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2021年04月09日

Jの話@

この前、少し書いたJの話を書きたい。(先輩だけど文中はJと敬称略)
新卒で入った会社。大手アパレルだ。
ブランド毎に事業部があり、事業部が一つの会社のような感じだ。
ある事業部の大阪勤務。大阪には3つのビルがあった。配属の事業部はナンバのビル。そこには3つの事業部が入っていた。
元々ファッションには興味があった。学生の頃はデザイナー・キャラクターブランドブームだ。バイトの金はほとんどが服代かパチンコだった。

配属された事業部には2つのブランドがあった。そのうちの1つのブランドを新入社員の僕と2つ上のセンパイHさんの二人だけで受け持った。考えられない組織だ。
事業部の先輩とはよく飲みに行った。飲んで仕事の話・会社の話。アパレルは華やかな業界とはいえ、ふつうの会社なのだ。
ウチの事業部は仲が良かった。20時頃まで仕事をしてそれから飲みに行く。帰りはほぼ終電。
僕は寮に入っていたので夕食を会社で食う。18時になると会社で夕食を食ってから仕事。それから飲んで食べて。不思議だ、そんなに太りはしなかった。

新入社員のクセにいっちょ前なことを言っていた。学生時代はアルバイトを数多くしたことしか誇れないのだ、仕事経験を4年して入社したようなものだ。
文句も人一倍言っていた。仕事は、自分で言うのもなんだが、のみ込みは早かったほうだ。
寮にいたから色んな事業部の先輩と仲良くなった。また、酒も強かったし完全に奢ってもらうことをせずいつもいくらかのお金は払っていた。毎日、誰かと飲んでいた。
Jから声がかかったのはそんな毎日を過ごしていた頃だ。

「お前か、いっつも文句ばっかりゆうて飲んどるヤツは」
これが最初に言われたコトバだ。今でもその時の顔と声が耳に残っている。
Jは同じナンバのビルだが違う事業部。3つ上の先輩だ。同じ事業部に3つ上の先輩が二人いたことから、よくウチの事業部のフロアに来ていた。
どのタイミングだろうか、同郷であることが解ったのは。そして同じ大学出身。
Jも文句の多い人間だった。コトバも悪い。だが、まわりの人たちから好かれていた。一目おかれた存在だった。弁が立ったのだ。

二人っきりで飲みに行ったのはそれほど多くなかったのだろうか、あまり覚えていない。
違う事業部だが可愛がってくれた。今も写真がある。給湯室で二人でアイスキャンディを食べている姿。
休日にはそのビル内の何人かと海に行くのが恒例になった。2,3か月前から予定を組む。
百貨店を担当しているので、日曜日は出勤日だ。まして新入社員なので先の日曜日の予定なんて決められない。
そう言うとJは「あほか、お前。何か月も先の話なんやから、その日休めるよう仕事せんかぇ」
その通りなのだ。

館内マイクを電話で使えることができた。交換手がいて、デスクにいないと館内呼び出しをするだけでなく、誰もが電話を使って館内に放送できた。
「〇〇〇(事業部)の〇〇君(僕)、内線××番まで」
こういう呼び出しがJから何度かあった。
「〇〇、昼から××行こか。車借りたんや。」××とは大阪郊外の百貨店。同じ百貨店でも、事業部ごと・ブランドごとに担当がいる。××百貨店はJも僕も担当していた。
当時、車で出ることなんてなく、全て電車での移動だ。車も会社には数台しかなかったと思う。

急に言われても。なのだが、Jに従う。
車に乗った。「ほれ!」缶ビールを出してくる。そしてJも缶ビールを飲みながら運転する。
35年くらい前の話だ。もちろん飲酒運転は今も昔もいけない。エピソードとしての話だ。
プライベートはともかく(もちろんダメ)、仕事で缶ビールを飲みながら運転するという破天荒ぶりには驚いた。

