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2019年02月11日

中足骨マッサージの効果

昨日は東京に戻り、オンライン英会話をこなして飲みに行こうかどうか悩んだあげく家で過ごした。
治りかけの風邪を治してしまわないと。それに外出するには寒すぎた。

先週、出張前にビッグサイトの医療系の展示会に行った。複数のテーマの医療系展示会の合体だが、そのうちの一つに得意先が出展していた。挨拶だけだ。
目的はそれよりも自分のためが大きい。様々なリハビリの情報がある。ただ、老人向けだが。

今は「元気老人」をターゲットにしたサービスが多い。自分の不自由さを考えると、元気老人と同じと考えてもよいかもしれない。
その中で、たまたま通りかかった「phiten」のブース。ファイテンといえば、磁気のブレスレットやネックレスを多くのスポーツ選手が使用している。(磁気だよね?)
自分としては効力を信じる信じないより、あまり関心を持っていなかったのが事実。

今回、ファイテンブースでは大きく下腿の筋肉図と「中足骨」というコトバが書いてあった。
「んっ?中足骨?」、初めて知った。ちょっと興味を持ってブースへ。中足骨とは足の裏の指から土踏まずの間にある骨らしい。ここがそんなに重要なのか?
「試しますか」と言われて置いてあったのは“兜ガニ”の頭のような器械。足を入れるようだ。

試す前にアキレス腱を左右伸ばしてくれという。そうすれば違いが判るらしい。
とにかく足を入れて動かしてもらう。かなり強い力で下から押し上げる。痛み好きの僕が強いと思うくらいだから、かなり強い力だろう。7分だったか、1クールは。

終わってアキレス腱を伸ばす。あまりアキレス腱の伸びは感じない。だって、普通の身体じゃないし。伸びていても実感がないのだ。でも、驚いた。脚が軽い。
それまで広いビッグサイト内をウロウロして歩く限界に近かった。もちろん杖は持っていたが。
上がり辛い左足が上がる。これには驚いた。

その器械もすばらしいが、ファイテンの冊子を読むと中足骨マッサージは足の内側のインナーマッスルに効くという。今回、目を引いて立ち寄ったのは、いつも鍼を深く打ってもらう「前脛骨筋」と「長腓骨筋」のイラストがデカデカと出ていたから。それらの筋肉をほぐせるらしい、中足骨マッサージは。

いやいや、決してファイテンの器械の宣伝ではないですよ。だから商品名も出しません。結構高いし。
ただ驚いた。クタクタの脚が杖いらずで帰路につけたことに。
これって、例えば柔整師やPTさんなんかは当たり前に知っていることなの?いやあ、早く知りたかった。
じゃないようでした。ファイテンさんの治療家が編み出したと冊子には書いてあった。
器械だけじゃなくテーピング方法も早くから唱えられていたようです。

中足骨をアーチ状にすることが良い。なかなか自分でマッサージはやりにくい。足の裏だし、何かを踏みつけるのがよさそう。青竹踏みを土踏まずから先だけ乗せて体重をかけるのがいいかな。
でも、このきっかけとなった器械もすばらしい。

今日、ジムで手ごろな器具があったので中足骨がアーチ状になるように踏んでみた。
なんとなくいい感じか。ただ、調子よく歩けたので風呂の段差に脛をぶつけた。気をつけないと。

この器械、アスリート対象には高いし、老人施設対象なのだろうか。筋肉の弱った老人向けか。
いや、ぜひ神経障害で歩行困難な人にも紹介してほしい。器械じゃなくても、この中足骨のマッサージ効果を。

今日は雪の中ジムに行ったし、英会話もこなしたし、家事も終わらせたし。ゆっくり家飲みで過ごそう。
明日から仙台。牛タンが待っている。
posted by shigenon at 18:09| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年02月10日

新幹線にて(2019/2/10)

