アフィリエイト広告を利用しています
<< 2024年02月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29    
検索
リンク集
最新コメント
チェコの銀行1(十二月二日) by ルイ ヴィトン 時計 レディース hウォッチ (03/20)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしやん (12/30)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしゃん (12/30)
メンチンスキ神父考再び(七月卅日) by にっしゃん (12/30)
カレル・チャペクの戯曲残り(二月朔日) by K (08/16)
最新記事
カテゴリーアーカイブ
記事ランキング
  1. 1. 『ヨハネス・コメニウス 汎知学の光』の刊行を寿ぐ(四月十日)
  2. 2. no img 『羊皮紙に眠る文字たち』『外国語の水曜日』(三月十九日)
  3. 3. no img コメンスキー――敬虔なる教育者、あるいは流浪の飲んだくれ(九月廿七日)
  4. 4. no img すべての功績はピルスナー・ウルクエルに(一月廿六日)
  5. 5. no img 「トルハーク」再び(三月廿日)
  6. 6. no img トルハーク四度(十月二日)
ファン
タグクラウド










ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

広告

posted by fanblog

2019年11月21日

卅年前のできごと(十一月十九日)



 ビロード革命のきっかけとなった学生デモがプラハで発生したのは、11月17日のことだが、それだけで共産党を権力の座から追い落とすことができたわけではない。プラハでのできごとがテレビなどを通じて広まるにつれ、共産党政権がデモもメディアもコントロールし切れていないことが明らかになり、チェコ各地で反政府のデモや集会が行われるようになっていく。

 何日のことかまでは覚えていないが、炭鉱が多く共産党の牙城とまで言われていたオストラバでは、反政府集会に参加した劇場の俳優たちが中心となって、共産党を支持する炭鉱労働者たちとの話し合いをして、見方につけることに成功したという話がある。我らがオロモウツはというと、学生たちが中心となって、箱の壁という抗議行動を行なっている。
 これはメッセージやスローガンを書いた段ボール箱を積み重ねて壁のようにするというものだが、壁が建てられたのは、共産党のオロモウツ本部の前だった。その建物は現在ではパラツキー大学の法学部の建物になっているのだが、前を通るバス通りが、11月17日通りという名前になっているのに関係がありそうである。チェコのあちこちの町にある11月17日通りは、ビロード革命の後になって解明されたもののはずだ。

 ただ、当時オロモウツには、ソ連軍の駐屯地があって、チェコスロバキア全体で二番目の規模で、都市に接しておかれたものとしては最大のものだったため、1968年の「プラハの春」の際のワルシャワ条約機構軍の侵攻を実際に体験した人の中には、まだ早い、もうちょっと待てと学生たちに自制を求める人もいたらしい。というか当時すでに大学で働いていた、師匠の旦那がその人である。結局ソ連軍は動かずオロモウツの抗議運動が軍隊によって踏みにじられることはなかった。
 ちなみに駐屯ソ連軍の本部が置かれていた建物はジシカ広場にあって、現在ではパラツキー大学の教育学部が入っている。灰色の陰気臭い建物で、改修すればいいのにと思うのだが、最初に立てられたときからその色だったのか、一向に変わる気配もない。その建物の前のマサリク大統領の銅像が立っているところには、スターリンだったかレーニンだったか、ソ連共産党のプロパガンダのための銅像が立っていた。ビロード革命の最中に、撤去され今ではどこかの倉庫の奥に眠っているはずである。鋳潰された可能性もあるけど。

 プラハでは、共産党政権と交渉するための組織、後の市民フォーラムの設立の準備が始まっており、19日には、バーツラフ広場の近くの劇場にハベル大統領を中心に何人かの反政府グループのリーダーたちが集まり、共産党に突きつける条件についての話し合いが行なわれている。ただ、参加予定だった人たちが全員参加できたわけではなく、会場に向かう途中のバーツラフ広場で治安警察に取り押さえられて連行された人も何人かいた。
 この時点では、共産党政権の内部でも、どのように対応するか決めることができていなかったのだろう。このとき治安警察が関係者を無理やり車に乗せて連行する様子が、取材をしていた外国のメディアによって撮影されていて、これがドイツなどの国外で報道され批判されたのも共産党政権が追い詰められていく一助になったはずである。

 ハベルたちの集まった劇場では、舞台の上に反政府グループの中心人物が登り、客席には一般の参加者たちが座っていた。舞台の上と客席とで掛け合いのようにして、条件を話し合い決めて行ったようだ。リーダー達だけで決めるのではなく、一般の参加者たちの意見も十分に反映させたこれぞ民主主義と言ってもいいような決定の仕方である。一般の参加者の中には共産党員だという人もいて、自分は共産党員だけれどもこの運動に賛成するとかなんとか発言している。
 なんでこんなことを書けるかというと、このときビデオカメラを持ち込んでいた人がいて、撮影されたビデオテープが現存しているのだ。それを機会あるごとにチェコテレビがニュースで流すのだが、画面の隅に、権利上の関係なのか何なのか「VHS」というロゴが入っている。ビデオに関しては、旧共産圏も独自規格を作ることはしないで資本主義の発明物に膝をついたのかと、最初に気づいたときには思ったのだけど、チェコで生産されたものだとは断定できないのだった。東側独自のビデオ規格があったわけではないのは確かだけど。

 ということで、「VHS」に対抗した規格はソニーの「ベータ」しかなかったのだ。うちは親戚のおっちゃんが仕事していた電器会社の製品を買ったので、ベータを使っていた。互換性とか、自宅で録画した番組を見るのにしか使っていなかったから、どうでもよかったけど、だんだんビデオテープを扱っているところが減って苦労したような記憶もなくはない。ソニーの製品にこだわる人って、みんなこんな苦労をしているのだろうなあ。と、脱線してしまったところで今日の話はおしまい。
2019年10月20日22時。



眠すぎて更新できないままに寝てしまった。










posted by olomoučan at 16:17| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/9443427

この記事へのトラックバック
プロフィール
olomoučanさんの画像
olomoučan
プロフィール


チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。