「祖師は紙衣の 九十年」
祖師は親鸞聖人、紙衣というのは御苦労された、
波瀾万丈の御生涯
お父さん、お母さんなくされ
二十年間修行され
肉食妻帯、
三大諍論、
死刑、
流刑、
弁円、
日野左衛門、
善鸞義絶、
ひとえに私達のために御苦労された。
29歳まではご自身のための御苦労ですが
それからは私達の為にされた御苦労。
それを言われている。実際に紙でできた衣着ておられた、
貧乏ということでない。
大変な御苦労をこの様に言われる。
「その徳音は 今日までも
実語は胸に 伝わりて
慈悲の御教え いまぞ知る」
美しい表現、徳音とは親鸞聖人の御教えということ。
それは今日まで伝わってきている。
実語も親鸞聖人の御教え、
生きる意味を教えられた親鸞聖人の御教え、
真実のお言葉
慈悲の御教えも親鸞聖人の御教え。
同じ親鸞聖人の御教え
私達生きている人間にとって最も大切な
本当の生きる意味かを教えられた親鸞聖人の御教えを
この様に法尋が違う言葉で表現している。
こういうところから、
かなり教学も深かったのであろうとうかがえる。
我々は今その親鸞聖人の御教え、
生きる意味、聞き難い真実の仏法を聞くことができた。
「厳しく伝う 遺訓に」
遺訓も親鸞聖人の御教え、厳しい教えということ。
三重廃立、外道、聖道仏教、
自力を捨てよ、厳しい教え、一向専念無量寿仏。
「宗義ますます 親まる」
宗義も親鸞聖人の教え。
違う表現で色々言われている。
親鸞聖人の教えをますます多くの人が聞かれている
「報謝のまこと 真影の
みまえにふして ちかうなり」
親鸞聖人のお写真の前で私は誓います。
身を粉にして、この御恩を報います、
骨を砕いても受けし御恩に報います。
阿弥陀如来と善知識、
親鸞聖人の御恩に報いさせていただきますと
真剣に誓わずにおれないと法尋は締めくくっている。
身を粉にしても骨を管着ても
ここまで導いて下さった親鸞聖人の御恩に報いると誓わずにおれない、
また身を粉にしても骨を砕きても決勝点まで進ませて頂きますということ。
このように大変な名文で法尋がうたっている。
親鸞聖人のお歌に三大諍論は出ていません。
そういうことまでは法尋と言う人もかけなかったのでしょう。
三大諍論と言うことを真宗の学者で書いている人は全くいない。
御伝鈔のあらすじを書いている人はいても
今日の私達に判るように書いている人はいないと言われます。
真宗の学者でも三大諍論しっいてる学者は十人いないと言われる。
法尋もかけなかった、
親鸞聖人の本当の御教えがおさまっている。
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