マンボウで飲食店は20時閉店。
飲みに行くときは17時から行くのでそれほど気にならなかった。17時から呑んだら20時には出来上がる。
金曜日、客先で18時スタートのプレゼが遅れた。遅く始まり、終わったら19時半近く。居酒屋Qには19時半くらいに行くから少し遅くまでやってくれと先週にお願いしていた。
マスターからは何度か電話がかかっていた。結局、着くのは20時半くらいになりそうなので無理だねと折り返した。
居酒屋で呑むという有難さをあまり深く考えていなかった。ただ、今日は寄って帰ろうかなという気分だけだ。特別なものでもない、習慣的な行動だ。ただ、今は近くにお気に入りがないから週末だけだ。
どこでもいい、疲れた頭と身体を癒すために居酒屋に寄りたかった。これが出来ないのだ。
このストレスは何ともしようがない。
せっかくの週末だが仕方ない。家の駅で弁当を買って家でビールを開ける。
家でビールを空けて思った。ただ酒が呑みたいだけでないのだ。何というか、居酒屋の空間で食べたいモノを頼んで熱い・冷たい内に食べる、食べながら酒を流し込む。家でいくら豪勢なアテを揃えて呑んでも違うのだ。
酒のアテは食べ物だけでない。人だ。カウンターに座ってマスターやママと話す。他のお客さんと会話する。そういったことが楽しい。こういう居酒屋ライフを何年しているだろうか。
だから、そういうことが出来る居酒屋を選ぶ。
近所の焼きトン屋や沖縄料理屋で一人食べても、それは身体が欲する食と酒を満たしているだけだ。
家で弁当を食ってビール1缶で眠くなってきた。平日、家で呑む量はビール1缶と焼酎は5杯くらい呑むのだが、疲れていたのか。
おかげで翌日は早く目覚めた。いつもの土曜日。ジムに行って鍼に行って。
いつものジムでの筋トレだったが、今回は重く感じる。同じ荷重で感じ方が違う時があるのは何故なのだろう。ストレッチマットで身体をチェック。右の腰から上、痺れていて感覚は鈍いのだがかなり硬くなっている。
ストレッチポールで身体の各部をゴリゴリするようになったのは1か月ほど前からか。
最初は痛かった箇所も少し慣れたのか痛みが少なくなってきた。ほぐれたとは思わないが。
鍼では足裏の鍼の効果を伝える。
足裏と甲の痺れが1段階軽くなったのだ。とはいえ、痺れは強いのだが。何かを踏んだとして、その踏んだものを識別はできないのだ。踏んだモノが固いもの・柔らかいものという区分ができるかどうかで痺れの強さが判断できる。
今回は前回よりも多く足裏に鍼を打ってもらった。Aセンセイも足裏にこれほど鍼を打つのは初めてな打ってもらった足を動かす。色んな刺激が足裏に入る。これが気持ちいい。
痺れているから足裏に打てるのだ。これが痺れていなかったらかなり痛いらしい。
鍼から帰ると16時15分。2時間近く鍼を打ってもらっていた。
16時半に待ち合わせている。居酒屋Qのママの息子・Tとその同僚、近所のEとシシ鍋を食べに行くのだ。両国の有名なジビエ屋。店の表には猪が3匹吊ってある。イノシシは何度か食べたことがある。
今回はシシ煮込み、シシ鍋、シカ刺し、シカ竜田揚げ、クマ汁、デザートというコース。
クマ汁は出てきた瞬間に獣臭がすごかったらしい。自分は感じなかったのだが、翌日に寝室が獣臭かったからそうなのだろう。
店を出ていつものバーへ。20時閉店は関係ない。
バーを出てからも、やっている店に行った。マンボウ下でも時短要請に応じていない店はあるのだ。
時短要請を断れば命令になり、それに従わないと過料になるのだろうか。
22時半くらいまで呑んだのだろうか、翌日目が覚めると頭が痛かった。3件目で甲類焼酎を呑んだからだと思うが、そもそも量の問題かもしれない。
日曜日は遅くまでベッドにいた。やはり鍼の効果なのだろうか、けだるさがある。二日酔いなのかははっきりしないが。ジムに行くのをどうしようかと。
結局ジムには行かなかった。月8回というプランだ。違う刺激を入れずに土曜の鍼の効果を感じていたい。火曜日に早く帰って行くことにする。その後に居酒屋Qに行くことも考えて。
Mちゃんからラインが来ていた。沖縄のAさんが帰ってくるので24日に集まろうと。Aさんとはたまにラインをするが久しぶりだ。
日曜日、ダラダラ呑んでいたら眠くなった。マッサージ機で1時間ほど寝てしまっていた。
1時間もマッサージ機で寝るということはあまりない。しかも十分な睡眠が取れている日曜に。身体は老化しているのだろうか。疲れやすさとかそういう感覚は残念ながら感じない。全身に痛みや痺れがあるのだ、それ以外の微妙な症状なんて感じ取ることが出来ない。
早々にベッドに入った。
夜中に何度か目が覚めたが、すぐに眠れた。寝ていても右脚の痺れは気になる。右足先は鍼によって違った感覚だ。
今日、歩いていて感じる。鍼後は何か感覚が違う。これが良い方に向かっているのかどうかは解らない。
良くなる時はなかなか気づかないのだ。色んな稼働が良くなった時も、気づいた時に良くなっていて、何が原因だったか掴めない。
さあ、週初め。今日は18時から神奈川でプレゼ。もう勘弁してほしい、18時からの仕事は。帰ったら20時は超えるだろう、またほか弁とビールだ。
2021年04月19日
2021年04月16日
最近の日常
現在の出勤はフレックスで7時半に出社し16時半に退社。
外に出ることもあまりなくなった。内勤で企画を創ったり、たまに営業に付いて得意先でプレゼンをするくらい。
会社公認で所属している社団法人では役員という立場なので理事会が月1回、定例会が2か月に1回ある。また、協会内で事業部を作っているので、その事業部の仕事も多少なりともある。
要は、それほど忙しくない。まあ、暇ではないが。
これまで仕事をしていて時計を何度も見るといったことはないが、内勤をしてやっていることが一区切りつくと時間が気になる。
仕事のスピードは速い方だと思う。時間があるからと言って、時間に合わせた仕事の進め方はしない。そういうクセをつけると本当にやるべき時にできなくなる。スポーツと同じだ。
2時間と決めている仕事を1時間ちょっとで終わらす。次に同じような仕事は1時間で終わらす。それを繰り返していかないと仕事人として失格とさえ思う。
早く終われせて余った時間を他のことを考える時間にすればいい。寝てもいい。とにかく想定した時間以内で終わらせるクセを作ることだ。
会社の中にいる時間は好きではない。色んなヒントは現場にある。
三現主義…現地・現物・現実というコトバがある。現地に行って現物を見て現実を知る。これは非常に重要だ。これがあてはまる業種や職種は多いのではないだろうか。
16時半に退社すると17時には家に着く。
これまでは平日でも居酒屋に寄ることはあったが、今、週末以外は家で過ごす。コロナ禍だからではない、行くところがないだけだ。
元居酒屋Sはそのままの居抜きで営業している。カウンターの中も外も人が違うが、風景は同じ。
そこで過ごした思い出を変えたくないから行かない。何度か元居酒屋Sのマスターと行ったが歓迎はされない。
元居酒屋Yは近くの居酒屋が移転してきた。元々常連さんだけでまわっていたいた店らしい。そこに新たに行こうとは思わない。出来上がったコミュニティに入り込むのも面倒くさいと思うようになってきた。
カウンターに座って適当にマスターやママと会話をして、気の利いた肴があり、横に来た知らない客と話して呑む。そんなスタイルをずっとやってきた。
それ以外に最寄り駅にある居酒屋は沖縄料理屋くらいか。何度か行っている。
家を少し超えると焼きトン屋が2軒。安さが売りの店だ。他にも居酒屋はあるが、どちらかというとグループで入る感じの店ばかりか。
店構えも入る気がする・しないに影響する。入る気がしない店は、行っても期待外れが多い。
誰ともしゃべらず食いながら呑むだけなら家に帰ってテレビを見ながらの方がいいように思ってきた。
その中で居酒屋Qを見つけたことは良かった。
家の1つ前の駅寄りだ。手前の駅から降りて5分。店から家までは10分強。家から5分圏内であれば毎日行っているだろう。呑んだらすぐ帰れる範囲で飲んでいた時代が長かったから家の近く以外では平日は呑む気がしない。週末を過ごす居酒屋だ。