話は長くなりそうだ。ここで一旦筆を置こう。(いや、筆使ってないけど)
またの機会に書こう。

身体の調子は好調を維持している。当面の課題は右足先の痺れの緩和だ。
今日は金曜日。居酒屋Qだ。今日も初ガツオでスタートかな。TGIF!
posted by shigenon at 08:45| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年04月08日

母趾外転筋

3時半に目覚めた。
トイレに行きたくない限り、いつもは目覚めてもそのまま寝る。
目覚めた時、これは夜中でもぐっすり眠った時でも同じだが、まず右脚の痺れが気になる。ジーンとしている。足先が特に感覚がない。足先が伸びたまま“伸び”をすると足がつりそうになる。
今日はあまりにも足先‥足首から下の痺れが気になるので、左足の親指で押した。思えば左足がここまで力が入るようになったんだと感慨深い気持ちとともに。

右足の土踏まずの内側からくるぶしの下までの幅、足首から親指の横までの長さ、それと小指の下からくるぶしの外側が痺れの強いゾーン。
ここの痺れの強さはいつからだろう。もう半年くらいか。いやそれ以上か。だんだん強くなって今日に至っている。最初はそれほど気にならなかったのだ。
触るだけでピクッとする。痛みでいうなら転んで皮がめくれたところを素手で触るような強い感覚。深層部でなく表皮に近い部分の神経が敏感に感じている。
その部分、何本か鍼を打ってもらうのだが、鍼が少し入っただけでのけぞる。痛い訳でない、ピクッと反応してしまうのだ。

かなり強い左足の親指の力で長い間押した。
押すと気持ちがいい。調べた、土踏まずの内側は母趾外転筋というのだ。よくつる筋肉のようだ。自分だけが特殊でなくてほっとした。
ただ、ここがつるには何か原因があるのだろう。調べたが解らない。
いつも鍼で右下腿に深く打ってもらっている。5センチ以上入った箇所で足先や甲に刺激が伝わることが多い。これを善しとしていたが、何か関係があるのだろうか。いずれにせよ自分ではどうしようもない。土曜日にAセンセイに相談するしかないだろう。
いや、何度か言ったのだ。一度、甲から鍼を打ってもらった時に緩和したことがある。

今日・明日が終われば週末だ。最近は週末が待ち遠しくて仕方ない。何をするわけでもないが。
今週は寒かった日もあり、ヒートテックを再び出している。日曜日あたり全ての冬物をしまい込むか。
posted by shigenon at 08:23| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年04月07日

“血が通う”感覚

火曜日のジムも閑散としている。休日もそんなに混んでない。
コロナ禍云々ではない、前からだ。仮にも花の東京なのだが。近隣にも多くジムがあり、その中でも古い施設であるここは人気がないのだろう。
通りいっぺんの筋トレをこなす。荷重を重くしたフライは辛く感じるが、これは日によってそう感じるだけだ。
久しぶりに筋トレをした時は軽く感じるし、続いている時は重く感じる。これはなぜだろう。

ステップマシンは疲れるからやらなかった。やる気がしない時はやらないでいいのだ。
毎日のタバコロード数往復で5000歩の歩行は確保している。
先日、旧タバコロードを歩いた。桃色インコ母さんはどうしているだろう。
ガラスドアを覗くといつものように座っている。僕の顔を見るなりドアを開けてくれる。灰皿が無くなってからも何回か覗いている。人が集まらなくなって寂しそうだ。
しばらく世間話をした。これからも覗いてみよう。

地面に踵から着いて母指球から抜く。その時に足裏全体をしなやかに。
この歩き方がクセ付いた。受傷前はこのように歩いていたのだろうか。そんなことは意識したこともなかったのだ。
ふつうの骨折やケガなどで、例えば100日入院したとしても、その後は回復するものだ。歩き方がどうだったかと思う人はいないだろう。本能というバックアップ機能なのだろうか。いや、脳と神経が何の影響も受けていないからなのだろう。
自分で考えた場合、神経の作用でまともに動かすことができない期間が永かったから忘れているのか。それとも神経が今もうまく働いていないから、いちいち再教育・チェックを繰り返さないと定着しないのだろうか。

