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2014年07月13日

霊使い達の宿題・水の場合(改訂版)前編

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 こんばんは。土斑猫です。
 執筆中の「霊使い達の宿題・水の場合(改訂版)」、あまりにも長くなり過ぎたので取り敢えず前後編に分ける事にしました。
 これ以上更新が遅れるのもなんですし・・・(汗)
 で、常々言ってました通り、もうすっかり別な話ですw
 原文とは完全に路線が異なりますので、お好きな方をお選びくださいw
 なお、今回もオリジナル設定全開ですので、そういうのが苦手な方はご注意ください。
 ではでは。






                    霊使い達の宿題


                   ―水の場合(前編)―


                         ―1―


 この世には、縁(えにし)と言うものがある。
 天地の巡りに。
 生命の繰輪(くるわ)に。
 そして、人の辿る運命に。
 離れる事なく。
 分かつ事なく。
 それは絡まり続ける。
 いつまでも。
 何処までも。
 延々と。
 延々と。
 絡み続ける。
 拒むも。
 受け入れるも。
 それは自由。
 けれど、その選択に意味はない。
 何故なら。
 その意思など関係なく。
 その嘆きなど意にも介さず。
 永々と。
 遠々と。
 それは。
 絡まり続けるのだから。
 逃げても無駄。
 泣いても無駄。
 だから。
 だから。
 向き合うしかないのだ。
 只。
 只。
 真っ直ぐに。
 例え終わりが。
 見えなくとも―


 ガタン・・・ゴトン・・・
 冷たく住んだ空気の中に、重苦しい音が響き渡る。
 音の主は大きな大八車を引く鎧の男、物資調達員。
 重い荷台を引きながら、物資調達員は酷くゲンナリとしていた。
 まったく、今回の旅はついてない。
 せめてもの気晴らしにと横を見ると、そこには広く美しい水面(みなも)が広がっている。
 『ウォーターワールド』と呼ばれる塩水湖で、その美しさから世界有数の絶景として広く知られている。
 しかし、それにも関わらずこの地を訪れる者は酷く少ない。
 理由は簡単。
 危険だからである。
 長年の間、この地ではある争乱が続いていた。
 それは、終わりの見えない争い。
 その果てに、何を生み出す事もない戦い。
 けれど、決して終わらせてはならない戦(いくさ)
 ただただ、命と資源を消費し続けるだけの場。
 そんな所に、好き好んで訪れる者などいる筈もない。
 いるとすれば、物資調達員(彼ら)の様な戦場を生業の場とする者。
 あるいは、よほどの物好きに限られるだろう。
 そして、今日に限って彼の荷台にはその物好きが乗っていた。
 溜息をつきながら、後方から聞こえてくる“それ”に耳を澄ます。
 「あ〜もう嫌、この潮風!!髪がベトベトじゃない!!どうしてくれんのよ!!」
 「それにガタゴト揺れ過ぎ!!何なの、この道?あたしの事、酔わせたい訳!?」
 「大体寒いし!!この季節に何でこんなに寒いの!?風邪ひいたらどうしてくれんのよ!!」
 荷台の音に混じって飛んでくる、不平不満の機銃掃射。
 チラッと後ろを見ると、長い水色の髪にローブを纏った少女が喚きながら足をバタバタさせている。
 (・・・見た目はいいんだがなぁ・・・。)
 些かゲンナリしながら、彼女との出会いを思い出す。
 彼女を見つけたのは、ここより少し手前にある山の中。
 彼女はブツブツ言いながら、トコトコ山道を歩いていた。
 こんな所で行き会ったのも何かの縁。旅は道連れと拾ったのが運の尽き。
 乗った端から、この調子である。
 とにかく五月蝿い。
 そして我儘。
 恐らく、かなりの大人物か馬鹿のどちらかでない限り、百人が百人、辟易するであろう。
 よっぽど途中で放り出そうと思ったが、それをしなかった理由はただ一つ。
 『すいません・・・。いつもこんな調子で・・・。本人に悪気はないんですけど・・・』
 そう声をかけてきたのは、件の少女の付き添いらしき緑色のモンスター。
 『ガガギゴ』というモンスターの幼体で、世間では『ギゴバイト』と呼ばれている。
 その彼(?)がこうしてちょくちょくフォローを入れてくるため、捨てるに捨てられないのである。
 まぁ、悪気がないというのも本当なのだろう。
 実際、吐き出される罵詈雑言は風や寒さ等、周りの環境に関するものばかり。調達員自身に向けられたものは、一つもない。
 「・・・お前さんも、苦労してるみたいだなぁ・・・。」
 『ええ・・・まぁ・・・。』
 彼がそう呟いた途端、
 「ギゴ!!なんか言った!?」
 そんな声が飛んでくる。
 『い、いやいや!!何も言ってないですよ!?エリア!!』
 慌てて弁解するギゴバイトを、エリアと呼ばれた少女はジロリと睨む。
 その視線に怯える様に、口から「プシ〜〜」と溜息を漏らすギゴバイト。
 そんな彼らの様子に、苦笑いするばかりの調達員だった。


 カラコロ カラコロ
 ゴトン ゴトン
 車輪が回り、荷物が揺れる。
 言う事もなくなったのだろう。
 いつしか、エリアの愚痴も止んでいる。
 淡々と流れては、寒空の中に消えていく無機質な音のBGM。 
 そうして、どれほど進んだだろうか。
 ピタリ。
 不意に、そのBGMが止んだ。
 進まなくなった大八車。
 荷台のエリアが、怪訝そうな視線を向ける。
 「・・・何で止まるのよ?」
 「ここまでだ。」
 少女の問いに、調達員は懐からパイプを取り出しながら言う。
 「何が?」
 もう一度の、問い。
 その響きに、既知の気配を聞き取りながら、あえて彼は続ける。
 「お前さんを乗せるのはここまでだ。降りてくれ。」
 「”氷結界”まで乗せていってくれるって約束じゃない?」
 不満そうな声。
 けれど、取り合わない。
 「ここは、もう”氷結界”だぜ。もっとも、端の端だけどな。」
 用意していた言葉を並べながら、パイプに葉を詰める。
 「気温もここならそこそこだし、景観もいい。少ないが、宿屋もある。観光なら、この辺りで十分だろ?」
 「観光?」
 エリアの声に、険がこもる。
 「そんなもの目当てに、こんなトコまで来た訳じゃないわ!!」
 投げつけられる言葉。
 少なからずの憤慨と、少しの抗議が混じっている。
 気にもとめない。
 「じゃあ、何しに来たんだ?」
 「・・・・・・。」
 返って来たのは、しばしの間。
 言葉に詰まったのではない。
 言葉を探しているのだと、直感する。
 「・・・あたしは、魔法専門学校の生徒。ここには・・・」
 「研究のために来ましたってのは、なしだぜ。」
 「!」
 用意していた答えを、先取りされたのだろう。
 今度こそ、答えに詰まったのだと分かる。
 「前にも、何人かいたんだよ・・・。」
 研究員。
 導師。
 戦士。
 魔法使い。
 様々な肩書きを持つ者が、それぞれの目的を持ってかの地へと踏み入って行った。
 しかし、そのほとんどは・・・。
 「・・・知ってんだろ?」
 答えの知れた問いを、調達員は問う。
 「知らない訳、ねえよな。この先には・・・」
 そう。
 ここからもう半日ほど行った場所。
 ”氷結界”の中心地。
 そこは、今・・・。
 「・・・知ってるわ。」
 低い声が答える。
 「ちゃんと、知ってるわよ・・・。」
 呟く様に、エリアは言った。
 「・・・・・・。」
 調達員は何も答えず、くわえていたパイプに火を入れた。


 ・・・ここは、世界の北の果て。
 名を、『氷結界』。
 ただし、『氷結界』とは地名ではない。
 曰く、この地には古(いにしえ)から三頭の“氷龍”が住まっていたと言う。
 三頭は非常に凶暴かつ強力であり、一度荒ぶればかの地のみならず他の地にまでその災禍を及ばせる事さえあった。
 そのもはや天災とさえ言える存在に、当時の人々は成す術なく怯えるのみだった。
 しかし、そんな龍達の暴虐にも終わりが来る。
 ある時、一人の旅の伝道師がこの地を訪れた。
 人々の嘆きを憂えた彼は、単身かの氷龍達へと立ち向かった。
 七日七夜に及ぶ戦いの末、伝道師の命をかけた秘術によって氷の三龍は封印された。
 その後、伝道師はこの地に居を構え、自分の血を継いだ者達に封印を守るよう伝えた。
 時は流れる。
 その懐に三頭の氷龍を眠らせた結界はいつしか『氷結界』の名を得、それを守る者達は『氷結界の一族』と呼ばれる様になった。
 それが、この地に伝わる歴史。
 そう。言い伝えではなく、歴史である。
 『氷結界』の存在も、そしてそれを守る一族の血が今に受け継がれている事も、明確に確認されている。
 そして、それを証明する事案がもう一つ。
 ・・・かの龍達は、もはや眠ってはいなかった。


 「知ってる・・・ね。」
 そう言って、調達員は火を消したマッチを放る。
 大八車は止まったまま。
 少女も、ギゴバイトも何も言わない。
 ただ、動かない荷台の上で彼を見つめる。
 そんな彼女達を一瞥すると、調達員はパイプを一息吸う。
 苦い煙を胸にため、そして吐き出す。
 白い煙が一条フワリと登り、青い空に溶けて消えた。
 「耳、すましてみな。」
 ポツリと言う。
 エリア達は、言われるままに耳を澄ます。
 冷たく静寂に満たされた空気。
 と―
 クゥオオオオオオオオオオン・・・
 大気を震わせる様に、彼方からそれは聞こえた。
 その瞬間、例えようもない怖気がエリア達の内にこみ上げる。
 まるで、魂を鷲掴みにされる様な。
 精神を、その根底から凍てつかせられる様な。
 そんな、感覚。
 「『・・・!!・・・』」
 しばしの間。
 やがて、エリアがハアッと息を吐く。
 それに従う様に、ギゴバイトも息をつく。
 その呼吸がハアハアと荒くなっているのを聞きながら、調達員はまたプカリと煙を吐く。
 「聞いたかい?」
 問いかける。
 返事は、ない。
 構わずに続ける。
 「今のが、”トリシューラの咆哮”ってヤツさ。戦場までまだ大分あって、戦士団の時の声も聞こえねぇってのに。”アイツ”の声だけは、こんな所まで響いてきやがる。」
 忌々しそうにそう言い捨てると、調達員はポンと灰を落とした。
 「”アイツら”のせいで、ここらの住民はほとんど逃げ出しちまった。残ってるのは、そんな財力のない貧しい連中ばかりさ。」
 クゥオオオオオオン・・・
 あの咆哮が、また聞こえた。
 彼は、虚しげに空を見上げる。
 「その連中も、日々恐々としてるよ。いつ防衛線が破られて、”アイツら”が自由を得ちまうかってな・・・。」
 調達員の言葉を聞きながら、エリア達はまだ見えない”その地”を見つめた。