呑みに出るのが金・土だけになったから好きなだけ呑んで酔っぱらってしまうのかもしれない。
今朝、例のごとく深夜に目覚めたが、痺れが強い。
特定の箇所でなく、久しぶりに全体的に痺れが強いのだ。低気圧が来た時の感覚。寝ぼけ眼でスマホで気圧配置を見るが、高気圧が張り出している。全身がむくんで痺れている感じだ。
朝起きてリリカを飲んでしばらくしたらマシに感じた。ずっとリリカを飲んでいるが効果を感じたのは初めてかもしれない。
今日は若い営業担当者に付いて行ってプレゼンだ。それが18時からだ。18時以降に仕事などしたくないが仕方ない。
その営業担当者はこの春に仙台から転勤してきた。どこに住んでいるのか聞くと同じ駅だった。
今日は金曜。居酒屋Qにその若手を連れて行ってやろうか。
外に出ることもあまりなくなった。内勤で企画を創ったり、たまに営業に付いて得意先でプレゼンをするくらい。
会社公認で所属している社団法人では役員という立場なので理事会が月1回、定例会が2か月に1回ある。また、協会内で事業部を作っているので、その事業部の仕事も多少なりともある。
要は、それほど忙しくない。まあ、暇ではないが。
これまで仕事をしていて時計を何度も見るといったことはないが、内勤をしてやっていることが一区切りつくと時間が気になる。
仕事のスピードは速い方だと思う。時間があるからと言って、時間に合わせた仕事の進め方はしない。そういうクセをつけると本当にやるべき時にできなくなる。スポーツと同じだ。
2時間と決めている仕事を1時間ちょっとで終わらす。次に同じような仕事は1時間で終わらす。それを繰り返していかないと仕事人として失格とさえ思う。
早く終われせて余った時間を他のことを考える時間にすればいい。寝てもいい。とにかく想定した時間以内で終わらせるクセを作ることだ。
会社の中にいる時間は好きではない。色んなヒントは現場にある。
三現主義…現地・現物・現実というコトバがある。現地に行って現物を見て現実を知る。これは非常に重要だ。これがあてはまる業種や職種は多いのではないだろうか。
16時半に退社すると17時には家に着く。
これまでは平日でも居酒屋に寄ることはあったが、今、週末以外は家で過ごす。コロナ禍だからではない、行くところがないだけだ。
元居酒屋Sはそのままの居抜きで営業している。カウンターの中も外も人が違うが、風景は同じ。
そこで過ごした思い出を変えたくないから行かない。何度か元居酒屋Sのマスターと行ったが歓迎はされない。
元居酒屋Yは近くの居酒屋が移転してきた。元々常連さんだけでまわっていたいた店らしい。そこに新たに行こうとは思わない。出来上がったコミュニティに入り込むのも面倒くさいと思うようになってきた。
カウンターに座って適当にマスターやママと会話をして、気の利いた肴があり、横に来た知らない客と話して呑む。そんなスタイルをずっとやってきた。
それ以外に最寄り駅にある居酒屋は沖縄料理屋くらいか。何度か行っている。
家を少し超えると焼きトン屋が2軒。安さが売りの店だ。他にも居酒屋はあるが、どちらかというとグループで入る感じの店ばかりか。
店構えも入る気がする・しないに影響する。入る気がしない店は、行っても期待外れが多い。
誰ともしゃべらず食いながら呑むだけなら家に帰ってテレビを見ながらの方がいいように思ってきた。
その中で居酒屋Qを見つけたことは良かった。
家の1つ前の駅寄りだ。手前の駅から降りて5分。店から家までは10分強。家から5分圏内であれば毎日行っているだろう。呑んだらすぐ帰れる範囲で飲んでいた時代が長かったから家の近く以外では平日は呑む気がしない。週末を過ごす居酒屋だ。
呑みに出るのが金・土だけになったから好きなだけ呑んで酔っぱらってしまうのかもしれない。
今朝、例のごとく深夜に目覚めたが、痺れが強い。
特定の箇所でなく、久しぶりに全体的に痺れが強いのだ。低気圧が来た時の感覚。寝ぼけ眼でスマホで気圧配置を見るが、高気圧が張り出している。全身がむくんで痺れている感じだ。
朝起きてリリカを飲んでしばらくしたらマシに感じた。ずっとリリカを飲んでいるが効果を感じたのは初めてかもしれない。
今日は若い営業担当者に付いて行ってプレゼンだ。それが18時からだ。18時以降に仕事などしたくないが仕方ない。
その営業担当者はこの春に仙台から転勤してきた。どこに住んでいるのか聞くと同じ駅だった。
今日は金曜。居酒屋Qにその若手を連れて行ってやろうか。
2021年04月15日
鍼を思う
足先の痺れはずいぶんと緩和した。
気になっていた部分の3分の1くらいは大きく改善した。これは鍼を打ってもらって効いた箇所なのだろうか。次は改善できていない箇所を狙って打ってもらえば大きく変わるかもしれない。
鍼は痛みや痺れやコリを感じる箇所に直接打って聞く場合とそうでない場合がある。
コリとかであれば全体の血流を良くすること、狙っている箇所に血の巡りが良くなるように、いわゆるツボに打つのだろう。
受傷して鍼に行こうと思った理由は簡単だ。筋肉の中の方を刺激したかっただけだ。イメージは筋肉の中の深いところに神経が通っているイメージを持っていた。動かない広い範囲に打ち込んで欲しかった。間違った考えだったのだろう。
鍼が効果を出すメカニズムは筋肉を傷つけることによる修復作業による白血球の増加や、刺激によるホルモンの増加などが言われている。
そんなことは知りもしなかった。ただ患部に刺激を与えれば何か反応するだろうということだけ。
いくら手で揉んでも中まで届かない。
Aセンセイに出会うまでの鍼はどれくらいの深さまで打っていたのだろう。
調べてみると一般的に2センチから3センチという例が一番多いようだ。もちろん部位にもよるだろうが。考えたら2センチ入れば自分が思っていた“筋肉の中の神経”を刺激できるのだろう。
実際、A治療院に行く前の治療院ではそんなに深く打ってはいなかったが、帰り道は普通に歩けていた。杖を持っていた状態の頃だ。行く時と帰る時の違いで鍼の効果を実感できた。
今、Aセンセイに鍼治療の最後に立って右脚の後ろに打ってもらう。それはピリッと足先まで痺れる鍼を打ってもらうのだ。いつの頃からか、それが治療最後の仕上げとなった。
他は横になって鍼を打ってもらっているが、この時ばかりは自分の目で見られる。
長い鍼が右脚の後ろに入っていく。6・7センチは入っていくだろうか。「ここがくると思うんですけどね…」と言いながら打ってくれる。身体の中にスムーズに入っていく鍼を見ていると、芸術とさえ思える。
ピリッの箇所が当たる時もあれば外れるときもある。
センセイの目はかなり的確な判断力があるのに、外れることもあるのだと思っていた。ただ、長い鍼を初めて使った時に、いつもピリっと来なかった箇所が反応した。つまり深さが足りなかっただけということもあったのだろう。
ただ、そのピリッが何か効果あるかと言えば、それは不明だ。精神的に効いた気がするだけかも。
マイオセラピーが神経障害には有効だといわれている。マイオセラピーというコトバ自体は特定の器具を使った治療法であり商標化されているが、その考えは筋肉の深層部を緩めて血流を良くして神経の修復をするということ。
マイオセラピーというコトバは使えないが、まさに鍼はそうなのではないか。
今回の足裏の鍼で、状態に変化があったことで思った。
気になっていた部分の3分の1くらいは大きく改善した。これは鍼を打ってもらって効いた箇所なのだろうか。次は改善できていない箇所を狙って打ってもらえば大きく変わるかもしれない。
鍼は痛みや痺れやコリを感じる箇所に直接打って聞く場合とそうでない場合がある。
コリとかであれば全体の血流を良くすること、狙っている箇所に血の巡りが良くなるように、いわゆるツボに打つのだろう。
受傷して鍼に行こうと思った理由は簡単だ。筋肉の中の方を刺激したかっただけだ。イメージは筋肉の中の深いところに神経が通っているイメージを持っていた。動かない広い範囲に打ち込んで欲しかった。間違った考えだったのだろう。
鍼が効果を出すメカニズムは筋肉を傷つけることによる修復作業による白血球の増加や、刺激によるホルモンの増加などが言われている。
