の選択として。
命にも、
続ける権利だけでなく、終える権利がほしい。
2020年08月06日
【ブログ600日連続更新を達成】 〜継続する難しさとの、格闘の記録〜。
本記事をもって、
【ブログ600日連続更新を達成。】
前回、
ブログ500日連続更新を達成してからの100日間で
戦った相手は大きく分けて3つ。
これらとの格闘に四苦八苦しながら、
継続の難しさを痛感した、100日間の記録。
ー目次ー
6月下旬にぎっくり腰を発症。
→「【腰痛】ぎっくり腰になってよかったこと6つ。」
錆びたブリキ人形のごとく、
ぎこちない3週間と向き合うことに。
腰を引きずりながらデスクに向かう。
しかし、痛みでまともに座っていられない。
立ちひざなど、いろいろ奇抜な姿勢で書き続ける。
短時間ならPCに向かって作業できるようになる。
しかし、
短時間しか作業に耐えられないことが
逆にプレッシャーになる。
焦りから記事ネタの生産に困窮、
すると余計に頭と手が動かなくなる悪循環に。
普通に座ってPCに向かえるまでに回復。
しかし、奇抜な姿勢を繰り返したせいか、
以前よりひどい肩の痛みに悩まされる。
首、肩の凝りとの格闘は現在進行形。
『死に至る病〜あなたを蝕む愛着障害の脅威〜』
を読んだことで、
しばし考えないようにしていた愛着障害が再発。
→「『死に至る病〜あなたを蝕む愛着障害の脅威〜』寂しさと、虚しさと、欠乏感に潜む愛情不足。」
さらに、
『火の鳥4 鳳凰編』
を読んだことで、
「苦しみから逃れたくて、もがいたって、
大半の人間は結局、苦しいままじゃないか」
などと、生に対して投げやりになる。
→「『火の鳥4 鳳凰編』 〜なぜ苦しいのに生きる?なぜ死に怯える?生きるも死ぬも、ちっぽけなはずなのに〜。」
生きることへの虚しさとは、
定期的に何度も向き合ってきたはずなのに、
ついに「生き続けるメリット無くない?」
と言い出す。
→「なぜ、苦しいのに生きなければいけないのか 〜主治医に宛てたノートより〜。」
「愛着障害とは一生向き合うことになる」
その事実に打ちのめされ、投げやりになる時と、
何かに夢中になって目を逸らすことを繰り返す。
これまでも、これからも、現在進行形の格闘。
せっかく毎朝、
英語シャドーイング学習をしてるんだから、
ブログでアウトプットしたい。
どうアウトプットしようか考えた末、
→「ブログカテゴリ:英語学習」を設立。
数少ない外国の友人と、
英語でコミュニケーションしたい。
英語を習得して、新しい世界を見てみたい。
ちなみに、
自身のInstagramも、こっそり英語表記にして継続中。
コメントを英訳して載せることで、
そこでも英語学習を進める。
流暢への挑戦は、始まったばかり。
心身ともに、深い谷底へ落ちた中で、
また100日、積み上げることができた。
隠さず本音を言うと、この100日間、
辛かった、痛かった、継続は本当に難しかった。
それでも、なぜ続けるのか?
もはや自分でも、すぐには答えられなくなった。
一言では表せないから。
身体に少しばかりの故障があっても、
心が深い闇に飲み込まれても。
きっと僕はこれからも、
一言では表せない、よくわからない理由で、
700日目に向かって歩いていくんだろう。
ーートップアスリートの言葉は、継続への勇気を与えてくれるーー
【ブログ600日連続更新を達成。】
前回、
ブログ500日連続更新を達成してからの100日間で
戦った相手は大きく分けて3つ。
- ぎっくり腰
- 生きることへの虚しさ
- 英語学習のアウトプット方法
これらとの格闘に四苦八苦しながら、
継続の難しさを痛感した、100日間の記録。
ー目次ー
- 戦った相手1.ぎっくり腰
- 戦った相手2.生きることへの虚しさ
- 戦った相手3.英語学習のアウトプット方法
- 故障も心の闇も引き連れ、700日目に向かう
1.戦った相手1.ぎっくり腰
6月下旬にぎっくり腰を発症。
→「【腰痛】ぎっくり腰になってよかったこと6つ。」
錆びたブリキ人形のごとく、
ぎこちない3週間と向き合うことに。
1週目
腰を引きずりながらデスクに向かう。
しかし、痛みでまともに座っていられない。
立ちひざなど、いろいろ奇抜な姿勢で書き続ける。
2週目
短時間ならPCに向かって作業できるようになる。
しかし、
短時間しか作業に耐えられないことが
逆にプレッシャーになる。
焦りから記事ネタの生産に困窮、
すると余計に頭と手が動かなくなる悪循環に。
3週目
普通に座ってPCに向かえるまでに回復。
しかし、奇抜な姿勢を繰り返したせいか、
以前よりひどい肩の痛みに悩まされる。
首、肩の凝りとの格闘は現在進行形。
2.戦った相手2.生きることへの虚しさ
『死に至る病〜あなたを蝕む愛着障害の脅威〜』
を読んだことで、
しばし考えないようにしていた愛着障害が再発。
→「『死に至る病〜あなたを蝕む愛着障害の脅威〜』寂しさと、虚しさと、欠乏感に潜む愛情不足。」
さらに、
『火の鳥4 鳳凰編』
を読んだことで、
「苦しみから逃れたくて、もがいたって、
大半の人間は結局、苦しいままじゃないか」
などと、生に対して投げやりになる。
→「『火の鳥4 鳳凰編』 〜なぜ苦しいのに生きる?なぜ死に怯える?生きるも死ぬも、ちっぽけなはずなのに〜。」
生きることへの虚しさとは、
定期的に何度も向き合ってきたはずなのに、
ついに「生き続けるメリット無くない?」
と言い出す。
→「なぜ、苦しいのに生きなければいけないのか 〜主治医に宛てたノートより〜。」
「愛着障害とは一生向き合うことになる」
その事実に打ちのめされ、投げやりになる時と、
何かに夢中になって目を逸らすことを繰り返す。
これまでも、これからも、現在進行形の格闘。
3.戦った相手3.英語学習のアウトプット方法
せっかく毎朝、
英語シャドーイング学習をしてるんだから、
ブログでアウトプットしたい。
どうアウトプットしようか考えた末、
→「ブログカテゴリ:英語学習」を設立。
数少ない外国の友人と、
英語でコミュニケーションしたい。
英語を習得して、新しい世界を見てみたい。
ちなみに、
自身のInstagramも、こっそり英語表記にして継続中。
コメントを英訳して載せることで、
そこでも英語学習を進める。
流暢への挑戦は、始まったばかり。
4.故障も心の闇も引き連れ、700日目に向かう
You learn you can do your best even when it's hard, even when you're tired and maybe hurting a little bit.