 事の起こりは、数十年ほど前になる。
 現代まで血脈をつないできた氷結界の一族は、かの龍達の封印を守りながら厳格でありつつも平穏な時を過ごしていた。
 外界もそんな彼らの存在の必要性を認識し、いかなる国もこの地に手を出す事はなかった。
 しかし―
 異変は、突然に起こった。
 始まりは、ある日天から下った一つの流星。
 大気を破り、地へと突き刺さったそれからは、得体の知れない生命体が這い出した。 後に『ワーム』と呼称されるその生物は、『ワーム・コール』と呼ばれる現象を起こし、瞬く間に大量の仲間を召喚。猛烈な侵略活動を始めた。
 突然の暴虐に、人々は成す術もなく蹂躙された。
 この地を統べ、正義と平和を尊ぶ氷結界の一族がそれを良しとする筈もない。
 隠遁としていた彼らは、其が地と人々を守るために立ち上がった。
 かくして、この世界の片隅で世界の全てを震撼させる大戦は始まった。
 戦いは瞬く間に拡大し、隣接する地域をも巻き込む大混戦と化した。
 そしてその混乱の中、世の淀みに潜む混沌が扉を開ける。
 この世界とは別の位相にある世界。
 その扉を開け、這い出した者達がいた。
 名を、『魔轟神』。
 異界の悪神たる彼らは、貪欲だった。
 己が征服欲の赴くまま、この地を喰らい尽くさんと戦への介入を始めた。
 それにより、戦乱はさらに拡大。
 幾多の部族が滅び、地は不毛と化していった。
 終わりの見えない戦いの日々。
 満ちる悪意と恐怖。そして焦燥は、ゆっくりと人々の心を毒していった。
 あの、氷結界の一族の心でさえも。
 やがて、彼らの中である考えを持つ者達が出始める。
 それはかの三龍の封印を解き、戦における戦力にしようと言う、あまりにも危うい考え。
 その考えを支持する者と、諌める者。
 一族の意見は二つに割れ、一枚岩だった筈の彼らの中に軋轢を生んだ。
 両者の間に生じる、引きつる様な均衡。
 しかし、それは唐突に終わりを迎えた。
 攻勢を強めるワームや魔轟神の暴挙に耐えかねた者達が、反対派の制止を振り切って三龍が一柱、『ブリューナク』の封印を解いたのだ。
 その力は凄まじく、領地半ばまで侵攻を進めていたワームの一軍を一昼夜で壊滅させた。
 そして、その戦果が支持派達を勢いづかせた。
 大義を得た彼らは、続いて第二の龍、『グングニール』を解き放った。
 二頭の猛勢によって、彼らはついにワームを駆逐する事に成功する。
 残る災源は魔轟神。
 伝説の氷龍達の驚異をしかし、戦乱と混沌を愛する彼らは嬉々として受け入れた。
 下僕である魔轟神獣を駆り、最後の攻勢へと打って出る魔轟神。
 その猛攻に、氷結界の民達は最後の禁忌に手をかけた。
 最古にして最凶の龍。『トリシューラ』。
 永代の束縛から解放された凶龍は、狂喜の雄叫びと共に魔轟神達へと襲いかかった。
 激闘の果て、ついに魔轟神の王は吹き荒ぶ氷嵐の中に砕け散った。
 かくて、忌まわしき大乱は終わりを告げる。
 告げる筈、だった。


 「・・・でも、本当の災いはそれからだった・・・。」
 「ああ。その通りだよ。」
 呟く様なエリアの言葉に、調達員は億劫そうに頷く。
 「氷結界の連中は、解放した龍どもを制御出来なかった。もともと戦で疲弊してた奴らに、あんな化け物達を止めるなんて土台無理な話だったんだよ。結局、あの土地はそのまま暴走する龍どもの箱庭になっちまった。ワームや魔轟神の連中に好き勝手させてた方が、なんぼかマシだったかもな。」
 くっくっと笑う調達員。その口調には、皮肉の色が濃い。
 「それ以来よね。周辺の国々が連盟を組んだのは。選りすぐりの精鋭で討伐隊を組んで、あの龍達が外界に出るのを防ぎ続けてる。」
 「詳しいな。」
 「伊達や酔狂でこんな所まで来た訳じゃ、ないわ。」
 揶揄する様な調達員の言葉に、エリアは淡々と答える。
 その調子に、先刻までの我儘娘の面影はない。
 「・・・・・・。」
 それを見た調達員の顔からも、からかいの色が消える。
 「・・・じゃあ、これは知ってるかい?龍達の暴走の後、氷結界の連中は・・・」
 「二つに分かれたんでしょう。」
 「・・・・・・。」
 「追放されたって言った方が、正しいかしら。龍達の解放を支持した一派が切り離されて、放逐された。彼らはその後さらに分断して、それぞれ行き着いた場所で隠れる様に暮らしてる。そして、この地に残った反対派達は討伐隊に協力して今も戦っている。」
 「・・・・・・。」
 「笑える話よね。そんな事で、けじめになるとでも思ったのかしら。あの龍達が残した災禍の傷は、どうやったって消えやしないのに。」
 流れる様に話すエリア。
 その声に、何処か自嘲の様な響きが混じるのは気のせいか。
 「・・・お前さん・・・」
 調達員は尋ねる。
 「何でそんな事まで知ってんだ・・・?」
 「調べたのよ。」
 かけられた問いを鼻で笑って、エリアはサラリと答える。
 「言ったでしょ。伊達や酔狂でこんな所まで来た訳じゃないって。」
 「・・・・・・。」
 エリアを見つめる調達員。
 その視線を、黙って受け止めるエリア。
 沈黙が流れる。
 しばしの間。
 やがて、調達員はパイプをしまうと引き棒を手に取った。
 「時間を食ったな。行くか。」
 「あら?あたし達の事、置いてくんじゃなかったの?」
 「さてな?何の事だ?」
 素知らぬ顔でそう言うと、調達員はエリア達を乗せたままガラゴロと車を引き始める。
 『・・・何か、察してくれたみたいだね。』
 ギゴバイトが、声を潜めて言う。
 「女の気持ちを汲むなんて、なかなか良い男じゃない。見た目はともかくね。」
 『またそんな憎まれ口きいて。ホントに降ろされちゃうよ?』
 荷台で寝っ転がる少女をたしなめるギゴバイト。
 しかし、ふと声の調子を落とすと、さらに囁く様な調子で問いかける。
 『エリア、本当にいいの・・・?』
 「何が?」
 『だって、ここはキミの・・・んぎゅ!?』
 伸びてきた手が、ギゴバイトの口を握って閉じる。
 「あんたは余計な事、考えなくていいわ。」
 『れ・・・れも・・・』
 「下僕は、黙ってついてくればいいのよ。」
 『・・・・・・。』
 自分に向けられる青い瞳。
 そこに込められた意思を読み、ギゴバイトは言葉を呑んだ。


