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2014年07月31日

霊使い達の宿題・水の場合(改訂版)後編

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 こんばんは。お久しぶりの土斑猫です・・・。
 お、終わった・・・。
 「霊使い達の宿題・水の場合(改訂版)」、ようやく終わりました・・・。
 つーか、ナンダコレ?
 こんな長くなるなんて、全くもって想定外・・・。
 ウィンの話が六つ七つ、入るよ?
 何、宿題如きで大冒険してんの?お嬢様(←責任転嫁)
 お陰で、今月のブログ更新回数ワースト1位だよ(←自分のせい)
 と言う訳で、オリジナル要素満載ですので、その点はご注意を。
 ではでは。


 ・・・トリシューラ怖い・・・。



                    霊使い達の宿題


                   ―水の場合(前編)―


                         ―4―


 ・・・目に入るのは、”白”だけだった。
 辺りには肌を刺す様な冷気が漂い、岩も大地も、大気でさえも白く凍てついている。
 氷禍に侵され尽くした空間。
 そこに、大きな氷塊が幾つも転がっている。
 十個?
 百個?
 否。
 もっと。
 もっと、もっと。
 もっともっともっともっともっと。
 数え切れない程に転がる、凍てついた結晶。
 そのうちの、一つに近づく。
 透麗な輝きのその奥に、何かが見える。
 目を凝らす。
 冷たい壁の向こうに見えたもの。
 それは―
 「―――っ!!」
 ンギュッ
 思わず叫びかけた口を、大きな手が塞いだ。
 『エリア・・・落ち着いて。』
 手の主が、耳元でそっと囁く。
 『気持ちは分かるけど、今騒いじゃ不味い・・・。』
 優しい声が、ざわめいた心を冷ましていく。
 口内まで登ってきた声を、エリアは何とか呑み込んだ。


 ドゥローレンと分かれた後、エリアとガガギゴは鏡の導きに従って氷洞を進んでいった。
 長く長く続く洞道。
 終焉などないのではと思い始めた矢先に、終わりは訪れた。
 外に出た途端、鋭い北国の日差しが二人の目を刺す。
 堪らず立ち止まり、視界を覆う。。
 目が光に慣れるのを待つ事、数分。
 改めて開いた視界の前に、かの光景は広がっていた。


 『しかし・・・酷いな・・・。』
 周りを見回しながら、ガガギゴは極力小さな声で言う。
 不安を覚える程に立ち並ぶ、無数の氷塊。
 その一つ一つの中に収められたものが、彼の眉を潜めさせる。
 それは、人。
 否。
 人だけではない。
 動物。
 モンスター。
 ありとあらゆる生物が、生きていた時そのままの姿で凍てついていた。
 『戦士団の人達に、その騎馬達か・・・。』
 ”彼ら”の出で立ちを見たガガギゴが呟く。
 透き通った結晶の中に眠るその表情は、しかし決して安らかなものではなかった。
 恐怖。
 絶望。
 苦悶。
 悲哀。
 全ての負の想いを貼り付けたまま、彼らの時は凍りついていた。
 それを痛ましげに見つめながら、感覚を研ぎ澄ます。
 辺りの冷気に混じって流れる、異様な”力”の気配。 
 恐らくは、この惨状を作り出した者の残滓。
 それを感覚が捕える度、氷の刃に脊柱を貫かれた様な悪寒が走る。
 先に見た二頭の氷龍。
 ブリューナクにグングニール。
 漂う力の形は、彼らのものによく似ている。
 しかし、圧倒的に違うのはその密度。
 先の二頭のそれを大地を凍てつかせる吹雪に例えるなら、今ここに漂うものは世界そのものを枯らす冷禍に等しい。
 知らずのうちに、冷えた息を漏らすガガギゴ。
 恐れを成した訳ではない。
 しかし、本能が忌避していた。
 そのあまりにも強大な力を。
 そして、それが孕む邪悪さを。
 顔を上げ、視界を凝らす。
 乱れ並ぶ氷墓の群れの先。
 漂う純白の氷霧の向こう。
 その先から、力の波動は流れてきていた。
 遠くはない。
 この先。
 そう。
 この先に。
 いるのだ。
 ”あれ”が。
 心臓が、早鐘の様に打つ。
 体中の筋肉が、萎縮する。
 ゴクリ
 粘ついた唾液が、冷気で乾いた喉を下った。
 と、
 「んーっ!!んっんっ!!んぅーーーっ!!」
 手元から聞こえる声と、伝わる振動が彼を我に返させた。
 見れば、自分の手で口を覆われたエリアが、真っ赤な顔をして手足をジタバタさせている。
 ・・・息が、出来ないらしい。
 『ご、ごめん!!エリア!!』
 慌てて手を離す。
 エリアはプハッと大きく一吸いすると、続いてゼイゼイと息をついた。
 「もう!!何すんのよ!?トリシューラ(あいつ)に会う前に死ぬかと思ったじゃない!!」
 小声で怒鳴りながら、エリアはガガギゴを睨む。
 『い、いや。つい・・・。』
 畏まるガガギゴに、彼女はハァと息をつく。
 「・・・まぁ、いいわ。お陰で気づかれなかったみたいだし。」
 言いながら、目の前にある氷塊に目を向ける。
 その中には、変わらぬ姿のまま凍てついた戦士の姿。
 名も知れぬ彼の頬にそっと手を寄せながら、呟く。
 「駄目ね、あたし。この位の事、覚悟してきた筈なのに・・・。」
 『エリア・・・。』
 しばし、祈る様に目を閉じていたエリア。
 やがて、目を開けるとその顔を氷霧の向こうへと向ける。
 「待ってなさい!!トリシューラ!!」
 視線の先にいるであろうその存在に、彼女は凛と言葉を叩きつけた。


 「・・・この辺りでいいかしら?」
 『いいんじゃないか?』
 相方とそう言葉を交わすと、エリアは地面に杖を突いた。
 目を閉じ、念を込める。
 ポウ・・・
 杖を中心に広がる、朱い魔法陣。
 罠魔法(トラップ・スペル)の魔法陣である。
 『・・・アウスさんからか?”これ”。』
 地面に描かれていくそれを見ながら、ガガギゴは問う。
 「ええ。本来地属性の魔法だから、あまりしっくりこないのよね。術式の構築に手間取るったら・・・。」
 うんうん言いながら、魔法式を構築するエリア。
 その様を見ながら、ガガギゴは複雑な表情を浮かべる。
 『アウスさんは、この事を分かった上で・・・?』
 「・・・言ってないわ。ただ、”貸して”って言っただけ。」
 『・・・分かってたんじゃないのか?あの人の事だから・・・』
 言葉の意を察したエリアが、咎める様に言う。
 「そうだとしても、あの娘に責任はないわよ。あくまで言い出しっぺはあたしなんだから。それに・・・」
 エリアの瞳が、地面を走る光を見つめる。
 まるで、その中にかの盟友の顔を見るかの様に。
 「何か思う所があれば、ハッキリ言うわよ。あの娘ならね。」
 『・・・それもそうか。』
 苦笑いしながら、頷くガガギゴ。
 「本当なら、”これ”が働いてくれれば一番いいんだけど・・・。」
 そう言って、懐の鏡に手を当てるエリア。
 『仕方ない。前の大戦じゃあ、その鏡はトリシューラを縛らなかったんだろう?重要な手札ではあるけれど、頼り切るのはマズイ。』
 「そうね・・・。」
 話す二人の眼下で形を成す、朱い魔法陣。
 「出来た。」
 フゥ、と息をつきながらエリアが顔を上げる。
 『『落とし穴(フォール・ホール)』・・・。』
 地面に染み込む様に消えていく魔法陣を見ながら、ガガギゴが呟く。
 『上手く嵌ってくれれば、トリシューラと言えども無力化出来る・・・か。』
 「そう。そこに契約の証印を押せば、万事丸く収まるわ。」
 フンッと胸を張るエリア。
 その様を見ながら、ガガギゴは言う。
 『過剰な自身は持つなよ。相手は伝説の凶龍だ。一筋縄で行くとは・・・』
 「いかせるの!!」
 エリアが語気を強める。
 「いかせなきゃ駄目!!今度こそ・・・今度こそ、終わりにしなくちゃ!!」
 その目が、周りを囲む氷墓を見回す。
 「こんな事は・・・こんな事は、もう・・・!!」
 『エリア・・・。』
 ガガギゴの目が、エリアの肩に止まる。 
 震えていた。
 伸し掛る重圧によるものか。
 それとも、抑えきれない恐怖によるものか。
 細い肩が、カタカタ、カタカタと戦慄く様に震えていた。
 『・・・・・・。』
 たくましい腕が、震える肩に回される。
 『分かった。やろう。』
 「ギゴ・・・。」
 『大丈夫、上手くいくさ。いつも横着な君が、こんなに頑張ってるんだ。上手くいかない筈がない。それに・・・』
 「それに・・・?」
 『君は、必ず僕が守るから。』
 クスリ・・・
 少女の口元が、微かに微笑む。
 「横着だけ余計よ。馬鹿・・・。」 
 抱きしめる様に回された腕に、小さな手が添えられる。
 震えはもう、なかった。


 ザシャッ
 踏み出された足が、白い凍土を踏みしめる。
 行くな、と喚く本能。
 二の足が、一瞬止まる。
 けれど。
 ザシュッ
 力を込めて、纏わる忌避を踏み潰す。
 一歩。
 また一歩。
 近づく。
 近づいている。
 確実に。
 ”それ”の元へ。
 氷霧に覆われた、視界。
 姿は、まだ見えない。
 けれど、感じる。
 感じるのだ。
 白い世界の向こうに。
 凍てついた大気の向こうに。
 ”それ”が、いる。
 『・・・近いぞ。』
 「ええ・・・。」
 頷き合い、ささやきあう二人。
 一歩。
 また一歩。
 そして―
 ピタリ。
 エリアが、歩を止めた。
 それに倣って、ガガギゴも止まる。
 彼女達の前には、他のものに比べて遥かに巨大な氷塊。
 『デカイな・・・。何だい?これは。』
 氷塊をコンコンと叩きながら、ガガギゴが訊く。
 「多分、『エンシェント・ゴッド・フレムベル』ね・・・。」
 『ゴッド・・・?』
 エリアの言葉に、首を傾げるガガギゴ。
 「前の大戦の時に、炎の種族が滅びた際に目覚めた太古の焔神よ。魔轟神に大打撃を与えたけど、その後トリシューラに倒されたらしいわ。」
 『倒されたって・・・神まで滅ぼしたのか!?トリシューラは!!』
 「そうよ。何を驚いてるの?」
 何を今更と言った体で、エリアは言う。
 「エンシェント・ゴッド・フレムベルが伝説なら、トリシューラも伝説の龍よ。何も、不自然な事はないでしょう?」
 『いや、そうは言ってもなぁ・・・。』
 「どうしたの?怖くなった?」
 言葉を濁すガガギゴを、エリアが横目で見る。
 『馬鹿言え。』
 「なら、いいわね。」
 その答えを予想していた様に言うと、エリアは杖をガガギゴに向ける。
 「それよりもギゴ、憑依装着を解くわ。」
 『・・・大丈夫か?』
 「大丈夫。少しでも警戒されない様な格好で行かないと。もっとも―」
 エリアの顔が、ニッと笑う。
 緊張を奥に押し込めた様な、強ばった笑顔。
 「憑依装着してようがしてまいが、”あいつ”には大して関係ないでしょうけどね・・・。」
 『・・・笑えない冗談だな・・・。』
 「全くね・・・。」
 アハハ、ウフフと乾いた笑いを交わし合う二人。
 その笑いを収め、真顔に戻ってエリアは言う。
 「じゃ、作戦通り行くわよ・・・。」
 『ああ・・・。』
 頷き合う二人。
 そして、最後の一歩は踏み出された。