It feels good to show some courage.
辛くても、疲れていたり、
多少ケガをしていたりしても、ベストは尽くせる。
少し勇気を示すのは気持ちのいいものだ。
Joe Namath(ジョー・ネイマス)
『世界のトップアスリート英語名言集』 より
心身ともに、深い谷底へ落ちた中で、
また100日、積み上げることができた。
隠さず本音を言うと、この100日間、
辛かった、痛かった、継続は本当に難しかった。
それでも、なぜ続けるのか?
もはや自分でも、すぐには答えられなくなった。
一言では表せないから。
身体に少しばかりの故障があっても、
心が深い闇に飲み込まれても。
きっと僕はこれからも、
一言では表せない、よくわからない理由で、
700日目に向かって歩いていくんだろう。
ーートップアスリートの言葉は、継続への勇気を与えてくれるーー
2020年07月23日
なぜ、苦しいのに生きなければいけないのか 〜主治医に宛てたノートより〜。
これは、精神科の先生に
自分の状況を詳しく伝えるため書いているノート。
2020年7月に書いた文章を公開したい。
これを見た先生が、どう応えてくれたかも併せて。
生き続けようとすることに意味はあるのか。
なぜ僕は「死にたくない」と思えないのか。
なぜ生き、なぜ死ぬか、どれだけ悩んだところで
無限とも思える宇宙の中ではちっぽけなのに。
それをわかっていてなお、
どうして僕は生への諦めの狭間で悩むのか。
ー目次ー
【2020年7月 記す】
もう生き続ける必要なくない?
終身刑の延長みたいでさ。
延命させるメリット感じないんだけど。
誰からも愛されず、気にかけられず、
貧困にあえぎ、埋まらない孤独に苦しみ。
愛情飢餓に苦しみ、
どこにも逃げこめない安全基地のなさに追い詰められ。
この絶望ををこれ以上、延ばして何になる?
生きるメリットなくない?
なんで苦しさを、寂しさを、これ以上、味わわないといけない?
なんで愛されなかった悲しみを、これ以上、浴び続けないといけない?
誰のために生きないといけない。
誰にも愛されなかったなら、せめて自分だけは自分を愛してやれ?
じゃあ自分のために生きるの?こんなに苦しんでまで?
それってハイリスク・ノーリターンじゃん。
「自分のために生きる」って、
生きないといけないモチベーションに全然ならないんですけど。
●年後、キリのいい●●歳で自殺予定。
<条件>
●年後までに、誰かに無条件に愛されることがなければ
●年後までに、愛着障害が治る兆しが見えなければ
ただし、今もう死ぬという人と命を交換できるなら、
今すぐにでもOK。代わってください。
身体さぁ。お願いだからさ。
空腹とか、疲れとか、痛みとか、眠いとか、
知らせないでくれない?
知らされたら延命行動しちゃうじゃん。
そしたら終身刑の刑期、延びちゃうじゃん。
なんで人生のスタートが
「愛情もらえず、誰からも愛されない」モードなのさ。
前世とやらで何したのさ。
なんで「お前は生きる限り愛情飢餓に苦しみ続ける」設定なのさ。
人生ゲームの初期設定おかしくない?
信号待ちしてたら、車が突っ込んできて即死したいんだけど。
【ページの下限に達したため終】
理琉が見ている世界は、
そういう悲しみであふれているんですね。
身体は命をつなぐために空腹や痛みを知らせ、
心は命をつなぎたくないと思っていて、
一致してないんですね。
理琉が考えていることは、
ある意味で生き物の本質かも知れません。
なぜ生きて、なぜ死ぬか。
確かに、
なぜ生きなければならないかは
私を含めて誰にもわかりません。
ふいに死が訪れるなら、
それはそれで構わないという考え方もアリでしょう。
たぶん、生き続ける動機なんて
小さなものでもいいと思いますよ。
明日ちょっと予定が入ってる、
明日は出勤だから、そんなものでいいです。
明日の予定をこなすために、生きてやろうか。
そのために食べて延命させようか。
それでいいんですよ。
火の鳥・鳳凰編では、
幾人も殺めた我王が
師匠の即身仏を前に、なぜ生きるのかに苦悩する。
生まれた日に片目と片腕を失い、
生き延びるために人を殺し続けた我王が。
生き続ける動機を見失い、
生への執着が冷め、
ノートに投げやりな言葉を書き殴った自分。
でもそれは、
長すぎる時間の流れから見ると、
針の一点にもならない。
無限とも思える宇宙から見ると、
光の一筋にもならない。
だから我王の苦悩も、僕の苦悩も、
火の鳥に言わせればきっと、
そう、取るに足らない、ちっぽけなもの。
取るに足らない、ちっぽけなものと
わかっているにもかかわらず、
そのちっぽけなものに苦悩する自分。
なぜ、生への諦めの狭間で悩むのか。
なぜ、苦しくても延命させるのか。
大きな矛盾を抱えたまま、
僕は診察室をあとにした。
夕食の準備のことを考えながら。
ーーなぜ、苦しみながら生きるのか。火の鳥は、命を考える傑作ーー
自分の状況を詳しく伝えるため書いているノート。
2020年7月に書いた文章を公開したい。
これを見た先生が、どう応えてくれたかも併せて。
生き続けようとすることに意味はあるのか。
なぜ僕は「死にたくない」と思えないのか。
なぜ生き、なぜ死ぬか、どれだけ悩んだところで
無限とも思える宇宙の中ではちっぽけなのに。
それをわかっていてなお、
どうして僕は生への諦めの狭間で悩むのか。
ー目次ー
- 生き続けることは”終身刑の延長”
- 先生の話”生き続ける動機は小さなものでいい”
- 宇宙の中のちっぽけなごみ、なのに苦悩する矛盾
1.生き続けることは”終身刑の延長”
【2020年7月 記す】
もう生き続ける必要なくない?