 それからしばらく、先刻と同じ単調な行路が続いた。
 どこまでも続くその道は、まるで彼らがかの地へ辿り着く事を憂え、拒んでいるかの様に思えた。
 それでも、その旅は程なく終わりを迎える。
 湖と草原に囲まれた風景が終わりを告げ、キラキラと光る氷柱が幾つも生えた岩場へと変わっていく。
 涼しかった気温はさらに下がり、息が白く染まり始める。
 空気が凍てつき、白い靄が立ち込める。
 いつしかそこは、氷と白霧の支配する世界へと変わっていた。
 『氷結界』の深域へと入ったのである。
 大八車はそのまま進み、とある山の麓にある洞窟へと入っていく。
 氷柱と鍾乳石の垂れ下がる空間に、車輪の転がる音がクワンクワンと反響する。
 やがて、車は洞窟の中ほどで進むのを止めた。
 調達員は「寒い〜」と喚き散らす彼女を無視して、首に下げた笛を吹く。
 ピィ〜〜〜〜〜〜
 甲高い音が氷柱に反響し、辺りに響き渡る。
 やがて、それに答える様にパタパタと足音が近づいてきた。
 現れたのは東洋風の衣装に身を包み、髪をツインテールに結った一人の少女。
 「ああ、物資の補給ですね。ご苦労様です。」
 彼女はそう言うと、礼儀正しく頭を下げた。
 「お〜う。風水師の姉ちゃん、生きてたかぁ?」
 「はい。お蔭様で。これ、今回のご報酬です。」
 そう言って、少女は金貨の詰まった袋を調達員に渡す。
 調達員はチャリチャリと音をさせて袋の重さを確かめると、「毎度」と言ってそれを懐に入れた。
 「いつもすいません。こんな危険地帯にまで足を運んでいただいて・・・。」
 「なぁに。こちとら商売でやってんだ。そう感謝されるこっちゃねぇよ。それよか・・・」
 そう言って、調達員は親指を立てては後ろを指す。
 「引き取ってもらいたい“もん”があるんだけどよ。」
 「ちょっと、“もん”とは何よ!?“もん”とは!!」
 間髪入れず飛んできたその声に首を竦めながら、調達員は少女に“彼女”を見せる。
 訝しげに細まる、少女の目。
 「・・・どちら様ですか?」
 「ちょいとそこらで拾ってきたんだけどよ。どうも氷結界(あんたら)に用があるらしいのよ。そら、あんたもこっち来て挨拶しな。」
 そう言われた本人は「人を猫の子みたいに言うな」とかブツブツ言いながら、それでも素直に荷台から降りる。そして、ローブの端を摘んで優雅にお辞儀。
 「エリア。水霊使いよ、よろしく。」
 すると、後をついて荷台から降りてきたギゴバイトもそれに倣ってお辞儀をする。
 『ギゴバイトの『ギゴ』です。どうぞよしなに。』
 そんな彼女達に向かって、少女もお辞儀をし返す。
 「・・・『氷結界の風水師』です。」
 そう名乗って、頭を起こす。
 氷結界。
 その言葉に、エリアがピクリと身を震わせるが気づく者はいない。
 「何よそれ。名前じゃないじゃない。ちゃんと名乗りなさいよ。ちゃんと。」
 「名とは魂と同義です。何処の誰とも知れない者に、容易く教える訳にはいけません。」
 凛とした声で突っぱねる。
 エリアの顔が、微かに強張る。
 少し、癇に触ったらしい。 
 「・・・で、エリアさんは氷結界(こちら)にはどの様な用向きで?」
 しかし、そんな彼女に構うことなく、風水師は問うてくる。
 その目には、エリア達を探る色がありありと浮かんでいる。
 「・・・別に。ちょっと、学校の宿題で“ドラゴン”の観察にね。」
 用意していた様な答えを返すエリア。
 しかし、それが風水師の警戒感を呼び起こした。
 「観察?”あれ”をですか?」
 ハハッと笑い声を漏らす風水師。
 「”あれ”をそこらの野良竜と勘違いしていませんか?ドラゴン・ウォッチングなら、他の場所をお勧めしますよ。」
 ピクリ
 あからさまな嘲りの混じった声音に、エリアの眉根が動く。
 「どういたしまして。けど、生憎こっちには縁があってね。並のドラゴンなんて見慣れてんのよ。余計な心配してないで、さっさと案内してくれない?」
 これでもかと言うくらい、居丈高な調子で迫る。
 ムカッ
 今度は、風水師の頬がヒクリと揺れる。
 「・・・困るんですよ。ただでさえ持て余してるのに、餌をくれてやって余計な滋養をつけさせる様な真似をされては。」
 声に混じる不愉快さを隠す事なく、言い放つ。
 「あら、餌って何の事かしら?」
 「私の目の前にいるものです。」
 平然と言い放つ。
 しかし、間を置く事なくエリアが返す。
 「あ〜。そうかもね〜。あたし、肉付き(スタイル)良いし、美味しくいただかれちゃうかも〜。」
 そして、ほら見ろと言わんばかりにシャナリとポーズを取る。
 長い髪がしなやかな曲線の上を滑り、シャラリと軽やかな音で鳴いた。
 「氷龍(あいつら)、いつもあんたみたいな貧相なのばっか食べてんでしょう?」
 言いながら、ポンポンと風水師の胸を叩く。
 「トリガラばっかじゃ、フラストレーションも貯まるわよね〜。」
 「んな・・・!!」
 思わず胸を押さえて飛びずさる風水師。
 プルプルと震える顔は真っ赤に染まり、その目には涙まで浮いている。
 「あらぁ〜?ひょっとして気にしてた〜?ごめんねぇ。あたし、正直だからぁ〜。」
 勝ち誇った様にケラケラと笑うエリア。
 風水師の顔が、今度は別な意味で赤くなる。
 「無礼な!!」
 ジャッ
 その手が素早く腰に回り、何かを引き抜く。
 そこに握られていたのは、数本の小さな刃物。
 形状から察するに、相手に投げつけて殺傷するものだろう。
 極東の辺りで使われる、苦無という武器に近いかもしれない。
 「あら。やる気?」
 驚きもせず、杖を構えるエリア。
 それに向かって、風水師が苦無を振りかぶる。
 「己の言動、あの世で後悔しなさい!!」
 「どっちが!!」
 『ちょ、ちょっと!!エリア!!』
 ギゴバイトが慌てて制止するが、二人の耳には届かない。
 エリアの杖が水流を纏い、風水師の苦無が放たれようとしたその時―
 ポーン
 何かが、二人の間に放り込まれた。
 途端―
 ボゥン
 丸い玉の様なものが弾け、そこから大量の煙が吹き出した。 
 「わぷっ!?」
 「な、何よ!!これ!?」
 目にしみる煙。二人はたまらずむせこむ。
 『『盗人の煙玉』・・・。』
 ポカンとしながら呟くギゴバイト。 
 「あ〜あ、大切な護身用(虎の子)を使っちまったぜ。」
 後方から響く、そんな声。
 荷台に背もたれた調達員が、呆れ顔でこちらを見ていた。
 その顔に焦りの色はなく、呑気にパイプなど燻らせている。
 「な、何するんですか!?」
 「ちょっと、おっさん!!これキツイって!!」
 「ちったぁ、頭冷えたかぁ?」
 涙目で咳き込む少女二人に向かって、調達員はのんびりした調子で言う。
 「風水師の姉ちゃんよぉ。こんな場にいて気が立つのは分かるが、もう少し鷹揚に行きな。短気は戦場(ここ)じゃ命取りになんぜ。上方のじいさん達にも、言われてんだろ?」
 「う・・・。」
 言葉に詰まる風水師。
 「あんたもあんただぜ、嬢ちゃん。」
 自分に振られた言葉に、ジト目で返すエリア。
 「何か知らねぇが、意味のねぇ喧嘩腰は止めな。ここは氷結界(そいつら)の地なんだ。それに噛み付いてたら、とてもじゃねえがやっていけねえぞ。」
 「・・・・・・。」
 「それでも文句があるってんなら、荷台に縛り付けて持って帰るけどな。」
 不満げに黙りこくるエリア。
 しかし、やがて涙に濡れた目をグイッと拭うと、目の前の風水師に頭を下げた。
 「・・・悪かったわ。ごめん。」
 そんな彼女に対して、風水師は憮然とした顔を崩さない。
 「そんな顔しなさんな。些か性格に難はあるが、そう悪ぃ連中じゃあねえよ。」
 調達員が、プカリプカリと煙を吐きながら助け舟を入れる。
 「どうだい?俺の顔を立てて、預かってやってくんねぇか?」
 しばしの間。
 そして、風水師がボソリと呟いた。
 「・・・身の安全は、保証出来ませんよ。」
 「そいつぁ、重々承知の上みたいだぜ。」
 頷くエリア達を見て、調達員はニカリと笑った。


 「じゃ、せいぜい仲良くやれよ。」
 持って来た物資を下ろし、軽くなった荷台を担ぎながら調達員は少女達に言う。
 「・・・ご希望に添えるかは、難しい所ですが。」
 「まぁ、せいぜい殺し合いにはならない様にするわ。」
 一定の距離を保って立った二人が、口々にそんな台詞を口にする。
 調達員は苦笑しながら、傍らに立つギゴバイトに囁く。
 「・・・まぁ、大変だろうが、頑張れや。」
 『はい・・・。』
 多少ならずの疲労が浮かぶ顔で、弱々しく頷くギゴバイトなのだった。
 「じゃあな。」
 そう言って、調達員は洞窟の出口に向かう。
 「お気を付けて。」
 『色々と、ありがとうございました。』
 「死なないようにね。」
 「おーぅ。お前らもせいぜい気をつけな。」
 皆の声にそう答えながら、彼は氷結界を後にする。
 湖のほとりを、カラコロと進む空の大八車。行きが賑やかだった分、静けさが妙に身にしみる。
 調達員は、ふと後ろを振り返った。
 「何企んでるか知らねぇが、無茶するんじゃねえぞ。嬢ちゃん・・・。」
 誰ともなくそう呟くと、またカラコロと歩を進め出す。
 クォオオオオオオオオン・・・
 その後を追う様に、またトリシューラの咆哮が響き渡る。
 けれど、もう振り返る事はない。
 程なく、その姿は地平線の果てへと消えていった。


              ―2―


 「・・・・・・。」
 「・・・・・・。」
 調達員が去った後。
 氷の洞窟に残された、少女二人。
 二人共、互いに目を逸らしたまま一言も口をきかない。
 辺りに漂う、気まずい沈黙。
 ただでさえ冷たい空気が、なおさら冷える。
 『・・・あ、あのさ・・・。そろそろ何かしら動かない?何ていうかその、ただ突っ立ってるとボク、寒くて冬眠しそうなんだけど・・・。』
 沈黙に耐えかねたギゴバイトが、おずおずと口を開く。
 途端―
 ギロリ
 猛禽の様な視線が二人分、彼に向けられる。
 『ヒィイイ!!』
 思わずすくみ上がる、ギゴバイト。
 しかし、エリアはすぐにその視線を外すと言った。
 「そうね。こんな所でジッとしてても、寒さでお肌が痛むだけだわ。」
 そして、クルリと隣で突っ立っている風水師に向き直る。
 「さ、案内してちょうだい。」
 涼やかな声が、冷ややかに言い放つ。
 「氷結界(貴女達)の、“罪”のもとへ。」
 ヒュンッ
 瞬間、彼女の喉元に突きつけられる苦無の切っ先。
 『エリア!!』
 思わず悲鳴を上げるギゴバイト。
 その目に剣呑な光を宿した風水師が、低い声で言う。
 「口に気をつけてください・・・。」
 氷の様に輝く刃が、ツツ・・・白い肌を滑る。
 「今度氷結界(我ら)を侮蔑する様な言を吐けば、その首かき切ります。」
 満ちる殺気を、隠しもしない。
 けれど、エリアは腰に手を当てたまま身動ぎもしない。
 ただその目を細め、風水師を見下すだけ。
 「はいはい。分かったからさっさと動きましょ。ギゴじゃないけど、このままじゃ本当に冬眠ものだわ。」
 あくまで平然とした態度。
 いくら威嚇しても、糠に釘と悟ったのだろう。 
 風水師は忌々しげに刃を引くと、クルリと踵を返した。
 「来なさい。」
 そのままカツカツと、洞窟の奥へと歩を進め始める。
 「先にも言いましたが、身の保証はしませんよ。こちらにも、そんな余裕はありませんから。」
 「耳タコね。聞き飽きた。」
 そっけなく返して、エリアも歩き出す。
 『ま、待ってよぉ!!』
 慌てて後を追うギゴバイト。
 カツカツと響く足音を残し、三人の姿は洞窟の奥へと消えていった。
 