そんなことは知りもしなかった。ただ患部に刺激を与えれば何か反応するだろうということだけ。
いくら手で揉んでも中まで届かない。
Aセンセイに出会うまでの鍼はどれくらいの深さまで打っていたのだろう。
調べてみると一般的に2センチから3センチという例が一番多いようだ。もちろん部位にもよるだろうが。考えたら2センチ入れば自分が思っていた“筋肉の中の神経”を刺激できるのだろう。
実際、A治療院に行く前の治療院ではそんなに深く打ってはいなかったが、帰り道は普通に歩けていた。杖を持っていた状態の頃だ。行く時と帰る時の違いで鍼の効果を実感できた。
今、Aセンセイに鍼治療の最後に立って右脚の後ろに打ってもらう。それはピリッと足先まで痺れる鍼を打ってもらうのだ。いつの頃からか、それが治療最後の仕上げとなった。
他は横になって鍼を打ってもらっているが、この時ばかりは自分の目で見られる。
長い鍼が右脚の後ろに入っていく。6・7センチは入っていくだろうか。「ここがくると思うんですけどね…」と言いながら打ってくれる。身体の中にスムーズに入っていく鍼を見ていると、芸術とさえ思える。
ピリッの箇所が当たる時もあれば外れるときもある。
センセイの目はかなり的確な判断力があるのに、外れることもあるのだと思っていた。ただ、長い鍼を初めて使った時に、いつもピリっと来なかった箇所が反応した。つまり深さが足りなかっただけということもあったのだろう。
ただ、そのピリッが何か効果あるかと言えば、それは不明だ。精神的に効いた気がするだけかも。
マイオセラピーが神経障害には有効だといわれている。マイオセラピーというコトバ自体は特定の器具を使った治療法であり商標化されているが、その考えは筋肉の深層部を緩めて血流を良くして神経の修復をするということ。
マイオセラピーというコトバは使えないが、まさに鍼はそうなのではないか。
今回の足裏の鍼で、状態に変化があったことで思った。
2021年04月14日
Jの話A
@の話は1985年〜1987年の夏までの話だ。
毎日仕事して、飲んで過ぎて行った。変化があったのは1987年の夏の終わりころ。寮を出る決意をし、公団(今のURか)に申し込んでいたら当選した。さあ引っ越しだと荷物をまとめていた。
その引っ越しの準備をした次の月曜日に転勤の内示があった。
札幌支店だ。
引っ越し準備の荷物は札幌送りとなった。新居は一度も住まずに床磨きをしただけだった。購入していた家電製品をお届け前にキャンセルしたのも覚えている。
会社の先輩がやってくれた送別会は盛大だった。事業部を問わず入社3年目の若造に100人近い人が来てくれた。会社内では色んな人たちと関わりを持っていた。その殆どが一緒に酒を飲んだという関係だっただろう。時代はバブルと言われる時代に入っていたが、全く実感も金もなかった。
1987年の9月の終わりだったろうか、東京の会議に出てから、札幌支店で上司になる人と一緒に札幌に行った。その上司は熊のような風貌、まさに熊のいる地にさらわれていくような気持だった。
その人が言った「○○、北海道って熊がシャケ加えて歩いていると思ってるだろ、全然違うからな」
熊に言われても実感がなかった。
Jとは事業部も違うし疎遠になった。札幌に転勤してしばらくしてJが会社を辞めた。その辞める時に電話で話したと思う。Jは家に戻って家業を継ぐということだ。家は縫製工場を営んでいる。
転勤した翌年1988年の最初の頃だったろうか。いや、転勤した年だったろうか。覚えていないが、咳が止まらず息が苦しい。住んでいた建物内にある医者に行ったが良くならない。息が出来ずに眠れもしない。タクシーに乗って一番近い病院に駆け込んだ。
救急車を使っていないのだが、すぐに診察してくれた記憶がある。それほどひどく見えたのだろうか。
結果は喘息だ。急性気管支炎。大阪にいるときから息苦しくて寝られないことはあった。
札幌の寮はマンションで部屋は暖かい。誰も掃除をしないダニがいる絨毯に寝転んでいたことが原因かもしれない。
そのまま入院となった。この時のことはずいぶん前に書いたか。1週間の入院となった。
色っぽい看護師さん、刑務所に服役している囚人、同じ部屋の人、喫茶室の金がかけられる麻雀ゲームなど面白いことがたくさんあった。
札幌での仕事は馴染めないでいた。
大阪では上司も厳しかった。先輩たちとは会社の文句を言いながら飲む毎日だったが、決して後ろ向きでなく、どうすれば良くなるかということでの文句だった。
そういう意味では何か同じ志を持った仲間という絆があった。新入社員からそれを植え付けられた。
札幌支店ではそれを感じなかった。東京・大阪(両本社)の顔色だけを窺い、スキさえあればサボるという雰囲気だった。もちろん皆が皆ではないが。意味のない慣習だけが残っていた。
退院してからだったか、上司が変わった。前の上司はいい性格なのだが、出世欲が強かった。当時の店次長の批判を支店長に告げ口して自分がその地位に収まった。その告げ口の場が、僕の退院祝いという口実で支店長を誘った寿司屋だった。
プリンスホテルの寿司屋。美味しくて次から次へと注文した。会社の金だ。札幌支店は複数で車に乗って出張して普通の交通費を請求して分けるなどをしていた。これも大阪時代では考えられないことだった。
次の上司は東京で役に立たずに追い出された、パンチパーマをあてた人だった。ファッション業界では見かけないタイプだ。酒好きのいい人だが、仕事は理解不能だった。
担当しているブランドの札幌の代表として月に1回、東京での事業部経営会議に出席していた。売り上げの見通し・在庫管理・利益などの資料も作成していた。
事業部で2つのブランドがあった。上司がもう一つにブランドで出席。
そのパンチパーマは、合計の計算をよく間違えていた、事業部長に、お前は足し算もできないのかとよく怒られていた。足し算のミスならまだいい、マネジメントというコトバ自体が彼の中にはなかった。
そんな人と合う訳ない。Jがよく言っていたコトバ「〇〇な、アホと付きおうたらアホがうつるんやぞ」
今でもそのコトバ、その時の声が耳に残っている。
いい加減、サラリーマンが嫌になっていた。
「お前はサラリーマンか」よく大阪時代に先輩たちの口から叱る時に時に出たコトバだ。
そうなのだ、我々はサラリーマンなのだ。でも、単に給料だけを貰って、向上心のカケラもない奴らをサラリーマンである我々がサラリーマンを否定したことを言っていた。
当時のアパレル業界は、普通の企業と違った色だった。一癖も二癖もあるような人が多かった。単に服が好きなオシャレだけの人ではない自分を持った精神力の強い人が多かった。
でも、それは東京とか大阪に勤務している人たちだけで、支店というのはどこか牧歌的な雰囲気だったのかもしれない。それは、その後に色んな所に住んで感じることはあった。
決して地方がダメと言っている訳でない、同じ会社でも支店によってカラーが違うのだ。
そんな時に電話があった。
Jだ。実家の縫製工場に入って、新しいことを始めているらしい。
同郷だ。「お前、もう帰ってきて一緒にやろか」と誘ってくれていた。ただ、積極的な誘いではない。
そりゃそうだろう、大手企業を辞めさせて来いとは言えないのだ。それは長い付き合いでよく判った。
札幌という土地は好きだが、仕事では我慢の限界だったかもしれない。
もう辞めようと思った。1988年の夏。札幌に来てまだ1年を迎えていなかった。
長くつまらない話だろう。ただ、自分のブログだ。ご勘弁を。
この時代に得たことが良くも悪くも自分を創っている。長い話だ、一旦ここまでで。
毎日仕事して、飲んで過ぎて行った。変化があったのは1987年の夏の終わりころ。寮を出る決意をし、公団(今のURか)に申し込んでいたら当選した。さあ引っ越しだと荷物をまとめていた。
その引っ越しの準備をした次の月曜日に転勤の内示があった。
札幌支店だ。
引っ越し準備の荷物は札幌送りとなった。新居は一度も住まずに床磨きをしただけだった。購入していた家電製品をお届け前にキャンセルしたのも覚えている。