風邪が治りそうで治らない。
さすがに歯を抜いた日は酒も飲まず、晩飯もそこそこに痛み止めを飲んで早く寝た。
風邪にも優しいはずだったが。

風邪の症状は順番にやって来た。日替わりで。
くしゃみ、鼻水、咳、頭痛と。
木曜と金曜日は大阪出張。大阪では中・高と同級生のK君と飲む。2年前に2度めの脳梗塞を発症したが、いたって元気だ。

ただ、こちらの風邪が酷いので1本の焼酎のボトルを余らせて帰るという事態になった。お互いバカ飲みを40年近くした仲だ。こんなことは初めてたった。

金曜日は東京に戻らずに実家に帰った。
この前、座席の肘掛けに引っかけて破れたズボンが修復できるか父に見せた。父は長年テイラーを自営していた。

なんとかなるとのことでお願いした。引き裂かれたポケットの上下をほどき、裏に芯地を貼って縫い合わす。
助かった。これでしばらくこのスーツは使える。

実家ではいつものように外風呂に行って、父の背中を流した。まだまだ健康でいてほしいと願いながら。

実家でずっとゆっくりはしていられない。
今日は東京へ戻って英会話、明日は洗濯をしないと。また週明けから出張だ。

手足の症状は悪くない。といっても、ほとんど動かずに寝てばかりだから。


posted by shigenon at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年02月06日

歯を抜く

寒い時期は脚が動きづらいことが多かったが、今年はあまりない。何か改善できたのだろうか。
肩の疼痛もそれほど酷く感じることも少ない。ただ、両腕が痺れを感じるようになってきた。意識の外におけば気にならないが、朝起きた時には痺れているなぁと感じる。腕の筋トレの相反する作用か。

昨日、歯を抜いた。左上の奥歯。歯茎がずっと腫れ、ある程度腫れが大きくなると出血していた。
歯茎の口内炎という診察で治療をしたが良くならない。結局は根から来ているという判断。
歯医者の今の主流は抜かない治療。この歯も3本音がある内の1本だけ抜くという。

そんな器用なことができるのか。もともと被せていた歯、削られている。
1本の根だけ抜くという状態を想像するに、その1本の根だけ抜くために歯の“切り離し”をしないといけないだろう。ということは、円形のノコのようなモノで歯を割るのか。完全に切り離すには歯茎にもあたるのではないか。色々考えると恐怖だ。

歯医者ではずっと目を閉じていた。以前、抜歯した際にテコのような道具を見た。
いやいや、歯ってペンチでしょ、テコは何に使うの。その支点はどこになるの、とか。
今回もセンセイが使う道具は見ないようにした。
今回も何の声掛けもなく、いきなり麻酔を歯茎に。しかも3か所。何か所かは教えてほしい。

イヤな音で抜く根の部分は削られる。時々すべって歯茎の方に機械が当たる。
これって仕方がないことなのか、とか考えながら手にも力が入る。
痛い時は思うようにしている。さらに痛かったことを。病院に運ばれた日、目の上をベッドの背板にぶつけて5センチくらいパックリ開いていた。
何の説明もなく「閉じますね」でホッチキスを打ち付けられた。痛いより驚いた。麻酔をして縫合するものだと思っていたから。

ようやく抜く根にペンチで掴めるスペースができたようだ。ペンチで力を入れて抜く。「ポキッ」と折れた。あーあ、この後の処理を想像するだけで憂鬱になった。さらに削るか、棒のようなもので粉々に粉砕するかだろう。
その両方だった。ある程度処置が終わった時にセンセイが自分にだろう、つぶやいた、小さな声で。
「まだ残ってるな・・・」

正直で優しいセンセイだ。でもつぶやかないで説明として言ってほしい内容だ。
また、棒のようなものでゴリゴリ。いや、その周辺は象牙質でなく、歯茎の中の肉でしょ、そんなにゴリゴリしなくても。と思うが仕方ない。
「残っているか確認のためレントゲンを撮ります」