終身刑の延長みたいでさ。
延命させるメリット感じないんだけど。
誰からも愛されず、気にかけられず、
貧困にあえぎ、埋まらない孤独に苦しみ。
愛情飢餓に苦しみ、
どこにも逃げこめない安全基地のなさに追い詰められ。
この絶望ををこれ以上、延ばして何になる?
生きるメリットなくない?
なんで苦しさを、寂しさを、これ以上、味わわないといけない?
なんで愛されなかった悲しみを、これ以上、浴び続けないといけない?
誰のために生きないといけない。
誰にも愛されなかったなら、せめて自分だけは自分を愛してやれ?
じゃあ自分のために生きるの?こんなに苦しんでまで?
それってハイリスク・ノーリターンじゃん。
「自分のために生きる」って、
生きないといけないモチベーションに全然ならないんですけど。
●年後、キリのいい●●歳で自殺予定。
<条件>
●年後までに、誰かに無条件に愛されることがなければ
●年後までに、愛着障害が治る兆しが見えなければ
ただし、今もう死ぬという人と命を交換できるなら、
今すぐにでもOK。代わってください。
身体さぁ。お願いだからさ。
空腹とか、疲れとか、痛みとか、眠いとか、
知らせないでくれない?
知らされたら延命行動しちゃうじゃん。
そしたら終身刑の刑期、延びちゃうじゃん。
なんで人生のスタートが
「愛情もらえず、誰からも愛されない」モードなのさ。
前世とやらで何したのさ。
なんで「お前は生きる限り愛情飢餓に苦しみ続ける」設定なのさ。
人生ゲームの初期設定おかしくない?
信号待ちしてたら、車が突っ込んできて即死したいんだけど。
【ページの下限に達したため終】
2.先生の話”生き続ける動機は小さなものでいい”
理琉が見ている世界は、
そういう悲しみであふれているんですね。
身体は命をつなぐために空腹や痛みを知らせ、
心は命をつなぎたくないと思っていて、
一致してないんですね。
理琉が考えていることは、
ある意味で生き物の本質かも知れません。
なぜ生きて、なぜ死ぬか。
確かに、
なぜ生きなければならないかは
私を含めて誰にもわかりません。
ふいに死が訪れるなら、
それはそれで構わないという考え方もアリでしょう。
たぶん、生き続ける動機なんて
小さなものでもいいと思いますよ。
明日ちょっと予定が入ってる、
明日は出勤だから、そんなものでいいです。
明日の予定をこなすために、生きてやろうか。
そのために食べて延命させようか。
それでいいんですよ。
3.宇宙の中のちっぽけなごみ、なのに苦悩する矛盾
火の鳥・鳳凰編では、
幾人も殺めた我王が
師匠の即身仏を前に、なぜ生きるのかに苦悩する。
生まれた日に片目と片腕を失い、
生き延びるために人を殺し続けた我王が。
人はなぜ死ぬのか……
なぜ生きものは死なねばならぬのか?
いや…なぜ生きるのか?
死ぬために生きるのか?
生き続ける動機を見失い、
生への執着が冷め、
ノートに投げやりな言葉を書き殴った自分。
でもそれは、
長すぎる時間の流れから見ると、
針の一点にもならない。
無限とも思える宇宙から見ると、
光の一筋にもならない。
だから我王の苦悩も、僕の苦悩も、
火の鳥に言わせればきっと、
生きる?死ぬ?
それがなんだというんだ
宇宙のなかに人生など、いっさい無だ!
ちっぽけなごみなのだ!