会社の先輩がやってくれた送別会は盛大だった。事業部を問わず入社3年目の若造に100人近い人が来てくれた。会社内では色んな人たちと関わりを持っていた。その殆どが一緒に酒を飲んだという関係だっただろう。時代はバブルと言われる時代に入っていたが、全く実感も金もなかった。
1987年の9月の終わりだったろうか、東京の会議に出てから、札幌支店で上司になる人と一緒に札幌に行った。その上司は熊のような風貌、まさに熊のいる地にさらわれていくような気持だった。
その人が言った「○○、北海道って熊がシャケ加えて歩いていると思ってるだろ、全然違うからな」
熊に言われても実感がなかった。
Jとは事業部も違うし疎遠になった。札幌に転勤してしばらくしてJが会社を辞めた。その辞める時に電話で話したと思う。Jは家に戻って家業を継ぐということだ。家は縫製工場を営んでいる。
転勤した翌年1988年の最初の頃だったろうか。いや、転勤した年だったろうか。覚えていないが、咳が止まらず息が苦しい。住んでいた建物内にある医者に行ったが良くならない。息が出来ずに眠れもしない。タクシーに乗って一番近い病院に駆け込んだ。
救急車を使っていないのだが、すぐに診察してくれた記憶がある。それほどひどく見えたのだろうか。
結果は喘息だ。急性気管支炎。大阪にいるときから息苦しくて寝られないことはあった。
札幌の寮はマンションで部屋は暖かい。誰も掃除をしないダニがいる絨毯に寝転んでいたことが原因かもしれない。
そのまま入院となった。この時のことはずいぶん前に書いたか。1週間の入院となった。
色っぽい看護師さん、刑務所に服役している囚人、同じ部屋の人、喫茶室の金がかけられる麻雀ゲームなど面白いことがたくさんあった。
札幌での仕事は馴染めないでいた。
大阪では上司も厳しかった。先輩たちとは会社の文句を言いながら飲む毎日だったが、決して後ろ向きでなく、どうすれば良くなるかということでの文句だった。
そういう意味では何か同じ志を持った仲間という絆があった。新入社員からそれを植え付けられた。
札幌支店ではそれを感じなかった。東京・大阪(両本社)の顔色だけを窺い、スキさえあればサボるという雰囲気だった。もちろん皆が皆ではないが。意味のない慣習だけが残っていた。
退院してからだったか、上司が変わった。前の上司はいい性格なのだが、出世欲が強かった。当時の店次長の批判を支店長に告げ口して自分がその地位に収まった。その告げ口の場が、僕の退院祝いという口実で支店長を誘った寿司屋だった。
プリンスホテルの寿司屋。美味しくて次から次へと注文した。会社の金だ。札幌支店は複数で車に乗って出張して普通の交通費を請求して分けるなどをしていた。これも大阪時代では考えられないことだった。
次の上司は東京で役に立たずに追い出された、パンチパーマをあてた人だった。ファッション業界では見かけないタイプだ。酒好きのいい人だが、仕事は理解不能だった。
担当しているブランドの札幌の代表として月に1回、東京での事業部経営会議に出席していた。売り上げの見通し・在庫管理・利益などの資料も作成していた。
事業部で2つのブランドがあった。上司がもう一つにブランドで出席。
そのパンチパーマは、合計の計算をよく間違えていた、事業部長に、お前は足し算もできないのかとよく怒られていた。足し算のミスならまだいい、マネジメントというコトバ自体が彼の中にはなかった。
そんな人と合う訳ない。Jがよく言っていたコトバ「〇〇な、アホと付きおうたらアホがうつるんやぞ」
今でもそのコトバ、その時の声が耳に残っている。
いい加減、サラリーマンが嫌になっていた。
「お前はサラリーマンか」よく大阪時代に先輩たちの口から叱る時に時に出たコトバだ。
そうなのだ、我々はサラリーマンなのだ。でも、単に給料だけを貰って、向上心のカケラもない奴らをサラリーマンである我々がサラリーマンを否定したことを言っていた。
当時のアパレル業界は、普通の企業と違った色だった。一癖も二癖もあるような人が多かった。単に服が好きなオシャレだけの人ではない自分を持った精神力の強い人が多かった。
でも、それは東京とか大阪に勤務している人たちだけで、支店というのはどこか牧歌的な雰囲気だったのかもしれない。それは、その後に色んな所に住んで感じることはあった。
決して地方がダメと言っている訳でない、同じ会社でも支店によってカラーが違うのだ。
そんな時に電話があった。
Jだ。実家の縫製工場に入って、新しいことを始めているらしい。
同郷だ。「お前、もう帰ってきて一緒にやろか」と誘ってくれていた。ただ、積極的な誘いではない。
そりゃそうだろう、大手企業を辞めさせて来いとは言えないのだ。それは長い付き合いでよく判った。
札幌という土地は好きだが、仕事では我慢の限界だったかもしれない。
もう辞めようと思った。1988年の夏。札幌に来てまだ1年を迎えていなかった。
長くつまらない話だろう。ただ、自分のブログだ。ご勘弁を。
この時代に得たことが良くも悪くも自分を創っている。長い話だ、一旦ここまでで。
2021年04月13日
足裏への鍼
日曜日に3か月期間の英会話が終了。1か月後にまた3か月の期間で月8回のレッスンになる。
週に2回だから平日1回、日曜に1回。いつも同じ講師のAさん。
日曜の夕方のレッスンではいつも同じやり取りになる。
「Happy Sunday.How did you spend this weekend?」
これに対する回答がほぼいつも同じ。
「土曜にジム行って、鍼に行って、居酒屋行って・・日曜は二日酔いで遅くまで寝て、テレビ見て、ジム行って、洗濯機回して、干して・・」
たまに日曜日にゴルフに行くが、その日はレッスンを入れない。だからレッスンを受ける日曜はいつも同じ。
先週もそう。
金曜は居酒屋Q。やはり20時閉店の名残か、20時には十分な酔いが回っている。せっかくの週末なのだが、帰って21時半には寝てしまっている。これは土曜も同じだ。
酒が弱くなったのもあるかとは思うが、何しろQで出される焼酎は濃いのだ。ボトルがないから1杯売り。自分で作るなら自分の丁度よい割る加減がある。
しかしママが作る焼酎は8割くらいが焼酎だ。酒飲みは濃い分に文句は言わない。
土曜の鍼では初めての箇所に打ってもらった。
右足先の痺れが強い。足首から下だ。触るだけでピリピリしている。足裏は無感覚。
鍼は打つ順番も重要だ。前に足先から打ってもらって足裏の感覚が良くなったことがある。足先の痺れをセンセイに言うと、足先から打とうということになる。
自分の痛さや痺れなどの不具合は施術者には解らない。いかに具体的に症状を話せるかだ。
僕は見ただけなら、どこも不具合のない人に見える。それどころか、筋肉も付いてきたから同じような年代のオッサンよりも健康で逞しく見えるかもしれない。
でも痺れているのだ。手も足も。歩くこともやっととはいわないが、1歩1歩いろいろと考えながら歩いている。
ずっと鍼治療をしてもらっていても、痺れは見えないから都度言わないといけない。
足先の痺れは確実に強くなっているのだ。原因は解らない。退院当初よりも強いのは間違いない。
痺れの感覚で言うと、正座で最初にジンジンと痺れる感覚が@、次に無感覚になるが、それがA、それ以上の無感覚とジンジンの痺れが加わった感覚がB、それ以上の状態だった。触って押せばキャン!っていう感覚の箇所がいっぱいある。いつか書いたが、頚髄損傷者は足裏にボコボコ感を感じることが多い。そのボコボコ感すら感じない。
Aセンセイに母趾外転筋が痛いと言う。それだけでなく、足指の付け根、外側も。
そしたら、足裏に鍼を打ってくれた。それが気持ちいいのだ。打ってもらいながらセンセイにそれを言う。そうしたらけっこうな本数を足裏に打ってくれた。
普通、足裏は痛いから数本しか打たないらしい。足裏にこんなに打ったのは初めてと言う。
なぜなら足裏への鍼は痛いらしい。普通の人は嫌がるという。
痺れているから痛さよりも気持ちいいのだ。足の皮は厚いから中の筋肉まで刺激がなかなか伝わらないのかもしれない。
鍼後、これだけ確実に・すぐに効果を感じられることも珍しい。
