親鸞聖人は35歳のときに、新潟県に流刑にあわれた。
その後5年間、新潟県で活躍された。
「建暦二年免されて」
許されるということはないのですが、建暦に許された
「配所の五年」
五年仏法を伝えられた。
「 夢の跡」
振り返ってみれば夢のようなもの、
5年間もアッという間四年生も思っているかも知れない。
誰しもが知らされるものです。
「名残惜しまれ 昨日今日
帰洛の旅の身の軽さ」
新潟を離れることを名残惜しまれ、京都に帰ると身の軽さ、
それはまた法然上人にお会いして仏法聞かせていただけるという喜び、
法然上人からもっと聞かせていただきたいと思っておられた。
信心決定したならもっともっと仏法聞かせていただきたいとなる。
その時の法然上人と親鸞聖人の教学は差があったでしょうから
もっと学ばせていただきたいという思いがあったでしょう、
また法然上人に会えると喜ばれていた。
「無常の風は惨ましく」
ところが法然上人は亡くなられていた
「恩師の死去は聖人の
衣の袖に便り来て」
素晴らしい言い方。名文。
親鸞聖人大変なショツク
意識不明になれて、記録によれば吐血なされた、
血を吐かれたと記録に残っています。
「こころを傷めきづつきぬ
悲しきかなや愚禿鸞
きびすを返し常陸へと
すすまぬ御足 運ばれて」
法然上人を流刑にあわせた都に用事はない、
と関東へ。
群馬や茨城。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image