 
 ズズゥ・・・ン
 狭い空間の中に、鈍い音が響き渡る。
 オオオオオオオオッ
 それに被さる様に聞こえる、大勢の人の声。
 『・・・あれは、戦士団?』
 「みたいね。」
 不安げに辺りを見回すギゴバイトに、エリアは素っ気ない態度で返す。
 「近隣諸国の連合軍です。かの龍達を封じるため、氷結界(我ら)の大義のために助力してくださっているのです。」
 そう言う風水師に、エリアはふんと鼻を鳴らす。
 「助力?尻拭いの間違いじゃないの?」
 その言葉に、鋭い眼差しを向ける風水師。
 手の中の苦無が、冷たい光を放つ。
 「・・・二度目はないと、言った筈ですよ・・・。」
 『エ、エリア!!』
 慌ててギゴバイトが間に入る。
 けれど、エリアの口は止まらない。
 「はん。カビの生えたパン屑を、極上のブリオッシュって言ったって本質は変わらないわよ。“大義”だってさ。自分達がやらかした大ヘマのクセに、よくそんな良い様に言えるわよね。」
 「・・・貴様・・・!!」
 憤怒の形相で得物を構える風水師に向かって、エリアは言う。
 「あんた、一族の悪口にやたら反応するわよね。」
 「え・・・?」
 風水師の動きが、ピタリと止まる。
 その様を見たエリアが、その目を細める。
 「ホントは分かってんじゃないの?」
 言いながら、詰め寄る。
 「氷結界(あんた達)が犯した罪の意味を・・・。」
 「・・・!!」
 真っ直ぐに突き刺さる、エリアの視線。
 それに気押される様に、風水師が後ずさる。 
 追う様に迫るエリア。
 「氷結界(あんた達)が、あの時何をしたかを・・・。」
 「貴女・・・一体・・・?」
 風水師が、怯えを孕んだ声で問うたその瞬間―
 キシャアアアアアアッ
 突然、天地をつんざく様な咆哮が響き渡った。
 洞窟の外で放たれたのであろうそれは、しかし耳元で響いたかの様に皆の鼓膜を揺らした。
 『な・・・何!?今の・・・』
 ギゴバイトが、耳を押さえながら宙を仰ぐ。
 途端、
 グワシャアアアアアアッ
 轟音とともに洞窟の壁が砕け、何かが転がり込んできた。
 『な・・・何事!?』
 「ガ・・・グゥ・・・」
 驚くギゴバイトの前で、転がり込んできた”それ”が呻きながら身を起こす。
 それは鎧を纏い、猛々しい鬣を振り乱した獣人。
 両腕に装備された手甲からは、長く鋭い鉤爪が伸びている。
 「エアベルンさん!?大丈夫ですか!!」
 風水師が慌てた様子で駆け寄り、声をかける。
 「ガゥ・・・。大丈夫。大事、ナイ。」
 エアベルンと呼ばれた獣人の男は、頭を振りながらそう答える。
 『だ・・・誰?』
 「・・・戦士団の一員みたいね。『X−セイバー』とか言ったかしら・・・。」
 ギゴバイトの問いに、サラリと答えるエリア。 
 『何で、あんな勢いで飛び込んできて平気なの?』
 「頑丈なんでしょ?伊達や酔狂で精鋭に選ばれた訳じゃないだろうし。」
 あくまで淡々とした調子を崩さない彼女。ギゴバイトが、不安げな視線を向ける。
 「何よ?」
 『エリア・・・。君、大丈夫?』
 「何が?」
 『いつもの君じゃない。やっぱり、ここは・・・』
 「ギゴ!!」
 突然、エリアが叫んだ。
 『ご、ごめんなさい!!』
 思わず、首を竦める。
 しかし― 
 「ボサッとしないで!!」
 『!?』
 訳が分からず狼狽するギゴバイト。そんな彼を、抱きしめて飛び退くエリア。
 途端―
 ゴシャアアアアアッ
 轟音と共に、洞窟の天井が崩れ落ちてきた。
 「キャアアアアアッ!!」
 「グォアアアアッ!!」
 『ワァアアアアアッ!!』
 皆の悲鳴が響く中、エリアだけはしかと目を開きそこを見る。
 もうもうと立ち込める土煙。
 その向こうに、蠢く巨大な影。
 フシュー・・・
 低い呼吸音が、大気を震わせる。
 肌を刺す様な冷気が満ちて、土煙を吹き払う。
 その先に現れたのは、巨大な雪の結晶。
 否。
 それは、雪晶の様に六本の角に飾られた顔。
 その中心には爛々と輝く双眼と、鋭い牙が軋む裂けた口。
 連なる身体は巨蛇の様に長く伸び、氷色(ひいろ)に輝く鱗に覆われている。
 背から伸びる翼は空を覆わん程に大きく、羽ばたく度に冷たい氷霧を散らした。
 見る者全ての本能を萎縮させるであろう威容。
 見上げるエリアが、囁く様に呟く。 
 「・・・『ブリューナク』・・・。」
 その声が届いたのだろうか。伝説の神槍の名を冠した氷龍は、ゆっくりと己が視線を落とす。
 昏い金色を湛える瞳。
 そこに映る自分の姿を、エリアは真っ直ぐに見つめた。
 

 「ブ、ブリューナク!!何故、こんな所に!?」
 その姿を見とめた風水師が叫ぶ。
 「スマナイ。防衛線、破ラレタ・・・。」
 エアベルンの言葉に、青ざめる風水師。
 「そんな・・・!!今まで抑えられていたのに、何故・・・!?」
 「今日ノコイツラ、何カオカシイ・・・。妙ニ、猛ッテイル。」
 両手の刃を構えながら、エアベルンは言う。
 「と、とにかく、ここで止めなければ!!外界に出られては大変な事に・・・!!」
 風水師が、懐から何かを取り出す。氷色(ひいろ)に輝く、八角形の鏡。
 フシュウウウウウ・・・ 
 それを見咎める様に、ブリューナクがゆっくりと口を開く。
 幾重にも並んだ牙列の奥が、青白い光を放ったと思われた瞬間―
 ゴブゥアアアアアアアッ
 その口から猛烈な氷風が吹き出した。
 「くっ!!」
 迫る氷雪の嵐に向けて、風水師が手にした鏡を突き付ける。
 「禁!!」
 光る鏡。
 途端、氷嵐がグニャリと軌道を変える。
 ズガァアアアアアアン
 曲がった氷嵐が、皆の脇の岩場へと当たる。
 氷の嵐に抉られた地肌は一瞬で砕け、凍りついた。
 『何て破壊力・・・。』
 呆然とするギゴバイト。その耳に、つんざく様な雄叫びが突き刺さる。
 「ウゥラァアアアアアアアッ!!」
 叫びと共に飛び上がったエアベルンが、その爪を振りかざしてブリューナクに襲いかかった。
 閃く剣閃。
 Xの軌跡を描いた刃が、次を放とうと開いていたブリューナクの口を払う。
 バシュウッ
 今まさに噴き出そうとしていた氷嵐が切り裂かれ、霧散する。
 「えあべるん、皆ノ仇!!討ツ!!」
 流れる様に繰り出される、次の一閃。
 ガキィッ
 硬いもの同士がぶつかり合う音が響き、ブリューナクの頭が微かに傾いだ。
 『この人達・・・強い・・・。』
 「そりゃそうよ。ロクな切り札も無しに氷龍(あいつら)と渡り合ってるのよ。折り紙つきに決まってるじゃない。」
 呆然と呟くギゴバイトを腕に抱いたまま、エリアが言う。
 『この人達みたいのが、沢山いるの?だったら、氷龍(アレ)も倒せるんじゃ・・・』
 些か高揚しながら言うギゴバイト。
 しかし、エリアは冷めた声でそれを否定する。
 「無理ね。」
 『ど、どうして?』
 「忘れたの?彼らはこの数十年間、氷龍(あいつら)をこの地に押さえ込むだけで精一杯だったのよ。」
 『あ・・・』
 「こんな程度で倒せるほど、安くないのよ。氷龍(あいつら)は・・・」
 エリアが言い終わるや否や―
 グガァアアアアアンッ
 「グゥアアアアアアアッ!!」
 衝撃音と共に上がる絶叫。
 見れば、ブリューナクの巨大な前足がエアベルンを掴み、岩壁に叩きつけていた。
 「グ・・・ゥ・・・」
 エアベルンの手が動き、爪剣をブリューナクの前足に叩きつける。
 しかし、強靭な鱗に覆われたそれには傷一つつかない。
 「ミ、皆・・・スマナイ・・・。」
 ガクリと崩れ落ちるエアベルン。
 「エ、エアベルンさん!?」
 悲鳴の様な声を上げる風水師。
 それが、隙になる。
 パァ・・・
 青白い光が、彼女を照らす。
 「!?」
 気づいた時には、すでに遅い。
 ゴゥンッ
 「キャアアアアアッ!?」
 氷雪を纏った爆発が、風水師を吹き飛ばす。
 小柄な身体が宙を舞い、硬い氷土の上で跳ねる。
 「あ・・・ぐぅ・・・。」
 地べたに転がる風水師。
 強い衝撃に全身を貫かれ、身動きが取れない。
 フシュルルルルル・・・
 抵抗する者がいなくなったのを見て取ったブリューナクは、低く唸りながらゆっくりとその首を巡らせる。
 外へ出る気だと、直感する。
 「だ・・・駄目・・・!!」
 霞む視界の中、すがる様に手を伸ばす。
 「行かせない・・・。行かせる訳にはいかない・・・。」
 震える指が、掻き毟る様に宙を掴む。
 「あなたは・・・。あなた達は・・・私の・・・氷結界(私たち)の、罪・・・。これ以上・・・これ以上は・・・!!」
 必死の叫び。
 しかし、災厄の氷龍は歯牙にもかけない。
 その翼が、ゆっくりと広がる。
 「お願い・・・。行かないで・・・!!」
 涙を浮かべ、懇願する。
 嘲笑うかの様に、天を仰ぐブリューナク。
 そして―
 ピタリ
 今にも飛び立たんとしていた氷龍。
 その動きが、止まった。
 「・・・え・・・?」
 当惑する風水師。
 ともすれば、闇に落ちそうになる意識を必死につなぎ止める。
 その目の前で、ブリューナクが戸惑う様にこちらを見ていた。
 否。
 見ているのは、自分ではない。
 かの龍が見ているもの。それは―
 「何よ。やっぱり、分かってるんじゃない。」
 澄んだ声が、半壊した洞窟に響く。
 視界の中で、涼やかに流れる水色の髪。
 エリアが、立っていた。
 その身に、淡く光る羽衣を纏い。
 傍らには、筋骨隆々とした一匹のモンスターを従え。
 まるで、彼女達を守るかの様に。
 凛とした姿で。
 エリアは、立っていた。
 フシュウゥウウウウッ
 ブリューナクが、威嚇する様に呼気を吹く。
 吹き付ける冷気に、長い髪が舞う。
 けれど、水の少女の身体は揺るがない。
 しかと立ったまま、右手をブリューナクに向かってかざす。
 キラリ
 かざした手の中で、何かが光った。
 「かが・・・み・・・?」
 それを見た風水師が呟く。
 「戻りなさい。」
 静かな声で、エリアが告げる。
 彼女の言葉に呼応するかの様に、手の中の鏡が輝きを増す。
 ギォルルルルル・・・
 その輝きに照らされたブリューナクが、いやいやをする様に身をよじる。
 「戻りなさい。ここから先は、お前達の世界ではないわ。」
 ルゥルルルルルル・・・
 「戻りなさい!!」
 叱りつける様に、声を張り上げる。
 グゥル・・・
 ついに、ブリューナクが首を逸らした。
 ズズズズズ・・・
 低い地鳴りと共に、動く巨体。
 光から逃げる様に、渓谷の奥へと戻っていく。
 ズズ・・・
 やがて、その姿は皆の視界の届かぬ場へと消えて行った。