足裏の痺れが1段階緩和したのだ。施術が終わって立った時に感じた。それと立ち上がった時に打った右足と左足が見た目違う。体重をかけると右足裏はクッションのようにフワフワしている。足裏にアーチが出来たという表現が正しいか。
今も足裏の感覚はいい。ボコボコ感を感じている。
今週も足裏の鍼をリクエストするつもりだ。繰り返していたら感覚が良くなるのではという気がする。
同じように、これは最初からだが、手の平にも打ってもらっている。
手の平は相変わらず痺れているのだが、最近は手の平の鍼が痛くてイヤだ。手の平の痺れが少しはマシになっているからなのだろうか。
さあまだ週初め2日目。週末は程遠い。
週に2回だから平日1回、日曜に1回。いつも同じ講師のAさん。
日曜の夕方のレッスンではいつも同じやり取りになる。
「Happy Sunday.How did you spend this weekend?」
これに対する回答がほぼいつも同じ。
「土曜にジム行って、鍼に行って、居酒屋行って・・日曜は二日酔いで遅くまで寝て、テレビ見て、ジム行って、洗濯機回して、干して・・」
たまに日曜日にゴルフに行くが、その日はレッスンを入れない。だからレッスンを受ける日曜はいつも同じ。
先週もそう。
金曜は居酒屋Q。やはり20時閉店の名残か、20時には十分な酔いが回っている。せっかくの週末なのだが、帰って21時半には寝てしまっている。これは土曜も同じだ。
酒が弱くなったのもあるかとは思うが、何しろQで出される焼酎は濃いのだ。ボトルがないから1杯売り。自分で作るなら自分の丁度よい割る加減がある。
しかしママが作る焼酎は8割くらいが焼酎だ。酒飲みは濃い分に文句は言わない。
土曜の鍼では初めての箇所に打ってもらった。
右足先の痺れが強い。足首から下だ。触るだけでピリピリしている。足裏は無感覚。
鍼は打つ順番も重要だ。前に足先から打ってもらって足裏の感覚が良くなったことがある。足先の痺れをセンセイに言うと、足先から打とうということになる。
自分の痛さや痺れなどの不具合は施術者には解らない。いかに具体的に症状を話せるかだ。
僕は見ただけなら、どこも不具合のない人に見える。それどころか、筋肉も付いてきたから同じような年代のオッサンよりも健康で逞しく見えるかもしれない。
でも痺れているのだ。手も足も。歩くこともやっととはいわないが、1歩1歩いろいろと考えながら歩いている。
ずっと鍼治療をしてもらっていても、痺れは見えないから都度言わないといけない。
足先の痺れは確実に強くなっているのだ。原因は解らない。退院当初よりも強いのは間違いない。
痺れの感覚で言うと、正座で最初にジンジンと痺れる感覚が@、次に無感覚になるが、それがA、それ以上の無感覚とジンジンの痺れが加わった感覚がB、それ以上の状態だった。触って押せばキャン!っていう感覚の箇所がいっぱいある。いつか書いたが、頚髄損傷者は足裏にボコボコ感を感じることが多い。そのボコボコ感すら感じない。
Aセンセイに母趾外転筋が痛いと言う。それだけでなく、足指の付け根、外側も。
そしたら、足裏に鍼を打ってくれた。それが気持ちいいのだ。打ってもらいながらセンセイにそれを言う。そうしたらけっこうな本数を足裏に打ってくれた。
普通、足裏は痛いから数本しか打たないらしい。足裏にこんなに打ったのは初めてと言う。
なぜなら足裏への鍼は痛いらしい。普通の人は嫌がるという。
痺れているから痛さよりも気持ちいいのだ。足の皮は厚いから中の筋肉まで刺激がなかなか伝わらないのかもしれない。
鍼後、これだけ確実に・すぐに効果を感じられることも珍しい。
足裏の痺れが1段階緩和したのだ。施術が終わって立った時に感じた。それと立ち上がった時に打った右足と左足が見た目違う。体重をかけると右足裏はクッションのようにフワフワしている。足裏にアーチが出来たという表現が正しいか。
今も足裏の感覚はいい。ボコボコ感を感じている。
今週も足裏の鍼をリクエストするつもりだ。繰り返していたら感覚が良くなるのではという気がする。
同じように、これは最初からだが、手の平にも打ってもらっている。
手の平は相変わらず痺れているのだが、最近は手の平の鍼が痛くてイヤだ。手の平の痺れが少しはマシになっているからなのだろうか。
さあまだ週初め2日目。週末は程遠い。
2021年04月09日
Jの話@
この前、少し書いたJの話を書きたい。(先輩だけど文中はJと敬称略)
新卒で入った会社。大手アパレルだ。
ブランド毎に事業部があり、事業部が一つの会社のような感じだ。
ある事業部の大阪勤務。大阪には3つのビルがあった。配属の事業部はナンバのビル。そこには3つの事業部が入っていた。
元々ファッションには興味があった。学生の頃はデザイナー・キャラクターブランドブームだ。バイトの金はほとんどが服代かパチンコだった。
配属された事業部には2つのブランドがあった。そのうちの1つのブランドを新入社員の僕と2つ上のセンパイHさんの二人だけで受け持った。考えられない組織だ。
事業部の先輩とはよく飲みに行った。飲んで仕事の話・会社の話。アパレルは華やかな業界とはいえ、ふつうの会社なのだ。
ウチの事業部は仲が良かった。20時頃まで仕事をしてそれから飲みに行く。帰りはほぼ終電。
僕は寮に入っていたので夕食を会社で食う。18時になると会社で夕食を食ってから仕事。それから飲んで食べて。不思議だ、そんなに太りはしなかった。
新入社員のクセにいっちょ前なことを言っていた。学生時代はアルバイトを数多くしたことしか誇れないのだ、仕事経験を4年して入社したようなものだ。
文句も人一倍言っていた。仕事は、自分で言うのもなんだが、のみ込みは早かったほうだ。
寮にいたから色んな事業部の先輩と仲良くなった。また、酒も強かったし完全に奢ってもらうことをせずいつもいくらかのお金は払っていた。毎日、誰かと飲んでいた。
Jから声がかかったのはそんな毎日を過ごしていた頃だ。
「お前か、いっつも文句ばっかりゆうて飲んどるヤツは」
これが最初に言われたコトバだ。今でもその時の顔と声が耳に残っている。
Jは同じナンバのビルだが違う事業部。3つ上の先輩だ。同じ事業部に3つ上の先輩が二人いたことから、よくウチの事業部のフロアに来ていた。
どのタイミングだろうか、同郷であることが解ったのは。そして同じ大学出身。
Jも文句の多い人間だった。コトバも悪い。だが、まわりの人たちから好かれていた。一目おかれた存在だった。弁が立ったのだ。
二人っきりで飲みに行ったのはそれほど多くなかったのだろうか、あまり覚えていない。
違う事業部だが可愛がってくれた。今も写真がある。給湯室で二人でアイスキャンディを食べている姿。
休日にはそのビル内の何人かと海に行くのが恒例になった。2,3か月前から予定を組む。
百貨店を担当しているので、日曜日は出勤日だ。まして新入社員なので先の日曜日の予定なんて決められない。
そう言うとJは「あほか、お前。何か月も先の話なんやから、その日休めるよう仕事せんかぇ」
その通りなのだ。
館内マイクを電話で使えることができた。交換手がいて、デスクにいないと館内呼び出しをするだけでなく、誰もが電話を使って館内に放送できた。
「〇〇〇(事業部)の〇〇君(僕)、内線××番まで」
こういう呼び出しがJから何度かあった。
「〇〇、昼から××行こか。車借りたんや。」××とは大阪郊外の百貨店。同じ百貨店でも、事業部ごと・ブランドごとに担当がいる。××百貨店はJも僕も担当していた。
当時、車で出ることなんてなく、全て電車での移動だ。車も会社には数台しかなかったと思う。
急に言われても。なのだが、Jに従う。
車に乗った。「ほれ!」缶ビールを出してくる。そしてJも缶ビールを飲みながら運転する。
35年くらい前の話だ。もちろん飲酒運転は今も昔もいけない。エピソードとしての話だ。
プライベートはともかく(もちろんダメ)、仕事で缶ビールを飲みながら運転するという破天荒ぶりには驚いた。
話は長くなりそうだ。ここで一旦筆を置こう。(いや、筆使ってないけど)
またの機会に書こう。
身体の調子は好調を維持している。当面の課題は右足先の痺れの緩和だ。
今日は金曜日。居酒屋Qだ。今日も初ガツオでスタートかな。TGIF!