残っていたようだ。レントゲンを見ながらゴリゴリ。
終わった時に「もう残ってないですか」と聞きたかったが止めた。残ってないから終わったのだ。
昨日は血まみれで食欲もなかった。酒も飲んではいけない。

「キズが治って、骨が生えて、歯肉が盛り上がってきてから被せますね」と言われた。
えっ、骨って生えるの。センセイに聞いた。「そうですよ、骨が出来てくるんです」
知らなかった。抜いた部分が盛り上がるのは歯肉だけだと思っていた。

今週も来週も出張がある。しばらくは右半分で噛まないといけない。
posted by shigenon at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年02月05日

学生時代のバイト(ラウンジ)

輸入商社のバイトをクビになり、そのころはダイエーのバイトも辞めていたか。家庭教師は続いていた。
週2の家庭教師以外に夜のバイトをしようと思い、大学の掲示板(当時は大学の掲示板にバイトが斡旋してあった)で探した。
喫茶店で時給は600円だったか650円だったか。

喫茶店のチーフと面接した。「多分、夜の方の店に入ってもらうと思うよ」
大阪郊外の開発が進んでいた街の中心的なビル。居酒屋もあり、喫茶店の横には「夜の店」があった。喫茶店とその「夜の店」は同じ経営だった。

いつママと面接したかは覚えていない。なんかママと会ってその日から働いたような気がする。
夜の店のチーフは違う人だ。昼は左官をやっているという。夜はアルバイトで、お金を貯めていつか自分の店を出すのが夢だと言っていた。小山チーフだ。
ママは大阪の新地近くでスナックをしていた。ここは2店舗め。早い時間はいるが、21時過ぎには新地の店に行く。他に女性が1、2名いた。

僕は何をするのかというと、まず出勤したらミネラルウォーターの空き瓶に水道に付けてある浄水器の水を入れる。満タンに入れて、割りばしで輪ゴムの付いた位置まで瓶に突っ込む。それで半分折れたフタを止める。そうすれば新品のようなミネラルウォーターの瓶になる。フタは半分開いているが。
ここでは2時間飲み放題をやっていた。3000円だ。
飲み放題のオールドのボトルに取っ手のついたホワイトを入れるのも仕事だった。
水商売ってこんなものかと思った。

色んな事があった。
仲良くなった女の子にカセットデッキを貸したら、そのまま返されることなく辞められたり。
カラオケは1曲100円入れる機械なのだが、1000円両替して歌いきれず残った小銭をプールして小山チーフと店が終わった後にお好み焼きを食べに行ったり。

色んなお客さんが来た。その頃の就職人気No.1の世界的コンピューター企業の採用担当者Nさんがいた。Nさんさんとはよく話した。Nさんの出張した海外の話とかは聞いていて楽しかった。
カウンターの接客は僕や小山チーフ。小山チーフは結構無口だったので僕がよく話した。
就職活動中の時期だった。そんな人気企業は思いもしなかったし、僕はアパレル1本に絞っていた。
その超大手企業の方に資料請求のハガキを出すよう言われていた。当時はリクルートが発刊するぶ厚い会社一覧があり、それに付いているハガキで企業に資料請求、または電話をして就職活動が始まる。

当時、コンピューターは家庭にはなかった時代だ。
Nさんに何度か言われた。「まだハガキ出していないな」さすがコンピューター企業だ。何万とくる応募ハガキもコンピューター管理されているのだろうと思った。今では当たり前の話だが。
Nさんは関西では京大・大阪大・神戸大しか採用する気はないようだった。ただ、今後の企業を考えたらキミみたいな人が必要だと言ってくれた。「キミみたいな」が気になったが。

Oさんは製薬会社で新薬の動物実験をしていた。毎日モルモットと相手だと言う。Oさんはかなりの酒豪だ。また、僕にも酒を勧めてくれる。二人でボトル1本半は空いた。
また、音楽の趣味も合った。Oさんに教えてもらったElbow Bones & The Racketeersのアルバムは今でもお気に入りだ。