 「ふう・・・。」
 ブリューナクの姿が渓谷の奥に消えたのを確認すると、エリアは息をついて手を下ろした。
 『大丈夫か?エリア。』
 傍らに控えていたモンスターが、労わる様に声をかける。
 「平気よ。どうって事なかったわ。もっとも、アイツの鼻息で髪が傷んじゃったのは腹が立つけど。」
 そう言いながら髪についた氷片を払い落とすと、エリアはニコリと笑って見せた。
 「そんな・・・そんな馬鹿な・・・!!」
 背後から聞こえてきた声に、エリアとモンスターが振り返る。
 見れば、岩壁にもたれかかった風水師が荒い息を付きながらこちらを凝視していた。
 「・・・貴女は・・・貴女は一体・・・」
 と、その視線がエリアの右手へと落ちる。
 「・・・!!」
 その顔が、驚愕に凍った。
 エリアの手の中にあった物。
 それは、縁に三つ頭の龍を飾った一枚の鏡。
 「・・・氷結界の・・・鏡・・・!?」
 戦慄く口が、“それ”の名を紡ぐ。 
 「馬鹿な・・・。それは・・・90年前の混乱の時に失われた筈・・・!!」
 動かない身に力を込め、身を乗り出す。
 「何故、何故貴女が!!」
 手を伸ばし、掴みかかろうとしたその瞬間― 
 ピッ
 眼前に突きつけられる、指。
 そして―
 「―鳥乙女の歌声 人魚の囁き 荒びし世界に帳を落とし 猛し者らに安なる眠りを―」
 詠唱される呪文。目の前に展開する、緑色の魔法陣。
 「―『催眠術(ヒュプノス・シンドローム)』―」
 結ばれる言葉。
 そして、世界は闇に落ちる―


 トサッ
 眠り込んだ風水師を、たくましい腕が床に横たえる。
 『エリア、そっちはどうだ?』
 静かに手を離しながら、緑色のモンスター―『ガガギゴ』が尋ねる。
 「大丈夫。生きてるわ。ホント、頑丈ね。」
 言いながら、エリアは気絶しているエアベルンの口に『ブルーポーション』を注ぎ込んでいた。
 「これでよし・・・っと。」
 エアベルンの喉が液体を飲み下すのを見届けると、エリアはう〜んと背を伸ばした。
 「あ〜、やれやれ。やっと静かになったわ。」
 そんな彼女に歩み寄りながら、ガガギゴが問う。
 『やはり、氷結界(この娘達)に返す訳にはいかないのか?『氷結界の鏡(それ)。』
 「返すも何も、もともとあたしんちの家宝なんだってば。」
 言いながら、手の中の鏡を見せるエリア。
 「大体、これ手放しちゃったら宿題どうすんのよ。“宿題”。手ぶらで氷龍(あいつら)をのすなんて、流石のあたしでも出来っこないわよ。」
 『宿題・・・か。』
 その言葉を聞いたガガギゴが、眉をひそめる。
 「何よ?」
 『本当に、“宿題”が目的か?』
 「!!」
 エリアの顔が、微かに強張る。
 『宿題の条件は、“自分と同属性のドラゴン”だろ。それなら、何も『氷結界の龍』なんて厄介なモノに手を出さなくたっていい。もっと易い相手が、他にもいる。』
 「・・・・・・。」
 『本当は、別の目的があるんじゃないのか?』
 「・・・・・・。」
 エリアは何も言わない。
 気まずい沈黙だけが、辺りに流れる。
 と、
 ガヤガヤ・・・ガヤガヤ・・・
 洞窟の奥から、大勢の人間の気配が近づいてきた。
 「いたか?」、「そっちを探せ」などと言った話し声も聞こえてくる。
 「やっば。他の連中が来たわ。行くわよ。“ギゴ”!!」
 これ幸いと走り出すエリア。
 『あ、お、おい!!エリア!!』
 「早く来なさい!!見つかると面倒よ!!」
 ガガギゴの追求をかわしながら、脇の小道に走り込んでいく。
 『全く・・・。』
 溜息を一つつくと、ガガギゴはその後を追った。


 コツ・・・コツ・・・コツ・・・
 昏い氷洞に、硬い足音が響き渡る。
 ヒュウ・・・
 か細い呼吸音と共に、白い吐息が宙に舞う。
 氷霧の様に濃いそれは、薄闇の中でも妙にはっきりと見えた。
 「・・・ここまで来れば、大丈夫そうね。」
 立ち止まり、後ろを振り返ったエリアが、両手に息を吹きかけながらそう言った。
 『そうだな。追ってくる足音もしないし・・・』
 エリアの後ろを守る様についてきていたガガギゴも、同意の言葉を口にして立ち止まる。
 『・・・で、これからどうする気だ?エリア。』
 「・・・“あいつ”の所に行くわ・・・。」
 『“あいつ”・・・?“あいつ”って・・・まさか!?』
 「『トリシューラ』よ。」
 主が口にしたその名に、今度こそガガギゴの顔が強張る。
 『馬鹿な!!三龍の中でも最凶と呼ばれるヤツじゃないか!!そんな奴の所に行くなんて、どうかしてる!!』
 相方の言葉に、しかしエリアはフフンと笑ってみせる。
 「だからよ。」
 『・・・え?』
 クルリ
 向こうを向いていたエリアが、ターンする様にこちらを向いた。
 その顔には、不敵な笑みが浮いている。
 「伝説の凶龍!!最凶の破壊者!!こんなに素敵な響きが他にある?」
 涼やかな声で、叫ぶ様にエリアは言う。
 「トリシューラ(あいつ)の姿を知ってる?綺麗なのよ!!本当に、本当に綺麗なの!!書物に描かれた絵でさえそうなのよ!!本物は、もっと綺麗に決まってるわ!!」
 熱に浮かされた様にまくし立てる主人を、ガガギゴは黙って見つめる。
 「ずっと思ってたわ!!他の雑魚なんていらない!!あたしは、“あいつ”が欲しいの!!あの力が、美しさが欲しいの!!“あいつ”こそ、あたしの下僕にふさわしい!!」
 『・・・エリア・・・。』
 「焦がれてた!!想ってた!!ずっと、ずっと!!“あいつ”はあたしのもの!!あたしのものになるの!!そうすれば・・・」
 『エリア!!』
 ガガギゴが、怒鳴る様に叫んだ。
 その怒声に、エリアはビクリと竦み上がる。
 その口が閉じたのを確認すると、ガガギゴはゆっくりと彼女に近づいて行く。
 『それも、“嘘”だろう?』
 近づきながら、言う。
 『君は、そんな“力”に魅せられる様な娘じゃない。』
 たくましい腕が上がり、大きな手がエリアの頬に当てられる。
 『どんな嘘や強がりを言ったっていい。それが、君が君であるために必要ならば。けど・・・』
 自分の顔を、エリアの顔へと近づける。
 蒼い瞳の中に、己の姿が見える。
 『僕の前でだけはやめてくれ。君のどんな事だって、僕は受け止める。受け止めて見せる。だから、僕の前でだけは本当の君でいてくれ。』
 「・・・・・・。」
 沈黙したまま、”彼”を見つめるエリア。
 やがてその手がおずおずと上がり、自分の頬を包む手に重ねられる。
 「トリシューラ(あいつ)は、氷龍達の王・・・。」
 か細い声が、ポツポツと語り始める。
 「他の二頭は、あいつの凶気に呼応しているだけ・・・。あいつを使役して鎮めれば、やつらも大人しくなる筈・・・。この地の混乱も、収まるわ・・・。」
 『それを、君がやる気かい・・・?』
 かけられた問いに、エリアは小さく頷く。
 『どうして君が、やらなきゃならない?』
 「それは・・・。」
 『エリア(君)の罪じゃない。』
 「・・・・・・。」
 『それは、君が負うべき罪じゃない。過去の罪は、過去の者達が負うべきもの。』
 「・・・・・・。」
 『過去の血なんかに縛られちゃいけない。君は、今に生きるべきだ。』
 ガガギゴの、金色の瞳が見つめる。
 それから微かに視線を外すと、エリアは呟く様に言った。
 「それでも、あたしは・・・」
 『・・・・・・。』
 しばしの沈黙。
 やがて、ガガギゴはハァと溜息をつく。
 『全く、困ったお姫様だなぁ・・・。』
 「ギゴ・・・。」
 不安気な眼差しを向けるエリア。
 それに対して、ガガギゴはニコリと微笑みを浮かべる。
 『付き合うよ。それが君の望みなら。』
 「いいの・・・?」
 『言ったろ?どんな事でも受け止めるって。』
 エリアの顔が、華の様にほころぶ。
 それを愛しげに見つめながら、ガガギゴは言う。
 『さぁ、行こう。宿題の期限まで、間がないよ。』
 「・・・うん。」
 頷くエリア。
 頬を包んでいた手が、ソっと離れる。
 その跡を、エリアは名残惜しげに撫でる。
 まるで、そこがほんのりと染まっている事を隠すかの様に。
 「来てくれる?」
 水の姫が聞く。
 『何処までも。』
 答えるは、異形の騎士。
 二人は頷き合い、洞窟の奥へと消えていった。