そう、取るに足らない、ちっぽけなもの。
取るに足らない、ちっぽけなものと
わかっているにもかかわらず、
そのちっぽけなものに苦悩する自分。
なぜ、生への諦めの狭間で悩むのか。
なぜ、苦しくても延命させるのか。
大きな矛盾を抱えたまま、
僕は診察室をあとにした。
夕食の準備のことを考えながら。
ーーなぜ、苦しみながら生きるのか。火の鳥は、命を考える傑作ーー
2020年07月18日
【他人を攻撃する人】あなたは攻撃されるほどすごい人、だから胸を張ってください。
あなたが今、悪口を言われて傷ついているなら。
あなたが今、あなたを攻撃する人に悩んでいるなら。
あなたが今、あなたを否定する人に心を痛めているなら。
繊細で、優しくて、傷つきやすいあなたへ、伝えたいこと。
あなたの悪口を言う人は、あなたに嫉妬してるから。
あなたを攻撃する人は、あなたにかまってほしくて駄々をこねてるから。
あなたを否定する人は、あなたに負けたくない自分を認めたくないから。
だからどうか、胸を張ってください。
あなたはそれだけ、すごい人なんです。
ー目次ー
悪口を言うって、ものすごい観察力と労力が必要。
その人を一生懸命に観察して、
あそこが悪い、ここが未熟、そこが許せないと、
必死でリスト化して発信してるんだから。
完璧な人間なんていないし、
完璧な人間がいたら「完璧なこと」を叩かれる。
そんなことはわかりきってるはずなのに、
それでも悪いところを観察し、必死でリサーチする。
悪口は誰も幸せにしない、不毛な行為にもかかわらず、
そこに大変な労力をかけてでも生産する。
あなたへの嫉妬という、大きなエネルギー源を費やしてでも。
あなたはそれだけ興味を持たれ、
あなたについて深く知りたいと思われている。
あなたは、嫉妬のあまり悪口を言われるほど、
注目されるすごい人なんです。
あなたのことが好きな人たちは、
あなたのことを攻撃しない。
だけど、
あなたのことが好きな人たちの中で、
あなたのことを攻撃したら、目立てる。
目立ったら、あなたの目に留まりやすい。
目に留まり、あなたから反応が返ってきたら、
「あなたに見てもらえてる」と思える。
好きな人からかまってもらえたら、
普段かまってもらえてない自分を満たせる。
たとえそれが、
あなたを傷つけるような方法でも。
あなたにかまってほしくて、駄々をこねる人がいるほど、
あなたはすごい人なんです。
自分があなたよりも劣っていることが許せない。
あなたに敵わない部分があることが悔しい。
ましてそれが、自分が得意なことなら、なおさら。
自分が一番でいたい、一番でいられた。
だけど、あなたが現れて、いとも簡単に超えられた。
悔しい、悔しい、あなたに負けたくない。
だけど、
現時点であなたに負けている自分を認めたくない。
認めてしまったら、
自分が自信を持っていたことが崩れる。
だから必死で否定する。
あなたを自分の位置まで引きずり降ろしたくて。
あなたは、
引きずり降ろされるほど、すごい人なんです。
あなたの悪口を言う人
あなたを攻撃する人
あなたを否定する人
そんな人に足を引っ張られ、
あなたの心はきっとボロボロに傷ついてる。
だけど、
もしあなたがどうでもいい存在だったら、
攻撃にさらされることすらない。
あなたがそれだけすごい人だから、
そんな人たちまでついてきてしまうんです。
繊細で、優しくて、傷つきやすいあなたへ。
どうか、胸を張ってください。
本も電子書籍も送料無料の総合書店「honto」
あなたが今、あなたを攻撃する人に悩んでいるなら。
あなたが今、あなたを否定する人に心を痛めているなら。
繊細で、優しくて、傷つきやすいあなたへ、伝えたいこと。
あなたの悪口を言う人は、あなたに嫉妬してるから。
あなたを攻撃する人は、あなたにかまってほしくて駄々をこねてるから。
あなたを否定する人は、あなたに負けたくない自分を認めたくないから。
だからどうか、胸を張ってください。
あなたはそれだけ、すごい人なんです。
ー目次ー
- あなたの悪口を言う人は、あなたに嫉妬してるから
- あなたを攻撃する人は、あなたにかまってほしくて駄々をこねてるから
- あなたを否定する人は、あなたに負けたくない自分を認めたくないから
- 繊細で、優しくて、傷つきやすいあなたへ
1.あなたの悪口を言う人は、あなたに嫉妬してるから
悪口を言うって、ものすごい観察力と労力が必要。
その人を一生懸命に観察して、
あそこが悪い、ここが未熟、そこが許せないと、
必死でリスト化して発信してるんだから。
完璧な人間なんていないし、
完璧な人間がいたら「完璧なこと」を叩かれる。
そんなことはわかりきってるはずなのに、
それでも悪いところを観察し、必死でリサーチする。
悪口は誰も幸せにしない、不毛な行為にもかかわらず、
そこに大変な労力をかけてでも生産する。
あなたへの嫉妬という、大きなエネルギー源を費やしてでも。
あなたはそれだけ興味を持たれ、
あなたについて深く知りたいと思われている。
あなたは、嫉妬のあまり悪口を言われるほど、
注目されるすごい人なんです。
2.あなたを攻撃する人は、あなたにかまってほしくて駄々をこねてるから
あなたのことが好きな人たちは、
あなたのことを攻撃しない。
だけど、
あなたのことが好きな人たちの中で、
あなたのことを攻撃したら、目立てる。
目立ったら、あなたの目に留まりやすい。
目に留まり、あなたから反応が返ってきたら、
「あなたに見てもらえてる」と思える。
好きな人からかまってもらえたら、
普段かまってもらえてない自分を満たせる。
たとえそれが、
あなたを傷つけるような方法でも。
あなたにかまってほしくて、駄々をこねる人がいるほど、
あなたはすごい人なんです。
3.あなたを否定する人は、あなたに負けたくない自分を認めたくないから
自分があなたよりも劣っていることが許せない。
あなたに敵わない部分があることが悔しい。
ましてそれが、自分が得意なことなら、なおさら。
自分が一番でいたい、一番でいられた。
だけど、あなたが現れて、いとも簡単に超えられた。
悔しい、悔しい、あなたに負けたくない。
だけど、
現時点であなたに負けている自分を認めたくない。
認めてしまったら、
自分が自信を持っていたことが崩れる。
だから必死で否定する。
あなたを自分の位置まで引きずり降ろしたくて。
あなたは、
引きずり降ろされるほど、すごい人なんです。
4.繊細で、優しくて、傷つきやすいあなたへ
あなたの悪口を言う人
あなたを攻撃する人
あなたを否定する人
そんな人に足を引っ張られ、
あなたの心はきっとボロボロに傷ついてる。