近くに本社のある電機メーカー。たまに何人か来ていた。今は上場している。
ある日、鼻血を出した人が何人かの部下らしき人と来た。眼鏡も割れている。どうも店の前の居酒屋で部下と口論になり部下に殴られたようだ。サラリーマンでもこんなことがあるんだと思った。

結局ここには卒業するまでバイトした。週に3日だったのが、家庭教師が無くなり毎日行っていたようにも思う。卒業する年の初めで辞めたのだったか、記憶が定かでない。
卒業し、就職して2年目。寮の後輩を連れて飲みに行ったことがある。その時にママから1か月だけ手伝ってと言われた。何を思ったのか、1か月だけ手伝ったことがある。
仕事のストレスから逃げるために、居心地の良かった場所に居たかったのかもしれない。
ただ、その1か月(だと思うが)の店での記憶が全くない。

今日も身体の調子はいい。先週の鍼で坐骨神経痛の右お尻と腰に多く鍼を打ってもらったことが良かったように思う。右足の痺れも穏やかだ。
手の痺れも使えないほどではないから良しとしよう。
posted by shigenon at 08:35| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年02月04日

筋肉が細る

日曜は昼からジム。風邪による熱はないのだが土曜はほとんど寝て過ごしたので身体がダルい。
お決まりの筋トレをする。2日連続で筋トレした時は思わないが、例えば日曜に筋トレを終えたら次は土曜なのだが、筋肉が落ちているなぁと感じる。

連続で行った時に筋肉感を感じるのは筋肉がパンプアップしているのか。
金曜に筋トレをしたが、一日空いて日曜にも筋肉の落ちを感じた。マシンの前の鏡を見たら腕がスジばっているのだ。

健常で筋トレしている時にはそう思ったことがなかった。この身体になって筋肉が付きにくいのは感じるが、落ちるのも早いのだろうか。まあ、筋肉を付けることが目的ではないのだが、せっかくやっている筋トレだ、目に見える筋肉も成果の一つだ。

筋肉が落ちるのは早い。入院したのが12月末、1月末には腕は細くなっていた。
誰か筋肉は3週間で付くと聞いたことがあるが、退院した4月から筋肉が付いた感があったのは夏くらいだったか。もちろん思い荷重を動かせなかったこともあるが。

筋トレから帰って家事→英会話。英会話は土曜もこなした。日曜は、お気に入りのIさんの予約がいっぱいで違う講師で予約していたが、当日になって空いていた。ラッキーだ。

今朝の通勤で歩くときも杖は使わないようにした。使わなくても歩ける。調子いい。
ただ、万一のお守りだ。不自由だとアピールして守ってもらいたい訳ではないが、“ふつう”に見えるため、よろけて「触った」「ぶつかった」など無用のトラブルを避けたいだけだ。

さあ、明日は歯を抜かなければならない。それを考えると憂鬱だ。
posted by shigenon at 08:17| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年02月03日

銀座で飲む

金曜日は午後から休んでジムと鍼に行った。鍼のセンセイが土曜は休むという。先週も会議で行けなかったし、来週は大阪出張のついでに実家に帰るので行けない。
3週間空くのは不安なので金曜に予約した。どうせならと鍼の前にジムに行った。

2週空いた鍼だ。相変わらず、ほとんど一発の触診で気になる箇所を発見してくれる。気になる脚と右尻には多く打ってもらった。いつも最初は手の内側からだが、今日は外側から打った。
手の甲の鍼は気持ちいい。打って時間を置いている間、手首から先が消えてしまったような感覚になる。

鍼が始まった瞬間に着信があった。鍼は1時間半くらい時間がかかる。
終わって着信を見るとT君だ。久しぶりだ。早い時間の飲みの誘いだろう。折り返すと、もう他の人を誘って飲んでいた。
仕方ないので居酒屋Yへ。テレビのクイズを見ながら飲んでいた。帰ろうと思ったときにT君から電話。バーに居るという。T君もバーも久しぶりなのでタクシーで向かう。