 そこは、それまでの道程とは比べ物にならない程の氷墓に覆われていた。
 無数の氷墓がうず高く重なる、その光景。
 数え切れない程の命を閉じ込めた、氷獄の宝山。
 それを、エリアと憑依装着を解いたギゴバイトは息を飲んで見つめていた。
 否。
 見つめていたのは、もっと別のもの。
 輝く銀氷の山。
 その頂きにうずくまる、影。
 他の二頭に比べ、一回り程も巨大な身体。
 身を覆うのは、氷の結晶を思わせる分厚い外殻。
 背から生じる、鋭利な刃の様に湾曲する翼。
 何より異様たるは、無脊椎動物の触手の様に伸びた三本の首。
 それそれぞれに連なるは、仮面の様に無機質な頭部。
 眠っているのだろう。
 六つの目は全て閉じられ、口の辺りからは白い吐息が定期的に漏れている。
 『氷結界の龍・トリシューラ』。
 正しく、伝説と詠われた凶龍が、そこにいた。
 「・・・・・・。」
 『・・・・・・。』
 エリアとギゴバイト。二人共が、声も出せずに立ち尽くす。
 かの存在が放つ邪気、重圧(プレッシャー)、そしてその美しさ。
 その全てが、圧倒的な存在感となって二人を絶句たらしめていた。
 『これが・・・トリシューラ・・・。』
 「綺麗・・・。」
 忘我のままに、呟くギゴバイトとエリア。
 そのまま、どれほどの時が経っただろう。
 カランッ
 転げ落ちた小石が、小さな音を立てた。
 「『〜〜〜〜〜〜っ!?』」
 思わず、大声を上げて飛び上がりそうになる二人。
 慌ててお互いに口を塞ぐ。
 そのまま、チラリと上を見る。
 トリシューラに動きはない。
 変わらず、氷墓の山の上で眠りこけている。
 それを確認すると、二人はようやくお互いの口から手を離す。
 心の底からホッと息をつく、二人。
 「ちょっと、気をつけてよね!!気づかれちゃうじゃない!!」
 『何言ってんだい!!君だって・・・!!大体、どっちにしろ起こすんだろ!?』
 「心の準備ってもんがあるでしょ!!準備ってもんが!!」
 小声でギャアギャア言い合い、ゼエゼエと息をつく。
 「ま・・・まぁいいわ。いい?作戦通りに行くわよ?」
 『わ・・・分かった。』
 大きく一度、深呼吸するエリア。
 そしてトリシューラに向き直ると、大声を張り上げた。
 「起きなさい!!トリシューラ!!」
 クワン クワン
 クワン クワン
 発せられた声が、周りの氷壁に反響して鳴り響く。
 カランッ ガラガラッ
 伝わった振動で、氷墓の山から氷塊が転げ落ちる。いくつもいくつも。大きな音を立てて。
 クワン クワン クワン・・・
 谷いっぱいに響いた声が、尾を引きながら消えていく。
 息を呑んで”それ”を見つめる、エリアとギゴバイト。
 そして―
 ピ ク リ
 横たわる巨体が動いた。
 三本のうちの、中心に座する頭部。
 その目に、ピッと光が走る。
 キシシ・・・
 氷が軋む様な音を立てて、開いていく目。
 昏く落ちくぼんだ、奈落の様な眼孔。
 その闇の奥に、ポウと金色の光が灯る。
 光は見る見る周りの虚ろを埋め、爛々と輝く眼となった。
 ググ・・・
 真ん中の首が動き、己の玉座の下を見下ろす。
 そこに蠢く二匹の小虫。
 それを見とめ、氷龍の王はその目を細めた。


 『起きた・・・。』
 トリシューラの首が見下ろしてくるのを見て、ギゴバイトが小さく呟く。
 上から氷の塊で押しつぶされる様な、強烈なプレッシャー。
 先に出会った二頭のそれが、そよ風の様にすら感じられる。
 気温は酷く低い筈なのに、気持ちの悪い汗が後から後から吹き出して来て止まらない。
 それをローブの裾で拭いながら、エリアは言う。
 「上等じゃない・・・。やってやるわよ・・・。」
 顔を上げ、自分達を見下ろす金眼をギッと見返す。
 そして―
 クニャリ
 突然品を作る、細い身体。
 白い指が唇をなぞり、艶かしい声が”それ”の名を呼ぶ。
 「ねえ。貴方、トリシューラでしょう?あたしは、エリアっていうの。」
 ・・・・・・。
 「噂には聞いてたけど、それ以上ね。凄く、綺麗でカッコイイ。」
 ・・・・・・。
 「あのね、貴方を見込んで、お願いがあるんだけど・・・」
 ・・・・・・。
 「お願い。あたしのしもべになって♡」
 ・・・・・・。
 「・・・・・・。」
 しばし流れる、冷たい静寂。
 と、
 ピキ・・・
 トリシューラの仮面の様な顔に、一筋の亀裂が走る。
 ピキピキピキ
 それは見る見る広がり、白磁の顔に歪んだ笑みを貼り付ける。
 笑み。
 そう。
 トリシューラは笑っていた。
 新たな獲物を見つけた、歓喜の笑みか。
 新たな宝珠を手にする、愉悦の笑みか。
 それは、分からない。
 ただ、トリシューラは笑んでいた。
 その顔を、歪な凶気に歪ませて。
 「―――――っ!!」
 冷水を浴びるかのように、身体中を駆け巡る悪寒。
 雪崩落ちる邪気が、絡む蛇の様にエリアの動きを止める。
 竦み上がる身体。
 止まった視界の中で、トリシューラがその顎(あぎと)を開くのが見える。
 ピシピシ・・・ピシピシ・・・
 氷がひび割れる様な音を立て、死の亀裂が広がっていく。
 ひび割れの間から覗く、無数の牙。その奥で、青白い光が閃く。
 エリアはまだ、動けない。
 光が、強さを増していく。
 そして―
 『エリア!!』
 ギゴバイトがエリアに体当たりするのと、トリシューラの口から光が溢れ出すのは同時だった。
 ピシャァアアアアッ
 つんざく様な轟音とともに迸る、蒼白い電光。 
 グガァンッ
 光が着弾した場所が瞬時にして凍りつき、次の瞬間爆音とともに粉々に弾け跳ぶ。
 「つ・・・あ・・・」
 『エリア、大丈夫!?』
 「う、うん・・・!!」
 抱き合ったままゴロゴロと転がり、かろうじて電撃と爆発を避けた二人。
 体制を立て直しながら、トリシューラを見上げる。
 ガラガラ ガシャンッ
 氷墓の玉座を崩しながら、その巨体が動き始めていた。
 先まで眠っていた残り左右の首も、昏い光の宿る目を開き、長虫の様に蠢き始めている。
 刃の様に鋭い翼が大きく開き、氷霧の果てに微かに見えていた空を覆い尽くす。
 氷の剣の様な尾が一凪し、分厚い氷壁を易々と粉砕した。
 キシャアアアアアアアッ
 咆哮。
 周囲のものが、怯える様にビリビリと震える。
 世の森羅万象を睥睨し、氷龍の凶王は玉座の上でもう一度雄叫びを上げた。


 「―――っ!!なんつー馬鹿でかい声・・・。」
 ジンジンと悲鳴を上げる鼓膜を抑えながら、エリアは言う。
 『それどころじゃない!!来るよ!!』
 墓山の上からこちらを見下ろすトリシューラを見て、ギゴバイトが叫ぶ。
 「分かってる!!気合い入れて!!」
 『うん!!』
 力強く頷き合う二人。
 そんな二人に向かって、雪崩落ちてくるトリシューラ。
 三度響き渡る咆哮。
 キシャアアアアアッ
 『ま、待て!!話し合おう!!僕達は、きっと、分かり合える!!』
 「何馬鹿な事やってんの!?早く逃げないと殺られるわよ!!」
 『何でよりにもよってこんな奴選んだんだよ!?』
 「どうせなら、派手な方がいいじゃない!!でも、アタシの魅力が通じないなんて・・・!!とんだ朴念仁だわ!!」
 『あ・・・アンタはアホじゃー!!』
 「んな・・・!?あんた、主(マスター)に向かってー!!」
 『アホにアホ言って何が悪いー!?』
 「な、何ですってー!?」
 『何だよー!?』
 キッシャァアアアアッ
 「『あっ―――――!!!』」
 迸る氷雷をすんででかわし、わざとらしくバカ騒ぎをしながら走る二人。
 その後を、トリシューラが地響きを立てて追う。
 しかし、その距離は付かず離れずと保たれる。
 『・・・あいつ、何で一気に襲ってこないんだ?』
 後ろをチラチラと見ながら、ギゴバイトが怪訝そうな声を出す。
 「・・・わざとよ。」
 吐き捨てる様に答えるエリア。
 『わざと?』
 「ええ。」
 地を走って来た雷氷が、二人のスレスレを掠めていく。
 それを横目で見ながら、エリアは言う。
 「わざと間を伸ばして、遊ぶ時間を長くしてるのよ。猫が獲物を玩具にするみたいにね。」
 『・・・趣味悪いな。』
 青ざめながら、青息を吐くギゴバイト。
 「全くね。」
 間髪入れず、同意するエリア
 こちらも青ざめながら、それでも不敵な笑みを浮かべる。
 「でも、その悪趣味が命取りよ。今に見てなさい!!」
 そう。
 エリア達が走りゆく先。
 そこには先刻、彼女が構築した罠魔法(トラップ・スペル)、『落とし穴(フォール・ホール)』が仕掛けてある。
 「あそこに誘い込めれば、こっちのもの!!」
 その場所まで、あと10m。
 5m。
 会心の笑みを浮かべるエリア。
 しかし、
 ズン!!
 重い足音と共に、地響きが止まった。
 「え?」
 『何!?』
 思わず振り返る二人。
 トリシューラが、その足を止めていた。
 「な、何よ!!何で止まるの!?」
 エリアが叫んだその瞬間、トリシューラの真ん中の首が口を開いた。
 クゥオォオオオオオオオオンッ
 響き渡る咆哮。
 途端、爆風の様な吐息と共に”何”かがエリア達を襲う。
 「キャアッ!!」
 『うわぁあっ!!』
 吹き付ける波動の中で、エリアはそれが何かを悟る。
 「・・・これは・・・魔力!?」
 彼女がそう理解した瞬間―
 ピシ・・・ ピシシ・・・
 耳に入る、嫌な音。
 振り返ったエリアは見た。
 ”その場所”に浮かび上がる、朱い魔法陣。
 先刻、自分が構築した『落とし穴(フォール・ホール)』の構築式。
 吹き荒ぶ魔力の嵐の中、それが悲鳴の様な軋みを上げる。
 凍てつき。
 砕け。
 崩壊していく。
 呆然とするエリアの目の前で、彼女の”切り札”は塵と化して消えた。
 「しまった・・・!!」
 『危ない!!』
 一瞬忘我に至った彼女が、その声を聞くのと強い衝撃を感じたのはほぼ同時だった。
 「―――――っ!!」
 細い身体が宙を舞う。
 視界の端に、巨蛇の様にうねる尾が見えた。
 そのまま―
 グワシャアッ
 身体が、地面に叩きつけられた。
 「カハッ・・・」
 肺の中の酸素が押し出され、鈍い痛みが全身を襲う。
 ズル・・・
 無意識に、腹部に手を伸ばす。
 ヒヤリ
 触れたのは熱い臓物ではなく、冷たい鱗の肌だった。
 「!!」
 思わず顔を上げる。
 目に入ったのは、自分の身を守る様にしがみつくギゴバイトの姿。
 「ギゴ!!」
 痛みを忘れて飛び起き、その身を抱き取る。
 「ギゴ!!ギゴ!!しっかりして!!」
 恐らくは彼女を庇い、トリシューラの一撃をその身に受けたのだろう。
 その背中には、クッキリと尾の跡が残っていた。
 「ギゴ!!しっかりして!!しっかりしてったら!!」
 半狂乱でその身を揺する。
 反応はない。
 「そんな・・・そんな・・・」
 もう一度揺すろうとしたその時―
 フッ
 突然、落ちる影。
 「!!」
 咄嗟に振り仰げば、今まさに頭上に落ちんとする尾の威形。
 「くっ!!」
 ギゴバイトを抱いたまま、咄嗟に横に転がる。
 ゴガァンッ
 打ちつけられた尾が、地を砕く。
 バラバラッ
 弾ける瓦礫が、身に当たる。
 小さな破片が頭部を掠め、朱いものが散るが気にする間はない。
 流れ落ちる血を拭い、相方の身体を抱えたまま近くに開いた岩の隙間に潜り込む。
 「ハッ、ハァッ!!」
 上ずる呼吸を強引に鎮め、再びギゴバイトの身体を揺する。
 「ギゴ!!ギゴ!!」
 こみ上げてくるものが抑えきれなくなった時、小さな身体がピクリと動いた。
 「ギゴ!!」
 声をことさら大きくして、呼びかける。
 『う、うぅん・・・』
 小さな呻きとともに、目を開けるギゴバイト。
 「ギゴ・・・。よかった・・・。」
 力いっぱい、抱き締める。
 『エ、エリア!!痛い痛い!!』
 ギゴバイトが、悲鳴を上げる。
 「ご、ごめんなさい!!」
 思わず、手を離す。
 『あつつ・・・そんなに心配しないで。見た目ほど酷い傷じゃないから。』
 背中の痣をさすりながら言うギゴバイト。
 「でも・・・」
 なおも気遣うエリアに向かって、苦笑いを向ける。
 『大丈夫だって。骨も折れてないし、内臓も無事みたい。戦えるよ。でも・・・』
 怪訝そうに、頭を捻る。
 『むしろ、何で無事だったんだろ?ミンチになるくらい、覚悟してたのに・・・。』
 ミンチ。
 その言葉に背筋を震わせながら、エリアは言う。
 「・・・わざとよ。」
 『へ?』
 「言ったでしょ。トリシューラ(あいつ)は少しでも遊びたいのよ。だから、わざと手を抜いたの。」
 『はは・・・。なるほど。じゃ、その悪趣味のお陰で命拾いした訳か・・・。』
 苦笑しながら、身を起こすギゴバイト。
 『痛っ・・・!!』
 全身に走る痛みに、顔をしかめる。
 「ギゴ・・・、無理しないで。」
 ギゴバイトの頭に、そっと手が添えられる。
 「ごめんなさい。あたしのせいで・・・。」
 『・・・エリア?』
 「もう十分よ。貴方はここで休んでて。」
 『え・・・?』
 「後は、あたしがやるわ・・・。」
 それを聞いたギゴバイトが仰天する。
 『何言ってるのさ!!たった一人で、あんな化物相手に出来る筈ないだろ!!』
 その言葉に、フフンと鼻を鳴らすエリア。
 「そっちこそ何言ってんのよ。そんなボロボロで、何が出来るの?」
 『・・・・・・!!』
 「足手纏いよ。ここで、あたしの力ってやつを見てなさい!!」
 そのまま、外に向かおうとするエリア。しかし―
 「!!」
 そのローブの裾を、ギゴバイトの手が掴んでいた。
 『エリア、もう嘘はつかないって言う約束だよ。』
 「ギゴ・・・。」
 『ほら、足が震えてる。』
 金色の眼差しが、エリアを見つめてニコリと微笑む。
 『一緒に行こう。僕達は、パートナーだろ?』
 「・・・・・・。」
 滲む視界をゴシゴシと拭い、少女はコクりと頷いた。