だけど、
もしあなたがどうでもいい存在だったら、
攻撃にさらされることすらない。
あなたがそれだけすごい人だから、
そんな人たちまでついてきてしまうんです。
繊細で、優しくて、傷つきやすいあなたへ。
どうか、胸を張ってください。
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2020年07月14日
【600記事】ブログ毎日更新577日、コツは”生活のすべてをコンテンツにする”。
タイトルの通り、このたび
ブログ毎日更新577日、600記事に到達。
500記事を達成してからの100日間。
腰痛や肩こりの悪化との戦いもあり、
何かを続けることがこんなに難しいのかと実感した。
それでも続けて来れた今。
もし、ブログを毎日更新するコツがあるとすれば。
それは
生活のすべてをコンテンツにすること。
どんなに小さなことでも、
少し深掘ってみるといろんなドラマが隠れている。
生きて、経験したあらゆることが、
自分オリジナルのコンテンツになる。
日常の小さなことから
コンテンツを吸い上げる習慣がつけば、
ブログを書かずに1日を終えるのが気持ち悪くなってくる。
苦しい日、痛い日、確かにある。
もう疲れた、折れそう、そんな日もたくさんある。
もっともありがちな悩み「ネタがない」
これもしょっちゅうある。
それでも、朝の身支度くらい習慣化した今、
どこまで続けられるか楽しみな自分もいる。
次は601記事目。
次は700記事目に向けて。
たとえ、今はまだ、その先に何も見えなくても。
コツコツ、チリを積もらせていこう。
ーー続ける力は、鍛えられるーー
ブログ毎日更新577日、600記事に到達。
500記事を達成してからの100日間。
腰痛や肩こりの悪化との戦いもあり、
何かを続けることがこんなに難しいのかと実感した。
それでも続けて来れた今。
もし、ブログを毎日更新するコツがあるとすれば。
それは
生活のすべてをコンテンツにすること。
- おもしろかった本
- 今日の夕食に作った料理
- 通りがかった道でみつけたきれいな花
- 何か嫌なことがあったなら、
その人が自分を傷つけた背景や心境
どんなに小さなことでも、
少し深掘ってみるといろんなドラマが隠れている。
生きて、経験したあらゆることが、
自分オリジナルのコンテンツになる。
日常の小さなことから
コンテンツを吸い上げる習慣がつけば、
ブログを書かずに1日を終えるのが気持ち悪くなってくる。
苦しい日、痛い日、確かにある。
もう疲れた、折れそう、そんな日もたくさんある。
もっともありがちな悩み「ネタがない」
これもしょっちゅうある。
それでも、朝の身支度くらい習慣化した今、
どこまで続けられるか楽しみな自分もいる。
次は601記事目。
次は700記事目に向けて。
たとえ、今はまだ、その先に何も見えなくても。
コツコツ、チリを積もらせていこう。
ーー続ける力は、鍛えられるーー
2020年07月09日
「コロナより人間が怖い」 〜不安と恐怖で露呈する、人間の本性〜。
コロナパンデミックで問題になる自粛警察。
不安と恐怖に支配され、
人間の醜い一面が次々と露呈する。
本当に怖いのはコロナ?
それともコロナを利用する人間?
そんなことを考える中。
農村に住んでいて、
用事で定期的に都市部に来る知人が
こんなことを言っていた。
中高年の人たちの気持ちがおかしくなっている
コロナより人間が怖い
ー目次ー
知人の近所に住む70代半ばの女性。
自宅の家庭菜園に出入りするにもマスク着用、
一見すると、熱心に予防に努めている。
そして、ムラ社会ならではの恐怖も口にする。
「村で最初に感染したら、村八分になるのが怖い」
一方で、感染者の住まいに関して、こんなことも言う。
「ニュースで感染者の住まいを公表してほしい。
はっきり地名がわかれば、そこに行かないようにするのに。
公表しないのはおかしい。」
では、もしご自身が感染したら、住まいを公表しますか?
そう質問した知人に、返ってきた答えは。
「絶対に公表しない!」
60代の近所の人と、知人は何気ない世間話をしていた。
そんな中、話題は
病院や、高齢者施設でのクラスター発生に移った。
「本当に大変、どうしてそんなことが起きるんだろうね」
いつもと変わらない、いつもの世間話の続き、
のつもりだった。
その人はとたんに顔をこわばらせ、
はっきりと口調を荒げて、こう言った。
「看護師や職員がウィルスだらけの場所に外出するからさ!」
知人は絶句し、会話が途切れたという。
「本心ではそんなふうに思ってたなんて…。」
スーパーのレジに並んでいた知人の前に、
60代と思われる人が、落ち着かない様子で並んでいた。
その人の前に、誤って割り込んでしまった人がいた。
整列順を示す矢印に気づかなかったんだろう。
「ごめんなさいね。間違えました。」
謝罪の言葉を述べ、
近所のいつものコミュニケーション方法で
肩を触ろうとした時。
落ち着かない様子だった人の怒りが、
一気に頂点に達した。
「触らないでよ!感染するでしょ!」
人が集まるスーパーに来ていること。
それが怖くて落ち着かない様子だったとわかった。
中高年の致死率が高い傾向にあるウィルス。
だから余計に恐怖を感じる、ごく自然なこと。
狭いコミュニティから村八分にされたら、
生きていけない恐怖。これも自然。
ただ。
知人から聞いた3つの話で、
中高年をいちばんおかしくしているのは
ウィルスそのものじゃない。
不安と恐怖
そして、それらを植えつけ印象操作する情報メディア
自分が感染したくないあまり、
感染者の住所を公表しろ、自分はしないと言う。
自分の不安を誰かのせいにしたいあまり、
医療関係者や施設職員を「仮想・悪者」と言う。
自分の恐怖をぶつける口実がほしいあまり、
「肩の接触」というトリガーに飛びつく。
身体の病気には誰一人なっていないのに、
心だけを蝕み合っている。
知人が言った「コロナより人間が怖い」。
それはどんな人間か。
不安と恐怖のあまり、「自分だけが助かればいい」
という思考に陥ってしまった人間。
つじつまの合わない、
他人を傷つける言動をしていることにすら
気づかなくなってしまった人間。
そして、
お金のため、視聴率のために、
そんな人間を躊躇なく大量に作り出す人間。
本当に怖いのはコロナ?
不安?恐怖?
それとも、コロナを利用する人間?
ーー人間はパンデミックとどう向き合うか、『ペスト』から学ぶーー
ーー『ペスト』小説版はこちらーー
不安と恐怖に支配され、
人間の醜い一面が次々と露呈する。
本当に怖いのはコロナ?