新卒で入った会社。大手アパレルだ。
ブランド毎に事業部があり、事業部が一つの会社のような感じだ。
ある事業部の大阪勤務。大阪には3つのビルがあった。配属の事業部はナンバのビル。そこには3つの事業部が入っていた。
元々ファッションには興味があった。学生の頃はデザイナー・キャラクターブランドブームだ。バイトの金はほとんどが服代かパチンコだった。
配属された事業部には2つのブランドがあった。そのうちの1つのブランドを新入社員の僕と2つ上のセンパイHさんの二人だけで受け持った。考えられない組織だ。
事業部の先輩とはよく飲みに行った。飲んで仕事の話・会社の話。アパレルは華やかな業界とはいえ、ふつうの会社なのだ。
ウチの事業部は仲が良かった。20時頃まで仕事をしてそれから飲みに行く。帰りはほぼ終電。
僕は寮に入っていたので夕食を会社で食う。18時になると会社で夕食を食ってから仕事。それから飲んで食べて。不思議だ、そんなに太りはしなかった。
新入社員のクセにいっちょ前なことを言っていた。学生時代はアルバイトを数多くしたことしか誇れないのだ、仕事経験を4年して入社したようなものだ。
文句も人一倍言っていた。仕事は、自分で言うのもなんだが、のみ込みは早かったほうだ。
寮にいたから色んな事業部の先輩と仲良くなった。また、酒も強かったし完全に奢ってもらうことをせずいつもいくらかのお金は払っていた。毎日、誰かと飲んでいた。
Jから声がかかったのはそんな毎日を過ごしていた頃だ。
「お前か、いっつも文句ばっかりゆうて飲んどるヤツは」
これが最初に言われたコトバだ。今でもその時の顔と声が耳に残っている。
Jは同じナンバのビルだが違う事業部。3つ上の先輩だ。同じ事業部に3つ上の先輩が二人いたことから、よくウチの事業部のフロアに来ていた。
どのタイミングだろうか、同郷であることが解ったのは。そして同じ大学出身。
Jも文句の多い人間だった。コトバも悪い。だが、まわりの人たちから好かれていた。一目おかれた存在だった。弁が立ったのだ。
二人っきりで飲みに行ったのはそれほど多くなかったのだろうか、あまり覚えていない。
違う事業部だが可愛がってくれた。今も写真がある。給湯室で二人でアイスキャンディを食べている姿。
休日にはそのビル内の何人かと海に行くのが恒例になった。2,3か月前から予定を組む。
百貨店を担当しているので、日曜日は出勤日だ。まして新入社員なので先の日曜日の予定なんて決められない。
そう言うとJは「あほか、お前。何か月も先の話なんやから、その日休めるよう仕事せんかぇ」
その通りなのだ。
館内マイクを電話で使えることができた。交換手がいて、デスクにいないと館内呼び出しをするだけでなく、誰もが電話を使って館内に放送できた。
「〇〇〇(事業部)の〇〇君(僕)、内線××番まで」
こういう呼び出しがJから何度かあった。
「〇〇、昼から××行こか。車借りたんや。」××とは大阪郊外の百貨店。同じ百貨店でも、事業部ごと・ブランドごとに担当がいる。××百貨店はJも僕も担当していた。
当時、車で出ることなんてなく、全て電車での移動だ。車も会社には数台しかなかったと思う。
急に言われても。なのだが、Jに従う。
車に乗った。「ほれ!」缶ビールを出してくる。そしてJも缶ビールを飲みながら運転する。
35年くらい前の話だ。もちろん飲酒運転は今も昔もいけない。エピソードとしての話だ。
プライベートはともかく(もちろんダメ)、仕事で缶ビールを飲みながら運転するという破天荒ぶりには驚いた。
話は長くなりそうだ。ここで一旦筆を置こう。(いや、筆使ってないけど)
またの機会に書こう。
身体の調子は好調を維持している。当面の課題は右足先の痺れの緩和だ。
今日は金曜日。居酒屋Qだ。今日も初ガツオでスタートかな。TGIF!
2021年04月08日
母趾外転筋
3時半に目覚めた。
トイレに行きたくない限り、いつもは目覚めてもそのまま寝る。
目覚めた時、これは夜中でもぐっすり眠った時でも同じだが、まず右脚の痺れが気になる。ジーンとしている。足先が特に感覚がない。足先が伸びたまま“伸び”をすると足がつりそうになる。
今日はあまりにも足先‥足首から下の痺れが気になるので、左足の親指で押した。思えば左足がここまで力が入るようになったんだと感慨深い気持ちとともに。
右足の土踏まずの内側からくるぶしの下までの幅、足首から親指の横までの長さ、それと小指の下からくるぶしの外側が痺れの強いゾーン。
ここの痺れの強さはいつからだろう。もう半年くらいか。いやそれ以上か。だんだん強くなって今日に至っている。最初はそれほど気にならなかったのだ。
触るだけでピクッとする。痛みでいうなら転んで皮がめくれたところを素手で触るような強い感覚。深層部でなく表皮に近い部分の神経が敏感に感じている。
その部分、何本か鍼を打ってもらうのだが、鍼が少し入っただけでのけぞる。痛い訳でない、ピクッと反応してしまうのだ。
かなり強い左足の親指の力で長い間押した。
押すと気持ちがいい。調べた、土踏まずの内側は母趾外転筋というのだ。よくつる筋肉のようだ。自分だけが特殊でなくてほっとした。
ただ、ここがつるには何か原因があるのだろう。調べたが解らない。
いつも鍼で右下腿に深く打ってもらっている。5センチ以上入った箇所で足先や甲に刺激が伝わることが多い。これを善しとしていたが、何か関係があるのだろうか。いずれにせよ自分ではどうしようもない。土曜日にAセンセイに相談するしかないだろう。
いや、何度か言ったのだ。一度、甲から鍼を打ってもらった時に緩和したことがある。
今日・明日が終われば週末だ。最近は週末が待ち遠しくて仕方ない。何をするわけでもないが。
今週は寒かった日もあり、ヒートテックを再び出している。日曜日あたり全ての冬物をしまい込むか。
トイレに行きたくない限り、いつもは目覚めてもそのまま寝る。
目覚めた時、これは夜中でもぐっすり眠った時でも同じだが、まず右脚の痺れが気になる。ジーンとしている。足先が特に感覚がない。足先が伸びたまま“伸び”をすると足がつりそうになる。
今日はあまりにも足先‥足首から下の痺れが気になるので、左足の親指で押した。思えば左足がここまで力が入るようになったんだと感慨深い気持ちとともに。
右足の土踏まずの内側からくるぶしの下までの幅、足首から親指の横までの長さ、それと小指の下からくるぶしの外側が痺れの強いゾーン。
ここの痺れの強さはいつからだろう。もう半年くらいか。いやそれ以上か。だんだん強くなって今日に至っている。最初はそれほど気にならなかったのだ。
触るだけでピクッとする。痛みでいうなら転んで皮がめくれたところを素手で触るような強い感覚。深層部でなく表皮に近い部分の神経が敏感に感じている。
その部分、何本か鍼を打ってもらうのだが、鍼が少し入っただけでのけぞる。痛い訳でない、ピクッと反応してしまうのだ。
かなり強い左足の親指の力で長い間押した。
押すと気持ちがいい。調べた、土踏まずの内側は母趾外転筋というのだ。よくつる筋肉のようだ。自分だけが特殊でなくてほっとした。
ただ、ここがつるには何か原因があるのだろう。調べたが解らない。
いつも鍼で右下腿に深く打ってもらっている。5センチ以上入った箇所で足先や甲に刺激が伝わることが多い。これを善しとしていたが、何か関係があるのだろうか。いずれにせよ自分ではどうしようもない。土曜日にAセンセイに相談するしかないだろう。
いや、何度か言ったのだ。一度、甲から鍼を打ってもらった時に緩和したことがある。
今日・明日が終われば週末だ。最近は週末が待ち遠しくて仕方ない。何をするわけでもないが。
今週は寒かった日もあり、ヒートテックを再び出している。日曜日あたり全ての冬物をしまい込むか。
2021年04月07日
“血が通う”感覚
火曜日のジムも閑散としている。休日もそんなに混んでない。
コロナ禍云々ではない、前からだ。仮にも花の東京なのだが。近隣にも多くジムがあり、その中でも古い施設であるここは人気がないのだろう。
