2020年10月14日
【アダルトチルドレン】命をつなぐ必要はあるか 〜愛着障害、悲しみと寂しさを再生産したくない〜。
※決して人間を滅ぼしたい、殺したいなどという
過激思想に走っているわけではありません。
命をつなぐことについて、
僕の個人的な厭世観、死生観を語っています。
僕は
人類は滅亡するならしてもいいし、
必ずしも命をつなぐ必要はないと思っている。
僕にとって、
命をつなぐということは、
自分が親に愛されなかったという
悲しみや寂しさもつなぐということ。
命をつながれて生まれた後続の人間は、
そんな思いをしながら100年近い終身刑を受刑する。
そんな、アダルトチルドレンの再生産は、
自分がやる必要はないと思っている。
ー目次ー
誰もが愛情豊かな親に恵まれ、
無条件の愛情を注がれ、
自分という存在そのものを肯定されてきたなら。
この世界にアダルトチルドレンや
愛着障害は存在しないはず。
僕にとっての現実は、残念ながら
無条件で永遠に続く愛情など存在しない。
なぜなら自分がそれを感じたことがないし、
無条件の愛情を受けて育った人に
今まで出逢ったことがないから。
愛情あふれる両親、あたたかい家族、
無条件の愛情なんてものは理想論で、
現実世界にはアルコールや恋愛に依存しながら
辛うじて生きてる人であふれてる。
寂しい
悲しい
愛されたかった
どうして自分は愛されなかったのか
そんな底無しの愛情飢餓を抱え、
悲しみに押しつぶされそうな人間を、
わざわざ自分が再生産しなくていいと思う。
自分が親に愛情をもらえず悲しい思いをしてきた
だから我が子には絶対に幸せになってもらいたい
そんな尊い志を持って
親になっていく人もたくさんいる。
だけど現実を見れば、
自分が親に虐待されたのと同じように
我が子を虐待し、
自分が親からネグレクトされたのと同じように
我が子をネグレクトし、
自分が親に支配されたのと同じように
我が子を支配する。
一見、
子どもに無条件の愛情を注いでいるようでいて、
実態は、
子どもに無条件の愛情を注ぐ親である”私”を
認めてもらうために子どもを利用している。
悲しみの世代間連鎖を止めるどころか、
気づかないまま引き継いでいく人がほとんどだ。
「自分はそんな親にならなければいい」
そう思っていたとしても。
命をつないだからといって
親からもらえなかった愛情を
いきなり我が子にあげられるものじゃない。
人間は自分がされたのと同じようにするし、
もらったものと同じものを与える生き物なんだから。
宗教はまさに
”現世は苦しいという公認記録”みたいなもの。
生きている今が天国だったら、
わざわざ来世で天国に行きたいなどと言わない。
生きている今が苦しいから、
せめて死んだ後くらいは天国に行かせてほしい。
多くの宗教は
そんな願いから生まれたんじゃないだろうか。
宗教が”苦しい”と公式認定した世界に、
本人の”生まれたいかどうか”という意思と
無関係に誕生させる。
そこで愛情に満たされて育つならまだいいが、
実際は愛情も関心を注がれず、
悲しみに暮れて生きさせられる。
なのに
「命を粗末にするなんて」と言われ
自殺もままならない。
命をつないで誕生させたら
苦しみや悲しみを味わわせると
わかりきってるのに。
どうして命をつなごうとするんだろう。
歴史を学んでいると、特に核兵器ができてから
”人類滅亡の危機”が騒がれるようになっていく。
東西冷戦がもっとも加熱した
キューバ危機。
ソ連がキューバに核ミサイル発射基地を作り、
いよいよ核戦争が始まるかと危ぶまれた。
だけど僕には
”人類滅亡の危機”が特に響かなかった。
いったい何が危機なんだろう、
滅亡したらメリットがたくさんあるのに。
滅亡したら愛着障害も愛情飢餓も
一緒に滅びるじゃないか。
滅亡しないならしないでいい。
けど、
後続の人たちが悲しむ機会がなくなるなら、
それはそれでいいじゃないか。
死んだら、
死ぬことを恐れなくてよくなる。
死にたくないと恐怖しながら生きなくてよくなる。
キューバ危機で人類滅亡していたら
こんなにメリットがあるのに。
どうしてこんなに騒がれるんだろうと
不思議に思った。
僕がもし
無条件の愛情を知る人間だったら、
命をつないでもいいかなと思ってたかも知れない。
だけど、
”無条件の愛情なんて理想論で幻想”
こう考えている限り、
命は必ずしもつながなくていい。
たとえそれが、生まれなかった者にとって
人生での喜びを享受する機会の剥奪だとしても。
その機会を与える役割は、
命をつなぎたい人にお任せする。
そして、
もし世界中の誰も命をつながなくなった結果、
人間が絶滅するなら、それはそれでいいと思う。
ヒトという種と一緒に、
悲しみも、寂しさも、憎しみも、
愛着障害も絶滅してくれるなら。
過激思想に走っているわけではありません。
命をつなぐことについて、
僕の個人的な厭世観、死生観を語っています。
僕は
人類は滅亡するならしてもいいし、
必ずしも命をつなぐ必要はないと思っている。
僕にとって、
命をつなぐということは、
自分が親に愛されなかったという
悲しみや寂しさもつなぐということ。
命をつながれて生まれた後続の人間は、
そんな思いをしながら100年近い終身刑を受刑する。
そんな、アダルトチルドレンの再生産は、