それともコロナを利用する人間?
そんなことを考える中。
農村に住んでいて、
用事で定期的に都市部に来る知人が
こんなことを言っていた。
中高年の人たちの気持ちがおかしくなっている
コロナより人間が怖い
ー目次ー
- 「感染者の住所を公表しなさいよ!でも私は絶対に公表しない!」
- 「看護師や職員がウィルスだらけの場所に外出するからさ!」
- 「触らないでよ!感染するでしょ!」
- 中高年をおかしくしているのは、不安と恐怖と印象操作
- 本当に怖いのは、コロナを利用する人間?
1.「感染者の住所を公表しなさいよ!でも私は絶対に公表しない!」
知人の近所に住む70代半ばの女性。
自宅の家庭菜園に出入りするにもマスク着用、
一見すると、熱心に予防に努めている。
そして、ムラ社会ならではの恐怖も口にする。
「村で最初に感染したら、村八分になるのが怖い」
一方で、感染者の住まいに関して、こんなことも言う。
「ニュースで感染者の住まいを公表してほしい。
はっきり地名がわかれば、そこに行かないようにするのに。
公表しないのはおかしい。」
では、もしご自身が感染したら、住まいを公表しますか?
そう質問した知人に、返ってきた答えは。
「絶対に公表しない!」
2.「看護師や職員がウィルスだらけの場所に外出するからさ!」
60代の近所の人と、知人は何気ない世間話をしていた。
そんな中、話題は
病院や、高齢者施設でのクラスター発生に移った。
「本当に大変、どうしてそんなことが起きるんだろうね」
いつもと変わらない、いつもの世間話の続き、
のつもりだった。
その人はとたんに顔をこわばらせ、
はっきりと口調を荒げて、こう言った。
「看護師や職員がウィルスだらけの場所に外出するからさ!」
知人は絶句し、会話が途切れたという。
「本心ではそんなふうに思ってたなんて…。」
3.「触らないでよ!感染するでしょ!」
スーパーのレジに並んでいた知人の前に、
60代と思われる人が、落ち着かない様子で並んでいた。
その人の前に、誤って割り込んでしまった人がいた。
整列順を示す矢印に気づかなかったんだろう。
「ごめんなさいね。間違えました。」
謝罪の言葉を述べ、
近所のいつものコミュニケーション方法で
肩を触ろうとした時。
落ち着かない様子だった人の怒りが、
一気に頂点に達した。
「触らないでよ!感染するでしょ!」
人が集まるスーパーに来ていること。
それが怖くて落ち着かない様子だったとわかった。
4.中高年をおかしくしているのは、不安と恐怖と印象操作
中高年の致死率が高い傾向にあるウィルス。
だから余計に恐怖を感じる、ごく自然なこと。
狭いコミュニティから村八分にされたら、
生きていけない恐怖。これも自然。
ただ。
知人から聞いた3つの話で、
中高年をいちばんおかしくしているのは
ウィルスそのものじゃない。
不安と恐怖
そして、それらを植えつけ印象操作する情報メディア
自分が感染したくないあまり、
感染者の住所を公表しろ、自分はしないと言う。
自分の不安を誰かのせいにしたいあまり、
医療関係者や施設職員を「仮想・悪者」と言う。
自分の恐怖をぶつける口実がほしいあまり、
「肩の接触」というトリガーに飛びつく。
身体の病気には誰一人なっていないのに、
心だけを蝕み合っている。
5.本当に怖いのは、コロナを利用する人間?
知人が言った「コロナより人間が怖い」。
それはどんな人間か。
不安と恐怖のあまり、「自分だけが助かればいい」
という思考に陥ってしまった人間。
つじつまの合わない、
他人を傷つける言動をしていることにすら
気づかなくなってしまった人間。
そして、
お金のため、視聴率のために、
そんな人間を躊躇なく大量に作り出す人間。
本当に怖いのはコロナ?
不安?恐怖?
それとも、コロナを利用する人間?
ーー人間はパンデミックとどう向き合うか、『ペスト』から学ぶーー
ーー『ペスト』小説版はこちらーー
2020年07月08日
【歩きスマホ対策】いっそAI技術を駆使して『安全な歩きスマホ方法』を開発したらどうだろう 〜発想の転換〜。
社会問題になって久しい、歩きスマホ。
そしてスマホゾンビの台頭。
見ていて快くはないし、
こちらが避けなければいけないことに
ストレスを感じる人は多い。
ただ、現実的には歩きスマホの根絶は難しい。
ならば、いっそのこと。
AI技術を駆使して
『安全な歩きスマホ方法』
『ストレスなく避けられる方法』を開発し、
歩きスマホ対策を楽しんでみるのはどうだろう。
歩きスマホにストレスを感じる人たちの心を、
少しでも軽くするために。
ー目次ー
AIにできることの1つは、
多くのデータをもとに計算し、最適解を出すこと。
ならば、AIを使って、
歩きスマホ回避時の動作データを集めてみたらどうだろう。
例えば、
歩きスマホをしている人と、
歩きスマホをしていない人が正面から歩いてくるとして。
それぞれがすれ違う時に
どのような動作をしたかのデータを取る。
など。
歴史の浅い、歩きスマホ。
その傾向がわかれば、対策の実用化に役立てられるんじゃないか。
集まったデータをもとに、
この最適解を出せるとしたら。
例えばこんな書籍やアプリが出たらおもしろそう。
スマホゾンビ向け
『How to?安全に歩きスマホを楽しむイロハ、教えます』
スマホゾンビを避けたい人向け
『How to?ストレスよさらば!歩きスマホを避けまくれ』
ゲーム化しても、おもしろいんじゃないか。
どれだけ上手く、歩きスマホを避けられたかを、
フィギュアスケートのごとく採点競技式のゲームに。
