主著の『浄土論註』に、
私たちの生きている姿をこのように教えられています。
「蚇蠖(しゃっ かく)の循環するがごとく、
蚕繭(さんけん) の自縛するがごとし」
「蚇蠖」とは尺取り虫のことです。
尺取り虫は、同じ所をぐるぐる回る習性があります。
ところが私たちの生きている姿も、
尺取り虫が環の中をまわりつづけて、
やがて命はてるようだといっています。
毎日が同じことの繰り返しで
朝起きて、朝ご飯を食べて
仕事へ行って、昼ご飯を食べて、
仕事を終えると帰ってきて夕ご飯を食べて寝る。
次の日も、朝起きて、朝ご飯を食べて
仕事へ行って、昼ご飯を食べて、
仕事を終えると帰ってきて夕ご飯を食べて寝る。
その次の日、朝起きて、朝ご飯を食べて
仕事へ行って、昼ご飯を食べて、
仕事を終えると帰ってきて夕ご飯を食べて寝る。
同じことの繰り返しです。
そうやって命を終わって行きます。
まるで尺取り虫と同じです。
「蚕繭(さんけん) の自縛するがごとし」
というのは、
「蚕繭」とは、かいこのまゆのことです。
かいこは、自分で出した糸によって、
自分をがんじがらめに縛って、
湯玉にねられて死んでしまいます。
ちょうどそのように、私たちも、
自分の業によって自分を縛って
苦しんで死んで行く、ということです。
こんな人生では、なんのために生きるのか、生きる意味がわかりません。
タグ:生きる意味
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image