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2019年10月23日

納得できないこと(十月廿一日)



 日本でワールドカップが開催され、日本代表が多くの人にとっては予想外の活躍をしたことで、ラグビーに注目が集まり、ネット上には、だからラグビーは素晴らしい的な記事と、外国のメディアが日本の素晴らしさをたたえているという記事があふれている。こういう記事は嫌いじゃないからついつい目を通してしまうのだが、読み終わって消化不良というか、プロの報道の在り方としてこれでいいのかと言いたくなるものが多い。

 ラグビーが素晴らしいスポーツであることを否定する気はまったくない。ただ、今の、ラグビーのノーサイド精神は素晴らしいとか、ラグビーは人間を育てるスポーツだとかいう報道は、すでに80年代終わりのラグビーブームのときにも、もてはやされた言説である。表面的な部分だけさらって大騒ぎをしたマスコミが、Jリーグの発足で沸くサッカーに目を移したとたんに、極端に言えば、全く報道されなくなり、ラグビーは忘れられたスポーツと化した。
 あのときも、いまでいう「にわかファン」が大量にいたのを、協会が舵取りに失敗して、取り込むことができなかったのだ。その失敗に実力よりも見てくれと人気優先だったマスコミの報道も大きく寄与した。2015年のワールドカップの後も同じような失敗をしていることを考えると、今の報道の在り方、協会の舵取りのしかたが、これでいいのかと心配になる。

 ラグビーの典型的なノーサイド精神の報道にしても、サッカーやハンドボールなど他のスポーツでもやっていることを、ラグビーにしかないというような形で大騒ぎしているのを読むと、今後が心配になる。今ラグビーを絶賛している連中が、そのうちラグビーに否定的なことを言いだす理由にもなりかねない。
 試合が終わった後、両チームの選手が審判や監督も含めて握手をして回るのも、ユニフォームの交換をするのも、応援してくれたファンの前に行ってお礼のあいさつをするのも、サッカーでもハンドボールでも普通にやっていることだ。ラグビーのノーサイド精神が、他のスポーツと違う部分はどこなのか、相対的な視点からの説明がないのが不満でならない。こんな根拠のない持ち上げは、昔懐かしい誉め殺しにつながって、ラグビー人気の凋落を導きかねない。

 ノーサイド精神の表れを、他のスポーツの比較で書いていた記事も少ないながら、見かけた。サッカーや野球では、原則として両チームのファンが別々の観客席に座るのに対して、ラグビーは区別しないでみんなまとめてごちゃ混ぜに座るというのは確かにその通りである。その理由は、サッカーのファンとは違ってフーリガンがいないので、観客動詞の乱闘が発生しないからだとか、イギリスではサッカーから締め出されたフーリガン、スポーツのファンというよりは暴れたいだけのアホどもが、ラグビーの会場に出没していて、問題になっているとか、今回のワールドカップで問題にならなかったのはフーリガン連中に日本までくるお金がなかったのだろうなんてことも書いてあった。こういう記事こそ読まれるべきだと思うのだけどね。
 個人的には、試合終了後の退場のシーンで、互いに花道みたいなものを作って健闘をたたえあうのはラグビーだけだし、お互いの控え室を訪問し合って交流を深めたり、その際の写真をSNSで公表するというのもラグビーぐらいのものだろうと思う。ただ、確信がないので、その辺をジャーナリストに他のスポーツではどうなのか確認した上で書いてほしいのだけど、ないものねだりなのかなあ。

 ノーサイド精神と言えば、高校時代にラグビー部の顧問の先生が、「ラグビーの試合は勝ち負けを決めるのが最終的な目標ではない。だから大会で引き分けに終わった場合も延長をしてまで決着をつけたりはしないで、抽選で先に進むチームを決めるんだ」と言っていたのを覚えている。1989年の高校選手権の決勝が開催されずに両校優勝になったときも、この説明で残念だけど、それがラグビーなら仕方がないと思ったのだ。

 それなのに、今回のワールドカップで試合が中止になったり、中止になりそうになったりしたときに一部の国の代表関係者が中止は納得できないと駄々をこねたのを、ノーサイドの精神から批判する記事が見られなかったのも納得がいかない。ラグビーでは勝ち負けを決めること以上に大切なことがあるのではないのか。それが今回は台風による災害の被害を最小限にすることだったはずである。
 特にラグビー関係者から、大会前にサインしたとからという理由ではなく、他のスポーツではなく、ラグビーなのだから、ラグビーのノーサイド精神から行けば、どんなに残念で悔しくても、中止を受け入れなければならないのだという批判が聞こえてこなかったのが残念でならない。海外では、中止の試合が出たことを強く批判するメディアやラグビー関係者がいたという話だけど、その態度もまた批判されるべきであろう。

 それから、アイルランドの監督が、日本との試合での判定におかしいところがあったと試合後に発言したのも、ノーサイド精神から逸脱していないか。次の試合に向けたけん制なんて解説もあったけど、ラグビー万歳で、ノーサイド精神をもてはやすのなら、やはり批判するべきだろう。ラグビー関係者にはしがらみもあって言えないのかもしれないが、雑誌や新聞の記者なら問題ないはずだ。
 試合前の言葉の投げあいは、ノーサイドになる前だから問題ないにしても、試合が終わった後に、判定や相手のプレーに文句を付けるのはラグビーには似合わない。そんなのは、いちゃもんをつけるのが仕事の記者たちや、ラグビーを酒の肴にしているファン達に任せておけばいいのだ。
 この話もうちょっと続く。
2019年10月22日22時。









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