よく参考にさせていただいた脳卒中の在宅リハビリのサイトがある。
脳障害も頚髄損傷による障害も同じような症状が多い。もちろん根本は違うが。ニューロリハビリについても多く記事を書かれている。とても多くの見識を持たれた方が書かれている参考になるサイトだ。
その方が書かれていた中で、思うように動かないのは脳障害による片麻痺が原因だけでなく、しばらく動かさないことによる筋骨のこわばりも疑ってみるべきと書かれている。
また、動かさないことによって筋線維に指令が届かなくなって余計に動かなくなるとも。

結果的に動かさないといけない、ありとあらゆる筋肉を。できれば正しい動かし方なのだろうが。
左腕の筋肉が太くなったと前から書いているが、筋トレをしていて左の腕橈骨筋を中心とした筋肉に“血が通う”ような感覚がある。昨日もだ。
これまで左手が不自由で生活で動かすのは右手中心。筋トレで使うも左は1段階軽い荷重。この荷重を右と同じにしてからなのだ、この感覚は。
眠っていた筋線維が起きたのだろうか。身体の中にはそんな箇所がまだあるから動かさないといけない。
まずはほぐすことだ。マイオセラピーの考えが有効なのだろう。

なんか書いている話があちこち・バラバラだ。
不思議なことにマイオセラピーの考え方や筋肉を動かすといったリハビリを、勝手に自分流に調べて実践していたのは、自分の「元通り欲」の高さなのだろうか。
posted by shigenon at 08:43| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年04月06日

低気圧どうなった

今日は寒い日だ。
仕舞っていたいたヒートテックを装着。外に出るとひんやりしている。
震えないかなと期待した。震えると脚が動きにくくなる。これを温かくなった今日この頃、もう一度体感したい。そしてどう対処できるかをやってみたい。
脳の指令・震えは身体の全ての機能を犠牲にして震えようとする。
今シーズンは手を後ろにやることで脚の動きが良くなった。昨日書いたことではないが、脳の意識を“寒くない”と騙せるかをやってみたかった。
残念ながら震えるほど寒くはなかった。

ずっと冬が怖かった。ただ単に身体が動かなくなる・固まるから。
しかし、震えってそうなんだと知ってから怖さは無くなった。知識は対処法を生む。
数多くあった不自由さや不具合も、意識して克服したものや気づかないうちに解消しているものもある。
あれほど天気図を気にしていたのだが、昨年の秋ぐらいから気になっていない。間違いなく低気圧が身体に及ぼす影響はあったのだが、それを感じなくなった。
影響はあるのだろうが、その影響を超える状態の良さになったのだろうか。
まあ、そんな良くなったと書いても調子悪くなることもある。その時は泣き言を書こう。

右脚の痺れは強いままだ。寝ていて起きるときに痙縮は依然ある。思いっきり足を伸ばしたいのだが、伸ばそうとすると足がつりそうになる。
最近の悩みは右足の土踏まずの内側がつること。右足の甲や裏・横など全て痺れが強い。痺れているからつりそうな微妙な感覚も感じ取りにくい。まあ、つったとしてもふくらはぎに比べて対処は簡単だが。
いつも歩きながら思うが、この痺れて感覚の弱い脚をよく動かしているなと。普通だったら痺れているから動かすのが怖く思うのだろう。
痺れているのは脳が感じているだけだという安易な思いが、今の動ける自分になっている。

今日は少し早く帰ってやろう。サボりだ。
日曜日のジムはどうしても義務感を感じてしまう。連続なので身体も疲労している。土曜に行って次は火曜というのがベストだろう。
posted by shigenon at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年04月05日

