仏法をきける機会は多いようで少ない。
そういう法座にいっても、自分のこととしてきいている。
自分のこととして真剣にきいている時間はすくないので、
まことの仏法をきける時間はほんのわずかしかないんだよ、
これがききがたい仏法をきいていると思う心。
仏法を聞かせて頂くご縁、本当にかわってしまう。
人間生まれてから死ぬまでの間80年あるとする。
一生涯のトータルはほんのちょこっとしかなくなってしまう。
しかしそんなこと考えて仏法をきいてない。
社会にでてからほとんど仏法をきく機会がない
人間というのは大事なものが大事であったことが失ってから分かる。
大事だってことがどれだけ大事かってこと別れて初めてわかった。
右みても左みても世間中が仏法知らない。
そうなってはじめてありがたさが分かる。
仏法を聞かせて頂くご縁がどれだけ大切か、
失って分かるのではあまりにも遅すぎるんだな。
一度地獄にいりて長苦をうけるときははじめて人中の善知識を憶う
あなたが後生へつっこんで二度と仏法をきけなくなったとき。
あなたが人間界にいたときに後生の一大事有ることと
それを一念で解決する弥陀の本願あること話しくだされる
善知識がおられるのに
きかなったことはじめて後悔する。
親が亡くなったとき何もできないまま逝ってしまった。
後悔する。
高校までは弁当をつくってもらっていた。
大学に入ると、自分で弁当を作る。
失敗してまずくて、親元を離れて知る親のありがたさ。
満足におかえししてなくてなる、墓に布団をきせられず。
わたしたち自分を幸せにしてくれた人が傍にいる。
いるときは邪魔にする。
あたりまえで。い
なくなってもっと大切にしておけばよかったと思う。
いまから120年ほどまえ、トラブリューというバンドがあった。
そいつらの歌、なんでもないようなことが幸せだったと思う、
なんでもないような夜のこと二度とは思えない夜。
なんでもないような毎日がすぎていく。
カップヌードルのお湯をいれたらあなた鼻水がでている。
鼻水すすっているじゃない。
二人してげらげらとわらう。
二人が笑うときはそんなとき。
あとは仕事したり、上司にしかられたり。
しかし別れた。そうするとああやってなんでえもなかったけど、
あの日がものすごく幸せだったんだな。幸せだったんだなと感じるの。
恋人と過ごした日々、そのときは喧嘩したつまらなかった。
しかし失ったとき初めてそのつらさが分かる。
恋人や親は相対の幸福、
しかし失ったときはじめてそのありがたさが分かる。
●私たちは無二の善知識におあいしている。先輩がいて、後輩がいて、真実の
善知識がおられて、弥陀の本願をきかせていただける。
これは当たり前ではない。
世界にたくさんの人がいてもほんのわずかしかあえない。
人類の数千年の歴史、善知識にあい、
後生の一大事があって、一念弥陀の本願。
これをきかせていただける人ほんのわずかしかいない。
ここにいるみなさんも私もいつまでもきかせていただけるわけではない。
やがて一息切れて後生の一大事つっこんでいく。
その前にわずかきかせていただけるだけ。
親をうしなったときああ別れていくのだな。
恋人と別れてあのときたのしかったな。
後生の一大事ひきおこって、八万劫中、おこったとき、
はじめてばかだったなと思う。
はやく大導師になっておけばよかった、とりかえしつかない。
いまはしばしの間こうはいいて先輩いて、
なにしろ善知識がおられて、
八万劫中大苦悩を解決してくださる弥陀の本願きかせていただける、
そんな大事に求めなければ必ずあとで後悔するぞ、
ということで仏法は大切に求めるより聞くものなり
と言われている。
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