 その頃、トリシューラは岩の亀裂の外でジッと”そこ”を見つめていた。
 岩壁を砕く事もせず。
 亀裂を抉る事もせず。
 ただ、ジッと待っていた。
 目の前の壁を壊して、中の獲物を引きずり出すのは造作もない事。
 しかし、彼はあえてそれをしなかった。
 そんな事をして、事を早く終わらせる気は毛頭なかった。
 三つの頭が、六つの目で亀裂を見つめる。
 昏い光を宿す眼差しが、キュウと細まる。
 ・・・気に入らない気配だった。
 忌々しい香りだった。
 今より昔。
 ずっと前。
 永代の時を生きてきた自分ですらも、長いと思うそんな昔。
 自分をあの封印に縛った、あの人間。
 今より少し前。
 僅かの間。
 長世を経て来た自分にとっては、またたき一つにも足りない時間。
 自分を再び縛ろうとした、あの女。
 それと同じ気配が。
 それと同じ香りが。
 あの獲物からしていた。
 またか。
 また自分を縛ろうというのか。
 結構な事だ。
 忌々しい封印から解放された、僅かな時間。
 この地から出る事自体は、簡単だった。
 残った理由は、ただ一つ。
 ここで待てば、必ずこの気配を持つ者が現れると確信していた。
 そして。
 そして、確かに。
 その者はやって来た。
 あの頃と同じ、気配をたたえて。
 あの時と同じ、香りをまとって。
 砕いてやろう。
 其が身体を。
 二度と、そんな不遜を抱けぬ様に。
 刻んでやろう。
 其が魂に。
 二度と、そんな愚行を計れぬ様に。
 さあ。
 さあ。
 早く。
 早く。
 出てくるがいい。
 我が牙の前に。
 我が爪の下に。
 はやる。
 猛る。
 凶気が、飢える。
 のたうつ本能を抑えながら、トリシューラはただその時を待った。


 「・・・なんて事を、考えてるんでしょうね。小憎たらしい。」
 亀裂の隙間から外を覗き見るエリアに、ギゴバイトが問う。
 『でも、キツイのは確かだろ。さっきの“アレ”、何?』
 「『虚壊咆哮(デスペラード・ハウル)』。」
 『デスペラード・ハウル?』
 「トリシューラ(あいつ)の咆哮には、魔力があるの。その圧倒的な波動で魔力磁場を崩壊させて、召喚式や魔法、果ては構築中の術式まで消し飛ばしてしまうのよ。」
 その言葉に、目を丸くするギゴバイト。
 『なんだいそれ!?まんまインチキじゃないか!!』
 「だから、悟られない様に構築式の見えない罠魔法(トラップ・スペル)を使ったんだけど・・・。思ったより鼻が効くみたい。すっかり予定が狂っちゃった。」
 やれやれと言った体で首を振るエリア。
 『じゃあ、どうするのさ。他に手はあるの?』
 相方の問いに、しかし彼女は胸を張って答える。
 「あるわよ。」
 『その心は?』
 「力押し。」
 ズコッ
 ずっこけるギゴバイト。
 『ちょ、ちょっと、エリア!!そんないい加減な!!』
 「いい加減じゃないわよ。いくらあいつだって、あんな大技連発出来るはずないわ。絶対次までに間が空く筈だから、そこを手数で畳み込む!!」
 『大雑把だなぁ・・・。』
 呆れ顔のギゴバイト。
 けれど、エリアはめげない。
 「いいのよ。やっぱり、策を弄するなんてエレガントじゃなかったわ。横っ面張って傅かせてこその下僕よね。」
 『うわぁ、怖い。ヒータさんが伝染ったかな?』
 「何よ。それ。」
 肩を竦める相方に笑いかけると、ふと思い至った様に唇に指を当てる。
 「ヒータか・・・。そういや、あの娘に香水借りたまんまだったわね。」
 『借りた?勝手に使ったの間違いじゃないの?』
 「返すんだからいいのよ。」
 『そんなお金あるの?ウィンさんにも新しい甘味屋さんに誘われてるんでしょ?』
 「あれはあの娘の奢りよ。そういや、ダルクにも誕生日プレゼントのお返しもらってないわね。」
 『メモ帳一冊渡しただけじゃない。それ言うなら、コーヒーこぼしちゃったライナさんのアドレス帳の修復もしなくちゃ。泣いてたよ。ライナさん。』
 「うわ、めんどくさ!!あの娘の”ともだち”って何人いるのよ?気が遠くなるわ。」
 『アウスさんに、修復魔法の構築式教えてもらわないとね。対価が安く済めばいいけど。』
 「・・・そう言えば、『落とし穴(フォール・ホール)』の対価がまだだったわ・・・。」
 『マジ!?じゃあ、ちゃんと返さなきゃ!!でないと、一生・・・いや、死んでからも、霊体(スピリット)召喚されて下僕にされちゃうかも!!』
 「・・・やりそうだわ・・・。」
 青ざめた顔で頭を抱えるエリア。
 そんな彼女を見ながら、ギゴバイトが笑う。
 『つまり・・・』
 「こんな所で、死んでられないって事ね!!」
 『そう言う事!!』
 顔を合わせ、笑い合う。
 そして―
 「行くわよ!!」
 『うん。』
 重なり合う、二人の影。
 眩い光が、昏い空間を照らした。


 ピシリ
 閉ざされていた眼差しが、軋む様な音を立てて開いていく。
 昏い眼孔を彩る暗金色の光が、その焦点を眼前の亀裂に合わせていく。
 暗かった岩壁の亀裂に、蒼い光が満ちていた。
 感じる、魔力の波動。
 ピキキキキ・・・
 無表情だった三つの顔。
 それに、ひび入る様に広がっていく笑み。
 氷色(ひいろ)の身体が、重い音を立てて動き出す。
 来る。
 来る。
 さあ。
 おいで。
 おいで。
 おいで。
 氷刃の爪を軋らせて。
 薄氷の牙を軋ませて。
 仮面の顔を歪ませて。
 ゆっくりと腰を落とし、光の満ちる亀裂を覗き込む。
 その瞬間―
 ギュンッ
 閃く、蒼い閃光。
 それが、真っ直ぐに彼の目へと向かう。
 慌てる必要はない。
 ほんの少しだけ、視線をずらす。
 ギャガガガガンッ
 目標を逸らされた蒼閃は、目の横の鱗を滑りながら後方へと流れていく。
 ズガガァンッ
 それが反対側の岩壁に着弾するのを見届けると、彼はゆっくりとその身を起こした。


