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2021年05月12日
俳句雑誌のチャペク(五月九日)
俳句雑誌の「層雲」というと、荻原井泉水が、明治四十四年(1911年)に、新傾向俳句の旗頭だった河東碧梧桐を後ろ盾にして創刊したものであるが、新傾向俳句に飽き足らず自由律俳句を提唱するに至る。驚くべきは、その自由律俳句の雑誌に、チャペクの作品の翻訳が掲載されたことである。作品の日本語訳の題名は「影」、訳者は青山郊汀で、掲載されたのは昭和十五年(1940年)の五月号である。国会図書館オンラインの書誌情報はここ。
今回届いたコピーを見ると、掲載作品は三頁ほどの短いもので、こちらが期待していたチャペクについての解説も、この作品が掲載されることになった事情も書かれていない。ジャパンナレッジの『世界大百科事典』と『日本大百科全書』の「層雲」の説明に、ドイツ文学の翻訳にも力を入れていたことが記されているから、チャペクもドイツ文学の枠内で、ドイツ語から翻訳されたのかもしれない。
この翻訳の存在に気づいたときから、チャペクというのはカレル・チャペクのことだろうと思っていたのだが、ヨゼフの作品である可能性も否定はできない。チェコのセズナムで、チャペクと影で検索するとヨゼフ・チャペクの作品「シダの影」が最初に出てくるのである。内容から「層雲」に掲載された「影」とは関係なさそうだけれども、本格的に調査する際には、ヨゼフの作品にも目を配る必要がありそうだ。
とまれ、「影」の内容は、ロータ氏が釣り人に声をかけるところから始まり、ほぼ二人の会話だけで進行する。釣り人が足が悪いことが書かれた後は、病人と書かれるようになり、流水の夢を見るとか、流水ではなくて光だとか影だとか、斜め読みしていたら、よくわからなくなってしまった。これは一度腰を据えて読むしかあるまい。いや知り合いの日本語ができるチェコ人に読ませて原典を確定するために、PCに入力しよう。そうすれば否応にでも頭に入ってくるはずだ。
斜め読みで気になったのは、しばしば仏教語っぽい漢語が登場することで、「時劫無定」とか「万物逆旅」とかチェコ語で何と言うのだろうかと頭を抱えてしまった。しかも末尾には、水流を指して、「これは元の水ではありません」などと言う台詞も出てくる。「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」って『方丈記』じゃねえかよ。チャペクが仏教的無常観に到達していたなんて話は聞いたことがないのだけど、この辺は翻訳者の解釈になるのだろうか。
翻訳を担当した青山郊汀については詳しいことはわからないのだが、「層雲」に定期的に寄稿しているので同人の一人であったかと思われる。ただ、俳句ではなく、俳句も含めた文学論や、翻訳、自作では詩の発表が多いようで、詩を専門とする文学者だったと考えておこう。自由律俳句と詩の境目なんてあってないようなものだから、短詩を手がける詩人が自由律の俳句結社に入っていても不思議はない。
この「影」の最後の頁の次頁に「春風紀南風景」と題した井泉水の俳句が、並んでいて、ちょっと読んでみたのだけど、やっぱり新傾向俳句とか、自由律俳句と言うのは、自分には理解できないものだということを改めて理解させられた。分かち書きにして、詩だといわれたほうがまだ納得がいく。詩っぽいのに拭い去れない微妙な俳句臭が残っているのが、自由律を受け入れ切れない原因かもしれない。そんな自由律の雑誌に掲載されたチャペクの翻訳が、よくわからないものになっているのもむべなるかなである。チェコ語で読むよりはわかりやすいのだろうけど。
さあ、次は何を注文するかな。毎月一回ぐらいなら問題なかろう。注文の方法も支払いの方法もわかったわけだしさ。
2021年5月10日24時。