バーではハイボール2杯か。もうYで帰るタイミングだったのでかなり飲んでいた。
それ以上にT君も酔っぱらっている。
「銀座行きましょうか」とT君。T君に1度連れて行ってもらったことがある。とてもじゃないが自分で払える金額ではない場所だ。会社の調子がいいのだろう。

タクシーで銀座。前にも行ったクラブ。その店の前には高級寿司店がある。まあ、銀座に安い寿司屋はないが。そこには僕たちの住む街で働いていた板さんがいる。そこもまあまあ高い店だ。
寿司屋はもう閉まっていたが、覗くとその板さんが居た。もう仕事が終わったというので3人で飲むことに。
板さんとは久しぶりだ。前の店を辞めて以来か。その板さんが居なくなって、その寿司屋もご無沙汰だ。

3人でクラブへ。僕は2回目だ。T君はよく接待で使う。前回はみのもんたが来ていた。銀座でも有名な高級店だ。問題は僕の恰好だ。鍼に行くから短パンはいて、その上にジャージだ。ヒートテック極暖の上にフロントジップのセーター。上着はオレンジのモコモコのジャケット。家の近所で飲む格好だ。
まあ、ジャージといってもジーンズに見える素材だが。
この格好の人は銀座にいない。まあ、板さんはジャンバーだったが。

このクラブで2時間くらい居て、それからそこの女性2名を連れて別の店へ。T君の飲み方だ、付いていくだけ。2件目は小さなラウンジ。奥のVIP席。結局家に帰ったら3時半だった。
こういうカネを使う飲み方は社長や、めちゃくちゃ交際費を使える人しかできないのだろう。

起きたら風邪ぎみ。土曜は夜にオンライン英会話もある。
結局、風邪薬を飲んでずっと寝ていた。ジムも行く予定だったがあきらめた。17時まで寝た。
起きて英会話を終わらせて、また21時に寝た。寝るのが一番だ。

さあ、風邪も少しはマシになった。鍼後のけだるさなのか風邪のせいなのか身体はダルい。今日は昼からジムに行こう。寝ている身体を起こさないと。そして今日もまた英会話を予約している。
洗濯もアイロンもやらなくちゃ。
posted by shigenon at 08:46| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年02月01日

学生時代のバイト(輸入商社)

脚は押せば痛い痛みは続いているが、歩くには不自由ない。ただ三角筋や腕の二頭筋・三頭筋に2週間ほど前から筋肉痛のような痺れにような感覚がある。
少し腕の筋トレを変えたころからだ。最初は気にならなかったが。
筋トレで筋肉がだいぶ付いた。筋肉が付いたら痛みが多くなった。決してイヤな感じの痛みではないのだが。じゃあ筋トレを休んで筋肉を落とすというのも怖い。痛みだけが残りそうだ。
押せば筋張っている感じ。

昨日のバイトの話の続き。
ダイエー行きながらもう一つバイトを始めた。インテリア雑貨や家具の輸入商社。
ここは時給600円。ただ週給でバイト代をくれる。4時間バイトして4日行ったら1万円近くになる。
たくさん学生が登録していた。主な仕事は百貨店や専門店からの注文品を倉庫から出して出荷する。

「仕事」をする人には“言われてもできない人・できる人”“手と頭の回転の速い人・遅い人”など色々だ。大学に行かずバイトながら仕事ばかりしていたからよく解った。

その輸入商社E社。合間の時間でやっていたが、倉庫の社員からできるだけ毎日来てほしいと言われるようになった。それは、非常に多くの商品があるのだが、その商品の場所をだいたい覚えて、商品を出すのが早かったから。梱包の要領もよかった。
また、輸入ゆえ家具などは凹みや欠けがある。その修理を木の修理材を使ってやるのだが、それも上手に出来るようになっていた。楽しいバイトだった。