いい鍼でしたね

金曜日は居酒屋Q。21時閉店と1時間長く呑めるのだが、それに慣れない。20時までにもう十分な飲食を終わらせるのに慣れてしまった。
20時過ぎに帰ろうと思ったが、誕生日を一緒に過ごしたO夫婦のテーブルに移って、マスター・ママも交えて歓談しながら呑んだ。まんま誕生日のメンバーだ。
1年前まで知らなかった人とこうやって仲良く過ごす、これが一人飲みの楽しさと思っている。

ジムでの筋トレ、やはり上半身のマシンの荷重は軽く感じる。
フライは30キロに、チェストプレスは35キロに。それぞれ1つ荷重を上げた。筋肉を付けるのが目的でないにしろ、ある程度の負荷を感じないと達成感がない。

鍼は2週間ぶり。いつもそうなのだが、鍼論議に花を咲かせて治療を受ける。
Aセンセイに言われた。「〇〇(僕)さんを治療する人は大変でしょうね。色々知っているから」
そうかもしれない。他の鍼灸院の治療はどうだったろう。鍼を打ってもらった後の評価は難しい。効いているか効いていないかの判断が難しい。受けている患者の感覚一つなのだ。
ピリッと神経に響けば効いた気がする人もいるだろう。

少なくとも治療行為は“狙い”を持って実施するものだ。
じゃあ鍼は狙った通りの効果を上げられるのかというと、それは評価しにくいだろう。関節が外れていて、それを整体師が戻すといった解りやすさはない。
教科書通りに経絡に鍼を置けば血流が良くなって改善できるのも事実だ。何か“効いた”という実感を患者が持てば励みにもなる。
自論だが、脳を喜ばさないといけないと思う。

先々週の誕生日、今の自分の状態を書いた。
その時まで肩と腕の疼痛は忘れていた。たまに最近痛くないよな・とか、筋肉痛が勝っているのかな・とか思ってはいた。これまでのようなズキッズキッと感じる痛みはなかった。
書いてからだ。思い出したのだ、いつも疼痛があったことを。それからしばらく疼痛が気になっていた。今は気になっていないのだが、これを書くことで思い出してしまった。痛さをまた感じるかな。
何度も書いているが、痛みや痺れは慣れれば脳の判断から消せるのだ。ある程度。
どこかキズつくとかした時に痛みを感じて脳は教えてくれる。ずっと痛い状態を脳が信号を発していたら脳も疲れる。忘れさせてやることだ。脳を喜ばせること、気持ちよい状態にしてやることが大事。

そんな話をしながらAセンセイの治療を受ける。
このような話は大好きだし、とても脳が喜んだ状態になる。
たまに生意気なことを言ってしまう。「あっ、今のはいい鍼でしたね」打ってもらって感じるのだ。鍼の欲しいところに鍼が届くのが。
いやぁ、こんな治療を受けていたら他には行けないだろう。

北九州に帰っていたEさんから連絡があった。帰ってきたと。土曜の朝にお土産を持ってきてくれていた。そして鍼後に居酒屋Qへ。この日はその後バーに行った。
相変わらず呑み過ぎる。日曜日、雨予報だったのでジムを諦める。結局降ったのは遅い時間だったが。
英会話も続いている。同じA講師だ。もう2年くらいか。他人とは思えなくなってきた。

さあ、今週は外出予定なし。ずっと内勤だ。
日曜日にジムに行けなかった、火曜日に行こう。
posted by shigenon at 08:24| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年04月02日

ファジーな動き

会社には7時15分くらいに入る。
もちろん1番乗りだ。今は7時半出社の16時半退社のフレックス。早く帰れるにこしたことはない。
1番に出社すると面倒くさいことをやらなければいけない。


ブラインドを上げるのだ。
道に面して全面ガラス窓だ。そのブラインドの数は16。
1人でやるにはけっこうな作業だ。簡単な作業だが、巧緻運動障害にとっては紐をうまく運ぶことは難しい。
手を上下に繰り出すときに左右の手が当たる。紐を離したり握ったりするタイミングももどかしさを感じる。
放っておいたら誰か来たらやってくれるのだろうが、去年退職した1番に来てた人がやっていたので仕方なくやっている。
やりながらも、これもリハビリになると思ってはいるのだが。