                  
             ―3―


 ギシャアアアアアアアッ
 天を裂く様な咆哮が響き渡る。
 其を上げるのは、一頭の巨大な龍。
 太い首に連なる頭は禍々しい眼光を灯し、巨木の様な四肢は踏み出す度に地割れの如き爪痕を残す。
 巨体を覆うは氷色(ひいろ)の甲殻。
 巨翼を形どるは輝く氷膜(ひまく)。
 その内側には七色の光が揺らめき、辺りをオーロラの様に照らし出す。
 世への災意を形にした様な威容と、神をも魅了する様な極彩の輝き。
 相反する存在を身に収め、その氷龍は雄叫びを上げる。
 『・・・あれが・・・』
 「ええ。第二の龍、『グングニール』よ。」
 龍の頭より高い位置にある岩壁。そこに開いた氷洞の口から、エリアとガガギゴはその“戦場”を見下ろしていた。
 そう。そこはまさに戦場だった。
 七色の光を散らしながら猛るグングニール。
 その周りを、多数の人影が囲んでいる。
 出で立ちを見る所、彼らが周辺の国々から選りすぐられた戦士達だろう。
 彼らは吹き付けられる氷嵐や襲いかかる爪を掻い潜り、矢や投石で応戦する。
 それらが氷の殻に当たる甲高い音が、谷全体に響き渡る。
 閃く緑や赤の光は、魔法攻撃だろうか。
 時折弾ける、小さな爆発。
 絶え間なく続く攻撃。
 しかし、それもかの龍には幾ばくの疼痛も与えられないらしい。
 グングニールは消耗の兆しなど微塵も見せず、ただ煩わしげに唸りを上げる。
 ピシッ ピシシッ 
 その巨体の表面を、光が走ったと思われた瞬間、
 ズバァッ
 七色の光が四方八方に降り注いだ。
 ズガァアアアアアンッ
 途端、巻き起こる無数の爆発。
 谷が崩壊するのではないかと思われる揺らぎの中、多数の人影が爆炎や崩れた瓦礫に呑まれて行く。
 「――っ!!」
 思わず懐に手を入れるエリア。
 しかし、その手をガガギゴが抑える。
 「ギゴ!?」 
 『落ち着け!!エリア!!』
 「でも・・・!!」
 『でもじゃない!!その鏡、力に限りがあるだろ!?』
 「!!」
 その指摘に、エリアの動きが止まる。
 「どうして・・・」
 『さっきブリューナクを退けた時から、感じる力が減ってる。分からないとでも思ったのか!?』
 「う・・・。」
 答えに詰まるエリア。
 ガガギゴは、諭す様に言う。
 『君の相手はグングニール(あいつ)じゃない。もっと、厄介で危険な奴だ。その時のために、手札を減らしちゃいけない。辛いだろうけど、ここは耐えろ!!』
 「・・・く・・・!!」
 苦しげに唇を噛むエリア。
 その心の痛みは、使い魔であるガガギゴにも伝わる。
 それを少しでも和らげようと、震える肩に手を伸ばす。
 しかし―
 「あ!!」
 急にそう叫んだかと思うと、エリアが身を乗り出した。
 瞬間―
 ズバァッ
 立ち込めていた土煙を切り裂き、一つの人影が躍り出る。
 全身を重層な鎧で包んだ戦士。真紅のマントがひるがえり、胸に刻まれたXの刻印が煌く。
 戦士は一瞬でグングニールに肉薄すると、手にした双刃の剣を一閃する。
 ズガァアアアアアッ
 強烈な斬撃が炸裂し、グングニールの動きが一瞬止まる。
 ビュッ
 ビュンッ
 その隙をつく様に、幾つもの影が土煙の中から飛び出してくる。
 短剣。連鎖刃。大鎌。手にした武器は異なれど、皆一様に真紅のマントを羽織り、その身にはXの紋章が刻まれている。
 ヒュヒュンッ
 ガスッ ガススッ
 幾重にも閃く剣閃。
 叩きつけられる斬撃。
 削り散る氷の殻。
 決め手にこそならないものの、彼らの攻撃は確実にグングニールに届いていた。
 ジリ・・・
 ほんの一歩。
 だが確かに、グングニールが後ずさる。
 その様に、英気を煽られたのだろう。
 浮き足立っていた他の兵達も、体制を立て直す。
 再び始まる一斉攻撃。
 弾ける弓矢。
 轟く轟音。
 卑小な筈の者達の、力。
 それに押され、グングニールは怒りと苛立ちの咆哮を上げた。
 「X−セイバーの、本隊・・・。」
 次第を見ていたエリアが、呟く様に言う。
 『セイバー(救世主)の称号は、伊達じゃないな・・・。』
 同様に見ていたガガギゴも、感嘆の言葉を漏らす。
 『行こう。エリア。ここは彼らに任せておけば、大丈夫だ。』
 佇む姫の肩に手を置き、そう告げる。
 エリアは無言のまま頷くと、踵を返して走り出す。
 すかさず後を追うガガギゴ。
 身体が交差する瞬間、彼女が小さく「頑張って。」と呟いた事を、彼は聞き逃してはいなかった。


 それから、どれほど進んだだろう。
 いつしか、あれほど響いていた龍の咆哮も、戦士達の時の声も聞こえなくなっていた。
 シンと静まり返った氷洞の中に、二人の足音ばかりが響き渡る。
 『まるで迷路だな・・・。』
 周囲を見回しながらガガギゴが言うが、エリアの足は止まらない。。
 「大丈夫。道は分かるわ。」 
 『何故?』
 その問いに、エリアは懐から『氷結界の鏡』を取り出す。
 「これが、教えてくれてる。」
 見れば、磨かれた鏡面が淡い光を放っている。
 「一族の記憶が、導いてくれるわ。」
 そう言って、再び歩き出すエリア
 その眼差しが自分とは違うものを見ている様に思え、ガガギゴは微かな不安を覚えた。


 それから、もうしばしの事。
 道は、唐突に開けた。
 ずっと続いていた氷洞が途切れ、広い空間が広がった。
 見上げる天井は高く、氷柱とも鍾乳石ともつかないものが無数にぶら下がっている。
 あちこちに張り出した氷岩は、ヒカリゴケの類でも付着しているのだろうか。それ自体が淡く光り、昏い空間をほの明るく照らし出していた。
 『・・・ここが、トリシューラの巣か?』
 「・・・違う。ここにトリシューラ(あいつ)はいない。」
 鏡を見ながら、エリアが言う。
 『そうか・・・。けど・・・』
 「・・・ええ・・・。」
 『“何か”、居るな・・・。』
 二人が顔を合わせ、頷き合った瞬間―
 『・・・懐かしいな・・・。』
 厳かな声が、頭上から降りかかった。
 「『!!』」
 思わず振り仰ぐと、岩の上に横たわる大きな影が目に入った。
 青白く輝く剛毛。
 身を包む鎧。
 それらを彩る、氷の装飾。 
 大きな口からは猛々しい牙が覗き、青い双眸が物憂げにエリア達を見つめている。
 ―虎―
 そう。それは、全身を氷の色に飾った一頭の虎だった。
 『・・・随分と、懐かしいものを連れてきたものだ・・・。』
 再び、“それ”が言葉を発する。
 ひどく、感慨深げな声で。
 『・・・エリア。』
 彼女を守る様に、ガガギゴが前に出る。
 『クク・・・。』
 それを見た氷虎が、愉快そうに喉を鳴らす。
 『そう殺気立つ事はない。別に、獲って喰おうなどとは思っておらぬ。』
 蒼い瞳でエリア達を見下ろしながら、それは言う。
 確かに、その身からは殺気の類は感じられない。
 しかし、ガガギゴが警戒を解く事はない。
 身構えたまま、逆に問う。
 『・・・お前こそ誰だ?戦場(こんな所)で、何をしてる?』
 『・・・・・・。』
 『戦士団の縁(ゆかり)か?それとも氷結界か?』
 その問いに、氷虎の目が妖しく光る。
 『・・・その、いずれかと言ったら?』
 鋭さを増す、ガガギゴの眼差し。
 『・・・どちらも、敵じゃない。だけど、味方でもない。もし、お前がどちらかに通じてると言うのなら・・・』
 ガガギゴの声に、険が込もる。
 しかし、氷虎はその敵意を柳の様に受け流す。
 『若いな・・・。』
 『何?』
 『見た所、己と相手の力差を察せぬ程愚かではなさそうだが?それを知って尚立つは、その娘のためか?』
 『・・・・・・。』
 言いながら、氷虎はクックと笑う。
 『そう怖い顔をするな。その様な想いに触れるは久方ぶりでな。些かからかってみたくなっただけよ。』
 『お前、一体・・・』
 『言うまでもない。我の事は、その娘が知っている様だが?』
 『・・・え?』
 思わず振り返る。
 その視線の先で、エリアが氷虎を凝視していた。
 「ドゥローレン・・・」
 彼女の唇が、小さく呟く。
 「あんた、『氷結界の虎王・ドゥローレン』ね!?」
 『“虎王”か。その名で呼ばれるも久方ぶりだ・・・。』
 そう言うと、氷虎−ドゥローレンは何かを思う様に目を細めた。
 