ただ、面白くないこともあった。
他のバイトは営業に付いて家具などを納品に行くことがあった。名古屋もある。その間は移動だけで時給が発生する。車の横に座っている時間がほとんどだ。
品番を覚えられない・梱包も下手というバイトが駆り出された。こちらはずっと倉庫で出荷に追われている。倉庫の社員が手放してくれなかった。

1年くらい働いたか。
新卒で短大を出た男が入ってきた。Aという名前。そいつは僕が気に入らなかった。そいつに仕事を教えてやってくれと社員に頼まれていた。商品を出す・商品によって注意して梱包が必要だ。ステンドグラスのスタンドや柔らかい木製の置物など。箱に入れる入れ方もある。

Aは覚えが悪かった。1日に同じ品番の商品を何度も出すのだが、その日に3回目になっても場所を覚えていない。僕の接し方も悪かったのだろう。完全にバカにしていたから。
ある日、「オレは社員だぞ!」と怒り出した。それで喧嘩になった。
若かったのだろう、手を上げてしまった。モロに顔面にヒットした。すぐに彼の顔は腫れあがった。

その日に支店長に呼ばれてクビを言い渡された。そりゃそうだろう。
その日、そのままパチンコに行った。パチンコは出ても出なくてもお金を入れ続けた。ずっと涙が止まらなかった。クビになった悔しさではない、自分がそんなことでそんな風な行為をしたことのバカらしさに腹が立った。

後日談。
それから2年後くらいか。僕はアパレルメーカーに就職し、当時(まだある?)のナンバシティにある自営店を担当していた。その地下を歩いている時にAとばったり会ったのだ。
Aから声をかけてきた。名刺交換をした。彼は既にE社を辞めていた。何を話したか記憶は定かでない。ただ殴ったことだけは謝った記憶がある。
それと、そのバイトで知り合ったF君。田舎が一緒だった。大手家電系列のSEをやっていたが、今は地元で社協に勤めている。彼の結婚式も呼ばれて行ったし、僕の結婚式も呼んで歌を歌ってもらった。
もう一人、1つ下のK君。E社を辞めてからラウンジでバイトするのだが、そのK君が先にそこでバイトをしていた。
もう一つ。
16年前に東京に住んだのだが、家の近くの大通り沿い・車で5分位の場所にE社の東京本社があった。社名は少しハイカラな名前に替わっていた。ネットで調べると業容も拡大していた。
ただ、2,3年後には無くなっていた。どこかに移転したのかどうか。
posted by shigenon at 08:50| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年01月31日

学生時代のバイト(ダイエー)

火曜日は外部の新年会が盛り上がり、帰ったら23時半だった。初めて会う人と飲むのは楽しい。
昨日は名古屋に日帰り出張。帰りにブログを書こうと思ったが、乗った瞬間に爆睡した。

この前は学生時代の家庭教師の話を書いた。
このころ、あと3つのバイトを掛け持ちしていた。
1つはラウンジ。ちょっと広めのスナックといったところか。女の子も2人位はいたか。
もう1つは輸入家具や雑貨のメーカー。
もう1つはダイエー。

ダイエーは大学3年の最初くらいか。自分の故郷の近くに新店がオープンするので募集があった。
当時は時給600円がアルバイトの平均だった。それが1日で7500円くらいの募集だった。
ただ、オープンから1か月近い毎日の出勤、事前の長い研修が必須だった。

学生だ、当然授業がある。ほとんど出ていなかったが。迷わず応募した。
メイン業務はレジだ。今のようにバーコード読み取りではない。1983年ころの話だ。
研修では“接客7大用語”やレジの取り扱いなどを教えられた。研修中も時給は出る。安かったが。
本採用には試験があった。3種あったと思う。3つとも100点だったと記憶している。