 『ゲホ・・・。だ、大丈夫か!?エリア!!』
 勢い余って岩壁に突っ込んだ彼女に向かって、クッション替わりになったガガギゴが訊く。
 「あつつ・・・。何よ、あいつ!!デカイわりに反応良すぎ!!」
 頭の石屑を払い落としながら、エリアが毒づく。
 『言ってる場合じゃない!!横!!』
 相方の声に、咄嗟に頭を下げる。
 グォンッ
 瞬間、その上を轟音と共に通り過ぎる巨木の様な尾。
 逃げ遅れた髪が数本、ハラハラと悲しげに散る。
 「こんの!!乙女の髪をよくも!!」
 憤慨するエリア。
 その目の前で、身を起こしたトリシューラがゆっくりとこちらを向く。
 エリア達の姿を視界に収めたそれは、白い顔に亀裂の様な笑みを浮かべた。
 「涼しい顔で余裕かましてんじゃないわよ!!」
 手にした杖が光を放ち、鋭い水流を纏う。
 「これでどう!?『蒼の麗槍(アジュール・ソヴァジヌ)』!!」
 声とともに、槍の様な水流が飛ぶ。
 狙いはまた、トリシューラの目。
 しかし、今度も軽く首を揺らすだけでかわされる。
 狙いのそれた水槍は硬い氷の鱗に弾かれ、散った。。
 「ちぃっ!!素早い!!」
 舌打ちをするエリア。
 憑依装着したエリアの特殊攻撃、『蒼の麗槍(アジュール・ソヴァジヌ)』。
 相手の防御を貫通してダメージを与える効果を持っているが、トリシューラの防御は固く、それもままならない。
 『厄介だな。「大男、総身に知恵が回りかね。」とはいかないみたいだ。』
 言いながら、水撃を放つガガギゴ。しかしそれも氷の鱗に弾かれ、ダメージを与えるに至らない。
 トリシューラの三つ首が、嘲笑う様に口を開く。
 それぞれの口腔に灯る、青白い光。
 『エリア!!来るぞ!!』
 「分かってる!!」
 ガォオンッ
 空気をつんざく轟音。
 乱れ飛ぶ雷光が、周囲を爆砕し、凍てつかせていく。
 飛び交う冷光と氷塊の嵐をかいくぐりながら、エリアとガガギゴは攻撃を放つ。
 しかし、当たりはすれど効果はない。
 一方、トリシューラの放つ雷撃は凄まじい威力なれども、それ自体はエリア達の身をかすりもしない。
 目測が甘い訳ではない。
 事実、電光の幾筋かは、からかう様にスレスレを通り抜けていく。
 わざと。
 遊んでいるのは、明白だった。
 忌々しげに顔を歪めるエリア。
 「っとに性格悪いわね。絶対、女の子にもてないわ!!」
 言いながら、クルリとトリシューラに向き直る。
 『エリア!?』
 「埒があかないわ!!術(スペル)を使う!!」
 ―術(スペル)―
 その言葉に、トリシューラがピクリと目を細める。
 初めて見せる、警戒の気配。
 そんな彼に向かって、エリアは杖を突き出す。
 先端に灯る、螢緑の光。
 (さあ、来なさい!!)
 心の中で呟く。
 トリシューラの中首が、口を開ける。
 その中から、溢れてくる膨大な魔力の波動。
 そして―
 クゥオォオオオオオオオオンッ
 響き渡る、破術の咆哮。
 杖に収束していた光が凍てつき、消し飛ばされる。
 (かかった!!)
 吹き付ける魔力の嵐の中、エリアはほくそ笑むと杖を持つ手とは反対の手を開いた。
 そこに展開する、新たな魔法陣。
 術の並行励起。
 先に灯した魔光は囮。
 今、この手にある術式こそ本命。
 術の名は、永続魔法(エターナル・スペル)『災厄の水面(ウォーターハザード)』。
 それは起動に伴い、術者の代わりに水属性の下僕一体を召喚する魔法。
 エリアはこれと自身による召喚で手駒を増やし、能力使用後の”間”に陥っているトリシューラを数で畳み込むつもりだった。
 事実、先の咆哮の余韻はまだトリシューラを縛っている。向こうが体制を立て直すよりも、こちらの戦線構築の方が確実に早い。
 (行ける!!)
 彼女が確信したその時―
 『エリア!!』
 ガガギゴの、切羽詰まった声が耳に突き刺さった。
 「!?」
 ハッと視線を動かすと、こちらを見つめる昏い輝きと目が合った。
 それは、トリシューラの三つ首のうちの別の一本。
 カッと開いた歯牙の奥に渦巻く、魔力の気配。
 それが何かを察したエリアの身体から、急激に血が引いていく。
 「そんな―」
 ―早すぎる―
 彼女が言葉を形にする前に、それが放たれる。
 クゥオォオオオオオオオオンッ
 三度響き渡る、魔性の咆哮。
 凍てつき、砕け散る魔法陣。
 「――――っ!!」
 愕然とするエリア。
 途端―
 ゾクリ
 更なる悪寒が、彼女を襲う。
 振り返る。
 反対側の首が、こちらを見つめていた。
 昏く光る眼差しが言う。
 『もう、飽いた。』と―
 ギチチ・・・
 軋みを上げて、顎(あぎと)が開く。
 その中に収束する、青い光。
 それが、先までの雷光とは違うと察した時にはもう遅い。
 ゴバァッ
 暗い口腔から吹き出す、青白く輝く氷の竜巻。
 瞬間、全てが暗転した。


              ―5―


 ギャガガガァガガガガッ
 圧倒的な力の奔流が、全てを飲み込む。
 大気は引き裂かれ、霧氷と変わる。
 大地は抉り砕かれ、氷塵と化す。
 あらゆる存在(もの)を凍て壊し、暴君の氷嵐は踊り狂う。
 ヒゥウウウウウ・・・
 やがて、すすり泣きの様な余韻を残し狂える嵐は消えていく。
 後に残されるは、見る影もなく破壊された氷獄の光景。
 そして―
 『あ・・・くぅ・・・』
 身に被さった氷礫を押しのけ、何とか這い出す。
 氷片が張り付き、強張る身体がパキパキと悲鳴を上げる。
 荒い息をつきながら己の身を見た時、”彼”は目を見開いた。
 身体が、『ガガギゴ』から『ギゴバイト』に戻っていた。
 『憑依装着』が解けている。
 それは、術者からの魔力供給が途切れた事を意味する。
 『――――っ!!』
 最悪の事態が脳裏を過ぎる。
 『エリア・・・エリアーッ!!』
 喉に満ちる冷気にむせ込みながら、必死にその姿を探す。
 と、その目に見慣れた色が飛び込んで来た。
 涼やかな清流の様な、水色の髪。
 見間違える筈もない、その姿。
 『エリア!!』
 彼女は下半身を瓦礫に埋め、うつ伏せに倒れていた。
 ボロボロのその身は、ピクリとも動かない。
 気絶しているのか。それとも―
 『エリア・・・待ってて・・・今、行くから・・・』
 全身にまとわりつく痛みを押し、彼女に向かって必死に這いずる。
 と―
 フッ
 彼らの上に落ちる、昏い影。
 思わず見上げる。
 そこにあったのは、こちらを見つめる六つの目。
 トリシューラが、覆いかぶさる様にして彼らを見下ろしていた。
 ググッ
 三つの頭のうち、中の首がゆっくりと降りてくる。
 それが向かうのは―
 『な、何を・・・!?』
 呻く様な声を上げる、ギゴバイト。
 薄く開いた亀裂の様な口が、エリアの身体をつまみ上げた。
 ガララ・・・
 されるがままのエリア。
 その身に被さっていた瓦礫が、音を立てて崩れていく。
 彼女を持ち上げたトリシューラは、舌を器用に動かすとその身体を牙の上に乗せた。
 『あ・・・あぁ・・・』
 その意図を察したギゴバイトが、戦慄く様な声を上げる。
 『や・・・やめろ・・・』
 震える声が、訴える。
 けれど、トリシューラの動きは止まらない。
 『頼む・・・やめてくれ・・・』
 鋭い牙が並んだ顎(あぎと)が、見せびらかす様に大きく開く。
 死の断頭台に乗せられたエリアの姿が、酷くか細く見えた。
 やがて、顎(あぎと)が閉まり始める。
 すぐにではない。
 別れを惜しませるためか。
 それとも、少しでも苦しみを長引かせるためか。
 ゆっくりと。
 酷く、ゆっくりと。
 『駄目だ・・・。駄目だ・・・。』
 少しでもそれに近づこうと、ギゴバイトは這いずる。
 けれど、何も出来ない。
 出来る筈もない。
 顎(あぎと)が閉じる。
 鋭い歯牙が、エリアの身体に喰い込む。
 小さな口が、苦悶するかの様にカハリと息を漏らす。
 あと数秒で、牙の群れがその身体を噛み潰すだろう。
 『やめろぉおおお――――っ!!』
 ギゴバイトの口から迸る、血を吐く様な叫び。
 それが、絶望の慟哭に変わろうとしたその時、
 『―受け止めよ。若者―』
 そんな声が、耳に届いた。
 一瞬、唖然とするギゴバイト。
 そして―