『スマホゾンビをただ美しく避けるだけのゲーム(仮)』
【直近の避け方スコア(100点満点)】
避けた人数:86人
総合:60点
準備:40点
間合い:55点
フォーム:75点
ストレス:90点
「どうしてこっちが配慮しないといけないんだ!」
そう憤る気持ちもわかる。
歩きスマホは、見ていて気持ちのいいものじゃない。
そこにプライベートでの苛立ちが加われば、
排除したくなる気持ちもわかる。
ただ、
これだけスマホが普及した以上、
次世代の何かが出るまでは、歩きスマホの根絶は難しい。
無くすのが難しいのであれば、
いっそのことAIを駆使して統計データを取り、
How to 案を出してみたらどうだろう。
ゲームアプリのように、
歩きスマホ回避を楽しめる仕組みを作ったらどうだろう。
歩きスマホにストレスを感じる人たちの心を、
少しでも軽くするために。
ーーAIにできることを学ぼう、心を豊かにするためにもーー
そしてスマホゾンビの台頭。
見ていて快くはないし、
こちらが避けなければいけないことに
ストレスを感じる人は多い。
ただ、現実的には歩きスマホの根絶は難しい。
ならば、いっそのこと。
AI技術を駆使して
『安全な歩きスマホ方法』
『ストレスなく避けられる方法』を開発し、
歩きスマホ対策を楽しんでみるのはどうだろう。
歩きスマホにストレスを感じる人たちの心を、
少しでも軽くするために。
ー目次ー
- AIを使って歩きスマホ回避時の動作データを集める
- How to本やゲームアプリで実用化できないか
- 歩きスマホ対策を楽しむという発想
1.AIを使って歩きスマホ回避時の動作データを集める
AIにできることの1つは、
多くのデータをもとに計算し、最適解を出すこと。
ならば、AIを使って、
歩きスマホ回避時の動作データを集めてみたらどうだろう。
例えば、
歩きスマホをしている人と、
歩きスマホをしていない人が正面から歩いてくるとして。
それぞれがすれ違う時に
どのような動作をしたかのデータを取る。
- 何メートル手前で動作を開始したか
- すれ違う時の角度や距離はいくらか
- 左右どちらに避けることが多いか
- 歩行スピードの差異や平均値はどうか
- 歩きスマホ中の使用アプリで変化はあるか
- 両者の身長差、年代別、男女別などでどう変わるか
- 真正面ではない場合、歩きスマホ人への入射角度によってどう変わるか
など。
歴史の浅い、歩きスマホ。
その傾向がわかれば、対策の実用化に役立てられるんじゃないか。
2.How to本やゲームアプリで実用化できないか
集まったデータをもとに、
- もっとも安全に歩きスマホをする方法
- もっとも小ストレスで歩きスマホを避ける方法
この最適解を出せるとしたら。
例えばこんな書籍やアプリが出たらおもしろそう。
スマホゾンビ向け
『How to?安全に歩きスマホを楽しむイロハ、教えます』
スマホゾンビを避けたい人向け
『How to?ストレスよさらば!歩きスマホを避けまくれ』
ゲーム化しても、おもしろいんじゃないか。
どれだけ上手く、歩きスマホを避けられたかを、
フィギュアスケートのごとく採点競技式のゲームに。
『スマホゾンビをただ美しく避けるだけのゲーム(仮)』
【直近の避け方スコア(100点満点)】
避けた人数:86人
総合:60点
準備:40点
間合い:55点
フォーム:75点
ストレス:90点
3.歩きスマホ対策を楽しむという発想
「どうしてこっちが配慮しないといけないんだ!」
そう憤る気持ちもわかる。
歩きスマホは、見ていて気持ちのいいものじゃない。
そこにプライベートでの苛立ちが加われば、
排除したくなる気持ちもわかる。
ただ、
これだけスマホが普及した以上、
次世代の何かが出るまでは、歩きスマホの根絶は難しい。
無くすのが難しいのであれば、
いっそのことAIを駆使して統計データを取り、
How to 案を出してみたらどうだろう。
ゲームアプリのように、
歩きスマホ回避を楽しめる仕組みを作ったらどうだろう。
歩きスマホにストレスを感じる人たちの心を、
少しでも軽くするために。
ーーAIにできることを学ぼう、心を豊かにするためにもーー
2020年07月06日
【ギリシャ神話・ペルセウス編】悪役ポリュデクテスに学ぶ”一途さ”、”失敗から立ち上がる不屈の精神力”。
ギリシャ神話、
ゴルゴン姉妹・メデューサ退治の英雄ペルセウス。
妻アンドロメダ、その母カシオペアなど、
有名な星座になっている名前が多く登場する。
華やかに活躍する英雄、ヒロイン。
その裏で、僕は
悪役「ポリュデクテス」から
”一途さ”、”失敗しても立ち上がる不屈の精神力”を学んだ。
脇役、悪役にも、それぞれの人生があり、思いがある。
結果的にやられても、彼らから学べることはたくさんある。
ー目次ー
赤子のペルセウスと、母ダナエは木箱で海へ流され、
セリポス島に漂着する。
同島の王ポリュデクテスはダナエに惚れ、
何度もアプローチするが実らない。
時が流れ、ペルセウスが青年に成長しても、
ダナエをまだ諦めないポリュデクテス。
邪魔なペルセウスを亡き者にするため
ペルセウスにメデューサ退治を命じる。
(つまり「死んで来い」)
しかし、本当に退治して戻ってきたペルセウス。
証拠に持ち帰ったメデューサの首を見せ、
ポリュデクテスや部下の兵士たちは石にされてしまう。
母ダナエを守ったペルセウスは、
道中で助けたアンドロメダとともに帰郷する。
そんな「ペルセウスを陥れる悪役」として、
ポリュデクテスは登場する。
ペルセウスがメデューサを退治して戻ってきたとき、