当時のスーパーのオープンは派手なイベントがあった。僕がバイトした店も当時のアイドルが来た。
約1か月、学校には行かず実家に帰ってバイトに通った。
レジは途中に万券の回収はあるものの、最後にレジを閉めて現金を部屋に持っていく。最後の現金は自ら数える。
ピッタリ合うことはめったになかった。ちゃんと一回一回確認しておつりは渡している。そのつもりだが、多く渡したり少なかったりはあるのだろう。

当時、バイトはたくさんいたのだろうがレジは選ばれた人だけだったか。なんせテストはオール満点だ。
5,6人と仲良く話していたように思う。ほとんどがこの年にダイエーに入社する4年生だった。
当時、流通は人気業種だ。大学も人も優秀な人たちだった。

この店のバイトが終わって、半年位して近くにオープンする店があった。
どういう経緯か覚えていないが、この店のオープンにも呼ばれた。ここは2週間くらいだったか。
そのあと、大学のある近くのダイエーでバイトをすることになった。週に3日くらいか。

その店では女性下着とか化粧品の売り場だった。そこの社員のチーフともよく飲みに行った。飲んで僕の家に泊まったこともある。
レジでも何でもできるバイトだ、重宝された。
何度かトラブルはあった。グループ会社の紳士服専門店に偉いさん来てが朝礼している後ろをラックをガラガラ音を出して引いて通っただけで、呼びつけられた。
「俺は仕事をしているだけだ、何の文句がある」くらい言ったと思う。それで店次長から呼び出されたこともある。

辞めたのは何でだったのか記憶にない。トラブルは関係ない。たぶんバイトの掛け持ちの中で消去したのだと思う。
今でも接客7大用語は覚えている。使うことはないが。

身体の調子は良くもなく悪くもなく。でも脚が疲れやすいか。歩く途中で力が抜けそうになる時がある。
手の痺れは少し強め、だが気にならない、こんなもんだろうと慣れてきた。
今日もそうがが、明日も展示会でセミナー。明日はセミナーが終わったら帰ってジムと鍼の予定。
鍼のセンセイが土曜に予定があって休みだという。先週はこちらの都合で行けなかった。来週も出張を絡めて実家に帰る予定だ。明日しか予定が組めなかった。2週間ぶり、その後も2週間空く。
posted by shigenon at 19:21| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年01月29日

桃色インコのお母さんの話

昨日は定時まで会社にいて即帰った。明日は新年会だ。飲みに行くには気が進まなかった。
飲みに行かなかったらタバコの本数も少ない。会社では午前に3本、午後に3本。
帰ってから寝るまで3本。いつでも止められると思うのだが止める気がない。

10月に移転したオフィスには喫煙所はない。だが、灰皿の置いてある公園やタバコ屋が近くにある。
その内の1軒のタバコ屋さん。自販機と自販機の間に入り口があり、中が見える。
おそらくは透明のガラスなのだろうが、汚れで曇ってすりガラスのようだ。うっすらと中が見える。中にはおばあさんと首元がピンクの鳥がいる。

タバコの間ずっと見ていると、その鳥とおばあさんはとても仲良しだ。しょっちゅうチュッチュッしている。微笑ましく見ていた。あまりのぞき込むのも失礼だが。
ある時、そのおばあさんが自販機のトラブルか、電話をしながら外に出てきた。
いつも炬燵に座っているし、すりガラスもあり相当なおばあさんと思っていたらそうでもない。
自販機のナンバーをスラスラ読み上げて電話をしていた。足腰もしっかりしている。70代半ばか。

昨日、タバコを吸いに出たら、その人が外に出ていた。そこでタバコを買う訳でなく吸わせてもらっているだけの気まずさから話をした。
「いつものオウムちゃんはいないんですね」“今は2階にいるの”「なにオウムなんですか?」“オウムじゃなくて桃色インコなの”「へぇー、インコなんですか、大きいからオウムかと思っていました」“どっか外国のインコなの”“知り合いの家にカラスに追いかけられて逃げ込んできたの、そしたらカラスも一緒に家に入って、カラスだけ追い出して”
“カラスを追い出したけど、ずっと外で出てくるのを待っていたから箱の中にいれて匿っていたって”

