人生は狂人主催のオリンピックと言っています。
私たちの人生は、たとえてみると、次のようにいえます。
今日、この部屋に誰かから、頼まれてやってきた。
でも、何したらいいのか分からない、
とにかくいろ、と言われる。
そんな状態では、どうしたらいいか何をしたらいいか分からない。
居心地が悪い。
でも、次から次へといろんな人がやってきて何か、作業をしていく。
自分だけ、何しにきたのか、分からない。
不安になりませんか?
まあ、時間をつぶそう、ということでマンガ読み始める。
でも少しして、
「あれっ、こんなことしていていいのかなあ」って思ってしまう。
何か不安じゃない?
一時的に気が紛れても、何か落ち着かない。
・学校に来たけど、何が目的か分からないようなもの。
・役者がとりあえず舞台にあがった、だけど何していいか分からない。
ちょうど人生もそんなものになってしまう。
何をしたらいいのか。
何をすべきか分からない。
存在そのものの苦。
このオリンピックは、どこへ向って進んでいるのか分からない。
とにかく走るしかない。
でもいつまでも走ってはおれない。
そのうちにみんな疲れてバタバタバタバタ倒れてしまう。
まさに狂人だよね。
キチガイが主催したオリンピック大会みたいなもので
「お〜いこれゴールどこなんだ」
みんな走ってるけど
「ねえお前ゴール知ってる?」
「いや知らないお前は?」
「知らない」
「私も知らない」
「だけどしょうがないな、みんな走ってるんだから」
そのうちにみんな疲れて一人倒れ、二人倒れ、三人倒れ、
バタバタバタバタ倒れて、やがて自分も倒れていく。
そんなオリンピックだったら、
まさにそれは狂人の主催するオリンピックじゃないか。
何のために走っているのか。
どこへ向ってか。
それが分からないのに走らされることほど
頭が狂ってしまわなかったらできるわけない。
本当に虚しい。
その虚しさを仏教では心の闇という。
そしてこの心の闇は必ず、破れたということがあります。
それを破無明闇というんですね。
この心の闇が破れると、人間に生まれてよかったという明るい心になります。
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