仏教では、四苦八苦が教えられています。
生きているから苦しみがあるということです。
あなたの身近な例を取って具体的に話したら
みんな感動すると思いますよ。
ぜひ話できるようになったらいいですね。
私も思いました、私小さい頃なら。
トイレ行くのも風呂入るのもじゃまくさい。
存在そのものがじゃまくさかった。
そんなこと思ったことあります。
生きている自体苦しみであると。
苦しみが苦しみと分からないと仏法はなかなか分かりません。
うんざりする、うっとうしい。
そんな心をみんな持っているのだということを自覚して貰う。
そして、その苦悩の根本は心の闇にあるのだということを話して貰いたいと思います。
この四苦八苦の根本苦はどこにあるのかというと、
死苦にあるといっていいんだけどね。
いいんだけど、死苦と言ったら
じゃあこの死苦でもなくなる苦しみと
なくならない苦しみがありますから。
後生暗い心はなくなる。
これを仏教で当生愛といいます。
しかし境界愛・自体愛つまり臨終を迎えたときに肉体の苦しみ、
或いは相対の幸福と別れなければならない苦しみとかは
なくなりません。
当生愛、後生暗い心、それはなくなります。
それで死苦の解決ができるということもできます。
しかし救われても煩悩はなくなりませんから
肉体の苦しみはありますし、
相対の幸福が裏切られたら苦しみはやって来ますから。
信心決定しても四苦八苦はなくなりません。
しかしそれは転悪成善になります。
苦しみのまま喜びに変わります。
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