そのあとはコーヒーのセットアップ。デロンギのマシーンの受け皿を洗って水と豆を補給。
自分が飲むのだから仕方ない。最初、水を給湯室から運んでいると少しこぼすことが多かった。筋トレで何十キロも動かすのだが、実生活で重いものを持つのは辛い。加重プラス細かな動きが加わることに苦労する。
いまだ左手だけで2リットルのペットボトルからコップに水を移すことに緊張する。
重いとペットボトルを掴む力が強くなってしまうのだ。

昨日、卵を割っていて1つを排水溝に流してしまった。
これも巧緻運動障害。ふつう器に卵をぶつけるときに、当たった瞬間に瞬時で卵の殻の硬さを感知して力加減を調節している。少なくとも自分はこれまでそうだったと思う。紙コップを掴んだ瞬間に、つぶさない握力で持つのと同じ能力なのだろう。
この能力というか感覚が麻痺している。麻痺ではないか、喪失しているのかも。
目で見て硬い・柔らかいを判断して注意はできるが、触感による自動センサーは働かない。

こう考えると人間の持つ機能はすごい。
一時、ファジー技術というコトバが流行った。適度に判断して動かす。これこそが脳と神経と筋肉の絶妙な働きなのだろう。
良い職人はこの3つの組み合わせが秀でているのだろう。
昨日はシャツのボタンを付けるのに一苦労した。糸の最後の結び目に。それでもなんとかやれる。指が・腕が動くからだ。動くことを幸せに思わないといけない。

今日は金曜日。
居酒屋Qで過ごす日だ。TGIF!
posted by shigenon at 07:50| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年04月01日

疲労を感じる

日曜日はゴルフでずっと歩いた。
月・火・水も喫煙所までのタバコロードを3往復はしているので5000歩は超えている。火曜日にはジムにも行った。
これだけ動かしてはいるが、特殊な疲労を与えていない。脚の筋肉が張ることなんて思い当たらないのだが、張っている。

歩く度、1歩1歩意識して評価している。今の1歩悪かったなとか。
最近はそんなにイレギュラーな歩き方はしていない。踏み出しに力を込めるくらいか。なのにふくらはぎとかが張っている。
思ったのが加齢による疲労。

身体は成長すると思っていた。
中学生くらいの時に身体はずっと大きくなると思っていたように。大きめのサイズを買い続けた。
成長期なんて40年以上も前の話だ。
今はお腹が大きくなるくらいしか思わず、パンツを買う時にウエストサイズを悩むくらいか。
ただ、ずっと身体は鍛えれば強くなるものと思っていた。ジムに集う筋肉マンおじさん達はみんな60歳を超えている。

先々週くらいからステップマシンを復活させたが、5分も持たない。
確か受傷前は20分か25分、150キロカロリー分を動かしていた。受傷後も15分はやっていたのだが、それもサボるようになった。
そしたら3分も動かせば息が切れる。これはいわゆる体力の衰えなのだろうか。

身体を思うように動かせないのは受傷による影響なのだが、当然のように歳をとる。
歳による身体への影響は自分の場合どうなのだろう。
昔、展示会で80歳の身体の動きを体験するというブースがあった。手と足の動きを何かで制限、目もゴーグルで視野を狭くしていた。自分は体験していないが、体験した人は“えっ~~”と動けないことに驚きの声を上げていた。

杖もついていない。足を引きずったりすることなく軽快なステップで歩いている。ただ頭の中は1歩1歩の歩行を思っている。時々つま先が地面にすれるが、誰が見ても普通より運動能力の高い人に見えるだろう。筋肉も付いているしスマートに見えるよう努力をしている。
ただ、急に飛んだり跳ねたりはできない。犬が飛びかかってこないことだけをいつも祈っている。