通りいっぺんの筋トレをこなす。荷重を重くしたフライは辛く感じるが、これは日によってそう感じるだけだ。
久しぶりに筋トレをした時は軽く感じるし、続いている時は重く感じる。これはなぜだろう。
ステップマシンは疲れるからやらなかった。やる気がしない時はやらないでいいのだ。
毎日のタバコロード数往復で5000歩の歩行は確保している。
先日、旧タバコロードを歩いた。桃色インコ母さんはどうしているだろう。
ガラスドアを覗くといつものように座っている。僕の顔を見るなりドアを開けてくれる。灰皿が無くなってからも何回か覗いている。人が集まらなくなって寂しそうだ。
しばらく世間話をした。これからも覗いてみよう。
地面に踵から着いて母指球から抜く。その時に足裏全体をしなやかに。
この歩き方がクセ付いた。受傷前はこのように歩いていたのだろうか。そんなことは意識したこともなかったのだ。
ふつうの骨折やケガなどで、例えば100日入院したとしても、その後は回復するものだ。歩き方がどうだったかと思う人はいないだろう。本能というバックアップ機能なのだろうか。いや、脳と神経が何の影響も受けていないからなのだろう。
自分で考えた場合、神経の作用でまともに動かすことができない期間が永かったから忘れているのか。それとも神経が今もうまく働いていないから、いちいち再教育・チェックを繰り返さないと定着しないのだろうか。
よく参考にさせていただいた脳卒中の在宅リハビリのサイトがある。
脳障害も頚髄損傷による障害も同じような症状が多い。もちろん根本は違うが。ニューロリハビリについても多く記事を書かれている。とても多くの見識を持たれた方が書かれている参考になるサイトだ。
その方が書かれていた中で、思うように動かないのは脳障害による片麻痺が原因だけでなく、しばらく動かさないことによる筋骨のこわばりも疑ってみるべきと書かれている。
また、動かさないことによって筋線維に指令が届かなくなって余計に動かなくなるとも。
結果的に動かさないといけない、ありとあらゆる筋肉を。できれば正しい動かし方なのだろうが。
左腕の筋肉が太くなったと前から書いているが、筋トレをしていて左の腕橈骨筋を中心とした筋肉に“血が通う”ような感覚がある。昨日もだ。
これまで左手が不自由で生活で動かすのは右手中心。筋トレで使うも左は1段階軽い荷重。この荷重を右と同じにしてからなのだ、この感覚は。
眠っていた筋線維が起きたのだろうか。身体の中にはそんな箇所がまだあるから動かさないといけない。
まずはほぐすことだ。マイオセラピーの考えが有効なのだろう。
なんか書いている話があちこち・バラバラだ。
不思議なことにマイオセラピーの考え方や筋肉を動かすといったリハビリを、勝手に自分流に調べて実践していたのは、自分の「元通り欲」の高さなのだろうか。
コロナ禍云々ではない、前からだ。仮にも花の東京なのだが。近隣にも多くジムがあり、その中でも古い施設であるここは人気がないのだろう。
通りいっぺんの筋トレをこなす。荷重を重くしたフライは辛く感じるが、これは日によってそう感じるだけだ。
久しぶりに筋トレをした時は軽く感じるし、続いている時は重く感じる。これはなぜだろう。
ステップマシンは疲れるからやらなかった。やる気がしない時はやらないでいいのだ。
毎日のタバコロード数往復で5000歩の歩行は確保している。
先日、旧タバコロードを歩いた。桃色インコ母さんはどうしているだろう。
ガラスドアを覗くといつものように座っている。僕の顔を見るなりドアを開けてくれる。灰皿が無くなってからも何回か覗いている。人が集まらなくなって寂しそうだ。
しばらく世間話をした。これからも覗いてみよう。
地面に踵から着いて母指球から抜く。その時に足裏全体をしなやかに。
この歩き方がクセ付いた。受傷前はこのように歩いていたのだろうか。そんなことは意識したこともなかったのだ。
ふつうの骨折やケガなどで、例えば100日入院したとしても、その後は回復するものだ。歩き方がどうだったかと思う人はいないだろう。本能というバックアップ機能なのだろうか。いや、脳と神経が何の影響も受けていないからなのだろう。
自分で考えた場合、神経の作用でまともに動かすことができない期間が永かったから忘れているのか。それとも神経が今もうまく働いていないから、いちいち再教育・チェックを繰り返さないと定着しないのだろうか。
よく参考にさせていただいた脳卒中の在宅リハビリのサイトがある。
脳障害も頚髄損傷による障害も同じような症状が多い。もちろん根本は違うが。ニューロリハビリについても多く記事を書かれている。とても多くの見識を持たれた方が書かれている参考になるサイトだ。
その方が書かれていた中で、思うように動かないのは脳障害による片麻痺が原因だけでなく、しばらく動かさないことによる筋骨のこわばりも疑ってみるべきと書かれている。
また、動かさないことによって筋線維に指令が届かなくなって余計に動かなくなるとも。
結果的に動かさないといけない、ありとあらゆる筋肉を。できれば正しい動かし方なのだろうが。
左腕の筋肉が太くなったと前から書いているが、筋トレをしていて左の腕橈骨筋を中心とした筋肉に“血が通う”ような感覚がある。昨日もだ。
これまで左手が不自由で生活で動かすのは右手中心。筋トレで使うも左は1段階軽い荷重。この荷重を右と同じにしてからなのだ、この感覚は。
眠っていた筋線維が起きたのだろうか。身体の中にはそんな箇所がまだあるから動かさないといけない。
まずはほぐすことだ。マイオセラピーの考えが有効なのだろう。
なんか書いている話があちこち・バラバラだ。
不思議なことにマイオセラピーの考え方や筋肉を動かすといったリハビリを、勝手に自分流に調べて実践していたのは、自分の「元通り欲」の高さなのだろうか。
2021年04月06日
低気圧どうなった
今日は寒い日だ。
仕舞っていたいたヒートテックを装着。外に出るとひんやりしている。
震えないかなと期待した。震えると脚が動きにくくなる。これを温かくなった今日この頃、もう一度体感したい。そしてどう対処できるかをやってみたい。
脳の指令・震えは身体の全ての機能を犠牲にして震えようとする。
今シーズンは手を後ろにやることで脚の動きが良くなった。昨日書いたことではないが、脳の意識を“寒くない”と騙せるかをやってみたかった。
残念ながら震えるほど寒くはなかった。
ずっと冬が怖かった。ただ単に身体が動かなくなる・固まるから。
しかし、震えってそうなんだと知ってから怖さは無くなった。知識は対処法を生む。
数多くあった不自由さや不具合も、意識して克服したものや気づかないうちに解消しているものもある。
あれほど天気図を気にしていたのだが、昨年の秋ぐらいから気になっていない。間違いなく低気圧が身体に及ぼす影響はあったのだが、それを感じなくなった。
影響はあるのだろうが、その影響を超える状態の良さになったのだろうか。
まあ、そんな良くなったと書いても調子悪くなることもある。その時は泣き言を書こう。
右脚の痺れは強いままだ。寝ていて起きるときに痙縮は依然ある。思いっきり足を伸ばしたいのだが、伸ばそうとすると足がつりそうになる。
最近の悩みは右足の土踏まずの内側がつること。右足の甲や裏・横など全て痺れが強い。痺れているからつりそうな微妙な感覚も感じ取りにくい。まあ、つったとしてもふくらはぎに比べて対処は簡単だが。
いつも歩きながら思うが、この痺れて感覚の弱い脚をよく動かしているなと。普通だったら痺れているから動かすのが怖く思うのだろう。
痺れているのは脳が感じているだけだという安易な思いが、今の動ける自分になっている。
今日は少し早く帰ってやろう。サボりだ。
日曜日のジムはどうしても義務感を感じてしまう。連続なので身体も疲労している。土曜に行って次は火曜というのがベストだろう。
仕舞っていたいたヒートテックを装着。外に出るとひんやりしている。
