仏教を聞けない8つの難を「八難」と言います。
以下の8つです。
「在地獄の難」の方が多いです。
借金地獄で苦しんでいる人仏法を聞けません。
また病気で苦しいと言う人もなかなか聞けません。
よく「年取って死が迫ってきたら仏法を真剣に聞けるのでないか!?」
と言う人いますが、年取って癌にでもなったらしんどくて聞けません。
だるくてとても聞く気になれません。
受験生もなかなかそれどころでないと聞けません。
逆に楽し過ぎても聞けません。
「在長寿天の難」と
「在辺地の難」の人は、
楽に溺れて仏教を聞けない人です。
「在餓鬼の難」というのは、食べるものがなくてそれどころではない人です。
生きるのに精一杯で、生きる意味を考える余裕がありません。
食べ物がたくさんあっても、食べるのが好きで、
仏教に関心がありません。
とにかくお腹を満たすほうが優先順位が高い人です。
しかしながら、そんことで存在意義があるのでしょうか?
人間は食べる為に生きているのではなく、
生きるために食べているのです。
「在畜生の難」というのは動物的な生き方のために仏教が聞けない人です。
動物というのは食べたり出したり、寝たり起きたりの繰り返しで、
生きる意味など考えずにただ生きています。
そんな動物的な生き方で構わない人は
仏教が聞けません。
しかし、そうやって生きて行くのは何のためなのか、
なんのために生きるのかという疑問が起きるのが人間的です。
本当の生きる意味を考えられるのは、人間に生まれたときだけなのです。
その本当の生きる目的が仏教に説かれています。
タグ:生きる意味
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