 
 ズシャッ
 ドゥローレンが、伏していた岩から飛び降りた。
 重い音と共に、太い四肢が地を掴む。
 大きい。
 近くで見ると、小山の様だ。
 流石にかの氷龍達には及ばないが、身にかかるプレッシャーは並ではない。
 その身に宿る力が、並ではない事の証だった。
 「あんた達、先の大戦で滅んだんじゃないの・・・?」
 『確かに。』
 エリアの問いに、ドゥローレンはゆっくりとした口調で答える。
 『我が一族は先の大戦で尽く絶え果てた。残るはこの老いぼれのみ。誠、無様な生き残りよ。』
 クックと笑うドゥローレン。
 その声には、自嘲の色が濃い。 
 「無様・・・?」
 それを聞いたエリアの目が、険しくなる。
 「・・・それなら、何でこんな所にいるのよ?」
 『ふむ?』
 エリアはガガギゴの背後から出ると、ドゥローレンに向かって歩いていく。
 『エリア!!』
 ガガギゴが声をかけるが、彼女は「大丈夫」と手で制する。
 「氷虎(あんた達)は、氷龍達が暴走した時にそれを抑える役目を負っていた筈。それが、何でこんな所で寝腐ってるのよ?」
 詰め寄る様に、エリアはドゥローレンに近づく。
 「今もああして、氷龍(あいつら)は暴れまわってる。それなのに、あんた何してんのよ!!」
 憤りを隠さず、まくし立てるエリア。
 しかし、ドゥローレンはクックと笑うだけ。
 「何がおかしいの!?」
 『歳の割に、詳しい事だ・・・。』
 「え・・・?」
 『その鏡が教えたか?哀れなる血の娘よ。』
 「!!」
 その言葉に、エリアの顔が目に見えて強張る。
 『・・・懐かしい事よ。この地を追われた後、何処を彷徨った?如何に暮らした?』
 「・・・・・・。」
 『どうした?その事は教えられなかったか?伝えられなかったか?やむを得ぬ事か。なにせ、汝の血族にとってこの事は・・・』
 ズガァンッ
 突然、ドゥローレンの背後の氷壁が弾けた。
“それ”がかすめた彼の頬から、青白色の毛が飛び散る。
 しかしドゥローレンは微塵も動じず、ただ物憂げな眼差しを“それ”が飛んできた方向に向ける。
 その視線の先には、怒りに肩をいからせるガガギゴの姿。
 『・・・次は外さない・・・。』
 明確な敵意のこもった声で言う、ガガギゴ。
 放った水撃の残滓がポトポトと落ちる爪をギリリと握り込み、燃える眼差しでドゥローレンを睨みつける。
 「ギゴ・・・。」
 『知った様な事を言えた義理か!?この臆病者!!』
 向けられる言葉に、ドゥローレンは何の反応も見せず、ただ目を細めるだけ。
 そんな彼に向かって、ガガギゴは吠える。
 『恐怖に負けて!!役目を放棄して!!こんな穴ぐらに引き篭っているクセに!!』
 荒ぶる想いを、隠しもしない。
 次の攻撃に備えるように、緑の拳にギリギリと力が込められる。
 『けど、エリアは違う!!エリアは・・・エリアは、顔も知らない先祖の罪を贖うために!!』
 「ギゴ・・・。もういいわ。」
 『エリア、でも!!』
 猛るガガギゴをなだめる様に、エリアは言う。
 「こいつ、全部分かってる・・・。」
 『え・・・?』
 そして、エリアは静かに座しているドゥローレンに問いかける。
 「あんた、わざとね・・・?」
 『・・・・・・。』
 「あたし達を挑発すれば、殺してもらえるとでも思った訳?」
 ドゥローレンは何も言わない。  
 ただ、その蒼い瞳をエリアに向けるだけ。
 「冗談じゃないわ。死にたいなら、勝手に死んでちょうだい。そんなどうでもいい事してる暇、あたし達にはないんだから。」
 そう言って、エリアはクルリと踵を返す。
 「行きましょう。ギゴ。余計な時間食っちゃった。」
 『エリア・・・。』
 「こんな老いぼれ、相手する意味なんてないわ。自分で自分にけじめもつけられない、本当の死にぞこないよ。この世の終わりまで、そうやって一人でしょぼくれてればいい。」
 そのまま、ツカツカと歩き始めるエリア。
 ガガギゴが慌てて後を追おうとしたその時、
 『クックック・・・』
 後ろから響く笑い声。
 振り返ると、ドゥローレンが笑っていた。
 肩を揺らし、酷く愉快そうに。
 『クク・・・。やれやれ、全てお見通しとはな。思いの外賢しいのか。それとも、我の頭が鈍ったか。』
 「両方よ。」
 間髪入れずに、エリアが言う。
 『クク・・・。違いない。』
 笑いながら、ゆっくりと地に腰を落とすドゥローレン。
 『不快な思いをさせてすまなかった。懐かしき血の娘よ。』
 発せられる言葉に込もる、先刻までとは違った響き。
 それを察したエリアが、歩みを止める。
 「謝るなら、最初からしない事ね。」
 『言ってくれるな。下手に霊格を得てしまうと、自死すらもままならん。性も歪むと言うものよ。』
 「あら、そう。伝説の霊獣って言っても大した事ないのね。」
 どこまでも素っ気ないその態度に、苦笑するドゥローレン。
 『故に、汝に討たれてみるも一興かと思ったのだがな。かの血を継ぎし者に討たれてみるのもな。』
 「何よ?それ。」
 エリアが、冷ややかな眼差しを向ける。
 「ひょっとして、”罪滅し”のつもりなんて言わないでしょうね?」
 『気に入らぬか?』
 「全くね。」
 にべもなく、言い捨てる。
 「顔も知らない様なご先祖連中のゴタゴタに、勝手に混ぜ込まないで欲しいわ。あたしには、関係ない事よ。」
 『関係なき事・・・か。』
 その言葉に、ドゥローレンが目を細める。
 『ならば、汝は何故この地に来た?』
 「・・・・・・!!」
 『何故、忌まわしきこの地に来た?其が鏡を持ちて。』
 「それは・・・」
 『”宿題”などと言う戯言なら、聞く耳は持たぬぞ。』
 言葉を先取りされ、エリアはチッと舌打ちをする。
 「本当に性が歪んでるわね。”読める”なら、勝手に自己完結してればいいじゃない。」
 むくれるエリア。
 それを見ていたドゥローレンの顔に、ふと穏やかな色が浮かぶ。
 『・・・懐かしいな。』
 「は?」
 突然の言葉に、当惑するエリア。
 構わずに続ける。
 『その気性。振る舞い。容姿。かの娘によく似ておる。』
 何かを思い起こすかの様に、蒼い目の中でエリアの姿が揺れる。
 『誠、汝の一族には非道なる仕打ちを成してしまった。その罪は、いかな償いをしても晴れるものではあるまい。』
 「・・・・・・。」
 『今思えば、氷結界がここまで衰退したも当然の報いなのであろう。かの氷龍達に喰い尽くされるが、氷結界(我ら)が宿命と言うものか・・・。』
 沈黙するエリア。
 両者の様子に、傍観していたガガギゴが耐えかねた様に口を挟む。
 『・・・どういう事だ?エリアの先祖は、氷龍解放の責を負って氷結界から放逐された筈。なのに、氷結界の方に罪が・・・!?』
 その言葉に、ドゥローレンが目を向ける。
 「ちょっと・・・」
 彼の様子に気づいたエリアが、声を上げた。
 「ギゴに、余計な事言わないで!!」
 しかし、ドゥローレンは言う。
 『この者は、汝の連れ合いであろう?』
 「・・・んな?」
 頬を赤らめ、絶句するエリア。
 何かを言いたそうに口を動かすが、酸素不足の金魚の様にパクパクするだけ。
 その様を微笑ましそうに見つめ、ドゥローレンは言葉を続ける。
 『ならば、知っておくべきであろう。汝が背負うものの、真の意味をな。』
 『・・・どういう事だ?』
 怪訝そうな顔をするガガギゴ。
 彼に向かって、ドゥローレンは語り出す。
 『若者よ。先に言ったな。かの娘の祖は氷龍解放の責を負ったと・・・。』
 『ああ、そう聞いてる。』
 『違うのだ。』
 『・・・え?』
 『違うのだよ。』
 訳が分からないと言った体のガガギゴ。
 そんな彼に向かって、ゆっくりと噛み締める様にドゥローレンは言った。
 『氷龍達の封印を解いたのは、放逐された者達ではない。氷結界(ここ)に残った者達なのだ。』
 『―――っ!?』
 与えられた真実に、ガガギゴは目を見開く。
 その横で、エリアは俯いたまま唇を噛んだ。


 「・・・・・・。」
 『・・・・・・。』
 『・・・・・・。』
 沈黙が、辺りを支配していた。
 エリアも。
 ドゥローレンも。
 そして、ガガギゴも。
 誰も言葉を発しない。
 沈黙。
 沈黙。
 ただ、沈黙。
 やがて、それに耐えかねたのか、それとも激情が限界を超えたのか、ガガギゴが口を開く。
 『何だ・・・?それは・・・?』
 戦慄く様な声。
 震える口が、紡ぐ。
 『氷龍達の封印を解いたのは、氷結界の方・・・?それじゃあ、何でエリアの一族が・・・?』
 『原因の一端は、その鏡にある。』
 ドゥローレンが、エリアの手の中の鏡を示す。
 『かの鏡が、氷龍達を御し、封じる力がある事は知っていよう。』
 『・・・ああ・・・。』
 頷くガガギゴ。
 ドゥローレンは続ける。
 『その娘の血統は、巫女だったのだ。』
 『巫女・・・?』
 『そう。鏡の管理を任せられるとともに、いざと言う時には鏡を使い、事を収める事を義務とされていた。』

 曰く。
 時は先の大戦中。
 氷結界の中で氷龍解放の主張が出た際、かの巫女とその血族は反対に回った。
 その立場上、件の龍達の危険さを誰よりも知っていたであろう彼女達は、解放派の要求を頑として跳ね除けた。
 しかし、ワームと魔轟神の攻勢が強まるに連れ、氷結界の中では徐々に解放派がその数を増していった。
 長い時の流れが、氷龍に対する皆の畏怖を薄まらせていたのかもしれない。
 そしてついに、その時は来た。
 多勢を占めた解放派達が、数の力にものを言わせて強引にブリューナクの封印を解いてしまった。
 それは想定以上の戦果を上げ、解放派を勢いづかせた。
 後は、ドミノ倒し。
 同盟を組んでいた他の部族の要請も、その流れに拍車をかけた。
 それに抗うだけの力は、もう巫女の血族を始めとする反対派にはなかった。
 立て続けに解放されていく氷龍達。
 しかし、最後の封印を解いた時、全ては変わった。
 自由を得たトリシューラは氷結界の抑制を易々と撥ね退け、我欲のままに破壊を謳歌しはじめた。
 やがて、それに呼応する様にブリューナクとグングニールも暴走を始める。
 それまで氷龍達のコントロールを担っていた交霊師の力さえもが弾かれた時、解放派の面々は己達の愚行に今更の様に気がついた。
 叫ばれ始める、龍達の再封印。
 すると、皆の声は当然の様に巫女の血族へと向けられた。
 有事において、鏡の力をもって事を収めるは巫女の役目。
 傍から見れば不条理この上ない流れに、巫女とその一族は望まれるままに従った。
 全ては己の使命と受け入れ、彼女達は氷龍達の元へと向かった。
 しかし―
 長きの時が、その力を弱めたのか。それとも、歪み軋んだ者達の願いを拒んだのか。
 鏡は、氷龍達を縛る事はしなかった。
 その戦いで巫女は命を落とし、その血族達も多くの犠牲を出すに終わった。
 けれど、そんな彼らの帰還を出迎えたのは、同胞たる氷結界の人々の冷たい視線だった。
 自分達の絶望と苛立ちを、彼らは使命を果たせなかった巫女の血族達へと向けた。
 暗い憤りの赴くままに、罵倒し、糾弾した。
 その時点で、解放派の面々が氷結界の大半を占めていた事も追い打ちとなった。
 彼らは数をもって自分達を正当化し、己らの愚行の結果をかの血族の不甲斐なさのせいと転嫁した。
 そして全ての責を負わされ、巫女の血族は氷結界から放逐された。
 吹き荒ぶ雪嵐の中、追い立てられる彼ら。それに添うは、あまりの理不尽さに心を痛めた幾ばくかの民人と、もはや用済みと打ち捨てられたかの鏡のみだった。