震えないかなと期待した。震えると脚が動きにくくなる。これを温かくなった今日この頃、もう一度体感したい。そしてどう対処できるかをやってみたい。
脳の指令・震えは身体の全ての機能を犠牲にして震えようとする。
今シーズンは手を後ろにやることで脚の動きが良くなった。昨日書いたことではないが、脳の意識を“寒くない”と騙せるかをやってみたかった。
残念ながら震えるほど寒くはなかった。
ずっと冬が怖かった。ただ単に身体が動かなくなる・固まるから。
しかし、震えってそうなんだと知ってから怖さは無くなった。知識は対処法を生む。
数多くあった不自由さや不具合も、意識して克服したものや気づかないうちに解消しているものもある。
あれほど天気図を気にしていたのだが、昨年の秋ぐらいから気になっていない。間違いなく低気圧が身体に及ぼす影響はあったのだが、それを感じなくなった。
影響はあるのだろうが、その影響を超える状態の良さになったのだろうか。
まあ、そんな良くなったと書いても調子悪くなることもある。その時は泣き言を書こう。
右脚の痺れは強いままだ。寝ていて起きるときに痙縮は依然ある。思いっきり足を伸ばしたいのだが、伸ばそうとすると足がつりそうになる。
最近の悩みは右足の土踏まずの内側がつること。右足の甲や裏・横など全て痺れが強い。痺れているからつりそうな微妙な感覚も感じ取りにくい。まあ、つったとしてもふくらはぎに比べて対処は簡単だが。
いつも歩きながら思うが、この痺れて感覚の弱い脚をよく動かしているなと。普通だったら痺れているから動かすのが怖く思うのだろう。
痺れているのは脳が感じているだけだという安易な思いが、今の動ける自分になっている。
今日は少し早く帰ってやろう。サボりだ。
日曜日のジムはどうしても義務感を感じてしまう。連続なので身体も疲労している。土曜に行って次は火曜というのがベストだろう。
2021年04月05日
いい鍼でしたね
金曜日は居酒屋Q。21時閉店と1時間長く呑めるのだが、それに慣れない。20時までにもう十分な飲食を終わらせるのに慣れてしまった。
20時過ぎに帰ろうと思ったが、誕生日を一緒に過ごしたO夫婦のテーブルに移って、マスター・ママも交えて歓談しながら呑んだ。まんま誕生日のメンバーだ。
1年前まで知らなかった人とこうやって仲良く過ごす、これが一人飲みの楽しさと思っている。
ジムでの筋トレ、やはり上半身のマシンの荷重は軽く感じる。
フライは30キロに、チェストプレスは35キロに。それぞれ1つ荷重を上げた。筋肉を付けるのが目的でないにしろ、ある程度の負荷を感じないと達成感がない。
鍼は2週間ぶり。いつもそうなのだが、鍼論議に花を咲かせて治療を受ける。
Aセンセイに言われた。「〇〇(僕)さんを治療する人は大変でしょうね。色々知っているから」
そうかもしれない。他の鍼灸院の治療はどうだったろう。鍼を打ってもらった後の評価は難しい。効いているか効いていないかの判断が難しい。受けている患者の感覚一つなのだ。
ピリッと神経に響けば効いた気がする人もいるだろう。
少なくとも治療行為は“狙い”を持って実施するものだ。
じゃあ鍼は狙った通りの効果を上げられるのかというと、それは評価しにくいだろう。関節が外れていて、それを整体師が戻すといった解りやすさはない。
教科書通りに経絡に鍼を置けば血流が良くなって改善できるのも事実だ。何か“効いた”という実感を患者が持てば励みにもなる。
自論だが、脳を喜ばさないといけないと思う。
先々週の誕生日、今の自分の状態を書いた。
その時まで肩と腕の疼痛は忘れていた。たまに最近痛くないよな・とか、筋肉痛が勝っているのかな・とか思ってはいた。これまでのようなズキッズキッと感じる痛みはなかった。
書いてからだ。思い出したのだ、いつも疼痛があったことを。それからしばらく疼痛が気になっていた。今は気になっていないのだが、これを書くことで思い出してしまった。痛さをまた感じるかな。
何度も書いているが、痛みや痺れは慣れれば脳の判断から消せるのだ。ある程度。
どこかキズつくとかした時に痛みを感じて脳は教えてくれる。ずっと痛い状態を脳が信号を発していたら脳も疲れる。忘れさせてやることだ。脳を喜ばせること、気持ちよい状態にしてやることが大事。
そんな話をしながらAセンセイの治療を受ける。
このような話は大好きだし、とても脳が喜んだ状態になる。
たまに生意気なことを言ってしまう。「あっ、今のはいい鍼でしたね」打ってもらって感じるのだ。鍼の欲しいところに鍼が届くのが。
いやぁ、こんな治療を受けていたら他には行けないだろう。
北九州に帰っていたEさんから連絡があった。帰ってきたと。土曜の朝にお土産を持ってきてくれていた。そして鍼後に居酒屋Qへ。この日はその後バーに行った。
相変わらず呑み過ぎる。日曜日、雨予報だったのでジムを諦める。結局降ったのは遅い時間だったが。
英会話も続いている。同じA講師だ。もう2年くらいか。他人とは思えなくなってきた。
さあ、今週は外出予定なし。ずっと内勤だ。
日曜日にジムに行けなかった、火曜日に行こう。
20時過ぎに帰ろうと思ったが、誕生日を一緒に過ごしたO夫婦のテーブルに移って、マスター・ママも交えて歓談しながら呑んだ。まんま誕生日のメンバーだ。
1年前まで知らなかった人とこうやって仲良く過ごす、これが一人飲みの楽しさと思っている。
ジムでの筋トレ、やはり上半身のマシンの荷重は軽く感じる。
フライは30キロに、チェストプレスは35キロに。それぞれ1つ荷重を上げた。筋肉を付けるのが目的でないにしろ、ある程度の負荷を感じないと達成感がない。
鍼は2週間ぶり。いつもそうなのだが、鍼論議に花を咲かせて治療を受ける。
Aセンセイに言われた。「〇〇(僕)さんを治療する人は大変でしょうね。色々知っているから」
そうかもしれない。他の鍼灸院の治療はどうだったろう。鍼を打ってもらった後の評価は難しい。効いているか効いていないかの判断が難しい。受けている患者の感覚一つなのだ。
ピリッと神経に響けば効いた気がする人もいるだろう。
少なくとも治療行為は“狙い”を持って実施するものだ。
じゃあ鍼は狙った通りの効果を上げられるのかというと、それは評価しにくいだろう。関節が外れていて、それを整体師が戻すといった解りやすさはない。
教科書通りに経絡に鍼を置けば血流が良くなって改善できるのも事実だ。何か“効いた”という実感を患者が持てば励みにもなる。
自論だが、脳を喜ばさないといけないと思う。
先々週の誕生日、今の自分の状態を書いた。
その時まで肩と腕の疼痛は忘れていた。たまに最近痛くないよな・とか、筋肉痛が勝っているのかな・とか思ってはいた。これまでのようなズキッズキッと感じる痛みはなかった。
書いてからだ。思い出したのだ、いつも疼痛があったことを。それからしばらく疼痛が気になっていた。今は気になっていないのだが、これを書くことで思い出してしまった。痛さをまた感じるかな。
何度も書いているが、痛みや痺れは慣れれば脳の判断から消せるのだ。ある程度。
どこかキズつくとかした時に痛みを感じて脳は教えてくれる。ずっと痛い状態を脳が信号を発していたら脳も疲れる。忘れさせてやることだ。脳を喜ばせること、気持ちよい状態にしてやることが大事。
そんな話をしながらAセンセイの治療を受ける。
このような話は大好きだし、とても脳が喜んだ状態になる。
たまに生意気なことを言ってしまう。「あっ、今のはいい鍼でしたね」打ってもらって感じるのだ。鍼の欲しいところに鍼が届くのが。
いやぁ、こんな治療を受けていたら他には行けないだろう。
北九州に帰っていたEさんから連絡があった。帰ってきたと。土曜の朝にお土産を持ってきてくれていた。そして鍼後に居酒屋Qへ。この日はその後バーに行った。
相変わらず呑み過ぎる。日曜日、雨予報だったのでジムを諦める。結局降ったのは遅い時間だったが。
英会話も続いている。同じA講師だ。もう2年くらいか。他人とは思えなくなってきた。
さあ、今週は外出予定なし。ずっと内勤だ。
日曜日にジムに行けなかった、火曜日に行こう。