 ゴォアァアアアッ

 突如、響き渡る轟音。
 谷全体が、怯える様に振動する。
 それが、何者かの咆哮だと気がついた瞬間、
 ゴゥンッ
 突如押し寄せる、猛烈な力の波動。
 薙ぎ払う様に、トリシューラを打つ。
 ギシャアアアアアアアッ
 不意をつかれたトリシューラ。
 その身が傾ぐ。
 開いた口から落ちる、エリアの身体。
 『エリア!!』
 渾身の力を振り絞る。
 凍てつきかけた四肢が、砕けるかと思うほどに悲鳴を上げる。
 けれど、構わない。
 無我夢中で飛び出す。
 落ちてくる身体。
 全身で抱き止める。
 ガラッ ガラガランッ
 その勢いのまま、氷礫の山を転げ落ちる。
 けれど、その手は離さない。
 絶対に。
 絶対に。
 離さない。
 やがて、転がっていた身体が止まる。
 『ハァッ!!ハァッ!!』
 息をつくのももどかしく、腕の中の少女を見やる。
 『エリア!!エリア!!』
 呼びかけながら、その身を揺する。
 すると―
 「う・・・あ・・・?」
 か細い声と共に、閉じていた瞳が薄く開く。
 『―――っ!!エリア!!しっかりして、エリア!!』
 微かに灯った種火に息を吹きかける様に、たゆたう意識に呼びかける。
 「あ・・・ギゴ・・・?」
 反応が返る。
 虚ろだった瞳に光が戻り、その中にしかとギゴバイトの姿を映す。
 『エリア・・・。良かった・・・!!』
 半泣きの表情で、エリアを抱き締める。
 「どうしたの?ギゴ・・・。・・・あれ・・?何だろ・・・?さっきと、ぎゃ、く・・・!?」
 意識が明確になるにつれ、エリアの顔に血が上がっていく。そして―
 「きゃあああああああっ!!」
 絶叫とともに、突き飛ばした。
 『んぎゃっ!?』
 不意をつかれたギゴバイト。
 そのままコロコロと転がり、後ろの氷壁に後頭部を打ち付ける。
 『な、何すんだよ!?』
 頭の周りに星を飛び回らせながら、抗議するギゴバイト。
 対するエリアは自分の身をかき抱き、真っ赤な顔で涙目になりながら抗議する。
 「何じゃない!!どさくさに紛れて何してんのよ!?このエッチ!!ドスケベ!!」
 『んな・・・!?そんなつもりじゃ・・・ってか、そんな事言ってる場合じゃないだろ!!』
 エリアの言わんとしている事に気がついたギゴバイト。
 こちらも真っ赤になりながら、弁解する。
 「うるさいうるさうるさい!!大体、もっとシチュエーションってもんを考えなさいよ!!何だって、こんな所で・・・!?」
 言いかけて、ハッと口を抑える。
 『・・・は?』
 「あ・・・」
 目を丸くするギゴバイト。
 エリアも口を覆ったまま、固まる。
 流れる、気まずい時間。
 双方が、それに耐え切れなくなったその時―
 『クク・・・。誠、若いのう。』
 上方からそんな声が響き、同時に大きな影が降ってきた。
 ドズゥウン
 重い音とともに、エリア達の前に降り立った者。
 それは、蒼白の剛毛に包まれた一頭の巨虎だった。
 『無事・・・とは言い難いが、とりあえず生きてはいる様だな。娘よ。』
 「ドゥローレン・・・。どうして・・・?」
 状況が飲み込めないと言った体のエリア達に向かって、氷虎の王は笑いかける。
 『なに。久方ぶりの若い気にあてられてな。あのまま時に流されて朽ちゆくよりも、一つ死に花でも咲かせてみようかと思ったまでよ。』
 「ドゥローレン・・・。」
 そんな彼に向かって、身を起こそうとするエリア。
 その視界の向こうで、巨大な影が蠢く。
 ズズズ・・・
 ゆっくりと身を起こす、トリシューラ。
 ウネウネとうねる三つ首が、忌々しそうに皆を見据える。
 折角の享楽を邪魔されたせいだろうか。
 その眼差しは、明確な怒りに燃えていた。
 ピシリ
 三つの頭が同時に口を開く。
 それぞれの口中に灯る、青白い光。
 『まずい!!くる!!』
 ギガァアアアアッ
 一斉に放たれる、三つの雷閃。
 しかし―
 ゴォオアアアアアアッ
 再び、ドゥローレンが吠える。
 その波動が一本の雷撃とぶつかり、相殺する。
 残るは二本。
 それを迎え撃つため、身構えるエリアとギゴバイト。
 けれど、氷壊の雷光が二人に達しようとしたその時―
 ザッ
 二人の前に、二つの人影が立つ。
 ドゥローレンが言う。
 『おぅ、言い忘れていたが・・・』
 キラリ
 エリアの瞳に映る、鏡の輝き。
 「禁!!」
 凛と響く声。
 それとともに光が眩き、雷光が弾かれた様に軌道を変える。
 一方、ギゴバイトの視界を塞いだもの。
 それは、目に痛くひるがえる真紅のマント。
 「噴っ!!」
 気合いの声とともに双身の刃が閃き、迫り来る雷光を弾き飛ばした。
 グガッ
 ゴガァッ
 軌道を外された雷撃は、それぞれが岩壁や地面をえぐる。
 それを横目で見ながら、ドゥローレンはトリシューラに向かってにやりと笑みを浮かべる。
 『此度の戦、名乗りを挙げるは我ばかりではないぞ。』
 その言葉を聞きながら、エリアとギゴバイトは目の前の二人を唖然と見つめる。
 「・・・身の安全は保証しないと言った筈ですが?」
 ”彼女”はそう言いながら、エリアに向かって振り返る。
 「あんた・・・。」
 「話はドゥローレン様から聞きました。全く、かの血筋の者が何をノコノコ戻って来たのかと思えば・・・。」
 手に下げた鏡がシャラリと鳴って、目を丸くしているエリアの顔を映す。
 「今になってまだ、そんなカビの生えた血縛に囚われていたとは・・・。いいですか?」
 細い指が、ビシリとトリシューラを指す。
 「”あれ”は、氷結界(我々)の罪なのです!!放逐された貴女方には、もう一切関係のないもの!!だから、」
 そのまま、今度はビシリとエリアを指差して、
 「貴女はとっとと帰って、外界でのほほんと暮らしてればいいんです!!」
 氷結界の風水師は、ピシャリと言い渡した。
 ピクリ
 その言い様に、エリアの米神がヒクつく。
 「何偉そうな事言ってんのよ!!大体、氷結界(あんた達)がいつまでももたついてるから・・・!!」
 「それが余計な事だと言うんです!!」
 「何ですってー!?」
 「何ですかー!?」
 ぎゃあぎゃあと言い合う、少女二人。
 それを見た、赤マントの武人が笑う。
 「随分と、姦しいな。まあ、あの様子なら心配はないか。」
 『あ・・・あんたは、さっきグングニールと戦ってた・・・?』
 問いかけるギゴバイトに、武人は「応。」と言って己の身体の鎧を見せる。
 そこに刻まれるは、Xの紋章。
 『X・・・セイバー・・・。』
 「『ガトムズ』だ。戦士団の指令を担っている。先だっては、部下が世話になったらしいな。」
 『あ・・・。』
 ギゴバイトの脳裏に、先刻助けた獣人戦士の姿が浮かぶ。
 「氷龍の巫女の血筋の者が見届け人となるか。これも因縁というものだろう。」
 鎧の中の双眼が、トリシューラを見据える。
 「この戦、今日で終わらせよう!!散っていった同胞の魂と、この剣にかけて!!」
 ガトムズが吠えた、その途端―
 オォオオオオオオオオッ
 周囲から一斉に上がる、時の声。
 いつの間に集まったのだろう。
 幾人もの軍勢が、トリシューラを取り囲んでいた。
 その中には、Xの紋章の入った装備を身につけている者も何人か見受けられる。
 『凄い・・・。』
 唖然としながら呟くギゴバイト。
 エリアの目は、戦士団とは反対側に現れた者達に注がれている。
 東洋風の衣装に、氷の結晶を模した装備。
 「・・・氷結界・・・。」
 その姿に、妙な懐かしさを感じたのは気の迷いだろうか。
 「ブリューナクとグングニールは別働隊が抑えている!!皆はトリシューラに全力を尽くせ!!」
 響き渡る、ガトムズの指令。
 「了解!!」、「承知!!」と言った声が飛び交う。
 それとともに始まる、トリシューラへの総攻撃。
 戦士団からは、矢や投石、爆弾の類や鋭い剣閃。
 氷結界の陣営からは次々に魔法陣が展開し、氷弾や雷弾が飛ぶ。
 瞬く間に爆炎に覆われて行く、トリシューラ。
 ギシャアアアアアアアッ
 響き渡る、怒りの咆哮。
 爆煙の中から伸びてきた首が、氷雷を放とうと口を開ける。
 しかし、
 『させぬ!!』
 ドゥローレンが吠える。
 相殺され、氷塵と散る氷雷。
 その背後から、双刃を構えたガトムズが跳躍する。
 「『身剣一体』!!」
 眩い光を帯びる身体。
 「『セイバー・スラッシュ』!!」
 閃く剣閃。
 光の刃が炸裂し、トリシューラの首を揺らした。


 「・・・始まりましたね。」
 風水師がエリアとの言い合いを止め、戦場を見やる。
 「ちょっと、あんた・・・」
 「言ったでしょう。この事はもう、貴女が負うものではないのです。大体、その様でどうやって戦いますか?足手纏いです。ここで大人しくしていてください。」
 「むぅ・・・。」
 慌てて立ち上がろうとしたエリアに向かって、そう言い捨てる風水師。
 反論出来ず、黙り込むエリア。
 と、そんな彼女を見下ろしていた風水師が呟く様に言葉を漏らした。
 「・・・困るんですよ。もう、間違いを重ねる訳にはいかないのに。」
 「・・・は?」
 訳が分からないと言った顔をするエリア。
 そんな彼女に、風水師は腰を屈め視線を合わせる。
 「前の大戦で、貴女の血族が放逐されるきっかけを作ったのは私の祖父です。」
 「・・・え?」
 言葉を失うエリアに、風水師は続ける。
 「当時、祖父は大僧正として氷結界の中核の一角を担っていました。そしてその役目故、一族に人一倍強い誇りと親愛を抱いていました。」
 視線の向こうで、白い爆発が起こった。
 巻き込まれた人々の、悲鳴が響く。
 「故に、許せなかったのでしょう。ワームや魔轟神達の暴虐を。だから・・・」
 風水師は一瞬目を伏せ、そしてもう一度視線をエリアの瞳に合わせた。
 「彼はその権限を使って、三龍の封印を解きました。」
 「・・・・・・!!」
 目を見開くエリア。
 響く爆音が、酷く遠くに聞こえる。
 「その結果はご存知の通り。三龍は暴走し、氷結界は瓦解の瀬戸際に立たされました。」
 立て続けに起こる爆発。
 一撃で、放たれた矢の幾倍にも値する数の人々が倒れていく。
 「祖父は一族の崩壊を防ぐため、巫女を失い力を失った貴女達の血族に全ての罪を負わせたのです。」
 「・・・・・・。」
 「許してくれとは言いません。ただ、祖父が間違っていたとも思いません。」
 次々と炸裂する氷雷。
 いくらドゥローレンやガトムズ、X-セイバーの面々が善戦しても、彼らの域に立てる者はひと握りに足らず。
 多くの者は、トリシューラの反撃に術なく倒れていく。
 増えていく負傷者。そして、骸。
 大勢は決しつつあった。
 「統治者の一人であった祖父を失えば、ガタの来ていた氷結界は文字通り崩壊したでしょう。そうなれば、知識のない外界の軍勢だけで三龍を抑える事は不可能。あれは、先を見越した上での判断だったのです。」
 グゥガァアアアアアンッ
 突如、右手の山壁が崩れ落ちた。
 巻き立つ土煙の中から現れる、巨大な長虫の如き姿。
 ギシャアアアアアアアッ
 響き渡る咆哮。
 「ブリューナクだー!!」
 誰かが叫んだ。
 その姿を見とめたガトムズが、歯噛みをする。
 「く・・・、突破されたか!!」
 兵達の間に、目に見えて動揺が広がっていく。
 「うろたえるな!!向こうの軍と合流して、陣営を立て直せ!!そして・・・」
 ピシ・・・ピシシ・・・
 ガトムズの声を遮る様に、不気味な音が響く。
 振り向けば、反対方向の山壁を貫く七色の光。
 次の瞬間、木っ端微塵に砕け散る山壁。
 ズシリ
 フシュウゥウウウウウ・・・
 重い足音と奮起音ともに、ユラリと歩み出てくる巨体。
 「・・・グングニールまでもか・・・。」
 トリシューラを囲んでいた筈の軍勢。
 しかし、今は逆に三頭の氷龍に包囲される形となっていた。
 「こやつら、今まで共同戦線など張った事はなかろうに・・・。」
 剣を構えつつ、三頭を見回すガトムズ。
 彼の背を守る様に立ったドゥローレンが、苦笑いしながら言う。
 『大方、懐かしく忌まわしい気配に釣られて来おったのだろう。昔年の借りを返そうとな。』
 「それはそれは。随分と義理堅い事だ。」
 『全くよ。』
 豪快に笑い合う二人。
 そして、氷虎の王は言い渡す。
 『さて、これまでの助力、感謝する。』
 「はて。何の事か?」
 とぼけるガトムズ。
 ドゥローレンは構わない。
 『この戦、元来貴殿達には関係なき事。後は我が防ぐ。残った者を連れて、逃れられよ。』
 「何を馬鹿な事を。背の傷は、戦士の恥。」
 『ガトムズ殿・・・。』
 「言うな。この戦、もはや氷結界(貴方方)だけの問題ではない。外にいる民家族。そして、散っていった同胞達のための戦いでもある。そこから逃げる臆病者など、我が部下には一人もいはしない。」
 その言葉に、彼らを中心に陣営を組んでいた戦士達が頷く。
 それを見たドゥローレンが、わざとらしく溜息をつく。
 『誠、不器用な事よ。』
 「その言葉、そっくりお返ししよう。」
 そして、二人はまた豪快に笑いあった。
 「・・・ここまでの様ですね。」
 ブリューナクとグングニールの姿を見た風水師は、そう言って腰を上げる。
 「待って!!これを・・・!!」
 エリアは懐に手を入れ、氷結界の鏡を取り出す。
 「これを使えば、ひょっとしたら・・・」
 しかし、風水師はそれを見下ろすと鼻で笑う。
 「今更、そんなものが何になると?前の大戦の時にも役に立たなかった、ガラクタじゃないですか?」
 「う・・・。」
 確かに、この後に及んでも鏡は沈黙を保ったままだった。
 悔しげに唇を噛むエリアを見ながら、彼女は言う。
 「それは、貴女が持っていてください。後に氷結界と言う一族がいたという、証になります。」
 「証って・・・」
 エリアに向けられた風水師の顔が、ふと寂しげに微笑む。
 「どの道、私達にそれを使う資格はもうないのです。あの日、全ての罪をその鏡と貴女達に被せたその時から・・・。」
 「え・・・?」
 「祖父は、今際の際まで悔やんでいたそうです。己の愚かさと、貴女達に成した仕打ちの事を。」
 「・・・・・・。」
 「罪は、あるべき場所に帰って来ました。”これ”は、全て私達が持っていきます。」
 「あんた・・・」
 「貴女には感謝します。血族が犯した過ちを、償う機会をくれたのですから。祖父も、浮かばれる事でしょう。」
 そして、風水師は戦の場へとその身を向ける。
 「貴女は生きてください。祖父のために・・・そして、私達のために!!」
 「待って!!」
 エリアの声を振り切る様に、トリシューラに向かって走り出す風水師。
 その向こうで、氷龍達の口に光が灯る。
 「――――っ!!」
 エリアの声は届かない。
 次の瞬間、氷白の爆発が視界を覆った。