 『・・・そして、残った解放派の者共は氷結界の末裔として、今もかの災禍と戦う道を強いられていると言う訳よ・・・。』
 語り終わると、ドゥローレンは疲れた様に瞳を閉じ、大きく息をついた。
 一方、全てを聞いた筈のガガギゴ。
 彼は一言も発する事なく、その場に佇んでいた。
 立ち竦んでいた。
 メシッ・・・
 微かに響く、低い音。
 それが彼の腕に力が込められる音だと気づいた者は、果たしていただろうか。
 次の瞬間―
 グワッ
 血管の浮いた腕が伸び上がり、彼女―否、”それ”に掴みかかった。
 しかし、すんでの所で身をかわされ空を切る。
 昏く光る眼差しが彼女に向けられ、低くくぐもった声が呼びかける。
 『エリア・・・。』
 「・・・何・・・?」
 彼の腕から飛びず去った少女は、胸にかの鏡を抱きながら訊く。
 『その鏡をよこせ・・・。』
 「どうする気・・・?」
 『壊す。そして君を氷結界(ここ)から連れて帰る。』
 その言葉に、エリアの目に一瞬悲しげな影がさす。
 「・・・駄目・・・。」
 そう言って、首を振る。
 途端―
 『何でだ!?』
 氷洞に響く、激高の声。
 エリアが、ビクリと首を竦める。
 しかし、ガガギゴは構わない。
 『何で君は、そんな腐れた血にこだわる!?』
 高ぶる想いのままに、ガガギゴは吠える。
 『こんな馬鹿げた話があるか!?そんな、そんな道理の通らない理由で、エリアの一族は辛酸を舐めさせられたって言うのか!?』
 彼の怒りは氷結界、その名を冠するもの全てに向けられていた。
 『知るか!!もう、知るものか!!氷結界なんて、あの化物達に残さず滅ぼされてしまえばいい!!』
 「ギゴ!!」
 呼びかけるエリア。
 しかし、その声も彼を鎮めるには至らない。
 『鏡だろう!?その鏡が、君を縛るんだろう!?それなら、僕がそれを壊す!!壊して、君をその呪縛から解き放つ!!』
 ガッ
 たくましい両腕がエリアの肩を掴む。
 「!!」
 ガガギゴの顔が、エリアのそれに寄せられる。
 思わず身を固くする、エリア。
 『帰ろう!!帰って、皆との暮らしに戻ろう!!君がこんな事で、こんな所で命をかける必要なんてないんだ!!』
 「・・・・・・。」
 『断ち切ろう!!そんなくだらない因果、ここで切り捨ててしまおう!!そして、自由に!!本当の意味で自由になるんだ!!エリア!!』
 なおも言い迫ろうとした、その時、
 「・・・痛いよ。ギゴ・・・。」
 エリアの口が、か細い声で呟いた。
 『!!』
 気づけば、ガガギゴの指がか細い腕にギリギリと食い込んでいた。
 『す、すまない!!』
 慌てて、手を離す。
 はっきりと跡のついた腕を撫でながら、エリアは寂しげに笑う。
 「ハハ・・・。やっぱり、怒った。」
 『・・・っ!!当たり前だ!!こんな・・・こんな事・・・!!』
 今だ収まらない怒りを抑える様に、牙を食いしばるガガギゴ。
 そんな彼に向かって、エリアは言う。
 「ごめん・・・。」
 『・・・え?』
 「こんな理不尽に巻き込んで、ホントにごめん・・・。」
 そのあまりと言えばあまりにもらしくない態度に、今度はガガギゴが困惑する。
 「言われたのにね。嘘だけはやめろって、言われたのにね・・・。」
 寂しげで、悲しげな声が響く。 
 『いや、それは・・・』
 「いいよ。」
 『え・・・?』
 「帰って、いいよ。」
 突然の言葉。
 当惑する。
 「今なら間に合う・・・。あんたとの契約、ここで解くから。帰って。あんたまで、危ない思いする事ない。」
 『エリア・・・!?』
 「嘘ついちゃったの、あたしだもんね・・・。ありがとう、いままで。」
 『ち、違う!!僕が言ってるのは、そんなんじゃ・・・』
 『・・・無駄だ。』
 「『!!』」
 突然割り込んできた声に、二人の言い合いが止まる。
 『ドゥローレン・・・。』
 青氷の虎王が、憂いを孕んだ眼差しで彼女達を見ていた。
 『無駄だ、若者よ。其が娘の心は変わらぬ。』
 『何・・・?』
 何かを懐かしむ様な声で、ドゥローレンは言う。
 『血は争えぬな・・・。その娘の目、かの巫女の目と同じ光を宿しておる。』
 『同じ・・・光・・・?』
 『弱き者を捨てられぬ目。力なき者を慈愛する目だ。』
 『!!』
 目を見開くガガギゴを憐れむ様に見ながら、ドゥローレンは淡々と語る。
 『かの氷龍どもが結界(ここ)から出れば、外界の者達が多く犠牲になろう。その娘は、それが許せぬのよ。』
 『・・・それは・・・』
 『それだけではない。いま氷結界(ここ)で戦っている者達にも、家族はある。その者達の嘆きまで、聞こえているのだろう。』
 何処か愛しげな眼差しが、エリアを映す。
 まるで、そこにかの時が留まっているかの様に。
 『誠、かの娘と同じよ・・・。』
 『・・・エリア・・・。』
 自分を見下ろすガガギゴから顔を逸らす様に、エリアは俯く。
 『わかるであろう?若者よ。その娘を駆り立てるは、くだらぬ血縛などではない。もっと大きく、尊いものだ。』
 『・・・っ!!分かった様な事を言うな!!』
 諭す氷虎に、それでもガガギゴは噛み付く。
 『大体、お前は何なんだ!?そこまで分かっていたなら、何故氷結界の連中を止めなかった!?その娘を、守ってやらなかった!?』
 『・・・全くだ。』
 答えは、酷くあっさりと返ってきた。
 『先にその娘が言った通り、氷虎(我ら)には氷龍どもに対しての抑止力と言う役目があった。当時の我らは、その役目を優先してしまったのだ。奢りがあったのだろうな。霊獣として崇められるうち、人を下等な存在(もの)と見下す様になっていた。件の時も、愚物の愚行と箸にもかけなかった。自分らの崇高な役目の前には、取るに足らぬ事とな。しかし、その結果が”これ”よ。』
 そう言って、ドゥローレンは自嘲の笑いを漏らす。
 『結局、氷虎(我ら)の力もトリシューラには通じなかった。仲間は尽く討ち尽くされ、王たる我だけが生き残った。その我も深手を負い、力を失い、こうして生き恥を晒すだけの存在と成り果てている。全く、因果は巡るとはよく言ったものよ。』
 ドゥローレンはクックと笑うと、その目を再びガガギゴに向ける。
 『さて、若者よ。汝はどうする?確かに、汝はこの縁に関係無き者だ。この先に待ち受けるは真の地獄よ。戻るなら、これが最後の好機となろう。』
 『・・・その言葉を、エリアには向けないのか?』
 冷ややかな声で問うガガギゴ。
 しかし、ドゥローレンは首を振る。
 『言った所で、聞きはしまい。それほど、この娘の思いは強い。』
 『そんな事・・・』
 『分かるのよ。その娘の眼を見ればな。』
 『・・・・・・。』
 エリアを見るガガギゴ。
 彼の顔を、彼女は見ようとしない。
 けれど、その目には確かに強い光が宿っていた。
 しばしの間。
 やがて、ガガギゴは大きく息をついた。
 『・・・全く、仕方のないお姫様だ。』
 『・・・行くか?』
 『ああ。』
 ドゥローレンの問いに、頭をかきながら頷くガガギゴ。
 『約束したんだよ。何処までもついて行くって。』
 「ギゴ・・・!!」
 驚いた様に彼の顔を見るエリア。
 そんな彼女に向かって、ガガギゴは言う。
 『ただし、これが最後だ。今度隠し事をしてたら、許さない。』
 「うん・・・。」
 エリアは頷き、その手を差し出す。
 それを優しく取るガガギゴ。
 そして、二人の手は再び繋がった。


 二人が去った後を、ドゥローレンは何かを思う様な眼差しで見つめていた。
 『・・・血縛よりも強く、大きなもの、か・・・』
 誰ともなしに呟く。
 『・・・これが、誠の縁(えにし)というものかもしれんな・・・。』
 そう独りごちる彼の目には、それまではなかった光が確かに灯っていた。



                                            続く
この記事へのコメント
少々間が空きましたが、ちょっと見に来ました。読んでみて一言。
「大作だな、おい」

まず、内容より先に量に驚きですね。これで前編?改訂版?新章突入の間違いでは?順番を変えてエリアの話を最後に持ってきたほうが良かったかもしれないと思ったのは私だけではないはず。

変更点は・・・まあ、一番大枠なところで言うとエリアと氷結界との因縁の深さでしょうか。エリアの一族は元々は氷結界だったと。しかし、ここで整理しておきたい点が一つあります。それは猛毒の風(カンタレラ・ブリーズ)の一件との時系列次順です。ワーム・コールが起こったのが『数十年ほど前』。猛毒の風が造られたのが『その昔』。どちらが先かでストーリーはだいぶ違いますね。多分、猛毒の風が造られたのが先で、その後、氷龍を封印し氷結界を作った?
ちなみに、氷結界の鏡が失われたのが『90年前』とあるが、ワーム・コールが『数十年ほど前』なので、計算が合わない。

ドゥローレンとの場面では、エリアが好き過ぎるギゴ、が印象的。普段、ギゴが好き過ぎるエリア、が目立っていたので。黄昏編ではまだエリアがギゴを説得中なので、いい布石となったか。てゆーか相思相愛じゃねえかリア充爆発しろそうだここにグレイモヤを埋めよう。
Posted by zaru-gu at 2014年07月18日 00:35
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