つまり、誰にでも何かを与えれば布施の功徳があるのではない
ということです。
たとえば、泥棒にものを与えても悪を助長します。
放蕩息子を甘やかすと、ますます努力をしなくなり、本人を不幸にしてしまいます。
怠け者にお金を与えても、ますます怠惰になってしまいます。
仏教では、誰でも彼でもものを与えていいのかというと、そんな人たちに与えても布施にはなりません。
何かを与えて布施になるのは、3通りの人だけです。
これを三田といいます。
これは、三通りの田んぼです。
なぜ田んぼなのかというと、
田んぼにモミダネをまくと、
秋には何十倍、何百倍にもなって、
収穫されます。
ちょうどそのように、三田に何かを与えると、
何十倍、何百倍の福徳が生み出されるというものです。
ではそれはどんな三通りかというと、
敬田、恩田、悲田の3つです。
敬田というのは、尊敬すべき徳を身につけられた人です。
能力だけではダメです。
もっとも尊敬すべき徳を身につけられているのは仏様です。
また、仏の教えを伝えられる善知識です。
次に恩田というのは、ご恩のある方です。
最もご恩があるのは、本当の生きる意味を明らかにされた仏様です。
そして、それを伝えられた善知識です。
それ以外にも、お世話になった方は、親や学校の先生をはじめとして、
たくさんあると思います。
最後の悲田というのは、気の毒な方です。
何かの病で、一時的に働きたくても働けないとか、
妊婦の方とか、大変な方はたくさんあります。
これらの三通りの方々に布施をすると、
大変な幸せが作られるということです。
この三通りにものを与えると損しなそうなことは分かると思います。
布施を心がけましょう。
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