加齢による運動能力の低下はどのように来るのだろう。疲れやすくなるというのは序章なのだろう。
運動能力の低下を凌駕する機能の向上を目指すしかない。
posted by shigenon at 08:25| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年03月31日

手首

通常出勤になって2週目。先週は出張や有休があったが今週はずっと会社だ。
受傷後は起きてから家を出るまでの時間をゆっくり取っている。受傷前より10分早く起きている。
それはシャツのボタンを嵌めるのに時間がかかることと疼痛でマッサージ器を肩に当てたりする必要があったからだ。
今、格段に手際良くなった。朝飯食って、モーサテとあさチャン見て6時45分に家を出る。

先週、少し手間取った。それは、シャツの袖のボタンを留められないのだ。
ワイシャツは綿100%しか着ない。クリーニングに出して古くなれば縮む。ボタンホールの糸はポリなので硬くなる。ましてや細身のシャツばかりだ。
指の動きは良くはなっている。とはいえ、手首サイズちょうど位のカフス部分のボタンを留めるのは難しい。

ボタンを留めるツールがある。先が輪になった針金で、ボタンホールにくぐらせてボタンを引き寄せられる。
業務で介護用品の企画をやっていた頃、あれは2000年か、福祉用具選定相談員の資格を取った。だから福祉用具については各種知っていた。そのボタンを留める器具も、退院前に病院にあるカタログで1つ、予備にネットで1つ買っていた。ボタンを留めることが難しいほどの指の可動だった。

でもパンパンの袖のボタンはこの器具を使っても難しい。
左袖は簡単だ。右手の可動がいいから。右袖が難しい。左の人差し指は細かく動かせない。
先週、両腕のボタンに時間がかかった。簡単にできるはずの左カフスも時間がかかる。シャツが縮んだと思った。

なんとかボタンを留めて考える。
そう、手首が太くなっているのだ。手首の太さは昔から図る基準を持っている。親指と中指で手首を回す。親指と中指の先が触れるか触れないくらいが昔からの手首の円周。
受傷前の年は毎週ゴルフだった。ゴルフで左腕が右腕よりも太くなったと感じていた。手首は親指と中指の先が大きく離れていたことを覚えている。受傷後、手首は細くなった。親指と中指の先が交差する位まで左手首はやせ細った。
それが親指と中指の先が付かない位まで太くなっている。両手首だ。

昨日は早く帰ってジムに行った。
筋トレの荷重が軽く感じるようになった。チェストプレスは5キロ増やして35キロにした。受傷前は40キロだったのだが、それに近づいた。
荷重を増やして筋肉を付けようとは思わない。維持できればそれでいいのだが。軽く感じたら筋肉が落ちるような気がする。

1年前のブログを読み返したが、筋トレマシンが変わったころだ。リボトリールも去年の誕生日に止めてしばらく苦しんだ。この1年で身体の動きは大きく変わった。「症状固定」…確かに症状としては同じだろうが、身体の機能は大きく進化した。
posted by shigenon at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年03月30日

骨盤の働きか

ゴルフ後の状態。
これまではゴルフ後の変化に驚いていたが、今回はゴルフ中に驚いた。日曜のゴルフ場はカート乗り入れがダメ。今までならそれだけで気分が沈んでいたが、スタート前から気にしていなかった。
実際にプレーしていて、いくらでも歩ける。苦痛じゃない。
在宅ワーク時のウォーキングで歩くという行為に苦を感じなくなったのだろうか。いや、歩く行為そのものが前よりラクだからだろう。

“歩かないといけないんだ”という気持ちの重さを全く感じなかった。少し走ったりしたくらいだ。
それよりもドライバーがテンプラになるのが気になった。目で追えないほど高く上がる。
「銀座の天婦羅」というらしい。そのこころは「高い」
実は在宅ワーク最終日にゴルフの練習に行った。家から徒歩圏内に練習場がある。ただし100ヤードもない距離しかないが。
この練習場には受傷後初めてか。ほぼ毎週ゴルフ場に行っていたのだ、練習するヒマなんてなかった。
ただ左腕の筋肉が付いたことで、どう振っていいのかが解らなくなっていた。

