然ればすなわち、浄邦縁熟して、調達闍世をして逆害を興ぜしめ、
浄業機彰れて、釈迦韋提をして安養を選ばしめたまえり。
これすなわち、権化の仁、斉しく苦悩の群萌を救済し、
世雄の悲、正しく逆・謗・闡提を恵まんと欲してなり。
(教行信証)
「韋提」とは、韋提希夫人。
お釈迦さまがおられた時代のインドで、
地球上で最初に阿弥陀仏に救われて、
この世で51段高飛びした。
悟りといったら52位ある。これを悟りの52位という。
全部名前が付いている。
0段から52段まである。
仏教聞いている人はどんな登り方をしても仏の境地を目指している。
登り方は聖道の教えに従ってのぼっていく登り方と
浄土門といって、浄土の教えによって登っていく登り方がある。
自分の力で一段一段登っていくのが聖道門の教え。
浄土門の教えは、0段から一気に51段まで高飛びして
一息切れたら52段に到達する。
韋提希夫人という人がいる。王舎城の悲劇。
この女ひどい人だった。
我が子欲しさに修行者を殺し、
産まれてきた子供を剣の林に産み落とした。
観無量寿経というお経に説かれているが、この韋提希が
阿弥陀仏を拝した一念に51段まで高飛びしたと説かれている。
一段一段登っている聖道門の人にして見れば信じられないこと。
経典にはハッキリ書かれている。
その韋提希夫人を巡って、この人は一体どんな人だったのかということで、
観無量寿経という経典を唐の時代に多くの人が解釈した。
大切な経典だという事でどう解釈するか色々な人が解釈した。
中でも、有名だったのが、天台、浄影、嘉祥。
有名な一宗一派を開いた人。
宗派を開いたのはよほどのこと。
天台は天台宗。
浄影は地論宗。
嘉祥は三論宗。
天台も浄影も嘉祥も観無量寿経疏というのを書いた。
三人が書いたのはそんなに差がない。
三人は韋提希夫人は権化の人と見ていた。
権化というのは前世に於いて相当高い悟りを開いていた人が仮に現れたもの。
それが今生お釈迦様の教えにあって51段目まで登ったんだと言った。
それに対して善導大師という人が現れて、
天台浄影嘉祥が言った、韋提希夫人は権化だと言ったのは間違いだと言って、
韋提希夫人は実凡だと言って観無量寿経疏をかかれた。
実凡というのは全く悟りを開いていない0段の、凡夫の者なんだと言われた。
その全く悟りを開いていない0段の者が阿弥陀仏を拝して51段目までいったんだ。
親鸞聖人は
善導独明仏正意
と言われている。
どう読むかというと、善導大師唯一人、
仏の正意に明らかであったと読む。
中国で一番仏教が栄えた唐の時代にお釈迦様の正しい御心に明らかであったのは
善導大師唯一人であった。
この仏の正意というのはイコール阿弥陀仏の本願。
善導唯一人物の正意に明らかであった。
仏意計り難しと言う言葉もあるが仏様の心が分かるのは難しいこと。
善導大師以外の人は分からなかった。
境涯が違う。
善導大師が天台・浄影・嘉祥の教えを破って善導大師のお名前が世にとどろいた。
まず、この人達の心を考えてみましょう。
間違っていたがそうとしか思えなかった。
0段の人がなんで51段まで高飛びするんだ。そんなのありかい。
一段登るのが大変だということが分かればこの人達の気持ちが分かる。
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