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陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
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2018年01月15日

地獄の不安と阿弥陀仏の幸せ

仏教の結論は、

一向専念無量寿仏

です。

 

無量寿仏とは、阿弥陀仏のことです。

一向専念とは、たのむということで、

打ちまかせる、救われるということです。

 

本当に頼りになる本当に当てになる、
幸せにする力のあるのは阿弥陀仏一仏ですから、

その弥陀をたのめ。

 

その弥陀をたのんだ信心を他力の信心と言いまして

その弥陀の本願まことであったとハッキリした信心が

金剛心と言います。

 

絶対に崩れることのない

絶対に壊れることのない金剛堅固の信心なのです。

 

考えてみますと私たちの一生は死の前にあっては

全然たよりにならない当てにならない物ばかり頼って

生きているんですよね。

 

本当はやがてあなたの手を離れていくものを信じています。
死んでいくときには何の頼りにもならないものを

頼りにして生きているから不安と孤独から離れられずに

ビクビクして淋しい心を抱えて生きているんですよ。

 

そんな私たちに、後生に突っ込んでも壊れない、

そういう仏様が阿弥陀仏ですから、
弥陀の本願信ずべし

本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて

無上覚をばさとるなり

とか

『誰の人も後生の一大事を心にかけて、

 阿弥陀仏を深くたのみまいらせて』
とかね

『これによりてただ深く願うべきは後生なり、

 またたのむべきは弥陀如来なり』

と教えられていて

これが仏教の結論である

一向専念無量寿仏

と教えられています。
だからこの御文章はあなたが頼りにしていると

死ぬときに大変な後悔を残すというものと、

本当に頼りになるものは何かを教えられて、

弥陀の本願信ずべしと言われています。

 

ところが私たちは迷いが深くて

たよりにならないものを頼りにしていてだから
地獄に堕ちるだから幸せになれずにいるのだ。
これを自力の信心を捨てて他力の信心に入れと

仏教で教えられています。

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