“それで調べたら40万円くらいするってわかったから警察に届けて、インターネットで迷い鳥って出して”   ・・・えー、この人、インターネット・・・驚いた。
“それでインターネットに出したら持ち主じゃないけど20万で買いますとか来るのよ”“そんな人はすぐ転売するのよ”“結局、警察にも届けがなくて私が飼うことにしたのよ”

いやぁ、聞いてみるものだ。と、いうより初めて話したのだが、ここまで話してくれるとは。
インターネットにも驚いたが、転売という世のトレンドもよくご存じだ。
チャキチャキの話好きの下町の“お母さん”だった。
なんか幸せな時間を過ごせた。これからはこのタバコ屋さんへ喫煙しに行こうと決めた。

脚はハムと内転筋が張っている。何をしても同じ症状だ。別に特に痛むわけではないので、もう気にしないようにしよう。杖無しで歩ける状況が続いている。まあ、1日の中でも波があるが。
左手の筋肉が付きにくい部分の名称を調べた。左半身全体に筋肉が付きにくいのだが、最近の筋トレやちょっとした工夫で左腕に確実に筋肉が付いてきた。でもそこだけが変わっていない。上腕二頭筋の外。
ただの上腕筋という名称だ。そこの筋肉を付ける筋トレをネットで調べた。

腕のカールがいいらしい。肘を伸ばして腕を上下に。この時に手のひらは内側。
手のひらの方向で付く筋肉は変わるのだ。
これを調べた時に「支配神経」というコトバが出ていた。C5、C6だったか。
やはり筋肉の指令は神経の、しかも中枢神経なのだろう。時間がなかったので詳しく調べていない。
支配神経がイカれていたらダメなのか、なんか活路が見いだせるのか。調べてみよう。
posted by shigenon at 08:16| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年01月28日

あなたが寝る時に私は夢の中

出張帰りの土曜はそのまま居酒屋Yに寄った。ちょうど大坂なおみがあと2セットで勝つという時だった。特にテニスファンでもないが、応援はする。

日曜は朝から洗濯→クリーニング出し→ジム→英会話。
二日休みがないと回らない。今週は土曜の出勤のため、鍼には行けなかった。特に不調な部分はないが、身体を動かすことでカバーしないと。いつもより筋肉の動きを意識した筋トレを実施。

週後半、手の痺れが強くなっていた。が、それで特別な不自由は感じなかった。手の痺れの強さは気になるし、感じるのだが、それによる日常動作の不自由さはあまりなかった。手の指が不自由ながらも前よりも動くようになっているからだと思う。

英会話は3回目のIさん。17時半からの予約と思って準備していたら18時からだった。
いつも40分位まえからテキストを“暗記”する。テキストが終わればフリートークだ。勉強であり、外人とはいえ、若い女性と10分でも冗談を言いながら話せることは幸せだ。ただ問題は英語なのだ。

テキスト終了後はそのテーマに沿ってフリートークをする。でも、いつも僕は話しを逸らしていく。
そのために何を話そうか事前に考えた時に、単語を調べておかないといけない。
だが、そううまく話しをもっていけない。

昨日は生活のルーティンがテキストだった。フリートークは何時に寝るとか起きるとか。
そこから何か面白い話にもっていかないといけない。事前の単語検索はしなかった。
僕は22時過ぎにベッドに入ると答え、Iさんは0時という。「じゃあ、あなたが寝る時に私は夢の中ですね」くらいの会話。テキストに沿わない一言を言って笑ってもらう。
本当はもっと受けることを言いたいが、英語では難しい。

英会話の前にはビールを飲んで予習する。昨日は時間を間違えていたので焼酎まで進んだ。軽く飲んで会話することで自然な会話になる。とはいえ、30分待つ間に焼酎も進んだので自制した。

今日も19時半からIさんとの英会話。月8回こなすには平日も入れないと。
posted by shigenon at 07:53| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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