大叩きホールはあったものの、ボギーペースで回れた。なんとか100は切れたからヨシとしよう。
スタート前にぎっくり腰の兆候が見られたが、酷くならなかった。ぎっくり腰は股関節が働いていないから起きるとYouTubeで言っていた。できるだけ意識して股関節を動かした。

昨日、タバコロードを歩きながら思ったこと。
これまでゴルフ後に調子よく歩けたのは、足首を斜面とかで使うからだけと思っていた。
それに加えて骨盤の働きが影響しているのではないだろうか。
手を後ろにやって上げると歩きやすくなる。これも広背筋が引きあがって、骨盤内の何かに影響をしているからではないだろうか。
まあ想像だ。今度センセイに投げかけてみよう。

昨日、実家に来た息子の写真がラインで届いた。写真を撮っていたのだが母親は送り方が解らず、姉が実家に来た時に送ってくれた。
自分によく似ている。イケメンだ。モテるだろう。
posted by shigenon at 08:04| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年03月29日

嬉しくて

水曜日から出張だった。
水曜に名古屋、そのまま遅くなる予定だったので名古屋泊。木曜は大阪で打ち合わせ。
大阪を終えて実家に帰る予定にしていた。金曜日は有休を取った。日曜は東京でゴルフコンペなので土曜に戻らないといけない。
実家の両親は元気だった。帰るのを楽しみにしてくれている。
実家に帰ってもすることがない、ダラダラとソファに寝転がっているだけだ。ただただ両親と一緒に時間を過ごす、これを大切にしたいと思っている。

帰省する前に母親から連絡がきていた。
僕の息子の入学祝を彼の家に持っていくという連絡。この連絡がきたのがまだ受験が終わったばかりで合格発表前だ。希望の高校や進路は解らないが、とにかく高校入学になるからお祝いをしようという孫への想いだ。
まあ、せめて公立高校の合格発表が終わってからでいいんじゃないと返しておいた。
僕もお祝いをしたい。父親として当たり前の気持ちだ。

実家に帰った時にお祝いを置いてきた。日曜日にゴルフコンペなので土曜に実家から帰省した。お祝いは日曜の大安に持っていくという。お祝いと実家にあった息子が興味を持ちそうな本を数冊。
日曜のゴルフの最中に母親からラインがきていた。家に行ったが引っ越しをしているようだと。そうなのだ、その確認があった。
息子の住んでいる家は元嫁の実家。元嫁の兄弟は長男・次男・三男と男が三人いる。次男と三男は東京だが、長男は地元に住んでいる。
元嫁の母親が亡くなって香典返しを持ってきた時に、その住んでいる家を長男から出るように言われていると聞いていた。

昨年、クリスマスにプレゼントを贈った時には配達されていた。ただ、家の件はどうなったのだろうかと心配していた。引っ越すといっても息子の高校受験があるしと。
僕の母親から元嫁の電話番号を教えてくれと書いてあったので送る。電話してみるようだ。
そのあと、連絡がついて午後から家に来るという。
そのやりとりをゴルフ中にしていた。

栃木でのゴルフが終わって東京に戻る。
戻ったらコンペの表彰式で主催の居酒屋へ。母親には来たのかどうかラインを送っていたが連絡がない。電話をするとちょうど帰ったばかりだという。
詳しいことは聞いていない。話す母親が涙声だったから。聞いたのは、隣の大きな市に引っ越したこと・その学区で一番の進学校に合格したこと・身長は178センチだということ。178センチということは僕より1センチ高い。

酒を飲んでいたからか、いや、飲んでいなくても同じだ。
涙が出た。
posted by shigenon at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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