               ―6―


 「ドゥローレン様!!ガトムズ様!!私の後ろへ!!」
 「風水師殿!?」
 『馬鹿な!!逃げよ!!』
 その声を無視して、風水師は陣営の前に出る。
 目の前に迫る、純白の氷嵐。
 それに向かって、手にした法鏡を構える。
 ズゥンッ
 「くぅっ!!」
 両手にかかる、凄まじい圧力。
 細い腕がミシリと悲鳴を上げ、鏡にピシリとひびが入る。
 否。
 そう感じる間がある事こそが、一つの奇跡だったのかもしれない。
 氷結界の龍。
 伝説の魔龍。
 その三頭の攻撃を同時に受けてその身を保つなど、本来有り得る事ではないのだから。
 けれど、その奇跡を風水師は起こし続けた。
 鏡が砕けゆくのを知りながら。
 己が身の組織が崩壊していくのを感じながら。
 それでも彼女は、そこに立ち続けた。
 霞む目が、氷嵐の向こうの姿を見つめる。
 「氷龍(あなた達)は、氷結界(私達)の罪・・・。」
 この血の呪縛も。
 「だから、あなた達は私が贖う・・・。」
 その血が犯した罪も。
 「終わりにします・・・!!」
 それらに抗い続けた日々も。
 「逝きましょう・・・!!罪(私)と共に・・・!!」
 鏡を支える手に、力を込める。
 白い嵐が、歪む。
 「さあ・・・。」
 死の嵐が、逆巻く。
 「さあ!!」
 手の中の法鏡が、最後の力を振り絞る様に光を放つ。
 そして―

 クゥオォオオオオオオオオンッ
 
 叫びが響いた。
 『虚壊咆哮(デスペラード・ハウル)』
 全てを無に帰す、滅びの咆哮。
 「あ・・・」
 手の中の鏡から、急激に力が消えてゆく。
 パキンッ
 力を失ったそれは、あっけなく凍てつき、砕けて散った。
 ゴゥッ
 抵抗が消えた氷嵐が、鬱憤を晴らす様に襲いかかる。
 雪崩くる、純白の死。
 それを、風水師は酷く覚めた思いで見つめていた。
 恐怖もない。
 後悔もない。
 ただ、かの災禍を自分達の手で絶てない事が悔しかった。
 この戦で、自分の血族は生き残れるのだろうか。
 この縁は、これからも皆を縛り続けるのだろうか。
 いつの日か、この災禍を絶つ者は現れるのだろうか。
 分からない。
 分かる術など、ありはしない。
 分かる事は、ただ一つ。
 自分はもう、終わりと言う事。
 全ての思考が、白く霞む。
 途切れ途切れになる意識の中で、微かに思う。
 どうか。
 どうか。
 貴女は。
 貴女だけは生きて、と。

 「あんた、バカァ!?」

 突然の叱咤が、手放しかけた意識を蹴り返した。
 夢から覚めた様に、明白になる視界。
 そこに映ったのは、吹雪になびく水色の髪。
 そして、皆を守る様に展開する巨大な魔法陣。
 それを両手で支えながら、彼女は怒鳴る。
 「勝手に自己完結して、勝手に死のうとか思ってんじゃないわよ!!」
 回る魔法陣。
 全てを呑み込もうとしていた氷嵐が、逆にそれに飲み込まれる様に収束していく。
 消えゆく嵐の向こうに見え始める、氷龍達の姿。
 その顔は、皆一様に驚きに彩られている様に見えた。
 額に汗を浮かべながら、エリアは不敵に笑う。
 「どう!?速攻魔法(サプライズ・スペル)『我が身を盾に(サクリファイス・ガーディアン)』!!モンスターの固有能力(パーソナル・エフェクト)じゃ、追いつけないでしょう!?」
 やがて、全ての氷嵐は魔法陣に吸い込まれ、消えた。
 「はは・・・。出し抜いてやったわ・・・。ザマーミロ・・・!!」
 「あ、貴女、いつの間に・・・」
 風水師が言いかけたその時―
 バズンッ
 エリアの前で展開していた魔法陣が、光る球体となって彼女の身体に突き刺さった。
 「カフッ!!」
 途端、エリアの口から真っ赤な血が迸る。
 「なっ!?」
 驚いた風水師に向かって、倒れ込んでくるエリア。
 とっさに抱きとめる。
 「はは・・・。サンキュ・・・」
 風水師の腕の中で、力なく笑う。
 「一体、一体何をしたんですか!?」
 『『我が身を盾に(サクリファイス・ガーディアン)』だよ・・・。』
 動転する風水師に、傍らから声がかけられる。
 こちらもいつ来たのか、片腕を押さえたギゴバイトが彼女達を見上げていた。
 『味方に対する攻撃を無効にする代わり、自分が一定量のダメージを受ける魔法・・・。』
 「な・・・!?」
 『その前に、『在地転送(ポジションチェンジ)』も使ったから・・・。魔力残量は、もうゼロかも・・・。』
 「馬鹿な・・・なぜそんな真似を・・・」
 戦慄く様に呟く風水師。
 そんな彼女に、ギゴバイトが言う。
 『そうしなくちゃ、間に合わなかったからね・・・。』
 「そんな事を聞いているんじゃありません!!何故、来たのかと言っているんです!!私は・・・私は・・・」
 「・・・罪を贖うために、死ぬつもりだったってか・・・?」
 膝下から響いてきた声に、視線を落とす。
 エリアが、強い視線で彼女を見上げていた。
 「バッカじゃないの・・・?血に縛られてんのは、どっちだって話・・・。そんなしみったれた性根で助けられたって、気が滅入るだけだわ・・・。」
 口元にこびり付く血を拭いながら、言い捨てる。
 「何言ってるんですか!!私達が、氷結界が消えれば、貴女達を貶めた罪は・・・」
 「それがくだんないって言ってんのよ・・・。」
 酷く冷めた声で、エリアが言った。
 「・・・くだらない?」
 「そう。くだんない・・・。」
 血の気が失せた顔が、薄笑みを浮かべる。
 「・・・まあ、似たようなもんだけどね・・・。あたしも・・・。」
 うわごとの様に、途切れ途切れに流れる言葉。
 けれどそれは、確かな意味を持って風水師に届く。
 「・・・血に縛られて、罪を背負って・・・。・・・でも・・・。」
 青い瞳が、見下ろす瞳を見つめ返す。
 「・・・それでもあたしは、世界を見る事が出来たから・・・」
 「世界・・・?」
 「・・・そう。世界・・・。」
 思い起こす様に、目を閉じる。
 「・・・知ってる?世界って、広いのよ・・・。あたし達の罪なんて、ゴミっ屑に思えるくらい・・・。」
 「・・・・・・。」
 エリアの言葉に、いつしか聞き入る風水師。
 フシュウウウウウ・・・
 そんな二人の間を、遮る様に響く呼気。
 三頭の氷龍が、ユラリと動く。
 その目には、自分達を愚弄した不逞の輩への怒りが燃えている。
 ゆっくりと、少女達に近づく三龍。
 しかし、その前に三つの影が立ち塞がる。
 「無粋な真似をしてもらっては困るな。氷龍共。」
 剣を構えながら、ガトムズが言う。
 『あの二人は、切れた時を埋めてるんだ。邪魔はさせない・・・。』
 傷ついた身体に闘志を滾らせながら、ギゴバイトは立つ。
 『過ちは二度と繰り返さぬ。虎王の名において、かの者達は護って見せよう。』
 凍土を掴む四肢に不退の意思を込めて、ドゥローレンは吠える。
 否。
 彼らだけではない。
 他の戦士や氷結界の民たちも、一人、また一人と立ち上がっていく。
 動ける者。
 気力のある者。
 皆が皆、二人の少女を護る様に立ち上がっていく。
 ボロボロになった彼らの、その身から立ち上る覇気。
 それに圧される様に、伝説の氷龍達は微かに後ずさった。
 「皆・・・。」
 「カッコつけちゃって・・・。まあ・・・。」
 彼らの姿を見ながら、エリアは微笑む。
 そして、その視線は再び風水師に戻る。
 「世界にはね、”あんなの”が沢山いるの。眩しいものが、いっぱいあるの。そりゃ、汚いものとか、暗い部分とかもあるわ。けど、それと釣り合って余るくらい、いっぱいの光がある・・・。」
 「光・・・。」
 「あたしは、それを見る事が出来た・・・。触る事が出来た・・・。感じる事が出来た・・・。だからあたしは、血の束縛から抜け出る事が出来た・・・。」
 その瞳の奥に、何を映しているのだろう。
 エリアは優しく、とても優しく笑う。
 そんな彼女に、風水師は問う。
 「・・・それなら・・・」
 「ん?」
 「何故戻ってきたんですか?開放されたのに、何故戻ってきたんですか・・・?」
 その問いを聞いたエリアは、大げさに溜息をつく。
 「それ、訊くかなぁ・・・。」
 困った様な顔をして、頭をポリポリと掻く。
 「宿題のためって事に、しといてくんない・・・?」
 「駄目です。」
 ピシャリと言う風水師。
 エリアはもう一度、溜息をつく。
 「・・・カッコつけた事言うわよ。」
 「・・・・・・?」
 「・・・あんた達を、解き放ちたかった。」
 「・・・え・・・?」
 虚をつかれた様な顔をする風水師。
 頬を染めながら、エリアは続ける。
 「氷結界(あんた達)をね、ここから解き放ちたかったのよ。あたしが、そうしてもらったみたいに・・・。あたしに、そうしてくれた連中みたいに・・・。」
 「貴女・・・。」
 「真似して、カッコつけてみたかったのよね・・・。“アイツら”みたいにさ・・・。」
 青い瞳が、何かを追う。
 その先に、”彼ら”がいるとでも言うかの様に。
 「ぷっ・・・ぷくく・・・」
 「?」
 突然聞こえてきた笑い声に、エリアは眉をひそめる。
 風水師が、笑っていた。
 その身を震わせて。
 その目に、涙を浮かべて。
 「あは、あはははははは!!」
 こらえきれぬ様に、吹き出した。
 「カッコつけたかったって、それだけですか!?それだけのために?」
 「・・・笑ったわね?」
 「笑いますよ!!ああ、可笑しい!!」
 込み上げる笑いを収めようとするかの様に、風水師はエリアの胸に顔を埋める。
 「あはは、バッカみたい!!ほんと、バカ!!」
 「・・・悪かったわね・・・。」
 憮然とした表情で、むくれるエリア。
 そんな彼女の手が、キュッと握られる。
 「?」
 見れば、風水師の手がエリアの手を握りしめていた。
 エリアの胸に顔を埋めたまま、風水師は問う。
 「・・・私も、見れますか・・・?」
 「ん?」
 「貴女が見た世界を、私も見れますか?」
 一拍の間。
 ゆっくりと息をためて、エリアは口を開いた。
 「見れるわよ。当たり前じゃない!!」
 二人の手が、強く、強く握り合った。


