一念帰命の信心をおこせばまことに宿善の開発に催されて、
仏智より他力の信心をあたえたまうが故に、
仏心と凡心とひとつになるところをさして、
阿弥陀如来に救い摂られるということは、
阿弥陀仏の御心と我々の心が一体になること。
それを
仏凡一体
という。
仏は仏心、阿弥陀仏の心。
凡は凡心、我々の心。
それが一つになる。一体になる。
仏心と凡心とが一体になる。
一体とはどういう状態か。
炭に火がついた状態。炭とはどんなもの。
黒い、冷たいもの。それに火がつく。
そうすると炭自体が真っ赤になる。
そうなると、黒かった炭が、明るくなる。
冷たかった炭が、暖かくなる。
昔は炭で暖をとった。
ではこの状態で炭と火の区別つくか。
つかない。炭のまんまが火。わけることはできない。
全く前とは違うものになる。
がらっとかわる。
ちょうどそういう状態。
切り離すことが出来ない。
これと似た言葉で、合体というのがある。
これはたとえば水と油。がーっとまぜると一つになる。
ところがしばらくたつと分離する。
あるいはサンドイッチ。あれもパン、肉、野菜、分けることが出来る。
マックのハンバーガーとか。
炭に火がついたら切り離すことは出来ない。
夫婦は一心同体という。
けれどなかなかそうはなれない。
もともと赤の他人だから。
なかなか一心同体になれない。
一体というのは難しい。
信心決定すると謂うことは、私達のさみしくって、つめたくって、
弱い心が、暖かくて、たのもしくて、強い心と一つになる。
これを仏凡一体という。
それを蓮如上人が仰っている。
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