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2021年05月08日
「教育報知」(五月五日)
今回国会図書館から届いたコピーのうち、原本の雑誌の刊行が一番古いのは、「教育報知」の第二十八号である。この号は明治十九年(1886年)六月一日付で発行されている。念のためにコピーした表紙の記載によれば、毎月三回、一日、十一日、廿一日に発行されていたようである。国会図書館オンラインでその二十八号の目次を確認したところ、雑報として「ヘ育報知墺國ボヘミア小學ヘ育博覽會に出づ」という記事が出ていることを発見したのである。
以前も書いたけれども、これを見て「教育報知」が、ボヘミアで行われた初等教育に関する博覧会に取材班を送り込んだという内容の記事だと思ったのだ。ページも13〜14と、2ページにまたがるので、そんなに短くはなく、ある程度の分量が有るのではないかと期待し、ボヘミアのどこで行われたのかとか、当時のボヘミアの様子なんかも書かれているに違いないと思い込んでいた。
それが、届いたコピーを見てみれば、B4サイズの一ページが三段組になっているのの一番下の段の最後の、見出しを含めて六行と、次のページの上段の1行目だけが、該当する記事だった。こんなの前の記事を削ったり、改行を調整したりして1ページ目に押し込むのが編集者の仕事だろうと、中身を読む前の時点で憤慨してしまった。この時点で、詳しいことが書かれいるはずはないと、内容に関してもあまり期待できないことが明らかになった。雑報なんだから期待するほうが間違いだといわれればそのとおりなのだけどね。
ちょっと落ち着く時間を取って確認した中身は以下の通り。せっかくなので引用しながら話を進める。変体仮名の活字が使われているけれども、普通のひらがなに翻字しておく。漢字も一部新人に改めてある。
このたび墺地利國「ボヘミア」に於きて小學ヘ育博覽會開設につきては同会へ出陳のため近刊の教育報知贈付の義東京教育博物館よりの照会により先月同館までその二三号をさし出したり
つまり、オーストリアのボヘミアで行われる教育博覧会に出たのは、雑誌の編集部ではなく、雑誌そのものだったのである。いや、この時点では、東京の教育博物館の依頼で雑誌を提供したことしかわからない。「二三号」というのが、二十三号なのか、二つか三つの号なのかはわからないけれども、いずれにしても、たいした数ではない。その後、教育博物館が博覧会に向けて送付したのか、この頃あったのかは知らないが大使館を通じて送ることになっていたのだろう。実際に展示されたという記事でないのは残念である。教育博物館は、現在の国立科学博物館の前身とされる施設のひとつである。
この小学教育博覧会についてはチェコ側で調べたほうがいいのかもしれないが、何せチェコスロバキア独立以前の話だし、当時博覧会のために集められたものがチェコに残っているのか、オーストラリアに引き取られたのかよくわからない、いや、それでもどこで行われたかがわかれば調べようもありそうだけど、それもわからないからお手上げである。一度、チェコの国立博物館の蔵書に「教育報知」がないかどうか調べてみようか。
思ふにこのことは弊社のみには限らさりしならん。
うちの雑誌だけではないだろうと付け加えて記事が終わるのだけど、当時どのぐらいの教育に関する雑誌が定期的に刊行されていたのだろうか。
雑誌「教育報知」に関しては詳しい事はわからないのだが、国会図書館オンラインで確認できる限りでは、創刊されたのは明治十八年(1885年)四月のことで、四月と五月は一号ずつ刊行され、六月からは毎月二号ずつの刊行になり、十九年の三月から毎月三号刊行されるようになっている。国会図書館で確認できる一番新しい号は、明治三十七年(1904年)四月に出た六百五十六号である。また月に一度の刊行に戻ったようだ、
雑誌の版元は、雑誌と同じ名称の教育報知社、住所は東京府本郷区となっているから、東京で国内外の教育関係の情報を集めて、編集していたのだろう。雑誌には学術とか論説などの部分も設置されていて、教育に関する学説などの紹介もなされている。コメンスキーも登場しないかななんてことは考えてみたけど、六百冊以上も目次を確認していくのも面倒である。
2021年5月6日24時30分。
タグ:ボヘミア 国会図書館オンライン