自分がやる必要はないと思っている。
ー目次ー
- ”無条件の愛情”は理想論で幻想
- ”自分は親のようにはならない”は可能か
- 宗教は”現世は苦しいという公認記録”
- なぜ”人類滅亡の危機”で騒ぐ必要があるのか
- 愛着障害も絶滅するなら、人間が絶滅するのもいい
1.”無条件の愛情”は理想論で幻想
誰もが愛情豊かな親に恵まれ、
無条件の愛情を注がれ、
自分という存在そのものを肯定されてきたなら。
この世界にアダルトチルドレンや
愛着障害は存在しないはず。
僕にとっての現実は、残念ながら
無条件で永遠に続く愛情など存在しない。
なぜなら自分がそれを感じたことがないし、
無条件の愛情を受けて育った人に
今まで出逢ったことがないから。
愛情あふれる両親、あたたかい家族、
無条件の愛情なんてものは理想論で、
現実世界にはアルコールや恋愛に依存しながら
辛うじて生きてる人であふれてる。
寂しい
悲しい
愛されたかった
どうして自分は愛されなかったのか
そんな底無しの愛情飢餓を抱え、
悲しみに押しつぶされそうな人間を、
わざわざ自分が再生産しなくていいと思う。
2.”自分は親のようにはならない”は可能か
自分が親に愛情をもらえず悲しい思いをしてきた
だから我が子には絶対に幸せになってもらいたい
そんな尊い志を持って
親になっていく人もたくさんいる。
だけど現実を見れば、
自分が親に虐待されたのと同じように
我が子を虐待し、
自分が親からネグレクトされたのと同じように
我が子をネグレクトし、
自分が親に支配されたのと同じように
我が子を支配する。
一見、
子どもに無条件の愛情を注いでいるようでいて、
実態は、
子どもに無条件の愛情を注ぐ親である”私”を
認めてもらうために子どもを利用している。
悲しみの世代間連鎖を止めるどころか、
気づかないまま引き継いでいく人がほとんどだ。
「自分はそんな親にならなければいい」
そう思っていたとしても。
命をつないだからといって
親からもらえなかった愛情を
いきなり我が子にあげられるものじゃない。
人間は自分がされたのと同じようにするし、
もらったものと同じものを与える生き物なんだから。
3.宗教は”現世は苦しいという公認記録”
宗教はまさに
”現世は苦しいという公認記録”みたいなもの。
生きている今が天国だったら、
わざわざ来世で天国に行きたいなどと言わない。
生きている今が苦しいから、
せめて死んだ後くらいは天国に行かせてほしい。
多くの宗教は
そんな願いから生まれたんじゃないだろうか。
宗教が”苦しい”と公式認定した世界に、
本人の”生まれたいかどうか”という意思と
無関係に誕生させる。
そこで愛情に満たされて育つならまだいいが、
実際は愛情も関心を注がれず、
悲しみに暮れて生きさせられる。
なのに
「命を粗末にするなんて」と言われ
自殺もままならない。
「命は誰かからの贈り物?それとも押しつけられたゴミ?」
誰かがパイをくれて、「食べろ!」と言ったとしよう。
でもそれはアップルパイでもチェリーパイでもない。
いかにもまずそうな腐りかけのパイだ。
そんな人に恩義を感じるだろうか?
そんなパイというプレゼントをくれたという理由で、
その人に対して、そのパイを食べたり
食べ続けたりする恩義があるだろうか?
『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 日本縮約版』 より
命をつないで誕生させたら
苦しみや悲しみを味わわせると
わかりきってるのに。
どうして命をつなごうとするんだろう。
4.なぜ”人類滅亡の危機”で騒ぐ必要があるのか
歴史を学んでいると、特に核兵器ができてから
”人類滅亡の危機”が騒がれるようになっていく。
東西冷戦がもっとも加熱した
キューバ危機。
ソ連がキューバに核ミサイル発射基地を作り、
いよいよ核戦争が始まるかと危ぶまれた。
だけど僕には
”人類滅亡の危機”が特に響かなかった。
いったい何が危機なんだろう、
滅亡したらメリットがたくさんあるのに。
滅亡したら愛着障害も愛情飢餓も
一緒に滅びるじゃないか。
滅亡しないならしないでいい。
けど、
後続の人たちが悲しむ機会がなくなるなら、
それはそれでいいじゃないか。
死んだら、
死ぬことを恐れなくてよくなる。
死にたくないと恐怖しながら生きなくてよくなる。
キューバ危機で人類滅亡していたら
こんなにメリットがあるのに。
どうしてこんなに騒がれるんだろうと
不思議に思った。
5.愛着障害も絶滅するなら、人間が絶滅するのもいい
僕がもし
無条件の愛情を知る人間だったら、
命をつないでもいいかなと思ってたかも知れない。
だけど、
”無条件の愛情なんて理想論で幻想”
こう考えている限り、
命は必ずしもつながなくていい。
たとえそれが、生まれなかった者にとって
人生での喜びを享受する機会の剥奪だとしても。
その機会を与える役割は、
命をつなぎたい人にお任せする。
そして、
もし世界中の誰も命をつながなくなった結果、
人間が絶滅するなら、それはそれでいいと思う。
ヒトという種と一緒に、
悲しみも、寂しさも、憎しみも、
愛着障害も絶滅してくれるなら。
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