 グゥガァアアアアンッ
 「グァアアアッ!!」
 白い閃光が弾け、重い鎧をつけた身体が宙を舞った。
 『無事か!?ガトムズ殿!!』
 「何の・・・。これしき!!」
 鎧を侵す氷をふるい落としながら、ガトムズは剣で支え、身を起こす。
 「そちらこそ大丈夫か!?ご老体!!大分堪えておられる様だが!?」
 『何を言う!?若造が!!老いぼれと舐めるでないぞ!!』
 傷ついた身体を奮い起こす虎王の傍らで、ギゴバイトも吠える。
 『僕だって、まだまだだ!!』
 「おう!!その調子だ!!坊主!!」
 他の者も、傷ついては立ち上がり、また氷竜達へと立ち向かっていく。
 ギシャアアアアアアッ
 ゴォガァアアアアアッ
 ブリューナクとグングニールが咆哮を上げる。
 その声には、怒りと共に確かな戸惑いが混じっていた。
 ギチリ・・・
 トリシューラの口が、苛立たしげな軋みを上げる。
 ギチチ・・・
 開いてゆく、三つの顎(あぎと)。
 それぞれの牙列の奥で、魔力が渦巻く。
 「!!、『虚壊咆哮(デスペラード・ハウル)』か!?」
 気づいたガトムズが呻く。
 『手足の出ないダルマにして、けりをつけるつもりなのだろう・・・。』
 『えげつないな・・・。』
 ドゥローレンとギゴバイトが歯噛みをするが、限界を超えて傷ついた身体は動かない。
 成す術なく立ち尽くす皆の前で、滅びの咆哮が放たれようとしたその瞬間。
 トリシューラの、否。三頭の氷龍全ての動きが止まった。
 『ぬ・・・!?』
 「何が・・・?」
 『あ・・・!!』
 気づいたギゴバイトが、背後を振り返る。
 その視線の先には、風水師に支えられて身を起こしたエリアの姿。
 そして、その手の中には―
 『氷結界の鏡!!』
 『何!?』
 その声に振り返ったドゥローレンが叫ぶ。
 『いかん!!その鏡はトリシューラには・・・』
 キシャアアアアアアアアアッ
 彼の言葉が終わる前に、憎悪に彩られた叫びが響いた。


 「・・・さて、文字通り最後の奥の手だけど・・・」
 手の中の鏡を掲げたエリアが、ニヤリと笑う。
 「吉と出るか、凶と出るか・・・。」
 そう言って、自分を支える風水師を見やる。
 「ほら、あんたは逃げなさい。正直、どうなるか分かんないだから。」
 しかし、風水師は黙って首を横に振る。
 「何言ってんの?食べられちゃうかもしれないのよ?」
 「私の命運、貴女に預けます。」
 「はぁ?」
 その言葉に、目を丸くするエリア。
 「貴女は、己で道を作りました。ならば、私はそれを導にします。」
 鏡を持つ手に、風水師の手が重ねられる。
 「貴女は私の導。ならば、貴女の命運が尽きる時は、私の命運尽きる時です。」
 真顔で言う風水師。
 エリアはポカンとした後、あからさまに嫌〜な顔をする。
 「・・・あんた、そっちの気がある訳じゃないでしょうね?言っとくけど、あたしノーマルだからね?」
 「大丈夫です。一線を超えてしまえば、後は慣れですから。」
 「んな・・・!?」
 硬直するエリアを見て、風水師はペロリと舌を出す。
 「冗談です。」
 「・・・あんた、そんなキャラだっけ・・・?」
 「さて、どうでしょう?」
 見つめ合う二人。
 一瞬の間。
 そして―
 「あは、あははははは。」
 「うふ、ふふふふふ。」
 同時に、笑い出す。
 「何よ?融通の効かない堅物だと思ってたのに。結構面白いじゃない。」
 「誰のせいだと、思ってますか?」
 わざとらしく膨れる風水師。
 エリアは目尻の涙を拭きながら言う。
 「分かった分かった。怒るな。後でマドルチェ堂のお菓子、奢ってあげるから。」
 「まどるちぇどう?」
 「町で評判のお菓子屋。すっごく、美味しいんだから。」
 「へえ・・・。」
 「他にも、色んな事があるわ。楽しい事。面白い事。怖い事、驚く事!!」
 鏡を支える、二人の手。そこに、もう片方の手も添えられる。
 「教えてあげる!!何でも、みんな、教えてあげる!!」
 まくし立てるエリアに、満面の笑みで頷く風水師。
 「だから、だから今は!!」
 キシャアアアアアアアアアッ
 響き渡る咆哮。
 何かが弾かれる感覚。
 互いの手を握り、支え合う。
 倒れない様に。
 離れない様に。
 視界の向こうには、こちらを見つめる憎々しげな凶眼が六つ。
 翼を広げたトリシューラが、地を滑る様に襲いかかってくる。
 視界の端で、止めようとしたドゥローレン達が弾き飛ばされるのが見えた。
 見る見る迫り来る、凶気と狂気。
 仮面の様な顔を歪に歪め、氷龍の王が顎(あぎと)を開く。
 その驚異を前に、一歩も引かずにエリアは叫ぶ。
 「死なないわよ!!絶対に!!」
 「はい!!」
 一瞬の躊躇もなく、答える声。
 鏡を掴む手に、力がこもる。
 叫ぶギゴバイトの声が、酷く遠くに聞こえた。
 そして、死の顎(あぎと)が二人を覆って―

 シャーン・・・

 澄んだ音色が、辺りに響いた。


 その時、何が起こったかを理解出来る者はいなかった。
 気がついた時には、トリシューラの巨体が宙を舞っていた。
 誰もが傷つける事の叶わなかった災禍が。
 誰も止める事など叶わなかった凶王が。
 木の葉の様に宙を舞い、無様な音を立てて地面に這った。
 けれど皆の目は、もうその姿を見てはいなかった。
 皆が、見ていたもの。
 それは、呆然と佇む二人の少女の手の中。
 煌々と、月の様に輝く氷結界の鏡。
 その光の中に立つ者。
 氷華の中で、神々しくはためく法衣。
 氷の結晶の様に透麗な姿。
 白雪に抱かれる様に、優しく広大な気配。
 そこにいたのは、一人の老爺。
 けれど、それは人ではない。
 人が、この様な気配を発せられる筈もない。
 場の誰もが、穏やかな安らぎに包まれる。
 まるで、力強い父の腕に抱かれる様に。
 老爺が、ふと後ろを振り返る。
 訳が分からないと言った体で、自分を見つめる少女二人。
 白髪と白髭の間から覗く眼差しが、優しく微笑む。
 ・・・伝道師様・・・。
 そう呟いたのは、風水師か、ドゥローレンか、それとも、氷結界の誰かか。
 しばし、二人の少女を愛しげに見つめると、”彼”はゆっくりと視線を戻す。
 その先にいるのは、三頭の氷龍。
 怯えていた。
 かの凶龍達が。
 何者をも恐れず。
 万物を睥睨した、伝説の王達が。
 全身の筋肉を強ばらせ。
 全身の鱗を逆立たせ。
 怯えていた。
 突如、ブリューナクが冷閃を吐いた。
 まるで、身を縛る恐怖を散らそうとするかの様に。
 しかし、届かない。
 冷極の閃光は、老爺の放つ光の中で掻き消える。
 グングニールが、虹色の光を放つ。
 届かない。
 最後に、トリシューラが吠えた。
 届かない。
 それすらも。
 老爺が、ゆっくりと右手を上げる。
 煌ッ
 地面に、光が走った。
 氷龍達の、氷霧に濁った光とは違う。
 澄んだ。
 どこまでも澄んだ、氷色(ひいろ)の光。
 それが、何かを地面に象っていく。
 瞬く間に、描き出される文様。
 雪の結晶。
 氷結界の、紋章。
 そして、地が落ちた。
 まるで、型を抜くように。
 深く。
 深く。
 底も見えない。
 奈落。
 その奥が。
 滾っていた。
 朱い。
 朱い。
 炎の色に。
 誰もが目を瞑る。
 無くなった足場。
 当然の様に。
 その朱の中に。
 落ち行く事を覚悟する。
 けれど、落ちない。
 エリアも。
 風水師も。
 ギゴバイトも。
 ガトムズも。
 ドゥローレンも。
 そして、他の人々も。
 無くなった地の上に。
 そのままの姿で。
 立っていた。
 何もない空間に、立つ感覚。
 理解出来ない、感覚。
 ただ、佇む。
 その目の前で、”彼ら”が悲鳴を上げた。
 三頭の氷龍。
 その足が、沈んでいく。
 落ちていく。
 そう。
 彼らが。
 彼らだけが。
 落ちていた。
 消えた大地に。
 朱い奈落に。
 グゥオオオオオオオオンッ
 ひりつく様な咆哮が響く。
 三頭が、翼を開いた。
 奈落の誘いから逃れようと、宙を目指す。
 しかし―
 老爺が、差し伸べる様に手を伸ばした。
 少女達の手の中で、氷結界の鏡が輝く。
 途端、鏡は光となり、三つに散る。
 光は流星となり、足掻く龍達へと突き刺さる。
 一つ。
 ブリューナクの胸に。
 一つ。
 グングニールの背に。
 一つ。
 トリシューラの尾に。
 ガクンッ
 龍達の身体から、力が抜けた。
 羽ばたく翼は虚しく宙をかき。
 もがく爪は悲しく空をかく。

 ・・・戻るがいい・・・

 声が、聞こえた。

 ・・・今一度、煉獄の牢獄へ・・・

 その声に従う様に、氷龍達は墜ちていく。
 深く。
 遠く。
 朱い奈落の中へ。
 叫びが響く。
 悲しみか。
 絶望か。
 長く。長く尾を引くそれが。
 地の底へと消えていく。
 そして―
 いつしか、全てが消えていた。
 奈落も。
 氷龍も。
 鏡も。
 全てが跡形もなく消えていた。
 呆然と佇む、エリアと風水師。
 老爺が、ゆっくりと振り返る。
 優しく、優しく微笑む。

