何の為に一生懸命勉強しているのか、
後生の一大事の解決して未来永遠の幸福になることが人生の目的ですから、
これあきらめてしまったら目的分からず、
行き先分からず飛行機に乗るという人生になってしまう。
今一生懸命生きている意味もなくなる、この世に生まれ育ててくださった
親の御恩もなくなる。
唐の顔真卿は九十里は百里の半ばなり
を深く味わうべきである。
普通なら五十里が百里の半ばなり、
こういうことだったら納得できますが、
九十里が百里の半ばとはどういうことなんだ、
五十里なら当たり前だがなぜ九十里を半ばといったのか。
誰しも初めは勢い良く出かけるが、
今少しと言うところで油断して事を誤ったり、
生まれがたい人間にうまれ聞き難い仏法を聞いているのですから
今少しといえるのですが、
せっかくいろんな事初めても仏法に限らず後少しで誤ったりして
水の泡になる、これが人間の常だからである。
群賊悪獣にだまされて千載一遇のチャンスを無駄してはならない。
人間に生を受けることは難しい、また仏法を聞くと言うことも難しい。
殆どの人は仏法を聞けないのですから、まさに千載一遇のチャンス、
それを群賊悪獣に騙されて。
最も大きな群賊悪獣は私達の心ですが、自分の心に騙されて私達の心の中にあるんです。
この世界に向かって進むのを障げるものですが、
ああ、楽したいな、こんなんだったらやめようかな、
こんな大変なら断念しようかな。
やけっぱちになるのも群賊悪獣、そういうものいっぱいある。
そういう心に騙されて千載一遇のチャンスを失ってはならない、
絶対失ってはならない。
土俵際でうっちゃられて生死の大海に沈りんしてはならない。
私達の想像を絶するのが後生の一大事
この世の苦しみを一滴の水とすると、
お金がない、気分が乗らない、身体が辛い、
色々苦しみ悩み抱えていると思いますが
後生の一大事の苦しみは大海の水の如しといわれているんです。
それが引き起こってから後悔しても手遅れです。
ですから最後の勝利を勝ち取るまでずってでもはってでも
この道進ませていただかなければならないんです。
後生の一大事凝視して何を成し遂げようとしているのか、
後生の一大事心に掛けて仏法求めていくことが大事なんです。
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