「仏法を主とし、世間を客人とせよ」といえり。
「仏法の上よりは、世間のことは時に隨い相働くべき事なり」と云々。
(御一代記聞書157)
仏法が主人ですよ。
世間が客人。お客さん。
人生の主人は仏法、
仕事はお客さん。
だから仏法がまずあって、その上で世間のことは
時にしたがって行いなさい。
非常にハッキリした蓮如上人のお言葉。
主人を間違えてはいかんぞ。
仏法が主人だ。仕事は客人だ。
家にどっかりと構えているのは主人でなくてはならない。
そこにお客さんがごめんくださいと会いに来る。そして帰る。
主人は帰らない。
主人がおられませんか,おられないなら帰っちゃう。
仏法がないなら意味がない。
目的がこっちなのだから。
世間は手段なのだから。
目的と手段を間違えてはなりませんよ。
これを間違えたら生きる意味がない。
主人のいないお客さんは帰っていく。
ご主人はいますか。いません。
ああそれはよかったじゃあがらせてもらいます。
変だろう。
そういう人はいない。
このように,親鸞聖人も蓮如上人も人生の目的はなにか。
私達は何に命をかけるべきなのか。
何に人生を費やすべきか。間違ってはならない。
仕事をする為に生まれてきたのではないですよ。
仏法聞くためですよ。
信心決定する為に生まれてきたのですよといわれている。
その目的を見失ってどれだけ仕事に打ち込んでも
生まれてきてよかったという喜びはありません。
では仏教に何が教えられているのか。それが生きる意味です。
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