 ・・・生きよ・・・
 
 声が、響く。
 
 ・・・我が・・・

 やがて、その姿が陽炎の様に揺れ始める。
 揺れる姿は光となり。

 ・・・子らよ・・・

 光は輝く塵となって、空に流れる。
 皆がそれを追い、宙を仰ぐ。
 いつしか天を覆っていた雲は晴れ、明るい日差しが降りてきていた。


                                                ―7―


 「本当に、行かれるのですか?」
 旅支度を済ませたエリアとギゴバイトに向かって、風水師が確かめる様に尋ねる。
 「あー、用も済んだしね。もうここにいてもしようがないし。」
 「傷が癒えるまで、居てくださって構いませんのに・・・。」
 そう言って、包帯だらけの二人を見やる風水師。
 けれど、エリアはそっぽを向いて鼻を鳴らす。
 「やーよ。こんな辛気臭い所。いつまでもいたら、こっちの身体まで抹香臭くなっちゃうわ。」
 『ちょっと。またそんな事言って。あんなに良くしてもらったんだから、ちゃんとお礼しないと。』
 困った様な顔をするギゴバイト。
 しかし、エリアはツンと澄ましたまま。
 『ご、ごめんなさい。ホントに、元気になったらこの調子で・・・』
 「はは。構いませんよ。もう、慣れましたから。」
 申し訳なさそうに畏まるギゴバイトに笑いかけながら、風水師は言う。
 その顔に、かつてあった険しさはもうない。
 「・・・で、あんたはいつこっちに来るの?」
 そんな彼女に向かって、エリアがそんな事を問う。
 「そうですね・・・。亡くなった方の鎮魂の儀や、事の後始末などありますから・・・。多分、半年ほど後になるかと。」
 「ふ〜ん。まぁ、せいぜい心残りのない様にしてきなさい。”学校”は、逃げやしないから。」
 「はい。」
 エリアの言葉に、笑顔で答える風水師。
 『でも、外に出る事をよく氷結界の人達が許してくれたね。血を外に出す事は好まないって言ってたけど。』
 「ええ。氷龍達が封印された以上、もうここに縛られる意味はないからと。むしろ若者は外に出て、新しい風を取り込んできて欲しいとの事です。」
 そう言って、風水師はふと空を見上げる。
 「恐らくは、神精霊様もそれを願っているだろうと・・・。」
 「・・・『神精霊』・・・ね。」
 風で乱れる髪を鬱陶しそうに整えながら、エリアは訊く。
 「”あれ”って、結局そういう事になった訳?」
 「ええ。ドゥローレン様が仰ってました。あのお顔は、紛う事なく伝道師様のそれだったと・・・。」
 エリアは「フ〜ン」と気のない返事を返す。
 「何だって、そんなのの幽霊が今になって出しゃばってきたのかしらね?」
 「幽霊じゃなくて、神精霊様ですよ。」
 そう訂正しながら、風水師は話を続ける。
 「恐らく、先の大戦の時に氷結界に亀裂が生じた事を憂えていたのでしょう。それが、巫女(貴女)の血族と解放派(私)の溝が埋まった事で心を開き、力を貸してくださったのでは・・・。」
 「は。随分と自分勝手な守り神だこと。その気があるなら、最初っから手を貸せっての。」
 『ちょっと、エリア・・・!!』
 慌てて諌めるギゴバイト。
 しかし、風水師は可笑しそうに笑う。
 「そうですね。私も、そう思います。」
 その言葉にギゴバイトは『ありゃ?』とズッコケ、エリアは「あら?」と意外そうな顔をする。
 「長い閉塞の末に、神精霊様も含めて氷結界(私達)は歪んでしまっていたのかもしれません。自分達でも、そうと気づかぬ程に・・・。」
 そして、風水師はもう一度空を仰ぐ。
 「だから、神精霊様は私達若者に託したのでしょう。暗闇の中で凝り固まった血を、光の元で解放しろと。」
 「・・・その”若者”って、あたしも入ってる?」
 間髪入れず、「はい。」と答える風水師。
 エリアは、露骨に嫌な顔をする。
 「やめてよね。そんな面倒くさい役目、お断りよ。」
 『何だかんだ言って、無視出来ないしねー。』
 そう言って、ウケケと笑うギゴバイト。
 「うっさい。」
 踏まれた。
 ムンギュッと、轢かれたガマガエルみたいな声を出して伸びる。
 「ああ、大丈夫ですか?」
 慌ててかがみ込む風水師。
 伸びたギゴバイトを抱え上げながら、その耳元に口を寄せる。
 何やら、ボソボソと吹き込まれる囁き。
 「・・・!?」
 みるみる丸くなる、ギゴバイトの目。
 「?、何してんのよ?あんた達」
 『い、いや、何でもないですよ!?』
 「ええ。何でもありません。」
 不審げなエリアに、ギゴバイトは慌てた様子で、風水師はクスクスと笑いながら答える。
 「何よ。二人して、気持ち悪い。」
 さらに突っ込もうとしたその時、
 「エリア殿。ギゴ殿。そろそろ、よろしいか?」
 背後から飛んでくる声。
 振り向けば、そこにはやはり旅支度を終えたガトムズと戦士団の姿。
 「あー。いいわよ。」
 そう答えると、エリアはクルリと踵を返して用意された馬車へと向かう。
 『ああ、待ってよ。エリア。』
 慌てて後を追うギゴバイト。
 それを見送りながら、風水師はガトムズに向かって頭を下げる。
 「ガトムズ様、大義の方、ご苦労様でした。つきましては、エリア様の事、よろしくお願いいたします。」
 その言葉に頷くガトムズ。
 「任された。エリア殿は責を持って送り届けよう。」
 そして、ガトムズも一礼して隊の列へと向かう。
 そんな三人の背に向かって、風水師は声を上げる。
 「エリア様〜。マドルチェ堂の件、忘れちゃダメですよ〜。」
 ブンブンと手を振る彼女に向かって、エリアは軽く右手を上げて答えた。


 それから、しばし後―
 ガタゴトと揺れる馬車の中で、エリアはう〜んと背伸びをしていた。
 「あ〜、疲れた。早く柔らかいベッドで横になりたいわ。」
 『ホントに、今回は頑張ったよね。ご苦労様。』
 そう言うギゴバイト。
 そんな彼に、エリアがクルリと顔を向けた。
 「ギゴ。」
 『何?』
 「さっき、あの娘に何言われてたの?」
 『!?』
 その問いに、みるみる赤くなるギゴバイト。
 それを見たエリアが、怪訝そうな顔をする。
 「何よ?その反応。一体、何言われたの?」
 ズズイッと迫って来る。
 『いや、あの、その・・・』
 しどろもどろになるギゴバイト。
 言える訳がない。
 (負けませんからね。ライバルさん。)
 などと言われたなど。
 真意は分からないが、教えたら教えたで大層面倒な事になりそうな気がする。
 黙っているに越した事はない。
 「コラ!!何黙ってんのよ!!教えなさい!!」
 口を噤むギゴバイトの両頬を掴んで、グィ〜ンと伸ばす。
 『ムギャムゴ・・・』
 「言わないか!!この!!この!!」
 じゃれあう二人。
 と、
 ガタンッ
 「キャッ!?」
 『うわっ!?』
 悪路にでもあたったのか。
 馬車が大きく跳ねた。
 エリアの身体が、ギゴバイトの上にのしかかる。
 『ちょ!!エリア、重い重い!!早くどいて!!』
 しかし、エリアが動く様子はない。
 『エ、エリア?』
 気が付くと、間近で自分を見つめる青い瞳と目があった。
 頬に感じる、心地よい体温。
 エリアの手が、優しくギゴバイトの頬を包んでいた。
 「ねえ、ギゴ・・・。」
 囁く様な、声。
 『な、何さ・・・?』
 「ありがとう・・・。」
 『へ?』
 「色々と、助けてくれたよね・・・。」
 どこか潤んだように、熱っぽい目が見つめる。
 心臓が、壊れた様にトカトカと鳴り始める。
 「嬉しかったよ・・・。」
 寄せられる、顔。
 甘い香りが、鼻をくすぐる。
 『あ、あれは、その・・・使い魔として当然と言うか・・・。』
 「使い魔だから?」
 『え?あ、いや、その・・・』
 ドギマギして、言葉が上手く体を成さない。
 そんな彼に、エリアはさらに迫る。
 「ねえ。ギゴ・・・」
 『ちょ、ちょっと・・・!!エリア!?』
 近づいてくる唇。
 可憐な、桜色の花弁を思わせる。
 「あたしね・・・」
 『〜〜〜〜〜〜っ!!』
 思わず、目を閉じる。
 そして―

 「あ。」

 急に響いた声が、全ての空気をぶち壊した。
 『?』
 目を開けると、エリアが間の抜けた顔で固まっている。
 『ど、どうしたの・・・?』
 「・・・”宿題”・・・。」
 『・・・あ・・・。』
 二人して、阿呆の様に見つめ合う。
 「ど、どうしよう!!すっかり忘れてた!!」
 『ど、どうするったって、期限は明日だよ!?』
 これでもかと言うくらい、テンパる二人。
 しかし、どんなに慌てた所でどうにかなる問題ではない。
 「――――――っ!!」
 突然杖を引っつかみ、外に飛び出ようとするエリア。
 『ちょっ!?何処いくの!?』
 慌ててローブの裾を掴むギゴバイトに、エリアは真顔で言う。
 「氷結界に戻って、トリシューラの封印解いてくる!!」
 『な、何言ってんの!?』
 「何?じゃないわよ!!なんとかしないと、お仕置き食らっちゃうじゃない!!」
 『ダメだって!!あんなに苦労したじゃない!!って言うか、あんな化物、もう会いたくない!!』
 「トリシューラも怖いけど、先生はもっと怖いの!!」
 『駄目だったらっ!!』
 「お願い!!トリシュが駄目なら、グングニールでもブリューナクでもいいから!!」
 『いやいや!!ブリュはドラゴンじゃなくて海竜族!!』
 「そんなメタ発言いいから!!放して!!武士の情け―――っ!!」
 『駄目―――――っ!!』
 「先生怖い―――っ!!」
 ・・・二人の騒ぎを他所に、隊列はタカタカと進む。
 氷結界はもう、遥か彼方。
 
 「お仕置きは、いやぁ―――――――――っ!!」
 哀れな少女の叫びが、蒼い空に響いて溶けた。



                                          

この記事へのコメント
いやー、お疲れ様です。大作読ませていただきました。エリアの壮大すぎるストーリーは見事大団円(?)を迎えてくれたので、あとは始まり編の方が出来上がれば全てつながってくれますね!

さて、今回最も輝いていたのは風水師なのではないでしょうか。最後にオイシイとこ持って行きましたね。それだけ、ギゴに耳打ちした一言は破壊力があったわけで。ああ、今回の話はここに収束していってたんだな、としみじみ思ってしまう。前編はエリアとギゴの話、後編はエリアと風水師の話、とも言えるでしょう。読み返してみるとエリアがフラグっぽい事をガンガン言っていたことに気付かされる。

罠魔法(トラップ・スペル)は貸し借り可能らしい。どうやって返すのだろう。「継承式」以外にも術を習得する方法がいろいろあるのかもしれない。

走馬灯タイムは霊使い達の日常が見れる貴重な資料だな。もっと長く続けてたら己の罪を数えることになりそうだったけど。

エリア的戦力分析もしておきましょう。ちなみに以下の文は改訂版を読む前に考えたものなので微妙なズレがありますが、ピッタリくるところもあったのでそのまま書きます。

最初がアレだっただけに、実力未知数な上、劣等生のイメージがあるエリアの長所は、最近になってようやく分かってきたような感じですかね。少々長くなりますが、分析してみますか。

激流葬や明鏡止水の心など、攻守共に強力な術を持っているが、術式構築に苦手意識があり、発動に時間が掛かってしまう。しかし、モンスターの召喚の手早さとその活用に関してはかなり秀でたものがあるように見える。特にそれが見られるのがスピア・シャークでマインドオーガスの脚をへし折った時だろう。瞬間の判断であれをやるには、しもべの強さをよく理解し信頼していなければできなかっただろう。(失敗すれば、ウィンとピア両方が危なかった。)召喚するための術も持っているため、展開の仕方にもバリエーションがある。また、強力なモンスター(アレとかソレとか)を多数使役しているのも強みである。術で攻める他の霊使いと比べ、術はサポートでしもべを主戦術に使うスタイルはエリアの特徴と言える。

もう少し踏み込んで妄想してみましょう。エリアはその性格上、日頃からよくモンスターを「使って」いた事が、容易に想像できます。それによって素早く手馴れた召喚が出来るのではないだろうか。また、しもべモンスターを限界まで酷使することが多かったと思われます。それ故に、感覚的にモンスターの限界を理解し、ギリギリまで能力を引き出す事が可能になるかもしれない。それでも、割と円滑な主従関係を維持しているのだから、モンスターへのケアと謎のカリスマ性の存在は否定できない。

そもそも色仕掛けで、トリシューラを落とせると考えていたことに引っかかります。もともと容姿と言葉による誘惑と説得で使役できた前例があったのでは?もしかしてトリシューラほど凶暴な性格でなければ成功する確率は少しはあったかもしれない。青氷の白夜龍あたりならいけるか!?
Posted by zaru-gu at 2014年08月08日 23:36
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