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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2019年01月19日

仏教を聞けない8つの苦しみ

仏教を聞けない8つの難を「八難」と言います。

以下の8つです。

 

(1) 在地獄の難
(2) 在餓鬼の難
(3) 在畜生の難
(4) 在長寿天の難
(5) 在辺地の難
(6) 聾盲瘖瘂の難
(7) 世智弁聡の難
(8) 仏前仏後の難

 


在地獄の難」の方が多いです。
借金地獄で苦しんでいる人仏法を聞けません。
また病気で苦しいと言う人もなかなか聞けません。

よく「年取って死が迫ってきたら仏法を真剣に聞けるのでないか!?」
と言う人いますが、年取って癌にでもなったらしんどくて聞けません。
だるくてとても聞く気になれません。

受験生もなかなかそれどころでないと聞けません。

 

逆に楽し過ぎても聞けません。

在長寿天の難」と

在辺地の難」の人は、

楽に溺れて仏教を聞けない人です。

 

在餓鬼の難」というのは、食べるものがなくてそれどころではない人です。

生きるのに精一杯で、生きる意味を考える余裕がありません。

食べ物がたくさんあっても、食べるのが好きで、

仏教に関心がありません。

とにかくお腹を満たすほうが優先順位が高い人です。

 

しかしながら、そんことで存在意義があるのでしょうか?

人間は食べる為に生きているのではなく、

生きるために食べているのです。

 

在畜生の難」というのは動物的な生き方のために仏教が聞けない人です。

動物というのは食べたり出したり、寝たり起きたりの繰り返しで、

生きる意味など考えずにただ生きています。

 

そんな動物的な生き方で構わない人は

仏教が聞けません。

 

しかし、そうやって生きて行くのは何のためなのか、

なんのために生きるのかという疑問が起きるのが人間的です。

本当の生きる意味を考えられるのは、人間に生まれたときだけなのです。

 

その本当の生きる目的が仏教に説かれています。

タグ:生きる意味
posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教
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