ポリュデクテスはついに強硬手段に出ていた。
兵を率いてダナエを神殿の祭壇まで追い詰め、
音を上げるのを待った。
執着心が強く、粘着質な
ストーカー気質の見えるポリュデクテス。
ただ。
彼のやり過ぎな一面はともかく、
すごいと思ったところが2つ。
それは
彼の一途さと、失敗しても立ち上がる不屈の精神力。
「赤子のペルセウスが青年になっても
ダナエにアプローチを続ける」
当時の成人年齢が15歳前後だとしても、
20年弱、1人の女性を想い続けている。
王という地位にあり、
言い方は悪いが女性関係の不自由は少ないはず。
迫り方は確かに歪んでいるし、
正妻や側室格の女性が他にいたかも知れない。
それを別としても、
ここまで一途に想い続ける真っ直ぐさは、学ぶものがある。
「ダナエからペルセウスを遠ざけるため、
ペルセウスにメデューサ退治を命じる」
「個人でのアプローチを超え、
ペルセウス不在時、ついに兵を率いてダナエに迫る」
※強調:迫り方は歪んでいる。よくないとは思う。
よくないと思いつつも、学べることは
彼の目標達成への姿勢と行動力。
目標のためなら強硬手段もいとわず、
何度フラれても諦めずにアプローチを繰り返す。
少なくとも10年以上、失敗を重ね、なお立ち上がる、
アスリートのような不屈の精神力。
もっと別のことに有効活用できていれば…と、
少し惜しい気もする。
英雄の物語。
当然、主人公のペルセウスや、
妻となるアンドロメダに注目が集まる。
だけど、悪役にもそれぞれの人生があり、思いがある。
結果、やられてしまっても。
彼らが掲げた信念や、行動に駆り立てた思いから
学べるものもあるんじゃないだろうか。
脇役・悪役まで目が離せないギリシャ神話、
知れば知るほどおもしろい。
ーーギリシャ神話をマンガで学ぼうーー
ーーAmazon・Kindle など各種ストアで購入可能ーー
ゴルゴン姉妹・メデューサ退治の英雄ペルセウス。
妻アンドロメダ、その母カシオペアなど、
有名な星座になっている名前が多く登場する。
華やかに活躍する英雄、ヒロイン。
その裏で、僕は
悪役「ポリュデクテス」から
”一途さ”、”失敗しても立ち上がる不屈の精神力”を学んだ。
脇役、悪役にも、それぞれの人生があり、思いがある。
結果的にやられても、彼らから学べることはたくさんある。
ー目次ー
- ペルセウスのメデューサ退治、エピソード概要
- 粘着質なポリュデクテス王から学ぶ、意思の強さ
- 15年以上、1人の女性を一途に想い続ける
- 何度フラれても立ち上がる、不屈のチャレンジ精神
- 脇役・悪役まで目が離せないギリシャ神話
1.ペルセウスのメデューサ退治、エピソード概要
赤子のペルセウスと、母ダナエは木箱で海へ流され、
セリポス島に漂着する。
同島の王ポリュデクテスはダナエに惚れ、
何度もアプローチするが実らない。
時が流れ、ペルセウスが青年に成長しても、
ダナエをまだ諦めないポリュデクテス。
邪魔なペルセウスを亡き者にするため
ペルセウスにメデューサ退治を命じる。
(つまり「死んで来い」)
しかし、本当に退治して戻ってきたペルセウス。
証拠に持ち帰ったメデューサの首を見せ、
ポリュデクテスや部下の兵士たちは石にされてしまう。
母ダナエを守ったペルセウスは、
道中で助けたアンドロメダとともに帰郷する。
そんな「ペルセウスを陥れる悪役」として、
ポリュデクテスは登場する。
2.粘着質なポリュデクテス王から学ぶ、意思の強さ
ペルセウスがメデューサを退治して戻ってきたとき、
ポリュデクテスはついに強硬手段に出ていた。
兵を率いてダナエを神殿の祭壇まで追い詰め、
音を上げるのを待った。
執着心が強く、粘着質な
ストーカー気質の見えるポリュデクテス。
ただ。
彼のやり過ぎな一面はともかく、
すごいと思ったところが2つ。
それは
彼の一途さと、失敗しても立ち上がる不屈の精神力。
3.15年以上、1人の女性を一途に想い続ける
「赤子のペルセウスが青年になっても
ダナエにアプローチを続ける」
当時の成人年齢が15歳前後だとしても、
20年弱、1人の女性を想い続けている。
王という地位にあり、
言い方は悪いが女性関係の不自由は少ないはず。
迫り方は確かに歪んでいるし、
正妻や側室格の女性が他にいたかも知れない。
それを別としても、
ここまで一途に想い続ける真っ直ぐさは、学ぶものがある。
4.何度フラれても立ち上がる、不屈のチャレンジ精神
「ダナエからペルセウスを遠ざけるため、
ペルセウスにメデューサ退治を命じる」
「個人でのアプローチを超え、
ペルセウス不在時、ついに兵を率いてダナエに迫る」
※強調:迫り方は歪んでいる。よくないとは思う。
よくないと思いつつも、学べることは
彼の目標達成への姿勢と行動力。
目標のためなら強硬手段もいとわず、
何度フラれても諦めずにアプローチを繰り返す。
少なくとも10年以上、失敗を重ね、なお立ち上がる、
アスリートのような不屈の精神力。
もっと別のことに有効活用できていれば…と、
少し惜しい気もする。
5.脇役・悪役まで目が離せないギリシャ神話
英雄の物語。
当然、主人公のペルセウスや、
妻となるアンドロメダに注目が集まる。
だけど、悪役にもそれぞれの人生があり、思いがある。
結果、やられてしまっても。
彼らが掲げた信念や、行動に駆り立てた思いから
学べるものもあるんじゃないだろうか。
脇役・悪役まで目が離せないギリシャ神話、
知れば知るほどおもしろい。
ーーギリシャ神話をマンガで学ぼうーー
ーーAmazon・Kindle など各種ストアで購入可能ーー