2021年03月25日
ヨゼフ・トポル(三月廿二日)
チェコという国は、演劇が盛んな国で、各地にたくさんの劇場がある。人口十万人ほどのオロモウツにも、オロモウツ市が運営するモラビア劇場以外にも、私営の劇場が複数存在している。もちろんこれらの全ての劇場が、入場料の収入だけで活動を続けているわけではなく、国や地方公共団体からの補助金が収入のうちの大きな割合を占めているはずである。それは、劇場、ひいては演劇の伝統を補助金を出してまで守る必要があると考える人が多いことを示しているのだろう。
チェコの文学においても、戯曲の果たした役割は、非常に大きく、それは最初に日本語に翻訳されたチェコの文学作品が、チャペクの戯曲だったことにも現れている。そんなチェコで、第二次世界大戦後、1950年代の半ばから活躍を始めた劇作家が、ヨゼフ・トポルである。生年は1935年だというから、これも劇作家のハベル大統領(1936年生)とほぼ同世代ということになる。
チェコ語版のウィキペディアによれば、高校を卒業した後、劇場で仕事をしながら、芸術大学の演劇学部で学び、在学中に最初の作品を発表している。プラハの春も近づく1965年には、俳優のヤン・トシースカらとともに独自の劇場を設立するが、正常化の時代の1972年に活動を禁じられてしまった。トポルはまた、「憲章77」に署名したため、演劇界で活動すること自体ができなくなり、
1989年のビロード革命までは、演劇とは関係ない仕事を強要されたようだ。翻訳を偽名(友人の名前)で劇場に提供するなんてこともあったようだから、演劇の政界でもコメンスキー研究のように、役割分担があったのかもしれない。
トポルの作品の日本語訳は以下の三つ。
@村井志摩子訳「線路の上にいる猫」(「テアトロ」第33巻7号、カモミール社、1966.6)
チェコ語の原題は「Kočka na kolejích」で1964年に発表されている。その2年後に日本語訳が出たのは、当時の国際状況を考えると早いと言ってもよさそうだ。冷戦期とはいえ、左翼的な人脈のつながりは、意外と強く遠くまで伸びていたのだと感心させられる。訳者の村井志摩子氏も劇作家で、プラハ留学の経験があり、ハベル大統領とも親交があった人。戯曲だけではなく、チェコ語オペラの翻訳をレコードやCDのブックレットに提供していたらしい。
掲載誌の「テアトロ」は、1934年創刊の演劇雑誌で、現在でも月刊誌として刊行が続いているようだ。版元のカモミール社は演劇関係の専門出版社で、2011年以来更新されていないHPを見ると、この雑誌を刊行するために設立された出版社のようにも見える。
この「線路の上にいる猫」は、思潮社から1969年に刊行された『線路の上にいる猫 : 現代チェコ戯曲集』にも収録されている。この本には、トポルの作品以外に、ハベルとクンデラの作品も収められている。
A村井志摩子訳「スラヴィークの夕食」(『線路の上にいる猫 : 現代チェコ戯曲集』(思潮社、1969)
チェコ語の現代は「Slavík k večeři」で1965年に発表されたもの。スラビークは鳥の名前か、人の名字か、題名だけでは分からない。ちなみにトポルは木の名前である。
B訳者不明「一時間の恋」(『世界文学全集 : カラー版』別巻 第2巻、河出書房新社、1969)
チェコ語の原題は「Hodina lásky」、発表は1966年。訳者名は、オンライン目録では確認できなかった。村井志摩子訳の可能性もありそうだ。
ヨゼフ・トポルの息子のヤーヒム・トポルも作家として活動しているようで、作品の日本語訳はまだだが、旧共産圏の作家を網羅的に紹介した『東欧の想像力 : 現代東欧文学ガイド』(松籟社、2016年)にも、取り上げられている。チェコの部分の執筆を担当した阿部賢一氏が、近い将来翻訳されることを願っておこう。
2021年3月23日24時
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/10620167
この記事へのトラックバック