然ればすなわち、浄邦縁熟して、調達闍世をして逆害を興ぜしめ、
浄業機彰れて、釈迦韋提をして安養を選ばしめたまえり。
これすなわち、権化の仁、斉しく苦悩の群萌を救済し、
世雄の悲、正しく逆・謗・闡提を恵まんと欲してなり。
(教行信証)
どんな極悪人をも救い摂り、
難度海の人生を光明の広海に浮かばせる阿弥陀如来の本願。
この本願の現存を、いかに十方衆生に周知徹底するか。
ひとえに念ずる諸仏方の、壮大無類のドラマであると、
親鸞聖人は仰せになっている。
大聖おのおのろともに
凡愚底下のつみびとを
逆悪もらさぬ誓願に
方便引入せしめけり
(浄土和讃)
親鸞聖人は、全てこの親鸞のために、
阿弥陀仏の本願があるということを、全ての人に周知徹底するために、
それ一つ念じて諸仏方が演じて下されたドラマだと、見ておられます。
その目的は、阿弥陀仏の本願があるという事を周知徹底するためです。
大聖というのはお釈迦様。それだけでなく、それ以外の諸仏方が、
煩悩具足、愚かで最低の悪しかできない十方衆生を、五逆罪を造っている、
どんな極悪人も助ける、そういう阿弥陀仏の本願があるという事を、
知らせるために、ご方便してくだされたと。
方便とは、我々を真実に近づけ、真実を体得させるに絶対必要なものを言う。
どんなものでも救う阿弥陀仏の本願があるという事を周知徹底するために、
ドラマを演じて下されたからこそ、
救われることが出来たと仰有っておられるんですね。
凡愚底下というのを、観無量寿経には、
仏、韋提希に告げたまわく、「汝は此れ凡夫なり。
心想羸劣にして未だ天限を得ざれば……
(観無量寿経)
羸というのは悪いということ。
劣はおとっている。
そんなことばかり考えている泥凡夫。
そんな韋提希夫人が救われたということです。
仏語に虚妄なしといわれます。
そんな韋提希夫人がハッキリと救われている。
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